日が暮れて街灯に魔法の光が灯る頃、オレがこの町に着いた時にとっておいた宿に着いた。

宿に着くまでにすれ違った何人かの人間達が、オレ達を怪訝な目で見てくる。

中にはあからさまな嫌悪の眼差しでオレ達を睨む者もいた。

この町はそれなりに歴史のある古い町で、それだけに昔からの貧富の差がはっきりしているらしい。

町の中心部の町並みや、そこに暮らす者達の服装や生活は、確かに格式や豊かさが伝わってくるほど立派ではある。

しかしその一方で、町の北側の外れにあるスラム街に暮らす者達は、汚らしいボロをまとって絶えず悪臭を放ち、その日その日を食いつないでくのがやっとという、町の者達とはまるで正反対の生活を送っている、というのをここに来る前の町で聞いた。

スラムに暮らす者達は、ほとんどが貧しい者、犯罪を犯した者、どこからか逃げてきた者達で、町に住んでいる者達は、彼等を忌み嫌い、スラムとの間に壁を設け、彼等が町に入ってこられないようにしている。

境界線付近では小競り合いが絶えず、時折侵入してきたスラムの住人による盗難などの事件も多いという。

オレの後ろを歩いている、砂埃で汚れ、ボロ布を身に着けている少年も、町の者達にとってはスラムの者達と同類に見えているのだろう。

そういった差別の目は宿に入ってからも同じで、入っていくなり受付の猫獣人の女性が不審そうな視線をオレ達に向けてきた。

オレはとりあえず事情を説明し、少年を宿に泊めてもらえるように頼み込む。

受付の女性は、支配人に聞いてくるのでしばらく待つように、と言って受付から離れていった。

待っている間も、ロビーにいた宿の泊り客からはまるで汚れ物を見るような目で見られ続ける。

隅の方ではオレ達を見てひそひそ話をしている客さえいる。

少年に目をやると、どことなく居心地が悪そうにしてうつむいている。

しばらくして支配人らしき人族の男性が現れ、オレは先程と同じように事情を説明する。

交渉の結果、相部屋でかまわないならば、という条件付きで少年の宿泊を許可してもらうことができた。

その後、受付で鍵をもらい、オレは少年を連れて部屋へと向かった。

ここはどうやらこの町ではそれなりに高級な宿らしく、木造ではあるもののキレイに手入れがされていて、3階建ての大きな造りの宿だった。

2階にあるオレ達の部屋のドアを開けると、部屋の壁に掛けられていた『暁光』の封魔晶の上に、白い明かりが灯っていた。

部屋はそれなりに広く、風呂場とトイレもついている。

奥の窓際にはテーブルと椅子が1対と、ベッドの脇にはランプの乗ったサイドテーブルが置かれていた。

しかし、ベッドは部屋の中央に置かれた大き目の物が1つしかなかった。

当初は1人ということで部屋をとったのだから当然のことだが。

部屋に入り、ふと振り返って入り口の方に目をやると、一瞬、少年と目が合った。

すぐに少年の方から目をそらしたが、その目に怯えの色が浮かんでいることをオレは見逃さなかった。

「大丈夫だって。 何もしないって約束しただろ?

 ……さてと、どうしようか。

 とりあえずその砂埃を落とさないと、飯に行くわけにもいかないしな。

 まずは風呂でも入ろうか?」

予想通りというか、やはり少年からの反応はない。

むしろ風呂、と聞いてさらに怯えが増したようだった。

しかし、砂埃塗れの体で食事を取ったりベッドに横になったりするわけにはいかないだろうし、身なりさえきちんとしておけば、不審な目、嫌悪の眼差しで見られることもなくなるだろう。

「ほら、こっちにきな」

そう言ってオレは、入り口のすぐ横にある脱衣所のドアを開け、少年の手を引いて中に入った。

脱衣所で服を脱ぎ、風呂場のドアを開けて中に入る。

風呂場は1坪程の広さがあり、湯船と洗い用の桶には水が張られていて、かたわらに『赤火』の魔法が込められた封魔晶が置かれていた。

オレは封魔晶を手に取り、それを湯船に張られた水の中に入れ、魔法力を込める。

すると、ボコボコッと泡を立て、水は適度な温度のお湯へと変わった。

同じように洗い用の桶の水もお湯に変えたあと、封魔晶を元の場所に戻して、脱衣所の方を見る。

だが、少年はまだ腰布も取らずに立っていた。

一見、表情がないように見えるのだが、その目には明らかな怯えの色がうかがえ、体はわずかに震えていた。

「何もしないから」

少年はしばらく動かなかったが、やがてオレが何もする気がないと判断したのか、腰布を取り、風呂場へと入ってきた。

「自分で体、洗えるか?」

そう聞くと、少年はコクリとうなずき、オレのすぐ隣に座る。

そして、手桶を取って、洗い用の桶からお湯をすくって浴びはじめた。

手桶は1つしかないので、オレはその様子を黙って見ている。

こうして改めて見てみると、少年の体にはかなりの数の傷痕があった。

傷痕には古いものから、わりと新しいもので、大小様々な傷が全身にあるのが分かる。

新しい傷痕はおそらく、というよりもまず間違いなく前の主人につけられたものだろう。

(こんな子供相手に……最悪だな)

