夜もちょうど頃合い。

もうあと少しすれば眠気が襲ってきそうな時間帯に、ボクは明日に備えて荷物の点検を行っていた。

ベッドの上に座り、その上に並べられた荷物を、検分するようにしてボクは見回す。

今は空だが、明日になれば水で満たされる水筒、1日歩き回って減る腹を満たすには少し多いくらいの干し肉が入った革袋、軽度の怪我等の処置に用いる携帯用救急セットが入った小箱、数種のハーブから抽出したエキスを煮詰めて作られた、わずかながら癒やしの効果を持った丸薬の入った小瓶、少し大きめの空の麻袋に、以前クーアに買ってもらったカーキ色のなめし革のマント、そして、これも以前クーアからもらった、回復・防御・攻撃魔法の封じられた封魔晶がいくつか。

「う〜ん、足りないな〜」

ひとしきりベッドの上の荷物を確認したあと、ボクは手に持っている直径3cmほどの球形をした石に目を落として呟いた。

乳白色のその石は移蔵石。

物を格納しておける特殊な石だ。

「どうしました?」

ボクの呟きを聞きとらえ、横合いからアーサーが尋ねてくる。

そちらを見れば、アーサーもボクと同じようにベッドの上に座り、荷物を広げていた。

荷物の内容はボクの荷物と似たり寄ったりだ。

「移蔵石、やっぱり足りないや」

手にしていた、『物』を1つだけ収納しておける移蔵石をカチャカチャと擦り合わせてアーサーに示すと、アーサーは自分の前の荷物に目を向け、

「ですよね、やっぱり」

と、同意した。

アーサーの足元に置かれている移蔵石の数は、ボクと同じ5つ。

並べられた荷物の数には足りていなかった。

「オレは足りたぜ?」

反対側から掛けられた声にそちらを振り返れば、シーザーが5つの移蔵石を器用にお手玉しているところだった。

「足りたの? ホントに?」

「足りた、ホントに」

いぶかしんで尋ねるボクに、あっさりと答えるシーザー。

「ちょっと中身見せて」

シーザーの荷物整理の出来を疑い、つい差し出口を挟むボク。

「いいよ」

文句の1つでも来るかと思っていたが、意外にも軽く返事をして、シーザーは移蔵石をボクに投げ渡した。

慌ててそれを受け取り、ボクはベッドの上に移蔵石の中の荷物を出す。

出てきたのは、一振りの鉄製ダガーと、同じく鉄製の、しかし厚みのやや薄いブレストプレート――戦闘訓練用に買ってもらっていた――、そして空の水筒、革袋が1つだけ。

革袋の中には干し肉がぎっしり詰まっていた。

「……これだけ?」

出てきた荷物とシーザーの顔を交互に見て、ボクた尋ねる。

呆れの色をありありと込めた表情と声音で言ったつもりなのだが、シーザーはまったく気付かず、

「おう」

と、むしろ誇らしげに答えてみせた。

その様子に、ボクは呆れのあまり盛大にため息をつく。

「あのさ、遊びに行くわけじゃないんだよ?

 遺跡の探険に行くの、分かる?」

含みを込めて尋ねると、今度はボクの意図が伝わったようで、シーザーは若干ムッとした表情になった。

「分かってんよ、それぐらい」

不機嫌そうに答えるシーザー。

負けじとボクもさらに言い募る。

「じゃあ、何でこれしか持っていかないわけ?

 もっと持っていく物あるでしょ?

 特に、お前魔法使えないんだから、封魔晶なんて必需品じゃないの?

 クーアからもらったの、持ってるでしょ?」

「んだよ、うるっせぇな〜!

 いいだろ別にオレが何持っていってもよ〜!」

「良くないに決まってるじゃん!

 明日は団体行動なんだよ!?

 ボク達だけじゃなくて、ハーゲン達も一緒に行くの!

 お前の身勝手さで皆に迷惑掛かったらどうするんだよ!」

「じゃあ迷惑掛かんねぇようにすりゃいいんだろうがよ!」

「だからその為に――」

「はい、ストップ!

