〜プロローグ〜

「ねぇ氷上、何が悲しくて男二人で花見してるんだろうね〜」

「そっちが誘ってきてそれかい」

「ね〜だれか連れてきてよ」

「スルーかい、てゆうか平日じゃん 俺等以外は皆仕事だって」

「弁当何所で食べる〜?」

「おい榊、聞けよ」

「ビーフジャーキーあるよ〜?」

「俺、犬じゃないし」

「え〜この前キャッチボールした時さぁ、飛んでったボール嬉しそうに追いかけてたじゃん」

「・・・ねぇ俺、帰っていい?」

「ビーフジャーキーあるのに?」

「もう疲れたよ…」

「パトラッシュ?」

「……」






俺が日和見荘に引っ越してきたのは今から半年ほど前になる。
以前住んでいた下宿が改装工事をするとの事で退去を余儀なくされた俺は地域の住宅情報誌をめくり、大学からもそれほど遠くなくしかも敷金、礼金も安く手ごろな家賃のアパート、「日和見荘」を見つけ下宿の工事が始まる寸前に引っ越してきたというわけだ。

「なぁー氷上ぃーこの机はここに置いとけばいいのか?」

引っ越し、と言っても大学生である俺の持ち物はそう多くはないのだが懇意にも手伝ってくれている同じ下宿の友人が指示を仰ぐ。

「あー…その辺でいいんじゃね?」

部屋主がそんな調子でいいのかよ、と苦笑しながらも机を言葉どおりその辺に置く。

「助かったわ、手伝ってもらってわりぃな」

最後のダンボール箱を二階に運び上げ、友人に簡単な謝辞を述べた。

「まぁ気にすんな。今度学食でも奢ってくれりゃ充分だからよ♪」

「しゃーねーな…わかったよ」

軽くため息を吐きながらも笑みを浮かべて答える。
「じゃそういうことで!彼女と会う約束あるからこの辺でな!」
そう言うと友人は俺の荷物が無くなりすっかり後部座席のさびしくなった軽自動車に向かい、俺はダンボールの運び込まれた新たな我が家に乗り込んだ。
「201号室」
それが俺の新居だ。
日和見荘の二階の角に位置するこの部屋は日当たりもよく、広さも一人暮らしする分には申し分ない。
俺は全面畳張りの1LDKの部屋に荷物を避け、ごろりと寝転ぶ。
ほのかに香る草の匂い。
二階の角に位置するこの部屋は日当たりもよく、窓から差し込む午後の光が心地よい。

「なかなかいいところじゃないか。ここなら快適に生活できそうだな…」

そんなことを考えながら俺はふと瞼を降ろした、が降ろした瞼が再び持ち上がるのにはそう時間はかからなかった。

「一応お隣さんに挨拶してくっかー…」

その辺は来年から社会にでる者としてきちんとしておかなければいけない最低限の礼儀であろう。
微妙に引っ越しのけだるさを感じつつも俺の部屋の右隣、「202号室」の住人に挨拶するため外に出たのだった。

「すいません、今度隣に越してきた者ですがぁー」

そういいながらお隣さんのドアベルを鳴らす。
するとすぐに

「はいはぁ〜い。ちょっと待って〜」

と微妙にハイテンションな調子を含む間の抜けた声が帰ってきた。
間髪入れずに扉が開かれ虎獣人の男が顔を出す。

「おまたせ〜で、何の用だっけ?」

引っ越ししてきたばかりの隣人がわざわざやってくるという事は挨拶をしに来たって事だろう、と心の中で呟きながら再び目の前の男を眺めてみる。
年齢は俺とタメくらいであろう…だがなぜか和服を卆なく着こなしている、一体今は何年だと思ってるんだ?
和服からちらりとはだけて見える胸は筋肉質だが体形と照らし合わせるとバランスが取れていると言える…一体何をしているんだろう?
次から次に湧いてくる疑問を胸にしまいながら俺は隣人に対する形式的な挨拶と簡単な自己紹介をした。

「こちらこそよろしく〜俺は榊っていうんだ。よかったらあがっていかない?」

いきなりの申し出に多少は戸惑ったものの眼前の虎の素性も気になったし何しろ新しくお隣さんになる人だ。
その申し出を無下に断るのも悪い。

「はぁ…良いですけど」

遠慮がちに答える。


「散らかってるけど気にしないでね、気にするようなもん無いけど。」

玄関で靴を脱いでいる俺に対してそんな言葉を投げかける。

「まぁお決まりの社交辞令だよな」

と俺は高を括っていた、大した事はないだろう、と。リビングへ踏み入れるまでは。
床にはAVが散乱していているしゴミ箱には丸めたティッシュが堆く積まれていた。
コンビニ弁当の残骸も見受けられる。

「あ、あの…」

これは「散らかっている」の範疇を完全にオーバーしている。
あまりの惨状に俺はただ呆然とするより無かった。
そんな俺を尻目に榊さんは平然と

「言ったっしょ? 気にしないでって お茶はいる?食べ物は?」

とか言ってきやがったよ。
部屋の汚さについてツッコミたいのを懸命に抑え受け答える。

「ああ、はい………え、いえ…お構いなく」

それを聞くと榊さんは台所へ入りなにやらテキパキと準備し始める。
うわっ…何で電子レンジとか使ってんだよ…
一体何が出されるやら、一抹の不安を覚えながらもAVの散乱したリビングで待ち続けた。


