「――ッ!」

目を覚ますと、そこは星夜苔がむした部屋だった。

「ここ……ッつ〜!」

上体を起こすと、後頭部が酷く痛んだ。

そっと手で触れてみると、こぶができているようだ。

(そっか……オレ、また落とし穴に落ちて……)

こぶをさすりながら辺りを見回す。

すぐ近くの床の上に、落ちた衝撃で放り出されたらしい『暁光』の封魔晶が落ちていたので、それを拾い、意思を込めた。

直上に光球が生まれ、辺りを照らし出し、周囲の状態が分かる。

今いる場所は、どうやら以前に落とし穴に落ちた時に辿り着いた部屋と同じような造りをした部屋のようだった。

後ろを振り返ってみれば、壁には以前に落ちた部屋と同じ丸穴が開いている。

さらに前に向き直ってみれば、正面には石扉があり、その上には丸穴があった。

前と同じような部屋、ではなく、前と同じ部屋、なのかもしれない。

たしかめる術がないので定かではないが、部屋の造り自体はまったく同じだ。

とりあえず、石扉に近付いてみようと体を起こすと、左手に違和感を感じた。

「ん? ……あ」

見れば、左手には、落とし穴に落ちる直前に入手にした宝――画用紙のように硬い真っ白な紙――が握られていた。

何も書かれていない、質感だけが妙な紙に明かりをかざしてみる。

質感を除けば、どう見てもただ紙切れにしか見えない紙。

とてもではないが、宝には見えない。

それも隠し扉の奥にしまっておくような。

「クソッ!!」

紙を床に叩き付け、オレは立ち上がる。

立ち上がる勢いが良すぎたのか、こぶに鈍痛が走った。

「ッつ……クソッ! せっかく苦労したのにこれが宝とか、ねぇだろ普通!」

叩き付けられた紙を踏み付け、八つ当たりをするオレ。

振動が伝わるたびにこぶに痛みが走るが、お構いなしに踏み続ける。

そして、紙を散々に踏み付けた後、ふと冷静になって考えてみる。

(……でも、隠し扉の奥にあったってことは、やっぱりそれなりの宝なのか?

 ただの紙にしか見えねぇけど…………)

紙から足をどけ、しゃがみ込んで紙を拾い上げる。

紙は、踏み付けられたにも関わらず、傷どころか汚れ一つなく、真っ白のままだった。

(あんだけ踏み付けたのに、傷が何にも付いてねぇ。

 普通の紙じゃねぇのかも……)

思い、オレは紙をパンパンとはたき、1つだけの空いている移蔵石にそれをしまった。

「ま、帰ったらアーサーにでも聞いてみっかな」

オレ達の中ではアーサーが一番物知りだ。

聞けばこれが何か分かるかもしれない。

もしアーサーが知らなくても、ハーゲンやモルドが知っている可能性もある。

さすがにクーアやミラにでも聞けば確実に分かるだろうが、さすがに内緒でここに来ている以上、それはできない。

(ま、いいや)

手に入れた宝の正体は置いておくとして、オレは周囲を見回しながら石扉に近付いていった。

石扉の前まで来て明かりをかざすと、石扉には前の小部屋同様、竜のレリーフが彫り込まれていた。

(前はコレに触ったら飛ばされたんだよな)

部屋の造りが同じなので、ひょっとしたら触れればまた元の落とし穴の場所に戻れるかとも思ったのだが、もしもここが以前の部屋とは違う部屋で、飛ばされる場所もまったく違う場所、例えば冒険物の映画に出てくる針山の罠の真上だとか、煮えたぎる溶岩の上などに飛ばされでもしたら厄介なので、ここは触れないでおくことにする。

(ってことは、どっかほかに出口を……)

思い、オレは上を見る。

(あそこしかねぇよな)

石扉の上には、直径1m程の丸穴がぽっかりと口を開けていた。

おそらく、あそこが外に通じているはずだ。

丸穴までの高さは3m半程。

普段なら跳んで届く高さだが、封印機の影響を受けている今はそれはできない。

(梯子か、鉤付きロープがいるな)

丸穴を見つめたまま、石扉から少し離れて思う。

「よ〜し……」

そんな物は持ってきていないが、俺にはつい最近覚えた、技法の『マテリアライズ』があった。

無機物を生成するこの技法ならば、梯子でも鉤付きロープでも作り出せる。

丸穴までの高さはそれ程でもないし、広さも充分にあるので、オレは丸穴まで梯子を掛けることにした。

目を閉じ、『暁光』の封魔晶を手にしたまま、オレは両手を前に突き出す。

そして、梯子を強くイメージし、技力によって引き出した技法力を、再び技力を介してイメージと結び付ける。

すると、両手に重い感触が生まれた。

目を開けると、そこには4m程の長さの梯子が現れていた。

「成功!」

まだイメージと技法力との融合がおぼつかなく、生成までに時間が掛かるが、それでも梯子をゆがみなく作り出すことには成功した。

オレは梯子を持って、適当な位置に移動し、丸穴に向かって梯子を立て掛ける。

梯子の長さはちょうどよく、試しに1段上ってみても梯子がぐらつくことはなかった。

そのままどんどん梯子を上っていき、丸穴のへりに手を掛けてまたぐと、視線を丸穴の向こう側に向けた。

封魔晶をかかげて見ると、そこは左右に伸びた通路になっていた。

またがっている丸穴から通路の床までの高さは、部屋までのそれと変わらないくらいだ。

部屋側の梯子を丸穴から通して通路側に移すのは難しいので、オレは通路側に『マテリアライズ』で同じ梯子を作り、それを丸穴に立て掛けて降りることにする。

「さ〜、どうしよっかな……」

下りた先の床にむした星夜苔を踏み締め、オレは左右を見比べた。

どちらも一面星夜苔の緑ばかりで、大差ないように見える。

道標になるような物もないので、勘を頼りに右へと進んでみた。

通路をしばらく進むと、十字路に当たった。

十字路の中央に立って三方を見、どの方向も通路になっていることを確認すると、元来た道を引き返し、梯子の所まで戻る。

そして今度は反対方向へと進んでみる。

しかし、反対方向も、やはりしばらく進むと十字路に当たり、三方が通路になっていた。

(どっちにするかな〜……)

梯子を中心に左右どちらに進んでも同じような通路なので、どちらに進むべきか決めあぐむ。

現状、右も左も分からない状態なので、とりあえずこちら側の通路をもう少し調べてみて、それで進めるようなら進み、そうでなければ反対側へ戻ってみるのが得策だろう。

軽い気持ちで十字路に一歩踏み出す。

「っとわ!?」

と、踏み出した足が一段、ガクンと落ちた。

まるで階段を踏み外したようなその感覚に驚き、明かりを下に向けてみると、十字路の床の中央部分に幅・深さ共に20cm近い溝ができていた。

しかも、奇妙なことに、よくよく目を凝らして溝の造りを追ってみると、溝は十字路のみでなく、オレがこれまで歩いてきた通路にも、そしてこれから進もうとしていた3方の通路にも伸びている。

つまり、前後左右の通路の中央部分を溝が走り、十字路で交差しているという具合だ。

(こんなの、あったか?)

部屋を出て少しの間、通路をそれとなく歩いていたが、こんな溝はなかったはずだ。

嫌な予感が胸に湧き上がってくる。

オレは前後左右を慌てて確認し、急いで腰に差したダガーを引き抜き、構えた。

(まさか、罠か!?)

真っ先に脳裏に浮かんだのはそれだった。

ここまで3回も罠に掛かっている身としては、そう警戒するのは当然のことだ。

しかし、今回は何も罠に掛かるような行動は取っていないはずだ。

初回の罠は不可抗力としても、2回目は扉に触れる、3回目はボタンを押すという行動をしている。

今回はそういった罠の『スイッチ』となる行動は何もしていない。

たしかに、思い返してみれば、特に警戒することもなく通路を進んでいた気もするが、ただそれだけで、その最中、特に異変は起きなかった。

だが、通路中央に急に溝ができるなど、明らかに異変だ。

きっかけは分からないが、きっとどこかで罠の『スイッチ』が入ってしまったのだ。

(…………でも)

しかし、待てど暮らせど、溝ができる以外の異変は起きなかった。

いつだったかに冒険物の映画で見た、釣り天井だとか、壁から矢が飛んでくるだとか、大岩が転がってくるだとか、そういった類のことは一切起こらない。

ただ、しんとした静寂の時間が過ぎていくだけだ。

(罠じゃねぇのかな?

 これだけ待っててもなんも起きないし…………ん?)

あまりにも何も起きずに、罠の存在を疑い始めた頃、通路の遠くから何か物音が聞こえてきた。

両耳を動かし、音の出所を探る。

どうやら音は正面から聞こえてくるようだった。

それも、だんだんとその音が大きくなってくる。

(近付いてきてる!?)

