「じゃあ、行ってきます!」
そう言って、ボクはシーザーとアーサーと共に玄関を出た。
振り返れば、玄関口に立ったクーアが、
「気を付けてな」
と、声を掛けてくれた。
時間は午後の1時。
今日は年末ということもあって、勉強と訓練は休み。
というより、これから始原祭が終わるまでは、ミラもアルファスもフレイクも何かと忙しいらしいので、勉強と訓練には付き合えないという。
なので、せっかくの連休を、ボク達3人は謳歌することにした。
今回の3人での外出の理由は、今夜開かれるクーアの誕生パーティの買い出しだ。
ボクの財布には、買い出し用として、クーアから手渡された20000クリスタが入っている。
ボクに預けてくれたのは、クーア曰く、『お前が一番安心できるから』だとか。
財布の管理を任されるとは、なかなか責任重大だ。
ボクは知らず知らずのうちに、ズボンの後ろポケットにしまった財布に手を添えていた。
街へ向かう道中、ボクが財布を任されたことが気に入らないシーザーが、しきりに『金を渡せ』とせがんできた。
曰く、
「料理を作るのはオレなんだから、食材を選ぶのも当然オレだろ?
だから買うのもオレで、金持つのもオレなのが当たり前じゃねぇの?」
ということらしい。
ボクは当然、これを却下。
理由は簡単。
食材・非食材を問わず、絶対に無目的に物を買い漁るからだ。
小遣い浪費の前科がある以上、シーザーに金を預けるのは危険すぎる。
却下するたびにブツブツと文句を口にするシーザー。
文句が噴出するたびに、隣のアーサーがそれをなだめていた。
アーサーは、ボクが財布を任されたことを、特に気にしている様子もない。
とはいえ、アーサーに金を預けることにも、一抹の不安が残る。
前科があるわけではないが、その嗜好が問題ありだからだ。
もしも気に入った武具の1つでも目に飛び込んできたのなら、どういう行動に出るか分からない。
さすがに20000クリスタ程度では、アーサーの気に入った武具が手に入るとは思えないが、念には念を、である。
そんなこんなで、不平不満で口うるさいシーザーを、ボクとアーサーの2人で黙らせつつ、クォント門前の大広場に辿り着いた。
平日ではあるが、年末なので、休日並みかそれ以上に人が多い。
今夜は始原前夜祭もあるので、そのせいもあるのだろう。
はぐれたら大変だ。
ここに戻っては来られても、2人と再会する自信はない。
「おい」
不意にシーザーから呼び声が掛かった。
振り向くと、シーザーが手を差し出している。
「? 何?」
疑問に思い尋ねると、シーザーは手を伸ばしてボクの手を掴み、
「またはぐれられると厄介だからな。
人が減る所まで、手ぇつないでてやるよ」
と、ぶっきらぼうに答えた。
「あ、うん……」
シーザーの気遣いに、ボクは少し照れくさくなったが、掴まれた手を握り返した。
そこへ、
「ナニナニ? 2人、できてんの?」
と、聞き覚えのある声が、横合いから掛けられた。
見れば、そこには、やはり覚えのある姿が。
「! てめぇ……!」
シーザーが嫌悪を込めて言い、慌ててボクから手を離した。
その視線の先には、光沢を帯びた緑色の羽毛を纏い、頭の羽毛を逆立たせた鳥人ルータスが立っていた。
両隣には、金の鱗を持つ陸竜科の竜人モルドと、陽の光を受けて銀色に輝いて見える被毛を纏った獅子獣人ハーゲンもいる。
「よ! ジミーズの3人は、そろってお出かけ?」
「あ? なんだよ、ジミーズって」
ルータスの言葉に、シーザーが噛み付く。
ルータスはニヤニヤと笑いながら、ボク達を順番に指差し、
「地味な3人組だからジミーズ。
なかなか似合ってるだろ?」
と、ケタケタと笑い出した。
「んだと、この野郎!」
飛び掛かりそうになるシーザーを、アーサーが素早く掴んで引き止めた。
「離せ! この!」
「落ち着いて!」
暴れるシーザーを、アーサーは力づくで押さえつける。
それを見ながら、さらにルータスが笑い出す。
「おやおや~? 仲間割れですか~?
ジミーズの面々はお見苦しいですね~」
「こんの……!! 離せアーサー!!」
「駄目ですって!」
暴れるシーザー、抑えるアーサー、笑うルータス。
場が混沌としてきた。
しかし、ゴッという鈍い音と共に、
「ぐわっ!?」
ルータスの悲鳴が上がり、場が鎮まった。
音の原因は、ルータスの右に立っていたモルドが、ルータスの頭上に落とした拳骨だった。
かなり強めに殴ったのか、ルータスが頭を抱えてうずくまる。
そこへ、ルータスの左に立っているハーゲンの足が動き、うずくまったルータスを蹴り倒した。
「いってぇ!!!」
脇腹の辺りをつま先で蹴られたルータスは、倒れたまま悶絶する。
「お前はどうして、そう、神経を逆撫でするようなことばっかり言うんだ?」
悶絶しているルータスを見下ろしながら、ため息と共にモルドが言った。
「会って早々、悪いね。
見ての通り、今、しつけたから」
特に気もなく、ハーゲンが言う。
「そんなんじゃ生ぬりぃ!」
怒り冷めやらぬシーザーが吠えると、ハーゲンはチラリとルータスを見下ろし、
「じゃあ、君も蹴るかい?」
と、こともなげに言った。
その言葉に、シーザーよりもルータスの方が早く反応。
「仲間売る気かよ!?」
「お前じゃいくらにもならないけどね」
「~~~ッ!」
平然と言うハーゲンに、ルータスが絶句。
さらに追い打ちをかけるように、モルドがルータスの襟首を掴んで立たせ、さらに頭を後ろから押して、頭を下げる姿勢を取らせた。
「ほら、謝れ」
「うぐぐぐ……」
ルータスは必死で頭を押し戻そうと抵抗しているようだったが、力ではモルドにかなわないのか、やがて諦め、
「悪かったよ……」
と、非を認めた。
それを聞き、アーサーが、羽交い締めしているシーザーに向かって、諭すように言う。
「謝ってることですし、もういいでしょう?」
「ぐぅぅぅ…………仕方ねぇな……」
まだ納得していない様子だったが、シーザーは謝罪を受け入れた。
(……どこかで見た、というか、体験した光景だなぁ)
などとボクが思っていると、
「それより……」
モルドが顔を赤く染め、辺りをチラチラと見ながら呟いた。
「場所、移さないか?」
言われ、ボクも周囲を見回せば、多数の通行人が怪訝そうな顔付きでボク達を見ていた。
21番公園。
ボク達3人と、ハーゲン達3人が、全員で出会った場所だ。
出会いがしらの一悶着のあと、ボク達はその場から逃げるようにここに来た。
公園の中心付近にある噴水、その周りを囲むようにして設置されたいくつかの3人用のベンチに、それぞれ、ボクとシーザーとアーサー、ハーゲンとルータスとモルドに分かれて座った。
また喧嘩にならないよう、シーザーとルータスは反対側の端に座らせている。
「で、3人はどこに行こうとしてたんだい?」
ベンチ同士の隙間を挟んだすぐ隣に座るハーゲンが、ボクの方を見て尋ねてくる。
「今日、夜にクーアの誕生パーティをやるんだ。
その買い出し。
ハーゲン達は?」
「僕達は特にあてはないね。
始原祭が終わるまでやることがないから、街中をブラブラしてるだけ」
返した問いに、ハーゲンが答える。
その答えに対し、シーザーが噛み付いた。
「その割には、計ったようにオレ達の前に現れたじゃねぇか」
「偶然だよ」
勘ぐるようなシーザーの質問に、ハーゲンが即答する。
その隣を見れば、何かを言おうとしていたルータスの嘴を、モルドが上下から挟んで黙らせていた。
「クォントの中を見て回ろうかと思ってたところに、君達がたまたま現れただけ」
「……ふん」
