「いい加減、うんざりしてきました……って、何か前にも言った気がするんですが」

「うん、前にも聞いた気がする」

頭をさすりながらの僕のため息交じりの言葉に、同じくため息交じりでモルドが返してきた。

思い返してみれば、同台詞を吐いた時にも、同じくため息もついていた気がする。

地下3階左ルート。

この階に下りてから、もう何度ため息をついたことか。

ため息の原因はただ1つ。

この階に仕掛けられた、多量の罠だ。

その数たるや、数歩歩くごとに罠1つと言っても過言ではないくらいの、尋常ではない数。

しかもそのどれもが、命に関わるような危険な物ではなく、子供の悪戯の延長のような物ばかり。

例えば、壁から飛び出してくるのが柔らかいゴムの棒であったり、前方から飛んでくるのが吸盤付きの矢であったり、天井から落ちてくるのがバケツであったり、落とし穴の落差がわずか10cm程であったり。

はっきり言って、人を馬鹿にすることを目的としているような罠とも言い難い罠ばかりだ。

肉体的な被害はほとんどないに等しいが、精神的な被害はかなりある。

それがぼやきとため息となって表れるのは致し方ないことだろう。

さらにこの罠群、困ったことに作動のスイッチがまったく分からない。

これまでは床の一部がスイッチであったり、部屋に入る行為そのものがスイッチであったりしていたが、この階の罠は何の脈絡もなく作動する。

僕もモルドもかなり慎重にスイッチとなるものを探してはいるのだが、それでも1つとして見破ることができず、罠が作動してしまう。

そんなこんなで、この階に下りてきてから30分程歩いてきたが、罠に掛かった回数は30を軽く超えるだろう。

単純に数えて1分に1つの罠に掛かっていることになる。

もっとも、馬鹿馬鹿しくて細かに数えているわけではないが。

正直に言って、この左ルートを選択したのは誤りだったと宣言したい気分だ。

ただ、地下3階は造りこそ迷路になってはいるものの、僕達は地図を持っているので、次の階までのルートは最短のものを選んでいける。

これは大きな救いと言えるだろう

もしも地図がなかったことを想像すると、心が折れることは想像に難くない。

「あともう少し行くと部屋があるから、そこで一休みしていこう」

立ち止まって地図を見ていたモルドが提案する。

横から地図を覗き込むと、モルドの指が差す現在地は、次の階段まで直線にしてあと100mくらいの所だろうか。

縮尺が書いていないので正確には分からないが、だいたいその程度の距離だろう。

当然、壁を突っ切っていけるはずもないので回り道をすることになるが、それでも最短ルートで300m程度だと思われる。

そのルートを通ると、たしかにその道程の半分くらいの位置に小部屋があった。

「そうですね……」

僕は力なく答える。

つい今しがたも、天井から落ちてきた小型のタライに頭を直撃されたばかりだ。

痛みはあまりないが、イラつきはかなりある。

そんな僕の様子に気付いたのか、先を行くモルドが足を止めて振り返り、

「あまりイラつくなよ?