ゴリゴリと、岩と岩とが擦れ合うような音は、こちらに向かって確実に近付いてきていた。

いつでも逃げられるような体勢を取りながら、正面に向かって明かりをかざす。

「いっ!?」

明かりに、近付いてくる物の正体があらわになった。

それは天井にまで届く、通路の半分程の太さがある円筒状の物体だった。

物体は達磨落としのように幾段かに分かれており、それらは左右交互に回転していた。

しかも、それぞれの段には通路の端にまで届く刃が無数に生えている。

「やっべ!」

声を上げ、オレはダガーを鞘に戻し、元来た通路を後ずさる。

物体の速度は人が歩く程度の速さだが、だからといって悠長に眺めているわけにもいかない。

さがりながら観察すると、物体は通路の溝をレール代わりに動いているようだった。

あわよくば、十字路で左右どちらかにそれてくれるかと期待していたのだが、

「んだよ、くそ!」

そうそう目論見通りにはいかず、物体はまっすぐこちらに向かって進んできてしまった。

オレは踵を返して走り、梯子の所まで戻ると急いで梯子を上った。

丸穴を乗り越え、部屋の内側に立て掛けたままにしてある梯子に乗り換えてから上ってきた通路側の梯子を消し、丸穴から顔を出さないようにして通路の様子をうかがった。

ふと通路の天井を見ると、物体のレールになっている溝は、床だけでなく天井にもできていた。

天井と床のレールに沿いながら、物体がこちらに迫ってくる。

さすがに部屋の中は安全だろうが、そうと思っていてもかなりの速度で回転する刃が迫ってくるのを見ると、背筋に冷たい物を感じた。

手を伸ばせば届く距離にまで物体が接近してきた瞬間、思わず頭を引っ込める。

殺す必要もない息を殺して待つことしばし。

音が徐々に遠ざかり、物体が遠ざかっていくことが分かった。

丸穴から覗き見れば、物体はまっすぐに通路を進んでいっていた。

ほっと胸を撫で下ろす。

安全を確認し、再び通路側に梯子を生成して通路に下りる。

一難去ったが、これで溝の謎が解け、同時に罠が作動してしまったことも分かった。

いつ、どうやって作動したのか、あるいはさせてしまったのかは分からないが、とにもかくにも当面の危機の正体は理解できた。

(早くここを抜けた方がいいな)

現在地など知る由もないが、罠が作動している以上、ここにいるのは危険だ。

差し迫った状況とまではいかないが、早めに退避するに越したことはない。

あの円筒状の物体が1つだけとは限らないのだから。

(とりあえず、音のしない方に……)

円筒状の物体は、目視できないの程の距離が離れていても、物体がある程度まで近付けば音でだいたいの位置が把握できる。

進むべき道が分からない以上、勘で進むしかないわけだが、その音を回避しながら進めば、少なくとも罠に掛かる心配はないだろう。

そうと決めると、オレは聞き耳を立て、音を探った。

先程の物体の音はもう聞こえず、他にも特に音は聞こえてこない。

だが、しばらく待つと、先程の物体が進んでいった方向から、再び音が聞こえ始めた。

(じゃ、こっちだな)

わずかに聞こえてきた音を背に、オレは通路を進み始める。

先程の物体に出くわした十字路で足を止め、聞き耳を立て、後方以外の方向から音が聞こえないことを確認すると、勘を頼りに右に。

少し進み、再度十字路に当たる。

音を探り、今度は正面から音が聞こえてきたので、左に。

そうやって、音を避けながら何本もの通路を進み続けると、あることに気付いた。

どうやらここは通路が格子状に走っている作りになっているらしい。

一通路あたりの長さは30mくらいで、幅は3m、高さは5mほど。

中程の壁面に扉がある通路もあったが、ほとんどの通路は何もなく、扉の有無を除けば作りはまったく同じだ。

2ヶ所程見かけた扉の向こうはおそらく部屋になっていると思われたが、状況が状況だけに探索は断念した。

さして変わり映えのない通路が前後左右にいくつも伸び、いくつもの十字路を形成しているというこの作りは、至極単純な作りだった。

しかし、その反面、同じ作りが連続している為、方向感覚が非常に分かりづらい。

しかも、確たる道標もなく、また物体を避けるように移動しているので、同じ所を行ったり来たりしているかもしれないという可能性は否定できない。

(どうしよう……)

立ち止まって考える。

目覚めてからこれまで、かれこれ30分近くは経っているだろうか。

まったく状況が進展していない気がしてきた。

加えて、罠を避ける為に神経をすり減らしながら歩き続け、さらにここに来る前のデスマスクとの戦いもあり、いい加減、心身共に疲れを覚え始めてきていた。

(休みてぇなぁ……)

思いながら、少しばかり喉の渇きを感じ、水筒を取出し、水を一口含んだ。

冷たい水が口内にしみ渡り、喉を癒す。

しばらくこうしてゆっくりして疲れを取りたいところだが、そういうわけにもいかない。

まるでオレの休息したいという願望を阻害するかのように後ろから罠の音が聞こえ始めてきた。

オレは水筒を戻し、罠から逃げるように通路を進む。

(しっかし、同じ通路ばっか)

前後左右上下に至るまで、星夜苔のむし具合以外、なんら変わり映えのしない光景がいつまでも続いていることも疲れの一因なのかもしれない。

そんな疲れを抜くように大きく息を吐き、耳を立てる。

(……またか)

聞きなれた音が、後ろから小さく聞こえてきた。

それと同時に、立てた耳は別方向からの音も察知した。

(……え?)

別方向からの音は、しかし聞きなれた罠の音ではなかった。

聞こえてきたのはネチャリとした粘着質の音。

かすかではあるが、それが連続して、向かって正面の十字路の方向から聞こえてくる。

明らかに有機質な音に、

(マテリア!)

咄嗟にそれが頭に浮かび、オレはダガーを引き抜き、構えた。

粘着質の音はゆっくりとではあるが、確実に大きくなっていった。

こちらに近付いている証拠だ。

同時に、後方からの罠の音も迫ってきている。

幸い、罠の方はまだ多少の距離があるようだ。

となると、問題は粘着質の音の方。

音の大きさからすると、すぐにでも十字路から音の発生源が現れそうだった。

2つの音を聞きながら、臨戦態勢で待つこと数秒。

正面の十字路にそれは現れた。

「うっ!?」

目に飛び込んできたそれに、オレは思わず顔をしかめた。

それは、人の胃に酷似していた。

ただし、大きさは牛程もある。

ピンク色の体表をヌラヌラと輝かせ、粘着質な音と共に全身を蠕動運動させて床を這いずってくるその姿は、生理的嫌悪を誘うのに余りある。

おまけに、ひどく生臭い臭気を漂わせており、思わず鼻を押さえずにはいられなかった。

(こいつはたしか…………ストマック)

名前も胃そのもののそれは、Dランクのマテリアだった。

デスマスク同様、平時なら太刀打ちできる相手ではないが、封印機の影響下にある今なら対等に渡り合えるはずだ。

しかし、今はストマックだけに集中しているわけにはいかない。

後ろから聞こえてくる罠の音は徐々に大きくなってきている。

後方の十字路に円筒状の物体が姿を見せるのは間もなくだろう。

運よく別の通路にそれてくれれば、心置きなくストマックと相対することもできるが、事がそううまく運ぶとは思えない。

(どうする……)

ストマックがこちらに気付いた。

前方の十字路の中央に陣取って、細長い首を持ち上げる。

首の先端には、鋭い牙が輪になって生えている口だけが付いており、開かれた口からは真っ暗な口腔が覗いていた。

ストマックは、そこからまるでおくびのような汚らわしい威嚇音を発している。

向こうはすでにやる気満々のようだ。

マテリアが近くにいる時に感じる、静電気が纏わり付いたような違和感を感じながら、オレは姿勢を低く構えた。

それに遅れること一拍。

後方からの音が大きくなった。

体を斜にし、ストマックの動向に注意を払いながらも後ろを見やれば、円筒状の物体が後方の十字路に現れた所だった。

前後を塞がれ、オレは一瞬どうすべきか迷った。

しかし、オレの迷いをよそに、現れた円筒状の物体は向かって右へ、つまりはオレのいる通路とは反対の通路へと向かって進んでいった。

(ラッキー!)

オレは声を出さずに喜び、ほっと一息をつく。

てっきりこちらに来るものと思って心配していたが、どうやら杞憂に終わったようだ。

肩透かしを食らったような気分でもあるが、ともあれこれで当面はストマックの対処に集中できる。

後方からの脅威が去り、改めてストマックと向き合えば、向こうはすでに臨戦態勢を整え、攻撃準備を完了していた。

ストマックが持ち上げた首を勢いよく振り、その反動を使って先端に付いた口から黄色い粘液を飛ばしてくる。

「っ!!」

オレは驚きながらも、飛来する粘液を後ろに跳んでよけた。

当たり損ねた粘液が床に落ちると、床はシューシューと音を立てて煙を上げ始めた。

どうやら、この粘液は強い酸性を持っているらしい。

(そういや、教科書にそんなこと書いてあったっけ)

ストマックと対峙するのはこれが初めてだが、日々の授業の成果か、このマテリアに対する知識は多少持ち合わせていた。

(たしか……酸性の胃液を吐き出して、獲物は丸呑みにして、それから――)

授業で教わったことを思い出しながら頭の中で羅列していると、ストマックからの第二撃が飛来した。

「のわ!?」

すんでのところで横に跳んで何とかかわすも、体勢を整える間もなく第三撃が飛んでくる。

「――っ!」

避けられないと判断するより早く、オレは反射的に『シールド』の技術を展開していた。

目の前に半透明に赤く輝く直径50cm程の円形の盾が現れ、飛来する酸の胃液を防ぐ。

『シールド』の強度は胃液を防ぐに足るものだったようで、金属の砕けるような音と共に『シールド』は消滅し、胃液は勢いをなくして床の上に落ちた。

その間にオレは体勢を立て直し、鎌首を持ち上げ始めたストマックに向かって構える。

(次が来たら……)

いつでも飛び掛かれるように身を低くし、ストマックからの攻撃を待つ。

ストマックの持ち上げられた長い首の内部を胃液が上ってくるのが見えた。

(今だ!)

ストマックが首を振り下ろすと同時に、オレはストマック目掛けてダガーを構え、床を蹴った。

低く姿勢を取って走るオレの頭上すれすれを、ストマックの放った胃液が飛び過ぎる。

かなりきわどい回避だったが、オレは意にも介さず、攻撃直後で首を下ろしたばかりのストマックに肉薄し、構えたダガーをその首に全力で突き出した。

しかし、

「!?」

手に伝わる感触はダガーの突き刺さる感触ではなく、ぬるりとした滑る感触。

ダガーはストマックの体表に触れるや否や横にそれてしまった。

ダガーの切っ先には、ストマックの体表を覆っていた粘液がへばり付いている。

「やばっ!」

攻撃が聞かなかったことに動揺しつつ、オレは後ろに跳び退った。

そのわずかあとに、それまでオレがいた場所をストマックの首が上向きに薙ぐ。

オレは着地すると、さらに後方に大きく跳び下がり続け、ストマックとの距離を開ける。

(攻撃が効かねぇ!?)