ハーゲンの補足に、シーザーが鼻を鳴らす。
態度から明らかだが、シーザーはハーゲン達に対して、いい印象を持っていないようだ。
モルドはともかく、ハーゲンとルータスに対しては、初対面での衝突があるから仕方がないのかもしれないが。
「じゃあ、このあと、またクォントに?」
場の空気が悪くなる前に、アーサーが話を進めた。
ハーゲンは少し考える様子で、ルータスとモルドに視線を送る。
まだルータスの嘴を押さえていたモルドは、ハーゲンの視線に気付き、小首を傾げて見せた。
ルータスはモルドの手から逃れようともがいている。
2人に視線を送ったあと、ハーゲンはこちらに向き直り、
「いや。 もしよかったら、君達に付いていっていいかい?」
と、ボク達の買い出しの同行を切り出した。
「はぁ!?」
シーザーが、あからさまに嫌そうな声を出し、立ち上がる。
しかし、ボクは何となくそんなことを言ってきそうな気がしていたので、
「うん、いいよ」
ボクは、あっさりと同行を了承した。
これに対し、
「はぁ!?」
今度は、モルドの手から逃れたルータスが、あからさまに嫌そうな声を出し、立ち上がった。
そして、
「じゃあ、決まりだね」
そう言ったハーゲンの言葉に対し、
『はぁ!?』
シーザーとルータスの心底嫌そうな声が重なった。
その2人の見事な連携に、
「…………」
「……息、合ってるな、お前達」
アーサーは沈黙で、モルドは呆れたような声音で、感想を述べた。
目の前には、始原前夜祭の飾り付けも派手な、10階建てのビルが聳えていた。
様々な商品が揃う、クォントの中心街にあるデパートだ。
以前、ミラと1回来たことがある。
食料品を含め、それ以外の物も、多種多様、多数揃っており、1度に買い出しを済ませるには、こういう場所が一番だ。
というわけで、ボク達6人は、トランスポーターを利用し、あの公園からわずか十数分でここに着いた。
「さっさと済ませようぜ」
真後ろでシーザーが不機嫌そうに言う。
「そうそう、さっさと済ませて解散、解散」
同調してルータス。
が、2人共、同調されたこと、同調してしまったことに気付き、それが気に入らなかったのか、直後に2人で睨み合う。
シーザーとルータスは、今のやり取り通り、不満ありありだったが、モルドとアーサーはまんざらでもなさそうだ。
それどころか、なかなかに意気投合をしているようだった。
公園から十数分の道中とはいえ、なぜか会話がはずんでいる。
シーザーとルータスとは正反対に、この2人は相性がいいらしい。
「さっさと、は別にいいけど、済ませることは済ませた方がいいだろうね」
横を歩くハーゲンが言った。
「そうだね。 食料品は地下にあったはずだよ」
言って、ボクは先頭を切ってデパートの自動ドアをくぐった。
中は空調が効いているのか、外よりも格段に暖かい。
「ふぅ。 やっと暖かい所に入れたか」
後ろでモルドが呟いた。
「寒いのは苦手ですか?」
と、アーサー。
「まぁ、あんまり得意じゃないな。
君等と違って、羽毛や体毛がないからな。
君もそうだろ?」
答えながら、モルドはボクに話を振ってきた。
ボクはうなずくと、モルドに顔を向けて答える。
「うん。 ボクも寒いのは苦手かな。
あんまり寒いと、シーザーとかアーサーが羨ましくなる時があるよ」
「夏場はあまりいいものじゃないけどね」
「そうそう。 汗かくと羽毛がベットリで傷みやすくなる。
せっかくのオレのカッコ良さも半減しちゃうんだよね~」
ボクの言葉に、ハーゲンがフォローするように言い、次いでルータスが、彼らしい不満を述べた。
「けっ、な~にがカッコ良さだ」
明後日の方を向きながら、シーザーがバカにするように呟いた。
それを耳にしたボクは、また喧嘩が始まる前に、話題をそらす。
「そ、そういえば、ルータスのその羽毛って、自前なの?
すごく極彩色って感じだけど」
ボクの問い掛けに、シーザーに対して文句を言おうと構えていたルータスが素早く反応した。
「もちろん! すっごいキレイだろ?
自分でも気に入ってるんだ~」
ウットリした表情で自らの手や翼を眺めながら、ルータスが答えた。
「キモぅぐっ!?」
何かを言いかけたシーザーの口を、アーサーが素早く塞ぐ。
未然に喧嘩を防いでくれたようだ。
文句も反論もされることがなかったルータスは、さらに陶酔した表情で続けた。
「手入れにも気を使ってるんだぜ?
シャンプーは羽毛に優しい物しか使わないしさ、根元まで乾燥させて手櫛でしっかりととかしてるんだよ。
じゃないと、変な方向に羽毛がはねちゃうんだ。
寝る時も気を使わないと、同じように癖がついちゃうしさ。
そうなったら、もう1日のテンション下がりまくり。
最悪極まりないよ」
「そ、そうなんだ……」
自分の世界に入り始めたルータスに、若干引いたボクが相槌を打つ。
「そうなんだよ~。
それにこの飾り羽!
オレの最大のチャームポイントでビューティフルポイントなんだけど――」
「ルータス、うるさい」
延々と続きそうだったルータスの『美しい談義』を、ハーゲンがピシャリと打ち切った。
「え~!? もっと語らせろよ~」
「なら、鏡にでも語ってたら?
バカみたいに」
ごねるルータスに、ハーゲンは暴言を浴びせ掛けた。
「…………」
さすがにこれは効いたのか、ルータスはすっかり黙り込んでしまった。
ボクの後ろでは、それを見たシーザーがニヤニヤと笑っている。
そんな会話をしているうちに、ボク達は目的の地下1階、食品売り場に辿り着いていた。
「うぉ~、やっぱ、いっぱいあるな~!」
食品売り場に辿り着いた途端、シーザーが目を輝かせて言った。
シーザーもアーサーも、以前の買い出しの折、ここを訪れているらしい。
「さっそく選ぼうぜ!」
はしゃいだ様子で、シーザーが1人、食品売り場の中へと歩を進めていった。
「少しバラけようか」
言って、ハーゲンがシーザーとは別方向に歩き出す。
「あ、待てよ!」
そのあとをルータスが追う。
「じゃあ、僕も適当に見て回りますね」
と、アーサー。
それに、
「俺も一緒に行こう」
モルドが付いていった。
残されたボクは、シーザーのあとを追うことにした。
少し離れた所で、シーザーはカゴの入ったカートを押しながら、周囲を見回していた。
そして、しばらく歩き、肉を売っているコーナーで足を止め、パックに詰められた肉を品定め。
その横に並んで、ボクも真似して肉を品定めしてみるが、どれもこれも同じにしか見えない。
やがて何パックかをカゴに入れると、さっさと次の場所に向かっていった。
はぐれないようにあとを追いながら、シーザーに話し掛ける。
「ねぇ」
「ん~?」
シーザーは、鮮魚のコーナーで足を止め、肉の時と同じようにパック入りの魚を品定めしながら、上の空の様子で返事をした。
「あの3人、一緒に連れてきたこと、怒ってる?」
「べ~つに~」
先程の不機嫌さはまったくなく、どうでもいいというような調子でシーザーが答えた。
「ならいいけど……」
少し安心して息を吐くボク。
シーザーは、やはり何パックかをカゴに入れ、カートを押し始めた。
が、急に足を止め、こちらを向かずに言った。
「あのルータスはムカつくけど、他の2人は別にムカついてねぇ。
モルドは結構いい奴そうだし、ハーゲンの奴も……まぁ、前の時はムカついたけど、今は別に」
再びカートを押し始めるシーザー。
そのまま話を続ける。
「……あいつの言ってたことも、少し分かる気がするんだ。
クーアが何百年生きてるか知らねぇけど、少なくとも200年……まぁ、それ以上は生きてるんだろ?
