事故 承冬風 狐作
 次に僕が目を覚ますとそこは車の中ではなくどこかの部屋のベッドの上だった。 どこかの部屋とは言えども、それは茶色をベースにまとめられたこじんまりとした、それでいて静かな豪華さを秘めた洋室であり、枕元に置かれた椅子には1人の女性が座って僕を見つめていた。
「気がつかれましたね。」
僕と視線のあった彼女は、嬉しそうにニコッと笑って僕に言葉をかけた。
 目を覚ました僕はまず、今自分の置かれている状況を彼女にうかがった。 すると彼女は自分の名を桐壺と言い、あのお嬢様に仕える者で僕の一切の世話をするよう命じられていると述べた。 お気に召しませんか?と尋ねられたが、今1人では何も出来ない僕にとっては、大変ありがたい天からの恵みとも言って良い様な事であったので、喜んで彼女を受け入れた。 そして、ここから僕の新たな生活が始まった。
 体を動かす事が出来ず、声も発せない僕を桐壺は献身的に看病してくれた。
時には雑談もした、とは言っても僕が彼女のしゃべった事を聞き、それに対して僕が口パクと首を駆使して答えるというものに過ぎなかったが、 特にこれと言った楽しみの無い今の僕にとっては、十分な気分転換となりこれを大いに楽しんだ。 だが、雑談の最中に肝心な事、例えば自分はこれからどうなるのか、あのお嬢様とはいつ会えるのか、と言った事を尋ねると、困った事に桐壺は口を噤んでしまう。
 それでもと、同じ事を何度も尋ねてようやく
「申し訳ありませんが、その様な事はいくらお客様から尋ねられましても答えてはならないと厳命されておりますので、私にはお答え出来ません。」
と言って、別の話題へと話の流れを振ってしまう。 結局、同じ台詞を数回も聞いている内に、無駄な努力をしている自分が馬鹿馬鹿しく思えてきたので何時しか僕は桐壺にその事を尋ねるのをやめた。 最も、自分自身を馬鹿馬鹿しいと思うだけではなく、質問する度に彼女が悲しそうな顔をするのに僕が耐えられなかったのも事実である。

 ある日の午後、昼食が終わって1人静かにベッドに寝ていると、桐壺が部屋に入ってきた。
「お客様、お嬢様がお見えになりました。」
と僕に告げた。
"わかった。"
僕はただそう素っ気無く答えただけだった。しかし、この時、表には出さなかったものの、内ではようやくこれからの自分の命運を握っている人と合えることを喜んでいた。 僕の返事を確認した桐壺はすぐに外へと出て、数分後に戻ってきた。
「どうぞ、お入り下さい。お嬢様。」
彼女が先にドアを開けてそう言うと、あのお嬢様が部屋の中へと無言で入ってきた。そして、枕元にある桐壺が何時も座っていた椅子に座ると口を開いた。
「お久しぶりね・・・気分はどうかしら?」
"おかげさまで何とか。"
「そう。ならいいわ。さてと、桐壺。」
「はい。」
「これから2人で大事な話をするから貴女は部屋から出て自室へ帰りなさい。出る時には鍵をかけてね。」
「わかりました、お嬢様。それでは。」
桐壺はお嬢様の指示に従って部屋を出ると鍵をかけた。
カチャッ・・・
静かな部屋の中に妙に鍵の掛かる音が木霊する。

