地下2階の通路。
そこを僕とモルドの2人は歩いていた。
「いい加減、うんざりしてきますね……」
「同感……」
大きくため息をつくと共に吐き出した僕の言葉に、同じくため息をついてモルドがうなずいた。
モルドのうなずきに合わせて、とがったマズルの先端から水が水滴となって床に落ちる。
モルドの全身は水で濡れていた。
その理由は至極簡単。
地下2階に降りてから現在地に至るまで、すでに2つの部屋を通過したのだが、その2部屋に仕掛けられていた罠が共に、前階にあった水攻めの罠とまったく同じものだったからだ。
罠の作動の仕方も、解除方法もまったく同じ。
その為、空を飛べる僕は濡れていないが、空を飛ぶ術がなく、しかも罠を解除する為に水に潜らなくてはならないモルドは全身を濡らしてしまっていた。
前階での時のように、僕は服を乾かすことを提案したのだが、モルドは地図を見ながら、
『この先に、同じ規模の部屋が2部屋続いている。
また水攻めがあるかもしれないから、とりあえず次の部屋に入ってみての様子でな』
と言って、濡れ鼠のまま進むことに決め、そしてその予想通り、次の部屋でも同じ水攻めにあってしまったというわけだ。
二度あることは三度あるというが、今がまさにその状態だ。
地図によれば、この先にも水攻めの3部屋と同じ規模の部屋が1部屋あるが、そこに辿り着く前から嫌な予感がしてならない。
「また水の罠ですかね?」
「……たぶんな」
僕の問い掛けに、モルドは心底うんざりしたように答えた。
僕が感じた予感をモルドも感じていたようだ。
だから今回は、僕も服を乾かすようには提案しなかった。
歩くたびにグチャグチャと音を立てるモルドの濡れ具合を見ていると、まったく濡れていない僕は申し訳なさを感じてならない。
そういう心境があって、
「次、同じように水の罠だったら、今度は僕が潜りましょうか?」
と、提案するが、モルドは苦笑いを浮かべ、
「いや、いいよ。
どうせ俺はもうびしょ濡れだからな。
2人して濡れる必要はないよ」
と、逆に僕を気遣うような答えを返してくれた。
それがさらに申し訳なさを助長してくれるが、言っていることは正論なので否定するのもおかしいと思い、ありがたくそれを受け入れることにした。
そんなこんなで、3部屋目の入り口が見えてきた。
地図では、この部屋を抜ければ、しばらく迷路状の通路が続くことになるはずだ。
この部屋に仕掛けられた罠が水攻めのものにしろ、そうでないにしろ、この部屋を抜けたら一旦休憩をはさんだ方がいいだろうと僕は思う。
遺跡内は肌寒さを感じる程の気温なので、濡れたままでは体調に響く。
先はまだ長いのだから。
部屋の入り口に辿り着き、これまで通りに中をうかがう。
すると、やはりというべきか、部屋の造りは、これまでの3部屋とまったく同じ、約8m四方の何もない部屋だった。
「やっぱりここもそうでしょうかね?」
「だろうな」
辟易した様子でモルドが答えた。
今しがたあんなことを言っていたが、やはりまた濡れることになるのは嫌なようだ。
微妙に居心地の悪い空気になったが、それ僕だけだったようで、モルドは淡々と部屋の内部を調べ、足を踏み入れた。
続いて僕が入り、2人連なって部屋の中央付近まで進むと、本日4度目となる落とし扉が落ちる轟音が後方、次いで前方から響いてきた。
もはや慣れたもので、僕達は驚きもせず、その場を離れる。
わずかな間のあと、四方の壁の天井付近に2つずつ現れた筒から放水が始まり、部屋の中央で衝突して水柱を形成する。
モルドはその場にとどまって水柱を見ていたが、僕はモルドの言葉に甘えて、翼を広げ、水に濡れないように床から飛び上がった。
見ているうちにも、水かさは増していき、すでにモルドの足首ほどの高さまできている。
「それにしても、これだけの水、いったいどこにあるんでしょうね!?」
「遺跡の近くに、ちょっとした湖があったから、たぶんそこじゃないか!?」
水音が部屋中に反響してやかましいので、声を張ってモルドに尋ねると、モルドも声を張って答え返してくれた。
「排水は、地下水にでも流してるんだろうな!」
「なるほど!」
会話のたびに声を張らなければならないので、なかなか難儀な状況だ。
罠を解除できるようになるには、もっと水かさが増さなければならないのだが、この状況では時間潰しの会話さえままならない。
水が溜まるまでは、おとなしく沈黙しているのが一番だろう。
お互い、押し黙ったまま、待つことしばし。
「ん?」
モルドが疑問の声を発したように聞こえた。
見れば、やや身を乗り出し、部屋の中央を見つめていた。
正確には、中央に落ちる水柱の中を。
「どうしました!?」
若干モルドに近付き、声を掛ける。
「…………」
モルドは目を細めて水柱の中を見つめたまま答えない。
それに倣って、僕も水柱の中を凝視する。
(…………あれは?)
水柱の中に、何かの陰を認め、僕は声に出さずに心の中で呟いた。
水に邪魔をされてよくは見えないが、水柱の中に、50cm程の三角錐の陰が確認できる。
「アレ! 何でしょう!?」
三角錐の陰を指さし、僕がモルドに尋ねると、モルドは答えずに首をひねり、怪訝そうな表情で三角錐の陰を見つめ続けていた。
あのような陰は、これまでの3部屋では確認できなかった。
これまでと違った展開に、一抹の不安が胸をよぎる。
しかし、ここまでの状況はこれまでの部屋とまったく同じで、特におかしいことは起きていないし、部屋にも変化は見られない。
僕達が三角錐の陰に注意を奪われている間にも、部屋の水かさは増していき、すでにモルドの膝上程にまで達していた。
「何か嫌な予感がします!
