何かが体に触れるような感覚を覚えて目を覚ますと、目の前に少年の顔があった。
オレが目を覚ましたことに驚いたのか、ビクッと身を引く少年。
椅子から体がずり落ちかけていたので座り直そうとすると、スルッと毛布が床に落ちた。
「? これ、かけてくれたのか?」
床に落ちた毛布を拾い上げながら少年に問いかけると、少年はうなずく。
「そうか。 ありがとな」
微笑みながら礼を言うと、少年は少し照れくさそうに目をそらした。
ふと時計を見ると、時間は7時を少し回ったところだった。
「よく眠れたか?
顔洗って、飯食ったら、街に行こう。
お前の服を買ってやらないとな」
オレが椅子から身を起こしながら少年に話しかけると、少年がまたうなずく。
その表情からは昨日よりも少しは気を許してくれたことがうかがえる。
「それじゃ、顔洗って飯にしよう」
食堂でパンとハムエッグという簡単な朝食を済ませたあと、オレ達は10時になってから宿を出た。
朝食のあと、宿を出るまでの間、少年は昨日の旅行記を読み返していた。
オレはというと、昨日と同じようにその様子を眺めたり、窓の外を眺めたりして、特に何をするわけでもなく時間を過ごしていた。
相変わらず会話はなかったが、昨日ほど気まずくはなかった。
宿を出たあと、オレ達は町の中心部に向かうことにした。
宿は町の郊外に建っているが、それでも中心部までは20分も歩けば着く距離だ。
道中、少年はオレが手を引かなくても後ろをついてきた。
オレは少年の歩調に合わせてゆっくりと歩く。
少年がついてきているかどうかを確かめるためにオレが振り返ると、少年が顔を上げて真っ直ぐに見返してくる。
昨日ならすぐに目をそらしてしまっている状況だが、今日はジッとこちらを見返している。
オレはそのことに少し安心して微笑む。
それからほどなくして、オレ達は街に着いた。
街は多くの人間で賑わっており、様々な食べ物や飲み物を並べた露店が並び、通りに沿った店の前にはのぼりが出ている。
昼食を取るにはまだ早い時間帯なので、先に少年の着る物を探しに、通り沿いにある1軒の大きめの武具屋に入った。
服屋ではなく武具屋に入ったのは、武具屋にある衣服ならば旅に向いている衣服が揃っているうえ、最低限の装備も買うことができるからだ。
30分程で少年に合った服が見つかったので、それを買い、店内の試着室で着せてやった。
少年に買ってやったのは、浅葱色の半袖シャツと灰白色のズボン、灰色のトランクスと靴下、そして茶色のブーツと胸元で止めるタイプの白いケープだ。
もちろん、ズボンとトランクスは竜人に合わせた作りになっている。
「へぇ、よく似合ってるじゃないか。 動きづらくないか?」
店を出て、新調した服を着て隣を歩いている少年にそう問いかけると、少年は頬を染めて首を横に振った。
店を出たあと、オレ達は街の中心にある広場に向かって歩いた。
人通りの多い大通りなので、はぐれないように少年と手を繋ぎ、少年の歩調に合わせて歩く。
「それにしても暑いな。
広場に着いたら何か冷たい物でも買おうか」
大通りを歩きながら、オレは少し汗ばんだ額を拭い、呟く。
初夏とはいえ、今日は雲1つ出ていない快晴。
ましてやこの大通りは多くの人間が行き交っているので、余計に暑く感じる。
それは隣を歩く少年も同じようで、少し暑そうにうつむいて歩いている。
それから10分程歩いて街の中心の広場に着いた時には、もうすでに日は昇りきっており、照りつける日差しも最も強くなっていた。
中心部に常緑樹の植えられた円形の広場にあるオープンテラスでは、多くの人々が昼食を取っていた。
「ここも結構、混んでるな。
じゃあ、何か食べ物と飲み物を買ってくるから……そうだな、そこの席で待っててくれ」
空いている席を指差して少年にそう言うと、オレは近くの店へと向かった。
ちょうど昼時のため、どの店も列ができるほどに混み合っている。
オレは比較的すいている店に並ぶと、順番がくるのを待って注文をした。
注文した物は、タレに浸けて焼いた肉をパンで挟んだ物と、オレンジジュースの2つだ。
オレはそれを受け取ると、少年が待っている席へと向かう。
しかし。
(……ん?)
先ほど、少年に待っているように指示した席に少年の姿がない。
(いない!?)