攻撃のタイミングは申し分なかった。

攻撃の場所も首の端ではなく中心線に沿っていたし、そこにダガーが突き立つように渾身の力を込めてもいた。

間違いなくダメージを与えられる条件は揃っていた。

だが、攻撃は通らなかった。

(何で…………っ!)

手にしたダガーを見れば、付着したストマックの粘液が刀身を滴り落ちてきていた。

それを見て、オレは小さく舌打ちをする。

(表面のネバネバは保護膜の役割をしてるって書いてあったっけか)

授業で教わったことを思い出し、攻撃がそれたことに合点がいった。

しかし、それは同時にオレのダガーではストマックに対してダメージを与えられないことも示していた。

「となると……」

呟き、オレはダガーに付いた粘液を払い、鞘に納めると、そのまま手をストマックに向かって突き出した。

そして、突き出した手の前方に光球をイメージする。

すると、イメージ通りの場所に、イメージ通りの光球が1つ現れた。

輪郭のぼやけたソフトボール大の赤く輝く光球は、突き出した手の前方で、金属を打ったあとの余韻のような甲高い音を立てて浮いている。

それは物体に衝突すると弾けて衝撃を与える力を秘めた『ボール』の技術だった。

普段なら5〜6個、しかもハンドボール大の光球を生み出せるのだが、封印機の影響下ではこれが精一杯のようだ。

だが、いかに小さく、数が少なくとも、効果そのものは変わらない。

この技術ならば、ストマックの体表の保護膜を弾き散らし、本体にダメージを与えられるはずだ。

オレは狙いをすます。

視線の先のストマックは、ゆっくりとオレとの距離を詰めてきていた。

直線的な動きの為、狙いは付けやすかった。

「よっしゃ! 行け!!」

掛け声と共に、オレは『ボール』を撃ち放つ。

シュンと風を切るような音と共に『ボール』がストマック目掛けて突き進む。

瞬き程ののち、『ボール』はストマックに衝突して弾けた。

着弾したのは首の付け根の辺り。

一瞬、その辺りの保護膜が辺りに撒き散らされるのが確認できた。

と共に、ストマックがおくびのような悲鳴を上げて大きく首を持ち上げた。

「効いたぜ!」

効果があったことを確信し、ガッツポーズを取るオレ。

しかし、悠長にはしていられない。

ダメージを与えられたことは確かだが、致命打には程遠いだろう。

それに、ダメージを受けたストマックは逆上したかのように激しく首を振り回し、あたりかまわず胃液を吐き続けている。

今はここまでは届かないようだが、もう少し距離を詰められてしまば届く範囲内だ。

現に、ストマックは首を振り乱しながらもこちらに向かってジリジリと進んできている。

幸いにしてストマックの動きは愚鈍だ。

距離を空けることは造作もない。

(さて……と、どうするかな)

ストマックが詰め寄ってきた分だけ後ろに下がりつつ、オレは次の手を考える。

このまま『ボール』を撃ち続けてストマックを少しずつ消耗させていくか、それとも技法で大きく削るか、はたまた攻撃用の封魔晶で一気に片を付けるか。

『ボール』は技法力の消耗が少ないとはいえ、威力に欠ける。

技法は威力は高いが、それなりの技法力を消耗してしまう。

攻撃用の封魔晶は一撃必殺の威力があるだろうが、数に限りがある。

どれも一長一短だ。

(……ここは『ボール』で削って、技法でとどめかな)

考えた結果、今後どんなマテリアと遭遇するかも分からないので封魔晶は温存し、『ボール』で削りつつ、頃合いを見て技法で攻撃する作戦をとることにした。

オレはそうと決めると、周囲の状況を確認する。

後ろを振り返れば、1m程先は十字路になっていた。

どうやら一通路分、後退していたらしい。

前方のストマックとの距離は10m程開いている。

先程から続けられているストマックの攻撃を見るに、ストマックの攻撃射程はだいたい7〜8mくらいのようだ。

これよりも離れて『ボール』を放ち続ければ、こちらから一方的に攻撃ができる。

通路の中心を走る溝に足を取られないように気を付けさえすれば、距離を詰められることはないだろう。

(よ〜し、んじゃさっそく――)

オレは再び片手をストマックに向かって掲げ、『ボール』のイメージを始めた。

掲げた手の前方に『ボール』が生まれると、狙いをすまし、ストマック目掛けて撃ち放つ。

第一撃同様、『ボール』はストマックの首の付け根辺りに命中し、ストマックは悲鳴を上げてのたうった。

(命中! 次だ!)

荒ぶるストマックを見据えながら、オレは三度構えた。

しかし、ストマックの異変に気付き、第三撃目の手が止まる。

「……?」

それまで首を振り乱していたストマックは一転、動きをピタリと止めていた。

(……やったのか?)

首を天井に向かって伸ばしたまま動かないストマックを見て思う。

だが、次の瞬間、ストマックがおくびのような吠え声を上げた。

通路中に響く、低く汚らしいその音が耳に届くや否や、

「――っ!? い……ぎぃぃ!」

突然、オレの胸辺りがキリキリと強く痛み出した。

正確には、胃の辺りが。

激しい痛みに、たまらずオレは両手で胃の辺りを押さえるが、痛みは和らぐ気配もなく、それどころか締め付けられるような痛みは激しさを増しているような気さえした。

オレはあまりの痛みに立っていることもままならなくなり、よろよろとよろけて通路の壁にもたれかかると、そのままずるずると床に膝を着いてしまった。

「いっ……てぇ……!」

顔をゆがめて息も絶え絶えに呟くオレ。

痛みに苛まれながら、しかしそれがスイッチになったのか、脳裏に授業で教わったことが甦る。

ストマックには、その名が示す通り、生物の胃に直接働きかける能力があるという。

それは胃の収縮であったり、痙攣であったり、胃液の分泌量の多少であったり。

それらのうちのどれかは分からないが、この痛みは間違いなくその能力に関係しているだろう。

(すっかり忘れてた……!)

忘れていたことを悔いるがもう遅い。

ストマックは再び動き始め、ゆっくりとこちらに向かって距離を詰め始めていた。

胃液の射程まではほんの2〜3m。

ものの数秒で射程内に入ってしまう。

(逃げねぇと!)

オレは歯を食いしばり、痛みに耐えながら壁伝いに後ずさる。

何とか距離を保てるほどの速さで下がるが、すぐに十字路に辿り着いてしまい、オレは壁の支えを失って後ろに転倒してしまった。

「うっあ!」

転がりながら、それでも必死に立ち上がり、壁伝いに逃げる。

(このままじゃジリ貧だ……)

逃げることはできているものの、痛みが引く様子はまったくない。

ストマックが引き起こしていることは確かだが、その攻撃方法が分からない為に対処ができない。

せめて先のデスマスクの咆哮のようなものであれば何とか対処できるが、今現在声を発していないにも関わらず痛みが引かないことから察するに、耳に聞こえるものではないようだ。

当然、目に見えるものでもない。

(クソッ! こうなったら――)

攻略の糸口が掴めない為、半ばヤケになって、温存しておこうと思っていた封魔晶に手を伸ばす。

クーアの魔法が封じられた攻撃用の封魔晶であればストマックを倒せることは間違いないだろうし、元を断てば胃の痛みも消えるはずだ。

オレは後退しながら、片手を腰の革袋に伸ばす。

が、革袋に手を入れた途端、ストマックが再び首を天井に向かって突き上げた。

ストマックの動きの変化に戸惑ってオレが一瞬手を止めた隙に、ストマックの口から再びおくびに似た咆哮が発せられる。

それを耳にした瞬間、不意に胃の痛みが消えかと思うと、今度は強烈な胃のむかつきを覚え、同時に耐えがたい嘔吐感が襲ってきた。

「おっ……ぼぉ……!」

オレは強烈な嘔吐感に耐えきれず、膝を着き、四つん這いになって床の上に嘔吐してしまった。

胃の内容物が逆流し、ビチャビチャと音を立てて床に吐き出される。

「げぇ……っはぁ! う……ぶぅぅ!!」

2度、3度と嘔吐を繰り返し、だがそれでも吐き気は消えなかった。

今朝、胃に収めた食物を軒並み吐き出し、もはや何も吐き出す物がなくなっても、それでもなお胃は中身を吐き出そうとしているかのように収縮しているようだった。

そんな苦しみを味わっているさなか、右の肩口に何かがぶつかった感覚を覚えた。

刹那、右肩に激痛が走った。

「ぎゃう!?」

嘔吐感と激痛にパニックになり、前後不覚で転げ回るオレ。

どのくらい転げ回っていたのか、

「――っ!?」

不意に吐き気が消えた。

それまでの苦しみが嘘のように、胃には痛みもむかつきも何も残っていない。

おかげで多少平静を取り戻せたのか、右肩の激痛は残っているものの、自分の状況を確認する程度の余裕ができた。

激痛のする右肩を見れば、肩の中程から背中の方にかけて煙が上がっており、そこから鼻を突く嫌な臭いが漂ってきた。

どうやら、嘔吐している最中にストマックの胃液による攻撃を受けてしまったらしい。

負傷した箇所は、オレの装備しているブレストプレートでは防げない箇所だ。

オレのブレストプレートは、体の正面と背面をすべてカバーできるタイプの物ではなく、みぞおちから上の正面のみをカバーできる簡易タイプの物だ。

しかも、着込み方も両肩に引っ掛けて装備する両掛けタイプの物ではなく、左肩から右脇にかけて引っ掛ける片掛けタイプの物なので、ストマックの攻撃はちょうど何もない部分を直撃したことになる。

次に前方に視線を向けると、12〜3m先、十字路の中央にストマックがいた。

パニック状態で転げ回っているうちに、運よくストマックの不可知の攻撃の射程範囲から逃れることができたようだ。

「野郎……!」

蠢き、再度こちらに向かってこようとしているストマックを見て、これまで攻撃されてきたことに対しての怒りがふつふつと沸き上がってくる。

オレは口の中の吐瀉物の残りカスを吐き捨てると、距離を保ちながら、左手に握っていた『暁光』の封魔晶を右手に持ち替え、そのまま左手を腰の革袋に差し入れた。

革袋の中には回復用の封魔晶も入っているが、今は攻撃を優先させることが上策。

というよりも、今のオレの思考は完全に怒りによって反撃の気勢で満たされていたので、右肩の回復など考える余地はなかった。

革袋からいくつかの封魔晶をまとめて取り出し、確認する。

と、その時、背後から音が聞こえてきた。

(おい、まさか!?)

