「1度作動した罠は、次は作動しないんでしょうか?」

前にいる、1つだけ形の違う床の石材を踏んだモルドに向かって、僕は言った。

この石材を踏んだ瞬間、天井が開き、そこから鋭い針の付いた吊り天井の罠が落ちてきた。

とっさに後ろに跳んで、僕もモルドも無傷で済んだが、反応が遅れていたら串刺しになって潰されていたところだ。

吊り天井は、驚いて目を見張った僕達の目の前で元の位置に戻っていき、開いた天井も何事もなかったかのように元通りに戻った。

そして、モルドは今、試しにもう1度罠の石材を踏んでみたというわけだ。

「ここだけなのかも。

 少なくとも、最初の落とし穴は2度目も作動したからな」

 罠の石材から足をどけてモルドが言う。

「そういえばそうですね。

 ここだけ特別ってことでしょうか?」

言いながら、僕はモルドの隣に並ぶ。

「ここが特別なのか、最初の落とし穴が特別なのか。

 何にしても、油断しない方がいい」

「ええ、気を抜かないようにしましょう」

モルドの答えにうなずいて答え、ボクは目の前の通路を封魔晶の明かりで照らす。

通路は少し先の所でT字路になっていた。

「また分かれ道か。

 今度はどっちにする?」

モルドに問われて、僕は再びサーベルを抜き、床に立てる。

手を離すとサーベルが倒れる。

「今度は左か」

「のようです」

倒れたサーベルを拾って納め、僕達は通路を進んだ。

用心深く歩を進め、通路の手前まで来ると、突然僕の頭と肩をモルドが両手で押さえ付けた。

「ッ!?」

驚いて声を上げようとしたが、それよりも早く床の上に身をかがまされる。

その頭上を、ブォンと音を立てて、何かが通り過ぎた。

ほとんど同時に、翼の先の方の羽に、わずかに何かが触れる感触。

「な、何が!?」

「悪い、俺が踏んだ」

問う僕に、同じく身をかがめたモルドがすまなそうに謝った。

モルドに助け起こされるようにその場に立ち上がると、周囲に特に異変はない。

モルドの言葉から、何か罠が作動したのだと思うのだが。

そう問うようにモルドを見ると、意図を察したモルドがT字路の左右角の壁を交互に指差した。

「両方から棍棒が飛び出してきた。

 こう、横殴りに」

言って、モルドは手ぶりで棍棒の動きを示す。

それは、T字路の突き当りの方から手前の通路に向かって棍棒を平行にフルスイングするような動きだった。

モルドは振り返り、元来た道を見る。

「ちょっといいか?」

そう告げると、モルドは元来た道を戻って行き、立ち止まった。

場所はちょうど、先程吊り天井が落ちてきた罠があった辺り。

モルドは床を見、そして天井を見て、1歩足を踏み出した。

すると、天井が開き、吊り天井が落ちてきた。

(あぶない!)

そう僕が声にするより早く、モルドはまるでそうなることが分かっていたかのように後ろに跳んだ。

吊り天井はまたも空振りし、元に戻っていく。

それを見届けると、モルドは再び罠の石材を踏む。

今度は先程同様に作動しない。

それを確認すると、モルドはこちらに戻ってきた。

「さっきは大丈夫だったのに」

モルドの肩越しに、吊り天井の落ちてきた辺りを見ながら僕が呟く。

モルドは僕の隣に並ぶと、

「チェーントラップだ」

と言った。

「チェーントラップ?」

問い掛けると、モルドはうなずき、T字路の左右角を見る。

「この棍棒の罠に掛かると後ろに吹き飛ばされる。

 吹き飛ばされる地点はちょうど吊り天井の罠がある地点。

 つまり、吹き飛ばされて倒れたところに吊り天井が落ちてくるってわけだ。

 こっちの棍棒の罠を踏んだから、後ろの吊り天井の罠が元に戻ったんだな」

「それは……物凄く危険だったんじゃあ……」

想像してゾッとしながら僕は前後の罠のある場所を見比べた。

「うん、かなり。

 罠を無事通過したと油断したところに次の罠が来る。

 仮に警戒してても、道が左右に分かれてるから、どちらに進むかを考えて警戒が薄れる。

 ……危ないよ、この遺跡は」

ポツリと呟くようにモルドが言った。

その顔には警戒の色が濃い。

そのことから、この遺跡はモルド達が想像していたよりも危険な遺跡なのだと言うことが分かる。

「少し、かがんでくれる?」

言われて、僕は素直に従い、その場にかがんだ。

モルドも僕の隣にかがむと、目の前にある罠の石材――やはり周囲の石材とは大きさが違う――に手で押した。

瞬間、頭上で、左右の壁から飛び出してきた棍棒が、何もない空間を平行に薙いだ。

再度モルドが罠の石材を押すと、同じように棍棒が薙ぐ。

三度試しても結果は同じだった。

「1度だけしか作動しない罠と何度も作動する罠があるみたいだ。

 予想だけど、1度しか作動しない罠は、何度も作動する罠が作動すると、それに連動してまた作動するようになる。

 つまり――」

「1度だけしか作動しない罠のそばには、何度も作動する罠がある可能性がある。

 そういうことですか?」

モルドの言葉を継ぐように僕が言うと、モルドは大きくうなずいた。

そして後ろを見る。

「たぶん、あの吊り天井もまた作動するようになってるはず」

モルドは再び吊り天井の罠の所に戻り、三度吊り天井の罠を作動させた。

「やっぱりな。

 一応、これで単発でこの罠は作動しないけど」

呟いて、モルドは周囲を見回し、左右の壁から適当に星夜苔をむしり取った。

そして、それを吊り天井の罠の石材のそばに置く。

「これでよし」

満足そうに言ったモルドが戻ってくる。

見れば、罠の石材に向かって、むしった星夜苔で矢印が印されていた。

同じように、モルドは棍棒の罠の石材に向かって、むしった星夜苔で矢印を印す。

「こうしておけば、仮にもう1度ここを通ったり、ほかの誰かが来たとしてもここに罠があるって分かるだろ?」

手を払いながら言ったモルドに、僕はうなずいて答えた。

印の付けられた罠の石材をまたぎ、改めてT字路の前に立つと、左に向かって封魔晶をかざした。

道はやはり暗く、先が見通せない。

一応、右も封魔晶で照らしてみるが、これも同様だった。

「行こう」

モルドが促し左の通路へと歩を進め、僕があとに続く。

罠に掛かったばかりなので、自然と足取りも慎重になった。

通路の前後上下左右を注意深く何度も見回し、周囲との違いはないか、何か怪しい物はないかと目を凝らす。

耳も、異音やマテリアの唸り声らしき音を聴き逃すまいと、澄ます。

これが地味にきつい。

ただ進むだけなら体力の消耗だけで済むが、警戒しながらの行進は精神も消耗する。

慣れていればある程度軽減される類の疲れなのだろうが、あいにくと僕は慣れていなかった。

モルドはというと、その横顔からは疲労の色はあまり見えなかった。

こういうことに慣れているのだろうか、と思ったが、集中している所に質問を投げ掛けるのもはばかられるので、僕は喉元まで出掛かった言葉を飲み込んだ。

そうして僕ばかり疲労しながら通路を進んでいくと、前方に広い空間が見えてきた。

「……部屋、だな」

先行するモルドが歩調を緩めながら呟いた。

僕にも歩調を緩めることを手で指示しながら、モルドがゆっくりと部屋と思しき空間の入口へと近付いていく。

モルドは入口付近で立ち止まると、注意深く中の様子を探った。

少しして、安全が確認できたのか、中へと足を踏み入れる。

僕も続いて中に入ると、そこは正方形の部屋になっていた。

四辺が10m強はある広めの部屋で、天井は高く、吹き抜けのようになっており、四辺の壁には、それぞれ1つずつ出入口があって、僕達が入ってきたこの出入口もその1つだった。

部屋の中央付近には、竜のオブジェが4体、それぞれ間を空けて、四辺の出入口の方向を向いて設置されている。

「……ここで待っててくれ」

言うと、モルドは懐から封魔晶を取り出し、明かりを灯して、オブジェの方に向かっていった。

言われるまま、僕は部屋の入口で待ち、モルドの動向をうかがう。

モルドはオブジェの前に辿り着くと、時間を掛けて1体1体オブジェを調べ始めた。

しばしの静寂。

モルドはオブジェを観察したり、触ったり、押したり引いたりして調べていたが、やがて何かに気付いたのか、唐突にオブジェを抱きかかえた。

「んっ!」

そうして力を込める様子で唸る。

どうやらオブジェを動かそうとしているらしい。

「手伝いましょうか?」

言いつけを守って動かずにいた僕が尋ねる。

しかしモルドは、

「いや……いい……!」

力を込めてオブジェを動かそうとしながら断ってきた。

(でも、動かすんだったら、2人でやった方が――)

僕がそう思っていると、石と石が擦れ合う音と共に、オブジェがその場で向きを変え始めた。

「よ……し……!」

なおも力を込め、モルドはオブジェの方向転換を続ける。

だが、その速度は非常に遅い。

その様子を見て、僕はいてもたってもいられなくなって、モルドからの言いつけを破って、オブジェの方へと向かっていった。

モルドはオブジェを動かすことに懸命になっているのか、僕の動きには気付いていないようだった。

僕がすぐそばまで来ると、ようやくモルドは気付いたようで、力を抜いて顔を上げる。

「手伝いますよ」

言って、僕はモルドの抱えているオブジェに手を伸ばした。

「……悪いな」

言いつけを破ったことを怒るでもなく、逆にモルドは礼を言って、再び力を入れた。

それに合わせて、僕もオブジェを動かす為に力を入れる。

かなりの重量がオブジェを抱えている上半身に、そして支点となっている下半身に掛かる。

それでも、力を掛けるのが2人になったことで、オブジェは先程よりも速く回転しだした。

息を止めて力を入れ続け、オブジェを回転させていると、ある所で急にオブジェが動かなくなった。

2人で思い切り力を込めても、もはやオブジェはビクともしない。

それを感じとって、

「よしっ」

モルドが息を吐きつつ呟いた。

どうやらこれでオブジェの方向転換は終了らしい。

オブジェは、最初の向きとは、ちょうど180度方向を変えている。

「……これで、何か?」

力仕事の後の疲れに一息つきながら、僕はモルドに尋ねる。

モルドは同じく息をつきながら、

「いやな、さっきコレを押した時に、少しだけコイツが動いたんだよ。

 それでひょっとしたらと思って、動かしてみたんだけど、どうやらビンゴみたいだな」

「ビンゴ? 動いたからですか?」

「動いたっていうか、回ったから、だな。

 もし、コレが床の上にただ置かれてる物なら、押せば押された方に水平に動くけど、コレは横に、早い話が回転しだしたんだよ。

 だから、ひょっとしたらコイツは床下で何かの装置につながってるんじゃないかと思ってね。

 実際、180度向きを変えた所で動かなくなったしな」

「床下で、何かにぶつかったってことですか?」

足元の床を見て僕が尋ねると、モルドはうなずく。

「たぶん、床下の何かの装置と噛み合ったんだと思う。

 だから、コレと同じように、他の3体のオブジェも動かしてやれば――」

言い差して、モルドは隣のオブジェを抱きかかえた。

それに倣い、僕もオブジェを抱きかかえる。

そうやって、途中途中で休息を挟みながら、僕とモルドは時間と体力を掛けて残り3体のオブジェの方向転換に懸命になった。

やがて、最後の1体の方向転換が終わると、モルドの予想通り、異変が起きた。

僕とモルドは慌ててオブジェから離れ、異変の様子をうかがう。

場所は、4体の竜のオブジェ達の視線がぶつかり合った所の真下の床。

床は軋みを上げて左右に50cm程開き、開いた穴の底から円筒形の台座が、重い音と共にせり上がってきた。

台座の上には、陶器のような白い材質の小箱が載っていた。

一瞬、宝箱かとも思ったが、それにしては小箱の作りは質素なものだった。

錠はもちろん、鍵穴すらなく、ただ留め金で留められているだけだ。

「残念ながら、宝じゃないみたいだな」

同じことを思ったのか、モルドは苦笑いを浮かべて言いながら、小箱に近寄り、手を掛けた。

留め金を跳ね上げ、蓋を開く。

僕もそばによって小箱の中身を覗き込んだ。

中には、プラスチックに似た材質の下敷きのような物が数枚入っていた。

下敷きのような物には図のようなものが描かれている。

モルドはそれを手に取ると、ためつすがめつ眺め、

「……地図……かな」

ポツリと呟いた。

内の1枚を取り出し、僕に差し出す。

「ほら、ここ。

 この四角い所が今いる部屋で、こっちが落とし穴のあった分かれ道。

 俺等は、ここをこう曲がって――」

描かれた図に指を走らせながら、モルドが説明する。

その説明通り、たしかにこれは地図のようだった。

通ってきた通路も描かれている通りのものだったし、この部屋の形状も同じものが描かれている。

「うん、間違いない。

 これはこの宝物殿の地図だ」

「じゃあ、これで探険がずいぶん楽になりますね」

「うん、造りが分かるのと分からないのとじゃ、だいぶ勝手が違うからな。

 他にも何か書いてあるな……」

言って、地図をめくりながら、それぞれに目を走らせるモルド。

地図の枚数は8枚。

1枚につき、1階分の情報が載っているようだ。

ちなみに、今いるこの階が、地図のうえでは地下1階ということらしい。

「……宝の場所、かな、これは。

 ちょうどこの位置にも印が付いてるし。

 あとは、各階のつながりか。

 残念だけど、罠の場所までは書いてないみたいだ」

「さすがにそこまでサービスはしてくれませんか」

「だな。 まぁ、罠の場所まで書かれてたら、宝なんて持っていき放題だしな」

「それもそうですね」

「この地図は、俺が持っておくよ」

「はい」

モルドの提案に、僕は素直に従った。

明らかに僕よりもモルドの方が、こういったことに慣れている様子だったので、その方が何かと都合がいいだろう。

「それで、下に降りるには、どの方向に――」

僕が言い掛けたその時、

ゴォウアアアアアアアアア……

僕達が入ってきた通路の方から、咆哮とも取れる唸りが響いてきた。

「何だ!?」

モルドが警戒するように短く叫ぶ。

僕も反射的にサーベルの柄に手を掛け、通路の方を向いて身構えた。

いつでも行動に移れるように体勢を整えたまま、通路の先を睨むことしばし。

しかし、異変は何も起きず、通路には咆哮の残響が残るのみだった。

「とりあえずは大丈夫そうだけど、移動した方がいいな」

後ろでモルドが呟くように言い、それをきっかけに僕はサーベルから手を離し、振り返った。

モルドは地図と、部屋の四辺にある通路のうちの前方にある2つの通路を見比べていた。

「……この先、左右の通路の先に下りる階段が1ヶ所ずつあるな。

 右も左も地下2階に着いて、地下2階は分断されたまま左右2つのルートに分かれるみたいだ。

 で、地下3階も同じように分断されていて、地下4階に下りた所で合流、と。

 どっちのルートで行っても、行き止まりじゃないけど、だいぶ造りが違うな」

言って、モルドは僕に地図を差し出した。

受け取って見ると、たしかに地下2階と地下3階は左右2ルートに分断されていて、構造がだいぶ違った。

地下2階は、左ルートは部屋が3つ連なっており、その先がかなり複雑な迷路、そして長い1本の通路という造りで、右ルートは前半は大きな部屋が1つあるだけで、後半は小さな部屋がいくつも連なっている造りになっていた。

地下3階の左ルートは、迷路状の通路の合間に部屋がいくつかある造りで、右ルートは格子状につながった通路のあちこちに部屋が複数ある造りになっている。

地図から顔を上げると、モルドが『どちらに進む?』と尋ねているような目で僕を見ていた。

地図を見る限り、地下2階も地下3階も右ルートの方が簡単な造りに見えるのだが、地図がある今、左ルートの複雑な迷路も意味をなさないので、そういう点では左ルートも簡単な造りと言っても過言ではない。