モルド、つかまって――」
僕が言葉を伝え終えるより早く、異変は起きた。
壁から伸びた筒からの放水が止まったのだ。
『!』
2人共に異変に気付き、咄嗟に筒を見上げた。
その刹那、部屋の中央が白く発光した。
と、同時に、
「うわ!?」
モルドの悲鳴が上がった。
「モルド!?」
声を上げてモルドを見れば、その下半身に異変が起きていた。
膝上に達していた透明な水面が、ゆらりとも動くことなく、氷のように固まっている。
ただし、氷のように半透明ではなく、透明度はそのままで。
「くそっ! ここにきてパターンを変えてきやがった!」
悪態をつき、モルドが固まった水面を拳で叩く。
モルドが手にはめているグローブに付けられたニードルリベットが水面とぶつかり、硬い音が部屋に反響した。
「これは……!」
その様を見て僕は驚き、水面に降りる。
すると、水面は鉄のような硬度で固まっていた。
そうする間にも、2度、3度とモルドは水面を殴り付けるが、固まった水面には傷一つ付かない。
僕もサーベルを引き抜いて突き立ててみるが、
硬い音と共に切っ先を弾かれ、やはり水面が傷付く様子はなかった。
「駄目です! 硬くてとても――」
「さっきのやつだ。
水柱の中にあった、あれのせいだ」
言って、モルドは部屋の中央を指さした。
指摘した場所には、黒い三角錐の形状をした物体が、硬化した水中でほのかに白い輝きを帯びていた。
「じゃあ、あれを壊せば!?」
「いや……」
モルドは言葉を濁し、あたりを見回し始めた。
「たぶん、違うな。
たしかに壊せば水が元に戻るかもしれないけど、それがこの罠の解除法じゃないと思う。
さっきも言ったけど、『古竜種』の宝物殿の罠の解除法は、基本的に力を必要としないからな。
どのみち、水がこの硬さじゃ、中のあれを壊すことなんてできないさ。
それに、この罠、きっとこれで終わりじゃないぞ」
「このあと、何かが起きる?」
「ああ、たぶんだけど――」
モルドが言い終わるのとほとんど同時に、部屋の上部から音がガコンと音が降ってきた。
見上げれば、四方の壁の上部から突き出していた放水の為に筒が、すべて壁へと戻っていくところだった。
僕とモルドは固唾を飲んでその様子を見つめる。
すぐに筒は壁の中に収まり、その場所はすっかり周囲の壁と変わらぬ様相へと戻った。
そして、
「ああ、これはヤバい……」
吐き出すように言ったモルドが向けた視線の先は、部屋の天井。
モルドの視線を追うまでもなく、僕の天井の異変に気付いた。
それまで、何事もなかった部屋の天井には、直径20cm程の穴がぽっかりと、網の目のように規則正しく並んでいた。
間をおかずしてその穴から飛び出してきたのは、長さは穴の直径と同じかそれより少し長いくらいの、先端の尖った針だった。
それを見て、僕は次に何が起こるのかが予想できた。
なぜなら、それはこの遺跡で1度見たことのある種類の罠だったからだ。
「……釣り天井だ」
そう呟いた僕の言葉が聞こえたかのように、無数の針を露出させた天井が、壁にむした星夜苔をこそぎ落としながらガリガリと音を立ててゆっくりと降下し始めた。
「このままじゃ危険です!
あの装置を破壊して、それから扉を破壊して突破しましょう!」
天井を見上げたままのモルドに向かって叫び、僕は封魔晶の入った腰の革袋に手を入れた。
しかし、モルドは冷静な声で僕を制する。
「待ってくれ。 無駄に道具を使う必要はない。
きっと別の解除法があるはずだ」
「無駄って……そんな悠長なこと言ってる場合じゃ――!」
「もう少しだけ」
「……っ!」
モルドの冷静さを帯びた言葉に、僕は革袋の中で握っていた『旋塊』の封魔晶から手を放した。
そして、モルドと共に天井を見上げる。
天井はかなり遅い速度で降下を続けていた。
遅いといっても、あと2分もすれば、硬化した水面に到達してしまうだろう。
当然、その時には、僕達は天井から突き出した針に全身を貫かれてしまうことになる。
そうなりそうになった場合、僕はモルドの言葉を無視してでも、装置と扉の破壊、それが間に合わなければ、僕達の直上の天井を破壊して難を逃れるつもりだ。
「『古竜種』の遺跡の罠の解除には基本的に力はいらない……その基本に沿っていけば、今の俺のこの状態からでも罠を解除する方法があるはずだ」
独り言のようにモルドが言う。
「その状態で、ですか?」
僕が問うと、モルドはうなずき、
「もし、固まった水面で動きを封じられた時点でアウトなんだったら、あんなに天井の落ちる速度が遅いわけがない。
一気に押し潰せばいいだけなんだからな。
だから、この罠はこの状態からでも解除できるはずなんだ。
さぁ、この状態でできることは……」
僕の問いに答えて、思案に暮れるように真剣な顔で天井を見つめる。
天井は徐々にこちらに向かって降りてきていた。
と、その様子を見ていて、僕の頭に閃きが走った。
「この前までの3部屋と同じということは?
つまり、ある程度罠が進んでからじゃないと、解除ができない」
僕がモルドの方に顔を向けると、視線を交わしてモルドがうなずき、答える。
「うん、俺もそう思った。
それと合わせて、俺のこの状態からできることは1つだけだ」
「つまり、罠の解除方法は……」
僕達は揃って天井を見上げ、
『天井にある!』
声を揃えて答えを口にした。
天井では無数の針が、先端をこちらに向けている。
「天井で怪しい所といったら、やっぱりあの針でしょうね」
「だろうな。
あの針のどれかがスイッチになってるって考えるのが自然だな」
僕の言葉にモルドが答え、チラリと視線をこちらに向ける。
言わんとしていることの意味を察し、僕はうなずき1つ、固まった水面から飛び立った。
天井付近に到達すると、降下してくる天井の動きに合わせ、精気をコントロールしてホバリングをするように翼を動かす。
「俺の真上あたりを中心に調べてくれ!」
「はい!」
モルドの言葉に答え、僕は言われた通り、モルドの真上付近を中心にして、円形に針を調べ始めた。
針に当たらないように注意しながら、1本1本注意深く針を調べる。
針は僕が手にしている『暁光』の封魔晶の光を受けて白銀にギラついており、どれもこれも同じように見える。
しかし、予想が正しければ、どれかに罠を解除するスイッチか、あるいはそれに準ずるものがあるはずだ。
とはいうものの、時間はほとんどない。
悠長に調べていたら、天井は水面に達し、針は僕もモルドも貫いてしまうだろう。
すでに、天井は部屋の半ば程の高さまで降りてきている。
(急がないと……!)
時間のなさに焦りを感じながら、僕は調べ続ける。
幸い、下にいるモルドから、解除方法の発見を急き立てるような言葉が掛けられることはない。
おかげで、針を調べることにだけ集中できるのはありがたかった。
もし、下にいるのがシーザーやルータスだったらこうはいかないだろう。
このモルドの冷静さは見習うべきだ。
僕は針に手を触れながら、1つ、大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着けた。
やや冷静さを取り戻し、針を調べていくこと数十秒。
天井の降下速度が、部屋の半ば程の高さを過ぎた頃から遅くなってきていることに気付いた。
本来なら、もう身動きを取ることが困難な程の高さにまで達しているはずだが、僕の足はまだ水面につかない。
まだ、水面から2m強程の高さはある。
再度、深呼吸をし、気持ちを落ち着けて、目を見開いて針を調べる。
すると、モルドのいる位置からややずれた場所にある針の付け根に、違和感を感じた。
白銀の輝きに混じり、白い物が見える。
封魔晶の明かりを近付けると、逆に周囲の白銀に紛れてしまって見えなくなるその白い物。
僕は封魔晶に手をかざして光を弱め、間接照明のようにしてから、再び白い物を凝視する。
すると、白い物の正体が分かった。
それは、針に描かれた、白く細い右向きの矢印だった。
白銀の中の白という非常に見つけづらい物だったが、注意して見ると、それが1つだけではないことが分かる。
矢印は、針の根本付近にぐるりと一周、等間隔にいくつも並んでいた。
まるで、『矢印の方向に針を回せ』と言っているように。
「これです!」
直感し、僕は持っていた『暁光』の封魔晶を嘴で咥え、両手で針をがっちりと掴んだ。
すでに足は硬化した水面に達し、膝は少し曲げなければならないようになっている。
間違いが許される時間的余地は残されていない。
(お願い!)