 そこまでにしてください!」

口論を始めたボクとシーザーの間に、いつの間にか来ていたアーサーが割って入った。

アーサーは渋い表情で続ける。

「もう、明日出発だっていうのに、ケンカなんかしないでくださいよ。

 とにかく、もう1度3人で荷物の確認しましょう。

 シーザーの荷物は収まっても、僕とジークの分の荷物が収まりませんから」

「ふんっ!」

「けっ!」

怒りの収まらないボクとシーザーが鼻を鳴らす。

それを見てアーサーがため息をつき、話を再開した。

「今、僕達が持ってる移蔵石は、全部で15個です。

 荷物の数に対しては少し足りないですね。

 なので、3人共通の持ち物は1つにまとめましょうか」

「水とか食いもんとか?」

「ええ」

シーザーの発言に、アーサーがうなずいて答える。

たしかに、そうすれば荷物は減るだろうが、ボクはこれに異を唱えた。

「でもさ、そうすると、もしはぐれた場合に困らない?

 食べ物はまだいいけど、水とかは」

1日足らずの探険で水が不足するとは、通常ならばあまり考えられないが、場所がどんな所かも分からないうえに、その場所の気候も分からないのだから、最低限水だけは各自持ち歩いていた方がいいだろう、そう思っての真面目な発言だったのだが、

「方向音痴だからな、お前」

嘲笑うような嫌らしい目でボクを見ながら、シーザーが茶々を入れてきた。

「そういう意味じゃなくて!」

語気を強めてボクは反論する。

先程までの喧嘩腰のやり取りはすっかり忘れてしまったような――だいたいいつものことなので――シーザーのからかい文句に、ボクは真面目に答えた。

「こないだシェイフが言ってたでしょ?

 遺跡には罠が多いって。

 もしその罠の中に、皆がバラバラに散っちゃうようなのがあったら困るじゃん」

「あ〜、そういやそんなこと言ってたな〜」

まったく他人事で呟くシーザー。

もう少し警戒心や緊張感を持ってもらいたいものだが、それはさておいて、ボクはアーサーの方に目を向ける。

アーサーは考えるようにうつむいている。

「たしかに……そうですね。

 あまり荷物をまとめ過ぎるのも良くないですね。

 とりあえず、水と食料は各自で持っていた方がいいですか。

 でも、そうなると傷薬や封魔晶も各自で持っていた方がいいことになりますね。

 特にシーザーは回復の手段がないですし」

「へーへー、どうせオレは魔法使えないですよ〜だ」

「ひがまないでくださいよ、見苦しい」

「みぐっ!? おま――」

「封魔晶はすぐに使えるように、出しておいた方がいいですね。

 まだ革袋が何枚かありましたから、3つに分けましょう。

 シーザーの分は、少し回復の物を多めにして」

言い捨てたアーサーの言葉にシーザーが反論しようとするが、アーサーはまるでとりあわずに続けた。

ボクもシーザーに文句を言わせまいと、それに続く。

「この麻袋に装備品全部入れて、向こうに着いたら出そうか?

 それで、脱いだ物をこれに入れ替えておけば、3人分が1個で済みそうじゃない?」

移蔵石には1つしか『物』を入れられないが、複数の物を1つにまとめておけば、石はそれを1つの『物』として認識してくれる。

今ボクが言ったように、複数の物を麻袋などに入れておけば、それを1つの移蔵石に収められるのだ。

「そうですね……でも、僕のガントレットはともかく、サーベルは麻袋には入らないんじゃないですか?」

「う〜ん、たしかに」

言われて、ボクのベッドの上の麻袋と、アーサーのベッドの上のサーベルを見比べる。

アーサーの言う通り、麻袋の長さよりもサーベルの長さの方が長い。

斜めにして入れても、結局は麻袋の上部は縛らなければならないから、サーベルの柄の部分は飛び出すだろう。

それでは移蔵石は麻袋を1つの『物』とは認識しない。

「んじゃ、帯剣してけば?」

すっかりふてくされたのか、シーザーがベッドに横になって気のない提案をする。

それを聞き、ボクとアーサーが同時にため息をついた。

「あのね、明日、ボク達はミラ達にどこに行くかバレないようにしないといけないわけ。

 剣を持ったまま、もし待ち合わせの公園に行くまでに、ミラ達に会ったらどうするの?