慌てて後ろを振り返ると、後方の十字路に円筒状の物体が現れていた。

ストマックの攻撃を受け、また頭に血が昇っていた為に、これほどまでに罠が接近していたことにまったく気付かなかった。

「マジか!?」

オレは大いに焦った。

円筒状の物体は、間違いなくこちらに向かってきている。

距離はおよそ15m。

前方を見れば、ストマックもこちらににじり寄ってきている。

あと少し距離が詰まれば、再びストマックの不可知の攻撃の射程内に入ってしまうだろう。

一刻も早く前方のストマックを倒すか、あるいは後方の円筒状の物体を破壊しなければならない。

オレは手の中の封魔晶に視線を落とした。

革袋から取り出した封魔晶は3つ。

3つ共にクーアが魔法を込めてくれた『魔法力型』の封魔晶で、うち2つには回復魔法を示す付箋が貼られており、残る1つには『束縛』と書かれた付箋が貼られている。

どれも攻撃魔法の封じられた封魔晶ではない。

オレは望みの封魔晶を取り出せなかったことに舌打ちして、3つの封魔晶を革袋にしまおうと急いだ。

しかし、しまう直前、ある策が頭に浮かび、オレは手を止めた。

その策とは、『束縛』の封魔晶によってストマックの動きを封じ、その隙にオレ自身はストマックの横を走り抜け、後方からの罠から逃れる、さらに動きの止まったストマックを、罠によって仕留めてしまおうというものだった。

この策を取るに際し問題となるのは、罠によってストマックを仕留められるかということだが、たしかにオレのダガーではストマックの体を傷付けることはできなかった。

しかし、円筒状の物体から突き出た無数の刃であれば、その刃の大きさと重さ、さらに高速回転が相まって、ストマックの体を斬り裂くことは充分可能だろうと思われる。

(大丈夫、いける!)

この策が成功すれば、貴重な攻撃用の封魔晶を温存できるばかりか、罠を回避し、ストマックをも仕留めることができる。

(一石二鳥どころか、一石三鳥だな、こりゃ)

我ながらいい策を思い付いたと自賛し、オレは1人ほくそ笑む。

そうして、策を実行する為、回復魔法の封魔晶のみを革袋に戻すと、残した『束縛』の封魔晶を固く握り、それをストマックに向けて掲げた。

左手に握った『束縛』の封魔晶が白く輝くと、瞬時にストマックの上下から光帯が1本ずつ出現し、二重螺旋の檻を形成、そのままストマックの体に絡み付き、締め付ける。

ストマックはおくびのような悲鳴を上げて蠢くが、絡んだ光帯はすぐさまストマックの体を縛り付けて動きを完全に封じてしまい、ストマックは悲鳴すら上げることができなくなった。

「よっしゃ! 成功!!」

策の第一段階の成功に歓喜の声をあげ、オレは急いで次の行動に移った。

背後から迫ってくる円筒状の物体から逃れる為、大股で通路を走り抜ける。

光帯に縛られて動けずにいるストマックの横を抜け、その先の十字路を元来た通路の方へと曲がり、なお走る。

足を止めたのは、最初にストマックが姿を現した十字路。

肩で息をしつつ、振り返って待つことしばし。

手にしていた『暁光』の封魔晶の明かりを受け、通路の先の十字路に何かが飛び散るのが、ほんのわずかに見えた。

距離がある為に鮮明には見えなかったが、それがストマックの残骸であろうことは、想像に難くなかった。

少しの間を置き、石と石の擦れる音と共に円筒状の物体が十字路に姿を現した。

回転する刃が明かりを受け、濡れた質感を反射する。

円筒状の物体がこちらに来るかと身構えたが、それは杞憂に終わり、物体はそのまま通路をまっすぐに進んで消えていった。

「……はぁ〜……」

大きなため息をつき、その場にへたり込むオレ。

肉体的にも精神的にも、先のデスマスク戦と同じか、それ以上に疲れた気がする。

それに戦闘の展開を思い返してみれば、終始防戦一方だったような気がして、しかも決め手となったのはデスマスク戦同様にクーアからもらった封魔晶と遺跡の罠であった為、達成感はデスマスク戦程もなかった。

(……もっと強くなんねぇと……)

左手に握っていた『束縛』の封魔晶を眺めながら思う。

アーサーだったらもっとうまく戦っただろう。

アーサーよりもレベルの高いハーゲンやモルド、気に食わないがルータスならば、それ以上にうまく戦えたはずだ。

同レベルのジークも、もしかしたらオレ以上にうまく戦えたかもしれない。

そう思うと、達成感どころか自分のふがいなさ、みじめさが際立つように思えてきてしまう。

(何だよ、ウジウジしやがって!

 オレらしくねぇ!)

「あ〜、クソ疲れた! ――ッ!」

弱気な思考を振り払うように叫ぶと、突然右肩に鋭い痛みが走った。

反射的に痛みの方を見れば、そこは先程ストマックの胃液の直撃を受けた箇所だった。

煙こそ納まっていたものの、衣服の肩口部分は完全に焼け溶け、そこから露わになった肩口には火傷状の大きな傷ができていた。

ジュクジュクとただれた傷口の周りの毛皮は黒く焼け焦げ、焦げ臭い臭いを発しており、その惨状と臭気に思わず顔を逸らしてしまう。

オレは『束縛』の封魔晶を戻しがてら、腰の革袋から白く輝く封魔晶を取り出す。

『回復』の付箋の張られたこちらの封魔晶もクーアの封じてくれた『魔法力型』の封魔晶だ。

痛み顔をしかめながら、オレはすぐさま封魔晶を発動させた。

全身を淡く白い光が包み込み、みるみるうちに肩の痛みが引いていく。

完全に痛みがなくなったところで肩口を見ると、傷はすっかり癒え、焦げた毛皮も元通りに再生していた。

ついでにこれまでの戦闘と移動による疲労もすっかり消えたが、焼け溶けた衣服だけはそのままだった。

このまま帰れば遺跡探検のことがバレてしまう可能性が高いが、帰り間際に着替えるので問題はないだろう。

「これでよし、と」

傷のあった肩口を軽く叩き、完全に傷が癒えたことを確認すると、輝きを失った『回復』の封魔晶を革袋に戻し、代わりに水筒の入った移蔵石を取り出す。

移蔵石から水筒を出すと、水を一口含んで、口内に残った吐瀉物のカスと臭いを消し、吐き出す。

さっぱりしたところで大きく一息つき、水筒を戻してオレは立ち上がる。

聞き耳を立てて怪しい音がしないかを探るが、今のところは大丈夫なようだ。

しかし、とにかく早くここを離れた方がいいだろう。

(これ以上のトラブルはご免だぜ)

思い、周囲に視線を巡らせる。

十字路の中央に立っているので道は4方にある。

うち、一方はストマックとの戦いがあった場所に通じる通路だ。

元々そちらから来たのだし、そちらに進むのはあまり意味がない。

神経をとがらせ、耳を立てて澄ます。

向かって右側の通路から低く重い音が小さく響いてきた。

おそらくは罠の音。

当然、そちらに進むのは得策ではない。

となれば、必然的に進むべき道は2方に限定される。

(どっちに……)

選択すべき道である正面と、向かって左の通路を見比べながら考える。

だが、右側の通路から聞こえてくる音が段々と近付いてきており、あまり考える時間はない。

「ええい! 勘だ、勘!」

迫ってくる罠の音に急かされ、半ばやけくそに叫ぶと、オレは勘を頼りに正面の通路へと足を踏み出した。

そうしてあてどなく通路を進み続ける。

時に罠の音から逃げるように、時にマテリアらしき獣臭を避けるように、時に勘を信じて探るように。

どれほどの間歩いただろうか。

罠にもマテリアにも遭遇することなく通路を歩み続けた結果、ようやく目的としていた場所に辿り着いた。

「はぁ〜、やっと見つけたぁ……」

安堵と疲労がない交ぜになったため息を大きくつくと、目の前に現れた階段と向き合う。

階段に向かって明かりをかざし、覗き込むと、階段は底が見えないほどの長さのある下り階段だった。

光の届かない、ぽっかりと落ち窪んだような暗闇をじっと見つめていると、背筋にうすら寒いものを感じる。

正直なところ、1人で遺跡の深部に向かって進んでいくことは心細く、不安と恐ろしさを禁じ得なかった。

しかし、同時に好奇心と闘争心を刺激されもした。

ここに至るまでに正体不明とはいえ宝を手に入れているし、自分だけの力ではないとはいえ、まがりなりにも2体のマテリアも倒している。

この階では罠を潜り抜けることにも成功した。

それら3点は、オレの遺跡探検に対する自信を深め、不安や恐怖をわずかながらに凌駕していた。

若干の躊躇ののち、オレは負の念を払拭するように頭を振るい、ピシャリと掌で両頬を叩いて気合を入れてから、遺跡深部に向かって伸びているであろう下り階段に足を掛けた。

 