僕は心の中で祈り、針を掴んだ両腕に全力で右回しの力を込めた。
予想外にも、さしたる抵抗を感じることもなく、針はぐるりと180°程回転し、動かなくなった。
同時に、針に触れてる両の掌に低い振動を感じた。
針の天井に埋まった部分が、何かにぶつかったような振動だ。
「……止まった」
少し離れた所にいるモルドが、手を伸ばせば届きそうな所まで降りてきていた天井を見上げて言った。
その言葉通り、天井は降下をやめ、止まっていた。
それどころか、天井から無数に伸びていた針は、僕の掴んでいる物も含めてすべてが天井に引き込まれていき、すべての針が消えて針穴も消えると、天井はゆっくりと上昇を始めた。
「…………助かっ――」
嘴から封魔晶を取り、言おうとして、僕は不意に重力に引かれる感覚を覚え、直後、冷たい物が全身を包む感覚を覚えた。
「!? ふはっ!?」
すぐに、僕は水面が融解した為に水中に没したのだと理解し、床に足をつけて立ち上がった。
「大丈夫か?」
すぐそばまで来ていたモルドが気遣わしげに訪ねてくる。
僕はうなずいて応え、周囲を見回す。
「水も引いていくみたいですね」
「ああ。 これで、この罠は突破、みたいだな」
モルドは視線を部屋の中央に向けて答えた。
中央では、水を硬化させていたと思しき黒い三角錐の物体が、床に引き込まれていくところだった。
その様子を眺めながら、僕は一息つく。
「危ないところでしたね」
「うん。 何度も同じ罠が続いたから、最後くらいは怪しむべきだったな。
これからは用心しよう」
「はい」
「それにしても……」
「?」
言葉を切って、モルドは僕を頭の先から足元まで見つめて小さく笑みをこぼす。
「君も、最後の最後でびしょ濡れになったな」
「……ですね」
僕もびしょ濡れになった自分の体を見回し、笑い返した。
「このあとって、どうなってましたっけ、地図。
たしか迷路になってたような気がしたんですが」
僕が尋ねると、モルドは地図を取り出し、明かりをかざす。
「……うん、この先は複雑な迷路になってるな。
通路が何本もつながってる」
そう言うと、モルドは地図を僕に見せてきた。
「ああ……これは複雑ですね……」
地図に目を落とし、思わず僕はうめいた。
先の道は何本にも枝分かれした通路が絡み合うように複雑につながっており、かなり広い迷路を形作っていた。
何ヶ所か行き止まりになっている所や、小部屋のようになっている所もあり、それらのいくつかには宝があることを示す丸印が付けられている。
迷路は最終的には収束し、先にある長く細い通路につながっていた。
「地図があってよかった」
「この迷路を情報なしで突破するのは骨が折れたでしょうね」
モルドの言葉に同意する僕。
先の迷路は、それほどまでに入り組み複雑な構造になっていた。
「宝がいくつかあるみたいですけど、どうします?」
「う〜ん……ちょっともったいない気もするけど、よほど近くにあれば話は別として、基本的に無視していこう。
まずは皆と合流することが最優先だからな」
「分かりました」
シーザーとルータスが聞いたら、1秒と間をおかずに批判の声が上がりそうなモルドの言葉だったが、僕はそれに従うことにした。
正直なところ、僕も宝には興味があったが、遺跡の探検においては経験が僕より上のモルドの意見に従う方が賢明だろう。
「じゃあ、行こうか……と、その前に、服、乾かした方がいいかな」
「ええ、その方がいいかもしれません。
濡れた服が羽毛に張り付いて気持ち悪い……」
呟くように僕が言うと、モルドがくすりと笑った。
「ただ、あんまりゆっくり乾かしてる暇はないから、適当に絞って、歩きながら乾かそう」
「それなら、僕が『熱気』の封魔晶を持ってますよ。
モルドは地図を見なきゃいけないし、罠を調べるのもモルドがやってくれた方が確かでしょうから」
僕が提案すると、モルドは顔を曇らせた。
「何かプレッシャーの掛かる言い方だな。
罠に掛かったら俺のせいか?」
「え? い、いや、そんなつもりじゃないですよ。
ただ、地図を見るのも罠を調べるのも、慣れてる人間がやった方が効率がいいかなと思って」
慌てて説明すると、モルドは悪戯っぽく笑い、
「分かってるよ、そんなつもりがないことぐらい。
適材適所ってやつだろ?」
そう言って聞き返してきた。
からかわれたのだと気付き、僕は苦笑いし、
「そういうことです」
と、答え、手早く濡れた衣服を脱ぎ始めた。
ガントレットを外して中に入ってしまった水を流し、ブレストプレートも外して軽く宙で振り、水滴を切る。
それらを床に置くと、水を含んで重くなったダブレットや肌着、ズボン等を脱ぎ、1分もしないうちに全裸になった。
「お、おい!」
焦った様子でモルドが声を上げる。
「はい?」
何かと思ってそちらを見れば、明らかに頬を紅潮させたモルドが目を泳がせていた。
「どうしました?」
尋ねると、モルドは目のやり場に困った様子で、チラチラとこちらを見て言う。
「も、もう少し、その……羞恥心っていうかさ……」
モルドは、消え入りそうな小声でそう言うと、僕に背を向けて自身も濡れた衣服を脱ぎ始めた。
「? …………!」
僕は何のことかと思ったが、今の自分の格好を見て得心した。
(またやってしまった……)
どうやら、またモルドの羞恥心のスイッチを入れてしまったらしい。
モルドは、自分の裸を見られるのも嫌なら、他人の裸を見るのも駄目なようだ。
(そんなこと、気にしなくてもいいと思うんですけどね)
そう思いつつ、一応僕もモルドに背を向け、脱いだ衣服を絞り、それでもって濡れた体を拭き始めた。
「よし、行こう」
2人共に絞りたての衣服と装備を元通りに着用したのを確認し、モルドが言った。
うなずき、僕はモルドのあとを歩き、部屋の出口へと向かう。
衣服には水気がまだ充分に残っており、そのせいで少々重く感じたが、それでも絞る前よりはだいぶ軽いうえに、羽毛に張り付くこともないので、歩く程度に動く分には問題はない。
『暁光』の封魔晶は光量を高める為に2人で1つずつ持ち、それとは別に、先程の提案通り、僕は衣服を乾かす為の『熱気』の封魔晶を、モルドは先の迷路で迷わないように地図を広げて持っていた。
『熱気』の封魔晶が展開した赤い空間の規模は、前階で展開した時のそれよりも大きく、歩く僕達を包む程の大きさがあった。
その分、温度は低めだが、それでも周囲の気温よりは高く、充分な乾燥効果はあるだろう。
効果対象を衣服のみに定めている為、僕達が直接暑さを感じることはない。
感じるといえば、せいぜい熱された衣服から間接的に伝わる熱気を感じるくらいなのだが、
「動くと結構暑いですね」
思っていた以上の暑さに、僕はひとりごちた。
「仕方ないさ。
このままにしてたら、いつまで経っても乾きそうにないしな」
「まぁ、そうなんですけどね……」
僕の独り言を拾ったモルドの言葉に、僕は気のない返事を返す。
モルドは衣服の下が素肌だからまだいいかもしれないが、僕の体はほとんどが羽毛で包まれているので、羽毛が熱をはらんでしまって仕方がない。
この暑さは真夏のそれにも似て、普通に歩いているだけでも汗をかきそうな程の暑さだった。
(まぁ、羽も濡れてるし、乾かすにはちょうどいいかもしれませんね)
