「……失望した」
ダイニングで、ボク達を前にしたアルファスの開口一番の言葉がそれだった。
『古竜種』の遺跡からクォントに戻った頃には、すでに陽は傾き始めていた。
ハーゲン達と簡単な別れの挨拶を交わして別れたあと、ボク達はフレイクに連れられて部屋に戻った。
フレイクは部屋に戻るなり、クーア達5人に連絡を入れた。
その後すぐにフレイクは調査院と監督院に向かい、ボク達は全員が集まるまでに風呂と着替えをすませた。
風呂に入っている間も、リビングで待っている間も、ボク達の間に会話はなかった。
それからしばらくして、クーア以外の4人がバラバラに部屋に集まってきた。
クーアも現場から直で調査院と監督院に向かうとのことだった。
陽もすっかり暮れ、集まった4人を前に、重苦しい空気が漂うダイニングで最初に口を開いたのがアルファスだった。
ダイニングの椅子にはアルファスとミラが並んで座り、その正面にボクとシーザーとアーサーが並んで、一様にうつむいて座っている。
ケルカはリビングのソファの背もたれに腰掛け、ワッズはキッチンカウンターの椅子に腰を下ろしていた。
アルファスの静かだが威圧感のある声音に、彼のはす向かいに座っているアーサーはビクリと身を竦ませた。
叱られることは覚悟していたが、いざその時になってみると、やはり辛い。
「……ごめんなさい」
アーサーがうつむいたまま謝るが、それに対する返答はない。
ややあって、
「事の重大さが分かっているのか?」
アルファスがそう尋ねてきたので、顔を上げて彼の表情を見る。
表情はいつも通りの無表情だったが、眼光がいつも以上に鋭く感じられた。
その奥に光っているのは、間違いなく怒りの光だろう。
横のミラは、残念そうな、悲しそうな表情をこちらに向けていた。
アルファスの陰になっているワッズと横にいるケルカの表情は分からない。
「……レンジャー試験、受けられないかもしれないって」
「それが1つ」
シーザーの言葉のあとにアルファスが続ける。
「もう1つは後見人の保護責任と管理責任の問題だ。
この場合の後見人はクーアになる」
ボク達3人は共に顔を上げてアルファスを見る。
アルファスはボク達の顔を順に見回しながら、
「分かりやすく言えば、今回の件でクーアの責任能力が問われることになる」
と、静かに言い放った。
それを聞いた瞬間、ボクは青ざめた。
なぜそのことに考え至らなかったのか。
普通に考えて、ボク達が何か問題を起こせば、その責任の所在はボク達のみならず、後見人であるクーアにも向くのは当然のことではないか。
「……ど、どうなるんですか?
クーアはどんな責任を取らされるんでしょう?」
焦りの滲んだ声音でアーサーが尋ねる。
アルファスがアーサーを正面に見据え、口を開こうとしたが、それを遮るようにキッチンカウンターの椅子に座っていたワッズが答えた。
「そこまでびくつくようなことでもないよ。
前例に照らし合わせれば、半年から1年の減給と3ヶ月から半年の謹慎処分くらいだと思う。
ただ、今回の件だと、君達はまだレンジャーじゃないから、そこまでのことにはならないと思うけどね」
ボク達を安心させるかのような優しい口調でワッズが言い、横手からもケルカの声が上がる。
「まぁ、オレ等からしてみりゃ、1年の減給とか半年の謹慎なんざクソみてぇなもんだからな、大したことじゃねぇよ。
問題は、お前等の受験資格の問題だな。
もし今回取り消されたら、少なくとも1年、最悪数年は待たなきゃなんねぇ」
「ケルカ」
いつもとさして変わらない口調のケルカを、アルファスが咎めるような声音で呼んだ。
アルファスの視線はボク達の横方向、ケルカに据えられている。
不快感を込めて睨んでいる、という方が適切だろうか。
「1番の問題はたしかにこの子達の受験資格だが、今、問題にしているのはそこではない。
この子達がした軽はずみな行動のしわ寄せがクーアに、他者に降りかかっていることを問題にしているのだ」
ケルカが放った『大したことじゃない』という一言が気に障ったのか、語調を強めてアルファスが言う。
チラリとケルカを見れば、彼は肩をひょいとすくめていた。
「けどよ、実際のところ、クーアからしてみら大したことじゃねぇだろうし、1番気になんのはこいつ等の受験資格だろうよ」
「ケルカ」
反論したケルカに声を掛けたのは、今度はミラだった。
「この子達の受験資格は何よりの問題ですが、それについてはクーアが上手く対処してくれることでしょう。
ですから、今、問題にすべきは、アルファスの言った通り、軽はずみな行動を取ったことによる他者への損害の発生についてなのです。
これはレンジャーならずとも、社会の一員として生きていくうえで重要なことです」
「そりゃまぁ……」
諭すようなミラの言葉に、ケルカは口ごもるが、それでも納得いかないのか、
「けど、子供のしたことだぜ?