 なんで剣なんか持ってくんだって聞かれるに決まってるじゃん」

「会わなきゃいいじゃん」

シーザーの楽天的な意見に、ボクは首を振る。

「言うは易しってね。

 そういう時に限って誰かに会っちゃうもんなの。

 ……特にこないだ色々あったばかりだから」

「色々?」

後半のボクの呟きに、アーサーが首を傾げる。

「ううん、何でもない」

首を振って誤魔化すボク。

実は、始原祭最終日に起きた事件のことは、シーザーとアーサーには話していない。

別段、気分のいい話でもないからだ。

しかし、ミラ達にはクーアから話がいっている。

一応、犯人は捕まったのでこれ以上問題は起きないだろうが、念の為にということで、ミラ達はボク達の行動にはそれなりに神経質なはずだ。

事実、クーアが仕事に出かけた日、ミラはボク達3人に『印章』の魔法を掛けようと言い出した。

クーアから掛けられていた『印章』が、クーアが仕事に出た為に解除されたので改めて、とのことだったが、新たにミラから『印章』を掛けられるとなると、当然、明日の遺跡探険に支障が出る。

そう考えたボク達3人が頑としてそれを拒むと、ミラは渋々ながらそれを受け入れてくれた。

しかし、その分、ボク達の行動には注意を払っているとみて間違いない。

となれば、事件明け初の休日である明日は、ミラ達のうちの誰かが、監視、とまではいかずとも、ボク達のそばに付いて、行動を見守ろうとしている可能性は高い。

そんな状況で、アーサーが帯剣をして、いかにもこれからどこか武装が必要な所へ行きますといった装いをしていれば、確実に見咎められるだろう。

「まぁ、帯剣は問題ありでしょうね。

 もし見つかったら、言い訳のしようがないですから」

ボクの考えていたことを、事情を知らないアーサーは非常に簡潔にまとめてシーザーに伝えた。

「じゃあ、どうすんだよ?」

シーザーは大あくびをして対策をボクとアーサーに丸投げしてきた。

「だから、それを今考えてるんだってば!」

「ああ、そっか」

少し怒ってボクが言うと、シーザーは眠そうに目を擦って生返事をし、

「じゃ、あとはまかせた。

 オレ、もう寝るよ」

そう言って、ベッドにもぐり込んでいってしまった。

「ちょっと!」

「オレ、実戦派だから準備は苦手」

「そういう問題じゃ……おい!」

「おやすみ〜……」

「シーザー!!」

「…………」

声を荒げて呼び掛けるが、シーザーは頭まで毛布を被ってしまって返事もしない。

狸寝入りならぬ狐寝入りを決め込んでしまったようだ。

「もう!!」

ボクは頭に来たので、毛布を引っぺがしてやろうと思って立ち上がったが、アーサーがそれを押しとどめた。

「あとは僕達でやりましょう。

 シーザーにまかせても――アーサーがちらりとシーザーの荷物を見る――こうなるのがオチですから」

「…………しょうがないな〜」

アーサーの視線の先を追って納得し、ボクは頭をガシガシとかいた。

 

 

最終的に、もう1つ用意した麻袋に3人分に分けた水と干し肉の入った革袋をまとめて入れ、アーサーのサーベルを除いた装備も同じく麻袋に、サーベルはそのままで、ボクとアーサーが用意した救急セットと丸薬も3人分に分け、それらすべてをそれぞれ移蔵石に入れることになった。

そして、封魔晶は3人分に分けてそれぞれを革袋に入れて外から見えないように携帯することに。

これで今現在使っている移蔵石は9個で、向こうで荷物の入れ替えをしても13個で済むことになり、空の移蔵石が2つ残ることになる。

本当に寝てしまったシーザーを恨めしく睨みながら荷物を整理しているうちに、程良い眠気がボクにも訪れ、すっかり荷物をまとめ終えてベッドに入る頃には、大あくびをする程になっていた。

毛布に包まり、眠りを享受する間際、不意に明日の探険への好奇心と不安感が湧き起こってきたが、それもすぐに眠りに閉ざされてしまった。

 

 