どちらが罠がありそうかという点では、これはどっちもどっちだろう。

地下2階の左ルートの3つの部屋などはいかにも罠がありそうだが、それは右ルートの大部屋も同様だ。

結局のところ、左右のどちらを選んでも楽には突破できそうにないので判断に困ってしまうのだが、モルドはじっと僕の選択を待っていた。

またサーベルを倒して決めてもいいのだが、僕は今回は少し考え、

「左にしましょう」

と告げた。

前方左の通路は、ちょうど入ってきた通路の向かい側に位置している。

僕としては、あの咆哮の元から少しでも離れたかったので、入ってきた通路から最も離れた前方左の通路を選択したのだが、

「じゃあ、そうするか」

そのことに気付いたのか気付かなかったのか、モルドは理由を問うこともなく言うと、前方左の通路の方を向いた。

「行こう」

言ってモルドは、ゆっくりとそちらに向かって歩き始めた。

僕も続き、僕達は並んで前方左の通路へと入る。

通路はこれまでの通路と何ら変わりない構造で、やはり長々と伸びているようだった。

そこを、これまで同様に、モルドを先に、僕を後にして歩く。

ただし、今度は前方の警戒はモルドに任せ、僕は後方の警戒を受け持つことにした。

と言っても、モルドにそう断ったわけではなく、2人で同じ所を調べていても仕方がないという、僕の独断だった。

そう判断した理由は、どうにも先程の咆哮が気になったからだ。

(もしかしたら、後ろから何かが襲ってくるかもしれない)

先程の咆哮は、そんな考えを僕に持たせるには充分な迫力があり、同時に僕の不安を煽った。

方向的にも、声の主が現れるとしたら、後方からのはずだ。

その為の後方警戒だった。

行く先を丹念に調べながら進むモルドの後ろを、しきりに後ろを気にしながら僕が歩く。

「……この先に部屋がある」

前を行くモルドが言う。

モルドは前を向いたままだったが、僕はうなずいて答えた。

少し行くと、モルドの言葉通りに部屋が見えてきた。

そうして辿り着いた部屋は、およそ8m四方の正方形の部屋だった。

入口で立ち止まり、僕とモルドは並んで部屋の中の様子をうかがう。

特に何の変哲もない部屋。

部屋の出入口は、僕達がいる通路と、向かいにある通路の2ヶ所。

先の部屋のようにオブジェもなければ、壁にも床にも天井にも何もない。

しかし、それがかえって不自然さを醸し出していた。

「いかにも罠が仕掛けられていそうですね」

「だな。 けど、ここから見た限りは、罠はないように見えるな……」

言って、モルドは部屋の中に足を踏み入れた。

何があっても反応できるような、そんな警戒感剥き出しの1歩だったが、それに反して何も起こらなかった。

僕も続いて部屋に足を踏み入れるが、やはり何も起こらない。

「大丈夫そう……だな。

 けど、充分に注意していこう」

「はい」

モルドが注意を促し、僕はうなずき答える。

僕達はさして広くはない、それこそ普通に歩けば数秒で抜けられるような部屋の中を、そろりそろりと進んでいく。

そうして警戒のレベルを最大限に上げ、部屋の中央まで進んだ時、突如後方からドンッという重い地響きが聞こえてきた。

『!?』

驚いて、僕達は後ろを振り向く。

視線の先では、今、僕達が入ってきた通路が、壁と同じ材質の落とし扉で完全に塞がれていた。

「しまっ――」

モルドが叫び掛けたが、それを遮るように、今度は進行方向から、同じく重い地響きが轟く。

見れば、案の定、これから進むべき通路にも落とし扉が落ちてきていた。

「閉じ込められた!?」

さっと周囲を見回して、僕が言う。

2ヶ所の出口は完全に塞がれ、他に出口らしきものはどこにも――

「あれは!?」

出口を探し掛けた僕の動きを止めたのは、モルドのあげた声だった。

モルドは視線を天井付近の壁に向けていた。

その視線を追うと、四辺の壁の天井付近に、筒状の物体が2本ずつ突き出しているのが見えた。

部屋を入口から覗いた時にはなかった物だ。

あれは何か。

そう僕が、おそらくはモルドも分からないだろうと思われるその物体の正体を、モルドに尋ねようとする前に、当の物体のそのものによって、その正体が明らかにされた。

四辺の壁から突き出た8本筒状の物体、その先端から、勢いよく液体が吹き出したのだ。

「よけろ!」

モルドが叫び、飛び退く。

僕も、モルドの警告を聞く前に、反射的にその場を飛び退いていた。

八方から吹き出した液体は、部屋の中央上部でぶつかり、周囲に飛沫を撒き散らしながら、柱となって床に落ちる。

その飛沫が少々、跳び退く距離の足りなかった僕の顔に掛かる。

嘴に、冷たい、さらりとした感触。

鼻先に付着した液体からは、何の臭いも感じない。

同時に、わずかに口に入ってしまった液体の味は、まったくの無味。

「! これ、水です!!」

ドドドと音を立てて床に落ちる液体の正体は、水だった。

水音に負けじと、僕は水柱の向こう側にいるモルドに向かって叫んだ。

「水!? ……水責めか!!」

水音に交じって、モルドの声が部屋に響く。

水は床にみるみるうちに床に広がり、すぐにブーツの底を浸すほどにまでなった。

かなり水勢が強い。

おそらく、10分もすれば部屋は水で満たされてしまうだろう。

「どこかに水を逃がすスイッチがあるはずだ!!」

モルドが声を張る。

ハッとして周囲を見回し始めた僕に、さらにモルドが続ける。

「俺が下の方の壁と床を見るから、君は上の方の壁と床を見てくれ!!」

「分かりました!!」

叫び、僕は翼を羽ばたかせて行動に移った。

翼が濡れると重くて飛べなくなる為、放水を避けて天井に近付く。

焦る気持ちを落ち着けるように心がけ、丁寧に、かつ素早く、天井、そして上部の壁を調べていく。

しかし、かなり広い。

実際には8m四方の部屋なので、そこまで広くはないはずなのだが、その面積の半分にあたる量の天井と壁をくまなく調べるというのは、かなり骨の折れる作業だ。

しかも、制限時間がつき、そのうえ放水の音がかなりうるさく、気が散る。

それでも僕は懸命になって調べる。

だが、水を止めるスイッチのような物は、どこにも見当たらない。

付着した星夜苔を払いのけて調べもしたが、それでもそれらしきものは影も形もなかった。

下を見れば、すでに水かさは床から3m以上に達している。

モルドは泳ぎながら壁を調べている状態だ。

「あったか!?」

僕の視線に気付いて、モルドが叫んだ。

僕は首を横に大きく振り、

「ありません!!」

と、答え、モルドのそばに飛び寄った。

「こっちにもない! くそっ!」

モルドが悪態をつき、壁を叩く。

その様を見て、僕は閃いた。

「入口を壊してはどうでしょう!?

 僕、魔法力型の『旋塊』の封魔晶を持ってます!

 これならきっと入口を壊して――」

「駄目だ!」

僕の提案を、モルドは制した。

「入口を壊して脱出できても、水が止まる保証がない!

 もしずっと水が出続けたら、地下に水が流れ込む!

 そうしたら、下にいるかもしれない連中にどういう影響が出るか分からない!

 さすがに、地下が水に沈むなんてことはないだろうけど、ここで水を止められるならその方がいい!

 それに、『古竜種』の宝物殿じゃ、基本的に力づくの罠の解除方法は正しくない!

 壊すのは、本当に最後の手段だ!!」

「じゃあ、どうしたら!?」

話している間にも水かさを増している水面を見ながら、僕は焦りを隠せなかった。

モルドも同様に焦りを感じているのか、顔を険しくして唸る。

水面は、すでに部屋の半分を超えたところまで来ていた。

と、

「もしかしたら!!」

モルドが叫び、大きく息を吸い込む。

次の瞬間、モルドは勢いよく水の中に潜っていった。

「モルド!!」

僕が呼び掛けるが、水中のモルドには届かなかったようで、モルドは自身の持つ封魔晶の明かりに照らされながら、そのまま床付近まで潜っていった。

そうして、そこからさらに部屋の床の中央、ちょうど八方から吹き出した水がぶつかり、水柱となって落ちている所の真下まで行くと、何やら行動を始めた。

水面の揺らめきに遮られ、何をしているのかは分からない。

水面の上昇は衰えることなく続き、そろそろ翼を羽ばたかせるのが難しくなってきそうなところまで来ている。

(モルド……!)

焦れて、僕も水に潜ろうかと思い始めたその時、急激に水の勢いが衰えた。

「! これは!」

四辺の筒状の物体を見れば、そこから吹き出す水の勢いは、見る間に減じ、やがて完全に止まる。

そればかりか、今度は水面がどんどん下がっていった。

その様子に目を見張っていると、

「――プハッ!」

水面からモルドが顔を出し、息をついた。

「モルド!」

飛び寄り、手を差し伸べる。

しかし、モルドは手を挙げて断り、

「このままでいいよ。

 もうすぐ、水も完全に引くだろうし、どうせ濡れてるしな」

と言って、笑い掛けてきた。

「じゃあ、スイッチが見つかったんですね?」

僕が尋ねると、モルドはうなずいて答える。

「床にあった。

 ちょうど水柱の真下の所だ。

 ……なかなかえげつない罠だったな」

真下を見ながら、安堵の息をつくモルド。

なるほど、と僕は思った。

モルドはみなまで言わなかったが、おそらくこの仕掛けは、ある程度水面が上昇しなければ解除できないようになっていたのだろう。

罠の解除スイッチは水柱の真下にあるわけだが、当然水柱に邪魔をされてそこには近付けない。

もし近付こうものなら、水柱の水圧に潰されてしまうことは容易に想像できる。

となれば、先の僕達のように壁や天井を調べるのはごく自然な展開であり、しかし、解除スイッチは見つからずに焦り、結果、水柱の真下に解除スイッチがあるとは気付かず、やがて部屋は水で満たされ、ということになる。

水柱の水圧に邪魔をされないほどにまで水面が上がっても冷静でいられる精神力、そして盲点とも言える水柱の真下を調べるという機転がなければ、脱出することはできない罠だ。

「けど、助かりました。

 たぶん、僕1人じゃ、この罠は抜けられなかったと思います」

「いや、俺も偶然閃いただけだからな。

 運が良かったんだよ、たぶん」

僕の感謝の言葉に、モルドははにかむように笑って謙遜してみせた。

水面はもうかなり下がり、モルドは床に足を着くことができたようだ。

そうしてしばらく待つと、水は、部屋の四隅にいつの間にか開いていた排水溝のような所に引き込まれていき、やがてその痕跡は、床に残るわずかな分と、モルドの体を濡らす分だけになった。

同時に、出入口の落とし扉が引き上げられた。

「とりあえずはここから離れよう。

 さすがにこれだけ大規模の罠がチェーントラップに組み込まれてるとは思えないけど、念の為に注意して、な」

言いながら、水を滴らせつつモルドは言葉通りに周囲を警戒しながら向かいの通路へと進む。

「びしょびしょですね」

そのあとを追い掛けながら、濡れ鼠ならぬ、濡れ竜になったモルドを見て、僕は笑う。

「だな」

モルドも僕につられるように笑う。

部屋を抜けて通路に入ると、モルドは再度周囲を見回して罠の有無を探る。

そうして罠がないことを確認すると、安堵の息を吐き、手足を振るって水気を切った。

「……このままだと風邪引きそうだ」

「服は脱いで、絞って、体も拭いた方がいいんじゃないですか?

 タオルはないけど、来る時に僕達が着てた普段着は僕が預かってますから、それで拭けばいいですし、『熱気』の封魔晶もありますから。

 まぁ、魔法型の封魔晶なので、今の状況だと、効果はたかが知れてると思いますけど」

言って、僕はポケットから着替えの詰まった麻袋の入った移蔵石と、腰の革袋の中から『熱気』の封魔晶を取り出した。

移蔵石から麻袋を出し、さらにその中から僕の来ていた上着を取り出す。

「悪いな」

「いえ、これくらいはさせてもらわないと」

僕は上着を差し出しながら言う。

モルドはそれを手に取り、顔を拭いた。

と、顔を拭き終わると、何故か僕の方を見て、困惑したような表情を浮かべる。

「……どうしました?」

「あ、いや……」

尋ねると、モルドは言葉を濁し、ややあって、

「その、服を脱ぎたいんだけど……」

と、小さく呟いた。

「? ええ、そうした方がいいと思いますよ。

 『熱気』の封魔晶もありますから、服は絞ってから――」

「あ〜、そうじゃなくて……」

僕の言葉を遮って、モルドは困惑した表情から、次第に恥ずかしそうな表情へと、その様を変えていく。

そうして、

「……恥ずかしいから、向こう、向いててくれるか?」

本当に恥ずかしそうに、か細い声で言った。

 

「だいぶ乾いてきた」

床の上に座り、通路の壁に背をあずけていたモルドが、真横の床に視線を落として言った。

視線の先には、モルドが脱いだ下着を含む衣服が拡げられている。

その周囲を覆う程度の広さに、ぼんやりと赤い空間が球状に展開していた。

通路中にむした星夜苔の淡い緑の光の中にぼんやりと浮かぶ赤い空間は、さほど輝度がないにもかかわらず、やけに冴えた印象を受ける。

赤い空間は、モルドの手にした赤い封魔晶に封じられている『熱気』の魔法の効果だった。

赤い空間内の温度は、だいたい80°前後だろうか。

周囲の温度と比べれば格段に高い温度ではあるが、水をたっぷりと含んだ衣服は、絞ったとはいえ、それでもなかなか乾かないようだった。

かれこれ15分はこうしているのではないだろうか。

ちなみに、今は『暁光』の封魔晶の明かりは、僕の物もモルドの物も消してある。

理由は2つ。

1つは魔法力の節約の為、もう1つはモルドの羞恥心の為だった。

僕にはよく分からないのだが、どうやらモルドは人前で肌を露出することに抵抗があるらしく、モルドが濡れた衣服を脱ぐ間、僕はずっと後ろを向いてモルドを見ないようにしていた。