階を下りても、作りは前階と大差はなかった。

前階と同程度の規模の通路が縦横に走り、オレはそこを歩き続けている。

違うといえば、縦横の通路に斜めの通路が混じっていることくらいか。

部屋もいくつかあったが、それらはすべて扉で閉ざされており、以前の経験から罠の存在を疑って、それを開くことはしていない。

それと、階段を下りてからすぐの場所に上りの階段があったが、これも無視した。

目指すのは最深部のみ。

変わり映えのない景色には前階で飽き飽きしているはずだったが、オレの気分は高揚していた。

途中、罠を発見した。

といっても、オレが見つけたわけではなかった。

皆とはぐれた最初の階で見掛けたように、罠のスイッチと思しき場所に雑ではあるが星夜苔で印がされていたのだ。

それはとりもなおさず、この階を誰かが訪れたことを意味していた。

オレの気分が高揚しているのはそのおかげだった。

今現在この階にいるのかどうかは分からないが、少なくとも誰かがここを通っている。

目印を追っていけば、その誰かと会えるはずだ。

しかし、その誰かも、縦横斜めに走ったこの迷路に迷っていたらしく、追う目印はあちらこちらに付けられていた。

その為、ほとんどしらみ潰しに通路を歩いているというのが現状だ。

ただ、罠を事前に察せる点と誰かがいたのだという点が安心感と高揚感につながり、精神的負担はこれまでの階でのものよりも相当軽かった。

まるで散歩のように、オレは通路を足取り軽く進んでは戻り、戻っては進みを繰り返していた。

その最中、マテリアにも遭遇した。

遭遇したのはデスマスク。

遭遇といっても、向こうはこちらの存在に気付いておらず、オレが遠巻きからクーアにもらった封魔晶によって仕掛けた攻撃魔法で一撃粉砕してしまったので、先のような死闘を繰り広げることもなく、あっさりと戦闘は終了してしまったのだが。

そんな悶着があったものの、この階に下りてきてからの探索は順調だった。

もうかれこれ20分近くは歩き続けているが、そこまでの疲労は感じない。

しかし、

(今、何時くらいかな?)

腹を押さえながら思う。

朝にだいぶ食べてきたのだが、前階でのストマックの攻撃によって胃の内容物をすべて吐き出してしまったせいか、妙に腹が空いてきてしまった。

時計は持っておらず、しかも地下なので時間が分からない。

とりあえず、移蔵石から干し肉の入った革袋と水筒を取り出し、歩きながらの昼食を取ることにした。

干し肉の入った革袋の口を開き、中を覗き込む。

革袋にぎっしり詰まった干し肉は、今日1日の探検をするには余りある量だ。

水筒を振ってみると、これまたまだ充分な量の水が残っている。

当面、水と食料の心配をする必要はないだろう。

水で喉を湿らせ、干し肉を食みながら通路を行く。

目印の付けられた罠を回避しつつ、渇きと飢えを癒しながら進むことしばらく。

腹も落ち着いてきたところで、今度は尿意を催してきてしまった。

水筒と干し肉の入った革袋を移蔵石に戻し、キョロキョロと辺りを見回す。

少し進むと通路が直角に曲がっている所だったので、その入り隅で済ませることにした。

早足に入り隅に向かい、『暁光』の封魔晶を口に咥えて用を足す。

「んはぁ〜……」

解放感に目を閉じ、封魔晶を咥えた口からは自然と安堵の息が漏れた。

用を足し終え、体を振るう。

その時だった。

「お〜……」

顔の横で声がした。

「ッ!?」

突然聞こえてきた声に、オレは心臓が飛び出る程驚き、声とは反対の方向に跳び下がった。

声の出所を凝視するが、口に咥えた封魔晶の明かりで前が見づらくなっていることに気付き、急ぎ封魔晶を手に戻して掲げる。

すると、明かりに照らされた声の主が、意地悪っぽく笑っている姿をとらえることができた。

不思議な緑の光沢の羽毛と翼、そして長い飾り尾羽を持った声の主は、同じく緑を基調とした短めのローブの上に赤い裏打ちがされた緑のマントを纏い、体の各所に金銀種々のアクセサリーを配するという派手な格好をしていた。

左手にはエメラルド色の羽扇のような物、ローレルクラウンのレプリカが握られている。

予想もしていなかった突然の出現にオレが声もなく立ち尽くしていると、それを見た声の主がケタケタと笑った。

「ビックリした?」

声の主はルータスだった。

「おまっ……なん……?」

あまりにも唐突な出現、再会に、オレは自分でもよく分からない言葉を口走る。

そんなオレを見て、ルータスはまたもケタケタと声を上げて笑った。

「いやさ、この階を歩いて回ってたら、ここの2つか3つくらい手前の通路で明かりを見掛けてさ。

 後姿でお前だって分かったから、後を付けてきたんだよ。

 オレは明かり消してたから、そっちは全然気付いてなかったみたいだけどね」

突然出現した経緯を説明すると、ルータスは右手に持っていた封魔晶を胸の高さまで持ち上げた。

その封魔晶の上に白い光球が生まれ、オレの持つ封魔晶の明かりと相まって、より一層周囲を明るく照らし出す。

ルータスが封魔晶に明かりを灯す動作を見ながら、オレはようやく驚きから立ち直った。

緊張をより和らげる為に大きなため息を吐く。

すると、先程よりも明るさの増した視界の中、ルータスが視線を下ろすのを見止めた。

不自然な動きにいぶかしんでオレが視線を下ろすよりも早く、ルータスが意地の悪い笑い交じりに口を開く。

「にしても、結構デカいのな〜」

「?」

その言葉にさらにいぶかしんで下を向くと、ズボンの前開きから、用足しを終えた直後の性器が顔を覗かせていた。

「おわっ!!」

慌てて後ろを向き、性器をズボンの中に押し込んで前開きのボタンを止めるオレ。

後ろからはルータスの笑う声が聞こえてくる。

「いーじゃん、そんなに慌てて隠さなくたって。

 だって、オレ、お前がオシッコするとこ、ずっと肩越しに見てたんだぜ?」

「――!!」

そう言われて、恥ずかしさに毛皮の下の皮膚が紅潮するのが分かる。

クーア達大人は別として、同年代でもジークやアーサーに性器を見られる分には恥ずかしさは感じない。

それにしたって、用を足している姿をまじまじと観察されたらさすがに恥ずかしさを覚えるだろうに、それを指折り数える程しかあっていないルータスに見られたなどというのは、堪らない恥ずかしさがあった。

「だから今更隠したって、おんなじ、おんなじ。

 でも、すっごい気持ちよさそうにしてたよな〜、オシッコ。

 嘴が肩に当たるくらいに近付いても、ぜ〜んぜん気付かないんだもん」

ルータスの駄目押しの言葉に、オレは顔から火が出る思いだった。

話からすると、息が掛かるほど近くにいたということになるが、まったく気付かなかった。

それ以前に、後を付けられていたことにも気付かなかったのだが。

普段ならここで罵声の1つや2つでも返しているところだが、今は怒りよりも恥ずかしさの感情が勝っていてそんな気にはなれなかった。

その為、話題を逸らすべく、別の話題を振ることにした。

「そ、そんなことより、お前、何でこんなとこにいるんだよ?」

「何でって、落とし穴に落ちたからに決まってるじゃん」

動揺に、若干声が震えてしまったが、それに突っ込むことなく、ルータスは小首を傾げながら答えた。

答えになっていない気がするが、こちらの聞き方も悪かったのかもしれないと思い、聞き方を変えてみることにする。

「そうじゃなくってさ、何つーかさ……」

言い掛けて言葉を切る。

よくよく考えてみれば、尋ねた話題は特に聞きたかったことでもなくて、ただ単に話題を変えたいが為の話題だったので、自分でも質問の内容がよく分かっていなかった。

オレが『あ〜』だとか『う〜』だとか唸って話題の継ぎ口を探していると、ルータスはニヤリと笑ってオレに近付き、ポンと肩に手を置いて言った。

「ま〜ま〜、話は歩きながらしようぜ〜、デカチン君?」

 

ルータスを先頭に歩きながら、ルータスはこれまでにあったことを語り始めた。

というより、オレが聞くよりも先に、一方的にルータスが語り始めただけなのだが。

落とし穴を落ちたルータスは途中で頭を強打したらしく、気を失っていたという。

落ちた先はこの階の一室。

目覚めた後、部屋を出てこの階をくまなく探索していたところ、オレを見掛けて合流したということらしい。

各所で見掛けた星夜苔の目印もルータスが付けたのだとか。

目印を付けた目的は、オレの思っていた通り、罠の箇所を印す為と、もう1つ、一度通った道を印す為の道標だったそうだ。

それと、合流までに何体かのマテリアを倒しているとも言っていた。

「そろそろ次の階に下りようかなって思ってたんだ。

 階段はもう見つけてあるし。

 でも、合流できたのは運がよかったな〜。

 だって、お前等弱いからさ、ちょっと心配だったんだよ。

 はぐれたままだと守ってやれないしね」

前を行きながらルータスが言う。

二言三言文句を言ってやりたい内容だったが、正直なところを言えば、ルータスといえども仲間と合流できたことは、オレにとっては心強かった。

その心強さの所以は、前をゆっくりと進むルータスの行動が示していた。

なんだかんだと軽口を叩きながらも、罠をしっかりと見つけ、回避し、さらに道標としての印も描いている。

オレ1人ではこうはいかなかっただろう。

もしルータスが自分で言うだけの力がなければ、今の発言は売り言葉に買い言葉の喧嘩になっていただろうことは、我ながら想像に難くない。

なので、悔しくはあるが、ここはぐっとこらえて黙っていることにした。

それと反論しなかった理由はもう1つ。

どういう手段を使ったのかは知らないが、ルータスはオレに再開するまでの間に、マテリアを1人で何体か倒しているという。

オレもデスマスクとストマックを倒しているが、どちらも他力本願と言われても反論できない形での辛勝だった。

(……どうやって倒したんだ?)