そこまで目くじら立てることもねぇんじゃねぇの?」
と、ボク達をかばうような反論を述べた。
それに対し、アルファスは小さく息をつき、
「子供のしたこと、だからだ。
ここでしっかりと叱っておかなければ、今後も同じことを繰り返しかねない。
正すべき必要のあるところは、早いうちに正すべきだ」
そう言って、ボク達3人を見据えた。
それにワッズが続く。
「うん、受験資格も重要だけど、こっちの方も重要だね。
長い目で見れば、こっちの方が重要かもよ?」
ワッズの言葉に、ミラがうなずく。
さすがに3人から言われては返す言葉もないのか、ケルカはむっつりと黙り込んでしまった。
「……そういうことだ」
アルファスの発した声に、ボク達は彼を見る。
「お前達の受験資格に関してはクーアが上手くやるだろう。
その辺は任せておけば問題ない。
だから、お前達はクーアに迷惑を掛けたことを反省しろ」
『……はい』
口を揃えて答えるボク達。
答えを聞いてアルファスはうなずき、続ける。
「それから、これからは念の為、お前達が外出する時には、オレ達のうちの誰か1人が必ず付いて行くことにする。
外に出る時には誰かに声を掛けろ」
「えっ……」
横でシーザーが不満気な声をあげたが、アルファスが一睨みすると、それ以上は何も言わなかった。
シーザーの不満げな声が耳に入ったのか、ワッズがくすりと笑い、
「前例があってね。
君達の1つ前の弟子が同じようなことをしたことがあったんだよ。
その弟子は1度目の悪さがバレて叱られたあとにも、懲りずにまた同じように悪さをしでかしたんだ」
と、同行の理由を説明した。
1つ前の弟子、ということはシェイフのことに違いない。
そういえば、シェイフは今、新たに見つかった『古竜種』の遺跡に赴いているはずだ。
「ああ、あったな〜、そんなこと」
横から懐かしむようなケルカの声が聞こえてきて、さらにミラが苦笑を浮かべ、
「あの時はだいぶ難儀しましたね」
と、同じように過去を懐かしんでいる様子を見せた。
場の空気が少し和らぐ。
「話はこれで終わりだ」
和らいだ空気を裂くようにして、アルファスが発言と共に立ち上がった。
「どちらへ?」
アルファスを見上げながらミラが尋ねる。
「調査院へ」
それだけ言うと、アルファスは部屋を出ていった。
「……はぁ〜」
アルファスがいなくなった途端、シーザーが大きく息を吐いた。
緊張が解けた、といった風の吐息だ。
「お前、アルファス苦手だろ?」
横からの声にそちらを見ると、ケルカがシーザーをニヤついた顔で眺めていた。
シーザーは素直にうなずく。
「何か、目付きとか、無表情なとことか、あと威圧感っつーか……ぶっちゃけた話、ちょっと怖い」
「そうでしょうか?」
シーザーの本音に、アーサーが不満気な声をあげる。
「今回のことは、完全に僕達が悪いんですし、叱られるのは当たり前だと思いますが」
「いや、叱られたことじゃなくて、普段もちょっと……」
シーザーが口ごもると、アーサーの表情が不機嫌そうに歪んだ。
そういえば、シーザーはアルファスが苦手で、アーサーはアルファスに懐いていたと思い出す。
シーザーとアーサーの様子を見て、ワッズが小さく吹き出した。
ワッズに視線が集まる。
「それ、アルファスの前で言わない方がいいよ」
苦笑い交じりにワッズが言うと、
「怒られるから?」
と、シーザー。
しかし、ワッズは首を横に振り、
「いや、傷付くから、アルファスが」
そう言って、またも小さく吹き出した。
「ああ見えて、それなりに気にしているのですよ。
シェイフの時もシーザーと同じように怖がられてましたからね」
と、ミラが困ったように笑いながら言い、
「けどよ、目付きが悪いのは仕方ないとして、無表情なのは何とかならんもんかね?