 今のところ大した罠に掛かってないけど、どこで大きな罠に掛かるか分からないからな」

と、注意を促してきた。

たしかにその可能性はある。

僕はうなずき、深呼吸をする。

「イラつかせて、注意力をなくさせるのが目的かもしれませんね、ここまでの罠は」

「うん、俺もそう思う。

 だとしたら、そろそろ洒落じゃない罠があるかもしれない。

 注意して行こう」

僕の言葉にうなずきながら、モルドは歩みを再開した。

とはいえ、やはりこれまで同様、子供騙しの罠のスイッチは見つからず、ことごとくそれらに引っ掛かり、僕達はイラつきという意味での精神をすり減らしていった。

とりあえずの目的地である小部屋に着いた時には、2人そろって盛大なため息をつき、入り口脇の壁にもたれ掛かるという有り様が、イラつき具合を物語っている。

「……もう何回くらい罠に掛かりましたかね?」

壁にもたれながら座り込んでしまった僕が問い掛けると、モルドは壁にもたれたまま、かぶりを振り、

「さぁ……数えるのも馬鹿らしいけど、まぁ、地図を最後に確認してからは10回くらいは掛かったんじゃないか?」

「ゴムの棒が顔面直撃してましたけど、大丈夫ですか?」

「……芯が入ってるわけじゃないから、そこまでは痛くなかった、かな。

 そっちこそ、嘴にゴムの矢が当たったみたいだったけど?」

「ええ、吸盤付きのが。

 嘴だったから痛くはなかったですけど、ビックリしました」

「そりゃそうだろうな。

 はぁ……まぁ、ここで一休みしてから先に進もう。

 何か……疲れた」

「僕もです……」

愚痴りながら、僕達は体を、というより心を休める。

休んでいる間、僕達は言葉を交わさなかった。

話題がないというわけではなく、ただ単に本当に疲れていたからだ。

前階のような命に関わるような罠は当然ながら肉体・精神共に疲弊するが、今階の子供騙しの罠群はそれらとは違った疲弊の仕方をする。

肉体的に大した影響はなくも、精神的には大いにある罠が存在するということを、今階の罠は証明してくれた。

素直な感想を言えば、肉体的には大した危険がなかったわけだから、スイッチを調べることなどせずに、そのまま走り抜けてしまえばよかったのではないだろうか。

そうしていれば、少なくとも精神的疲労はここまでのものではなかっただろう。

しかし、それをすれば、むしろそれこそが設計者の意図するところだったのかもしれない。

そうやってイラつかせて行動を単純化させ、その先に危険な罠を仕掛けておく。

その可能性は大いにあり得た。

だからこそ、僕達は慎重に慎重を重ねて進んだわけなのだが、結果的にはそれは精神を疲労させたことにほかならず、もしかしたらそれこそが設計者の――

「――サー。 アーサー!」

「――え!? あ、はい?」

横から降ってきたモルドの言葉に、思考を止められて我に返る僕。

横を見上げれば、モルドが心配そうな表情で僕を覗き込んでいた。

「どうした、大丈夫か?」

「え、ええ、大丈夫です。

 ちょっと考え事をしてたもので」

「そうか。 もうそろそろ行こうと思うんだけど、行けるか?」

「はい、行きましょう」

答えて僕は立ち上がった。

実のところ、疲労はたいして回復していなかったが、あまり悠長に休んでもいられない。

今回の探検には時間に限りがあるのだから。

(今、何時だろう……できれば夕方までに、遅くても夜までに戻らないと)

そんなことを思いながら、僕はモルドの後に続いて小部屋を横切る。

そして、部屋の半ばまで差し掛かった頃、突如足元の感覚がなくなった。

『!?』

不意の出来事に、僕もモルドも声も出ない。

一瞬ののち、体が重力に引っ張られる。

僕は咄嗟に翼を展開させ、重力に逆らった。

しかし、翼をもたないモルドはそのまま下へ。

「モルド!!!」

モルドを呼び、手を伸ばす僕。

だが僕の手は空を切り、その数秒後、

「ぐあっ!!!」

モルドの悲鳴が下から響いてきた。

「モルド!!!」

翼をはばたかせ、落下したモルドに近寄る僕。

モルドの周囲には、僕の持つ明かりの光を受けて鈍く光る銀色の物体がいくつも並んでいる。

それは一目で針だと、しかも子供の腕程の大きさもある針だと分かった。

頭上からゴゴンと思い音が響くも、僕はそんな音を意に介さず、モルドに近寄り、明かりをかざす。

モルドは右の太腿を針に貫かれて呻いていた。

それ以外に外傷は見当たらなかったが、たしか大腿部には太い血管が通っていて、大きな損傷は命に関わる程危険なものだったはずだ。

実際、出血量も多く、すでにモルドを貫く針の下には血だまりができている。

気が動転している僕は、その様を見て逡巡する。

と、モルドが苦しげに喘ぎながらも声を掛けてきた。

「右足……付け根を何かで強く縛ってくれ……!」

モルドの指示に僕は我に返り、何か縛る物がないかを探す。

わずかの間、探していると、ベルトが止血に適していることに気付き、自分のベルトを外してモルドの指示通りに右足の付け根をきつく縛り上げた。

「ぐっ!」

モルドが痛々しげに呻く。

「これでいいですか?」

「あ、あ……」

尋ねると弱々しく首を縦に振るモルド。

あまり止血の効果が出ていないように思われたが、モルドは構わずに次の行動に移る。

腰の革袋に手を伸ばすと、いくつかの封魔晶を取り出し、そのうちの1つ、白く光る封魔晶を手にした。

「これを使う……君は俺が合図をしたら足を抜いてくれ……」

「分かりました」

何も聞かず、僕は言われるままにモルドの右足に手を添え、モルドの合図を待つ。

「いくぞ……3、2、1!」

「っ!」

僕は力を込めてモルドの右足を引き上げた。

「がっ――!」

モルドが苦鳴を上げ、傷口から血が噴き出す。

しかし、それでもモルドは封魔晶を発動させた。

モルドの直上に平たい円錐が現れ、その底面の縁から光のヴェールが下がり始めた。

僕はモルドの足を床におろすと、ヴェールに触れないようにして一歩身を引いた。

ヴェールはすぐさまモルドを囲うようにして床まで落ち、上部の円錐から多量の光の粒子が仰向けになったモルドに降り注ぐ。

その数拍後、ヴェール内が白く、強く発光。

光がやむとヴェールも粒子も円錐も消えた。

見れば、モルドの右足は完全に元の状態に戻っていた。

ズボンに開いた穴からは、艶やかな金色の皮膚が見て取れる。

「ふぅ〜……」

モルドが大きく安堵の息を吐いた。

「もう、大丈夫なんですか?