少なくても、普通の人間の3回分くらいの人生生きてるってこった。
それって、クーアの周りの普通の人間……友達とかさ、レンジャーの仲間とかさ、そういう連中は、3回くらい死んでるってことだよな?。
いや、もっとかな?」
そこまで言って、シーザーは足を止め、今度はこちらを振り向いて言葉を続けた。
はっきりと分かるほど、沈んだ声で。
「自分の大切な人間が、歳取ってヨボヨボの爺さん婆さんになって、自分残して死んでくの見たり、聞いたりするのって、どんな気持ちなんだろうな」
「…………」
「それでも自分はそのままで、数字だけ歳取ってくってのは、どんな気持ちなんだろうな」
「…………」
「そう考えるとさ、ハーゲンの言ってたこと、少し分かる気がするんだよな……」
「……………………」
ボクは何も答えることができなかった。
(そうか……ボク達が大人になっても、年寄りになっても、クーアはあの姿のままで……もしかしたら、ボク達が死んでいくのを看取らなきゃいけないのかもしれないんだよね……)
そう考えると、ずっと先のことのはずなのに、もしかしたらそうはならないのかもしれないのに、無性に悲しくなってきた。
考えれば考えるほど、想像すれば想像するほど、どんどん悲しくなってきて、胸の奥からこみ上げてくる何かが、目から溢れた。
「お、おい……」
慌てた様子のシーザーに声を掛けられ、ボクはハッとして目をぬぐった。
シーザーは、鼻をすするボクを気遣わしげに見て、
「悪ぃ……変なこと言っちまったな」
と、呟くように謝った。
ボクは首を勢いよく横に振り、シーザーが悪くないことを示した。
そして、思い切り鼻をすすると、
「でもさ! でも、きっと誕生日のお祝い、喜んでくれると思うよ!
だって、クーア、嬉しいって言ってくれたし、ありがとうって言ってくれたじゃない!」
悲しい気分を吹き飛ばすように言った。
シーザーは、肩の力を抜くように息を吐き出すと、
「そう……だよな!」
と、ボクの言葉に同意を示してくれた。
次いで、カートに向き直ると、
「よ~し、ならさっさと選んで、帰ってパーティの支度しなきゃだな!」
言って、大股でカートを押し始めた。
もう1度目元をぬぐい、鼻をすすって、ボクはそのあとに従った。
しばらく物色しながらの移動が続き、シーザーがあれこれ手に取り品定め、ある物は棚に戻し、ある物はカゴに入れていく。
やがて菓子コーナーのすぐそばまで来た時、棚の陰からルータスが姿を現した。
「お、いたいた」
どうやらボク達を探していたらしい。
ルータスはボク達に近寄ってくると、手にしていた物をカゴに放り込んだ。
「おい! 何勝手に入れてんだよ!」
怒ってシーザーが怒鳴るが、すかさずルータスが反論。
「いいだろ~、別にさ~。
それに、パーティっつったら、お菓子系は基本じゃん?」
ルータスの言葉にカゴの中を覗き込んでみれば、見たことのある菓子が入っていた。
それは、シーザーが好んで食べていた、棒状のクッキーにチョコレートをコーティングした物だった。
「…………」
入れられた商品を見て、それが自分の好物だということに気付いたシーザーが黙る。
これを買いたい気持ちもあるが、それをルータスが選んできたことが気に入らない、そんな複雑な表情をあらわにし、悩むこと数秒。
「……ま、オレの金じゃねぇしな」
言って、商品をそのままカゴに入れ、さっさとカートを押していってしまった。
買いたい気持ちが勝ったようだ。
自分の意見が通ったルータスが勝ち誇ったような笑みを浮かべたが、それにシーザーが気付かなかったのは幸いだった。
しかし、それに味をしめたのか、ルータスは近くの菓子の棚から、手当たり次第に商品を手に取り、次々にカゴの中に放り始めた。
「おっ……! ふざけんなこの野郎!!」
さすがにこれにはシーザーも激怒。
が、ルータスも負けじと反論。
「お前の金じゃないからいいんだろ~?」
「やめろ!! このっ……ジーク!! お前も見てねぇでこのバカ止めろ!!」
ルータスと揉み合いになりながら、シーザーがボクに叫んだ。
「う、うん」
とりあえずルータスはシーザーに任せておき、ボクはカゴの中に放り込まれた商品を取り出し、棚に戻していく。
それを見たルータスは、
「あ! なんで戻すんだよ!」
と、声を張った。
そこへ、
「やめろ、ルータス!」
いつの間にか近くまで来ていたモルドが、ルータスの後ろ襟を掴んで怒鳴った。
「どうしたんですか?」
その後ろには、ジュースやら茶やらの飲み物が入れられたカゴを手にしたアーサーの姿もある。
「このバカが勝手に菓子をカゴの中に放り込みやがったんだ!」
シーザーが訴えると、途端にモルドの表情に怒りの色が混ざり、
「何だよ~」
と、不満そうにモルドを睨み付けるルータスの側頭部に向かって頭突きを1発。
「イッ……テェェェ!」
ルータスはこめかみ付近を押さえて、その場にうずくまってしまった。
「ざまぁみろ!」
シーザーが嬉々とした調子でルータスを見下ろす。
ちょうどそこへハーゲンが姿を現した。
ハーゲンは、うずくまるルータスを見下ろすと、モルドにちらりと視線を送る。
「勝手に菓子をカゴに入れて邪魔したらしい」
簡潔に状況を説明するモルド。
ハーゲンは視線をルータスに戻すと、その脇にしゃがみ込み、ルータスの尾羽の飾り羽を1本手に取り、
「次に迷惑掛けたら、これ、引き抜くから」
と、静かに脅しを掛けた。
「……分かったよ」
側頭部を押さえながら、ルータスがぼそりと答えた。
「悪かったね」
言いながら、ハーゲンがカゴに入れられた菓子を取り出し、棚に戻していく。
次々と商品が戻されていく中、最初に入れられたシーザーの好物の菓子も戻されてしまった時、シーザーが、
「あっ……それは……」
と、残念そうに呟いたのを聞いて、ボクは思わず吹き出してしまった。
「なんとか足りたな~」
横の席に置かれた、大量の商品に目を向け、シーザーが言った。
ここはデパートの9階にある喫茶店。
買い出しを終え、どこかで休もうかという話になった時、ルータスが『甘い物が食べたい』と言いだしたのがきっかけで、今ここにいる。
言いだしっぺのルータスの席には、見ているこちらが胸焼けしそうなほどの量の甘いデザートがズラリと並べられ、ルータスは黙々とそれを食していた。
他の面々は、ボクを含め、軽食と飲み物程度で済ませている。
「でも、だいぶ買い込んだよね」
シーザーの横の商品を見ながら、ボクが言う。
買った商品は、1人では持ち切れないほどの量だ。
正直、ここまで買う必要があったのかは疑問だが、
「これならフレイクの胃袋も満腹になるだろ」
そうシーザーに言われて、すぐに疑問を撤回した。
フレイクはよく食べる。
それこそ、あの小さな体のどこに入っていくのかと思うくらいに食べる。
本人曰く、エネルギーの吸収と消費の効率がすこぶるいいから、らしいが、それでは納得できないくらいに食べる。
ひょっとしたら、今日買った食品の半分くらいなら、1回の食事で食べきってしまうのではないかというくらいに食べる。
思い返してみれば、ボク達に物を教えている時も、絶えず何かを口にしていたような気がする。
「でも、料理するのは大変そうですね。
もう2時半になりますし、間に合いますか?」
「ん~? 出来合いの物も買ってあるから、もうちょいゆっくりしても大丈夫だろ。
手際良く作れば問題ねぇ、任せとけ」
パンケーキを切り分けながらのアーサーの質問に、ほとんど氷だけになったメロンソーダの残骸をズルズルとすすりながらシーザーが答えた。
そのシーザーに向かって、黙々とデザートを食していたルータスが、その手を止めて尋ねる。
「へ~。 お前、料理得意なんだ?」
珍しく棘のないルータスの殊勝な態度と語調に、今までなら険のある語調と言葉で返していたシーザーも毒気を抜かれたようで、
「まぁな」
と、得意気に胸を張って答えた。
そんなシーザーを、さらに持ち上げるように、コーヒーのカップを置きながらハーゲンが付け加える。
「彼の料理はおいしいよ。
僕は食べたことがあるからね」
そういえば、ハーゲンと最初に会った日に、シーザーの作ったオムライスを食べていたことを、ボクは思い出した。
「味にはうるさいからな、ハーゲンは」
ハーゲン同様、コーヒーのカップを置きつつ、モルドが呟くように言った。
「宿の飯がまずいと、一口も食べないもんな、お前」
「無理してまでまずい物を食べたいとは思わないからね」
モルドの言葉に、自論を述べ、コーヒーを口に含むハーゲン。
今のハーゲン達のやりとりで、シーザーの料理の腕前がかなりのものと評されたと判断したのか、当のシーザーはさらに胸を張って誇らしげだ。