思いながら、黙ってモルドのあとをついていく。
すでに僕達は迷路の中へと足を踏み入れている。
やり取りをしている間にも、すでに角を1度曲がっていた。
前を行くモルドは、黙々と地図を見ながら、そして壁や床に罠がないかを確認しながら、ゆっくりと進んでいる。
その姿を見て、僕はただ『暁光』と『熱気』の封魔晶を持ってついていくだけでは申し訳ないと思い、後方と周囲の確認、要するにマテリアの接近に注意を払っていた。
ここまで1度もマテリアとは遭遇していないが、前階で唸り声や咆哮を聞いたことから、遺跡内にマテリアがいることは間違いない。
いつ、どこから襲ってくるのかも分からないので、移動先や罠の発見はモルドに任せ、僕はそちらへの注意を払うことにした。
罠を発見することには慣れていないが、マテリアを発見して対応することには少しばかり慣れている。
今の状況では、この分担がモルドの言うところの『適材適所』だろう。
(僕が勝手にそう思ってるだけですけど)
心の中で一言付け加えて、先を行くモルドを見る。
もう幾度か分かれ道を過ぎてきたが、地図を持つモルドはどの分かれ道にも迷うことなく選び、進んでいく。
罠を発見するための所作も早くなり、それに比例して歩く速度も上がる。
速度が上がるといっても通常の歩行速度の半分程でしかないが、これまでの通路での速度に比べれば倍近くは出ている。
だからといって、罠を発見することに手を抜いているわけではないようで、怪しげな所ではしっかり立ち止まり、丹念に壁や床を調べていた。
壁面や床面を覆う星夜苔を丁寧に払い、明かりを近づけて調べ、何もないことを確認すると先へ進む。
あるいは、何がしかの怪しい箇所を見つけると、そこに印を付けて進んでいく。
動作としては変わり映えのしない行動を、根気よく繰り返し、着実に前へと進み続けた。
通路に靴音のみを反響させながら進むこと、およそ10分。
床に新たな罠を見つけたモルドが星夜苔で印を付けた。
それを避けながら進むと、2〜3m進んだ所で、またもモルドが罠を床に見つけた。
モルドの印を付ける動作見ながら、僕は翼にこもった熱気を追い出す為に、両翼をバサつかせる。
と、翼の先が壁に触れた瞬間、目の前に黒い物体が迫った来るのを捉えた。
「!?」
反射的に両手を顔の前にかざし、直後、鈍く強い衝撃が走った。
柔らかいが、重量のある物を叩き付けられた、そんな衝撃が。
僕は耐えきれず、後ろに弾き飛ばされる。
床から足が離れる浮遊感と、床に叩き付けられる衝撃。
「アーサー!?」
前方からモルドの声が聞こえた。
「だ、大丈夫……」
と、僕。
その言葉に偽りはなく、衝撃に比してダメージはほとんどなかった。
起き上がろうとしている僕の所に、駆け寄ってくるモルド。
「ビックリはしましたけど、特に何とも――」
言い掛けて、僕は言葉を止めた。
原因は、通路の後方から聞こえてきた異音。
傍らに立つモルドは眉根を寄せて通路の後方を睨んでいる。
僕もすぐさま立ち上がり、後方を注視した。
明かりを掲げてみるも、音の正体は分からない。
しかし、それが良からぬものだということは分かる。
自然と警戒しながら、僕は一歩後退する。
そして、ふと足元に視線を落とし、気付いた。
僕が吹き飛ばされて倒れた場所、そこは、今さっき、モルドが罠があると記した所だった。
そのことに僕が気付くのと、ほとんど同じくして、
「走れ!!」
モルドが叫んだ。
顔を上げた僕は、モルドが叫んだ理由が分かった。
明かりに照らされた通路の後方。
その左右の壁から、無数の槍が高速で突き出し、こちらに向かって迫ってきたのだ。
弾かれるように僕は踵を返し、モルドの後を追った。
先にモルドの印した罠の位置を飛び越え、通路をひた走る。
走ることしばし。
通路の先がY字の分岐点になっていた。
「右だ!」
モルドが振り返らずに叫び、道を示した。
言われるまま、Y字路を右に曲がる。
後ろを振り返ると、後方から迫ってくる槍が、それまで走っていた通路の端まで来ると、ピタリと止まったのが見えた。
「モルド!」
そのことを前方を走るモルドに知らせる。
僕の呼び掛けにモルドが振り返り、そのことに気付いて足を止めた。
「……ふぅ、危なかったな」
僕のそばに寄りながら、モルドが安堵の息を漏らした。
そんなモルドに、僕は謝る。
「……ごめんなさい」
「? 何がだ?」
モルドは不思議そうに首を傾げて僕を見た。
「罠、僕が作動させたんです」
思い当たる節があって、そう告げる。
何気なく動かした翼の端が壁に触れた瞬間、僕は黒い何かに吹き飛ばされた。
おそらく、触れた壁の部分、あるいはその周辺が、罠の作動スイッチになっていたのだろう。
そして、意図せずに作動させたその罠によって吹き飛ばされた先に、モルドが印した罠。
地下1階で見て、モルドが教えてくれた、チェーントラップに掛かってしまったに違いない。
僕はそのことをモルドに告げた。
せっかくモルドが注意しながら罠を探ってくれていたというのに、ということに対する詫びの気持ちも込めて。
すると、モルドは怒る素振りも見せず、苦笑い。
「ああ、たぶんそうだろうな。
けど、謝ることじゃないよ。
壁の罠は、俺も気付かなかったんだ。
どっちのせいでもないさ。
それに、こうやって罠を切り抜けることができたんだから、それでいいじゃないか」
「…………」
思いのほか、明るいモルドの物言いに、僕は言葉がなかった。
いっそのこと怒ってくれた方が気が楽だったのだが。
なおもうなだれる僕を見て、モルドが『気にするな』とでもいうように肩を叩いた。
「さてと、ここからはもっと慎重に行かないとな。
でも、触れただけで作動する罠か……おちおち調べることもできないな。
まぁ、さすがに床にその手の罠があるとは思えないけど……」
先の罠のことなどすっかり忘れたように、モルドは1人呟いている。
その様子から、『もうこの話は終わり』と言われたような気がして、僕は黙る。
そうして、モルドが地図を眺めながら呟くことしばらく。
「ま、とにかく先に進まないとな。
さ、行こう!」
笑みを向けて、そう言って僕を促した。
「この先に宝があるな」
モルドが呟いたのは、進み始めていくらもしないうちだった。
目の前には三叉路。
モルドの視線は右側の通路に向いていた。
「宝、ですか?」
僕は、先程の罠に対する反省の気分がいまだに晴れなかったが、宝と聞いて幾分気持ちが軽くなる。
「うん、この分かれ道、真ん中を行くのが一番の近道なんだけど、右に進むと、ほら」
言って、モルドは地図を差し出し、その位置を指さした。
指し示された所を見れば、たしかにそこには宝を意味する丸印が付けられていた。
「今いる所はここな」
モルドは言いながら指を地図の上で動かし、現在地を示した。
宝の場所は、現在地である三叉路を右に進み、さらにその先にある丁字路も右に進んだ場所だ。
丁字路を左に行くと、ちょうど現在地の分かれ道をまっすぐ進んだ通路とぶつかる。
多少は遠回りになるが、本当に多少でしかなく、時間的にも距離的にもほとんど変わらないと言っていいくらいの違いだ。
「これくらいなら、取りに行ってもいいじゃないでしょうか?