あれで表情豊かだったら全然印象変わるのになぁ」
ケルカが便乗して言う。
ボクを除いた全員による、アルファスへの好ましいとは言えない評価にアーサーが憮然としていると、それを見止めたケルカが彼を指さして言った。
「そうそう、そんな感じに表情が豊かだったらなぁ」
「え?」
指さされたアーサーがきょとんとした表情を作る。
すると、アーサーを除いた全員がそれぞれに笑い声をあげた。
ボク達を包む雰囲気は、すでにいつものそれに戻っていた。
夜の9時を回った。
クーアとフレイク、そしてアルファスはまだ戻ってこない。
彼等を除いた全員は、遅めの夕食を済ませたあと、リビングで思い思いにくつろいでいた。
すっかりいつもの調子に戻った、と言いたいところだが、時間が経つにつれて段々と不安になってくる。
話し合いが難航しているのではないか、ボク達の受験資格が取り消されるのではないか、もしかしたら何か罰を受けるのではないか、何よりクーアへの罰は思っていたよりも重いのではないか。
そんな風に、悪い方へと考えが向いてしまう。
そういったことを口に出して言いはしなかったが、表情に出てしまっていたらしく、そのたびにワッズとミラが気遣わしく接してくれた。
そうして、もやもやとした時を過ごし、時計の針が夜の10時に近付いた頃、玄関の方から声が聞こえてきた。
内容は聞き取れないが、声の主は分かった。
クーアとフレイクだ。
程なくして、リビングのドアが開く。
まず入ってきたのは、調査院へと向かったアルファス。
次いで同じく調査院と監督院に出向いていたフレイクと、そしてクーアが入ってきた。
「いや〜、とりあえずは何とかなったわ。
オレの1年減給とフレイクの半年減給だけで、子供等は6人全員お咎めなし。
あと、向こうの子供の先生、元マスターのガロも、レンジャーやめてるからお咎めなし。
いや、小言言われるだろうから、お咎めはあるか」
入ってくるなり、クーアが笑いながら誰にともなく告げた。
「じゃあ、この子達は今回のレンジャー試験を受けられるんだね?」
ワッズが尋ねると、クーアは大きくうなずいて応えた。
「ただ、また同じことがあったら、今度は6人共、受験資格取り消しにするそうだ」
告げてから、クーアがこちらに視線を移す。
「そういうわけだ」
『…………』
ボク達は黙って顔を見合わせ、そして、カウンターの椅子に座ったクーアに歩み寄り、その前に並ぶ。
「ん?」
不思議そうにこちらを見るクーアと、その横の椅子に座ったフレイクに、ボク達は揃って頭を下げ、
『ごめんなさい』
と、一言謝った。
わずかに間があり、それからクーアの笑う声が頭上から降ってきた。
顔を上げると、クーアが手を振っている。
「いい、いい。 もう済んだ話だし、大したこともなかったんだ。
それに今回はオレにも責任があるしな」
クーアは横に座るフレイクの頭に手を置いて撫で回し、
「朝、電話でこいつからお前達の様子が少しおかしいって言われてな。
何か隠し事があるみたいだって。
けど、『好きなようにさせてやってくれ』って頼んだんだよ、オレが。
だからこいつはお前等を止めなかったんだ。
まぁ、まさか『古竜種』の遺跡に行くとは思ってもなかったけどな」
そう言って、また一笑い。
頭を撫でられているフレイクも、釣られるように一笑い。
しかし、その笑いを遮って、鋭い叱責の声がキッチン奥から上がった。
「笑い事ではないだろう。
1つ間違えば、受験資格取り消しどころか命を失いかねなかったんだぞ」
叱責はアルファスからのものだった。
声音に憤慨の意が込められているのが充分すぎる程読み取れる。
「たしかに、アルファスの言う通りですね。
今回はクーア、貴方の責任も大きいですよ?」
同じくキッチンにいたミラからも、珍しく厳しい声が飛ぶ。
それに対し、クーアはすまなそうな面持ちで、頭の後ろを掻き、
「面目ない」
フレイクはやや憮然とした様子で腕を組み、
「でも、オイラ、ちゃんと3人が死なないように見張ってたよ?
……怪我とかは結構してたけど」
と、責められるクーアをかばうように反論した。
「そうだとしても、さすがに遺跡に行くのは止めた方がよかったんじゃない?」
フレイクの言葉に疑問を呈したのは、ダイニングの椅子に座っているワッズだった。
「結果的に丸く収まりはしたけど、フレイクが朝の時点で止めてればこの子達だって怒られることもなかったんだしさ」
「特に問題もなかったんだから、いいじゃねぇか別に。
済んじまったことをほじくり返しても仕方ねぇだろうよ」
ワッズの言葉の続きに、リビングのソファに寝そべっていたケルカが投げやりな口調で反論した。
「……ケルカ、さっきアルファスとミラに言われたこと、聞いてた?」
ワッズがケルカに向かって眉根を寄せて苦言を呈するも、これに対するケルカの返答はなく、大あくびを返しただけ。
言っても無駄と判断したのか、ワッズは視線をフレイクに戻す。
フレイクはワッズと、彼に同調したようなアルファスとミラの視線を受け、憮然としてクーアを見上げた。
「何かオイラ、責められてる?