少年と別れてから、大体10分くらいの短い時間しか経っていない。
その間に少年がどこかへ行ってしまうとは、これまでの少年の態度や行動からは考えにくい。
辺りを見回してみても、少年らしき姿はどこにもない。
オレは小走りに少年がいるはずだった席へと近付くと、隣の席にいた若い人族のカップルに尋ねる。
「すいません、さっきここに白い竜人の子が来ませんでしたか?」
すると、2人は顔を見合わせたあと、女性の方が答えた。
「10分くらい前に来ましたよ。
そこの椅子に座って誰かを待ってたみたいだったけど、しばらくしたら男の人が来てその子を連れていきましたよ」
「!? どんな男でした!?」
オレが血相を変えて尋ねると、女性は少し気圧されたように、
「ええっと…確か背が低い中年の人族の男の人だったと思うけど…」
と答えた。
それを聞いて、ある人物がオレの頭に浮かぶ。
「どこに行ったかわかります!?」
重ねて尋ねると、今度は男性の方が答える。
「どこかは知らないけど、あっちの方に行ったなぁ」
そう言って男性が指差したのは、広場から北へと伸びる通りだった。
さらに男性がつけ加えて言う。
「そういや、なんだか子供の方はおっさんと一緒に行くのを嫌がってたみたいに見えたけど」
「……あのオヤジ……!」
「??」
思わずそう呟いてしまったオレを怪訝そうに見てくる2人。
「あ、いや、どうもありがとう。 良かったらこれ、食べて」
「あ! ちょっと!?」
オレは慌てて礼を言い、手に持っていたパンとジュースを2人のテーブルに置くと、何かを言いかけた2人を背に走り出した。
少年を連れていった男には心当たりがあった。
おそらくは、というよりもまず間違いなく、オレに少年を売ったあの小男だ。
あのカップルの話が正しければ、少年が小男に連れていかれてからまだ10分程度しか経っていない。
オレは人込みを掻き分けるように小走りで走りながら、小男が少年をさらった理由を考える。
そして、人込みもまばらになってきた所まできて、1つの考えが頭に浮かんだ。
(ひょっとして……)
オレは人通りも少なくなった通りをスピードを上げて走る。
やがて通りの突き当たりに高い壁が見えてきた。
壁には小さな門がついており、門衛とおぼしき槍を持った犬獣人の男が2人立っていた。
あれが話に聞いていた、町とスラムとを分ける壁なのだろう。
オレは走るのをやめ、ゆっくりと門へと近付いていく。
「止まれ! ここから先は通交証の無い者は通れんぞ」
オレが門の前まで来ると、2人の獣人は槍を交差させるようにして構え、右側にいた男の方が止める。
「聞きたいことがあるんですが、ここに白い竜人の子供が来ませんでしたか?」
オレがそう尋ねると、左側にいた男が答えた。
「さっきここに来たぞ。
人族の男が一緒だったな」
「2人はどこに?」
「この門の向こうだ。
通行証を持ってたんでな、通してやった。
ひょっとしてお前も通りたいのか?」
「……いえ、ありがとう」
オレは礼を言うと、そのまま壁伝いに伸びた道を歩き出す。
2人の門衛は不審そうにこちらを見ているが、気にせずにオレは歩き続ける。
しばらく歩き、門から見えないほどの位置までくると、オレは足を止め、壁を見上げる。
壁の高さはおよそ4m。
一般人には越えるのは難しい高さでも、オレにとってはこの程度の壁を跳び越すのは造作もない。
オレは辺りを見回し、誰も見ていないことを確認すると、助走をつけずに壁の上に跳び乗った。
壁の上からスラムの方を見下ろして、下に誰もいないことを確認し、跳び降りる。
(さてと……手掛かりがない以上、しらみ潰しに聞いて回るしかないか。
だが、その前に……)
オレは意識を集中し、心の中でイメージを結ぶと、『変容』の魔法を行使した。
発動と共に、白い光がオレの全身を包み込む。
やがて光が消えると、それまでまとっていた服は、薄汚れて擦り切れた薄茶色の長袖のシャツとズボンに変わる。
さらに、髪は黒く染まり、乱れて砂埃に塗れ、肌の露出している部分は垢のようなもので汚れていた。
そのままの格好ではここでは目立ちすぎると踏んだための偽装だ。
オレはとりあえずスラムの中を歩き回り、2人の行方を捜すことにした。
スラムは話に聞いていたとおり、町とはまるで違っていた。
スラム全体をすえたような悪臭が包み、小屋と呼ぶのもはばかられるような小屋やテントが立ち並び、路上では飢えた者達が横になって眠っていた。
彼らからは2人の行方を聞き出すことはできそうにないので、別の人間を捜すことにする。
しばらく歩いていると、ようやく話を聞けそうな人間を見つけることができた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「あぁ?」
話しかけた獣人の男は不機嫌そうに答える。
「この辺で白い竜人の子供と人族の背の低い男を見なかったか?」
「……知らねぇな……他を当たんな……」
うざったそうにそう言うと、男はどこかへと去っていった。
同じようにして、何人かの人間をつかまえては同じ質問を繰り返したが、一向に2人の足取りはつかめなかった。
そうやって聞き込みを20分程続けた頃だった。
ある路地に入ったオレの耳に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「毎度どうも〜!