「そりゃ、ちょっと1回食べてみたいな~」
ルータスの言葉に、シーザーが目をしばたいた。
ボクとアーサーは目を見合わせ、モルドも口を半開きにしてルータスを見、ハーゲンさえも目を見開いてルータスを凝視。
シーザーとは犬猿の仲と思っていたルータスの、歩み寄りともとれる意外な言葉に、皆が驚いた。
「なんだよ? オレ、変なこと言ったか?」
当の本人は、自分の発言の意外さにまったく気付いた素振りもなく、目の前のストロベリーパフェをパクつきながら、誰にともなく言った。
シーザーは決まり悪そうに頭の耳の後ろをかいている。
「いや、意外というかなんというか……」
みるみるうちに減っていくパフェを見ながら、答えるように呟くボク。
「?」
ルータスは、まだボク達の反応の意味が分かっていないようで、ボク達の様子を見ながら、ひたすらパフェを減らす作業を続けている。
「お前とシーザーは仲が悪そうだったから、お前がシーザーの料理を食べたいって言ったのが以外、ってことをジークは言いたいんだよ」
理解の鈍いルータスに、モルドがボクの気持ちをそのまま代弁するような説明を付け加えた。
それに対し、ルータスは、
「え? 普通に仲悪いだろ、オレ達」
と、また角が立つようなことを言う。
ところが、これまた意外なことに、今度はシーザーが気を悪くした様子もなく、なんとも複雑な表情でルータスがパフェをかき込むのを眺めていた。
「……そろそろいい時間だし、解散しようか。
そっちもやることがあるだろうしね」
場が微妙な空気になったところで、ハーゲンが仕切った。
「え~!? まだ全部食ってないじゃん!」
ルータスが卓上を見回して不満を口にするが、ハーゲンは相手にもせず、伝票を手に席を立つ。
次いでモルドも立ち上がり、ボク達もそれに続いた。
ルータスは最後まで食べる意思を見せていたが、席に1人取り残されると、後ろ髪を引かれるようにテーブルをチラチラと見ながらボク達に追いついた。
「ここは僕が払うよ」
言って、ハーゲンが財布から金を取り出す。
「そういうわけには……」
アーサーが遠慮がちに言うが、ハーゲンはそれを無視し、支払いを終えてしまった。
「いいの?」
ボクは財布を出しながら問うが、ハーゲンは首を縦に振るだけで応えた。
後ろから、
「オレの分も払ってくれた?」
と、ルータスが尋ねるが、それに対してはハーゲンは首を横に振り、
「お前は自分で払ってね」
それだけ言い残し、さっさと喫茶店から出ていってしまった。
「そりゃないぜ~……」
心底がっかりしたように呟き、ルータスは肩を落として渋々財布を取り出していた。
「じゃあ、またね」
クォント門前の大広場で、ハーゲンがボク達に向かって別れの言葉を残し、3人は帰っていった。
ボク達3人は、両手に荷物を抱え、ハーゲン達が人混みに消えたのを見届けると、さっそくパーティの準備に取り掛かる為、クーアの部屋へと戻ることにした。
その帰り道、トランスポーターの順番待ちの列に見知った人物の後ろ姿を見留めた。
列の一番後ろにいる、背に生えた翼をわずかに動かしながら空中に静止しているその人物に、ボクは近付きながら声をかける。
「フレイク!」
その人物、フレイクは、空中でくるりとこちらに体を向け、ボク達のことを見留めると、
「お~。 どっか行ってきたの?」
と、フワフワとこちらに向かってきた。
そして、ボクの目の前まで来ると静止し、ボク達が手に持っている買い物袋に目を落とした。
「買い物?」
「うん。 今日、クーアの誕生日でしょ?
だからそのパーティの買い出し」
ボクが答えると、フレイクはパッと顔を輝かせ、
「パーティ!? やった!」
ボクの頭の上に着地しながら、自分が祝われるかのようにはしゃいだ声を上げた。
「お、重い……」
「あ、ゴメンゴメン」
ボクの苦情に、謝りながらフレイクが再び宙に浮遊する。
フレイクの体長は40cmくらいでそれほど大きくはないが、体重は10kgほどもあり、見掛けよりも重い。
というより、竜族の多くの種は、総じて見掛けよりも重い。
骨格や筋肉、その他諸々の体の構造が問題らしいが、同じ理由で見掛けよりも軽い種の多い鳥族に比べると、同じ身長や体長で倍、あるいは数倍、数十倍の体重差があるらしい。
ボクも、ボクより身長の高いアーサーの倍以上の体重がある。
それはさておき。
「ねぇねぇ、肉買ってきた、肉」
目を輝かせ、フレイクが詰め寄って尋ねてくる。
「もちろん、買ってきたぜ」
隣にいたシーザーが、買い物袋を広げて見せると、フレイクが上から覗き込んだ。
「おお~……!」
小さな歓声を漏らし、せわしなく太い尻尾を揺らすフレイク。
その口からは涎が溢れ、滴り落ちそうになっている。
「おい! よだれよだれ!」
慌ててシーザーが指摘し、買い物袋をサッと避けた。
「おっと!」
と、フレイクは舌舐めずり。
続けて腹までグゥグゥ鳴らしている。
「お昼、食べてないんですか?」
アーサーが尋ねると、フレイクは首を横に振り、
「食べたよ。
焼き鳥50本とステーキ串30本」
「…………」
聞いたアーサーは、無言無表情。
焼き鳥50本とステーキ串30本といったら、一般人には相当な量だが。
「そんなことより、早く戻ってパーティの準備しようよ。
ごちそう、作ってくれるんでしょ?
オイラ、腹減っちゃって腹減っちゃって」
シーザーに向かってそう言うと、フレイクはさっさとトランスポーターの列へと戻っていった。
「……お肉、足りますかね?」
買い物袋の中身を眺め、アーサーが呟いた。
トランスポーターを使い、クーアの部屋の階層まで到着すると、踊るように宙を進むフレイクを先頭にボク達が続く。
程なくクーアの部屋に帰り着き、玄関のドアを開けると、突然の怒号が部屋の中から轟いた。
「っざけんな!!!」
あまりにも急なことに、フレイクを除くボク達3人は硬直してしまった。
怒号の主はケルカだ。
「てめぇ、わざわざケンカ売りにきたのかよ、ああ!?」
状況が分からないボク達には、どちらかといえばケルカが喧嘩を売っているようにしか聞こえない。
「これは……」
フレイクが玄関に視線を落とし、呟く。
そこには、見慣れない1足の『エルーシャ』のブーツがあった。
ブーツを見つめるフレイクの顔が、若干曇りを帯びる。
そして、フレイクは何も言わないまま、部屋の中へと入っていった。
何が起きているのか分からないボク達は、顔を見合せながらもフレイクの後を追う。
怒号は収まっているが、なんとはなしに部屋全体にはピリピリとした空気が漂っていた。
一触即発の空気、と言えるかもしれない。
只事ではない様子だ。
「オレ達がそんなことするわけねぇだろうが!!!」
再びのケルカの怒号。
リビングにいるようだ。
先頭のフレイクは、リビングのドアの前に辿り着くと、すぐさまドアを開けた。
「……やっぱり」
リビングの中を一目見て呟くフレイク。
その後ろから中を覗き込めば、ソファに座り、渋い顔で腕組をしているクーア、同じくソファに座り、困惑した表情のワッズ、立ち上がって、眉間にシワを寄せて牙を剥いているケルカの姿があり、そしてさらに見慣れない人物が、クーア達の正面のソファに座っていた。
フレイクが呟いたのは、見慣れない人物を見てのことだった。
見慣れない人物は、ドアの開いた気配に気付いたのか、それともフレイクの呟きに気付いたのか、こちらに顔を向けた。
歳は40代くらいの人族の男で、肩ほどまでの薄いオレンジ色の髪に、同じく薄いオレンジ色の口髭を蓄えた厳めしい顔付き。
体付きは屈強とまでは言わずとも、筋骨たくましい。
纏う衣服は、白地に金の刺繍の装束。
意匠こそ違うが、クーア達と同様、『エルーシャ』だ。
男はフレイクの後ろにいるボク達を値踏みするようにひとしきり眺めると、正面のクーアに向き直り、
「失礼する」
低い声で言い、ソファから立ち上がった。
「まだ話は――」
ケルカが叫び掛けるのを、クーアが手を上げて制した。
そして、立ち去ろうとする男の後ろ姿に声を掛ける。
「ギーズ。
オレはこの2人に全幅の信頼を置いている。
そして、この2人もオレの信頼に答えてくれていると、オレは判断している。
お前の言うことも分かるが、オレ達はこれまでにもレンジャーを少なからず輩出してきた。
それこそ、お前が生まれるよりも前からな。
そのすべてに不正はなかったと、オレは断言できる」
「……その証拠はない」
男、ギーズはクーアの方に振り返り、若干の敵意をにじませ、言った。
ケルカの口が開きかけるが、クーアが再び手で制す。
クーアは続ける。
「なら、どうする?