脱ぎ終えたモルドが『もういい』と声を掛けてくれたので振り向くと、モルドは床に膝を立てて座り込んで、体を丸くしていた。

それがやけにおかしく感じ、僕が思わず吹き出すと、モルドは憮然とした様子で、封魔晶の明かりを消すことを要求してきたのだった。

それが、自分のそんな姿を僕に見られたくない羞恥心からだということは、さすがに僕にも理解できた。

改めて、薄暗闇の中で、僕の斜向かいに、膝を抱えるようにして座っているモルドの姿を見る。

星夜苔の緑色の薄明かり程度では、輪郭や表情等は分かるものの、細部までは目を凝らして見ないと分からない。

そんな状態の中、モルドは赤い空間内の衣服が乾くのを今か今かと見つめていた。

幸いというべきか、モルドは僕が見ていることには気付いていない様子だったので、会話も途切れ、特にすることもない僕は、じっとモルドを見つめた。

星夜苔の緑の光や、『熱気』の赤い空間の光をわずかに反射する金色の肌に鱗はなく、艶やかかつ滑らかだ。

以前、同じく鱗のない竜人であるジークの肌を触った時、想像以上に滑らかな手触りだった事に驚いたことを思い出す。

そんな肌の下にある筋肉は、同年代の中でもとりわけ発達しているだろうと思われる。

鳥人や獣人と違って、羽毛も体毛もない竜人であるモルドでは、筋肉の盛り上がりが顕著に分かるので、ことさら筋肉質に見えた。

装備から見て、格闘を得意としているらしいことは分かったので、歳不相応ともいえるこの筋肉にも納得できる。

たぶん、このまま歳を重ねていけば、間違いなく見事な筋肉の持ち主になるだろうことは、想像に難くない。

と、モルドが僕の視線に気付いた。

「あまり見るなよ」

少し怒ったような含みを持ちながら、それでいて恥ずかしさが前面に出ているような声で、モルドが言う。

僕は苦笑いを浮かべ、

「いや、筋肉が凄いなと思って」

一応、褒め言葉のつもりで言う。

「……そうかな?」

モルドは呟き、自らの体を見回した。

次いで、僕の方を見る。

「……まぁ、たしかに君よりは筋肉あると思うし、ハーゲンやルータスよりかは確実にあるけど」

「ジークやシーザーよりもありますよ。

 やっぱり、毎日鍛えてるんですか?」

「うん、まぁ。

 特に意識したことはないけど、俺は格闘が得意だから、筋肉はあった方がいいかなと思ってさ」

言いながら、モルドは腕に力こぶを作って見せた。

星夜苔の薄明かりに照らされ、盛り上がった筋肉が陰影を作る。

思わず触ってみたくなるのを我慢し、僕は話を続ける。

「それだけ立派な筋肉があるなら、別に裸になることも恥ずかしくないと思うんですけど」

「…………別に、体を見られるのは、そこまで恥ずかしいわけじゃないんだけど……」

若干、声を小さくして、モルドは言葉を濁した。

「じゃあ、何でなんです?」

「何でって、そりゃ……」

尋ねると、モルドは困惑したような声で口ごもり、少し戸惑うように、

「普通、恥ずかしいだろ……その……裸だから……」

言って、視線を下に落とした。

その先は、抱えた膝の間、ちょうど股間の位置。

「…………ああ、そういうことですか」

ようやく、僕はモルドの羞恥心のわけを理解することができた。

とはいえ、竜人であるモルドは、鳥人である僕同様、見られて恥ずかしいモノは体内に収まっているので、人や獣人程の羞恥心を抱く必要はないと思うのだが。

「でも、体の中にあるから、別にそこまで恥ずかしくはないですよね?」

思ったことをそのまま尋ねると、モルドは顔をしかめた。

「そのものは中にあるけど、見た目で分かるだろ。

 君等みたいな鳥人は羽毛が生えてるから分かりにくいかもしれないけど、俺等みたいな竜人はモロにその場所が分かるから……」

「……言われてみれば」

そう言われると、たしかにジークの股間には本体の収まっている部位にスリットが1本入っていた。

僕達鳥人の場合は、モルドの言うように羽毛に覆われているので、少なくとも傍目からは見えない。

「そう、だから恥ずかしいんだよ」

少し怒り気味にモルドは言って、顔をそむけてしまった。

その様子を見て、僕は微笑ましくも感じたが、同時に申し訳なさも感じた。

気付かなかったとはいえ、少し無神経すぎたようだ。

そういえば、以前、ジークとシーザーにも、『結構キツいこと言う』とか『毒吐き過ぎ』とか言われた覚えがある。

自覚はないが、おそらく今回の場合もその類の失敗なのだろう。

(これからは少し気を付けないと)

そう思って、モルドの横顔を見る。

その横顔は、特別怒っているというわけでもなさそうだが、かといって機嫌がいいとはお世辞にも言えない雰囲気を醸していた。

そんなモルドの雰囲気と沈黙とが相まって、場の空気が気まずい。

何とか別の話題を見つけて、空気を良い方向に修正しなければ、この先の道程で色々と支障がでるかもしれない。

(何か話題は…………あ、そうだ)

考えていると、ふと話題、というより、尋ねたいことを思い出した。

それは、遺跡の地図を手に入れる前に思い付きながらも、尋ねるタイミングを逸したものだった。

「モルドはこういうことに慣れてるんですか?」

「ん? 何が?」

突然投げ掛けられた僕からの質問に、モルドは僕の方を向いて首を傾げた。

その表情は、いつものモルドの表情だった。

「こういう遺跡の探険に慣れてるのかなって思って」

「ああ〜。 まぁ、慣れてるとまではいかないけど、何度か経験してるよ」

質問を補足して尋ねると、モルドは天井を仰ぎ、少し考えているようだった。

程なくして、

「そうだな、これで6度目かな?

 その内、5度は先生と一緒だった。

 俺達だけで探険するのはこれが初めてだな。

 って言っても、今回は君達もいるけど。

 『古竜種』の遺跡はこれで4度目になる。

 4回全部、宝物殿だったな」

質問に対し、モルドは丁寧に答えてくれた。

「ハーゲンとルータスも同じですか?」

「うん。 同じだな。

 一応2人も探険の基本はマスターしてるから、俺はあんまり心配してないな。

 ……ルータスは、まぁ少し心配だけど」

言って苦笑いを浮かべるモルドに、僕はクスリと笑う。

「僕達は今回が初めてです。

 クーアが……ああ、僕達の先生がそういう所には行かなかったですから」

「こう言ったら気を悪くするかもしれないけど、君は問題ないとして、あの2人はレベルが低いからね。

 君等の先生はそれを考えて行かなかったんじゃないかな?」

「かもしれません」

モルドの言う通り、2人のレベルを考えれば、あまり危険のある所に近付かないというのは道理だろう。

実際、クーアと旅をした場所は、それほど危険のある場所ではなかった。

ということは、かなり危険な場所に初めて来たと言っても過言ではないことになる。

特に今はクーアもいないし、全員バラバラになっている。

これは思っている以上に危険な状況なのではないだろうか。

(ジークとシーザー、無事だろうか)

現状の危険度に思い至り、急に不安が襲ってきた。

それを見てとったのか、モルドが尋ねてくる。

「2人が心配か?」

「え? ええ、まぁ……」

言葉を濁し、考える。

ジークは賢い。

行動も慎重だから、そうそう罠に掛かることもないだろう。

心配なのは身体能力か。

反対にシーザーは身体能力の点では問題ないと思うが、短慮だ。

すぐに頭に血が昇るし、勢いで行動することがあるので、罠に掛からないか心配だ。

2人が一緒に行動していれば、お互いの悪い点、苦手な点を補い合えるのだろうが、

(……いや、やっぱり2人一緒でも同じかな)

すぐにシーザーに振り回されるジークの図が頭に思い浮かんで、思わず苦笑いを浮かべてしまった。

「どうした?」

怪訝そうに僕を見つめるモルドに、僕は苦笑いを重ねて返し、

「せめて2人一緒ならいいんですけどね」

と答えた。

1人でいるのと2人でいるのとでは気の持ちようがまるで違う。

かく言う僕も、モルドが一緒にいてくれて非常に気が楽で、心強い。

仮にシーザーに振り回される立場であったとしても、ジークも2人でいる方がいいだろう。

「そうだな。

 あの2人の場合、というか、シーザーは特に誰かと一緒にいた方がいいだろうな。

 君の前で言うのもなんだけど、その、彼からはルータスと同じ匂いがするからな」

「ああ、たしかにそうかもしれませんね。

 お互い反発するのも、同族嫌悪というやつかも」

僕が笑いながら答えると、モルドもつられるように笑って、場に和やかな空気が流れた。

ひとしきり笑うと、不意にモルドがため息をついて天井を見上げた。

「どうしました?」

尋ねると、モルドは、うん、と唸り、

「いや、ずいぶんと嫌みな罠が多そうな遺跡だな、と思って。

 本当に、ルータスあたりが引っ掛かってなければいいんだけどな……」

と答えた。

「ああ、たしかに」

と僕も同意し、

「シーザーも、ちょっと……というか、だいぶ心配ですね」

そう呟いて、モルド同様、緑の光を帯びた天井を見上げた。

 

 

「……あ……れ?」

オレは思わず素っ頓狂な声を上げた。

気が付くと、目の前の風景がまったく変わっていた。

石扉を開けようと取っ手に手を掛けたのだが、目の前が光ったと思ったら、石扉が目の前から消えていた。

「???」

頭が疑問符で満たされ、周囲を見回すと、周囲の風景も一変している。

後方は暗い通路、前方は二股に分かれた分かれ道。

「ここ……最初の所じゃねーのか?」

今いる場所は、落とし穴のあった最初のY字路に見える。

もしそうなら、後方には上りの階段があるはず。

封魔晶の明かりを掲げて、オレは後方に向かって走った。

通路に靴音がこだますることしばし。

「……やっぱり」

目の前に、暗く長い階段が伸びていた。

階段に足を掛けて1段上ると、全身が軽くなったように感じた。

階段から降りてみると、今度は全身に負荷が掛かる。

封印機の影響の範囲の内と外。

(間違いねぇ)

踵を返し、分かれ道まで戻る。

やはりここは落とし穴のあった最初の分かれ道だった。

(ってことは)

オレは右側の壁に貼り付くように立ち、慎重に壁に沿って進んだ。

(この辺りのどっかに落とし穴のスイッチがあるんだよな)

思い、抜き足差し足で分かれ道を壁沿いに右に向かって進む。

問題の個所と思われる所を抜け、分かれ道を右の道に入ると、オレは大きく安堵のため息をついた。

一息ついたところで、封魔晶をかざして周囲に目を配る。

(これからどうするかな?)

勢いの任せて右の道へと進んでしまったが、この先がどうなっているのかは分からない。

とりあえずは誰かと合流したいが、その誰かがどこにいるのかも、知る術がなかった。

と、ここで、

(そういや、アーサーとモルドはどうしたんだろ?

 後ろにいたけど、あいつ等落ちたのかな?

 声、聞こえてたっけ?)

記憶を辿って、落とし穴に落ちた時のことを思い出す。

前を歩いていた3人は落ちた。

落ちる最中にハーゲンの封魔晶の明かりが見えたし、ジークとルータスの悲鳴も聞こえてきていたから間違いない。

一方で、後ろを歩いていた2人がどうなったのかは分からなかった。

少なくともアーサーとモルドの悲鳴は聞いていないし、ハーゲンの封魔晶に姿が照らし出されてもいなかったと思う。

ということは、アーサーとモルドは落とし穴に落ちてはいないのかもしれない。

(ひょっとしたら……)

オレは今いる右側の通路を少しだけ先に進み、鼻に神経を集中させた。

そして、そのままスンスンと、犬のように匂いを嗅いでみる。

獣人の五感は人とほとんど変わらない。

だが、種によっては、似通った種の五感の鋭さを得ており、そういった場合は、人の五感よりも鋭い。

例えば、犬獣人であれば、犬の嗅覚の鋭さをわずかながら持っていたり、という具合に。

狐獣人であるオレは、嗅覚と聴覚には、人よりも自信があった。

その聴覚の部分を活用して、アーサーとモルドの匂いを探ってみる。

臭ってくるのはカビ臭いすえた臭いと、ほんのわずかに獣臭。

カビの臭いは大昔の遺跡にいるのだから当然として、獣臭はおそらくマテリアの臭い。

ここを通ったのか、それともこの先にいるのかは分からない。

オレは鼻に意識を集中させながら、さらに少しだけ通路を先へと進んでみる。

すると、わずかにだが、嗅ぎ慣れた匂いを感じた。

アーサーが使っているシャンプーの匂いだ。

いつも丹念に翼を洗っているので、翼に孕んだ匂いはことさら強い。

それが幸いし、わずかながらシャンプーの匂いが残っていたのだ。

(間違いねぇ!

 この先にアーサーがいる!)

アーサーが落とし穴に掛かっていないのなら、その後ろにいたモルドも掛かっていないと考えるのが自然だ。

未知の遺跡で二手に分かれるとも考えづらいし、2人は行動を共にしているに違いない。

暫定ではあるが、アーサーの所在が分かったことで、オレは沈んでいた気分が一気に高揚してくるのを感じた。

そして、その高ぶった気分のままに、オレは通路を走り始めた。

薄暗く、長い一本道。

星夜苔の量が変化する程度で、それ以外に変わり映えはない。

匂いの強さはさほど変わらないが、匂いは確実にこの先にまで続いていた。

それが、アーサーがこの先にいるのだと確信させる。

ひたすらに靴音が高らかに響く通路を走り続けていると、やがて道が左右に分かれているT字路が見えてきた。

T字路の手前で止まろうと、走る足の速度を落とした、その時。

「ッ!?」

何かが足に触れ、オレは前方に向かって転んでしまった。

何とか両手をついて、顔面から床に叩きつけられることを回避したものの、鼻先をわずかに床にぶつけてしまった。

「ッテェ〜……何だよクソッ!」

鼻先を押さえながら、悪態をつき、後ろを振り返る。

しかし、つまづくような物は何もなかった。

念入りに封魔晶で照らしてみるも、やはり何も見当たらない。

「?」

不思議に思いながらも視線を前に戻すと、ふと顎の下に奇妙な物を見つけた。

「何だこれ?」

呟きながら、上体を起こし、その奇妙な物を見つめる。

それは星夜苔で印された矢印だった。

矢印は1つ先の床の石材を指しているようだった。

さらに目を見開いて矢印の先の石材を見つめると、どうも大きさが周囲の石材とは違う。

(あっ! そうか、罠か!)

ここに至って、オレは罠の存在を思い出した。

落とし穴の分かれ道からここまでノンストップで走り通してきたが、何の罠にも掛からなかったのは幸いと言うべきか。

いまさらではあるが、もしも罠が仕掛けられていたらと思うとゾッとする。

実際、手前で転ばなければ、間違いなくオレはこの罠に掛かっていただろう。

そして、この矢印がなければ、たとえ手前で止まっていたとしても、罠に掛かっていたかもしれない。

おそらく、この星夜苔の矢印は、アーサーが印した物だろう。

(いかにもあいつが考えそうなことだもんな)

口元が緩み、ホッと息をつく。

「さて!」

掛け声を発し、その場に立ち上がる。

目の前にはT字路。

このどちらかの先にアーサーがいることは間違いないだろう。

問題はどちらに進んだかなのだが。

「……ん?」

再び鼻を利かせてアーサーの進んだ通路を探ろうとした時、ふと、背後に違和感を感じた。

それは静電気を帯びた物を直近まで近づけたような違和感だった。

(この感じは……)

振り返り、封魔晶の明かりを向ける。

『暁光』の封魔晶の白い光、そして周囲に散らばる星夜苔の緑の光に照らされ、走ってきた前方の通路の先に、何かがいるのが見て取れた。

それは人の頭ほどの大きさで、人の頭ほどの位置にぼうっと浮いていた。

「ヒッ!?」

その異様にオレは視覚的恐怖を覚え、息を呑んだ。

それは人の頭そのものだった。

目を閉じ、口も閉じたその面は、まったくの無表情。

頭髪も眉も、髭も何もなく、男のようにも女のようにも見える。

生気の感じられないそれは、無機質な彫像、というよりも死人の顔のようだった。

それはゆっくりと、人が歩くのと同程度の速度でこちらに向かって来ていた。

恐怖に麻痺した頭で半ば呆然とそれ見ていたオレは、それが目の先10m程までに近付いてきた瞬間、視覚的恐怖に勝る本能的恐怖によって弾かれたように逃げ出していた。

後方の罠の石材をまたぎ、脇目も振らずに走り出す。

(マジかよ!? デスマスクなんて聞いてねぇぞ!)

後方から迫ってくる、無機質な人の頭の正体。

それはデスマスクと呼ばれるマテリアだった。

以前クーアと旅をしている時に1度だけ遭遇したことがある。

その名の通り、死者の顔を蝋で型取りして作るというデスマスクような容貌をしたマテリアで、マテリアのランクはDで、レベルは60前後だと記憶している。

通常であればオレが戦えるようなレベルの相手ではないが、今は封印機の影響下でお互いのレベルは1になっており、レベルのうえでは互角に戦えるはずだった。

しかし、そうであってもオレは逃げの一手を選択した。

なぜならば、

(コイツ、たしか……)

クーアと旅をしている時にデスマスクと遭遇した時に教えてもらった知識がよみがえる。

クーアはあっさりと倒していたが、デスマスクには厄介な能力があると教えてくれた。

それは『邪視』と呼ばれる能力。

文字通り、視線によって相手を害する能力だ。

『邪視』には2種類ある。

1つは視線を交わすことによって相手を害する『邪眼』、もう1つは目から発せられる可視魔力によって相手を害する『魔眼』。

基本的に、前者は範囲は広いが効果が弱く、後者は範囲は狭いが効果が強い。

デスマスクの『邪視』は後者で、その『魔眼』には、浴びた者を即死させるという非常に強い効果があるという。

デスマスクは『邪視』以外に特筆すべき点はないが、『邪視』の効果1つだけでも、Dランクのマテリアの中でも、トップクラスに危険で、警戒すべきマテリアだということは間違いない。

せめて2人以上いるのであれば、協力して『魔眼』をかわしつつ戦うことも考えられるが、オレ1人のこの状況では逃げる方が賢明だ。

少なくとも、オレの本能はそう判断した。

通路を走りながら、『魔眼』が来ることを恐れて後ろを振り返ると、デスマスクは付かず離れずの距離を浮遊しながら追い掛けてきていた。

面のような無表情なその顔からは、『魔眼』を発するのかどうかは読み取れない。

逃げている通路は長く続き、脇道もなく、したがって身を隠す場所もない。

また、この状況では罠を発見しながら移動することなどとてもできない。

(くそっ!)