ほとんど通り道みたいなものですし」
そう提案する僕。
あまり離れた場所なら考え物だが、これだけの距離ならば行ってみたい気持ちが強い。
せっかく『宝物殿』の遺跡に来たのだし、宝はやはり魅力的だ。
中には、何か探検で役立つ物が入っている可能性もある。
モルドも同じように考えていたのか、うなずき、答える。
「そうだな、これくらいの距離なら行ってもいいな」
意見が一致したところで、僕達は宝の方へ、三叉路を右へと進んだ。
程なく、丁字路にぶつかり、迷うことなく右の通路に入る。
そうして少し歩き、くだんの宝の場所に辿り着いた。
「ありましたね」
「あったな」
僕とモルドは、目の前に置かれている物を見て、呟き合った。
行き止まりの壁の前に据え付けられた1m程の高さの台座の上に、白一色のシンプルな造りの宝箱が置かれていた。
宝箱といっても、縦横30cm程の小さな物で、しかし大きさやシンプルなデザインとは裏腹に、蓋には鍵が掛けられているようだった。
「鍵が掛かってるのか」
モルドが呟き、用心深く宝箱に近付く。
手を伸ばせば宝箱に触れられる距離まで行くと、モルドは宝箱の上、行き止まりの壁を見た。
「これが鍵みたいだな」
モルドの言葉通り、壁には1つの鍵が掛けられていた。
が、僕はそれを見て疑問を覚えた。
(何で鍵と鍵の掛かった宝箱が同じ場所にあるんだろう?)
普通なら、鍵と鍵の掛かった宝箱は別々の場所に保管するはずだ。
同じ所にあっては、開けてくれと言っているようなものだ。
「……とりあえず、宝箱にも鍵にも異常はないな。
取っても大丈夫そうだ」
僕の疑問に構わず、モルドは宝箱と台座、さらに鍵とその周辺の壁を調べ終え、鍵を手にしていた。
そして、そのまま宝箱の鍵穴へと挿し込もうとする。
それを見て、
「あ、待ってください!」
僕は咄嗟に呼び止めた。
「え?」
鍵を鍵穴に挿し込むか込まないかの所で、モルドが手を止めて振り返った。
「ちょっとおかしくないですか?
鍵と宝箱が同じ所にあるなんて。
同じ所にあったら、鍵の意味がないですよ」
僕は疑問に思ったことをモルドに告げた。
モルドは鍵と宝箱を交互に見て、唸る。
「う〜ん、そういえばそうだな。
……うん、たしかに意味ないな、これじゃあ。
と、いうことは、ひょっとしたら……」
「……罠かもしれません」
モルドの言葉を継ぐように、僕は言った。
「気付かずに、鍵を開けようとしたら何かが起こる、とか」
続けて言った僕の言葉に、モルドは再度宝箱を調べ始めた。
調べながら、
「ってことは、この宝箱は開けられないってことかな……」
やや残念そうに呟くモルド。
しかし、僕の意見はそれとは違った。
「もしかしたら、鍵なんて最初から掛かってないのでは?」
僕が言うと、モルドは宝箱を調べる手を止め、こちらを振り返った。
モルドの視線を受けながら、僕は続ける。
「鍵穴があるからって、鍵が掛かってるとは限りませんよね?
ほら、さっきモルドが言ってたじゃないですか。
『ここは嫌味な罠が多そうだ』って。
これもその1つなんじゃないかと思うんです。
一見、鍵と鍵穴があるから、鍵が掛かってるように思えますけど、実際には鍵なんて掛かってなくて、実は鍵を開ける動作が罠のスイッチになってるうえに、逆に鍵を閉めることになってしまったり、とか。
そうなれば、罠に掛かったあげく、宝も手に入らなくなってしまいますよね?」
僕が説明を終えると、モルドは宝箱に目を移す。
「じゃあ、この宝箱は開いてるかもしれないってことになるな」
「僕の考えが正しければ、ですけどね」
「う〜ん……」
唸るモルド。
僕の考えが正しいかどうかを判じる要素は何もないので、唸るのも分かる。
ただ、鍵穴のある宝箱と、その鍵がすぐそばにあったことに違和感を覚え、そこから導き出した答えに過ぎないからだ。
だから、僕の考えたこと自体が、設計者の読み通りのことで、実は本当に鍵が掛かっていて、普通に開けようとしたら罠が作動、などということも考えられる。
(どうしたら……)
裏を読み続けているうち、どうにも身動きが取れない状況になってしまった。
無視すれば何も起きようがないが、しかし、すぐ目の前に宝があるというのに、それに手を付けずに去るというのも惜しい。
(でも、もしも罠だったら……)
答えの出ようがない二択に迷う。
そこへ、モルドが沈黙を破って口を開いた。
「そうすると、この宝は無視するのが一番安全か」
僕と同じ考え。
と、それを聞いた途端、シーザーの声が頭をかすめた。
(『危険を冒してこその探険だぜ!』)
「…………いえ、そんなことはないです」
僕は、突発的に否定の言葉を口にしていた。
「? どういう――」
モルドが何かを口にするより早く、僕は行動を起こしていた。
モルドを脇に押しのけ、宝箱の蓋に手を掛ける。
「おい!?」
モルドの驚きの声を聞く暇も有らばこそ、
「――!」
僕は嘴を食いしばり、息を止めて宝箱の蓋に力を込める。
次の瞬間、思いのほか力を必要とせず、宝箱の蓋はいとも簡単に開いた。
周囲の時間が一瞬、止まったような気がした。
辺りに満ちる短い静寂。
その静寂を破ったのは僕の吐き出した大きな吐息だった。
「……大丈夫だったみたいです」
脇にいるモルドに向かい、僕は安堵の笑みを浮かべながら告げた。
モルドは驚いて目を見開いていたが、僕の言葉を聞くなり、同じく大きな息を吐き、
「焦ったぞ、急にそんなことするもんだから。
意外と思い切りがいいんだな、君は」
感嘆とも呆れともつかない声音で、僕の行動を評価した。
(シーザーの言葉が急に頭に浮かんだものだから、何も考えずに行動したなんて、言えないですね)
そう思いながら僕は苦笑いを浮かべ、開けた宝箱の中に視線を落とす。
宝箱の中には、無地の紙が1枚、端然と底に収められていた。
そして、開けた蓋の手前側には、丸い袋が1つ張り付いていた。
それを見て、モルドが言う。
「……君の読み通りだったな。
鍵は最初から掛かってなかった。
それにこの袋、毒か何かが入ってると思う。
鍵穴に鍵を挿して、回した途端、これが破裂して鍵穴から中身が出る仕掛けだよ、たぶん」
「結果オーライ、ですね」
「まぁな」
「それで、この紙はいったいなんなんでしょう?」
箱の底の紙を見ながら僕はモルドに尋ねる。