前を行くルータスの背を眺めながら、オレはずっとそのことが気になっていた。

元々のレベル差は非常に大きいが、封印機の影響を受けている今、オレとルータスにそのアドバンテージはない。

身体能力という点では同等なはずだ。

そんな状態で、ルータスはどうやってマテリア達を倒したのか。

(まさか実力ってことはねぇよな)

一度気になると歯止めが効かず、オレはルータスの背に向かって話し掛ける。

「なぁ、お前、どうやってマテリア倒したんだ?」

「ん? 実力だけど?」

あっさりと言ってのけるルータス。

ありえないと思っていたことを即座に言われて言葉に詰まるオレ。

ルータスの言葉が嘘であってほしいという思いで、オレはさらに問い掛ける。

「……封魔晶とかは?」

「使ってないよん。

 だってもったいないじゃん」

「……不意打ちとか?」

「正々堂々、真正面から」

「……罠にはめたとか――」

「罠は全部回避してるし」

投げ掛けられるオレからの問いに、ルータスは歩調を緩めることなく、振り返りもせずに淡々と答えた。

(……マジかよ)

思い、ルータスの背を見つめる。

ルータスの体に傷はない。

前面も背面も側面も、だ。

それは纏っている衣服を見れば分かる。

つまり、ルータスは無傷でマテリアを倒したことになる。

それも、言っていることが事実ならば、正面から挑んで、かつ自身の力のみで。

(……マテリアが弱かったとかじゃねぇのかよ?)

そうであって欲しかった。

身体能力の上では同条件なはずだというのに、この差はないはずだ、と。

そう思ったからこそ、そうであって欲しいという期待を込めて、オレは重ねて尋ねた。

「……どんなマテリア?」

「う〜ん、と、ちょっと待って」

そういうと、ルータスは立ち止まり、明かりを壁や床に向けて罠の有無を調べ始めた。

少しして床に罠を見つけたようで、しゃがみ込んでその部分に星夜苔で印を付けた。

印を付けながら、ルータスは答え始める。

「デスマスクだろ、ミノタウロスにストマック、あとはケンタウロスもいたな〜。

 あ〜、ワイズマンも倒したな」

事もなげにマテリアの名を列挙したルータスに対し、オレは完全に言葉をなくした。

オレの期待は完全に裏切られた。

上げられたマテリアの名前はどれも、封印機の作用がなければオレはおろか、アーサーでも手こずりかねないマテリアばかりだ。

今は封印機の作用でどれもレベルが1にまで落ちているとはいえ、実際にデスマスク、ストマックと相対したオレだから、それを撃破することがどれだけ大変なことかが分かる。

たとえ武具のアドバンテージがあるとしても、列挙したマテリア達を無傷で倒すというのは至難の業のはずだ。

それだけに、オレは言葉をなくさざるを得ず、そしてルータスの実力が単にレベルによるものだけというわけではないことを認めざるを得なくなってしまった。

(……くそっ)

オレは悔しさと、自らの無力からくる情けなさに唇を噛んだ。

少し前に身に付けた自信など、嘘のように吹き飛んでしまった。

目の前のルータスは、そんなオレの心情など知らずに、鼻歌を歌いながら星夜苔で印を描いている。

「……これでオッケーっと。

 じゃ、行こうぜ〜」

印を描き終えたルータスは、こちらを見ることなく、罠の場所を避けながら通路を進み始めた。

それに倣って、オレも罠を避けてルータスのあとについていく。

そうしながら、オレは思う。

(これにしたってそうだ……結局、戦闘だけじゃなくて、探索の技術だってオレはこいつに劣ってるんだ…………こいつがいなきゃ罠だって見つけられねぇじゃんか……)

見た目と言動から、いかにも頭が悪そうに見えるルータス。

しかし、そんなルータスでさえ、注意深く罠の場所を探り、見つけ、印を付けて罠を作動させないように計らっている。

それに引き替え、オレはどうだっただろう。

罠のことを忘れて闇雲に歩き回っていなかったか。

軽はずみに罠があるかもしれない箇所に触れてはいなかったか。

前階の迷路で、一度通った道に道標を付けておけば、さほど迷わずに迷路を突破できたのではないか。

(……くそ……)

ケルカとジークに『急いで力を付ける必要はない』と言われた。

それ以前に、クーアにも似たようなことを言われた記憶がある。

だから、ここに至って今すぐ力を付けようとは思わないし、探索の技術にしたって同じことだ。

事実、どちらも一朝一夕で身に付けられるようなものではないだろう。

(けど、やっぱり……)

こうして実力の差を聞かされると、焦る気持ちは抑えられなかった。

悶々とした気持ちでうつむきながら歩く。

すると、頭にドンと衝撃が走った。

「って……!」

「何だよ、も〜……」

顔を上げれば、不機嫌そうにルータスがこちらを見ていた。

どうやら考え事に夢中で、ルータスの背中にぶつかってしまったらしい。

「悪ぃ……」

力なくオレが謝ると、ルータスは怪訝な表情を浮かべてこちらを見つめる。

「何かあった? 何だか元気なくない?」

「……別に、そんなことねぇけど」

図星を突かれたが、虚勢を張って答える。

「ふ〜ん?」

鼻を鳴らしながら、ルータスがオレの頭上を見つめ、次いで覗き込むようにして顔を見つめてきたので、オレは思わず顔を逸らした。

と同時に、二三からかい文句が飛んでくるだろうと思って、心の中で身構える。

「…………ま、いいけどさ」

若干長い沈黙のあと、意外にもルータスはそう言って流し、再び通路を進み始めた。

が、一歩足を踏み出したところで動きを止め、こちらを振り返る。

「ちょっと疲れたから休んでく?」

そう言ってルータスが指さしたのは、今いる場所から少し先に見える、通路の左側にしつらえられた扉だった。

扉の先は部屋になっているのだろう。

ルータスは扉に歩み寄ると、扉に罠がないか丹念に調べ、それがないことを確認して扉を開けた。

ルータスが部屋の中に足を踏み入れるのを見て、オレは後を追って部屋の入り口から中の様子をうかがう。

部屋の中に入ったルータスは、やはりどこかに罠がないかを探していた。

その様子を、オレはただ黙って入り口から見守る。

しばらくして罠がないことを確認すると、ルータスは入り口で待っていたオレに手招きをして、部屋の中に招き入れた。

部屋は5m四方の小部屋で、奥の壁に竜のレリーフがあることを除けば、何もない部屋だった。

その中央でルータスは腰を下ろすと、ローブの内側から移蔵石を取り出し、さらにそこから水筒と革袋を取り出した。

革袋の中には携帯食らしきキューブ状の物が多数入っている。

「ほれ、ここ安全」

オレが部屋の入り口からすぐの場所で立ち止まっていると、ルータスは自分の横の床をバンバンと叩いて、座るように催促した。

示されるまま、オレはルータスの横に腰を下ろす。

隣ではルータスがさっそく水筒の中身をあおり、キューブ状の物を口に放っていた。

オレは喉も乾いていなかったし、腹もそれなりに満ちていたが、何か手持無沙汰な気がして、ルータスに倣って干し肉を1枚取り出し、かじる。

しばらくの間、咀嚼音と水を飲む音だけが小部屋に響く。

オレとルータスは仲が良いわけではない。

むしろ、オレはルータスが嫌いだと言っていい。

初対面の時から、そう感じていた。

理由は特にない。

たぶん、言葉に表せないオレの中の何かがそう感じさせたのだろう。

そして、初対面の時の対応からして、ルータスも同じような感じをオレに受けているのだろうと思う。

だから、なおさら沈黙は重く、長く感じられた。

特に、今、オレはルータスに対して強いコンプレックスを感じてしまっている。

沈黙どころか、気分さえ重く沈み込んでいる状態だ。

正直なところ、心の中の鬱屈した気分を晴らす為に、大声で叫んだり、当たりかまわず暴れたり、そういった癇癪を起したい気持ちだった。

それが自分の不甲斐なさからくる八つ当たりにすぎない気持ちだとは分かっていても、オレはそうしたかった。

そんなオレの気分にはまるで気が付いていないのだろう。

ルータスは涼しい顔で携帯食を食べている。

その余裕そうな顔を見るのが、何より悔しい。

と、ルータスがそのままの表情でこちらを見た。

不意の行動に目が合ってしまい、オレは即座に顔を逸らした。

「……何で睨んでんの?」

溜めるような間を置いたあと、ルータスが聞いてきた。

その声音は、表情と同じく、余裕を持った涼しさだった。

それがオレの気持ちを逆撫でる。

「……別に」

ルータスの方を見ないよう、感情を押し殺して返すオレ。

「ふ〜ん」

と、ルータス。

そして、少しの間をおいて再びルータスが聞いてくる。

若干からかい含みの声音で。

「じゃあさ、何で耳が垂れてんの?」

言われて、オレは指摘通り、無意識のうちに耳が垂れていることに気付いた。

慌てて耳をピンと立てる。

それを見ただろうルータスは、今度は完全にからかい口調で聞いてきた。

「ひょっとして、落ち込んでる?」

「――!」

図星だった。

だが、ここで『はい、そうです』などと言えるはずがなかった。

正確には、言いたくなかった。

それを言ってしまうと、自分の心までが負けた気がしてしまいそうだったから。

しかし、指摘したことが間違いでなかったとルータスが判断するのに、オレの反応は充分だっただろう。

即座にルータスが言葉を重ねた。

「図星だろ?」

「――っ!」

オレは言葉もない。

それよりも、オレは危ういところでとどまっている爆発しそうな気持ちを抑えるので精一杯だった。

そこへ、ルータスは容赦なく切り込んでくる。

「さっき色々マテリアがどうのこうのって結構しつこく聞いてきたじゃない?