 痛みとかは?」

上体を起こしたモルドを覗き込むようにして尋ねると、モルドは首を縦に振り、

「もう大丈夫。

 傷はもちろん、ついでに疲れもなくなったよ」

と、非常に元気そうに、笑顔で答えた。

そして、落ちた衝撃で投げ出された『暁光』の封魔晶を拾うと、周囲を見回す。

落とされた場所は、落とし穴があった小部屋と同じくらいの広さの部屋で、部屋の床からは1mくらいの間隔で等間隔に針が伸びていた。

「やっぱり大きな罠があったか。

 油断してたわけじゃないんだけど、見抜けなかったな

 この先は気を付けないと」

自戒気味に呟くモルドは、右足にまかれた僕のベルトを解くと、明かりをかざして眺め、

「あ〜、結構血が付いちゃったよ。 悪い」

と、ベルトを拭く動作をしながら僕にベルトを差し出した。

受け取って見ると、たしかに血が付いていた部分があった。

「いや、いいですよ別に。

 それよりもモルドの服の方が酷いことになってますよ?」

受け取ったベルトを締めながら、僕はモルドの右足の太腿に視線を落とす。

ズボンに穴が開いていることもさることながら、その周囲は血でベットリと濡れてしまっていた。

モルドは立ち上がって自分の右足を色々な角度から見つめる。

「たしかに、こりゃ酷いな。

 でも、まぁ、仕方ないさ。

 本当は拭き取った方がいいんだけどね。

 血の臭いをマテリアが嗅ぎ付けないとも限らないからさ。

 ……こういう時に限って拭く物持ってきてないんだよなぁ」

ボヤくモルドに、

「僕の普段着で良ければ貸しましょうか?

 タオル代わりにはなるでしょうから」

と、僕は提案したが、モルドは首を横に振り、

「水とかならいいけど、さすがに血は、な」

そう言って苦笑いを浮かべた。

次いで、傍らに落とした地図を集めて拾い上げ、眺め始める。

「さ〜てと、ここはどこだ?

 落ちる前が3階の最後の小部屋だったから……」

「落ちた距離的には4階でしょうか?」

尋ねると、モルドは3階と4階の地図を見比べ、

「…………うん、そうっぽいな。

 たぶん、4階の最初の部屋だ。

 とにかく部屋を出てみよう。

 そうしないと確認できない。

 ここが最初の部屋なら、少し行った所に階段が2つあるはずだ」

「2つ?」

「そう。 2階と3階は右と左のルートに分かれてただろ?

 それが4階で合流してるんだ」

「ああ、そうでしたね」

「この部屋から近いはずなんだけど……」

言いながらモルドは針を避けて歩き出した。

僕も後に続き、すぐに部屋の出入り口に差し掛かる。

「……罠はなさそうだな…………っと?」

周囲を慎重に探っていたモルドが小さく声を上げた。

「どうしました?」

尋ねると、モルドは振り返り、意味ありげな笑みを浮かべた。

そして、部屋を出た正面にある通路の壁を指さした。

そこには、星夜苔を浮き彫りにした印が印されていた。

「これって……!」

「うん、誰かここを通ったみたいだな」

「じゃあ、これを追っていけば!」

「その誰かに会えるってことだ」

思わぬ発見に僕達は喜んだ。

ここにきて、ようやく手掛かりが見つかった。

この印を印したのが3人のうちの誰かは分からないが、とにかく一歩前進したことには違いない。

「さ、手掛かりをつかんだし、俺達も行こう。

 とりあえず、今ここが何階で、どこにいるのかを確認しておきたいな」

「え? この印を辿っていった方がいいんじゃないですか?」

てっきり印を辿っていくものだとばかり思っていた僕は、モルドの言葉に戸惑いの声を上げた。

モルドは1つうなずくと、

「もちろん、そうするよ。

 でも、合流したはいいけど今いる場所が分からなくなったじゃ話にならないだろ?

 進みながら場所を確認できなくもないけど、似た通路ばかりの所で確認するより、階段みたいな目印になるような所で確認する方が確実だ。

 この小部屋が最初の部屋だったら、近くに階段があるはずだから、そんなに時間もかからないしな。

それに目印が消えることはないから、焦る必要はないさ」

「でも……」

モルドの説明は理屈では納得できた。

しかし、僕としては、もしもこの印を付けたのがジークかシーザーだったらと思うと気が気ではなかった。

というより、もしも2人だったならと思えばこそ、気が急いてしまう。

そんな僕の心情を見抜いたのか、モルドは苦笑いを浮かべ、

「心配する気持ちは分かるけど、焦っちゃ駄目だ。

 俺達まで迷ったら元も子もない」

「……はい」

モルドの説得に、僕は内心では納得しきれなかったものの従うことにし、声を低くして答えた。

「よし、なら行こう」

モルドは促して部屋をあとにし、僕もそれに続いた。

先に大きな罠に掛かったばかりだというのに、通路の先を行くモルドの歩調に、そこまで慎重さは見受けられなかった。

印を見て、周囲に罠はない、もしくは印した誰かが罠を見破っていると判断したのだろう。

実際に、進む先の床に罠を示す印が付けられているのを発見したので、その判断は間違ってはいないと言える。

それでも一応周囲を確認しつつの前進ではあったが。

そうやってしばらく進んだところで、階段が2つ、横並びになっている場所に行き当たった。

「うん、4階で間違いないな」

モルドは納得しつつ地図に目を落とす。

「4階なら、ここでようやく半分ということになりますね」

遺跡は地下8階まであったはずだ。

「そうなるな」

モルドが地図から顔を上げ、うなずいて肯定した。

そして、小さく笑む。

「じゃ、さっそく印を辿っていこうか」

「はい!」

モルドの言葉に、僕は声を大にして答えた。

 

 

「……おい」

「…………」

オレの呼び掛けを無視して、前を歩き続けるルータス。

かれこれ10分程は歩き続けているが、一向に下への階段が見つからない。

マテリアには1度、罠には2度程遭遇したが。

「ひょっとしてさ」

「…………」

「迷ってねぇ?」

「……!」

オレの問い掛けに、ルータスの肩がピクリと動いた。

そして足を止め、くるりと首だけをこちらに向け、

「……バレた?」

「おい!」

悪びれる様子もなく答えたルータスに、オレは声を荒げた。

「先導は任せとけっつたのは誰だよ!」

「んなこと言ったって、しょうがないだろ〜?