 部屋の中にお嬢様と僕しかいなくなると、お嬢様は再び口を開いた。
「先日の事故の事は本当にごめんなさい。こちらの不注意であなたの大切なこれからの人生を狂せたばかりか、 唯一無二であるあなたの体を壊したと言う2つの事実は、私達がどう足掻いても償え切れず消す事の出来ない事です。 本当に申し訳ありませんでした。」
そう言って彼女は深く頭を下げた。そして、頭を元に戻した彼女に僕は言葉を返した。
"大丈夫です。そんなに気になさらないで下さい。"
僕はもうあの事を問題にする気は全く無かった。しかし、彼女は違っていた。
「でも、私の過失であなたの人生を狂わしてしまったのよ。この事を気にしなくて何を気にすればいいの?私には分からないわ。」
どうやら、彼女は相当今回の事で参っているようだ。そこで僕は更に言葉を返した。
"その事は僕にも言えますよ。いくらあなたが僕に対して謝罪し、あの事故を悔いても僕の体が元通りになることはありません。そもそも、事故の原因について云々言う事は時間の無駄に他なりませんよ。 それに僕には命があるのです。命が無事であった、それだけでも大きな儲け物です。その上、あなたは僕をここまで面倒見てくれる。 事故の被害者に対して加害者がここまでするのは基本的に有り得ない事です。その様な有り得ない手厚い支援をしてくれる方にどうして文句が言えるのでしょうか。 僕にはとても理解できない事です。今の僕はあなたに対する憎しみよりも、感謝の気持ちで一杯です。"
流石に口パクでここまで言うのは、結構疲れた。しかし、彼女の手前でさも疲れたかのような顔はとても出来ない。 と僕が思っている間に彼女は一瞬神妙な顔をして、すぐに口を開いた。
「命がある・・・確かにそうですね。命が無くては何もなりませんわね、いくら体が五体満足で残っていいましても命が無くては・・・。」
"そうでしょう、ですからそう気を病まないで下さい。でないとあなたに深く感謝している、僕まで気が滅入ってしまいます。"
「わかったわ・・・でも、あなたの言っている事には1つ間違いがあるのだけどいいかしら、言ってしまっても。」
"間違い?"
「そう、間違い。あなたはもう自分の体が元通りになることは無いと言いましたね。」
"はい。"
何だか高校時代に、苦手なタイプの教師に質されている様な感じを受けながら僕は正直に答えた。
「実を言うと、元通り・・・いや、元通り以上に戻る事が出来るの。」
"えっ・・・。"
僕は突然の告白に心底驚いた。出なくなった声がもう一度出てくるのではないかと思うほど驚き、息を吐いたが声は出なかった。そんな反応を示した僕をお嬢様は愉快そうに見つめる。
"ど・・・どうやって、元に戻るのです?"
「簡単よ。」
そう言うと彼女は一息ついて続けた。
「私、いやこの館の者と同じになればいいのよ。」
"はぁ?"
予想していなかったその言葉に僕は思わずネタかと思ってしまった。しかし、彼女の目は真剣であった。 その目を見ていると、何かふざけた事を言ったら殴られるかも・・・という気がしたほどだ。
「まあ、すぐには信じられないと思うけど、私、人間じゃないのよ。 もちろん、桐壺も犬上も・・・この館にいるあなた以外の誰もが人ではない人外の民の末裔・・・人はそれを獣人と呼ぶわ。」

"獣人・・・ですか?"
「そう獣人よ。」
僕の呟きに対し、彼女は平然と答えた。
 僕は少し混乱した、何故なら獣人というものは小説や神話の中にのみ生きる、人間の創造の産物に過ぎないものだと信じていたからだ。 なのに、今目の前にいる彼女曰く自分は、そして桐壺も犬神も皆、この館にいる僕以外の全ての者は獣人なのだと。 だが、僕はいまいち納得出来なかった。何故なら、自分は獣人だと言い張る彼女はどこからどう見ても人であるからだ。
"でも・・・あなたはどう見ても獣人ではなく人ですよね。しかし、あなたは自分は獣人だと言う、どこか矛盾してませんか。それに現実に獣人がいるはずがありませんよ。"
僕は少し得意げにそうお嬢様に言った。すると、それを読み取ったお嬢様はクスクスとしばし笑うと口を開いた。
「これだから、人って面白いのよね。自分の目に映る物、自分の知っている事の全てこそこの世の全てだと思い込んでしまうところが・・・まぁいいわ、その思い込み私が消してあげる。」
そう言うとお嬢様はまたクスリと僕の顔を見て微笑んだ。


事故 承 終 事故 転 へ続く
事故 転
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