 だから、ちょっと何か変だな〜って思ってたんだよね〜。

 マテリアと何かあったんだろ?」

「……うるせぇな……」

「会った時からちょっと気になってたんだよ、その右肩の。

 服が焦げてるけど、それ、ストマックの攻撃でも受けたんじゃないの?」

「うるせぇな……!」

調子に乗ってきたルータスのからかいに対し、オレは震える声で返す。

オレの声の震えを聞き取ったルータスは、得たりとばかりにニンマリと笑み、言う。

「まさか、やられてそのまま逃げ――」

「うるせぇって言ってんだろ!!」

すべてを言わせず、オレは立ち上がり、叫んだ。

もう我慢の限界だった。

頭に血が昇るのが分かり、全身が熱くなった。

見開いた目に反して狭くなった視野で、座ったままのルータスを捉え、見下ろす。

ルータスは、オレが怒るのなどお見通しという風情で、ニヤニヤとオレを見上げていた。

それが駄目押しとなって、オレの中の何かが切れた。

「この野郎!!!」

オレの中の怒りをすべてぶつけるように叫ぶと、『暁光』の封魔晶を放り捨て、座ったままのルータスに掴みかかる。

そこからは何が何だか分からなかった。

無茶苦茶にルータスに向かって拳を振るい、噛み付き、押し倒した。

自分でもよく分からないことを口走りもした。

もう理性でどうこうできるような状態ではない。

怒りという感情のまま、オレは暴れ続けた。

その間、ルータスは体を丸めて防御体勢を取り、オレのされるがままになっていた。

しかし、丸めた体の内側で、声を上げて笑っていた。

オレの怒りを馬鹿にするかのように。

それがさらにオレの怒りを煽り立てる

そうしてどのくらいルータスに向かって怒りをぶつけ続けただろうか。

打ち据えるオレの拳が少し緩んだ瞬間、急に体が右に向かって横転した。

いや、横転させられた。

左脇にルータスの右腕が叩き付けられるのを感じたから。

「ぅぅ!?」

勢い余ってゴロリと転がり、仰向けになるオレ。

そこへ、すかさずルータスが馬乗りになってきた。

見下ろす側と見上げる側の立場が逆転する。

「――っの!!」

見下ろすルータスの顔を殴り付けようと拳を振り上げるが、ルータスはすんでのところで上体を逸らし、かわす。

その刹那、股間に激痛が走った。

「〜〜っあ!!!」

悲鳴にならないほどの激痛。

腹の奥をえぐられるような、鋭く、それでいて鈍く、重い痛み。

呼吸が止まるほどの痛みの波が下腹部を中心に走り、直後、

「あああああああああああ!!!」

オレは悲鳴を上げた。

同時に、ルータスがオレの上から降りたのか、腹の上の重さが消えた。

体の自由が効くようになり、オレは股間を両手で押さえて床の上をのたうちまわった。

そこへ、背後から首にルータスの腕が回される。

「ああうぅううぅぅ!!」

そのまま首を引き上げられ、上体を逸らされ、さらに腰のあたりにルータスの馬乗りになる重みを感じた。

その直後、再び股間に痛みが走った。

「うぐぅぅうううううおう!!!」

今度の痛みは瞬間的なものではなく、持続的なものだった。

最初は股間を殴り付けたものだろうが、今度は股間を握り締められている。

間違いなくそういった感触だ。

痛みこそ最初ほどではないものの、最初の痛みが引かぬうちに更なる痛みが襲ってくる感覚に、オレは首を絞められたまま呻くしかできなかった。

のた打ち回ろうにも、ルータスの抑え込む力に抗いきれず、かつもがくほど股間を握り締めてくるルータスの握力が強まってきているような気がして、動けない。

オレは抵抗の意思を失い、叫ぶ。

「はっ、放せぇ!!」

しかし、痛みは強まる一方で、解放される様子は微塵もない。

「放せ!! 放せぇぇぇ!!!」

なおも叫ぶが、情況は変わらず。

あまりの痛みに、オレの目からは涙が溢れていた。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁぁ!!!」

ただ、叫ぶ。

そして、心が折れた。

「放して!! お願!!! 放してぇぇぇぇ!!!」

オレが叫び終えると同時に、股間の激痛が和らいだ。

さらに、腰の重みと、首の締め付けも消える。

「う゛ううあ゛あ゛ああぁぁぁ……」

痛む股間を押さえながら、体を丸め、オレは泣いた。

丸めた背に、ルータスの呆れ声が降る。

「よっわ……お前、ホンットーに弱いんだな。

 レベル同じになったし、もうちょっとやるもんだと思ってたんだけどさ」

「う゛っ……うぅ……」

「ま〜、でもこんなもんか。

 レベル……20いくつだっけ?

 その程度じゃ戦闘経験なんかたかが知れてるしさ、オレとレベル同じになったって、その差は確実にあるし」

「んっ……くぅぅ……」

「でっもさ〜、それにしたってお前、情けなさすぎ。

 金玉握られたくらいでギャーギャー泣き喚いて、まるっきりガキじゃん。

 ……って、まだガキか、オレ等」

「……っ……っ」

言ってひとしきり笑うルータス。

オレは忍び泣き、痛みに耐え、反論するどころではなかった。

徐々に痛みは引いてきたが、それでもまだ収まる様子はない。

そんなオレに、ルータスは容赦なく迫る。

「いつまで泣いてんだよ、も〜」

言うと、ルータスは丸まったオレの体を無理矢理引っ張り、仰向けにさせようとした。

「!! やっめろ……!」

オレは体をバタつかせ抵抗するが、それも空しく仰向けにされてしまう。

そこへ、ルータスがオレの体をまたぎ、露わになった腹の上に馬乗りになった。

「っ!!」

途端、先程と同じ体勢になったことを思い出し、足を腹に向かって引き付け、股間を守る。

その際、ルータスの背をオレの膝が打ち付けてしまった。

「イテッ! ったくもー、大丈夫だって、何にもしないからさ〜」

背中に膝が当たったことを不満げにしながらも、ルータスは害意のないことを告げた。

しかし、今までの仕打ちから、オレはそんなことは信じられなかった。

上げた膝は戻さず、股間のガードは崩さない。

それを見て、ルータスは苦笑いし、両足の隙間に無理矢理片手を突っ込み始めた。

「や、やだ! やめろよ!!」

騒ぎ、暴れるが、ルータスを跳ね除けることはかなわず、ルータスはケタケタと笑いながら、

「大丈夫、大丈夫」

と、手を止めることはなかった。

そして、ルータスの手が股間に触れると、

「ヒッ!」

オレは先程の激痛を思い出し、身を縮めた。

「だ〜いじょうぶだってば!」

ルータスは少し声を大きくしてそう告げ、オレの股間に手を這わせ始めた。

それが思っていたような行動ではなく、オレは虚を突かれる。

ズボンの上から撫で回すようなその動きは、痛みを与えるものではなく、むしろ痛みを和らげるような優しい動きだった。

「な……にを……」

ルータスの意図不明な行動を疑問に思って尋ねると、ルータスはオレを見下ろしたまま首を傾げ、

「何って、こうすると痛みが少し引くだろ?」

「…………」

先程までとは打って変わったルータスの行動に、オレは何も反応することができない。

されるがまま、股間を撫で回され続ける。

言われてみれば、痛みの引きが早くなった気がしなくもない。

しかし、されている行動はとても恥ずかしいもので、オレは馬乗りになって見下ろしているルータスの顔をまともに見ることができなかった。

ただでさえ、泣き喚くという惨め極まる姿を晒してしまったのだから、なおさらだ。

オレは顔を逸らし、鼻をすすり、涙と鼻水でグシャグシャになってしまった顔を袖で拭う。

「えっへへぇ……」

その仕種を見て、ルータスが声を出して笑った。

「……何だよ」

ルータスの顔は見ないまま、尋ねる。

「いやさ、お前ってさ、ハーゲンと同じで肉球ないのな」

おそらく、顔を拭った時にオレの掌が目に入ったのだろう。

「……ねーよ」

今の状況に場違いな、思いもよらぬルータスの言葉に、オレはぶっきらぼうに返した。

獣人は人と獣の中間のような容姿をしているが、そのすべてがまったくの『中間』というわけではない。

オレの容姿は『中間』そのものだが、中にはルータスの言ったように、獣が持つ肉球を備えた、より獣に近い容姿を持った者もいたりする。

さらに獣寄りの者は、手足の構造そのものが獣に近付いているそうだ。

逆に人寄りの者は、人の体に獣の頭というような容姿であったり、普段はまったく人と同じ容姿だが、条件によって獣人の姿になる、などという者もいるらしい。

これは竜人でも鳥人でも共通の現象のようだ。

ジークもアーサーも『中間』だが、ハーゲンとモルドは分からない。

ただ、少なくともハーゲンに関しては、今のルータスの言から『中間』だろうと思われる。

「ちょっとがっかりだな〜。

 オレ、あの肉球の感触好きなのに」

落胆したように言うルータス。

ちらりとその顔を盗み見れば、本当に落胆したような表情でオレの手を見つめていた。

「あのプニプニした感触がいいんだよな〜。

 柔らかくって温かくって、触ったことある?」

「……ねーけど」

「もったいないな〜、それ。

 今度肉球持った奴いたら触らせてもらってみ?

 病み付きになるから」

「…………変な奴」

奇妙なことを言うルータスをそう評し、オレは再び顔を逸らした。

「そっか? 肉球持ってないオレからすると、結構魅力的でいいと思うんだけどな〜、肉球。

 それにさ、肉球ってチャームポイントになると思わない?