オレを含め、全員の頭の中を洗うか?
それで気が済むなら、そうするといい。
オレはもとより、仲間も文句は言わないだろう」
「……お前達に掛かれば、自らの記憶の改竄など苦もないだろう。
仮に真実をつきとめたとしても、調べた者の記憶を改竄されては同じこと」
ギーズが正面の3人を見回して言った。
その声には、嘲りに近いものが感じ取れる。
「聞き捨てならないね、それは。
ボク達がそんなことをするとでも?」
珍しく怒りを孕んでワッズが言うと、ギーズはワッズを見据えて言う。
「可能性の話だ。
ないとは言い切れんだろう」
「話にならないな」
吐き捨てるようにクーアが言った。
ギーズの視線がクーアに移る。
「懐疑が過ぎるぞ、ギーズ。
お前の話は、すべて疑うことを前提にした話ばかりだ。
そこに、信じろ、と言ったところで、何の意味もなさない。
話はいつまでも平行線のままだ。
お前が疑いに重きを置き、オレ達の言うことを信じようとしないなら、オレには、お前が今日オレ達に言ったことのすべてが、ただの愚痴こぼしにしか聞こえない。
もう少し他人の言葉を信じることをしたらどうだ?」
「…………」
クーアの強い口調ではあるが諭すような言葉に、ギーズは沈黙。
しばらくクーアと睨み合いを続けると、ギーズは沈黙したままこちらに向かってきた。
その背に、再びクーアが声を掛けた。
「1つ、聞きたい。
今日、ここに来たのは、お前の意思か?」
「……そうだ」
「……嘘はもう少しうまくつくんだな」
「そう思っているのなら、端からその質問は意味をなさないな」
振り向きもせずに言い、ギーズはボク達の横を通り抜けて出ていった。
通り抜け様、ギーズはボク達を一瞥した。
その目は、まるで醜悪な汚物でも見るかのように、冷たく、恐ろしく、嫌悪に満ち満ちていた。
体の芯が凍りつきそうな視線をボク達に放ち、ギーズが去っていく。
訳も分からず向けられた険悪極まる視線に、ゾクリと背筋に冷たいものが走った。
玄関のドアが開き、閉まる音を聞くと、
「何事?」
フレイクが3人に向かって尋ねた。
「今度のレンジャー試験、ボクとケルカが不正をしないかってこと。
ほら、実技の試験官に選ばれてるでしょ、ボク達」
ワッズがボク達3人を見ながら答えた。
「そんなこと言いに来たの?
わざわざここまで?
バカじゃないの?
そんなことするわけないじゃん。
言いがかりもはなはだしいね」
あからさまな悪態をつきながら、フレイクはリビングを横切り、キッチンへと向かっていった。
「まったくだぜ!」
言って、ケルカがドカッとソファに座り込む。
横のクーアはボク達の方を見ると、気遣うように微笑み、
「悪かったな、帰って早々嫌なところ見せて。
お前達は気にしなくていいから、試験に集中してくれ」
とは言うものの、先程までの険悪な空気の原因の一端がボク達だと知って、ボク達は気まずく顔を見合わせる。
「まぁ、気にするなっていう方が無理か。
でもな、お前達が気にしたところであいつの疑いが消えるわけじゃないんだ。
なら、気にするだけ無駄ってもんだ」
「そうそう。
あいつ、疑り深すぎんだよ。
あんなのにいちいち構ってたら、胃に穴開いちまうぜ」
クーアの言葉に同意し、ケルカが身振りも大袈裟に言った。
確かに、言われた通り、気にしたところでどうなるものではなし。
ボクはシーザーとアーサーに視線を送ると、小さく肩をすくめて見せ、買い物袋を置きに、キッチンへと向かった。
「ずいぶん買ってきたね」
キッチンに向かうボク達の手にした買い物袋を見て、ワッズが目を見張って言った。
「まぁね。 ここに大食漢がいるからさ」
言って、シーザーは視線でフレイクを指した。
大食漢の言葉通り、フレイクは冷蔵庫を開け、昨夜の残り物をつまんでいた。
「ほら、どいたどいた」
冷蔵庫の前に買い物袋を置き、フレイクをどかせるシーザー。
「ん~! んむぅぅぅ~!!」
残り物の乗った皿を手に、フレイクが何やら言っている。
口いっぱいに頬張ってるので何を言っているのか分からないが、それが文句だろうということだけは伝わってきた。
言葉にならない抗議を無視し、シーザーは買い物袋から出した食品を冷蔵庫にしまい始める。
途中、手を止めずにリビングにいる3人に向かって尋ねた。
「ミラは? 来てねぇの?」
「お前等出てってからアルファスと一緒に来て、そのあと2人で買い物行ったぜ」
答えたのはケルカ。
「なんだ。 手伝って欲しかったのによ」
アーサーの手にしていた買い物袋を受け取り、中の食品を同じように冷蔵庫にしまいながら、残念そうにシーザーが呟いた。
「もうじき帰ってくるんじゃない?」
ワッズが時計を見ながら言う。
「んじゃあ、帰ってきたら手伝ってもらうかな」
「あ、僕、手伝いますよ」
シーザーの呟きに、ボクから買い物袋を受け取ったアーサーが手伝いを買って出た。
つられるように、ボクも、
「それじゃあ、ボクも――」
と、言い掛けたところで、シーザーがクルリとこちらを向き、強い口調で遮った。
「お前はいいから!」
「なんっ――! …………ああ、うん」
文句を言い掛け、ボクはシーザーが断った理由を察した。
たしかに、料理が絶望的に下手なボクが手伝いなどしようものなら、出来上がる料理は酸鼻を極める物になるだろう。
自らの料理の腕のふがいなさにボクが落胆していると、リビングでケルカが、
「オレ、食うの専門だからパスね」
次いで、昨夜の残り物をペロリと平らげたフレイクも、
「ケルカと同文。
オイラもパスパース」
それを聞いたシーザーは、冷蔵庫のドアをバタンと強く閉め、
「別に端から期待してねぇし」
と、蔑んだような諦めきったような目で2人を見、逆にワッズには期待を込めたような目を向けた。
しかし、視線に気付いたワッズは、小さく首を横に振る。
「ボクはこのあと用事があるんだよ。
パーティが始まるくらいには戻れると思うけど」
申し訳なさそうに言うワッズに対し、シーザーはガッカリしたように少し肩を落とし、
「そっか。 じゃあ仕方ねぇよな」
と、素直にワッズの言葉を受け止めた。
肩を落とすシーザーに、クーアが声を掛ける。
「オレも手伝おうか?」
ソファから腰を浮かしてキッチンに向かおうとしたクーアを、シーザーは慌てたように手で制して言う。
「いいよ! クーアはパーティの主役なんだぜ?
手伝ってもらったら意味ねぇじゃん」
「そうですよ。
僕達でなんとかしますから、クーアはゆっくりしていてください。
それにそろそろアルファスもミラも帰ってくるんでしょう?