朝起きると、すでに両脇のベッドにはシーザーとアーサーの姿はなかった。

ボクは頭に残る眠気を覚ます為に大きく伸びをし、目を擦る。

今日は休みで、しばらくの間、毛布にくるまっていたいところだが、大事な用事のある日だ。

気合いを入れて毛布から這い出すと、一気に目も覚めるような冷気が襲ってきた。

身震いをしつつも急いで着替えをすませ、暖房の効いているであろう1階のリビングへと向かう。

リビングのドアを開けると、案の定、暖房が効いており、暖気が廊下に流れ出してきた。

せっかくの暖気を逃さないよう、急いでリビングに入り、中に向かって挨拶をする。

「おはよう」

リビングのソファにはアーサーが座ってテレビを見ており、キッチンを見ればシーザーが朝食の用意をしていた。

何かを焼いているのか、食材の焼ける音とほんのりと香ばしい香りが漂ってくる。

『おはよう』

ボクの挨拶に返ってきた答えは3人分。

しかし、視界内にはアーサーとシーザーしかいない。

「?」

不思議に思ってリビングを進んでグルリと部屋の中を見回すと、キッチン内のシーザーの横、リビングの入り口からは死角になっていた位置にフレイクがいた。

こんな時間からフレイクがここにいることに少々驚いたが、これはかえって好都合だった。

なぜなら、出掛ける前にフレイク達の誰かに今日出かけることを伝えなければならなかったからだ。

そうしなければ、フレイク達は血眼になってボク達を探そうとしただろう。

それはボク達も困るし、フレイク達にも余計な心配を掛けることになってしまうので願い下げだ。

当然、行き先に関しては嘘をつかないといけないのだが、この際それは仕方がない。

ボクはアーサーの横に座り、キッチンのフレイクの動向をうかがいつつ、聞こえないように小声でアーサーに尋ねる。

「今日、出かけること言った?」

「ええ、言いました」

「何て言ったの?」

「ハーゲン達と街で遊んでくる、と。

 遅くなるかもしれないから、ご飯もいらないとも言っておきました」

「そしたら何て?」

「分かった、とだけ」

「……そう」

小声でのやり取りを終え、キッチンに目を向けると、ちょうどキッチンからシーザーとフレイクが、朝食の乗ったトレイ持って出てくるところだった。

それを見て、ボクとアーサーはダイニングのテーブルへと向かう。

テーブルの上に敷かれた4人分のランチョンマットの上に、それぞれ2枚の皿と1個のグラスが置かれ、テーブルの中央に切り分けられたバゲットの入ったバスケットが置かれる。

グラスは琥珀色の、おそらくアップルジュースと思われる液体で満たされていた。

2枚の皿のうちの1枚はバゲットを置く用の皿で、バターとバターナイフが添えられている。

それだけなら何ということもない、見慣れた朝食の風景なのだが、ボクとアーサーの目を引いたのは、メインとなるもう1枚の皿だった。

「ずいぶんとまた……朝からこってりした物が……」

椅子に座りながら、アーサーがメインの皿を見て、若干ひきつった顔で呟いた。

メインの皿に盛り付けられていたのは、空腹時に見たならば腹の虫が鳴きやまないであろうというくらいにボリュームたっぷりのステーキだった。

アーサーの呟き通り、油のこってりとしたステーキには、これまた濃いブラウンのソースが掛けられ、その上にはスライスされたフライドガーリックの乗っている。

「せっかくの『休み』だからな。

 しっかり食っとかないと」

シーザーが『休み』を強調して言い、椅子に座って揉み手をする。

そのことから、このボリュームステーキがこのあとの遺跡探険の為に体力を付ける為に出された料理だということが容易に理解できた。

そして、遺跡探険に対するシーザーの意気込みも。

しかし、

(いや、さすがに朝からこれは重すぎるでしょ……)