結構頑張ったんだけど。
監督院からの評価はそれとしても、仲間からは陰の功労者として褒められてもいいんじゃない?」
「そうだな、オレは褒めるよ、ありがとう。
そういうわけで、フレイクに非はなし、悪いのはオレ1人ってことで頼むよ」
クーアはフレイクの頭をポンポンと叩き、アルファス、ミラ、ワッズの3人を順に見て告げた。
3人はそれぞれに息をつき、うなずき、苦笑いを浮かべ、クーアの言葉を了承したようだ。
「明日からは今まで通り?」
ワッズが問うと、クーアはうなずきかけ、思い出したように『あっ』と声を上げてボク達を見た。
「明日の午前中だけど、調査院から調査官が来るから、来たら調査官の質問に答えてくれ。
今日行った遺跡のことを、中の造りとか罠の種類とか、そういうのを報告してほしいんだ。
何日かしたら調査院の連中が遺跡に向かうことになってるんだけど、未探索の遺跡だったから、できれば少しでも情報が欲しいんだろう」
「うん、分かった」
ボクが答えると、シーザーとアーサーもうなずいた。
クーアは一同をぐるりと見回し、
「そういうわけだ。
これでこの件はおしまいでいいか?」
確認するように言ったその言葉に、疑問や異論の言葉はあがらなかった。
クーアが再びボク達を見る。
「あと試験までは1ヶ月を切ってる。
今回の件はオレにも責任があるけど、お前等もこれからはレンジャーになるんだって意識を持って行動してほしい。
さっきも言ったように、もうあとがないからな」
「うん」
「分かった」
「分かりました」
ボク達の返事に、クーアは満足そうにうなずき、
「じゃあ、あとのことは頼む」
大人達にそう言うと、踵を返した。
その背に、シーザーが声を掛ける。
「どこ行くんだよ?」
「ん? 仕事に戻るんだよ。
途中でこっちに来たからな。
まぁ、あと3〜4日くらいで戻るよ。
……あ、そうだ、調査官が来たらアルファスかミラが付き添ってやってくれ」
「ああ」
「大丈夫です」
問われたアルファスとミラが答えると、クーアはうなずき、
「じゃあ、よろしく」
それだけ言い残し、リビングを出ていってしまった。
クーアのいなくなったリビングに沈黙が落ちる。
しばらくして、
「さっ……てと、オレ部屋戻るわ」
ケルカがソファから起き上がりざま大きく伸びをし、リビングを出ていった。
「オイラも始末書書かなきゃ」
続いてフレイクもカウンターの椅子から飛び上がってリビングを離れ、
「手伝おうか?
フレイクが書くと変な文章になりそうだし」
「そんなことないよ!」
ワッズがフレイクとやり取りしつつ、あとに付いていく。
ふとキッチンを見れば、アルファスが無言でリビングのドアへと歩みを進めるところで、ミラはキッチン周りを整理しているところだった。
アルファスがリビングを離れてしばらくして、ミラもキッチンの整理を終え、
「それでは私も戻ります。
明日は、先程クーアが言ったように私とアルファスが同席します。
その後は座学にしましょう。
では、おやすみなさい」
そう言い残し、リビングを離れていった。
残されたのはボク達3人だけ。
そのボク達も、互いに言葉を交わすことなく、誰からともなく寝室に戻り、床に就いた。
2人共何も言わなかったが、きっと今日の事を思い出しているのだろう。
ボクも毛布に包まりながら今日の出来事を反芻する。
(探険、大変だったけど、無事に帰ってこられたし、とりあえずは良かった。
でも、楽しかったかな?
…………大変過ぎて、楽しいって、感じなかったかも。
それに、クーア達に迷惑かけたし、怒られたし。
……………………疲れた。
……ハーゲン達、怒られてないかな?
…………今度、いつ会えるかな?
……………………――)
考えているうちに、ボクの意識は深く沈んでいった。
翌日。
なかなか起きないシーザーを叩き起こして朝食を取ったあと、しばらくしてからアルファスとミラが現れた。
それからさらにしばらく待つと、調査院からの調査官が3人現れた。
挨拶もそこそこに始まった彼等からの質問は、実にあっさりとしたものだった。
クーアの言った通り、どんな罠があったか、中の造りはどうなっているか、封印機の有無は、ガーディアンの数は、などだ。
彼等の口調も咎めるようなものでも冷淡なものでもなく、柔らかなものであったので、身構えていたボク達はいささか拍子抜けした調子でそれらに答えていった。
地図を手に入れたことやガーディアンを倒したこと、遺跡内部に開いていたゲートを閉じたことを伝えると、彼等は驚いた様子だった。
その驚きを評価と受け取り、ボクは少し誇らしく感じたが、すぐそばで話を聞いていたアルファスの無言の圧力を受けて気を引き締め直した。
時間にして1時間も掛からなかっただろう。
質問を終えると、3人の調査官はアルファスとミラに見送られ、部屋を出ていった。
「このあと、街に降りて元マスターのガロの元へと行くそうです。
あちらの子供達にも同じことを聞くのでしょうね」
と、戻ってきたミラが言う。
そうしてボク達を見回し、続ける。
「アルファスはフレイクを呼びに行きました。
2人が来たらさっそく座学を始めましょう。
もう試験まであまり間がありませんからね」
座学が終わり、陽もとっぷりと暮れ、キッチンではシーザーとミラが夕飯の片付けをしている。
アーサーはアルファスと一緒に風呂に入っており、フレイクは始末書を提出すると部屋を出ていった。
クーアはまだ仕事で帰ってこず、ケルカとワッズは試験の打ち合わせとかで、少し顔を出しただけですぐに帰ってしまった。
1人残されたボクは、何をすることもなく、リビングのソファに沈んでテレビをぼうっと見つめていた。
やがて睡魔が襲ってきた頃、インターホンが鳴った。
その音に睡魔が少し遠退く。
「ジーク、出て」
キッチンにいたシーザーからの要請を受け、ボクは壁掛けの受話器を取った。
「はい、どちらさまですか?」
『こんばんは。 私、ガロと申します』
「……あっ! ちょ、ちょっと待っててください」
思いもかけなかった人物の来訪に驚いたボクは、それだけ言うと、受話器を置いて、キッチンのミラに呼び掛けた。
「ミラ、ちょっと来て!」
ミラの返事を待たず、ボクはリビングを出て玄関へと向かう。
鍵を開けて開いたドアの向こうには、山高帽を被り、コートを羽織った初老の人族男性と、3人の少年が立っていた。