行く先の罠に掛かるかもしれない恐怖、後ろから『魔眼』を受けるかもしれない恐怖に挟まれ、焦燥感に煽られて心の中で吐き捨てる。

先の見えない展開にさらに焦燥感が募っていると、通路の先にわずかに分かれ道のような、左右に壁のない所が見えた。

走っている為に程なくそこに辿り着くと、予想通りそこはT字路になっていた。

左右の道がどうなっているのかを確認する時間もなく、オレは咄嗟に右の通路へと、跳ぶように入る。

そのまま右の通路を数m走って後ろを振り返ると、デスマスクもこちらの通路に入ってくるところだった。

(やっぱダメかよ!)

悪態をつきながら、少し走ると、道が徐々に上り坂になり始めた。

そしてそこからさらに少し進むと、再び道が、今度はY字路になって分かれていた。

さっと確認するに、右は上り坂に、左は下り坂になっているようだ。

オレは今度は咄嗟に左の下り坂に向かった。

下り坂に入って、やはり少し進んでから後ろを振り返ると、デスマスクもこちらに向かってくる。

(逃げ切れねぇ……!)

おそらく、この先に同じような分かれ道があったとしても、相手からオレが見えてしまうこの距離では同じ展開になるだけだろう。

そう思いながらも先に進むことしかできないので、走り続けると、またも道が左右Y字に分かれていた。

右は下り、左は上り。

(左――!)

左に入ろう、そう思った時、ふとある考えが頭に浮かんだ。

思い通り、左の上り坂に飛び込むと、分岐点から数mの場所で立ち止まり、後方から来るであろうデスマスクを待ちかまえた。

息を整える間もないまま、封魔晶の明かりに照らされ、分岐点をこちら側にデスマスクが曲がってきた。

その瞬間、オレはデスマスクに向かって駆け出した。

戦う為ではなく、逃げる為に。

デスマスクは地上から1・5m程の高さに浮遊している。

オレは、デスマスクの下を身を屈めてくぐり抜けようと試みた。

すれ違う刹那、目の前に肉薄したデスマスクの表情は、まさに彫像のように無機質で、改めて不気味さと恐ろしさを感じる。

警戒していた『魔眼』が発動することもなく、オレはデスマスクの下にもぐり込むことができた。

頭頂部にマテリアに近付いた時に感じる静電気のような違和感を感じつつ、そのままデスマスクの後ろに回り込む成功。

デスマスクがこちらを振り返るより早く、オレは振り向きざま、手にしていたダガーの柄頭でデスマスクの後頭部を強打した。

手に、硬い石を打った時のような衝撃が伝わる。

デスマスクが衝撃で前方に吹き飛ぶのを視界の端で確認し、オレは分岐点を左、つまりは最初に向かってきた方から見て右側の、下り坂の通路へと駆け込んだ。

それに際し、封魔晶の明かりを消す。

これで少なくとも視覚的にはオレを感知することが難しくなったはずだ。

もっとも、デスマスクの目は閉じられていたので、奴が視覚を頼りにオレを追ってきていたのかは分からないが、少なくとも自分にとっての気休めくらいにはなる。

強い光源がなくなったので、一時的に視界がかなりの暗闇に閉ざされてしまったが、今は視力の順応を待っている暇はない。

ほんのわずかに感じられる星夜苔の緑色の光を頼りに通路を走り続ける。

視力が若干順応してきた頃、またY字の分かれ道に当たった。

右が上りで左が下りのようだ。

(右!)

瞬時に判断し、右の坂道を駆け上る。

そうして進んだ先にもY字の分岐点。

オレは分岐点の前で立ち止まり、チラリと後ろを見やるが、デスマスクの姿は見えなかった。

すぐさま下り坂になっている左の通路を選択し、通路に入ってすぐの場所で床に伏せた。

坂道になっている床から顔を覗かせる形で、走ってきた通路の方に目を向け、デスマスクが来るか来ないかを監視する。

その間に乱れた呼吸を整えることを忘れない。

(来るか?)

走って息が切れたせいか、それともデスマスクの脅威にさらされているせいか、心拍数が高まり、耳元で心音がうるさい。

できるかぎり静かに息を整え、充分に息が整ったところで考える。

(逃げ切れるかな……?

 けど、今ここがどこか分かんねぇし、このまま逃げ続けられるのか?)

浮かんだ疑問に、この逃走の結果を思い描く。

おそらく、可能。

それどころか、このまま元来た道を戻り――どこをどう通ってきたか忘れてしまったが――、デスマスクと遭遇した分岐点まで辿り付ければ、巻くことができるだろう。

(だいたい……)

オレは鼻を小さく鳴らし、匂いを嗅ぐ。

アーサーの匂いはまったくしない。

(たぶん、こっちは間違いだ。

 アイツと遭った分かれ道で、アーサーは逆に行ったんだ。

 だから、会う為には、いったん戻らねぇと)

自分が逃げてきた道が間違いであると判断し、オレはアーサーと再開する為、このままデスマスクをやり過ごし、デスマスクと遭遇した分岐点まで戻ることを決めた。

幸い、これだけ監視をしていても、デスマスクは一向に姿を見せない。

そのままどこか別の通路に行ってしまったのだろう。

安堵の息をつき、体の緊張をほぐすと、オレはその場に立ち上がった。

(とりあえず、このまま明かりは点けねぇ方がいいよな。

 また見つかったら――)

思ったその瞬間、後方からと思われる赤い光が視界に入ってきた。

「――!?」

ほとんど反射的に再びその場に伏せると、ちょうどオレの頭があった辺りを、二筋の赤光がオォォという、低いうめき声のような音を立てて通り過ぎていった。

(まさか!?)

その場に伏したまま、封魔晶の明かりを灯しつつ、頭だけで振り返ると、下り坂の先5m程の所にデスマスクの姿が浮かんでいた。

その表情は先程までの無表情ではない。

まるで苦悶にのたうっているかのように眉間にしわを寄せ、閉じられていた目が開いていた。

目はがらんどうのように黒く、それがことさら見た目の恐ろしさを助長していた。

「何で!?」

思わず叫び、オレはすぐさま立ち上がる。

すると、デスマスクの黒いがらんどうの双眸に赤光が宿り始めた。

(『魔眼』!)

オレは赤光の正体を感じ取り、それから逃れる為に振り返りざまに駆け出した。

分岐点を左に向かって駆けると、すぐ背後を再び赤光が二筋、貫いた。

(くっそ! 先回りしやがったのか!?)

心の中で舌打ちをし、再びオレは逃げの一手に打って出た。

逃げながら後方を振り返ると、双眸に赤光を宿したデスマスクが追い掛けてくるのが見えた。

(逃げ切れねぇ!)

デスマスクの双眸の赤光が一際輝くと同時に、オレは走る軌道を横にずらす。

すぐ脇を、おぞましい音と共に赤光が走り抜け、前方の壁に音もなく激突した。

攻撃が外れたこと察知し、デスマスクはすぐさま双眸に赤光を宿し始める。

(……『魔眼』、かわせるな……)

目の前に現れた新たな分岐点を、もはやどちらに進むかなど考えもせず、感覚のままに選んで駆けながら、オレは自分でも意外なほど冷静に思っていた。

再度デスマスクが『魔眼』で攻撃を仕掛けてくるが、赤光が強く輝くと共に体を横にずらすと、思いのほかあっさりとかわせた。

(いける……か?)

もしかしたら、逃げの一手を打つ必要はないのかもしれない。

同レベルという今の状況下であれば、オレはデスマスクに勝てるのかもしれない。

そんな考えが頭をよぎる。

そこへ再び、かつてクーアがデスマスクを倒した時に言っていた言葉がよみがえってきた。

『デスマスクの最大の脅威は『邪視』の1種、『魔眼』だな。

 デスマスクの『魔眼』には即死の効果がある。

 魔力に対しての抵抗が低い者は、食らえば1発でアウトだ。

 同レベル帯のマテリアの中じゃ、トップクラスに注意すべきマテリアだよ。

 ただ、デスマスクの攻撃方法の中で、直接対象を攻撃するものは『魔眼』だけなんだ。

 つまり、『魔眼』さえ回避できれば、もしくは、食らっても大丈夫なくらいの魔力に対する抵抗力があれば、デスマスクはそこまでの脅威にはならないってことだな』

そのあとにも何か言っていた気がするが、思い出せたのはそこまで。

しかし、それでもオレには充分な情報だ。

注意すべきは『魔眼』のみ。

その『魔眼』も、オレの反射と速度なら、ある程度余裕を持ってかわせる。

そう思った矢先にも、オレは後ろからの『魔眼』をかわすことに成功していた。

(……勝てる!)

オレは、手にしたままのダガーを力強く握り締めた。

逃げるという後ろ向きな意思が、戦い勝つという前向きな闘志に変わっていく。

すると、まるで遺跡がオレの闘志に呼応してくれたかのように、通路の前方に部屋が現れた。

縦横10m、高さ3m程の部屋で、今の状態で戦うには申し分のない広さがある。

出入口は今入ってきた入口のみで、それ以外には部屋には何もなかった。

部屋の中は星夜苔で満たされ、封魔晶の明かりがなくても充分な明るさはあるだろう。

その部屋の中央を少し越えた辺りまで走り振り返ると、あとに続いてデスマスクが部屋に入ってきた。

暗い双眸に赤光は宿ってはいない。

デスマスクはオレと5m程の距離を取って静止した。

オレはデスマスクと向き合い、

(勝てる……勝てる……勝てる、勝てる!)

心の中で暗示を掛けるように呟き続け、デスマスクを睨み据えながら、上がった息を整え始めた。

そうして息が整うか整わないかという時、デスマスクの双眸に赤光が宿った。

オレは手にしていた封魔晶を床に向かって放った。

魔法のみが封じられた封魔晶は、オレの手を離れた為に光を失う。

それが戦闘開始の合図になった。

封魔晶が床に落ちた瞬間、デスマスクの双眸が赤く強く輝く。

直後に発せられた『魔眼』を、体を床に伏して回避すると、オレはデスマスクに向かって駆け出した。

封魔晶の明かりは消え、目もまだ薄暗闇に順応しきってはいないが、幸いにして部屋の星夜苔の量は通路のそれよりも多く、デスマスクの姿をとらえるには充分で、なおかつデスマスク自身が発する『魔眼』の赤光が目印となるので、その位置を見失う心配はなかった。

床から浮いているデスマスクの下を身をかがめて通り抜け、先程と同じように後ろに回り込む。

そして、今度はダガーの柄頭で後頭部を突くのではなく、顎に向かって刃を向け、真下からすくい上げるようにして斬り上げた。

衝突に際し、手に伝わる石のような硬い手応えとは裏腹に、元々浮いているせいか、重みは想像ほどには感じなかった。

斬り上げられたデスマスクは1m程浮き上がり、そのまま中空でこちらを振り返る。

その双眸には赤光が強く輝いている。

(やべっ!)

斬り上げで体が伸び切っていたオレは焦り、軸足に力を入れて後ろに跳んだ。

その刹那、オレのいた場所を、『魔眼』が直撃する。

咄嗟に後ろに跳んだオレは、加減も考えずに勢いよく跳んでしまった為に、そのまま後ろに倒れ込んでしまった。

すぐさま後転して体勢を整え、ひざまずいて正面を見据えると、デスマスクの次の『魔眼』が発射されようとしていた。

慌てて右に跳び、『魔眼』をかわす。

デスマスクはオレの移動方向を正面で捉えつつ、ゆっくりと降下してくる。

斬り上げた箇所を見れば、ほんの少しひび割れているようにも見えるが、星夜苔の明かりだけでは効果の程は判然としなかった。

デスマスクが元の位置まで降下すると、オレは油断なくデスマスクの周囲をゆっくりと回り、攻撃の機会をうかがう。

チャンスは『魔眼』を発射した直後。

もっとも危険だが、もっとも効果的なタイミングだ。

デスマスクは常にオレを正面がら捉えようとしているようで、オレの回転に合わせてゆっくりとその場で回転をしていた。

だが、一向に攻撃してくる様子がない。

その場に立ち止まり、睨み合うと、予想外のことが起きた。

何と、デスマスクが双眸を閉じ始めたのだ。

「?」

デスマスクの行動の意図が分からずに、困惑して眉根を寄せる。

と、デスマスクの双眸が完全に閉じ切ったかと思うと、今度は徐々に口が大きく開いていった。

「!?」

その様子に、背筋に悪寒が走った。

同時に、オレはデスマスクの正面から逃げようと、横に向かって跳び退こうとした。

しかし、その一歩手前のところで、デスマスクの新たな攻撃がオレを襲った。

「ォォォオオオオオオ!!」

開き切ったデスマスクの口、まるで底の見えない穴のような暗闇の奥から、うねるような低い声が響いてきた。

それは怒りに満ちた声のようでもあり、悲しみにくれた声のようでもあり、怨みに狂ったような声のようでもあった。

そんな聞くに耐えない、極めて不快な声が、跳び退こうとしたオレの全身を包んだ。

途端、全身から力が抜けた。

(なん……だ……これ……)

オレは力なくその場に膝をつく。

かろうじて四つん這いになる程度の力は入っているが、立ち上がることができない。

異常に重く感じる頭を動かしてデスマスクの方を見ると、何とデスマスクが双眸をゆっくりと開きつつあった。

(やべぇ!!!)

即座に『魔眼』を仕掛けてくる気だと察知したオレは、この上なく焦った。

動こうにも、片手を上げようとするだけでも辛い。

それどころか、片手を上げた拍子に、オレはバランスを崩してその場に倒れ込んでしまった。

デスマスクの双眸は、すでに半ば程まで開いてきている。

這いずり逃れようとするが、もがけばもがくほど体が上手く動かないことを実感するだけだった。

(くそっ! 動けよ!)

自分を叱咤するも、結果は変わらず。

見ればデスマスクの双眸は開き切っていた。

その双眸に、赤い光が宿り始める。

(マジかよ! こんな所で――)

死ぬ。

そう思い至る寸前、

「ゴォウアアアアアアアアア!!!」

部屋の入口、通路の先の方から、耳をつんざくほどの咆哮が轟いてきた。

それは部屋を揺るがす程の大音量で、実際に比喩ではなく、部屋全体が小刻みに揺れていた。

『!?』

オレは驚きに身をすくめた。

だが、身をすくめたのはオレだけではなかった。

見上げると、デスマスクが声を発するのをやめ、部屋の入口の方に顔を向けている。

その時、オレは体から脱力感が消えていることに気付いた。

(チャンス!)