起き抜けに油こってりのステーキはさすがに胃にきついものがある。

とはいえ、ここで文句を言ってシーザーの機嫌を損ねるのは、このあとのことを考えると得策とは言えないので、あくまで心の中での呟きのみにとどめておく。

「あ、食べきれなかったら残していいよ。

 オイラが全部食べてあげるから」

そう言ったのはフレイク。

ボクとアーサーとは逆に、フレイクは朝からのステーキをまるで苦にしていないようだ。

むしろ、フレイクのいつもの食欲を見るかぎり、これでは足りないくらいかもしれない。

ちなみに、フレイクの皿にだけ、ステーキが5枚重ねられている。

「よく食べるよね」

感嘆と呆れの呟きをフレイクに投げ掛けると、

「まあね〜」

フレイクは無意味に胸を張って答えた。

「そんじゃ、食べよっか」

続けて言ったフレイクの言葉に合わせ、

『いただきます』

全員で声を合わせ、ナイフとフォークを手に取った。

食事が始まってしばらく、全員無言で料理に向かっていたが、フレイクが早々にステーキを1枚平らげたところで、ボク達に向かって尋ねてきた。

「そういえばさ、今日友達とどっか出掛けるんだって?」

「うん、ちょっと街の方まで。

 遅くなるかもしれないから、お昼御飯と晩御飯はいらないって、ミラ達にも言っておいて」

答えたのはボク。

フレイクは2枚目のステーキにフォークを刺し、

「あんまり遅くならないようにね。

 クーアから、しっかり『面倒』見るように言われてるからさ」

そう言って、ステーキにかじり付いた。

何となく『面倒』にアクセントを置いていたような気がするのは、ボクの考え過ぎだろうか。

などと思っていると、フレイクの横でステーキにがっついていたシーザーが口を挟んだ。

「大丈夫だって。

 ただ街に降りるだけなんだからさ。

 そんなに心配することねぇよ。

 別に危ないとこに行くわけじゃねぇんだし、なぁ?」

シーザーからの同意を求める声に、ボクとアーサーは顔を見合わせてうなずく。

見合わせた時、アーサーはシーザーがボロを出さないか心配しているような顔だったが、これにはボクも懸念を禁じ得なかった。

とはいっても、フレイクを目の前にして『遺跡探険に行くことを言わないように』と、シーザーに伝えることはできないので、ここは成り行きに任せるしかない。

フレイクは2枚目の肉を食べ終えると、

「ふ〜ん、危ない所ねぇ。

 でも街も結構危ないよ?」

そう言って、一瞬ボクに目を向けた。

視線の意味を理解しつつ、ボクはそれを受け流して食事を続ける。

少しの沈黙があり、フレイクがそれを破る。

「……オイラもついて行こっか?」

「はっ!?」

あからさまな狼狽の声を上げ、シーザーがギョッとした様子でフレイクを見る。

一方でボクとアーサーは、冷静を努めて食事を続ける。

「いいいやいや、いいよそんなの。

 だって友達と遊ぶんだぜ?

 保護者が一緒とか、恥ずかしいじゃんか!」

声を震わせてシーザーが訴えた。

これ以上シーザーに喋らせるのは危険な雰囲気になってきた。

何とか話しの矛先をそらさなければと思っていると、駄目押しにフレイクがシーザーに尋ねた。

「そんじゃ、とりあえず『印章』掛けとく?

 そうすればオイラも安心だし」

「いいって!

 そんなのされなくても別に――」

「あっ!」

声を強めて反論しているシーザーの言葉を遮って、アーサーの短い声と、ゴトッという物の倒れる音がした。

そちらを見ると、アーサーのアップルジュースが入ったグラスが倒れていた。

どうやらアーサーが倒してしまったらしい。

バゲットを取る時に倒してしまったようで、ジュースは下に敷いてあったランチョンマットだけでなく、アーサーのズボンにまでこぼれていた。

「あ〜あ〜」

「タオルタオル!」

フレイクが呟き、シーザーがキッチンにタオルを取りに向かう。

アーサーは空になったグラスを起こし、ランチョンマットの上の皿をどけると、ビショビショのランチョンマットを取り上げる。

「すみません」

謝ったアーサーの声に、あまり悪びれる感じはない。

そのことから、どうもアーサーはわざとグラスを倒したらしいことがうかがえた。

シーザーが余計なことを口走らないようにという苦肉の策なのだろう。

アーサーは、キッチンからタオルを持って戻ってきたシーザーからタオルを受け取ると、ズボンとテーブルを拭く。

「何やってんだよ、も〜」

シーザーは愚痴りながらも、濡れたランチョンマットをタオルで包んで、洗濯機のある脱衣所へと持っていく。

「ちょっと着替えてきますね」

アーサーもタオルでズボンを拭きながら、部屋へと戻っていった。

残されたのはボクとフレイク。

フレイクは2人を見送ると、何事もなかったかのように食事を再開した。

それを見て、ボクもバゲットをひとかじりする。

すると、フレイクが声をひそめて尋ねてきた。

「ホントに『印章』掛けなくて平気?