初老の男性、元マスターのガロは、山高帽を脱ぐと胸に当て、にこやかにおじぎをした。
「どうも、こんばんは、ジーク君」
「こ、こんばんは」
ボクはガロに倣うようにおじぎをして挨拶を返す。
そして、その後ろに立つ3人の少年、ハーゲン、モルド、ルータスの3人に目を配る。
3人は特に変わった様子もなく、いつも通りの風に見えた。
そんなボクの素振りを気にする様子もなく、ガロが問い掛けてくる。
「夜分に申し訳ないが、クーア殿か、保護者の方はいらっしゃるだろうか?」
「クーアは今、仕事でいません。
保護者なら、今……」
横を見ると、リビングからの廊下をミラが歩いてくるところだった。
「こんばんは。 失礼ですが、元マスターのガロ様でいらっしゃいますか?」
玄関に着いたミラは、ガロを見て尋ねた。
ミラは目の前の4人とは面識がないはずだが、3人の子供を連れた初老の人族男性ということで判断し、尋ねたのだろう。
山高帽を胸に当て、深々とおじぎをするガロ。
「はい、ガロでございます。
夜分に申し訳ございません。
先日は私の弟子達が大変なご迷惑をお掛けしてしまったようで、本日はそのお詫びにと参った次第でございます。
陽の高いうちにお伺いしようかと思っておりましたが、調査院の方々がいらしていたものですから」
「まぁ……それはわざわざご丁寧に」
「失礼ですが、ミラ殿、でいらっしゃいますか?」
「はい。 私のことをご存じで?」
「ご高名はかねがねお伺いしておりましたもので、お名前だけは」
「ありがたく存じます」
「クーア殿は本日はいらっしゃらないとか」
「あいにく、クーアは現在仕事で留守にしておりまして、ここには」
「左様でございますか。
先日、監督院に呼び出された際に、罪の肩代わりをしてくださったと伺ったものですから、直接お詫びとお礼をと思ったのですが……」
「お気になさらなくとも結構ですよ。
クーア本人も気にしておりませんし、罰自体もそれほどのことはありませんでしたので」
「そうおっしゃっていただけると気が休まります。
今後はこのようなことがないよう、重々注意いたしますので」
ガロは言葉を切って、後ろの3人を見る。
それを受けて、3人が頭を下げた。
次いでガロも頭を下げ、
「先日はまことに申し訳ございませんでした」
と、詫びの言葉を告げた。
頭を下げられ、ボクは戸惑いに視線をさまよわせた。
「お顔をお上げになってください。
今申しましたように、クーア本人は気にしておりませんし、この子達にも実害はありませんでしたので、どうかお気になさらずに」
ミラはいつも通りの優しい声音で語り掛け、ガロと3人に頭を上げさせた。
頭を上げたガロは、後ろのハーゲンの持っていた紙袋を受け取ると、中から包装された四角い箱のような物を取り出し、ミラに差し出す。
「これは心ばかりのお詫びのしるしでございます。
どうかお受け取りください」
「そこまでしていただかなくとも……」
「いえ、どうかお受け取りください」
「……それでは、ありがたく頂戴いたします」
ミラが差し出された物を受け取ると、ミラとは反対方向の廊下に気配が生まれた。
見ると、そこにはアーサーとアルファスが立っていた。
アーサーは驚いた表情で、アルファスは無表情に、ガロと後ろの3人を見つめている。
「あの――」
ボクが口を開くと、アルファスはそれを手で遮り、一言。
「上がってもらえ」
ボクに言ったのか、それともミラに言ったのか、それだけ告げるとアルファスはリビングへと続く廊下を歩いていってしまった。
その後ろ姿を呆然と見つめていると、ミラがガロに話し掛けた。
「申し訳ありません。
お客様を寒空の下でお構いしてしまって。
大したおもてなしはできませんが、どうぞ中へお入りください」
「いえ、私共はお詫びのご挨拶に参っただけでございますので……」
「彼もああ申しておりますので、どうか中へ」
「……では、お言葉に甘えて」
ガロの返答を受けて、ミラはボクとアーサーに向かって微笑み、
「2人は子供達3人を連れて寝室へ行ってください
あとで何か温かい飲み物とお菓子を持っていきますから」
と、告げた。
ボクとアーサーはうなずき、ハーゲン達3人に視線を向ける。
3人は玄関で靴を脱いでいるところだった。
先に靴を脱ぎ終えたガロが、
「それでは、お邪魔いたします」
と、玄関を上がる。
「それでは、どうぞこちらへ」
ミラがガロを案内してリビングへと向かい、残されたのはボク達子供5人。
『お邪魔します』
そう言って3人が順に玄関を上がると、
「じゃあ、僕達も行きましょうか」
アーサーが先行して2階への階段へと続く廊下を歩いていった。
3人があとに続き、ボクが一番後ろに付く。
すると、ボクの背後に、リビングから出てきたシーザーが現れた。
「……何か追い出されたと思ったら、こういうことね」
アーサーに連れられてボクの前を歩く3人の姿を見止めて、シーザーがぽつりと呟いた。
「とりあえず、謝っておかないとな。
迷惑掛けて悪かった」
寝室に着き、それぞれが思い思いの場所に座ってからの最初の一言は、モルドの謝罪の言葉だった。
それに対し、ボク達3人は顔を見合わせて返答に悩んだ。
アルファスに怒られたり、クーアやフレイクが罰せられたりしたのは確かだが、一方で貴重な体験をさせてもらったともいえる。
元より責める気はさらさらなく、謝られても困るというのが実情だ。
「いいよ、別に。
ま、たしかに怒られはしたけど、楽しかったしさ」
自分のベッドの上で体を揺らしながらシーザーが答えた。
ボクとアーサーもおおむね同意してうなずく。
「そうそう、楽しんだから良しとしよ〜」
陽気な口調で言ったのはルータス。
ボクのベッドの上で、シーザーと同じように体を揺らしている。
「それは僕達が言う言葉ではないね」
椅子に座っているハーゲンがたしなめるように言う。
モルドは軽くルータスを睨んでいた。
2人の訴えかけを受けて、ルータスは肩をすくめる。
「この話はもうやめにしましょう。
僕達も悪いことと知りつつついて行ったのですから、これ以上謝られる必要もないですしね」
そうアーサーが言うと、誰からともなくうなずき、これをもってこの件については納まった。
「そういやさ、アレどうなったの?
