しままだら〜前編〜冬風 狐作
 東京にて大手商社に勤務する村沢浩之は33才の独身男である。彼はこれまで主にアジアやヨーロッパを担当する部署に配属されていたのだが、その数年前の春の人事異動によってアフリカを担当する部署へと異動する事となった。アフリカと言うこれまでとはかなり異なる環境の地域の仕事を上手くこなせるかどうか、当初は不安で一杯であったが幾つかの仕事をこなして行く内にその魅力に惹かれ、今では社内でも有名なアフリカ通として、責任ある地位に就き、的確な采配を振るう事で頼りにされる存在と成っていた。
 そんな彼の活躍ぶりに出世の話もちらほらと囁かれ始め、最後の試験的な意味合いで彼はその商社の扱うアフリカ関連の仕事で、最も重要かつ困難な事業の責任者に任命され、現場主義者でもある彼はその実情を我が目で捉え様と単身アフリカへと飛んだ。

 ギニア湾沿いの比較的政情の安定した小国首都へ到着したのは、パリでの乗り継ぎ時間を含めて成田を立ってから丸一日が経過した日の事であった。その空港から今度は国内線に乗り継ぎ、奥地へと向うのだがその乗り継いだ国内線の機材が何とも古く、飛んでいる最中にあちらこちらから軋み音が耐えないという代物で精神衛生上大変好ましくなかったが、何とか無事2時間余りのフライトを終えて目的地の最寄の空港へと辿り着いた。
 まるでバラックの様にボロイ空港には既に現地に駐在している部下が迎えに来ており、そこからは車で一旦空港のある市内の事務所へ向い、そこで数日過ごすと前後を護衛で囲まれる形で車に乗り、更なる奥地の現場へと向った。最初は二車線の舗装道路であった道もジャングルを進むにつれて、車線はそのまま未舗装となり、その内に一車線の悪路となってジャングルを突き抜けてサバンナに入る。
 サバンナを走る事凡そ4時間、ジャングルを抜けるまでに掛かった時間と合わせて10時間車に揺られてやっと目的の現場へと到着した。そこでは鉄鉱石鉱山開発が進められており、見た限りでは全てが順調に進んでいるようであった。
"これは案外楽かもしれないな・・・。"
と密かに村沢は思っていたが、数日のうちにそれは幻想に過ぎなかったと思い知らされる事になるのである。

 数日後、現場事務所に滞在していた村沢が寝ていると突然警報に叩き起こされた。何事かと窓から様子を窺うと、現場を守備する警備隊が何者かと交戦している光景が広がっていた。そう、資料にあった武装集団の襲撃である。これこそがこの事業の実現を遅らせている最大の原因であって、現場を守るために雇う警備隊の費用も安くは無くそれが故に撤退論が出ていたのだった。
 だが社長をはじめとした経営陣の中には、これを社運を掛けた一大事業として撤退に反対する者もおり、その論争に終止符を打つべくアフリカ通として有名な村沢が送り込まれたのだった。だが実際にその戦いぶりを見た村沢は、これは自分の収拾できる範疇にはない事を悟った。と共に仮に成功した場合の自分の待遇も考えて、出来る限りの力を尽くそうとも決意するという何とも矛盾した考えを抱いていた。
 翌朝、被害状況を確認した後、負傷して捕らえられた武装集団のメンバーの内の比較的軽症な数名と自ら対面した村沢は、日本語の分かる現地人スタッフに急遽口述筆記させた文章を手渡し、武装集団のボスにそれを渡す事を条件に解放した。これは前代未聞の事で日本人スタッフも含めた皆が反対したが、村沢は1人成功を確信して断行した。
 そして数日後、あの解放した内の一人がトラックに乗って数名の仲間と共にボスからの返事を届けに来た。すぐにその内容を口述筆記させたスタッフに読ませて、内容を理解した村沢は再度手紙を送り、今一度反応を見守った。その後も複数回に渡って手紙のやり取りを続け、信頼できると判断した村沢は現地人スタッフ1名を引き連れて自らボスと面会する事にし、迎えに来た集団のトラックに乗って彼らの基地へと向った。誰もが心配する視線を向ける中、彼は妙な落ち着きを見せて・・・。