自由を取り戻した体で、速攻でダガーを振り上げる。

伸びあがり様の一撃が、デスマスクの顎をとらえ、デスマスクを天井に叩き付けた。

それとほとんど同時に、オレは床を強く踏み叩いた。

踏み叩かれた床を起点として、床を這うように円形の衝撃波が広がる。

衝撃波は、床に生えた星夜苔を乾いた音を立てながら撒き散らして壁に達し、そのまま壁を伝い天井へ。

衝撃波に散らされた壁と天井の星夜苔が床に落ちるよりも速く、衝撃波は天井に激突したデスマスクへと到達した。

パンッとひときわ大きな乾いた音を立て、衝撃波がデスマスクを真下に叩き落とす。

すかさずオレは両手でダガーを持ち、その場で身をひねった。

「オラァ!!!」

掛け声と共に、落ちてきたデスマスクの鼻面に、遠心力を加えたダガーの一撃を見舞う。

手に伝わる、石を砕くような感触。

デスマスクは一直線に壁まで吹き飛び、壁に叩きつけられて床に落ちた。

「もう1発!!!」

叫んで、オレは地面にダガーを突き立てた。

床に突き立ったダガーが黄色い光を放つ。

一拍置いて、浮き上がろうとしているデスマスクを中心とした円周上に6本の、1m程の長さのダガーと同じ形をした黄光刃が出現。

それらが中心のデスマスクに向かって倒れ込み、ビシャッと空気の弾ける音と共に、デスマスクに斬撃を加えた。

「ハァハァ……」

肩で息をし、その場にへたり込む。

正面に捉えたデスマスクは、床に落ちたまま動かない。

その後頭部には技法『テンフォールド』の6本の黄光刃による斬撃の跡がくっきりと残っており、こちらを向いている頭頂部には、天井に叩き付けられたことによるものか、はたまた技法『フラットショック』の衝撃波によるものか、石膏が砕けたような陥没跡が見て取れた。

渾身の力を込めた2撃と、技法2種による攻撃。

(さすがにやっただろ……)

『フラットショック』によって積もった床の星夜苔の絨毯が照らす緑色の光に照らされたまま、まったく動く気配のないデスマスクを見ながら、オレは自分の攻撃に自信を持つ。

本来のレベル差であればまるで効果はなかっただろうが、同レベルである今なら話は別だ。

それはデスマスクに刻まれた傷が物が立っており、その傷を見る限り、致命傷であることは間違いない。

「やった……!」

安堵と歓喜の言葉が口を突いて出た。

そして、その言葉が引き金になったかのように、事態に異変が生じた。

「ヒィィイイイイイアアアアア!!!」

「ッ!!!」

突如、浮き上がったデスマスクが声を発したのだ。

それはもはや声というよりも、悲鳴に近かった。

先程よりも大きな悲鳴は、断末魔のようにも聞こえるほどおぞましく、再びオレの体の自由を奪った。

しかも、あろうことか、その双眸にすでに『魔眼』の赤光が宿っている。

(ヤバ――)

オレが危機を認識するよりも早く、デスマスクの『魔眼』が発射された。

「――!?」

『魔眼』が命中したのは、オレではなかった。

そこは星夜苔が根こそぎされた、ただの壁。

オレが入る方向とはまったく違う方向の壁に向かって、『魔眼』は放たれた。

次いで2発目、3発目と『魔眼』が放たれるが、そのどれも見当違いの方向へと放たれている。

デスマスクは狂ったように叫びながら空中に浮かび、その場で向きを変え続けつつ『魔眼』を乱射していたが、そのどれもがオレには命中しなかった。

暗い上に、デスマスクが動き回っているのでよくは見えないが、どうやらデスマスクはオレの居場所を把握する術を失ったようで、完全に暴走している。

とはいえ、下手な鉄砲でも数を撃てば当たるかもしれない。

いつまでもこうして悠長に床に座り込んでいるわけにはいかないのだが、

(また……くそ! 体が……!)

先程同様、デスマスクの声を受け、オレは体から力を失っていた。

何とかしなければ、いずれ『魔眼』はオレをとらえるだろう。

できるだけ身を縮めて体の面積を小さくし、打開策を思案する。

そうしている間も、デスマスクは『魔眼』を発射し続け、そのうちの何発かはオレの体のすぐそばに命中している。

とりわけ、耳のそばをかすめた1発には、心臓が縮み上がった。

(……待てよ。 耳?)

ふと、思い出す。

(試してみるか……!)

オレは死に物狂いで両手を耳に伸ばした。

『魔眼』の1発が動かした腕のそばをかすめたが、今はそれに取り合う暇はない。

やっとのことで両手が両耳に届くと、できる限りの力を込めて耳を塞いだ。

「……!」

デスマスクの悲鳴が遠のき、明らか体に力が戻ってきた。

オレの読みは当たった。

オレは、先程体に自由が戻ってきたのは、単純にデスマスクが咆哮をやめたからだと思っていた。

しかし、もしかしたら、体の自由が戻ったのは、デスマスクが咆哮をやめたせいではなく、通路の先から轟いてきた大音声の咆哮によって、デスマスクの咆哮がかき消されたせいではないだろうか。

そう思ったオレは、耳を塞ぐことで、完全とは言わないまでも、それに近い効果を得ようとしたのだが、結果は図った通りだった。

先程と違い、体の自由が完全に戻ったわけではないが、何とか立ち上がって動き回る程度の動きはできるようになっている。

オレは耳を塞ぎつつ立ち上がり、デスマスクを正面に見据えながら後ろに、デスマスクのいる壁際とは反対側の壁際まで下がる。

(今がチャンス……だけど)

暴走しているデスマスクは、ただ『魔眼』を乱射するだけで隙だらけだ。

タイミングを計れば、一気に倒すこともできるだろう。

だが、それは両手が使えれば、あるいはダガーが使えればの話だ。

今、両手は耳を塞ぐことで手一杯で、ダガーを握ることはできない。

かといって、ダガーを口で咥えて攻撃するなどという、中途半端な攻撃をするわけにもいかない。

第一、ダガーはいまだ床に突き立ったままで、今の状況では引き抜くことも難しいかもしれない。

望むのは速攻、できるならば一撃で、それが理想。

それが可能なのは、利き手を使っての技法しかない。

(…………待てよ、ほかにも手があるじゃねぇか!)

速攻・一撃の単語に、頭にダガーや技法による攻撃以外の手段が思い浮かんだ。

オレは左を向き、右脇腹をデスマスクに見せる形でその場にかがむ。

そうしておいて、右手は右耳を塞いだままで、左手だけを左耳から離した。

片耳を開放しただけでかなりの脱力感があるが、体の自由が完全に奪われるほどではない。

横目でデスマスクの『魔眼』の射線を確認しながら、左手で腰に付けた革袋の口を広げた。

『魔眼』が明後日の方向に放たれたのを確認し、広げた革袋の中身を目の動きだけで確認する。

革袋の中身は封魔晶。

白や赤等、5色の封魔晶が確認できる。

オレはそのうちの1つ、黄色の封魔晶を手に――瞬間。

「ふぉ!?」

真横に感じた赤光に、反射的に身を伏せれば、すぐ真上を『魔眼』が横切っていった。

(あっぶねぇ……!)

デスマスクへの注意を怠ったことを反省しつつ、身を起こしながら、改めて黄色の封魔晶を革袋から取り出す。

取り出した封魔晶には、『旋塊』と『両』と書かれた付箋が張り付けられていた。

『旋塊』というのは魔法の名前、『両』というのは、魔法と魔法力が両方封じられている魔法力型の封魔晶という意味だ。

『旋塊』は土属性の攻撃魔法の中では比較的低位の魔法だが、それでも同位の攻撃魔法の中では威力は高いと記憶している。

封印機の影響で力が抑えられているので、一撃必殺とは言えないだろうが、今の状態のデスマスクになら、充分な一撃となるだろう。

万一、仕留め損なったとしても、確実にデスマスクの悲鳴は途絶えるだろうから、すぐさまデスマスクとの直線上にあるダガーを引き抜いて追撃が仕掛けられる。

オレは付箋を剥がし、手にした『旋塊』の封魔晶をデスマスクに向かって掲げる。

視線の先のデスマスクは、つい今しがた的外れの方向に『魔眼』を放ったばかりだった。

(次の『魔眼』のあとに……)

タイミングを計り、目標を定める。

デスマスクの双眸が赤く光り、その面が部屋の入口付近に向く。

数秒後、デスマスクの『魔眼』が向いた方向に発射された。

(今!)

オレは狙いを定めて、かざした封魔晶に意思を込める。

オレの意思に反応し、封魔晶が黄色く輝く。

直後に、オレの身長程の大きさの回転する双円錐が現れた。

それを確認し、オレは視線を『魔眼』を発射し終えたばかりのデスマスクに向けた。

(行け!!)

心の中で強く念じる。

すると、回転する双円錐は、心の呼び掛けに答え、凄まじい速度でデスマスクに向かって撃ち出されていった。

瞬き程の間を置いて、双円錐がデスマスクをとらえた。

デスマスクは双円錐の回転に穿たれ、何の反応も見せぬまま、陶器が粉々に砕けるかのように砕け散った。

デスマスクを穿った双円錐は、勢いをそのままに背後の壁に直撃し、轟音と粉塵、星夜苔を部屋中に巻き上げた。

「ゲホッ! ゴッホッ!」

粉塵にむせ込むオレ。

デスマスクの声が消えたおかげで、体の自由が戻り、反射的に口元と鼻を手で押さえる。

しばらくして粉塵と轟音の余韻が収まったのちに『旋塊』が直撃した壁を見れば、壁には壁の1/3にも及ぶ大穴と、そこを中心として壁中に放射状に走ったヒビが見て取れた。

「……ああ、そっか」

あまりの威力の大きさに呆然と壁の穴を見ていたが、ふと授業で教わったことを思い出した。

魔法力型の封魔晶は、使用者の能力の影響を受けない。

それがたとえ封身石で能力を封じられていようとも。

(そういや、ハーゲンの奴がここの封印機は封身石と同じだって言ってたっけ)

とすれば、封魔晶の威力が減じていなかったのは道理というわけだが、そんなことはすっかり忘れていた。

何はともあれ、何とかデスマスクを倒すことには成功した。

穿たれた壁の下を見れば、壁の瓦礫と星夜苔に交じって、陶器のかけらのようなデスマスクの残骸が、わずかに確認できた。

(勝てた……)

思い、大きく息を吐く。

もっと達成感を得られるかとも思ったが、どちらかというと達成感よりも安堵感の方が強い。

追い詰めたのはたしかにオレ自身の力だが、そこへ至るまでの布石はオレ自身によるものではなかったし、とどめを刺したのはクーアの魔法が込められた封魔晶だ。

その為か、今一つ達成感が薄く、命が助かった安堵感の方が強いのかもしれない。

オレは残骸となり果てたデスマスクをしばらくの間、眺める。

粉々に砕けたデスマスクは、当然ながら動くような気配はなかった。

(ま、これで復活なんかできるわきゃねぇか。

 っていうか、されたらお手上げだけどさ)

思い、それでもデスマスクの残骸から目を離さぬまま、床に突き立ったまま塵を被ったダガーを引き抜き、これまた塵を被って床に転がっている『暁光』の封魔晶を拾って、オレは逃げるように部屋を出た。

(っていっても、元の所戻るにも、どうやってここまで来たか分かんねぇしなぁ)

封魔晶の明かりを灯し、通路を歩きながら考える。

足の向くままに進んできてしまったので、デスマスクと遭遇した元の場所への帰り道が分からない。

あの場所からなら、アーサーのあとを追えるはずなのだが。

一難去ってまた一難とはこのことだ。

幸いにして、まがりなりにもデスマスクを倒せたという事実が自信につながったのか、それまでに感じていた恐怖感は薄れつつはあった。

さらに、それが冷静さを取り戻させ、おかげで思考を練るのに充分な精神状態を保つことができた。

そんな精神状態になった為、心に余裕のできたオレの頭に気掛かりなことが浮かんだ。

(あの叫び声……)

デスマスクと戦っていた時に響いてきた咆哮。

だいぶ近い位置から発せられたもののように感じられたのだが、その発生源らしき者の姿はどこにも見当たらない。

歩くままに分岐点に到着し、そこで立ち止まる。

(たしか右から来たような……)

自信なく、そちらに向かって歩を進める。

道に迷ったことも問題だが、あの叫び声の主が近くにいるかもしれないということも問題だ。

デスマスク戦での消耗はそれほど激しいものではないが、かといって連戦というのはきつい。

そもそも、相手の素性が分からない以上、対策も立てられないし、戦うべきか逃げるべきかの判断もつけられない。

虎の子の封魔晶はまだいくつか――魔法が使えないからと、アーサーが多めに持たせてくれた――あるが、消耗品である以上、そうやすやすと使うわけにもいかない。

できることなら出遭わずに済ませたいのだが。

そうこう思っているうちに、次の分岐点に辿り着いた。

(えー……左?)

もはや自信など微塵もなく、勘を頼りに進む道を決める。

周囲を注意深く探るが、怪しげなものは確認できない。

叫び声の主のこともそうだが、罠のことも気に掛けなくてはならない。

幸いというべきか、デスマスクに追われている間は罠に掛からなかったが、今進んでいる通路が通ってきた通路と同じか分からない以上、罠にも警戒すべきだ。

自然と歩調が緩まり、注意が四方に向く。

天井にも壁にも床にも、そこかしこに星夜苔が群生して変わり映えのない景色は、ここが通ってきた通路なのか否かを判別する術になどなり得なかった。

(ま、とりあえず進むっきゃねぇな)

いったん、叫び声の主のことは棚上げし、とりあえず進むことにだけ専念する。

上手くいけば元の場所に戻れるだろうし、そうでなくても進まざるを得ないのだから。

三度の分かれ道を、今度は右に進む。

下り坂になっている通路を進んでいくと、程なくして行き止まりに辿り着いてしまった。

「あれ?」

追われていた時には行き止まりなどには辿り着かなかったので、ここは通ってきた通路ではない。

「こっちじゃねぇな……」

ため息をつき、何気なしに封魔晶をかざして行き止まりの壁を見てみる。

壁には1m程の大きさをした竜の頭部のレリーフが彫り込まれていた。

所々星夜苔が生えていたが、かなりリアルな彫り込みがなされている。

(…………ん?)

まじまじとレリーフを眺めていると、竜の両目の部分に、不自然な突起があるのが目に付いた。

「何だ?」

そろそろと両手を伸ばし、突起に触ようとしたが、寸前で手を止める。

(罠だったらやべぇよな)

思って、周囲を見回してみる。

天井、両脇の壁、床、さらには背後の坂まで。

見るだけではなく、触り、叩いても見たが、特におかしな所はなかった。

(……よし!)

罠がないと確信し、オレは両手を竜の両目に伸ばした。

そして、同時に両目の突起に触れる。

指先が突起に触れると、突起がボタンのように後ろに向かって引っ込んだ。

すると、ゴゴゴと重苦しい音を立てて、竜頭のレリーフの彫り込まれた壁が、ゆっくりと天井に引き上げられていく。

「おわっ!?」

驚いて1歩下がるオレ。

慌てて周囲を見回すが異変はない。

やがてレリーフの壁すべてが天井に消えていくと、そこにはさらに奥に続く通路が伸びていた。

(隠し通路!?)

思わぬ発見に、オレは高揚した。

現れた通路は、星夜苔のまったく生えていない通路だった。

星夜苔が生えていないということは、とりもなおさずこの通路が長年閉ざされていたことを意味する。

とするならば、

(お宝!!)