アレ、シェイプシフター」
「アレはフレイクが地図とグリモアと一緒にどっか持ってったぜ
ああいうのってどこ持ってくんだったっけか?」
思い出したかのように尋ねたルータスに、シーザーが答え、首を傾げた。
クォントに戻ってきてクーア達に連絡を取ったあと、フレイクはボク達が遺跡で手に入れた物をすべて持って部屋を出ていった。
ああいった物はコスモスのどの機関に持っていくのだったか。
「物具院ですよ。
武具と道具を取り扱ってる機関の。
地図とグリモアは図書院でしょうね。
グリモアは魔法書や魔術書と同じ扱いでしょうから。
でも、今回はそのまま調査院か監督院に提出したんじゃないでしょうか」
アーサーの答えに、シーザーはなるほどといった表情を作った。
そんなシーザーを見て、アーサーは眉根を寄せる。
「というか、これって授業で習いませんでしたか?
ちゃんと復習してますか?」
咎めるようなアーサーの言葉に、シーザーは視線をそらす。
ボクとアーサーは毎日のように復習をしているが、シーザーはというと、ほとんどそういったことはしていなかった。
アーサーの発言は、もちろんそのことを知っての、なかなか意地悪な発言だ。
ただ、今回はボクもとっさに答えが頭に浮かばなかったので、そうそうシーザーを責められなかった。
同じように毎日復習していたとしても、アーサーの方が一歩先にいるということだ。
まだまだ勉強が足りないということの証左でもある。
「試験まで、あと1ヶ月もないもんね」
何気なく口にしたボクの一言で、視線がボクに集まる。
「ちょっと自信ないかも」
ボクが弱気な発言をすると、ハーゲンが首を振った。
「大丈夫だよ」
いとも気楽な口調で言い切ったハーゲンに、ボクは目を見開いた。
一体何の根拠があるのか、と問うボクの視線に気付いたのか、ハーゲンはボクを見据えて続ける。
「実技は3人共まったく問題ないだろうし、筆記も6割正解で充分なんだからね。
筆記なんて、選択科目以外は突っ込んだ内容の問題は出ないし、それ以外の科目は半分近くは過去問と同じだから、よほど頭の悪い人間でもなければ落ちようがないよ」
「じゃあ、コイツ落ちるじゃん?」
ハーゲンの言葉が終わると同時に、ルータスがシーザーを指さしてニヤリと笑った。
「てめぇ!!」
すかさずシーザーがルータスに喰って掛かり、2人はベッドの上で取っ組み合いになる。
もっとも、ルータスの方は最初からからかうつもりで言ったようで、笑いながらそれに応じ、一方でシーザーも怒っているようには見えなかった。
どちらかというと、じゃれ合っているように見える。
遺跡でも感じたことだが、初対面での険悪さが嘘のように、2人の仲はかなり改善したようだ。
遺跡で何があったのかは知らないが、これも遺跡探険の良かった点と言えるだろう。
それはさておき、たしかにシーザーの今の状況だと、筆記試験は少々厳しいかもしれない。
何せ、ボクとアーサーと違い、シーザーは勉強が極端に嫌いで苦手なようだったからだ。
「まぁ、たしかにシーザーは勉強不足だと思いますよ。
もう少し真面目に取り組むべきだと思います」
取っ組み合いを続けるシーザーとルータスを横に見て、誰にともなくアーサーが呟いた。
その声は真面目で、本音でそう思っているのだろうことがうかがえた。
実際、そのことでアーサーは何度かシーザーを注意している。
そのたびにシーザーは言うことをきく素振りは見せるのだが、素振りだけで改善される様子は一向にない。
ちなみにボクは注意しない。
なぜなら、ボクが言うと必ず反発し、喧嘩になるからだ。
勉強のこと以外で注意して、何度も喧嘩になっているから間違いないだろう。
注意やら叱りつけることやらはアーサーに任せておいた方が面倒が起らなくていい。
アーサーの言うことなら、ある程度は聞くから。
「そっちはどうなんですか?」
今度はアーサーがハーゲンとモルドに向かって尋ねた。
ルータスはシーザーと取っ組み合いの最中なので除外したようだ。
ハーゲンとモルドは顔を見合わせ、一拍置いて取っ組み合い中のルータスに視線を流した。
「……ああ」
2人の視線の動きに、すべてを察したようにアーサーが呟く。
当のルータスはまったく気付く様子もなく、シーザーとじゃれ合いに近い取っ組み合いを続けていた。
「……似た者同士ってことなのかなぁ?」
何気なく呟いたボクの言葉に、ほかの3人が何とも形容しがたいため息をついた。
ボク達の思いをよそに、2人のじゃれ合いは続いている。