「……グリモアだな」
僕の言葉を受けて、宝箱の中身を覗き込んだモルドが言った。
「グリモア、ですか?」
「うん。 ちょっといい?」
モルドは答え、僕を脇に移動させると、宝箱の中に収められている紙を手に取った。
そうしてしばらく紙を眺め、確かめるように手で触り、
「……間違いない、グリモアだ」
言って、僕に紙、グリモアを差し出した。
「これがグリモアですか……」
差し出されたグリモアを受け取り、モルドと同じように眺め、手で感触を確かめる。
大きさは漫画本程度で、表面は絹のようにするりと滑らかだが、硬さは画用紙のよう。
表も裏も同じように無地で、真っ白な表面はわずかに艶を帯びているようにも見える。
「聞いたことはありますが、見たのは初めてです」
呟いて、僕はグリモアの表面を掌で一撫でした。
グリモアというのは魔法や魔術の知識が記された紙のことだ。
といっても、市販の魔法書に記されているような、ただの知識ではない
グリモアを一読するだけで、そのグリモアに封じられた魔法・魔術を会得できるという、『知識』が封じられている。
はずなのだが、
「何も書かれてませんね」
僕の言葉通り、グリモアには何も書かれていない。
僕はグリモアから顔を上げ、モルドに向かって尋ねる。
「これが本当にグリモアなんですか?」
「間違いないよ。
前に見たことがあるから」
「でも……」
きっぱりと言い切ったモルドだが、まったく白紙のグリモアを前にしては、にわかに信じがたい。
すると、僕が思っていることが分かったのか、モルドは苦笑いを浮かべ、
「資質がない奴や、資質があってもそこに書かれた魔法・魔術を使えるレベルに達してない奴には、何も書かれてないように見えるんだよ、グリモアってのは」
そう説明を付け加えた。
「ということは、僕にはこのグリモアは意味ないってことですね」
僕が小さく息を吐くと、それを落胆と受け取ったのか、
「そう気を落とすなって。
まだ資質がないって決まったわけじゃないんだから。
そのグリモアに何が書かれてるか分からないけど、そのうち見えるようになるかもしれないだろ?」
モルドは、そう言って笑った。
僕はモルドの言葉を受けて苦笑いを浮かべ、ふとその言葉に気になるところがあって、尋ねる。
「……分からない? ひょっとして、モルドにも見えてないんですか?」
「うん。 まぁ、俺の場合は資質がないっていう方の理由だと思うけどね。
俺、魔法も魔術も使えないし」
言って、モルドは笑った。
「そうなんですか? まったく?」
「うん、全然ダメ」
尋ねると、モルドは首を縦に振った。
「へぇ、シーザーと同じですね」
僕が感想を漏らすと、モルドは目をパチパチとさせ、
「ふ〜ん、彼も使えないんだ。
まぁ、なんとなくそんなイメージだったけど」
と、納得顔で呟いた。
その反応と呟きがおかしくて、僕は思わず小さく笑みをこぼす。
「そのことでだいぶスネてましたけどね」
「あ〜、その気持ち、分かる気がするな〜。
使える奴を見てると、結構便利そうに見えるんだよな。
ウチはハーゲンが使えるからさ、嫉妬ってわけじゃないけど、ちょっと羨ましくはあるね」
「シーザーの場合は、どちらかというと嫉妬っぽいですよ。
結構扱いが面倒くさいです」
僕が苦笑いをしながら言うと、モルドは声を上げて笑った。
「扱いが面倒くさいのは、ウチのルータスも同じだな。
面倒くささのジャンルが違うけどさ」
「分かります、何となく」
僕の相槌に、モルドは再び笑った。
つられて僕もひとしきり笑い、会話に区切りが付いたところで話をもとに戻す。
「このグリモア、どうしましょう?
かさ張る物でもないですし、このままで持っていきましょうか?」
「俺がいくつか空いてる移蔵石持ってるから、それにしまっておこう」
言うと、モルドはポケットから移蔵石を取り出して、それにグリモアを収めた。
「これでよし。
さぁ、先に進もうか」
僕に視線を向け、モルドは踵を返し、元来た通路へと戻っていく。
あとを追うように僕も続き、僕達は再び迷路の中へと入り込んでいった。
そこから出口までは、まるでルーチンワークのようだった。
モルドが地図を見ながら、進行方向の罠の確認をし、僕はそのあとをついていきながら、後方の警戒を受け持つ。
そうして、先のように罠に掛かることなく、迷路も地図のおかげで迷うこともなく、僕達は順調に迷路を突破していった。
途中、ルート付近に宝箱の印が付けられた小部屋があったが、相談の末、そこへは向かわないことにした。
無視した理由は、小部屋という、いかにも罠がありそうな場所に印が付けられていたからと、先のグリモアが入っていた宝箱のような要素があるかもしれず、開封に手間取るかもしれないだ。
少々惜しい気もしたが、罠があると予想できる場所に、わざわざ進んで行くことはないし、時間も無限ではない。
ここに来るまでにも、罠には散々な目に合わされてきたうえに、結構な時間も取られているのだから。
そうやってルーチンワークをこなしながら、時折相談を交えて進むこと10分。
僕の持つ『熱気』の封魔晶の効果で服もほとんど乾いた頃、ようやく迷路の終わりが見えてきた。
「この先を左に進むと出口だ」
モルドの呟きに、僕は思わず気が緩み、大きく息を吐き出す。
先を行くモルドがそれを聞き、笑い交じりに振り返った。
「疲れた?」
「大丈夫です。
ちょっと気が抜けただけで」
「ま、長かったからな、迷路。
あとはこの先の通路を進めば、下の階に進む階段がある。
下りたら少し休憩にしよう」
「はい」
僕の様子を見て気を利かせてくれたのか、モルドが休憩を提案した。
実のところ、気を張りすぎたせいか精神的に少々疲れてきていたので、この提案はありがたかった。
嬉しさが顔に出てしまったのか、僕の顔を見てモルドはくすりと笑い、歩き出した。
ほんの数秒足らずで迷路の終点が見えてくる。
終点では僕達が歩いてきた通路を含む3つの通路が合流しており、その合流点から1本、これまでの通路よりもやや細い通路が、3つの通路とは反対方向へと延びていた。
「さ、着いたぞ。
あとはこっちの通路を先に進めばこの階はクリアだな」
迷路の終点に立ち、モルドが地図を見ながら言った。
「もうそろそろ『熱気』は切ってもいいですかね?