可能性に、オレはさらに高揚し、封魔晶をかかげて、現れた通路に足を踏み入れた。

これまでの通路とは違って、星夜苔の生えていない灰色の通路は封魔晶の明かりが届く範囲だけしか把握できないので、通路の先の構造が分からない。

分かることといえば、明かりの範囲内は一本道だということ、坂だった手前の通路とは違って平坦な通路であることくらいだ。

空気はより冷ややかに感じられ、カビの臭いもやや強い。

油断なく辺りを見回し、罠らしき怪しい物がないかを調べながら、ゆっくりと通路を奥へと進む。

程なくして、距離的にはさほど進んでいない所で、通路に変化が現れた。

明かりがギリギリ届く範囲、通路の奥に壁が見えた。

(また行き止まり……だけど)

奥に見えた壁、先と同じように行き止まりになっている通路の最奥まで到達すると、オレはその壁を調べ始める。

壁には、やはり竜の頭部のレリーフが彫り込まれていた。

ただし、先のレリーフの竜は口が閉じていた物であったのに対し、こちらのレリーフの竜は口が開いている。

口の中は空洞で、いかにも何かがあると予想された。

実際、口に明かりを近付けてみると、口の奥に丸いドアノッカーのような取っ手が見えた。

そろそろとレリーフの口に手を近付けてみるが、ふとある予感が頭をよぎって手を止めた。

(触った途端に口が閉じたりとかしねぇよな)

心配になり、レリーフの口周りを念入りに調べてみるが、特にどこかが動きそうだとかいう作りにはなっていないようだった。

念の為に左右の壁、上下の天井と床も調べてみるが、何かがありそうな気配はない。

「よし!」

気合いを入れ、オレは勢いよくレリーフの竜の口に手を突っ込んだ。

丸い取っ手を握り、とりあえず引いてみる。

すると、ガコンと何かが外れる音が響いた。

慌ててレリーフの口から手を引き抜き、一歩下がる。

レリーフの竜の口は閉じはしなかったが、変わりに重苦しい音を立てて、レリーフの彫られた壁がゆっくりと床に引き込まれていった。

やがて壁が床と同化すると、その奥はまたも通路になっており、さらに行き止まりになっていた。

しかし、ただの通路でも行き止まりでもなかった。

通路は奥行きは5m程で、平坦な床。

やはり星夜苔は生えていなかったが、最奥部の床から1m程高い位置に、封魔晶の明かりを受けてキラリと光る物が見えた。

オレは引かれるように光る物に近付いていく。

目を細めて光る物の正体を見た時、

「やった……!」

オレは思わず声を上げていた。

それは1m程の高さの台座の上に置かれた、小さな白い宝箱だった。

30cm程の宝箱を構成する白い素材の材質は分からないが、箱の角を補強している金属は真鍮のように思わる。

錠は掛けられておらず、鍵を差し込む穴もなく、ただ留め金で蓋が留められているだけ。

オレは手を伸ばし、その留め金をひねって外すと、蓋を開けて中を覗き込んだ。

中に入っていたのは、1枚の紙。

取り出して見ると、紙の手触りはやけに滑らかで、まるで絹のような手触りだったが、硬さは画用紙かと思うほどの硬さだった。

しかし、それだけだった。

紙は真っ白のまま、何も書かれてはいなかった。

「何だよコレ!」

思わず憤り、叫ぶ。

表を見ても裏を見ても、中央にも四隅にも何も書かれてはおらず、ただただ白いだけ。

どこをどう見ても、少し変わった材質の紙でしかなかった。

「くっそ! 隠し扉見つけたってのにコレかよ!!

 こんな紙きれ1枚、どこにだって――ん?」

頭にきて、紙を宝箱に叩き付けようと、宝箱を見た時、オレは宝箱の底に小さなボタンが付いていることに気が付いた。

「何だコレ?」

呟き、紙を叩き付けるのをやめて、宝箱の底のボタンに手を伸ばす。

そして、そのままボタンを押しこむと、

「ッ!?」

ゴトンッと音を立て、足元の床が左右に割れた。

足場を失い、当然のように落ちるオレ。

「またかよぉぉぉぉぉ!!!」

最初の落とし穴に落ちた時と同様、急勾配の坂道を滑り落ちながら、オレは腹の底から叫んでいた。

 

 

息を切らせながら、星夜苔の薄暗い明かりの中を走る。

通路を真っ直ぐに、あるいは直角に曲がり、分かれ道を勘にすら頼らずに足の進むままに選び、時折後ろを振り返りながら。

自分がどこにいるかなど分かろうはずもないので、行き先など分からない。

同じ所を行ったり来たりしているような気すらする。

それでもボクは、ただ闇雲に通路のままに走り続けた。

後方から迫ってくる脅威から逃れる為に。

長い直線の通路に出たところで、首だけを後ろに向ける。

視線の先には1体のマテリアの姿があった。

2本の長く太い角が特徴的な頭部には、赤く瞳孔のない眼が爛々と輝き、伸びた太いマズルの両端からは涎が滴って、あたりに捲き散らされていた。

身の丈は3m程で、いかにも強靭そうな肉体は筋骨隆々、それを覆う皮膚には、短い毛が密集して生えており、床を踏み叩く足元には二股に分かれた蹄がある

一糸まとわぬ姿の為、股間では体躯に比例した大きさの雄の象徴が揺れて見え、さらにその後ろではライオンの尾に似た太い尾が揺れていた。

ミノタウロス。

Cランクのマテリアで、牛獣人をそのまま巨大化したような容貌をしている。

事前に聞いていた話では、遺跡周囲のマテリアのランクはEだったはずだが、遺跡内では2段階も上のマテリアが出没している。

それはつまり、この遺跡内に、遺跡外に開いたゲートとは別のゲートが開いていることを示していた。

ともあれ、このマテリアが今、ボクを襲わんと追い掛けてくる、後方からの脅威だった。

仲間と離れ離れになり、目覚めた部屋がある階の1つ上の階を探索中に遭遇したこのマテリアとの追跡劇は、時間にしてすでに分に及んでいる。

ボクとミノタウロスとの距離は、およそ5m。

逃げ続けてからずっと、その距離は縮まりもせず、離れもせず、変わらない。

しかし、ボクが少しでも気を緩めて速度を落としてしまえば、すぐさま捕まってしまうという危険な距離だ。

(とにかく、どこかに隠れないと!)

速度的に逃げ切ることは困難だ。

そのうえ、体力的にもそろそろ限界が近い。

後ろから迫るミノタウロスの咆哮が徐々に近付いてきている気さえしてきた。

もうあまり時間がない。

長い直線はどこまでも続き、それはこの先に身を隠す場所などないだろうことを暗示させた。

(せめて武器があれば……)

心の中で悔やむが、今更どうしようもなかった。

ボク以外の誰かであれば、携えていた武器で応戦できるだろうが、ボクには武器がない。

唯一、魔法だけが取り柄だったが、それもこう息が上がってしまっていては満足に詠唱もできないので、行使は不可能だ。

この状況で頼みの綱となるはずの封魔晶も、こう全力疾走している最中では取り出すことも難しく、下手をすれば取り落としたり、最悪、取り出すことに注意がいってしまって転んでしまうことにもなりかねない。

実際、皆がバラけてしまったのは、ボクの注意力不足が原因なわけなのだから。

八方ふさがりの中、唯一ボクにできることは、ただひたすら逃げることのみ。

この危機を脱する為には、どこかに身を隠してミノタウロスをやり過ごすしかないのだが、それに適した場所がどこにも見つからない。

(……そうだ!)

命の危機に瀕し、頭が平時以上に回転したのか、この危機を乗り切る打開策が頭に浮かんだ。

しかし、それはかなり危険な、賭けともいえる策だった。

だが、

(やるしかない!)

それ以上の打開策が思いつかない以上、時間的にも体力的にも限界の今、ボクに選択権はなかった。

ボクは後ろを振り向き、ミノタウロスとの距離を目算する。

その距離は、およそ4m。

先程よりも縮まっていることは間違いない。

ミノタウロスが手を伸ばして届く距離は、だいたい2m程。

猶予はあと2m。

それを確認し、再び前方を向く。

視線の先は長い直線の通路。

星夜苔のかたどる通路の輪郭からみて、100m近くはあると思われる。

(よし……)

意を決し、ボクは後ろを振り返ると、ほんの少しだけ速度を落とした。

ほんのわずかずつ、ミノタウロスとの距離が縮まっていく。

(…………今だ!)

心の中で叫んだのは、ミノタウロスとの距離が、ミノタウロスの射程ギリギリだと思われる2m程にまで縮んだ時。

ボクはその場で急ブレーキをかけつつ、一気にその場で転進した。

ミノタウロスの方へと向かって。

「ブオオオオオオ!!!」

ミノタウロスが咆哮を上げ、両腕を振りかぶった。

刹那、ボクは身を低くする。

ミノタウロスの振り上げた両腕が、ボクの背中に拳圧を浴びせつつ、それまでボクがいた床を叩く。

鈍い音が通路に重く響いた。

すんでのところで攻撃を回避したボクは、そのまま大股に開いたミノタウロスの両足の合間へ。

そこでふたたび急ブレーキをかけ、身をかがめたまま真上を向く。

ボクの直上には、攻撃の直後で、まったく無防備なミノタウロスの体があった。

それも、男にとって最大の急所といえる場所が。

ボクは両拳を強く握り締める。

そして、そのまま、人間の子供の頭程もあろうかというミノタウロスの2つの球状の急所へと向かって、振り上げた。

両拳に柔らかく、重い感触。

直後、

「グォオオオオオオオオ!!!」

鼓膜が破れんばかりのミノタウロスの絶叫が、真上から降ってきた。

しかし、ボクは意に介さず、そのまま走り抜ける。

後方で、ズンと重い物が床に落ちる音が、ミノタウロスの絶叫に交じった。

おそらく、ミノタウロスが膝を着いたか、倒れるかしたのだろう。

しばらく走り、チラリと後ろを振り返ると、ミノタウロスは前のめりに倒れたまま、両手で股間を押さえていた。

これを好機と、ボクは全力でその場から逃げ出した。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

肩で荒く息をし、かつ、息をひそめる。

ミノタウロスの脅威から逃れる為に、闇雲に全力疾走をした結果、辿り着いたのは、まっすぐに伸びた通路にそって並んだ4つの小部屋のうちの1つだった。

通路の突き当りには、比較的大きな部屋が遠目にも確認できたが、とにかく早く身を隠し、体を休めたかったボクは、通路の右側一番手前にあるこの小部屋へと逃げ込んだ。

小部屋と言ってもちょっとした広さはある。

部屋の中央には、円柱状の台座があり、その上には1m程の竜のオブジェが鎮座して入口の方を向いていた。

その入口の横にボクは座り込み、外の通路の様子をうかがっていた。

かなりの距離を逃げてきたはずだが、だからといって逃げ切れたとは言い切れない。

経過した時間からして、そろそろダメージから回復しているはずだ。

とすれば、ミノタウロスが移動を始めている可能性は高かった。

ボクとミノタウロスの位置関係が分からない以上、うかつに動くのは危険だ。

とはいえ、ここでこのままじっとし続けるわけにもいかない。

(体力が回復するまで待って、それから移動しよう)

そう判断し、ボクはしばらくここで休息を取ることにした。

移蔵石から水筒を取り出し、中の水を口に含む。

枯れた喉に、冷たい水が染み渡り、それだけで体力が回復した気がする。

水筒をしまうと、ボクは大きく息をついた。

呼吸は平常時とほぼ変わらない程に落ち着き、心拍数もだいぶ落ち着いてきている。

疲労した足の調子も、少しはよくなってきているようだ。

軽く足首などを動かしてほぐしながら、回復を待つ。

と、

「……!?」

遺跡に満ちた静寂に、わずかに重い振動が混じるのを耳が捉えた。

落ち着いた心拍が、再び速くなる。

ズン、ズン、と、何者かが歩くような振動。

しかも、かなりの重量の者が。

(まさか……)

嫌な予感を抱きつつ、ボクは小部屋の入り口から外の通路の様子をうかがった。

ちなみに、封魔晶の明かりは目立つので消してある。

幸い、そこかしこに生した星夜苔のおかげで、ある程度の見通しはきく。

恐る恐る覗いた通路には、何者の影もない。

しかし、重苦しい振動は続き、心なしかこちらに近付いてきているような印象を受けた。

(もし、アイツだとしたら……)

ボクは通路の様子をうかがうのをやめ、腰に帯びた革袋をあさる。

革袋には5色の封魔晶が入っている。

その中から1つ、ほのかに赤く光る魔法力型の封魔晶を取り出した。

色のせいか、わずかに熱を帯びているように感じるその封魔晶を握る。

すると、握り込んだ赤い封魔晶に封じられている魔法が、無意識のうちに頭で認識できた。

封じられている魔法は『焼切』。

火属性の攻撃魔法の1つで、文字通り、炎の刃で対象を切り裂く魔法だ。

序列としては低位ではあるものの、同位の魔法の中では威力に優れている。

効果自体が違うので一概には言えないが、威力そのものは先の『旋塊』よりも上だろうと思われる。

『旋塊』の封魔晶を使ってしまった今、ボクが手にしている封魔晶の中では、この『焼切』がもっとも威力が高いことは間違いない。

つまるところ、これが今のボクの切り札だ。

当然の如く、これを封じてくれたのはクーアであるので、先の『旋塊』の件からいって、その威力は折り紙つきだ。

それこそ、発動させれば、たとえミノタウロスだろうと一撃だろう。

ただし、それは完全に命中すればの話であり、さらに言うならば、これを使ってしまえば、ボクは今後の切り札を失うことになる。

残りの封魔晶の中にも、攻撃魔法の入った魔法力型の封魔晶はあるが、それは1つだけで、威力もさほど高くはない。

それ以外は、回復と防御の封魔晶ばかりだ。

だからといって、出し惜しみをして危険を脱する機会を失うのはあまりにも愚かだ。

(もうちょっと均等に分けておけばよかったな)

今更後悔してももう遅いが、そう思わざるを得なかった。

しかし、嘆いても始まらない。

今ある道具と自分自身の能力の中で最善を尽くすしかない。

ボクは、手の中にある『焼切』の封魔晶を強く握り締め、再び外の通路の様子をうかがった。

ボクが悩んでいる間にも、振動は徐々に大きくなりつつあった。

間違いなく、振動の発生源がこちらに近付いてきている。

油断なく通路の様子をうかがうことしばし。

遂に振動の発生源が姿を現した。

ボクのいる小部屋から30mほど先にあるT字路に現れたのは、予想通りミノタウロス。

そのT字路は、ボクが逃げる時に通ってきた場所だ。

おそらくは、先程のミノタウロス。

重くゆっくりとした足取りで、周囲を探るようにしてこちらに向かってくる。

遠目で、しかも薄暗い為に、先程の打撃がどれほどのダメージを与えているのかは分からない。

しかし、歩き方からすると、すでにダメージからは回復しているようだった。

(このままやり過ごそうか……それとも……)

ミノタウロスと接触するまで、もう間がない。

そのわずかな間に、ボクは隠れたままやり過ごすべきか、それとも『焼切』の封魔晶を使って倒すべきかを考えた。

同時に、這うようにして、部屋の中央にある竜のオブジェの裏側に回る。

オブジェの陰に隠れて、遅れること数秒、ミノタウロスの足音が部屋の前で止まった。

無意識に、封魔晶を握る手に力がこもる。

オブジェの陰から入口の方を覗き見たいが、それをすればミノタウロスに居所がばれてしまうかもしれないので、そうしたい気持ちをぐっと抑えて、じっとしたまま動かずに息を殺す。

どれくらいの時間か、やがてミノタウロスの足音が、通路の奥へと向かっていくのが聞こえてきた。

ホッと胸を撫で下ろすボク。

その安堵の息に、心を決めた。

(この先もずっとこうやって怯えながら探索しないといけないなんてムリだ)

ここでミノタウロスを倒してしまえば、少なくともこのミノタウロスに襲われることはもうない。

切り札を失ってしまいはするが、少なくとも一定の安全を確保することはできる。

この先、ほかのマテリアが出現する可能性も充分に考えられるが、今は直近の安全が何より優先する。

そう判断し、ボクはオブジェの陰から頭だけを出して入口を覗き見、ミノタウロスの姿が見えないことを確認すると、そろそろと入口へと戻った。

ミノタウロスの足音は、奥へと遠のいていく。

入口から頭を出して通路の奥を見ると、先の小部屋の出入口の所でミノタウロスが立ち止まり、左右の小部屋を覗き込んでいるのが見えた。

(チャンス!)

動きを止めている今なら、外すことなく魔法を命中させられる。

グッと手に力を込め、『焼切』の封魔晶を掲げる。

と、ミノタウロスが再び動き出してしまった。

「――っ」

機を逸し、ボクは舌打ちしたくなるのをこらえた。

ミノタウロスはゆっくりと、通路をさらに奥へ、大きな部屋がある方へと進んでいく。

一発勝負の『焼切』の魔法を外すわけにはいかない。

発動させるのは、ミノタウロスが立ち止まり、完全に命中させることができる機会が訪れた時。

今はまだ、ミノタウロスが歩き、その体が上下に、左右にわずかに揺れている。

おそらく、今発動させても命中はするだろうが、万全を期したい。

先にある部屋に入ればミノタウロスは足を止めるだろうと予測し、薄闇に紛れつつあるその姿を見逃すまいと、ボクは音を立てないように小部屋から這い出、あとをつけた。

ボクが足音を殺してミノタウロスの後を追い出すと、すぐにミノタウロスは大きな部屋へと辿り着いたようだった。

すぐにでも機会が訪れるかもしれないと、ボクは慌てて後を追う。

その時、不意に奥から声が響いてきた。

<侵入者を確認、排除開始>

聞いたことのない、若い男の声だった。

スピーカーから響くようなその声が途切れると、ミノタウロスが足を踏み入れた大きな部屋の内部が発光した。

「!?」

あまりの眩しさに、思わず腕を上げて光を遮り、目を堅く閉じてしまった。

しかし、光はすぐに消え、ボクは恐る恐る目を開いた。

周囲を見回すと、特に異変はない。

体や衣服にも、何の異常も見受けられなかった。

だが、視線を通路の奥に向けると、そこにあるべきものがなかった。

(ミノタウロスが……いない!?)

