所変わって、数年前、一世を風靡した女優がいた。
その女優が出演した番組という番組の視聴率は常に高視聴率を記録し、少しでも使った物の売れ行きは激増、公私問わずに彼女が訪れた場所には数え切れないほどのファンが押しかける・・・といった有様で、彼女の動静がその日一日を左右するとまで評した論客もいたほどである。
だが、そんな日も長くは続かなかった。
あるテレビ番組の撮影場所に向っている途中、乗っている車が交通事故に遭遇し車は瞬く間に全焼、運悪く脱出できなかった彼女は全身を炎に焼かれ重度の火傷を負ってしまった。
一時は意識不明の重体に陥り生死の境を何度も行き来したが奇跡的な回復を遂げ、過酷なリハビリの結果、自らの手で普通に生活出来るまでになっていた。しかし、余りにも高温の炎に焼かれたため彼女の皮膚や筋肉、そして声は以前の彼女とは全く別のものへと成り代わっていた。確かにそこには彼女はいた、しかし、それはかつて幾多の男性の視線を独り占めにした彼女ではなかったのである。
事故直後から騒いでいた世間もマスコミも彼女の復帰が困難、と知ると急速に静まり、新たな別のものへと関心を移していった。彼女を守る立場であるプロダクションは、回復してからしばらくは金銭的な支援を始め様々な支援を続けてくれたが、いつしか一時金と称した多額の現金を渡して彼女から離れていった。
独りになった彼女はそれまで住んでいた高級マンションを売ると都心のボロアパートの一室へと居を移し、事務所からの一時金と部屋の売却金を生活の糧として、必要な時以外は外に出ないという徹底した引きこもり生活で日々を過ごしていた。
そんな、彼女にとっての唯一の娯楽はテレビであり、日長一日起きている時間は常にテレビを見続けていた。そして、音楽番組や芸能番組に今話題の歌手や女優が出るたびに彼女は
「私のほうがよっほど美しかったわ・・・あぁ、何であんな事故如きでこんな目にあわなくてはならないのよ。悔しいわ・・・。」
と呟き、過去の栄華と現実の落差を改めて噛み締めるのであった。
ある日の深夜のこと、真っ暗な部屋の中で布団にこもって寝ていると突然体が強く揺さぶられた。
「何?!地震?」
突然のことに驚いた彼女は目を覚ますと立ち上がって電気をつけた。しかし、不思議なことに部屋の中には何ら異常は起きておらず、何の気配も感じられなかった。気のせいかと思って電気を消し、再び眠ろうとしたその時だった。
「美しくなりたいかね?」
突然、暗闇の中から声が聞こえた。低い男の声だ。
「だっ誰?」
眠ろうとした彼女が突然の声に向かって戸惑いながら答えるとその声は言った。
「俺か?なに、気にする事は無い。俺には名が無いからな・・・まぁ、人間は昔から俺のことを夢魔だとか悪魔だとか勝手に呼んできたがな・・・。」
「夢魔?悪魔?」
突然の出来事に混乱している彼女を無視して男は続けた。
「さて、俺が今お前に求めているのはそんな戸惑いではない。ただ、美しくなりたいか、なりたくないか、という事だ。どうだ、いつも毎日のように人を呪い続けているお前ならもう心は決まっているだろう?」
「え・・・どうしてそれを・・・。」
彼女は思わず絶句した。何故なら、その声の主は誰も知らないはずの、自分がこれまでテレビに出てくる歌手や女優に呪詛の言葉を叩きつけているのを知っていたからだ。
「・・・何でそれを知っているのよ・・・わかった盗聴器が仕掛けてあるんでしょ、そして一緒に備えてあるスピーカーでどこか遠くから話しているんでしょ。そうでしょ?」
彼女はこの時点ではまだ何らかの悪質ないたずらであると思っていた。大方、彼女が買い物の為に買出しに行ったわずかな時間に何者か、例えばかつての自分のファンが何かしらの手段で、この住所を知り今の彼女がどうしているのかを知りたいがために盗聴器とマイクを仕掛けて、何も知らずに自分の呟いた言葉を聴いてそれをネタにして楽しんでいるのだと・・・。
だが、しばらく立ってから返ってきた言葉はそれを否定した。
「否、全く・・・俺はお前のファンでも何でもない。ただの親切心からお前を助けてやろうと思ったのに、そう言われるとは心外だ。もう一度聞こう、お前は美しくなりたいのか、それともなりたくないのか、これが最後だ。さぁ言え、ジタジタしていると帰るぞ。」
先ほどまでとは一点した強い口調で迫るその声に彼女は、内心では非常に戸惑い、無視しようかと思っていた。しかし、その思いとは裏腹に彼女の口は勝手に言葉を吐き出していた。
「なりたい・・・。」
そう言った瞬間、暗闇の向こうの何者かがニヤリと笑ったのを感じた。目には見えないのだが、そういう気配が強くするのだ。彼女はそれに無性に悔しさを感じた。
しばしの間、ニヤニヤと笑い続けた何者かは落ち着いてから口を開いた。
「よし、分かった・・・お前を美しくしてやろう。ただし、ひとつ条件がある。」
「条件?」
「そうだ、条件としてお前は妻になり、子を産むことを約束しろ。」
「・・・いいわ。」
彼女は再びその声に同意した。妻となることはともかく子を産めといわれたことには流石に戸惑ったが、今のまま生活していたところでは結局は孤独に野垂れ死にするだけであろうし、一度美しくなりたいといってしまった手前それを断ることは出来なかった。
「よし・・・契約成立だ。目をつぶれ・・・つぶったな、いくぞ!」
次の瞬間、自分の体はおろか自分のいる部屋全体が大きく鳴動し上へ向けて強く引っ張られるのを感じた。暗闇の中で目をつぶっている彼女は何も分からず、ただ布団の中に縮こまっていることしか出来なかった。