 ホラ、この間のこともあるしさ、やっといた方がいいんじゃない?」

先日の事件のことを交えてのフレイクの提案。

気遣いはありがたいのだが、今回にかぎれば困る提案だった。

「……大丈夫だよ。

 今日は人数も多いし、それに前の事件の人達は皆捕まったんでしょ?」

「そうなんだけどさ、一応さ」

「平気だって。

 シーザーも言ってたけど、危ない所に行くわけじゃないんだから」

「……そう?

 だったらいいんだけどさ」

「でも、心配してくれてありがとうね」

「そりゃ、オイラも君等の保護者の1人だからね、こう見えても。

 心配するのは当たり前だよ」

そう言って食事を再開するフレイク。

最後の言葉に、少し心が痛む。

しかしここで暴露してしまっては、ボク以外の5人に申し訳がないこともあり、痛む心をグッとこらえてボクも食事を再開した。

 

 

(……よし、おかしくない)

部屋の隅にある姿見に全身を映し、自らの格好に何の問題もないことを確認すると、ボクは心の中で満足する。

姿見に映った自分の姿は、上はダウンジャケットに下はジーンズという、街に降りる為だけの格好としてはまったく違和感のない格好だ。

諸々の荷物の入った移蔵石や封魔晶の入った革袋は、すべてジャケットのポケットや、紐で縛って胴に巻き付けてあるので、外からは見えない。

「準備いい?」

振り返って後ろにいるシーザーとアーサーに声を掛けると、2人も似たり寄ったりの格好で、とてもどこかへ探険に行くという格好ではなかった。

「オッケー!」

「僕もいいですよ」

2人が答え、ボク達は顔を見合わせる。

時計を見ると、待ち合わせ時間の9時までは、あと20数分といったところだった。

「じゃあ、そろそろ行こうぜ!」

ワクワクを隠し切れない様子でシーザーが言い、部屋を先頭を切って出ていき、アーサーとボクがそのあとに続く。

階段を降り、リビングにいるフレイクに一声掛ける為にそちらに向かおうとすると、リビングから電話の呼び出し音が響いてきた。

「? 誰だろ?」

立ち止まったシーザーが呟く。

すぐに呼び出し音は途切れ、フレイクが出たのだろうことが分かった。

廊下を進みリビングのドアを開けると、案の定、フレイクが応対していた。

「あ、来たよ」

フレイクは、顔はボク達の方へ向けながら、声は電話の向こうの人物へ掛けていた。

「誰ですか?」

横でアーサーがフレイクに尋ねると、フレイクはニコッと笑いながら受話器を差し出し、

「クーアから」

と伝えた。

『!』

それを聞いたボク達は我先にとフレイクの差し出した受話器に飛び付いた。

シーザーがフレイクからひったくるように受話器を奪うと、

「もしもし! クーア?」

と、受話器に向かって話し掛けた。

ボクは壁に掛かっている電話本体の通話音量を上げるボタンを押す。

すると、受話器からクーアの声がボクとアーサーにも聞こえてきた。

『シーザーか? おはよう……だな、そっちは』

「おはようですよ、こっちは。

 そっちは違うんですか?」

シーザーの持つ受話機の送話口に顔を近付けて、アーサーがクーアに話し掛ける。

『こっちは夜だよ、アーサー。

 今は夜の10時だな。

 そっちは9時前くらいか?」

「ええ、そうですよ」

『朝飯食ったか?

 ちゃんと食わないと、体ができないぞ」

「今日は腹一杯食ったぜ!」

クーアの問い掛けにシーザーが答える。

「こってりステーキ1枚!」

無意味に胸を張って言うシーザーの言葉に、受話器の向こうでクーアが小さく笑った。

『おいおい、そりゃまたずいぶん重い朝飯だな。

 そんなこってりしたの、ちゃんと食べられたのか?