ボクは慌てて奥へ向かって走った。

走った先、大きな部屋に入ったはずのミノタウロスの姿は、どこにもなかった。

大きな部屋の手前まで来ると、ボクは立ち止まり、外から部屋の中の様子をうかがう。

今までいた小部屋の倍以上はある大きな部屋で、奥の壁には『天秤の竜』のレリーフが大きく彫り込まれていた。

ほかの壁や天井、床には何もなく、ただ星夜苔がむしているだけだったが、そんな中で、一際目を引く物が1つ、部屋の中央に据えられていた。

部屋の中央には小部屋にあった物と同じ造りの、しかし大きさは倍以上はあるだろうと思われる円柱が1本立っていたのだが、目を引くのはその上の物。

(宝箱……!?)

星夜苔のわずかな明かりに照らし出されていたのは、金の縁取りがなされた銀色の箱。

大きさはボクの一抱えくらいはある。

見た目からして、それが宝箱であることは明白だった。

それも、箱の造りからすると、中身もかなりの物が入っているのではないだろうかと期待させるものがある。

『古竜種』の時代、現役の宝物殿として機能していたであろうこの遺跡。

かつて、ここを訪れた者達にとっての最大の目的であり、垂涎の的でもあったそれは、年を経た今、星夜苔の弱い緑色の光に照らされ、控えめに煌めいていた。

その煌めきに、思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう。

心拍数も、ミノタウロスに追われていた時のように早鐘を打っていた。

すぐにでも部屋の中に入り、煌めく宝箱を手にしたい。

ボクはそんな思いに駆られたが、すぐに思いとどまった。

先程起きた発光とミノタウロスの消失、そして聞こえてきた声。

3つの謎がボクの衝動を思いとどまらせた。

これらは、すべてこの部屋内で起こったことだろうと思われる。

とすれば、この謎を解かない限り、安易にこの部屋に踏み込むのは危険だ。

手掛かりは、

(ミノタウロスが部屋に入ったら声が聞こえてきて、それから部屋が光ってミノタウロスがいなくなった……)

それがすべて。

ボクはさらによく調べる為、『暁光』の封魔晶を使って、部屋の内部を照らし出した。

天井、壁、床の順に入念に調べる。

すると、星夜苔の明かり程度では分からなかったが、床に線が浅く彫り込まれていた。

明かりを持って注視しなければ分からない程のそれは、ボクが皆とはぐれて辿り着いた部屋の扉に描かれていた物と同じ、魔術を発動させる為の魔陣だった。

しかし、それがどの魔術の魔陣なのかは分からない。

魔陣の規模は部屋全体の及んでいるらしく、入口から見ただけでは、うっすらとした線がどのような魔陣を描いているのかは把握しきれなかった。

ただ、少なくとも、はぐれて辿り着いた部屋の扉にあった『悟りの門』ではないようだった。

あの部屋の扉にそれが描かれていたことと、ミノタウロスが消失したことを合わせて考え、もしかしたら、と思ったのだが、どうやらそれは誤りであったらしい。

(でも、コレが、光ったのとミノタウロスがいなくなったのに関係してるのは間違いない。

 そうすると――)

まずすべきは、魔術を発動させないことだ。

その為には、魔陣を消してしまうのが1番手っ取り早い。

それで少なくとも魔術の脅威を取り除くことができる。

ただ、言うは易し行うは難しで、これだけ大きな部屋の床一杯に描かれた魔陣を消すほどの魔法となると、なかなか難しい。

手持ちの魔法では威力が足りず、かといって切り札の『焼切』の封魔晶を使うのもためらわれる。

(ってことは、これしかないね)

ボクは腰に帯びた革袋に『焼切』の封魔晶を戻し、代わりに中をあさって封魔晶を1つ取り出した。

取り出した封魔晶は青みを帯びた冷ややかな光を放っている。

魔法力型のこの封魔晶に入っている魔法は『積雨』という。

比較的広い範囲に長時間、刺貫性のある雨を降らせるという攻撃魔法だ。

威力はさほどではないが、これならば範囲は部屋全体にわたるに違いない。

それに、威力が低くとも、石床の表面に浅く彫り込まれた魔陣を穿つ程度のことは可能なはずだ。

『積雨』の封魔晶は、失って困るほど切り札となりうる封魔晶でもないので、ここが1番の活かしどころだろう。

(ロンよりショウコだね)

思い、ボクは『積雨』の封魔晶を掲げ、意思を込める。

即座に封魔晶は青い輝きを増し、発動。

部屋の天井付近にほのかに青く光るモヤがかかり、間なしにそこからサーッという音と共に薄青い雨が降り出した。

予想通り、雨の降る範囲は部屋全体に及んでいる。

『暁光』の封魔晶を入口付近の床に近付けて様子をうかがうと、わずかながら床に凹みができていた。

さらに注視していると、雨の当たった部分の床が徐々に穿たれていくのが確認できた。

この調子なら、もうしばらくもすれば魔陣のほとんどを消すことができるだろう。

ちなみに、効果対象を床のみに絞っている為、雨は宝も星夜苔も傷付けることはない。

静かな雨音を聞きながら、雨の降る様子を観察すること数十秒。

石床は見事に穿たれ、はや魔陣はその姿を消していた。

発動してから1分程して薄青い雨がやみ、天井付近の青いもやも消えると、穿たれた石床の窪みにたまっていた薄青い水溜まりも湿り気1つ残すことなく消えていた。

(成功だ!)

ボクは予想通りの結果に、無意識に顔をほころばせる。

が、すぐに顔を引き締めた。

(ここからが本番)

目的はあくまで宝を手に入れること。

宝箱に辿り着かなければ意味がない。

とりあえず、魔術の脅威はなくなったが、他の罠が仕掛けられている可能性もある。

何より、発光とミノタウロスの消失は魔術のせいだとしても、聞こえてきた声の謎は解けてはいない。

ボクは色の失せた『積雨』の封魔晶を革袋に戻すと、入口から頭だけを部屋の中に突っ込み、上下左右を見回す。

見たところ、何の異常もない。

次いで、恐る恐る足を部屋に踏み入れた。

(…………うん、大丈夫)

すっかり穿たれた魔陣は、その効力を失い、魔術が発動することはなかった。

足裏に、『積雨』によってできた石床の凹凸を感じながら、抜き足差し足で部屋の中を進んでいく。

一歩一歩慎重に、かつ、周囲を警戒しながら、ゆっくりと宝箱を目指す。

そうして、

「やった……!」

宝箱の前に辿り着き、思わず喜びを声に出し、破顔した。

目の前の宝箱は錠はされておらず、蓋と本体の合わせの部分が3ヶ所、留め金で留められているだけの造りだった。

(あんまり大したものじゃないのかな?)

宝箱の大きさや外観の煌びやかさにそぐわぬ簡素な封のされ方に、中身もそれに沿った程度の物なのかもしれないと少々落胆しつつ、ボクは留め金に手を伸ばした。

カチリという音を3度鳴らし、宝箱の封を解く。

そして、宝箱の後部にある、蓋と本体をつなぎとめる蝶番の軋む音と共に、蓋が開き、中身がボクの前に現れた。

(紙……?)

中に入っていたのは、漫画本程の大きさをした3枚の紙。

宝箱の中に手を伸ばし、3枚とも掴み取って、目の前に持ってきて確認してみる。

滑らかな手触りの紙は、画用紙の如く硬く、内2枚は白紙、1枚には文字のようにも模様のようにも見えるものが描かれていた。

(何だろう、何か書いてある――)

紙に描かれた『何か』を読もうと、封魔晶を近くまで持っていこうとした時、突然、目の前が眩い光に包まれた。

「うわ!?」

驚きの声を上げ、腰を抜かして後ろに転ぶボク。

光が消えて顔を上げると、目の前の様子に変化が起きていた。

円柱の台座の上にあった空の宝箱がなくなり、代わりに竜のオブジェが1体、鎮座していた。

それは、小部屋にあった竜のオブジェと同じデザインで、しかし大きさは倍以上はある。

と、竜のオブジェの双眸が白く光り、その内部から声が響いてきた。

それは先程聞こえた声と同じ、若い男の声だった。

<目標の消滅を確認、損壊なし、任務継続、形態を戦闘形態から監視形態へと移行>

(な、何だ!?)

不意に起こった出来事に、ボクは驚きの声すら出せず、声を発した竜のオブジェを見上げていた。

さらに直後、

<警護対象の消失を確認、室内の損壊を確認>

竜のオブジェが言葉を続ける。

その言葉に、ボクは手にしていた3枚の紙に目を向けた。

(まさか……)

嫌な予感が胸をかすめ、ボクは尻もちをついたまま、無意識のうちに後ろへ下がる。

ボクがじりじりと後退をしている最中にも、竜のオブジェの言葉は続く。

<侵入者によるものと判断、監視範囲を室内から階層へと拡大、探索開始>

竜のオブジェの言葉が途切れる。

ボクはようやく立ち上がり、手にした3枚の紙を握り締めたまま、そろりそろりと後退を続けた。

わずかな間のあと、竜のオブジェから再度声が響く。

<階層内探索完了、生体反応9、うち生物3、準生物6>

(えっ!?)

言葉の内容に、ボクは目を見開いた。

しかし、内容を反芻するより早く、竜のオブジェが次の句を告げる。

<防衛機構10、ブレイン2、リム8、うちブレイン1体の損壊を確認、起動可能ブレイン1、リム8>

聞き慣れない言葉が流れ、しかし、そのあとの一言で、ボクはその場に凍りついた。

<生体反応1を室内に確認>

「!!!」

<室内損壊につき『世外の亜空』の発動不可、本階層内にて侵入者の排除を執行、本階設置各リムへ起動伝達>

言葉が途切れると同時に、後方からガコンという重い音が響いてきた。

<施設内戦闘につき形態を監視形態から制限戦闘形態へと移行>

それを聞くや否や、ボクは振り返り、矢のように駆け出していた。

後方で竜のオブジェの言葉が響く。

<排除開始>

再びガコンという重い音が後ろから聞こえ、それがあの竜のオブジェが動き出した音だとすぐに理解した。

ボクは、手にした3枚の紙を無理矢理丸めて封魔晶の入った革袋に突っ込みながら脇目も振らずに逃げ出した。

そして、先程ボクが隠れていた小部屋の前まで逃れると、『暁光』の封魔晶の明かりに照らし出された視界の片隅、小部屋の入口に小さな光と動く物があった。

とっさに通り過ぎた小部屋の入り口に視線を送って見れば、動く物の正体が、小部屋の中央にあった竜のオブジェだと分かった。

光は、竜のオブジェの双眸の輝きだった。

さらに、宝部屋の方にまで視線を向ければ、同じく双眸を白く光らせた、宝部屋にあった竜のオブジェが、ボクを追跡をしてくる様子が確認できた。

と同時に、残りの3つの小部屋からも竜のオブジェが出てくるところが見えた。

追ってくる竜のオブジェは全部で5体。

うち1体は宝部屋の巨大なもので、他の4体は小部屋から出てきた1m程の大きさのもの。

それらは背中に生えた翼を広げ、通路中央を編隊を組むようにして飛び迫ってくる。

その速度は、先のミノタウロスと比較すべくもなく速い。

このままいけば、このすぐ先にあるT字路に辿り着く前に追いつかれてしまうだろう。

それを感じ取った瞬間、ボクの頭に閃くものがあった。

『風、巻き連ねて渦を成し!』

ボクは我知らずのうちに、魔法を詠唱していた。

息も乱れていない為、するすると言葉が紡ぎ出せる。

『渦中の対者を切り散らせ!』

詠唱の完了と共に、魔法が発動。

行使した魔法は、風の攻撃魔法の中では低位にあたる『風巻』。

つむじ風を生み出し、内部の物を切断性の風の刃で切り裂く魔法だ。

通路の中心に、高さ3m、幅2m程の鮮やかな緑色をしたつむじ風が生まれる。

内部の対象を切り刻むつむじ風は、後方から迫ってきていた竜のオブジェ達を巻き込み、斬り裂く。

しかし、ボクが『風巻』を行使した目的は攻撃の為ではなく、竜のオブジェ達の動きを封じることだった。

果たして、その目的は成功し、小さな竜のオブジェはもちろん、大きな竜のオブジェもつむじ風に巻かれ、動きを止めている。

それを確認すると、ボクはその場で反転、立ち止まった。

そして、自分でも驚く程の滑らかな動作で、腰の革袋から『焼切』の封魔晶を取り上げ、掲げ、意思を込めた。

封魔晶が赤い輝きを放ち、魔法が発動する。

竜のオブジェ達の直下、星夜苔が生す石床が赤熱し、星夜苔を瞬時に焼失させる。

そして、瞬き程の間をあけ、轟音と共に赤い炎の刃が天井に向かって振り上げられた。

攻撃対象を指定せず、無制御状態で振り上げられた炎刃は、つむじ風に動きを絡め取られていた5体の竜のオブジェを瞬く間に飲み込み、斬り裂き、粉砕した。

かに見えた。

(かわした!?)

たしかに、1m程の大きさをした竜のオブジェ4体は、瞬時に焼き裂かれて石床の上に落ちたが、残る1体、宝部屋の竜のオブジェは、右翼と右手、右足を半ば程まで焼き裂かれこそしていたものの、まだ動いていた。

炎刃が振り上げられる刹那、その竜のオブジェだけは、つむじ風の流れに身を任せたのか、向かって右側にわずかに回避する動きを見せていた。

その為、ボクの虎の子の一撃も、不発とまではいかないが、一撃必殺とまではならなかった。

それを見てボクは驚愕してしまい、魔法への集中が乱れ、竜のオブジェの動きを絡めていたつむじ風が消えてしまった。

動きを取り戻した竜のオブジェが石床の上に下りた。

というよりも、落ちた、といった方が正しいかもしれない。

右側の体肢と翼を半ばまで失った為か、飛ぶことができず、動きも大幅に鈍っているようだった。

そう見てとり、ボクは踵を返して逃げ出した。

そしてすぐさま後ろを振り返ると、竜のオブジェが左足で跳ねるようにしてボクの追跡を再開するのが確認できた。

左翼を広げてバランスを取りながらのその動きは、明らかにミノタウロスよりも遅く、これならば逃げることもできるだろうとボクは思った。

加えて、先程の竜のオブジェの言葉からすると、別の階に移れば追われることもなくなるはずだ。

ただ、倒すとなると、少々難しいかもしれない。

武器はなく、攻撃用の封魔晶も切れた。

となると、ボク自信の魔法を使うしかないのだが、竜のオブジェは、先程の動きを封じる為に行使した『風巻』の魔法をまともに食らいながら、ほとんど傷を負っていない。

『風巻』はボクの手持ちの攻撃魔法の中では威力が高い部類に入る。

これより威力の高い魔法もあるが、そこまで著しく威力に差があるわけではない。

相性の差はあれど、『風巻』での効果の程を見た限りでは、竜のオブジェを破壊する為には、ボク自信、相当の消耗を覚悟しなければならない。

しかも、相手の攻撃を回避しながらとなれば、消耗はなおさら激しくなるだろう。

そう考えると、ここは逃げることが最善となるのだが、ボクは先程の竜のオブジェの言葉が気に掛かって仕方がなかった。

その言葉は、『生体反応9、うち生物3、準生物6』というものだ。

生体反応9ということは、この階には9体の生命体がいるということになる。

そして、そのうちの3体が生物であり、6体が準生物だという。

準生物というのは、植物や魔法生命体等に加え、マテリアを含めた生命体全般を指す言葉であり、おそらく、示された準生物6体というのはマテリアだ。

星夜苔は植物だが、数に含めるとしたら膨大すぎる数になるので、結果から見て含めていないとみていいだろう。

一方で、生物というのは、それ以外、つまり動物全般を指す言葉であり、当然ボクのような竜人等も含まれる。

それが、この階には3体いるという。

1体はもちろんボクだ。

(けど、ほかの2体は……)

幾度か通路を曲がって出た長い直線の通路をひた走り、後ろを確認して竜のオブジェの姿が見えないことを確認すると、ボクは体力の回復と考えの整理の為に走る足を止めた。

今、この遺跡にいる生物は、ボク達6人しかいないはずだ。

さすがに、遺跡の扉を開いてから竜のオブジェが探査をするまでの間に、外の森の動物がこの階まで降りてきたとは考えにくいし、偶然誰かがここを見つけて降りてきたとも考えられない。

それよりも、この階に、ほかの5人のうちの2人がいると考える方がずっと自然だ。

(……探さなきゃ!)