もうほとんど服は乾いてますし」
地図をめくっているモルドに尋ねると、モルドは自分の体を見回し、
「うん、いいんじゃないか?
これくらい乾いてれば充分だろ。
あとは歩いてるうちに完全に乾くさ」
と、僕の提案を受け入れてくれた。
わずかとはいえ、魔法力の消費は極力避けたいので、僕はすぐさま『熱気』の封魔晶への魔法力の供給を絶った。
僕達の周囲に展開していた赤い空間が消え、光源は『暁光』の封魔晶の白い明かりと、そこかしこにむした星夜苔の緑の明かりだけになる。
まだ衣服に熱は残っているが、これもじきに失われるだろう。
少し汗ばむほどの暑さを感じていたので、ちょうどいいといったところか。
用のなくなった『熱気』の封魔晶を革袋にしまうと、
「オーケーです。
さあ、先に進みましょう」
僕は準備が整ったことを告げ、モルドに先に進むように促す。
しかし、モルドは地図を見たまま動こうとしない。
「どうしました?」
尋ねると、モルドは不動の姿勢のまま、地図と階段へと通じる細い通路を見比べ、
「……この通路、罠があるかもしれないな」
と、僕の方を振り向くことなく告げた。
「通路は一本道なんだけど、細くて長すぎる。
こういう所は、前か後ろにしか進めないから、罠を仕掛けるには恰好な場所だ」
「ということは、罠があると思って進んだ方がいいってことですね。
今までの経験からすると、どんな罠がありそうですか?」
これまでにも『古竜種』の遺跡を探検したことがあるモルドの経験に期待して、僕は仕掛けられている可能性が高い罠の予想を尋ねてみた。
モルドは困ったように後頭部を掻くと、こちらを振り返って答える。
「う〜ん、経験って言っても、『古竜種』の遺跡を探検したのは、ここ入れて4度目なんだけど。
……そうだな、やっぱり前か後ろから何かが来るっていうのが、一番可能性が高いんじゃないかな。
前にも同じように細長い通路で罠にはまったことがあるんだけど、その時は前から丸い大岩が転がってきたよ。
あの時の通路は坂道になってたけど――」
言葉を切って、モルドは通路へと明かりを向ける。
「とりあえず、ここは坂道にはなってないみたいだから、そういう転がってくる系の罠はないだろうな〜。
う〜ん……そうなると、前か後ろから何かが飛んでくるとか、かな?
矢とか槍とか、あとはでかい杭とか」
「また水攻め、なんてこともあるかもしれませんね」
「……なるほど、それもあり得るな」
僕の発言に納得顔でうなずくモルド。
「どっちにしろ、ここで話してても進まないな。
とにかく先に進もう。
俺が前を警戒するから、君は後ろに注意してくれ」
「分かりました」
結局どんな罠が仕掛けられているのかの答えは出ず、すべきことも先程とまるで変わらないが、先に進まないことには話にならないことはたしかだ。
これまで以上に警戒しながら進むのが、今の状況では1番の正解だろう。
僕達は、お互いが動くのに邪魔にならない程度の間隔を空けながら、前方の細く長い通路へと足を踏み入れた。
先を行くモルドの足取りはゆっくりで、一歩進んでは周囲を確認し、また一歩進んでは、という感じだ。
これまでの通路の時とは比べ物にならないその挙動から、モルドが罠に対して非常に過敏になっていることがうかがえる。
それに倣い、僕も後方からの異変に備えて神経を尖らせながら、モルドのあとを付かず離れずに歩く。
重苦しい沈黙と緊張の中、細く圧迫感のある通路をどれくらい進んだ頃だろうか。
モルドがゆっくりとした足取りはそのままに、後ろを振り向かずに口を開いた。
「たぶん、ここら辺で半分くらいだ」
その言葉が通路の距離のことだと察し、僕はモルドが見ていないにも関わらず、うなずいて応えた。
「罠はなさそう……ですね」
僕が若干気を緩めて言うと、
「まだ気を緩めるなよ。
あと半分も残ってる」
モルドは少し強い語気でもって、僕の発言を戒めた。
そして、ほんの数歩進み、僕達は2人同時に異変に気付いた。
動きが同調したかのように、僕達は寸分違わぬタイミングで異変の起きた場所、天井を振り仰いだ。
天井、というよりも、その左右の壁にむしていた星夜苔が、パラパラと音もなく、少量ずつ落ちてきている。
それを見た瞬間、僕の脳裏につい30分強前の記憶が甦った。
「釣り天井です!」
僕は叫んだ。
「走れ!!」
そう叫んだモルドは、言うが早いか、すでに前方に向かって走り出している。
僕も言われるまでもなく、モルドのすぐあとを走り出していた。
どこでスイッチを入れてしまったのか、罠が作動してしまった。
もはや罠を探す為に慎重に進む余裕など微塵もなく、僕達は全力で通路を走り抜けなければならない。
明かりの関係で視認できる範囲が広くないとはいえ、視界の前方上部の天井も下がってきていることから、おそらくは通路全体の天井が降りてきているのだろう。
先程の釣り天井と違って針などは出ていないが、逃げ場のないこの通路で天井全体が降りてくるというのは、それを補って余りある脅威であり、圧迫感だ。
しかも、通路はまだ半分は残っている。
距離にすれば100m以上はゆうにあるだろう。
(間に合うか……!)