壁の時計を見れば、ハーゲン達が来てから1時間以上が経っていた。
ミラが運んでくれた菓子や飲み物は、会話を続けているうちにすっかり空になり、そろそろお代わりが欲しいところだ。
「……もうそろそろか?」
ふと、モルドが呟いた。
見れば、その視線は、ボク同様に壁の時計に向いている。
釣られるようにして、ほかの4人も時計を見た。
時計の針は8時半に近付いていた。
「そうだね」
ハーゲンが相槌を打つ。
2人の言葉から、彼等がそろそろ帰る時間だろうと予想しているのが察せられた。
「じきに先生が呼びに来るだろうから、先に下に行く?」
「そうするか」
腰を浮かせたハーゲンとモルドに、ルータスが不満を告げる。
「え〜、いいじゃんかよ、もうちょっと。
っていうか、もう時間も時間だし、泊まってこうぜ?」
「え〜!? 泊まんのかよ!?」
声を上げたのはシーザー。
ただ、言葉とは裏腹に、声音は嬉しそうに感じられた。
ハーゲンとモルドは顔を見合わせ、思案している様子だ。
と、不意に部屋の入口のドアが開けられた。
全員の視線がそちらに向けられ、現れたのはミラとガロだった。
「ハーゲン、モルド、ルータス。
そろそろおいとましよう」
3人に呼びかけるガロの手には、コートと山高帽があった。
帰り支度は済んでいるようだ。
「今日、ここに泊まっていっちゃダメ?」
ベッドの上で、誰よりも早くルータスが問い掛ける。
それを聞いたガロは、視線をルータスに向けて少し首を傾げた。
ルータスは少し考えるようにして目を泳がせ、
「いやぁ、なんていうか、もう夜だしさ…………もうちょっと、こいつ等と話とかしたいかな〜って……」
と、気恥ずかしそうに答えた。
ガロはハーゲンとモルドに視線を移す。
視線を受けた2人は、
「そうですね、彼等がいいと言えば」
「俺も、同じく」
と、それぞれに答えた。
今度は、ガロと、そしてミラの視線がボク達3人に向けられる。
「オレはいいぜ」
真っ先に答えたのはシーザーで、次いでアーサーが、
「僕も、できたら泊まっていってほしいです」
と、答える。
残るはボク1人だが、ほかの5人が肯定的に答えているのだから、ここでボクが否定するのは空気を読まな過ぎるというものだろう。
それに、ボクも泊まっていってほしいと思っているのだから、答えは決まっている。
「ボクも、泊まっていってほしいかな」
最後のボクの答えに、ミラが薄く微笑んでガロに問い掛ける。
「子供達もこう言っていることですし、どうでしょう、今日はここに泊まられては?」
問われたガロは顎に手を当て、少し思案しているようだった。
ボク達はガロの返答を、期待を持って待つ。
少しして、ガロがミラに向かい、苦笑しながら口を開いた。
「では、私はこれから所用がありますのでおいとまさせていただきますが、ご迷惑でなければ子供達を預かっていただけませんでしょうか?」
「ええ、喜んで」
ミラが微笑んで受け入れると、
『よっしゃー!』
シーザーとルータスがベッドの上で飛び上がって喜んだ。
その様子を見たガロは、苦笑いをしつつ、
「ただし、皆さんにご迷惑をお掛けするのではないよ?」
ハーゲン達3人、特にルータスに向けて、言い含めた。
「了解!」
ルータスが元気よく答えると、ガロはミラに向かい、
「それではよろしくお願いいたします」
と、お辞儀をした。
ミラはうなずき、ボク達の方に向き直る。
「飲み物とお菓子が切れてしまっているようですね。
ガロ様の見送りもありますし、下まで取りに来てください」
「了解!」
シーザーが元気よく答え、ベッドから降りて空になったトレイを手に取った。
ガロを見送ったのち、飲み物と菓子を補充してから部屋に戻り、ボク達は夜が更けるまで雑談に興じた。
「……うまいな」
朝食の席で、ポツリとモルドが感嘆の声を漏らした。
テーブルには、シーザーお手製の朝食が並べられていた。
各々の前に置かれた皿には、ほうれん草とベーコンのスクランブルエッグをメインとして、焼き目の付いたソーセージと、同じく焼き目が付けられたスライストマトが、ボイルしたブロッコリーを添えられて彩りよく盛り付けられている。
皿の脇には、刻んだパセリがまぶされ、薄切りの玉ねぎと人参とが入れられたオニオンスープが湯気と匂いを立ち昇らせてこれまた人数分並べられており、テーブル中央の大きなグラタン皿には、昨日の夕食のシチューの残りを元に作られた、チーズの焦げ目も程良いペンネグラタンが1つ、存在感大きく盛られていた。