 ごっついおっさんの掌に肉球がチョコンッと付いてるの、想像してみろよ」

「…………」

言われて、オレは頭にその光景を思い浮かべる。

「…………ぷっ」

脳内に浮かんだ、筋骨たくましい厳つい顔の中年獣人男性が、手を前に突き出して肉球を見せ付け、そのうえで『ほれ、肉球、ほれ』などと語り掛けてくる様子を思い浮かべ、その様子のシュールな有様に思わずオレは小さく吹き出してしまった。

それを見止めたルータスは、

「なっ? なっ? 結構チャームポイントになってるだろ?」

「……まぁ、たしかに」

「いいよなぁ、肉球」

本当に好きそうな調子で言うルータスを見て、オレはまたも吹き出してしまった。

ルータスもそんなオレを見て、笑う。

先程までのやり取りが嘘のような空気が場に漂う。

腹の立つ奴とはいえ、無邪気なルータスの笑い顔を見ていると、毒気を抜かれたような気分になった。

散々に喚き散らし、暴れたからだろうか、完膚なきまでに負け、泣かされた、というのに、今はそれへの悔しさも怒りもあまり感じない。

もちろん、それが起こるきっかけになった鬱屈した気分も。

叫び、暴れ、泣き、感情のままに行動して様々なストレスが発散できたからか、冷静になることができた。

そうして考えてみると、結局ルータスに向けてぶつけた、嫉妬と自身の不甲斐なさがない交ぜになったあの感情は、何のことはない、以前に自己解決済みだったことだ。

初対面で感じたアーサーに対する嫉妬、クォントのレストランで感じたルータスに対する嫉妬、それらからくる自身の無力さ、不甲斐なさ。

それらと今さっきのこととは、根がまったく同じことだった。

そして、それらの答えは、すでに出しているはずだ。

そう思い返し、今度は途端に恥ずかしくなった。

(まったく成長してねぇな……地道に努力して強くなるって決めたのにな)

心の中で、自嘲気味に、半ば呆れて自分自身を笑う。

が、それが表情に出てしまったようで、ルータスが、

「何?」

と、怪訝そうな表情で尋ねてきた。

「え? ああ、ううん、別に」

「?」

ごまかしたオレの言葉に、ルータスは不思議そうにしていたが、少ししてニヤっと嫌な笑みを浮かべた。

「……何だよ」

今度はオレが怪訝に思い、尋ねる。

するとルータスは、ニヤニヤと笑ったまま、

「オレさ、手足の肉球の感触も好きなんだけどさ、『こっち』の肉球の感触も好きなんだよね〜」

と、答えた。

「?」

「へへ〜、痛くて気付いてない?

 やっぱりお前、デカチンだな」

「なっ……! あっ!!」

ルータスの言葉に、意識が股間に集中する。

オレはいつの間にか股間に起きていた異変に慌て、暴れた。

「ちょ! 放せバカ!」

「や〜だよ!」

オレは両手でルータスの体を掴み、どかそうと試みるも、ルータスも必死に踏みとどまろうと力を入れる。

「放せ……っつーの!」

「や……だっつーの!」

「は……な……――」

「!」

ルータスと押し合いへし合いしながら、格闘していると、突然、ルータスの顔色が変わった。

野生の鳥のように素早く首を動かし、視線を部屋の入り口へと向ける。

「? ――!!」

一瞬遅れて、オレもそちらに顔を向ける。

そして、そこにあったものを見て、声を上げた。

「デスマスク!?」

見止めたそれの名を口にした瞬間、パッとルータスが立ち上がった。

続けて、オレも股間の痛みをおしてその場に立ち上がり、近くの床に転がっていた『暁光』の封魔晶を拾い上げて灯す。

デスマスクは、以前の階で出会った時同様、部屋の入り口で人の頭程の高さで静止し、死人のような表情のない顔をこちらに向けていた。

急ぎ、腰のダガーに手を伸ばすオレ。

しかし、その動きを制するように、ルータスが手を伸ばした。

「ま、デカチン君は下がってみてなよ。

 戦闘経験の違いってやつを見せてあげるからさ」

言うと、ルータスは不遜にもデスマスクに1歩近付く。

「おい!」

後ろから声を掛けるが、ルータスは手を振って応えるだけだった。

手には『暁光』の封魔晶だけ。

武器であるローレルクラウンは持っていない。

それに気付いたオレが周囲を見回すと、ローレルクラウンはオレの足元に落ちていた。

休憩した時に置いたのか、オレが暴れた時に落ちたのか。

ともあれ、今のルータスは丸腰だ。

「おい! 武器!」

オレは慌ててローレルクラウンを拾い、声を掛けつつ差し出す。

だが、ルータスは、

「いらないよ」

と、一蹴。

「でも!」

食い下がるオレに、ルータスはチラリとこちらに目配せし、

「こいつなら、それなくても楽勝だし」

と、自信満々に告げた。

オレは言葉に窮し、ローレルクラウンを握ったまま、視線をデスマスクに移す。

デスマスクの表情はすでに無表情とは言えない状態になっていた。

徐々に眉根にしわが寄り、苦悶の表情を呈し始めている。

『魔眼』の前兆だ。

「来る!」

焦り、叫ぶオレ。

対照的にルータスはまるで慌てる様子もなく、デスマスクの方を見据えていた。

デスマスクの目が見開かれ、その暗い双眸に赤い光が宿る。

もはや『魔眼』の発動は避けられない。

「かわ――」

『かわせ』とオレが叫びかけた瞬間、ルータスの前方1m程の中空に、50cm四方の緑色の光板が出現した。

直後、デスマスクの『魔眼』が発動。

耳に触るうめき声のような音を部屋に反響させながら、『魔眼』の赤光がルータス目掛けて撃ち出された。

だが、ルータスはかわす素振りさえ見せなかった。

「!!」

その理由が、すぐに分かる。

デスマスクの『魔眼』の赤光はルータスに届くことなく、ルータスの前に出現した緑光板に衝突。

赤光は、しばし緑光板の表面でわだかまったあと、ピィンと張り詰めた音と共に、デスマスクに向かって弾き返された。

弾き返された赤光は、浮遊していたデスマスクの元へ正確無比に返っていく。

そして、瞬き程ののち、直撃。

その後、一拍置き、デスマスクが床の上に落ちた。

情況を理解できずに呆気にとられていると、

「はい、おしまいっと。

 な? 楽勝だったろ?」

ルータスはこちらを振り返り、笑ってみせた。

ルータスの前に出現した緑光板は、いつの間にか消滅していた。

何が起きたのか分からないオレは、ルータスの笑みと床に落ちたまま動かないデスマスクを交互に見る。

それでオレが今起きたことを理解していないことが分かったのか、ルータスはこちらに一歩近づき、棒立ちのオレの手からローレルクラウンを取り上げ、聞いてきた。

「今、何起きたか分かる?」

少し意地悪そうな声音での問い掛けだったが、オレはそれを気にすることなく考える。

その間、ルータスは、オレが暴れた際に床に散らばってしまった水筒やら携帯食やらを拾い集めて整理していた。

ルータスが整理を終えた頃、オレはようやく口を開いた。

「今のって、『ミラー』だよな?」

『ミラー』というのは技術の1つで、名前から察せられるとおり、投射系や放出系の魔法や技法などを反射する技術だ。

もちろん、強度の範囲内で、ではあるが。

技術の中では難易度は高い方で、オレはまだ行使することができない。

「ピンポーン、正解。

 デスマスクの『魔眼』ってさ、『ミラー』とか、『反射』の魔法とかで跳ね返せるんだよ。

 でもって、あいつ等って、自分の『魔眼』に耐性がないわけ。

 だから、その結果がアレ」

言って、ルータスは床に落ちたデスマスクを指さした。

「元のレベルでも、同じようにすれば簡単に倒せるよ」

こちらを向いて笑いながら言うルータス。

オレがまだ呆気にとられてボーッとしていると、ルータスが意地の悪い笑みを浮かべて言う。

「ま〜、元のレベルに戻ったら、お前のレベルじゃ『ミラー』張ってもぶち破られちゃうだろうけどね」

「! うるせぇな!」

ルータスの軽口に、我に返ったオレは声を上げた。

もっとも、ルータスの言うことが正論なのは分かっていたので、それ以上は何も言わない。

少し前のオレならば、頭にきていたところだろうが、今は前ほど腹も立たなくなっていた。

成長の証、と内心で誇る。

それにしても、こんなにあっさりとデスマスクを撃退できるとは思わなかった。

たしか、『反射』の魔法が封じられた封魔晶ならば革袋の中に入っていたはずだ。

もしも今のことを知っていれば、前のデスマスクとの戦闘はあれほど苦労することはなかっただろうに。

もっとも、そのことを知っていても、『魔眼』を正確にデスマスクに跳ね返せるだけの技量がなければならないのだが。

(これが戦闘経験の差ってやつか……)

心の中で呟く。

それは悔しさからくる呟きではなく、素直な感嘆の呟きだった。

ルータスのことはいまだに気に食わない奴だと思ってはいるが、戦闘や探索に関しては、はるかに『今の』オレよりも優れていると納得でき、また、凄いと素直に思えた。

ルータスはオレの内心など知る由もなく、大きく伸びをし、翼をばたつかせて言う。

「せっかく休んでたのに、これじゃ台無しだな。

 まぁ、もうちょっと休んでこっか。

 誰かさんが大声で喚いたから、ほかのマテリア達が集まってくるかもしれないけど、その時はまた守ってやるから、さ」

「…………」

またもルータスの軽口が飛んでくるが、オレは取り合わなかった。

たしかに、あれだけ騒げば通路に音が響いたのは間違いないし、おそらく今のデスマスクも騒ぎを聞き付けてきたのだろうと予想できる。

となれば、ほかのマテリアに騒ぎが届いていても不思議ではないが。

「怒った?」

「……別に」

「そ?」

ルータスの問いに、オレはできるだけ平静を装って答えたつもりなのだが、ルータスはこちらの心情などお見通しというように、オレの顔を覗き込んで意地悪そうな笑みを浮かべていた。

(クソッ! やっぱコイツ、ムカつく!)

心の中で悪態を突きつつ、オレは勢いよくその場に座り込んだ。