僕は、走りながら前方の天井を見上げる。
通路の床から天井までの高さは3mはあったが、今はもうそれ程はないだろう。
天井が元の高さの半分以下まで降りてきてしまえば、身を屈めなければ走ることもままならなくなってしまう。
最悪でも床から1m程度の高さがなければ、走る速度は著しく減速することになるだろう。
それまでに、何とか通路を突破しなければならない。
全力で走る僕達に、会話をする余裕などなかった。
天井に押しつぶされぬよう、いち早くこの通路から抜け出す為に、息を切らせながら、ひたすらに腕を振り、足を前に進める。
心臓が破裂しそうなほど早鐘を打っているのは、肉体的な負担のみならず、天井が押し迫ってくる視覚的・心理的圧迫感もあってのことだろう。
1秒毎にリミットが近付き、肉体・精神の双方が確実にすり減らされていく。
そして、肺の中の空気を激しく入れ替えながら全力疾走すること数秒。
体感的にはそれ以上に感じたが、実際にはその程度だったに違いない。
僕達の持つ決して明るいとは言えない明かりに照らされて、前方に開けた場所、そして下りの階段らしき暗い穴が見えてきた。
距離にして20m。
天井はすでに僕の頭上10cm程にまで押し迫っており、前を走るモルドの頭から伸びた2本の角などは、もう天井に触れるか触れないかというところだ。
角が天井に擦りでもしたか、モルドが頭を屈め、僕の身長よりも低い位置に体勢を下げる。
残りは15m。
天井の降りる速度が増しているような気がする。
頭の羽毛に、天井が触れるわずかな感覚。
僕も身を屈めざるを得ない。
残り10m。
気のせいではなく、天井の降りる速度は確実に早くなっていた。
身を屈めたはずなのに、もう天井を頭の羽毛が擦る。
残りわずか5m。
ほとんど中腰の体勢で、もはや走ると呼ぶには滑稽な姿で僕達は走った。
走る動作と、身を屈める動作を連動させなければ、動くことさえ難しい。
そして、
「跳べ!」
出口まであと1mと少しの所で、モルドが叫んだ。
同時に、中腰以下の体勢で走っていたモルドが力強く床を蹴り、前方の出口に向かって転がるように跳んだ。
一瞬遅れ、僕もモルドの叫びの意図に気付き、床を蹴る。
が、
「っ!!」
天井が思っていた以上に低い位置にまで下がってきており、背中の両翼を天井にしたたかに打ち付けてしまった。
幸い、何とか出口に到達し、押し潰される事態は避けられたものの、当たり所が悪かったのか、翼の付け根が酷く傷んだ。
痛みに顔をしかめていると、ややあって、天井が床に到達する鈍く重い音が、小部屋となった階段前の空間に響いた。
後ろを見れば、通路は降りてきた天井によって完全に塞がってしまった。
「はぁ……はぁ……何とか間に……合った……」
息も絶え絶えという様子で、モルドが安堵の息をつく。
「でも……帰り道が……」
同じく息を切らせながら、僕が塞がった通路を見て言うと、モルドは軽く手を振って、
「大丈夫、大丈夫。
『古竜種』の宝物殿の最深部には、入り口に戻れる装置があるはずだから。
壊れてる可能性もあるけど、これまでの遺跡は全部普通に使えたから、たぶんここのも大丈夫だと思うよ。
それに、『転移』の封魔晶も用意してきてるしね。
それよりも、今は先に進もう。
地下3階はたしか……」
すっかり息の整ったモルドは、言葉を切って地図に目を落とす。
「……この階段を下りたらすぐの所に小部屋があるな。
そこからはいくつかの部屋と通路を通って……まぁ、通路は迷路みたいに枝分かれしてるけど、ここの階程じゃないし、地下4階に下りる階段は1つだけだ。
地図もあるから一本道っていえば一本道だな」
「罠にさえ気を付ければいいってことですね」
僕も息が整い、モルドの手にした地図を覗き込みながら言う。
「そういうことだ。
あとは、マテリアにも、な」
ギュッとグローブを締め直して、注意を促すモルド。
そういえば、ここに来るまでに、マテリアには1度も遭遇していない。
前階でそれらしき咆哮は聞こえてきたが、それを最後に声さえも聞こえてはこなかった。
だからといって油断はできないが。
「ところで、その先の階はどうなってましたっけ?」
ふと思い立って、僕はモルドに尋ねた。
「この先って、地下4階?
それとも、その先も?」
「その先も、です」
「う〜ん、ちょっと待ってな」
唸って、モルドは地図をめくる。
「地下4階は……何だか幾何学図形みたいな感じだな。
長い通路が縦横斜めに交差してる。
部屋は小部屋がいくつかあるくらいかな。
地下5階は地下4階と同じ感じだけど、大部屋が2つあって、そのそばに4つずつ小部屋がある。
何だか、結構怪しい配置だな、この階は。
地下6階は、チェスボードを虫食いにしたような造りだ。
行き止まりがたくさんあって、小部屋もいくつかある。
地下7階は、シンプルだな。
かなり広い部屋が一部屋だけ。
でも、その部屋の中に、下に向かう階段が何十個もある。
地下8階は小部屋がたくさんあって、1本だけ長い通路があるな。
たぶん、地下7階の階段の外れを下りると小部屋に行きついて、当たりが通路に行きつくんだと思う。
で、長い通路の先には大きめの部屋が1つあるだけ。
ここが遺跡の最深部だと思う。
まぁ、こんな感じかな」
「……だいぶ先は長いですね」
モルドの説明を受けて、呆気にとられたように息を吐く僕。
そして、モルドが苦笑いしながら差し出してきた地図を受け取り、眺め、僕は再び息を吐いた。
聞くと見るのとでは大違いとはまさにこのことだ。
モルドの説明では、長さを感じこそすれ、複雑さはあまり感じなかったが、実際に地図を目にすると各階の複雑さには頭を抱えるものがあった。
最終階の地下8階は除くとして、それ以外で唯一シンプルな造りの地下7階でさえ、描かれた階段の印の多さには閉口させられる。
地図がなかったらどうなっていたことか。
地図を持っている今でさえ、隅々まで探索しようと思ったら、とても1日でできる広さではない。
それどころか、最深部の地下8階まで行けるかも怪しい。
僕達2人だけで行くならまだしも、罠によって散ってしまった4人と合流しなければならないのだから。
こうなってくると、地図を持っていないジーク達のことが心配になってくる。
「ジーク達、地図がなくて大丈夫でしょうか」
地図に目を落としながら何気なく言うと、
「う〜ん、たしかに複雑だから心配だけど、今の俺達にはどうしようもないからなぁ……」
と、モルドは唸りながら頭を掻いた。
「できることっていえば、地下8階まで降りること、だな。
ハーゲンとルータスは、宝物殿の最深部には転移装置があることを知ってるからそこに向かうだろうし、ほかの2人にしたって、そこか地上のどっちかを目指すだろうしね」
「途中で4人を見つけるに越したことはないと思いますけど……」
「そうだな〜、でも、これだけ広いとなると難しいと思うけど……せめて『伝心』の魔法が使えたらよかったのになぁ……」
『伝心』とは、離れた相手と心の中で会話――念話という――をすることができる魔法だ。
これは僕も行使することができない。
シーザーはもちろん、ジークもだ。
「ハーゲンとルータスは使えないんですか?」
尋ねると、モルドはうなずき、
「ルータスは俺と同じで全然魔法を使えないし、ハーゲンは使えるけど、『伝心』は使えなかったはずだ。
『伝心』の入った封魔晶も持ってないし…………そっちは?」
「こっちもです。
シーザーは魔法が使えませんし、僕とジークはある程度使えますけど、『伝心』は……」
首を振って言葉を濁す僕。
誰か1人でも行使できれば、相互で念話が可能なのだが。
「まぁ、ない物ねだりしても仕方がないし、先に進もう」
モルドの言葉に、僕はうなずいて応えた。
どのみち、ほかの4人を探す手立てがない以上、僕達には進むか引き返すかの二択しかない。
さらに、モルド曰く、ハーゲンとルータスは最深部である地下8階に向かって進んでいるということは確定的なので、取るべき選択は、進む一択だ。
ジークとシーザーにしても、モルドが言うように最深部か地上を目指すだろう。
最深部に進むならそれでよし、地上に戻るにしても、その途中で出会える可能性はないではなく、やはり僕達の取り得る選択は、最深部を目指すことに限られる。
選択がそれしかないとはいえ、
(無事ならいいですけど……)
やはり、僕ははぐれた4人、特にジークとシーザーの心配をせずにはいられなかった。