 ここ、同じような場所ばっかりだしさ〜」

「何の為に目印付けてんだよ!」

「迷わない為」

「迷ってんじゃねぇか!!」

「そういう時もある」

「――ッ!!」

臆面もなく答えるルータスの様に、オレは怒りを通り越して呆れてしまった。

「いや〜、やっぱさ、目印はもうちょっと分かりやすくするべきだったね。

 矢印とかさ、そういうの。

 まあ、今更なんだけどさ」

「……ホントだぜ」

もはや怒鳴る気も失せて肩を落とすオレ。

しかし、ここで立ち止まってこんなやり取りを続けていても始まらない。

オレは肩を上げて、ルータスに尋ねる。

「で、どうすんだよ?」

「ん〜、まぁ、道が分からない以上、地道に歩き回って階段探すしかないかな。

 とりあえず通った場所と罠のある場所は目印付けてあるから、そんなに神経使わなくても済むでしょ」

「何か行き当たりばったりだな〜」

「じゃあ、ほかに何かいい案ある?」

「…………」

言われてオレは言葉に詰まった。

たしかに、考えてみれば、それ以外に取れる行動はない。

オレが何も言えないことを見抜くと、ルータスはニンマリと笑い、

「ないでしょ?

 じゃ、そういうことでいいね?」

と、意地悪く聞いてきた。

反論したいところだが、残念ながらルータスの言っていることが正しい。

態度は頭にくるものがあるが。

「……しょうがねぇな〜。

 なら、さっさと進もうぜ」

渋々といった風を装って、オレは同意した。

歩みを再開してから5分くらい経った頃だろうか。

少しばかり長い直線の通路を、あと少し進めば十字路に差し掛かるという所まで進んだ時、ふと、耳に馬の蹄のような音が、かすかではあるが届いた。

「ちょっと待った」

先を行くルータスに止まるように言う。

「何?」

振り向きながらルータスが聞いてくる。

オレは口元に人差し指を当て、耳を澄ます。

「……ん? これは……」

ルータスが首を傾げて言う。

どうやらルータスも音に気付いたようだ。

オレは耳を動かして音の出所を探るが、音が通路に反響しているせいかなかなか場所が割り出せない。

だが、音が段々と大きくなっていることから、音の発信源が近付いてきていることは間違いなかった。

おそらく、マテリア。

「蹄の音……ケンタウロスかミノタウロスかな」

ルータスが音の発信源を予想し、封魔晶の明かりを消す。

たしかに、ケンタウロスもミノタウロスも足が蹄になっているので、音の発信源はそのどちらかで間違いないだろう。

音の感じ方からすると、少しばかり軽く、数が多い気がする。

「ケンタウロスかな」

ルータスに倣い、オレも明かりを消して予想を言うと、ルータスは無言でうなずいた。

そして、手にしたローレルクラウンを展開する。

しかし、反響のせいか、四足歩行のケンタウロスだとしても随分と数が多いような気がする。

「どこから来る?」

少し先の十字路と歩いてきた通路の後方を見比べながらルータスが尋ねてくる。

オレは耳に神経を集中させ、動かした。

反響で分かりづらいが、十字路の右側から音が聞こえてきている気がする。

「右……かな」

十字路の右を指さし、声を潜めて告げる。

「オッケー」

同じく声を潜めたルータスが、展開したローレルクラウンを構え、十字路の角へと進んだ。

と、その時、ルータスの肩越し、つまり十字路をまっすぐ進んだ通路上に、何かがぼんやりと浮かんでいるのが見えた。

「!」

ルータスは十字路の右側に気を取られている為か、その存在に気付いていない。

星夜苔の薄緑の薄闇に順応し始めた目を凝らすと、浮かんだ物の正体が判明した。

「ルータス! 前にデスマスク!」

ルータスに気付かせる為、オレは声を張った。

「――っ!」

ルータスが気付き、顔を上げる。

同時に、前方のデスマスクがこちらに向かって滑るように移動を始め、そして通路に反響する、ケンタウロスのものだろう蹄の音も大きく、早くなった。

蹄の音が早まったことを察知したルータスが、十字路の角から右側の通路を覗き込む。

「! 走れ!

 手前の部屋まで走れ!」

明かりを灯し、慌てた様子でルータスが叫んだ。

始めて見るルータスの慌て振りに、オレはただ事ではないと察し、同様に明かりを灯して、指示通りに元来た通路を逆走した。

ルータスも後方を警戒しながらオレの後に続いて走る。

すると、ルータスの頭越しに、十字路の右側から、予想通りケンタウロスが姿を現した。

その数、2体。

2体は十字路でオレ達の姿を見止めると、一直線にオレ達に向かって駆け出した。

その陰に隠れて見えはしないが、デスマスクもそのあとを付いてきているに違いない。

懸命に疾走するオレとルータス。

しかし、残念ながら足はケンタウロスの方が早い。

ルータスが牽制代わりにローレルクラウンから光の矢をケンタウロスに向けて放つが、2体のケンタウロスは予想していたかのようにこれを回避。

何ら速度を落とすことなく、斜に前後してオレ達を追い続けてくる。

続けて、ルータスの第2射。

これはケンタウロス達に向けてではなく、その進行方向前方の床に向けて放たれた。

矢は床に突き刺さると炸裂、わずかに床を吹き飛ばした。

通常の矢であれば、床を吹き飛ばすなどと言うことは、よほどの速度で撃たなければできない芸当だが、ルータスによれば、法力によって矢を形成するローレルクラウンの光の矢ならばそういったことも可能だという。