その2人が誰なのかは分からないが、この階に誰かがいると分かった以上、探さないわけにはいかない。

だが、そうなると障害が1つ。

ボクが視線を向けた薄暗闇の先に、黒い塊が跳ねるようにしてこちらに向かってくるのが見えた。

(あいつを何とかしなきゃ……)

ようやく息も整ってきた所で、ボクは後退して竜のオブジェとの間合いを取りながら、小走りに移動する。

仲間と合流する為には、この階に留まらなければならない。

しかし、どうやら竜のオブジェにはこの階全体を探査できる能力が備わっているようなので、この階に留まる限り、どこにいても居場所を察知され、追われ続けなければならない。

追われながら仲間を探すのはかなり骨の折れる作業だ。

当然、危険も増す。

それ以上に、仮に誰かと合流できたとしても、今度はその誰かにも危険が及んでしまうことになる。

合流後、すぐに別の階に移動できる階段があって逃げ切れる、などという、都合のいいことを期待するわけにもいかない。

そうなれば、取るべき道はただ1つ。

(ボクの不注意でバラバラになったんだから――)

これはボクなりのけじめだ。

これ以上、仲間に迷惑は掛けたくない。

(――戦うしかない!)

意志を固め、ボクは足を止めて振り返った。

竜のオブジェの移動速度は、人間の大人が歩く速度と同じか、それより少し早いくらい。

今の距離は30mは離れている。

時間にして20秒強で目の前までくる計算だ。

詠唱は充分に間に合う。

もう少し距離を取れば安全だが、そうすると今度は竜のオブジェの位置を見失いかねない。

(この距離がベスト)

そう判断し、集中が乱れない程度に後退りしながら、ボクは魔法の詠唱を始めた。

行使するのは、火・水・土の3属性の最も低位の攻撃魔法。

どの属性の魔法が最も効果的かを調べる為だ。

風を除いたのは、先程の『風巻』で効果が薄いと分かったからだ。

まずは火から。

『四元の一角、火よ、灯れ!』

詠唱の終了と共に魔法が発動する。

効果対象を絞らない無制御で行使された『赤火』の魔法は、赤々しい炎で竜のオブジェを周囲にある星夜苔ごと焼き、消える。

消えたあとには、変わらぬ速度でこちらに向かってくる竜のオブジェの姿が。

効果はなし。

次いでボクは水の攻撃魔法『青水』の詠唱を開始した。

『四元の一角、水よ、呑め!』

言葉の終わりと共に、竜のオブジェを押しつぶさんと、青く澄んだ水球が生まれた。

若干、竜のオブジェの動きが鈍るが、水球が消えると、何事もなかったかのように竜のオブジェはこちらに向かってきた。

足止め程度の効果はあるようだが、ダメージはないだろう。

最後に、土。

『四元の一角、土よ、打て!』

頭上に、子供の握り拳程の大きさの土塊が数個生まれ、一直線に竜のオブジェに向かって飛んでいく。

圧縮されて硬さを増した土塊は、ほとんど同時に竜のオブジェに命中し、粉々に砕け散る。

命中した瞬間、瞬間的にではあるが、竜のオブジェの動きが止まった。

『赤火』や『青水』よりは有効であるようだが、それでも効果的とは言い難い。

しかし、4属性の中では、土の魔法がもっとも効果が高いようだ。

というよりも、衝撃を与える攻撃が、といった方が正しいか。

その系統の攻撃魔法ならいくつか手持ちにあるが、威力が足りるかどうかは別問題だ。

複合属性の、特に爆発系統の魔法が使えれば一番いいのだが、不幸にして、ボクにはまだそれが使える程の魔力が備わってはいない。

今この状況で、ない物ねだりをしても仕方がない。

ボクが逡巡している間にも、竜のオブジェは跳ねながら距離を詰めてくる。

(迷ってても仕方ない!)

縮まった距離を離す為に、ボクは魔法の詠唱に入る。

行使する魔法は土属性の攻撃魔法『土塊』。

大きめの圧縮された土塊を1つ生み出し、撃ち出す魔法だ。

『散する黄土に我命ず! 凝集の果てに塊と成れ!』

詠唱に応じ、頭上やや前方に、子供が一抱えする程はある土塊が出現する。

今の状態では、たかが知れた硬さにしか圧縮できないが、衝撃の大きさは『黄土』と比べるべくもない。

ボクは土塊を宙に留めたままタイミングを計る。

撃ち出すのにベストなタイミングは、竜のオブジェが跳ね、瞬間的に宙に浮いた時。

その瞬間ならば回避も難しく、かつ、踏ん張りが効かないので、衝撃で後方に吹き飛ばすことができるはずだ。

それならば、『土塊』による衝撃と、吹き飛ばして床に叩き付ける衝撃を一度に浴びせられる。

(…………今だ!)

ボクの意思に呼応し、土塊が竜のオブジェに向かって襲いかかる。

狙いは完璧、タイミングも申し分ない。

ドゴッと鈍い音を響かせ、図った通り、土塊は跳ねた状態の竜のオブジェに命中して砕け、竜のオブジェはそのまま3m程後方に吹き飛んだ。

音や吹き飛んだ距離からすると、効果ありといったところか。

仰向けに倒れたままの竜のオブジェに目を向け、その動向を見守る。

少しして、竜のオブジェが立ち上がった。

命中したのは胸の辺り。

手にしている『暁光』の封魔晶をかざして、効果の程を確かめる。

(あんまり……効いてないかな)

直撃した付近がわずかに欠けているが、期待していた程の効果ではなく、こちらに向かって跳ねてくる速度や、その動きにも変化は見られなかった。

しかし、わずかとはいえ、肉眼で確認できる程度の効果があったことは事実。

このまま衝撃系統の攻撃魔法で攻撃していけば、いずれは倒すこともできるだろう。

問題は、竜のオブジェが壊れるのが先か、ボクの魔法力が尽きるのが先かだ。

一応、体力と法力をほんの少しだけ回復できる丸薬をいくつか用意してきてあるが、あくまで応急的な物でしかない。

『土塊』の効果を見ての予想では、おそらくボクの魔法力が尽きる方が早い。

(もう少し効率よくダメージを与えないと。

 せめて弱点みたいのがあれば……)

そんなことを思っている間にも竜のオブジェは距離を詰めてくる。

思案しているうちに、いつの間にか距離が縮まってしまっていた。

およそ15m先に竜のオブジェはいる。

ボクが後退しようと足を引いた時、不意に竜のオブジェの動きが止まった。

「?」

思わぬ動きの変化に、警戒しつつ様子をうかがう。

次の瞬間、竜のオブジェの口が大きく開いた。

(――まさか!)

嫌な予感が頭をかすめ、ボクは咄嗟にその場に伏せる。

そのわずかあと、竜のオブジェの開かれた口が白く発光したかと思うと、そこから白い光弾が撃ち出された。

それは耳に残る甲高い音と共に、ボクの頭上を通り過ぎ、遥か後方で着弾、爆発した。

(『ブレス』!?)

竜のオブジェが放った光弾は、ボク達竜族の特殊能力『ブレス』に近かった。

ボク自身は体の構造の関係で『ブレス』を扱うことはできないが、旅の途中で何度か見たことはある。

(竜の格好をしてるのはダテじゃないってことね)

心の中で軽口を叩きながら、ボクは急いで竜のオブジェから距離を取った。

正直なところ、軽口は緊張を緩める為の苦肉の策だ。

実際には、かなり背筋に冷たい物が流れている。

それは、後方で起きた爆発からして、『ブレス』は強烈な威力を持っているようだと理解できたからだ。

直撃すれば、手足ならば吹き飛び、頭や胴体ならば即死だろう。

攻撃力・防御力共に予想以上の力を持つ竜のオブジェに対し、こちらは決め手に欠けていた。

せめて攻撃用の封魔晶が1つでもあれば、状況は違っただろうが、

(『焼切』をかわされたのが痛かったな)

思っても詮無いことだが、そう思わずにはいられなかった。

『ブレス』を警戒しながら後退し、距離をあける。

しかし、睨んだ先の竜のオブジェは、『ブレス』を吐いた位置から微動だにしない。

(……何だ?)

動かないことを不審に思いつつ、目を凝らして見ていると、再び竜のオブジェの口が開いた。

(『ブレス』!)

身の危険を感じ、ボクは竜のオブジェに背を向けて通路を駆け出した。

白い光と甲高い音が通路に広がる。

刹那、すぐ背後で爆発音。

「うわ!?」

ボクは衝撃を背後に受け、前方に吹き飛ばされた。

「――っつ!」

体の前面を石床にしこたま打ちつけたが、今は痛がっている場合ではない。

慌てて背後を振り向けば、少し先の石床――吹き飛ばされる寸前にボクがいた辺り――が大きく砕かれていた。

その周囲には、砕かれた石床の石材が散乱している。

(冗談じゃない!)

光弾の『ブレス』は、ボクの思っていた以上の威力だった。

当たり所が良かろうが悪かろうが、当たれば間違いなく即死の威力だ。

しかも、2発目は確実に命中精度が上がっていた。

3発目はさらに上がっているだろうということは想像に難くなく、そうなれば狭く長い直線のこの通路上で避けるのは困難を極めるだろう。

急ぎ、起き上がって竜のオブジェを見れば、竜のオブジェは口を開いたまま、まるで照準を合わせるようにボクの方を見ていた。

これは間違いなく、すぐにでも3発目の『ブレス』が来る。

(どうする……どうする……!)

まるで蛇に睨まれた蛙のように動けずにいるまま、それでも何とか竜のオブジェからは目をそらさず、ボクは必死に考えを巡らせた。

どうにかして時間と距離を稼ぎ、打倒する手段を考えねばならない。

だが、相手の攻撃を回避するのも難しく、そのうえこちらの攻撃もさしたる成果を上げることは難しい。

武器もなく、技法も技術も使えず、使えるのは詠唱に時間の掛かる魔法だけ。

攻撃の為の封魔晶もなく、あるのは回復と防御の物のみ。

(……防御! そうだ!)

かわせないなら防ぐのみ。

焦りのあまり考え付くのが遅れたが、冷静になれば至極当然のことだ。

急いで腰に帯びた革袋に手を差し入れ、『防塞』の魔法の封じられた封魔晶を探り当てた。

『防塞』は序列にして低の上くらいの防御魔法だが、封じたのがクーアであるので、『ブレス』を防ぐに充分な防御力があるはずだ。

ボクがそれを取り出すと、ほぼ同時に、竜のオブジェの口に三度白い輝きが宿った。

封魔晶に封じられた『防塞』がクーアによるものだという安心感からか、ボクは慌てることなく、落ち着いて封魔晶に意思を込めた。

すると、瞬時にボクの前方に白光で作られた半透明の壁が出現した。

白光壁は通路を完全に塞ぎ、ボクと竜のオブジェの間に立ち塞がった。

直後、竜のオブジェの『ブレス』が撃ち出された。

高速でこちらに向かって飛来する光弾。

声を上げるほどの間ののち、光弾は白光壁に衝突し、爆発、消滅した。

一方で、白光壁はビクともせずに通路を塞ぎ続けている。

その輝きには、わずかな曇りもほころびもない。

予想通りの強度に安堵し、小さく安堵の息を吐くボク。

しかし、だからといって安心はしていられない。

いずれはこの白光壁も打ち破られるだろうし、こちらからの攻撃の手立てがないことにも何ら変わりはない。

白光壁が破られるまでの限られた猶予で、何とか竜のオブジェを倒す術を考え付かなければならない。

(どこかに隠れて時間を稼いで、それから倒す方法を考えないと)

竜のオブジェを睨んだまま、ボクは後ろに下がり、そして駆け出した。

しばらく駆けると、背後から白光壁に『ブレス』が衝突した音が聞こえてきたが、ボクは振り返らずに走り続ける。

やがて、長い通路の終点、T字路まで辿り着くと、ボクは左に曲がって、すぐにその場に座り込んだ。

切れた息を整えながら、長い通路の先を覗く。

通路の先では、再び『ブレス』が白光壁に衝突している瞬間だった。

あとどれだけ白光壁が耐えられるかは分からないが、それほど時間はないと考えた方がいいだろう。

(あいつを倒す方法は――)

ボクの攻撃魔法では威力が足りず、こちらが先に力尽きてしまう。

ダメージの効率化の為に相手の弱点を探ろうにも、それの手掛かりなど何もない。

つまり、ボク自身の攻撃では、竜のオブジェを倒すことは非常に難しいということになる。

(そうなると、誰か、それか何かの力を利用することだけど――)

誰か、というのは、シーザーやアーサー達というのは期待できないし期待してはいけない。

彼等にこれ以上迷惑を掛けない為に1人で挑んだ戦いなのだから。

そのほかの誰かというならば、それはこの階を徘徊しているだろう、6体のマテリアだ。

ミノタウロスがいたことから、この階にはCランク前後のマテリアが徘徊していると予想できる。

封印機の影響を受けて、当然レベルは1まで減じているだろうが、それでもボク達人間とマテリアとでは地力が違うので、レベル1だろうと竜のオブジェとそれなりに渡り合える力は保っているはずだ。

ミノタウロスほどの力があれば、竜のオブジェを倒すことも可能かもしれない。

仮に1体で倒せなくとも、2体、3体と次々に戦わせていけば、倒せる公算は高い。

そのうえ、障害になりうるマテリアの排除もできて一石二鳥だ。

次に、何か、だが、考えられるのは、遺跡に点在している罠だ。

しかし、この下の階では、いくつか罠の引き金になるような怪しいものは見かけたが、この階ではそれらをまったく見かけない。

そのうえ、あれほどミノタウロスから逃げ回っていたというのに、まるで罠には掛からなかった。

そのことからして、この階にはあの竜のオブジェの部屋にあった罠以外には、罠はないのかもしれない。

竜のオブジェをおびき寄せて、下の階に降り、罠を作動させて攻撃するという手もあるが、竜のオブジェは『本階層内において排除』と言っていたので、下の階に降りてくることはないと思われる。

そうなると、これを期待することはできない。

ただ、これは逃げる手段としては有効だろう。

だが、それは最後の手段だ。

目的は、あくまで竜のオブジェを倒すこと。

(……よし、決まった。

 『防塞』が防いでくれてる間に、この階でマテリアを探そう。

 それからそいつをおびき寄せて、竜のオブジェと戦わせる。

 それでダメなら、次のマテリアを探して……もし見つからなくても、さすがのあいつもマテリアとの戦いで無傷じゃいられないだろうし、傷付いた状態のあいつなら、ボクの魔法だけでも何とか倒せるかもしれない)

策は決まり、やるべきことも定まった。

通路の角から顔を覗かせると、竜のオブジェはまだ白光壁と格闘しているようだった。

そうしてくれている今が好機。

この間にマテリアを探し、ボク自身を餌におびき寄せる。

ボクは顔を引っ込め、天井を仰ぐ。

(他力本願みたいでかっこ悪いけど、しょうがないよね、こればっかりは。

 でも、これが成功すれば……!)

思い付いた策に、ボクは希望を見出し、膝をグッと押し込んで立ち上がった。

無意識のうちに、体にも心にも力が入る。

打開策が見つかった今、弱気でいることはない。

(――行くぞ!)

全身に力をみなぎらせ、ボクは心の中で叫んだ。