 武装集団との直接交渉はその後20会余りに渡って繰り広げられた。元々自分達の住んでいた土地であるから、自分達に利益を寄越せと言う武装集団の意向を会社に伝え、会社からの答えを伝え、また・・・と言う繰り返しの果てにようやく彼らは合意に達する事に成功した。合意内容は商社側が設立する開発会社の株券を武装集団に与え、そこからの配当金を利益として渡し、また労働者として人を雇うことを約束し、その代わりに武装集団は事業に対しての一切の妨害を放棄し、逆に事業を守る事が条件となった。
 恐らくこの一見すると簡単に見えるこの交渉は、アフリカ通以上に現場主義である村沢だからこそ成功したのだろう。村沢はこの交渉の為に何とか彼らに溶け込める様、時間を見つけては彼らの文化風俗を習い下手ながらそれを実践して彼らの関心を呼んだ。その事は武装集団の幹部連の耳にもすぐに入り、こう言ったことで妙な連帯感と言うか親近感が両者の間に生まれた事が、成功への最大の要因となつたのだろう。
 そして、数年にわたってのアフリカ生活も終わりを告げ様とした日まで、あと数日と言う時に事件はおきた。村沢が行方不明になったのだ、懸命な双方の捜索の結果道から外れたサバンナの大分奥の場所で車が発見され、そこには何者かに頚動脈を切られて失血死した運転手の死体と、村沢が常日頃携行していた書類鞄だけが残されていた。しかし、村沢の姿は無くただ後部座席に僅かな血痕を残して完全に姿を消してしまったのであった。

 村沢が目を覚ますと彼は、自分が奇妙な場所にいることに気がついた。自分は車の後部座席で寝ながら現場へと最後の挨拶に向っていた筈なのに、今いるのは車の中でも現場の宿舎でもない場所。下には一枚一枚が大きい葉が敷き詰められ、上を見れば軽く曲げられた木々が組み合わされて楕円形の様な形をしており、隙間からは光が差し込んでくるので比較的明るい。入口は半円形に開いており、室内にはこれといった道具の類は無いが石器や土器の様な物が幾つかあり、天井からは荒縄が吊るされて肉の様なのが幾つか掛けられていた。
"まさか・・・人食い人種の家か?ここは・・・そんな事は無いと思うが・・・報告書にも武装集団の連中もそんな事は言っていなかった・・・。"
 彼は慌てて立ち上がり、ここから脱出しようとしたがどう言う訳か体に力が全く入らなかった。それどころか力が抜けるような感じさえするので、結局そのまま横たわるに止めた。そしてどれ程か時間が経過した頃、何者かがその中へと入ってきた。聞こえてくる音からして獣ではない様だが、何とかして視線をそちらへ向けると彼は顔を強張らると、そのまま固まってしまった。
「うん?・・・あぁ目を覚ましたか。気分は如何だ?」
 するとそう間を置かずにそれは、その豹いや表の頭と毛を持ちながら人の姿をしたその生き物が、嬉しそうな声で言葉を発した。声の調子の柔らかさに見た目とのギャップを感じて驚いた村沢ではあるが、それでも彼は警戒心を緩めようとはせず敢えて言葉を返さなかった。
「・・・何だ、目は覚ましたけど薬の影響で声がきけないんだな。まぁ仕方ないね、もうじき抜けるから安心してくれよな、ちょっと待ってろよ。」
 とその豹人は気さくな声で自分なりの考えを示し、そして何かを準備して近付いてきた。口の中で何かをもごもごしながら接近してきた豹人は、彼と寄り添うように並ぶと口を開けさせて、自らの口の中に含んでいた何かを流し込んだ。
「苦いと思うけど全部飲んでくれよ・・・解毒剤だからね・・・。」
 不思議と村沢はその言葉に素直に従って、苦さと微妙な生暖かさに耐えながら食道へと送り込んだ。そして一息を吐く。
「やぁ全部飲んでくれたようだね・・・良かった良かった、もうじき体が動かせる様になると思うからそうしたらご飯にしよう。獲物を獲って来たからね・・・中々の獲物を、おいしそうだよ。」
一方的に口を動かしながら豹人はその場から離れて行った。1人で残された村沢は、余りの展開とギャップに驚きながらも麻痺していた事に気が付いた体が、次第に力と熱を取り戻していくのを感じていた。