事実、床は小規模ながら抉れ、飛び散った破片はケンタウロス達の走行の障害となった。

ルータスの目論見通り、破片に邪魔されたケンタウロス達は走行速度が若干緩み、2体は左右に分かれる。

そこへ、左の個体へ向けて、ルータスが弓を引き絞る。

だが、ルータスが矢を放つより早く、左右に割れたケンタウロス達の合間から、赤い閃光が走った。

「うわっ!?」

声を上げて身を屈めるルータス。

赤い閃光はオレのすぐ右隣を、うめき声のような音と共に貫いていった。

見覚えのあるその閃光は、デスマスクの『魔眼』だ。

思いもよらぬマテリア達の連携攻撃に体勢を崩したルータスの第3射は失敗に終わり、逆にその間に体勢を整えたケンタウロス達は、再び速度を上げて追い掛けてくる。

それを見たルータスは、体勢が整うと、今度は天井に向かって弓を引き絞った。

少し間をおいて、形成された光の矢が、オレ達とケンタウロス達のちょうど中間の天井に向けて放たれる。

放たれた矢は、天井に当たると小規模な爆発を起こした。

バラバラと天井が剥がれ、その残骸がケンタウロス達の前方に降り注ぐ。

それをまともに食らい、ケンタウロス達の速度が大きく緩んだ。

「あと少し!」

前方に部屋の入り口が見え、オレは叫んだ。

そのまま全力で走り込み、部屋へと入るオレとルータス。

足止めを食らったケンタウロス達は、まだ後方にいる。

「よっし! ここなら広さ充分!」

部屋の中央まで走り込んで立ち止まると、ルータスは先程までの慌て振りが嘘のように、不敵な笑みを浮かべた。

対照的に、まだ焦りが止まらないオレは、

「倒せるのかよ!?

 相手3体もいるんだぞ!?」

と、ルータスに問い掛けた。

しかし、ルータスは笑みを崩さず、自信満々といった様子で構えた。

(大丈夫かよ……)

オレは不安に思いながらも、この場を、戦闘経験においてはオレよりもはるかに経験豊富なルータスに託すことしかできなかった。

そうこうしているうちに、2体のケンタウロスが部屋へと侵入してきた。

2体は、入り口付近で立ち止まって、警戒するようにオレ達を見下ろしている。

それから遅れること数秒、デスマスクも部屋の中へ入ってきた。

数の上では2対3でこちらが不利。

地力の意味でも不利だろう。

この状況で、ルータスはどう対処するのか。

「馬鹿マテリア共め、一網打尽にしてやる!」

鼻で笑いながら、ルータスが声を上げた。

ここに来ても、ルータスの自信はいささかも損なわれることはないようだった。

ルータスの声を合図にしたように、ケンタウロス達が身を屈め、攻撃の態勢に移る。

デスマスクの双眸も開かれ、赤い光が宿り始めた。

オレも腰のダガーを抜いて構える。

しかし、ルータスだけは手にしたローレルクラウンを構えることもなく、悠然と立ったまま。

(何してんだ!?)

そう思って声を上げようとした瞬間、ルータスがこちらを見ることなく告げた。

「耳塞いでろよ」

「え?」

問い返す暇もあらばこそ。

「〜〜〜〜〜〜」

ルータスの口から『鳥の鳴き声』が発せられた。

「あ……」

それはこれまでに聞いたことがないほど美しく、透き通った『鳴き声』で、オレは思わず声を上げていた。

歌い上げるようなその『鳴き声』に、オレは頭の天辺から足の先までを貫かれるような衝撃に見舞われた。

ルータスを見れば、『鳴き声』を上げながらも、その表情はわずかに微笑んでいるように見える。

それを様を見て、それまでは何も気にしなかったにも関わらず、今はルータスの歌うその姿が何にもまして美しいと感じられた。

その顔も、羽毛も、翼も、飾り羽も、そして服装までもが美しく映った。

まるで完成された絵画のように、まるで完成された音楽のように、ルータスの歌う姿と『鳴き声』は、オレの心に沁み込んでいった。

これまでルータスに対して抱いていた嫌悪感は完全に消え、むしろ何故そんなに嫌悪していたのかと、逆に自分を嫌悪したくなった。

ふと、前方を見れば、そこにいるケンタウロス達も、完全に動きを止め、ルータスの『鳴き声』に聞き入り、その姿に見入っているようだった。

それを見て、オレはそれも当然と思った。

(そりゃそうだよな……こんなにきれいな声……オレ……聞いたことねぇよ……こんなにきれいな姿……オレ……見たことねぇよ…………オレ……ルータスになら…………)

もやの掛かったような頭の中で、オレはそんなことを考え、得も言われぬ幸福感に包まれていた。

そして、その幸福感を抱いたまま、オレの意識は遠退いていった。

 

 