……へへへ、思いのほか持ってやがったな」
声のしてきた方に目をやると、路地の奥にある大きめの小屋の中から、手にしている札束を数えながら、捜していた小男が出てきた。
小男はにやけながら金勘定をして、オレの脇を通り抜けていく。
どうやら金勘定に夢中になっていて、オレの存在に気付かないらしい。
オレはチェンジの魔法を解き、元の姿に戻ると、やけに上機嫌な小男に声をかけた。
「ご機嫌そうだな、オッサン。」
オレの呼びかけにビクッと体を震わせ、小男がこちらを振り向いた。
「あっ! あんたは……」
「なんでそんなに機嫌がいいのか、是非とも聞かせてもらいたいな。」
オレは笑顔を浮かべて、心底驚いた表情でオレを見る小男に詰め寄る。
「いや……別に、コレは……」
後退りながらオレと手に持った札束を交互に見て、返答に詰まる小男。
「やっぱりそういうことか。
ずいぶんとせこいことをするんだな、奴隷商人ってやつは。
1度売った奴隷を誘拐して、また別の奴に売りさばくなんてな」
オレは声のトーンを落として、脅すように小男に詰め寄ると、その胸ぐらをつかみ、小男を地面から持ち上げる。
持ち上げられた小男の手から、地面に札束が落ちる。
「あ……か……か、金は返しますから!
だから命だけは!!」
ジタバタと足を動かしながら、必死に命乞いをする小男。
オレは声のトーンを落としたまま、小男を睨み、囁く。
「オレはな、別に奴隷が欲しかったわけじゃないんだ。
あの子を奴隷として扱う気なんてまったくない。
あの子が可哀想に思えたから引き取ったんだ。
金なんて返してもらわなくてもいい。
お前の命を取ろうなんて気もない。
ただ……」
鈍い音を立て、オレの放った左拳が小男の腹にめり込む。
「ッッッ!!」
小男が声にならない苦鳴を上げる。
オレが手を離すと、ドサッと音を立て、小男が地面に落ちた。
小男は両手で腹を抱え、地面に頭を擦りつけ苦しんでいる。
その背中にオレは冷たく言い放つ。
「まぁ、これぐらいの痛みは我慢しな」
きびすを返し、声もなく悶え苦しむ小男に背を向けると、オレは小男が出てきた小屋の前へと進む。
そして小屋のドアをゆっくりと開けた。
そこでオレは、少年と5人の全裸の獣人の男達の姿を見つけた。
少年は部屋の隅に座り込んで震えており、その少年を取り囲むようにして男達が立っている。
状況から察するに、男達は少年を犯そうとしていたのだろうが、少年はまだ服を着ている。
どうやら間に合ったようだ。
突然の来客に、少年も男達も驚いてこちらを見ている。
「な、なんだぁ、テメェは?」
5人の男達のうち、最も少年に近い位置にいた馬獣人が驚いた声で聞いてくる。
「その子の保護者だ。 悪いけど、その子は返してもらうぞ。
訳は外に転がってるオッサンに聞け」
オレは一気にまくし立てると、小屋の中に入り、何が起きているのかが把握できていない男達の間をすり抜け、少年の元へと行った。
「さぁ、もう大丈夫だ。
ごめんな、怖い思いをさせて」
少年の前に跪き、そっと少年の頭に手を置いて優しく声をかけてやる。
少年は目に涙を浮かべ、オレを見つめると、ギュッと強く抱きついてきた。
「さ、行こう」
「ちょっと待てよ」
オレが少年を抱き上げ、立ち去ろうとすると、先程の馬獣人が引き止めてくる。
「そのガキはオレ等が買ったんだ。 オレ等のモノなんだよ!
保護者だかなんだか知らねぇが、勝手なマネすんじゃねぇよ!」
「そのとおりだぜ。
第一、俺等のコレ、どうしてくれんのよ」
馬獣人の言葉を継いで、豚獣人が怒張した自らの股間を指差す。
「自分でなんとかしろ。
子供じゃないんだ、処理の仕方くらい知ってるだろ?」
オレは冷徹にそう言い放つとドアの所へと向かう。
「待てっつってんだろ!」
小屋を出ようとするオレの肩を、苛立ちを込めた声で引き止めながら馬獣人がつかむ。
オレは立ち止まり、静かに魔法の詠唱をはじめる。
『安眠、一睡、転寝、仮寝。 汝貪るはいかなる睡か』
「あ!? 何わけ分かんねぇこと言ってやがんだ、テメェ!!」
馬獣人が怒声を発し、オレを殴ろうと拳を振り上げる。
だが、それより早くオレの魔法が発動する。
発動させたのは、対象を強制的に眠らせる『睡眠』の魔法。
発動と同時に獣人達の眼前に光の塊が生まれ、彼らの頭の周りを回転し始める。
やがて光塊が消えると、獣人達は地面にくずおれ、寝息を立て始めた。
「さあ、行こう」
そう言って、オレは腕の中で震えている少年の頭を撫でてやりながら、小屋をあとにした。