元となったシチューもシーザーが作った物だ。
ちなみに料理の量は6人分。
今朝方までミラもここにいたのだが、シーザーと朝食の準備をしている時にアルファスが来て、2人でどこかに出掛けてしまったらしい。
「マジでうまいじゃん!」
スクランブルエッグをフォークですくい、掻き込むようにしてルータスが称賛する。
「そうだね」
取り皿に取り分けられたペンネグラタンを食べながら、ハーゲンも同意した。
ハーゲンがシーザーの料理を食べたのは、これで2度目だったか。
当のシーザーは非常に満足そうに胸を張り、バゲットにスクランブルエッグを乗せてかじっていた。
「お前、レンジャー目指すのやめて、料理人になった方がいいんじゃないの、いや、マジで」
ルータスのその言葉を聞いた途端、シーザーがバゲットを齧る動きの途中で止まった。
その様子を見たボクとアーサーがピクリと反応する。
今のルータスの言葉は、レンジャーよりも料理人の方が向いているととらえられる言葉だ。
それはレンジャーを目指しているシーザーにとっては侮辱にもつながる。
実際、ルータスの声音や言い方は、挑発する気がありありのものだった。
動きを止めたシーザーの様子から、ルータスに掴みかかる図を想像したボク、そしておそらく同じことを想像したアーサーは、次のシーザーの動きに神経を尖らせる。
「……そうかなぁ……その方がいいかなぁ……」
意外にも、シーザーの行動は穏やかだった。
飛び掛かることもせず、齧り掛けのバゲットを見つめながら静かに呟くだけだった。
これには、ボクもアーサーも、そして当のルータスさえも目を丸くした。
「い、いやいや、何マジにしてんの?
冗談だよ冗談、ジョ〜ダンだって!
ってゆうか、コレより美味い料理なんていくらでもあるし!」
取り繕いたいのか挑発したいのか、どっちつかずのことを言いながら慌てるルータス。
それを見たシーザーはニヤリと笑い、
「分かってるよ。
冗談だよ、冗談」
と返して、バゲットの残りを齧り始めた。
きょとんとした顔でシーザーを見つめるルータスは、少しして『あっ』と声を上げ、シーザーを睨み付けた。
どうやらからかわれたことに気付いたらしい。
これまでは挑発されたりからかわれたりする側だったシーザーからの思わぬ反撃を受けて、ルータスは一本取られたという表情を浮かべた。
そして、てっきり言い返すものだとばかり思っていたが、意外にもそのまま黙り込み、シーザーを挑発する前と変わらない調子で食事を再開した。
その後も食事は和気藹々とした雰囲気に包まれたまま続いた。
朝食を済ませるとミラが姿を見せた。
朝食の後片付けをミラが買って出てくれたので、それからしばらくの間、ボク達は雑談に興じた。
1時間程経った頃、ハーゲン達が帰る旨を伝えてきて、帰り支度を始めた。
といっても、特に持ってきているものもないので、上着を羽織る程度だったのだが。
そうして身支度を整えた3人を玄関まで見送る。
ミラは、ガロのところへ、3人が帰るという電話を入れるとのことだった。
「それじゃあ、お世話様」
いつもと同じ不動の表情でハーゲンが、
「また近いうちに会いたいな」
和やかな笑みを浮かべてモルドが、
「今度は晩飯食いにくるから、ご馳走してくれよ!」
まったくの遠慮する素振りも見せずにルータスが、それぞれに別れの言葉を口にして帰っていった。
その背に、
「また美味い物食わせてやるから絶対遊びに来いよ〜!」
と、シーザーが声を張る。
離れた所でハーゲンが振り向き、モルドは手を上げ、ルータスは『おー!』と元気よく答え、やがて3人の姿は坂道の向こう側へ見えなくなってしまった。
「……行ってしまいましたね」
少しさみしそうにアーサーが呟いた。
言葉に出さず、首を動かすだけでボクはそれに応えた。
「次はいつ来るかな〜、あいつ等」
頭の後ろに手を組んで、つまらなそうにシーザーが言った。
試験まではあまり間がない。
あちらもこちらも、実技・座学の追い込みで忙しくなるだろうから、会えるのは休みの日になるだろう。
実技はともかく、座学の方は憶えても憶えても憶え足りない気がするので、休みの日すら勉強に割くようになるとすれば、それさえもどうだろうか。
しかし、できることなら、またすぐにでも会いたい。
「すぐに、会えるといいね」
ボクが希望を口にすると、横で2人が無言でうなずいた。
何とも言えない寂寥感を覚えながら、ボクは3人が去っていった坂道を見つめていた。
あと1ヶ月弱。
レンジャー試験の日は近い。