音に気付いたのは2人同時のことだった。

4階の階段から、そこかしこに付けられた印を、地図を見ながら追っていくこと10分強。

三叉路に差し掛かった所で、それは聞こえてきた。

「何の音だ?」

隣に立つモルドが、三叉路それぞれの通路の先を見比べながら聞いてきた。

「爆発音……でしょうか?」

さほど大きな音でなかった為と、通路に反響した為に正確には分からないが、そのように聞こえた僕は、そう答えを返す。

音はわずかな余韻を残しているのみで、どこから聞こえてきたのかも分からない。

「どこから聞こえてきたかな」

呟きながら、モルドは三叉路を見比べる。

僕は耳を澄ませて音を拾おうとするが、新たな音は聞こえてこない。

「……分からないな。

 でも、とりあえずこの階には何がいるかもしれないってことは分かったな。

 ほかの誰かなのか、マテリアなのかは分からないけど」

「ですね。

 とにかく先に進みましょうか。

 この場所だと、また音が聞こえてきたとしても、どこから聞こえてきたのか判別しづらいです」

「だな。 それじゃあ、とりあえず下に向かう階段に行く、こっちに進んでみようか」

言ってモルドが顔を向けたのは、向かって左側の通路だった。

異論のない僕は、うなずいて応える。

そして、2人揃って歩を進め、しばらくした頃だった。

「! まただ」

再び聞こえてきた音に、モルドが足を止めた。

同じくして気付いた僕も、足を止めてすぐさま耳を澄ませる。

先程よりも大きな音は、先と同様に反響しているが、前方から聞こえてきているようだった。

「前の方から聞こえてきたみたいです」

「うん、俺もそんな気がする」

僕の言葉にモルドは同意し、僕達は顔を見合わせると、少し足早に通路を前方に進み始めた。

進む先の分かれ道を2つばかり曲がった頃、新たな音が聞こえてくる。

それは鳥の鳴き声のような、澄んだ美しい音だった。

それを聞くや否や、モルドが足を止め、僕の腕を掴んだ。

「っと! どうしたんですか?」

突然の制止に僕が尋ねると、モルドは口元に指を当てて静かにするように促した。

そうして数秒後、

「耳を塞いで!」

焦った様子でモルドが僕に指示を出した。

急な指示に、僕はモルドの意図が掴めなかったが、詮索も反論もせずに指示に従い、耳を塞ぐ。

一方で、指示を出したモルドは耳を塞ぐ様子はない。

『そのまま進んで』

モルドの声が、耳を塞いだ掌越しに聞こえた。

僕は耳を塞いだまま、モルドはそのままで通路を進む。

歩調は先程よりも早い。

しばらく進むと、

『もう耳塞がなくていいよ』

と、モルドが許可を出した。

その表情は、なぜか嬉しそうだ。

耳から手を放すと、僕はすぐに尋ねた。

「何で耳を塞がせたんですか?」

「『ボイス』って知ってる?」

「『ボイス』?」

返ってきたのは答えではなく、それどころか逆に尋ねられ、僕はおうむ返しに問い返す。

しかし、モルドが答えるより先に、言われた言葉の意味に思い当たる節があり、答えた。

「鳥人の特殊能力の、ですか?」

「うん、そう」

僕の答えを、モルドは笑みを浮かべたまま肯定する。

鳥人には特殊能力がある。

それが『ボイス』と呼ばれるものだ。

これは竜人の『ブレス』のように、生まれつきの体質によって使える者と使えない者がいる。

残念ながら僕は後者だ。

この『ボイス』というのは、言葉の意味通り、『声』を発することによって様々の効果を発揮する特殊能力で、その効果というのは聴者の精神を混乱させたり、喪失させたりと、精神的な状態変化を引き起こすものだ。