オレは心の中でそう呟き、少年の傷を苦々しく見つめていた。

と、手桶を床に置き、ふと何かを探すように少年が周りを見回しはじめた。

「? あぁ、石鹸か」

どうやら石鹸を探しているらしい。

「ほら」

オレは、オレのすぐ側の石鹸受けに乗っていた石鹸を手渡してやる。

少年は石鹸を受け取ると、手で泡立てて体を洗い始めた。

「じゃあ、オレも」

空いた手桶を使ってオレもお湯を浴びる。

浴び終わると、スッと横から少年の手が伸びてきた。

少年は両手の上に石鹸を乗せ、目は上目遣いにオレを見ている。

「あぁ、ありがとう」

そう言ってオレは少年から石鹸を受け取ると、石鹸を泡立てて体を洗い始める。

受け取る時に再び少年と目が合ったが、またすぐに少年の方から目をそらしてしまった。

そのあとはオレも少年も何も言わずに、ただ黙々と体を洗っていた。

しばらくすると少年が体を洗い終わり、手桶でお湯をすくい、泡を落とし始める。

ほどなくしてオレも洗い終わり、少年から手桶を受け取り、泡を落とす。

手桶を受け取る時、また少年と目が合ったが、今度はすぐには目をそらさずに、じっとオレの目を見つめている。

少年が何かを言おうと口を開きかけたが、結局、何も言わずに口をつぐんでしまった。

何を言おうとしたのかは分からなかったが、オレもそれを無理に聞こうとはしなかった。

オレは泡を洗い落とすと、湯船に浸かるために立ち上がる。

だが、その瞬間、少年がビクッと大きく体を震わせた。

何事かと思って少年の視線を追ってみると、その先にはオレの股間があった。

(! しまった!)

オレは内心、舌打ちをする。

立ち上がった時、オレの股間がちょうど少年の目線の高さに来てしまい、否が応でもソレが少年の目に入ってきてしまったんだろう。

オレにそんな気はなかったのだが、少年にはオレが行為を求めているように思えたに違いない。

その目は明らかな怯えをたたえ、体は小刻みに震えている。

「あっ……いや、違う! そんなつもりじゃ……!」

過剰なまでに怯える少年に対して、慌ててそんなつもりではないことを伝えようとするが、少年の震えが止まる様子はない。

それどころかどんどん震えが大きくなっているようにも見える。

「まいったな……仕方ない。 もう出ようか」

このままでは少年の怯えは収まらないだろうからと、オレは湯船に入るのは諦めて風呂から出ることにした。

(うかつだったな……)

少年は玩具奴隷として生活をしてきたのだから、お互いが裸でいる状態が忌まわしい記憶に結びついても仕方がないだろう。

オレが先に風呂場から出て、体を乾かすために脱衣所に置かれていた『熱気』の封魔晶を手に取り、魔法力を込めた。

オレの全身を熱気が包み、体についていた水滴が一瞬で蒸発する。

オレは服を着たあと、いまだに震えている少年の体を同じようにして乾かしてやる。

そして、ここであることに気付いた。

「あ、そうだ。 服、どうしようか。

 さっきのやつじゃまずいし……といって子供用の服なんて持ってないしな……」

そう、少年の着る物が無いのだ。

かといって裸のままでいさせるわけにもいかない。

考えた結果、服は明日にでも買うことにして、今日は即席の服で我慢してもらうことにした。

オレは裸のままでまだ震えている少年の頭の上に手をかざし、念を込める。

すると、シュンッという音と共に、白くゆったりとした長袖のシャツとズボンが少年の体を覆った。

竜人の体形に合わせて、ズボンにはシッポを出すための穴が開いている。

今使ったのは、『マテリアライズ』という技法で、主として、武器を生成する為に使われることが多いのだが、武器でなくても大抵の物は生成できるので、こういった使い方もできる。

もちろん、出現している間は法力が減り続けるのだが、何の変哲もない服程度の物であれば、ほとんど問題にはならない。

少年はいきなり出現した服に驚いているようで、服をしげしげと眺めていた。

少年の体の震えが止まったのを見て、オレは安心し、

「お前が着られるような服が手元に無いから、今日はそれで我慢してくれ。

 あんまり窮屈にならないように、少し大きめに作ったんだけど、きつくないだろ?」

と、少年に問いかけた。

少年は服を眺めたままうなずく。

「よし。 じゃあ、飯食いに行こうか」

そう言って、オレはまだ服を眺めている少年をうながして食堂へと向かった。

 

 