「はい、お茶 インスタントで悪いけど そっちの菓子は味は確かだから食べてみてよ」

盆に茶と何やら見慣れぬ…茶菓子?を載せて戻ってきた。
いくら電子レンジを使っていたからといって出されたものに手を付けないのは失礼にあたるので、恐る恐るお茶を啜る。
ちらっと上目使いに榊さんを見るとうんうん、といった表情でまじまじと俺の様子を見ている。

「大学生?」

いきなり質問を投げかける榊さん。

「ええ」

「何系?」

「文系です」

「へぇ〜前は何所住んでたの?」

「ここの最寄り駅から5駅くらい離れた下宿に」

「大学近いの?電車使う?」

「電車は使わないです、歩いて30分の場所なんで」

「ああ、だからここにしたって訳ね」

「いや、前住んでいた下宿が改装工事するとあったので…それがなければ特には 家賃安いのは魅力でしたけど」

「ふぅん、そうなんだ」

「…」

「…」

「…」

「……」

か、会話が続かない………
色々聞き出してやろうと思ってたけどいざとなると萎縮してしまうなぁ…
あー気まず…
この空気では下手に口も開けないと判断した俺は間を取る為差し出された見たことのない茶菓子に手を伸ばした。

「あ、甘…」

初めて口にするその菓子は今まで食べた菓子とどこか違うが素直に美味い。
それを聞いた榊さんはふと我に返ったように

「甘いの苦手だった? 煎餅にする?」

とおずおず聞いてきた。

「いや…美味いです……こういうの食べるの初めてで」

「ああ、旅行土産でね ちょっと高かったけど良かったから 気に入ったんならよかった」

そう言って榊さんはにんまりと笑顔を浮かべた。
素性はどうであれこの人は悪い人じゃなさそうだな…目の前の虎をそう評価し俺も笑顔を浮かべる。

「初対面なのによくしてもらって…なんか申し訳なく…今度何か…あああああああ!!!」

「いやいや別にいいよってな、ななななななななななななに!??!?!」
いきなりの絶叫に思わず素頓狂な声を上げる榊さん。

「【霊山】じゃないですか!!!? この酒瓶!!!? こんな一流の高級料理店にしかない一般人じゃ手に届きそうにない酒が何でここに!!!?」

リビングに入って来た時は気付かなかったのだが部屋の隅に酒瓶が雑然と転がっておりその内一本のラベルにははっきりと【霊山】と刻まれていたのだ。
超高級酒の銘柄がこんな部屋に転がってたらそりゃ誰だって叫び声の一つでも上げたくなるってもんだろう。
酒瓶が転がっている一角に近寄り他の瓶のラベルも調べてみる。

「あ゛ーあああああああ!!!!! こっちには【竜殺し】!!!!? なんだってこんな所に……」

ああぁ…なんだってこんなきったない部屋の片隅にこんなもんが…

「こ、こんな粗末な飲み方されてるなんて……」

あまりの勿体無さに呆れて言葉を失う。

「そんなに貴重なもんだったの?」

それにその発言…もう呆れるしかない…

「一本50万単位ですよ…安くて」

それを聞くと榊さんはまるで灰になってしまったか様にがっくりと項垂れる。
心なしか毛皮が白く変色したように見えたが、まぁそれは気のせいだろう。
榊さんはゆっくりと起き上がり何事も無かったかのように

「でもまぁ…胃袋に収めちゃえば何所も同じ」

とかほざきやがった。

「高級品なんだから粗末に扱うなぁぁああああ!! ちゃんと味わってのめええええ!!!」

幻の高級酒もこんな男に飲まれたとあらばさぞ無念だったろうに。
思わずツッこんでしまったが初対面だという事を思い出しすぐに我に返って

「あ、取り乱してスンマセン…」

と頭を下げる。

「ああいや、そのこっちこそすみませんっていうかはい産まれて来てスミマセン」

なんだかよくわからないがお互いに謝りあう事態になってしまった。
あちゃ〜流石に初対面でコレは不味いよなぁ…
自分の仕出かした事を猛省する。

「お酒好きなの?」

先程の事を気にして、ついつい赤面しながらも首を縦に振る。

「じゃあさ、もしあの手のお酒が手に入ったら分けてあげるよ すぐは無理だけど」

「ほ、本当ですか!!!?!?! よ、よろしく御願いします!!!!」

榊さんの思わぬ心遣いに耳をぴんと立て即答する。
もちろん尻尾はこれ以上ないほど激しく振れている。

「うんうん此処同年代居ないからさ、折角会えたんだし、ね」
そういって榊さんは屈託の無い笑みを浮かべる。

「有難うです、えっと…榊さん!」

………こうして俺達二人は出会った。
始めはただの酒好きで大雑把で天然そうな男だなとしか思ってなかったのになぁ…
今みたいな関係にまで発達するだろうとはこの時の俺に知る由は無かった…




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