あまりキッチンに人がいすぎても仕方がないですからね」
アーサーも同意して、クーアの申し出を断った。
「そうか?」
言って、クーアはソファに腰を落ち着けた。
そして、とりあえずの料理担当が決まったところで、各人好き好きに動き始めた。
「ボクはそろそろ行くね」
最初に動いたのはワッズ。
用事があると言っていたので、それを済ませに出ていくのだろう。
ケルカは、出ていくワッズの後ろ姿を見送ると、テレビの電源を付けた。
そこへ買い物袋をこっそりあさっていたフレイクが、買ってきたスナック菓子の袋を手に、合流する。
そのことに気付いていないシーザーとアーサーは、買ってきた食品を見ながら、料理の打ち合わせを始めていた。
そして、クーアは、
「さてと……」
息を吐きながら言い、ソファから立ち上がった。
「どっか行くの?」
スナック菓子の袋を開けるのに苦戦しているフレイクが尋ねる。
クーアは首をコキコキと鳴らしながら、
「ちょっと、気分転換に散歩」
と言って、リビングを出ていってしまった。
やることのないボクは、リビング組とキッチン組をチラチラと見比べ、どちらにも余白がないことを察し、クーアのあとについていくことを選択した。
あと追うと、クーアが玄関でブーツを履いているところだった。
ボクに気付いたクーアが振り向く。
「一緒に行くか?」
「うん!」
優しく笑むクーアに、ボクはうなずき、クーアの隣に並んでブーツを履き始めた。
「少し寒いな」
コートの襟を上げ、クーアがひとりごちた。
確かに、寒い。
ここはクーアの部屋よりもさらに上に位置する、『天浮の離園』と名付けられた庭園。
文字通り、天に浮かぶ浮島の庭園で、半径30mほどのいびつな円形をしている。
ボク達が今いるのは、島の出入り口であるトランスポーターを島の真下として考えれば、島の左斜下の外縁部になる。
島の中央には背の低い樹が1本植わっており、そこを中心に周囲を八方に石畳の道が島の端まで伸び、その合間は奇岩を所々に配した花壇で埋められていた。
島の外縁にも同じように石畳の道が、きれいな円形にはしり、外縁の真右と真左には東屋が、そして真上には球体の石碑が据えられている。
そしてここの高さだが、標高で言えば海抜10000m強にもなり、クォントそのものの最上部が海抜5000m強というから、それに倍するほどの高い位置に浮いていることになる。
基本的にクォントを固定する『盲目の壁』は、生活や行動の妨げになる風や気圧は完全に遮断しているが、さほど影響のない気温だけは、『壁』を維持する為の消費を抑える為に、少々遮断する程度に効果をとどめている。
その為、空気が薄いということはないが、『壁』の外側の気温が下がれば下がるほど、『壁』の内側も寒くなる。
ここが海抜10000m強ということは、『壁』の外側の気温は、単純に考えて地上よりも60℃以上も低いことになり、それに伴い下がった『壁』の内側の気温は、間違いなく氷点下を下回っているだろう。
しかも、ここ『天浮の離園』では、『壁』の内側を循環しているのだろう空気が、島の外側から緩やかな風となって吹いてくる。
そよ風程度の風だが、それがさらに体感温度を下げ、寒さが苦手なボクにはこたえた。
思わず体の芯から震えがくる。
「寒いか?」
体を震わせたボクを気遣うように、クーアが尋ねてきた。
「うん」
素直にボクは寒さを訴える。
それを聞き、クーアはボクの手をそっと引き、外縁の石畳に沿って、島の左側の東屋へと向かった。
壁のない東屋に据え付けられた大理石製の丸テーブルの、さらにその周りに据え付けられた、同じく大理石製の背もたれのない1人掛け椅子に腰掛けると、コートを脱ぎ、ボクを膝の上に座らせ、ボクの体を包むように脱いだコートを被せた。
クーアの体温の残ったコートが、ほんのりと温かい。
さらに、後ろから抱きかかえるように手を回されたから、なおさら温かい。
「あったかい……」
呟くと、ボクは首を上に向けた。
クーアが覗き込むようにボクに笑んでいる。
気恥ずかしくなって、ボクは目をそらしながら顔を正面に向けた。
眼下には、雲海と呼べるほどの雲が広がり、雲海からはいくつか標高の高い山が、島のように突き出ていた。
雲海の上には、ここと同じような浮島がいくつも点在しており、その中にはわずかに確認できる程度だが、建物と思しき物が確認できる。
その絶景に思わず見とれていると、不意にクーアが頭上で尋ねてきた。
「きれいだろ?
雲の晴れた日はもっと遠くまで見えるんだけど、これはこれできれいなもんだ」
上を振り仰ぐと、クーアも同じように絶景を見つめていた。
視線をそのままにクーアが続ける。
「ここは特別な場所でな。
神聖皇帝フラークが、生涯愛し続けた女性に贈った庭園なんだ」
言って、クーアは右側、島の真上に据えられた石碑を見つめた。
「あれは?」
「墓碑だ」
ボクの質問に、クーアは静かに答えた。
しかし、少し考えたあと、
「いや、記念碑……か」
ボクに言うではなく、1人納得するように訂正した。
「墓碑って?」
訂正前の墓碑の意味が気になって問うボクに、クーアは石碑の方を向いたまま答える。
「フラークと、彼が愛し続けた女性の、だ。
フラークも、その女性も、ここで最期の時を迎えた」
「つまり、ここで亡くなったってこと?」
「ああ。 時期は違うけどな。
だからあの石碑には墓碑の意味も込められているんだけど、どちらかといえば、コスモス結成の記念碑の意味合いの方が強いな。
あれもこの島自体も、コスモス結成直後に造られたものだから」
「そうなんだ…………でも、なんだか見てきたみたいに言うんだね」
ボクは何となく相槌を打ちつつ、ふと疑問に思ったことをそのまま言葉にした。
「…………」
クーアはふっと小さく微笑んで、どこか遠い目で石碑を見つめ、押し黙ってしまった。
(……まさか、ね)
頭によぎった予想をありえないこと、と一蹴し、ボクは再び石碑を見た。
と、その時だった。
「ん?」
何かに気付いたのか、クーアがトランスポーターの方を振り向いた。
つられて振り向くと、トランスポーターが光を放ち、起動しているところだった。
転送の光が消え、そこに現れたのは、2人の人物。
2人はこちらに気付くことなく、石碑の方へと向かう。
その途中、島の中心付近まで来た時、2人の内の一方がボク達の存在に気付いた。
「あら、珍しいこと」
気付いた人物、40代前半と思われる精族の女性が、ボク達を見て微笑み、穏やかな声音で言った。
女性のやや斜め後ろに、控えるように追従していた人物、20代後半くらいの人族の女性も、ボク達の存在に気付き、軽く黙礼する。
クーアは僕を膝から下ろすと、2人の女性の方へと歩き出した。
ボクも、クーアのコートを抱え、そのあとに続く。
近付くにつれ、女性の面立ちや衣服の造りがはっきりと分かるようになってきた。
精族の女性は、ピンと尖った形のよい長い耳と、深いエメラルドグリーンの瞳、そして腰まで伸びる流れるような金の髪が特徴的な、気品溢れる笑みをたたえた、たおやかな女性。
着込む衣装は、嫌みのない金の刺繍があしらわれた足元まで覆う白いドレス。
おそらく『エルーシャ』と思われるが、それのみでなく、上品な装飾品を所々に配しているのが目を引く。
かたや、人族の女性は、白の刺繍が施された薄緑色のローブを纏っていたが、こちらは何の装飾品も身につけてはいなかった。
切れ長の目にブルーの瞳、首筋までの銀の短髪に凛とした面立ちの人族の女性は、両手で色鮮やかな花束を抱えていた。
それを見ながら、クーアが精族の女性に問う。
「墓参りか?」
精族の女性は、
「こんな時でなければ来られませんから。
そちらは?」
答え、薄く微笑み、質問を返す。
「散歩さ。 ここが一番見晴らしがいいんでね」
問い返されたクーアが答える。
クーアの答えに、精族の女性は薄い笑みを浮かべたまま、ボクの方を見た。
そしてニコリと微笑むと、軽く会釈をし、
「初めまして。
私は、ルシディア=リア・アレフルーブ・シールと申します。
こちらは私の従者のミディール・アン・セッタ。
失礼ですが、貴方のお名前をうかがってもよろしいかしら」
「は、はい。 あ、あの……ジークです」
自己紹介をされ、自己紹介を促されたボクは、どもりながら答えた。
が、精族の女性の名前を心の中で反芻した時、あることに気付いた。
「え? シールって、まさか……」
「トリニティの一角、マジックインペリアルの現女帝だ」
「……ええ~っ!?」
クーアの言葉に、ボクは目を丸くして声を上げた。
その目で、ルシディアを見る。
「ふふふ……」
ルシディアは、ボクの反応が面白かったのか、小さく笑い声を上げた。
そんなルシディアを見て、クーアは少し苦笑いを浮かべる。
「変わらないな、あんたは。
悪戯好きな少女のままだ。
わざわざフルネームで名乗らなければ、この子が驚くこともなかったろうに」
「あら。 変わらないのは貴方の方でしょう?」
悪戯っぽくそう言うと、ルシディアは石碑の方へと向かって歩き出した。
そのあとに、ボク達に一礼をして、ミディールが続く。
「ビッ……クリした~……」
2人の後ろ姿を見送りながら、ボクが呟く。
マジックインペリアルの現皇帝が女性だということは知っていたが、まさか面会の機会があるとは思ってもいなかったし、ここで会うなんて想像の外の話だ。
「まさか、女帝に会うことになるなんて想像もしてなかったよ」
