事故 起冬風 狐作
 
 ふと、後ろを振り返ると窓の外から色鮮やかな紅葉が溢れているのが目に入った。
"今は秋か・・・。"
 僕はそう思いつつ窓を閉めた。

   もう僕は何日も家の外に出ていない。いや、最後に出てからもう数週間、若しくは数ヶ月経っているかもしれない。
だが、そんな事はどうだっていい。今の素晴らしい生活を前にしてそんな些細な事はどうだっていいのだから。

 何時の日だっただろうか、僕が最後に外に出たのは。たしか、その日僕は大学の講義を受けに行くべく、 北関東の自宅から1人自転車で田圃の中の小道をのんびりと駅へ向かっていた。家を出て数十分ほどで道は、 十年ほど前から高速道路に寸断されており、そこからは左へと曲がってガードをくぐらなくては向こうへ抜けられなくなっている。
 普段から使い慣れている道なので、高速が開通したばかりの時の様な不便に思う気持ちは無くなったが、この場所は事故が多い事で有名であるが故に要注意ポイントなのだ。だから、この場所を通過する時は、常に辺りを気にして減速していくのだが今日に限っては、それとは違う別の、数日前にここであった事故の事で頭の中は一杯だった。
"先日の小学生が撥ねられた事故では、バラバラになった死体の一部が防音壁まで飛んだらしいな・・・。"
そして僕が、そのまま減速する事も無くハンドルを切ってガードの中へ入りかけたその瞬間。
パァァーン!
 ガードの中から凄まじい警笛と共に一台の乗用車が猛スピードで走り出てきた。余りに唐突な事だったので、僕はそれに対して何も出来なかった。 そして、そのまま正面から車に弾き飛ばされ、自転車と共に中を舞った。その時妙に周りの景色が良く見えた事が印象に残っている。
 強い衝撃と共に固いアスファルトの上に落下した僕は、激痛の中で九の字にひしゃげた自転車と、その前に停車した黒い車の中から人が降りてくるのを見て気を失った。

 僕が目を覚ますと、窓以外の全てが白で統一された部屋に寝かされていた。どうやら病院らしい。
"助かったのか・・・。夢じゃないよな。"
と思ってそのまま天井を見つめていると、1人の看護士と思しき女性がやって来た。 僕は彼女に意識の戻った事を伝えようと口を動かすのだが、声が出ずにのどからはただただ空気が吐き出されるばかりで、何度もそれを繰り返していると、ようやく彼女は僕が目を覚ましている事に気がつき声をかけてきた。
「大丈夫?どこか痛い所はない?気分はどう?」
彼女は立て続けに僕に質問をぶつけてきた。しかし、言葉が出ない僕には何とも返しようが無い。 ただ口をパクパクとさせるだけの僕を見た彼女は、慌てた格好で室外へと出て行った。
 数分後、その看護士は医師を連れてきた。白衣を着た初老の医師だった。
「何時、意識が戻ったのかね。」
「数分ほど前のようです。すぐに声をかけたのですが声が出てきません。」
「そうか。他に異常は?」
「いえ、今の所は。まだ何とも言えないのですが・・・。」
「そうか。」
耳には彼らの会話が次々に流れ込んでくる。だが、僕はそれに応じる事が出来ない。 それどころか今になって気がついたのだが、声が出ないばかりか手足を動かす事が出来ないのだ。 僕は焦ってそれを医師に伝えようとしたが、一向に医師は気がつかないままそこらに置かれている機器のモニターを眺めては 看護士となんやかんや話し続け、医師の指示で看護士がいなくなってからようやく僕に尋ねてきた。
「手足は動くかね。」
"動かない。"
僕は口パクと共に首を縦に振った。
「動かないんだな。」
"動かないって。"
唇の動きを読み取った医師が、念を押す様に何度も尋ね返してくるので、同様にして返す。すると医師は何も言わないで部屋を出て行った。
 として、しばらくの間僕はまた一人になった。

 数時間後、再び部屋に人が入ってきた。とは言っても今回は、あの医師と看護士だけではなく黒いスーツを着た男と僕と同い年程度に見える女がいた。
「具合はどうか?」
スーツの男が医師に尋ねる。医師は答えにくそうな顔をして
「首から下の下半身が動かない上に声が出せません。どうやら、中枢に障害を負っているようです。」
「直る見込みは。」
「今のままでは全く・・・。」
「リハビリをしてもだめか。」
「リハビリ以前の問題です。そもそも運動中枢に障害を負ったのですから、動く事が出来ません。今は今後どうやって生活していくのかが課題となります。」
「そうか・・・。」
「お医者様、ちょっとよろしいですか。」
「はい、何でしょう。」

今度はスーツの代わりに一緒に着た女が口を開いた。
「この方の直る見込みはもう無いとのことでよろしいですね。」
「はい、そうです。」
「では、これからどうするつもりですか。」
「本来はこのような場合、病院にて面倒を見続けるかそれとも家族の方に引き取って頂いて自宅療養に回すのですが、この方の場合家族がおりませんので、引き続き当院に入院し続ける事となります。」
「わかりました。この方は天涯孤独の身という事よろしいですね。」
「はぁ、左様で。」
女はジッと僕の顔を眺めると、不意に顔を上げた。
「犬上。」
「はい、お嬢様。」
お嬢様と呼ばれた女はスーツの男―犬上と呼ばれた―に場を返した。 犬上は持っていたかばんの中から書類を取り出すと、医師に渡した。
「これは・・・。」
その二通の書類に目を通した医師は狐につままれた様な顔をしながら呟いた。

「退院許可書と身元引受書です。この方の今後のお世話は私たちが致します。」
女はきっぱりとそれを言い切った。そして、
「そもそもこの方がこのような目に遭ったのは私たちに責任があります。 ですから、私たちにはこの方が被った損害を全て補償する義務があるのです。 特にこの方の場合は首から下が全く使い物にならず、その上、声が出ないのでこのままでは病院の外に出る事すらままなりません。 しかし、身寄りは誰一人としていない天涯孤独の人。これをどうして放っておかれましょうか?」
「はぁ・・・確かに。」
「わかりましたか?では、すぐに我が家へと運びたいので用意の方をお願いします。」
「えっ、しかし・・・。」
「何か問題でも?その書類は全て院長の決済が済んでいますよ。」
「わ、わかりました。すぐに用意いたします。おい、田川君、すぐに人を呼べ、いますぐにだ。」
「はっはい。」
田川と呼ばれた看護士は、医師に言われたとおりに数名の看護士を呼び出した。そこから先の展開は速かった。 看護士と医師は、すぐに僕の体に取り付けられていた様々な機器が取り外し、対応した処置が施す。 それらが終わると用意されたストレッチャーで運び出され、地下の駐車場にて待構えていた車に乗せられて病院を後にした。
 その間にかかった時間は、自分の感じたところではものの数十分も掛かっていなかった様に感じる。
下の方に寝かされているので外の景色を見る事は出来なかったが、しばらくすると背中から伝わる揺れで一般道から高速に入ったように感じられた。
"どこへ僕は運ばれていくのだろう・・・。"
自分がこれからどうなるのか、と心配している内に僕は再び眠りに落ちてしまった。


事故 起 終 事故 承 へ続く
事故 承
作品一覧へ戻る
ご感想・ご感想・投票は各種掲示板・投票一覧よりお願いします。
Copyright (C) fuyukaze kitune 2005-2013 All Rights Leserved.