「今、その『ボイス』が聞こえた」

「……! ということは――」

嬉しそうな声でモルドが放った言葉の意味に、僕は1つの答えを導き出した。

今、この遺跡には鳥人は2人しかいないはずだ。

1人は当然、僕。

そしてもう1人は、

「そう、ルータスだ。

 あいつは『ボイス』を使える」

「では、この先にルータスが?」

「そう考えて間違いないな」

モルドは大きくうなずいた。

心なしか、その歩調がさらに早まった気がする。

しかし、僕はあることに気付いた。

「でも、待ってください。

 『ボイス』を使ったということは、もしかして、今ルータスは何かと戦ってるんじゃ?」

『ボイス』というのは、聴者の精神に変化を与える特殊能力。

平時においては、特に使う必要のない特殊能力と言える。

この遺跡内でそれが使われる状況というのを考えると、何者かとの戦闘以外には考えられない。

それはモルドも気付いていたようで、

「たぶん、そうだろうな」

と、うなずいて答えた。

だが、切迫した状況だろうと判断できるにも関わらず、モルドの嬉しそうな表情は崩れなかった。

その理由がモルドの口から語られる。

「けど、まぁ、たぶん大丈夫だろう。

 あいつは見た目よりはずっと強い。

 マテリア相手にはもちろん、遺跡のガーディアンにだって引けを取らないはずさ」

どうやら、随分とルータスの力を信用しているようだ。

ルータスの戦うところを見ていない僕は何とも言えないが、僕よりも付き合いの長いモルドがそういうのだから、それは間違いのないことなのだろう。

何にせよ急ぐに越したことはない。

「でも、急いだ方がいいですよね」

「ああ、そうだな」

僕の言葉に、モルドはうなずき、足早に通路を進み続けた。

やがて、戦いの音のようなものが断続的に聞こえ始め、そのたびに僕達は耳を澄まし、進行方向を決めた。

進むうち、音は次第に大きくなっていき、やがてプツリと途絶えた。

「……聞こえなくなりましたね。

 戦い、終わったんでしょうか?」

「たぶん、な。

 でも、まいったな」

僕の問いにモルドは答え、そして立ち止まって頭を掻いた。

戦いが終わったとすれば、音の出所を探るのは難しくなる。

そうなると、辺りを虱潰しに探すしかない。

「まぁ、だいぶ近くから聞こえてきたから、探すのはそんなに難しくないと思うけど……」

「こっちから呼びかけてみます?」

近くにいるとすれば、こちらの呼び掛けに応じる可能性がある。

しかし、僕の提案にモルドは首を横に振った。

「もしも、ルータスよりも近くにマテリアがいたら、そいつらに気付かれるかもしれない。

 …………でも、そうだな、少し探してみて、それでも見つからなかったら呼んでみようか」

言って、モルドは地図を広げた。

と、その様子を見て、僕の頭に閃くものがあった。

「この近くに部屋ってありませんか?」

「部屋?」

「はい。 戦うなら、広い場所に移動するんじゃないかと思って」

「……なるほど。 部屋……は、結構近くに1つあるな」

地図で部屋の場所を確認したモルドは、言いながら視線を通路の先に向けた。

「とりあえず、そこを目指しましょうか」

「そうだな」

再度の僕の提案に、今度はモルドも首を縦に振った。

僕達は、ほとんど駆け足に近い速さで一番近い部屋へと向かった。

幸い、罠を警戒する必要はなかった。

なぜなら、進む先の通路には印が付けてあったからだ。

進み始めてほどなく、床の一部が抉れている場所を見つけた。

「モルド!」

「ああ!」

僕の呼び掛けにモルドが答える。

自然にできるような破損ではない。

ここで何らかの攻撃が行われたことの証拠だ。

そこからさらに進むと、今度は瓦礫が床に積もっており、その直上の天井が大きく抉れていた。

そして、通路の前方からは白い光が伸びていた。

「あそこだ!」

モルドが声を張る。

僕達は白い光が漏れだす部屋へと走り込んだ。

『!?』

部屋に入って飛び込んできた光景に、僕達は目を見開き、足を止めて言葉を失った。

入ってすぐの左右の床には、2体のケンタウロスが、心臓付近を大きく傷付けられて事切れ、倒れていた。

その中間には、眉間の辺りを打ち砕かれたデスマスクの死体も転がっている。

しかし、僕達が驚いたのはそれだけが原因ではない。

マテリア達の死体の先、部屋の中央付近に、予想通り、ルータスの姿と、そして予想もしていなかったシーザーの姿を認めたからだ。

さらに言うならば、なぜかシーザーは一糸纏わぬ姿で、ルータスはその前でしゃがみ込んでいたからだ。

「なっ……」

隣でモルドが上擦った声を上げる。

「何やってんだ!!」

顔を紅潮させ、モルドが大股でルータスに向かっていく。

「げっ!?」

モルドの上げた声に、僕達の存在に気付いたルータスが立ち上がって身を引く。

一方で、シーザーは前を向いたまま、こちらを見ようともしない。

「ルータス!!」

ほとんど怒号に近い声で、後退るルータスに向かっていくモルド。

そして、ルータスに手の届く所まで近付いたモルドは、大きく拳を振り上げた。

「ぐわっ!!」

振り下ろされた拳と共に、鈍い音が聞こえてきた。

モルドの鉄拳を食らったルータスは、頭を押さえてその場にしゃがみ込む。

そんな2人の様子を見ながら、僕は小走りにシーザーに駆け寄った。

「シーザー! シーザー!!」

「…………」

目の前まで行き、シーザーに呼び掛けるが、何の反応もない。

それどころか、目は虚ろで、目の前の僕がまるで見えていないようだった。

「ルータス!!」

再びモルドが叫ぶ。

ルータスは頭をさすりながら、目に涙を浮かべて顔を上げた。

「だってしょうがないじゃん!

 そいつが勝手に『ボイス』に掛かっちゃったんだから!」

「言い訳するな!」

ルータスの言い訳を聞いて、再度モルドの鉄拳がルータスの頭に振り下ろされる。

「ったぁ〜〜〜!」

うずくまるルータス。

しかし、それに構わずモルドは続ける。

「さっさと解け!!

 早くしないと――」

三度拳を振り上げたモルドを見て、ルータスは逃げるように後ろに転がり、小さく舌打ちのような鳴き声を上げた。

すると、シーザーの体がピクリと震えた。

「……あ……?」

「シーザー?」

「……アー…サー? アーサーか!?」

僕の呼び掛けに反応し、シーザーは僕の顔を見るなり、嬉しそうな声を上げた。

ルータスの『ボイス』の効果が解け、元気な様子を見せたシーザーに、僕は安堵のため息をついた。

「よかった……無事だったんですね」

「そっちこそ――って!?」

言い掛けて、シーザーは自分が裸であることに気付いたらしい。

「のわぁ!」

声を上げて股間を隠すシーザー。

そのまま僕達に背を向け、床に散乱している衣服を拾い始め、

「何で裸なんだよ!」

誰にともなく叫んだ。

それに対して、モルドが答える。

「あ〜、すまない。

 ルータスのせいだ」

「オレ!? だって、オレは――」

ルータスが抗議の声を上げかけたが、モルドが拳を振り上げると、頭を抱えて黙り込んだ。

「何〜〜〜?」

下着を身に付けたシーザーが、ルータスを睨み付ける。

一触即発の空気。

このままではケンカが始まると思い、僕とモルドが間に入った。

「『ボイス』って知ってますよね?