「まぁ、ここは彼女にとって、というか、トリニティの皇室にとっては、始祖を祀ってある聖地だからな。
このままここで待ってれば、他の2人の皇帝にも会えるかもしれないぞ?」
「いいよ。 そんな偉い人と会ったら、緊張して息が詰まる」
軽く身震いして答え、ボクはクーアに問う。
「でも、ボクなんかが、そんな聖地にいてもいいの?」
「問題ないだろ。
確かに、ここは基本的にはトリニティの皇室の人間か、Mクラス以上のレンジャーじゃないと入れない場所だけど、今回はオレが一緒にいるからな」
「ならいいけど……いいの? そんな特別扱い」
「…………」
ボクの問い掛けに、クーアは頭をかき、沈黙。
ボクがクーアの反応をうかがっていると、しばらくしてクーアが口を開いた。
「さっき、部屋で一悶着起きてただろ?」
「え?」
急な話題の転換に、間の抜けた声を漏らすボク。
しかし、クーアは構わず続ける。
「あれには理由があってな。
オレ達が一部のレンジャーを特別扱いしてるって問題にしてる連中がいるんだ。
さっきのギーズもその1人」
言われて、ボクはギーズの姿を思い出す。
ボク達の横を通り抜け様に見せたギーズの表情は、確かに負の念に溢れていた。
あの表情を思い出し、体の芯が冷たくなった。
そんなボクの様子を見てとって、クーアが言う。
「オレは別に特別扱いが悪いこととは思わないんだ」
意外な言葉に、ボクはクーアを見た。
クーアは石碑の前にたたずむルシディアとミディールに視線を向けていた。
「誰でも、家族とか仲間っていうのは、特別な存在だと思う。
だから、関わりのない他人よりも、何かに付けて特別扱いすることは、自然なことだと思うし、むしろ、誰にでも分け隔てなく平等にっていうのは、自分にとって特別な人間をないがしろにしているようにも思える」
ルシディアがミディールから花束を受け取り、優雅な所作でドレスを払い、石碑の前にしゃがんで、花束をそっと置く。
後ろ姿だが、石碑の前にしゃがんだルシディアが胸に手をあて、黙礼しているのが分かる。
後ろに控えるミディールもまた、同じように黙礼をしている。
それを目で指して、クーアは続ける。
「ああやって、自分の先祖を敬うのもその証拠さ。
それが悪いことだなんて、誰も非難しないだろ?」
言って、クーアはボクを見た。
「要は見方だ。
善悪の判断は個人個人が下すことだから、それに対して他人がどうこう言ったところで、どうなるもんでもない。
さっきのギーズとのやり取りにあった、平行線のままってのと同じだ。
絶対的な答えなんて出やしない。
泥沼化するだけだ。
もちろん、善悪の判断はさておき、法的な規制に引っ掛かることは避けたほうがいいけどな」
「……? でも、ここにはMクラス以上のレンジャーじゃなきゃ、入っちゃいけないんでしょ?
ボク、まだレンジャーですらないよ?」
さきほどのクーアの言葉との矛盾に気付き、ボクはクーアを見て問うた。
「基本的には、な。
けど、従者って立場でなら問題ないんだ。
ミディールは皇室の血に連なってないうえに、レンジャーでもないけど、ルシディアの従者だ。
だからここに立ち入っても構わない。
お前もZクラスであるオレの従者という立場で、今はここに立ち入ってる。
規制には引っ掛かってない」
「……何だか、それってズルくない?」
自分の立場のことながら、ボクは眉間にしわを作ってクーアを見た。
しかし、クーアは肩をすくめ、
「言ったろ? 見方次第だってな。
確かに規制の穴を突くようなこの方法はズルく感じるけど、それも今言ったように、議論したところで答えは出ないさ」
そう答えた。
やや釈然としないボクに、クーアは諭すように、
「オレも随分と生きてきたからな。
規制することのいい部分や悪い部分も、それだけたくさん見てきた。
破らなければ何をしてもいいってわけじゃないけど、目先の規制や、それに伴った倫理にばかり目を向けてたら、その先にある大局を見誤ることもあるっていうのも事実なんだ。
それなりの覚悟が必要だけど、これは結構大事なことだぞ。
まぁ、子供にはすこし分かりづらいことかもしれないけど、お前も歳を重ねてけば、そのうち分かるさ。
陳腐な言い回しをすれば、『世の中、きれい事ばかりじゃない』ってことになる、のかな」
言って、ボクの頭に手を置いた。
言葉の最後の方は少し冗談めかした言い方だったが、なんとなく言いたいことは伝わってきた。
ボクの反応を待たず、そのままクーアは話を続ける。
「そもそも、ここと最も関わりの深いトリニティの皇室が、この規制の穴に気付いていながら、それを埋めるような規制を設けようとしてないんだ。
それどころか、自分達がその規制の穴を突いてる。
それは、この規制の穴を、規制の一部として認めてることにほかならない。
だろ?」
言葉の最後は、いつの間にやら目の前まで来ていたルシディアに向けられたものだった。
ルシディアは、少し困ったように笑いながら、
「暗黙の了解、というものですわね。
慣習に近いもの、と言った方がよいのかしら。
ともあれ、貴方がここにいることに、何ら問題はありませんよ、ジーク」
言って、ボクに目を向けた。
「あ、はい……何か、ごめんなさい……」
何故だか、ルシディアの気遣いに恐縮し、反射的に謝ってしまうボク。
そんなボクを見て微笑むルシディアだったが、次いでクーアに視線を映した時には、その顔から微笑みが消えていた。
「そのようなことを話しているところから察するに、また、何か言われましたの?」
ルシディアの問い掛けに、クーアは肩を大きくすくめ、
「こっちも慣習、というか、恒例行事だな。
オレはこの子と、あと2人同年代の子を見てるんだけど、この子達をレンジャーにしようと思ってるんだ。
それに対して、いつものように元老院の強硬派の御歴々が噛み付いてきたってところさ。
よほど、オレ達の教え子が力を付けて昇ってくるのが気に食わないらしい。
まぁ、今回来たのはギーズだけだったけど、強硬派の連中も同意見だろうな」
「困った方々。
貴方方にそんな気がないことは、とうに承知しているでしょうに」
「足元の危機に過敏なのさ、連中は。
昔は向上心のあるいい連中だったのに、歳取って権力を得ると、ああも変わるものかね」
「よろしければ、私が口添えしてさしあげましょうか?」
「それをされたら、余計オレ達の立場が、ひいてはこの子達の立場が悪くなる。
現状維持が一番無難さ」
ルシディアの申し出に、クーアは首を横に振って答えた。
ルシディアは、クーアの答えを予想していたように薄く笑み、
「出過ぎた真似、でしたわね。
失礼いたしました」
目を伏せ、軽く一礼した。
それを見たクーアは、呆れたようなため息をつき、
「そういう悪戯っぽいところ、本当に変わらないな」
言って苦笑いを浮かべた。
「陛下、そろそろお時間が」
2人のやり取りが途切れたのを見計らって、ミディールがルシディアに声を掛けた。
ルシディアはミディールを見、うなずく。
「それではお2人共、また後日」
優雅に一礼し、ルシディアはミディールをつれ、庭園から去っていった。
2人を見送って訪れた沈黙のあと、不意にクーアが話を始めた。
「レンジャーが弟子を取るっていうのは珍しいことじゃないんだ」
「?」
いきなりの話に、理解が追いつかないでいるボクを見て、クーアは続ける。
「さっきの特別扱いの続きさ。
レンジャーが弟子を取るのは珍しくない。
むしろ、高クラスのレンジャーの多くが弟子を取り、同じくレンジャーとして輩出している。
オレ達に文句を付けてきたギーズも、そういった弟子の1人だ。
ギーズの師は、今はコスモスの元老院を構成する1人で、ギーズ自身、師から特別目を掛けられていた。
おかしな話だろ?」
確かにおかしな話だ。
完全に自分のことを棚上げしている。
「ギーズがレンジャーになった時、師はすでに元老院入りをしていた。
試験の結果を操作しようと思えばできた立場だ。
だからといって不正があったとは言えないし言わないけど、彼等にも疑われる余地はあったのさ。
オレ達はそのことに関して何も疑ったりはしなかったし、尋ねたりもしなかったけどな」
クーアのその言葉に、ボクはなんとなく、ギーズとその師の立場が、ボク達とクーア達の立場に似通っていることを感じた。
それを感じ取ったのか、クーアは首を傾げて続けた。
「似てるだろ? 今のオレ達とお前達の立場に」
クーアの言葉にうなずくボク。
「オレ達もそれなりの数のレンジャーを育ててきた。
中には現役のRクラスレンジャーも、Mクラスレンジャーもいる。
さっきルシディアに話したように、元老院、というか元老院の強硬派はオレ達の息が掛かったレンジャーが増えることが好ましくないんだ。
力と数を武器に、いつか自分達の立場をオレ達に取って代わられるんじゃないか、そう思ってるんだろうな。
当然、ルシディアが言ってくれたように、オレ達にそんなつもりはない。
そんなつもりがあるなら、とっくの昔にやってるさ。
けどな、連中はそうは思ってくれないらしい」
最後は少し寂しげに呟いた。
ボクはなんと言葉を掛けていいのか分からず、押し黙った。
沈黙に、風の音だけが流れる。
少し重くなった空気を破って、クーアが言う。
「まっ、気にするな。
さっきも言ったけど、お前達にはこの一言に尽きる。
まだ試験には間があるけど、こんなことをいちいち気にしてたら、訓練も勉強も身が入らないだろ?