 お前はともかく、ジークなんか食が細いから食べ切れなかったんじゃないか?』

「そうなんだよ、せっかく作ってやったのに残しやがってさ〜。

 なぁ、ジーク?」

言って、シーザーがからかうようにボクを睨み付けてくる。

ボクが苦笑いで対応していると、クーアが助け舟を出してくれた。

『朝からそんな重いの、ジークじゃなくても普通は食えない、っていうか食わないぞ。

 朝昼晩と、バランス良く適度に食わないとな。

 そう言ってやれ、ジーク』

「うん。 でも、もうクーアが言っちゃったね」

ボクが言うと、

『だな。 元気か?』

クーアが少し緩んだ声で尋ねてきた。

「うん、元気だよ。 クーアは?」

『まぁ、いつも通りだな。

 レンジャーは体調管理もしっかりできないといけないからな』

クーアの言葉を聞き、アーサーがシーザーをジロリと見る。

「だそうですよ、シーザー」

「な、何だよ?」

アーサーの視線にたじろぎながらシーザーが返す。

すかさずアーサーは、受話器越しのクーアにも聞こえるような声で、

「暴飲暴食は控えないといけないってことです。

 それから、今クーアが言ったように、バランスの取れた食生活もね」

ずいっとシーザーに詰め寄って言った。

「わ、分かってるっつーの、そんなの」

シーザーはアーサーから逃げるように身を仰け反らせる。

そのやり取りを見、聞き、ボクもクーアも小さく笑った。

『そういえば、今日出掛けるんだって?』

クーアが話題を切り変え、尋ねてきた。

フレイクから聞いたのだろう。

それを聞いたボク達は一瞬固まるが、即座にボクが嘘をついた。

「うん、ハーゲン達と街で遊ぶんだ」

余計なことを言ってボロを出さないよう、簡潔な解答で済ませる。

見れば、アーサーが視線でシーザーを制していた。

『そうか……気を付けてな』

少し心配そうな声で言ったクーアの言葉に、ボクは心にチクリと痛みが走った。

それはシーザーもアーサーも同じようで、2人共バツの悪そうな表情をしている。

妙な空気が場に漂ったが、気を取り直してボク達はクーアとの会話を続けた。

といっても、クーアが仕事に出掛けたのは一昨日の朝なので、とりたてて変化のある生活を送ったわけではない。

話題といえば、ごく普通の、日常的な会話ばかりだった。

シーザーがクーアが今している仕事内容について質問することもあったが、クーアはのらりくらりとそれらをはぐらかした。

そんな風にして、しばらくクーアとの会話を楽しんでいると、ふと時計を見た時には、時間はすでに8時50分になっていた。

「あっ! やばっ、遅れちゃう!」

時計を見てあげたボクの声に、シーザーとアーサーも時計を見て驚く。

『ああ、待ち合わせ時間か?』

電話の向こうでクーアが尋ねてくる。

「うん、もう行かなきゃ」

ボクが答えると、

『そうか。 悪かったな、長々と』

と、クーアが詫びてくるが、

「そんなことないですよ」

首を振ってアーサーがそれに答えた。

『じゃあ、気を付けて行ってこいよ?』

「だ〜いじょうぶだって!」

注意をうながすクーアの言葉に答えたのはシーザー。

次いで、シーザーが、

「クーアも、仕事気を付けろよ?」

されたのと同じように注意をうながす。

『ああ、もちろんそうするよ』

シーザーの言葉に、クーアが薄く笑ったような声で答えた。

『それじゃあ、また連絡入れるよ。

 フレイクに代わってもらえるか?』

クーアの指示に、ボク達はリビングを見回す。

リビング内には、いつの間にいなくなったのか、フレイクの姿はなかった。

「あれ?」

シーザーが声を上げ、

「おーい! フレイクー?」

と、姿の見えないフレイクに呼び掛けた。

すると、玄関の方から、

「はいよ〜」

と、フレイクの返事が。

すぐに玄関側の廊下にフレイクの姿が現れ、パタパタと背中の翼をはばたかせながらこちらに向かって飛んできた。

「何?」

ボク達の前で制止し、小首を傾げて尋ねてくるフレイク。

そんなフレイクにシーザーは受話器を差し出し、

「クーアが代わってくれってさ」

と、告げた。

「はいはい」

言って、フレイクは受話器を受け取ると、時計に目を向けた。

「そろそろ時間じゃないの?」

「ええ。 だから僕達、もう行きますね」

フレイクの問いに、アーサーが答える。

「うん、気を付けて行ってきなね〜」

フレイクはニッコリと笑むと、ボク達を飛び越えてソファの方へと行ってしまった。

そして、そのまま電話でクーアと会話を始める。

そんなフレイクに向かって、ボク達は声を揃え、

『行ってきま〜す!』

と、出発の挨拶を掛ける。

フレイクは尻尾を立ててボク達に向かって振り、それに応えた。