 鳥人の特殊能力の。

 ルータスはそれを使ったんですよ」

「ルータスの『ボイス』には、聞いた奴を『魅了』する効果があってね。

 君はそれに掛かったってわけなんだ」

「…………」

交互に言う僕とモルドの言葉を黙って聞きながら、シーザーは身支度を整え続けていた。

モルドが今度は話をルータスに振る。

「で、このマテリア達は、お前がやったのか?」

モルドの問いに、ルータスは頭をさすりながら立ち上がり、うなずいた。

「さすがにそいつ――シーザーを目で指して――を守りながら、3体相手にするのはしんどかったからさ、『ボイス』使ったんだ。

 『魅了』しとけば足止めできるし、同士討ちもさせられるからさ。

 そしたら、そいつ、耳塞がなかったみたいでさ、おまけで掛かっちゃった」

「あのなぁ……」

「だって、オレ、ちゃんと『耳塞げ』って言ったぞ?」

怒りを通り越して呆れた様子のモルドに、ルータスが憮然とした面持ちで言い訳をする。

「だからって、何で裸にする必要があるんだ!」

悪びれた様子のないルータスに向かって再度怒鳴り、拳を振り上げるモルド。

ルータスはさらに後ろに下がり、完全にモルドの拳が届かない範囲にまで逃げ出した。

「いや、だってさ、そいつのチンチン、結構デカかったからさ。

 ちょっと観察しようかな〜って思って」

「――っ!!!」

ルータスの言い放った理由に、モルドは顔を真っ赤に染め、言葉を失った。

どうやら、怒りも極まって何も言うことができなくなってしまったらしい。

その代わり、無言で拳を振り上げたまま、部屋の中でルータスを追いかけ始めてしまった。

そして、好き勝手に言われ続けているシーザーはというと、

「…………」

意外にも沈黙したまま、さほど怒っている様子ではなかった。

てっきり、怒り狂ってルータスに突っ込んでいくものだとばかり思い、僕は止める為に身構えてまでいたのだが。

「怒らないんですか?」

不思議に思った僕が尋ねると、これまた以外にもシーザーは大きくため息をつき、

「もう見られちまったんだし、怒ったってしょうがねぇだろ」

と、吐き捨てるように答えた。

今までのシーザーとルータスの関係だったらありえない言動に、僕は驚いてシーザーを見つめる。

「……何だよ?」

僕の視線に気付いて、シーザーは不機嫌そうに問い掛けてきた。

肩透かしを食らったように気を抜かれた僕は、やや間の抜けた声で答える。

「いえ、何か、シーザーらしくないなって思って……」

「何だよ、オレらしいって」

僕の答えに、シーザーは苦笑いを浮かべて言った。

これまでと違うシーザーの対応から、どうやら僕の知らないところで、シーザーとルータスとの関係に変化が生じたらしいことが察せられた。

それも悪い変化ではなく、良い変化が。

部屋の中をモルドから逃げ回っているルータスに視線を向ければ、ルータスは頭を押さえて床の上の転げ回っているところだった。

その横ではモルドが仁王立ちになってルータスを見下ろしている。

ついに捕まり、これまで以上の鉄拳制裁を受けたようだ。

ルータスはしばらく悶えたあと、涙目になりながら立ち上がり、目の前のモルドに抗議し始めた。

「別にいいだろ、チンチン見るくらい!」

「いいわけないだろうが!」

「何でだよ!?」

「恥ずかしいからに決まってるだろ!!」

「オレは恥ずかしくない!」

顔を真っ赤にしたままで言うモルドに、ルータスはそう言い放つと、くるりとこちらに体を向け、ズボンのベルトに手を掛けた。

「なっ――!?」

モルドが驚きの声を上げるのと、ほとんど同時に、ルータスはベルトを外し、ズボンと下着を下げてしまった。

「ほら! 見ろ!」

言うと同時に、露わになったルータスの股間から、中身が飛び出す。

目を点にしてそれを見る僕とシーザー。

一方で、モルドは、これまで以上に激高し、

「――やめろっ!!!」

大声で怒鳴り付け、ルータスを殴り付けた。

「んぎゃっ!!」

中身を出したまま吹き飛ぶルータス。

肩で息を切らせるモルド。

2人を見ながら、僕とシーザーは顔を見合わせ、そして小さく吹き出した。

何はともあれ、シーザーとルータスと再会できた。

これは非常に喜ばしく、心強いことだった。

残るはジークとハーゲンの2人だが、

(シーザーもルータスも無事だったし、あの2人もきっと無事に違いない)

シーザーとルータスと再会できたことで、僕の心には希望と自信が沸き起こり、確信めいた予感を感じながら、僕は強くそう思った。