「どう美味しいでしょ?」
「あぁ・・・中々美味いな。」
 数時間後、巨大蚕の様な小屋の外に村沢と豹人の姿があった。彼ら2人は焚火を前に横に並んで、楽しげに談話をしつつ何かを食べていた。それは先程豹人が体の麻痺して横たわっていた村沢に向って言った獲物の成れの果てであった。
「これは何の肉なんだ?」
「これ?これはガゼルの肉だよ・・・本当はシマウマの肉が良かったんだけどね、生憎捕まらなくてそこでガゼルにしたんだ。まぁ子ガゼルだから柔らかいし、肉質も良いからよしとするしかないけどね。」
「へぇ・・・そうなのか・・・いや、ガゼルなんて初めて食べたから案外美味くて驚いていたんだが、そう言う物なのか・・・なるほど、なるほど・・・。」
「ヒロユキはこれまで何を食べていたの?」
「俺か?そうだな、肉じゃ牛やブタ、あとは鶏だな・・・たまに馬肉を食べるくらいだな。」
「へぇそうなんだ・・・と言っても良く分からないけど・・・。」
「まぁアフリカには住んでいないからな、逆に日本ではガゼルなんていないしシマウマも尚更だ。人間が飼わない限りはな・・・。」
 何時の間に2人はここまで打ち溶け合う仲になったのだろうか?まだ出会ってから数時間だと言うのに・・・。それには次のような流れがあった。まず、あれから三十分ほどで麻痺が体から抜けた村沢は、逃げようと小屋から外に出た。するとそこではあの豹人が火を焚いている所で、逃げるに逃げられず軽く挨拶を交わして二言三言話を交わしている内に時間が経ち、何時しか互いに好印象を抱き始める様になった。そしてしている内に、タイミング良く焼いていた肉が焼きあがり、今繰り広げられている食事へとそのまま突入したのである。
 ここまで来ると最早村沢の心の内に逃げようと言う感情は薄くなり、また豹人の話によればここの周囲には人は住んでいないとの事だったので、助けを求めるのは不可能だと判断したからだった。
「しばらく、ここにいても良いか?」
 意を決して村沢は合間を見計らって豹人に尋ねた。
「良いよ。僕は一向に構わないよ、うん。」
これでこれからの村沢の運命は決まった。

 それからと言うものの村沢は豹人の青年の同居人として、彼の家に居候していた。最初の頃は生では食べれなかった肉も今となっては十分食べられる様になり、どちらかと言えば弛み気味であった体もすっかり鍛えられてしっかりとした健康体になっていた。
 生活して行く内に様々な話を豹人から聞く事が出来、それによれば豹人はまだ若い青年で家族は勿論無く、元は普通の豹であったのに気が付いたらこのような姿になっていたのだと言う。当初はその体を如何操ればいいのかが分からず、餓死寸前の所まで行ったが何とか会得して危機を脱し、以来このサバンナの一角に住んでいるのだった。そして、村沢との出会いに関しては偶然その方面へ獲物を追って出かけていた所、見慣れぬ生き物・・・要は車の事だ。それを見て興味を持ち後を追ったのだと言う。
 その後悪戯心の起こった彼は先回りして、車が来た所で草叢から姿を現そうとしたら突然、何かが飛んできた彼はかすり傷を負った。これに対して反撃すると中には人間が乗っており、その内の自分を攻撃してきた方の喉を掻き切って殺した所で車は木へぶつかって停止、後部座席に座る村沢を見た彼はとっさにこのまま放置していくと村沢が死ぬ事を直感して、車から出し自分の寝床へと連れて来たと言った。
 確かに仮の左頬には一筋のまだ新しい傷が走っており、恐らく銃弾が掠ったのだろうと村沢は考えた。がそれ以外の事については特に考えるのを村沢は放棄した。どうしてかと言えば、あくまでもそれは豹人のヒミシアン、これは豹人の名前である。の言う事であって証拠がその場に無いからである。そして、ある程度まで過ごしたある日の事、ヒミシアンは村沢をある場所へと誘った。

 誘われるがままに着いて行くと、そこは寝床からそう離れてはいない場所にある沼の様な場所であった。とは言えただの沼ではない。見れば水面からは湯気が立ち昇り、ところどころで気泡が水中から水面に浮んでは破裂しているのが見える、ここは天然の温泉であった。試しに手を入れてみると川の水と混じっているからだろうか、触った場所の温度は35℃程度かそのくらいと言うのが感想だった。だが、ヒミシアンに言わせると場所によって温度が違うのだという。なるほど、確かめてみると確かにそこから更に奥へ行った辺りでは40℃程度はあったし、更に手前では30℃位しか感じられなかった。
「どう気に入ってくれた?」
「あぁ、文句なしだよ。ありがとうヒミシアン、久し振りに垢が流せるよ・・・。」
「そう、なら良かった。じゃあ僕は外で見ているから入ってきなよ。」
「そうかい、ではお言葉に甘えて・・・。」
 俺はその場ですっかり汚れた服を脱ぎ置くとそっと足を踏み入れた。比較的浅いが、そこが柔らかい泥のそうなので頭を軽く上へ上げて寝転べば、死海とは行かないでも柔らかいマットの上で寝ているような気分になれる。とにかくその場で俺はアフリカの太陽と久し振りの湯を全身に浴び、ヒミシアンに対して感謝を思っていた。


 後編へ続く
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