数十年後のある日、刑務所正門脇の小さな通用鉄門が静かに開くと中から刑務官と共に1人の年老いた男がわずかな私物を詰めたカバンを手に、外に出てきた。
「長らくお世話になりました。」
年老いた男は刑務官に頭を下げると、刑務官に見送られる形でその場から足早にどこかへと立ち去った。この立ち去った男こそがそうかつて麻薬密造の総元締めとして暗躍し、その名を轟かせた只中信である。刑務所に入った頃と比べるとその体は老いて、かつての様な溢れんばかりの精力という物は感じられない。しかし、その目には何かを強く思った輝きが秘められていた。
刑務所を出所した只中の足は刑務所から遠く離れた地方へと向っていた。長距離高速バスに揺られる事10時間近く、寒々とした田舎の高速道のバス停で下車し側道からしばらく離れると騒がしい耳障りな音の溢れる高速道とは違い、しんとした静寂さが辺りに張り詰めている。同時に農閑期であり周囲に全く人影が見当たらない事もそれをより強めていた。
ザクッザクッ・・・。
雪かきのなされていない道を進む事一時間、すっかり山へいった所で道はある神社へと通じて途絶えていた。人の訪れた気配の無いその荒れ果てるに任せた神社の境内を横断し、その奥にある小さな平屋建ての家の扉の鍵を開けると只中は転がり込む様に中へと入った。
「只中」・・・その家の玄関の脇にかかる薄汚れた表札にはそう書かれていた、この家こそ只中が10代の前半まで都会に出るまで過ごしてきた実家なのである。数十年にも及ぶ歳月の内に只中の両親は他界し、その家業もまた自然消滅した。只中家が代々家業としていた物、それは宗教である。表向きは神道系の新宗教に見せかけていたが、その実は神道とも仏教ともキリストとも何ら関係を持たない、古くから伝わる土着宗教・・・独自の経典と戒律を持つ歴史ある極々小規模な宗教の教祖を代々務めて来たのが只中家である。しかし、明治初期の明治政府による廃仏毀釈等に代表される神道国教化運動や戦中に行われた新統計以外の宗教への弾圧、そして戦後の農村人口の減によりこの周辺の村落の人々の間で密かに伝えられてきたその宗教は大打撃を受けて、只中が生まれた頃にはわずか50人足らずの信者がいるだけであった。
その様な中で彼は大切な後継者として多大な期待を背負わされ、その過程として課せられた過酷な修行に嫌気がさして家から僅かな金を持ち出して家出し、駅まで逃げるとちょうど発車間近であった貨物列車の荷台に隠れ、追って来た教祖の両親と信者らから逃れたのである。彼が飛び乗った貨物列車はその後は何処にも止まらずに、大都市近郊の駅まで進むとそこで信号停車のために停車した隙に飛び降り、僅かな金を食事に使い果たして今にも死にかけていた所をある暴力団の幹部に見られて、保護された後は最初に書いた様に裏世界で台頭失脚したのである。
その彼がどうして決別した筈である実家へ、宗教団体の本拠地へ戻ってきたのか?それはある物を彼は捕まる直前にここへ隠匿したからである、彼の隠した物、それは外国銀行に偽名で開設させた秘密口座に関する書類と試作段階であった数種類の麻薬であった。
両親を始め歴代教祖が祭られた祭壇を軽く拝むと只中はその裏へと回り、只中以外は誰も知らない偶然少年時代に見つけた隠し扉を開けて中へ入った。ゴキブリの死骸が一体転がり、埃がうず高く積もっている以外は数十年前と変わらないその空間の片隅に置いた時そのままの形でその黒い木箱はあった。手にとって外に出た只中は扉を閉めると、座敷に座ってそこに巻かれている紐を外して蓋を開けた。中には20枚程度の様々な書類の他に10程の袋に仕分けられた粉薬が主に白く、幾つかは発色をして眠っていた。