食堂は宿の1階にあった。

中は30席程のテーブルがあり、その2/3程が埋まっていた。

埋まっている席に座っている者の中には、先程ロビーでオレ達のことを見ていた者もいたが、オレが少し睨むとすぐに目をそらしてしまった。

関わらない方がいい、とでも思ったのだろう。

横目でチラチラとオレ達を盗み見て、何言かを囁きあっていたが、オレ達は気にせず食事を取ることにする。

夕食はバイキング形式だったので、部屋の中央には長いテーブルが置かれており、その上に色々な料理が盛りつけられていた。

オレは中央のテーブルに置かれていた皿を取り、盛られていた料理を適当に皿に取り分けていく。

途中で少年に、何が食べたい?と聞いたが、少年はオレの後ろをついてくるだけで何も答えなかった。

ただ時々、盛られているステーキやローストチキンといったいくつかの料理を横目で見ることがあったので、それらの料理は取ってやった。

オレ達は一通り料理の周りを回って、空いている席に着く。

オレが席に着くと少年は向かいの席に座った。

少年の前に皿とナイフとフォークを置いてやると、少年はしばらく皿の上の料理とオレとを交互に見ていたが、オレが料理に手をつけ始めると、ようやく少年も料理を食べ始めた。

どうやら何をするにもオレの許可が必要か、あるいはオレが先に行動をしてからではないと行動しないらしい。

ナイフを使わずにフォークだけでステーキにかぶりついている少年からは、そんな奴隷としての習慣が見て取れた。

一体、この少年はどんな生活を送ってきたのだろうか。

うろ覚えだが、この少年を売っていた小男の話では、少年は1年程、前の主人の所にいたという。

その前にも2・3度、主人を替えていたらしく、その時にはすでに玩具奴隷だったと本人が言っていたそうだ。

今の少年はどう見ても、10・11歳。

どれだけの期間、玩具奴隷としての生活を送ってきたのかは分からないが、明らかに性を知るには早すぎる年齢から『行為』を強要されてきたはずだ。

その傷はどれほど深いものか。

体の傷は消えても、心の傷は消えることがない。

だが、少しでもその傷の痛みを和らげてやることができれば、と思う。

そんなオレの思いを知ってか知らずか、目の前の少年は、一心不乱に料理を食べ続けていた。

 

 

食事を終えて部屋に戻ったが、特にすることもない。

科学や機械が発達している世界ではないので、テレビやラジオなどの電子機器もない。

寝るにはまだ早い時間だし、かといって少年を置いて街に出ていくわけにもいかないだろう。

仕方なく窓際に置かれた椅子に座り、荷物の中から読み終えてしまった本を取り出し、もう1度読み直す。

少年はというと、最初にこの部屋に来た時と同じように部屋の入り口で立っている。

とはいえ、その時よりも少しこっちに近付いた位置に立ってはいたが。

「そんな所に立ってないで、こっちに来いよ。

 ベッド、使っても良いから……って、勘違いしないでくれよ。

 変なことする気はさらさらないからな」

また少年に勘違いをさせないように言葉をつけ加え、部屋の中に入ってくるようにうながす。

少年は言われるがままに部屋に入ってきて、ベッドの上に座り込んだ。

パラパラと本のページをめくっていたオレは、

「あ〜、お前、文字読めるか?」

と、ベッドの上で部屋を見回していた少年に声をかけた。

少年は少し考えた素振りを見せ、うなずく。

「じゃあ、コレでも読んでみるか?

 オレはもう読み終わってるから。

 ちょっと難しいかもしれないけど……」

そう言って少年に近付き、本を手渡す。

手渡した本はわりと厚めの旅行記で、この町の前の町で買った物だ。

それなりに難しい字も使われており、お世辞にも子供向けとは言えないが、挿絵を見るだけでもそれなりに楽しめるだろう。

少年は手渡された旅行記を、最初のページから読み始めた。

オレは再び椅子に座ると、その様子をじっと眺める。

少年はパラパラとページをめくっている

その様子から察するに、どうやら読めない字が多いらしく、内容を理解するのを諦めて、挿絵を見ることに専念しているようだ。

しばらくそうやって少年の様子を眺めているうちに、オレは段々とウトウトとしてきて、そのままゆっくりと目蓋を閉じ、眠りについてしまった。

 

 

目を覚ますと体に毛布がかけられていた。

少年の方を見ると、ベッドに横たわって静かに寝息を立てていた。

ベッド脇のサイドテーブルの上には、渡した旅行記が置かれている。

ベッドに毛布がないところを見ると、この毛布は少年がかけてくれた物らしい。

オレは少し微笑んで、かけられていた毛布を少年の体にかけてやる。

少年は少し身じろぎしたが、目を覚ますことなく、寝息を立てている。

起こさないようにそっと少年の頭に手を乗せると、少年の体温が伝わってくる。

寝顔は安らかで、ごく普通の子供と変わらない。

オレはまた少し微笑んで、少年の頭から手を離すと、部屋の壁に掛けられている時計を見た。

オレは2時間程眠っていたらしく、時計の針は10時を指していた。

「10時か……」

小さく呟き、壁に掛けられていた『暁光』の封魔晶の明かりを消す。

部屋が暗闇に包まれると、オレは目が暗闇に慣れるのを待って椅子に戻った。

そしてそのまま目を閉じ、小さく息を吐き出して再び眠りについた。