それで試験を落ちたりしたら、バカバカしすぎる。
こっちはこっちで任せておけ。
余計なことは気にせず、精一杯頑張れ!」
「うん!」
頭をポンポンと叩くクーアに、ボクは大きくうなずいて答えた。
夜、リビングにて、所狭しと並べられた料理の乗ったテーブルを囲み、全員が立ち上がり、グラスを手にしていた。
「ではでは、クーアの何回目か分からない誕生日を祝しまして、乾杯!!!」
『乾杯!!!』
ケルカの音頭に続いて、クーアを除く全員が唱和した。
目の高さまでグラスを掲げ、口に運ぶ。
ボク達子供組は当然ながら酒は飲めないのでジュースだが、大人組は全員アルコールだ。
グラスの中身を一気に飲み干し、グラスを置くと、ボクを除いた全員がそれぞれの位置に座った。
立ったままのボクは、クーアの前に置かれている、シーザーお手製の大きなショートケーキの中央に立てられた、1本の大きなロウソクに火を灯す係だ。
火が灯ると、アーサーがリモコンを操作してリビングの電気の光量を落とした。
薄暗い部屋に、ロウソクの火が揺らめく。
「ほら、ロウソク消して!」
急かすようにシーザーがうながすと、クーアはロウソクに顔を近付け、そっと息を吹きかけて火を消した。
同時に、
『誕生日おめでとう!!!』
の声が唱和し、パンッパンッとクラッカーの音が響いた。
電気の光量が戻され、リビングが明るくなると、クーアはクラッカーから飛び出した色とりどり紙紐を被っていた。
クーアが紙紐を解いている間に、ボクは先日購入したプレゼントの入った小さな包みを取り出し、
「誕生日おめでとう!
これ、プレゼント。
3人でお金出しあって買ったんだ」
言いながら、クーアに包みを差し出した。
「ありがとうな、3人共。
開けていいか?」
礼を言いながら尋ねてくるクーアに、ボクはうなずいて答える。
クーアは包みを開け、中の小箱を取り出すと、ゆっくりとそれを押し開いた。
「……これは……」
言って、小箱の中身とボク達を交互に見るクーア。
どうも驚いている様子だ。
それを察したのか、クーアの隣に座っていたケルカが、
「どした?」
クーアの肩越しに小箱の中身を確認する。
すると、ケルカも驚きの表情を作る。
そんな2人を、ミラやアルファスも怪訝な表情で見つめている。
「何? 何かおかしな物、送っちゃった?」
2人の反応が気になり、心配になって尋ねるボク。
送った物は、クォントに最初に来た日にクーアに連れられて行った武具屋で買ってきた、イミテーションのクリスタルが乗った指輪だ。
意匠は、土台となる金属に幾枚かの葉の模様が彫られ、丸く磨かれたイミテーションのクリスタルが乗っているというもの。
店主に有り金を見せ、『これで買える、クーアへのプレゼントを』と言ったら、店の地下からこれを持ってきてくれた。
クーアの行きつけの店らしかったので、おかしな物ではないと思うのだが。
「いや……」
ボクの問い掛けに、クーアはまだ驚いた表情を浮かべたままだ。
「これ、どこで買ってきた?」
クーアは、指輪の入った小箱をテーブルの上に置き、問いただすように尋ねてくる。
「クーアに連れてってもらった武具屋だけど……」
尻すぼみに声のトーンを落として答えるボク。
クーアの眉がピクリと動いた。
怒っているわけではなさそうだが、詰問されているような空気に、ボクは慌てて説明を付け加える。
「店のおじさんに、『クーアにプレゼントをしたい』って言って、お金を見せたら、これを持ってきてくれたんだ」
言うと、ハッとしたようにクーアの表情が変わった。
「失礼」
いつの間にかクーアの隣に来ていたミラが、断りを入れて小箱を手に取る。
そして、中の指輪をひとしきり眺めたあと、
「これは、随分と純度の高いクリスタルの指輪ですね。
しかも、土台は晶結法で生成された白金ですか。
色からして、混ぜられているのはクリスタルのようですね」
「え? イミテーションのクリスタルじゃねぇの?」
ミラの言葉に、シーザーが言う。
ミラは首を横に振り、否定した。
「紛れもなく本物のクリスタルです。
土台の白金も、晶結法という特別な冶金術が用いられた、本物の白金です」
「でも、そんなに高価そうな物を買えるだけの金額、僕達は出してませんよ?」
と、アーサー。
「本来、晶結法で生成された金属は、鉄でさえ通常の白金並の精気伝導率を持つほどの物になり、値段も通常の白金とは比較にならないほど高価になるはずなのですが……」
言って、ミラはテーブルの上に小箱を置いた。
置かれた小箱をクーアが手に取る。
「……これは、あとであの親父に挨拶に行かなきゃならないな」
言いながら、クーアは小箱から指輪を取ると、左手の人差し指にはめた。
「うん、ピッタリだ。 さすがだな」
さすが、というのは、指輪を選んだ店主のことを褒めてのことだろう。
それにしても、
「あのさ、今の話からすると、その指輪ってものすげぇ高ぇ物なわけ?」
ボクが聞きたかったことをシーザーが代わりに聞いてくれた。
それに対しては、アルファスが淡々とした口調で答えた。
「その指輪1つあれば、トリニティの中心街に豪邸を建てられる額だ」
『いっ!?』
想像のはるか上をいく答えにボク達は異口同音に絶句した。
まじまじとクーアの指にはめられた指輪を見る。
値段を聞いたせいか、最初に見た時よりも高貴な印象を受けるから現金なものだ。
「けど、これが本物でもイミテーションでも、オレにプレゼントを買ってくれたっていう行為そのものに変わりはないからな。
3人共、ありがとうな」
ボクの指輪を見る目を察することなく、クーアは笑みを浮かべて礼を言ってくれた。
我に帰り、礼を言われたことが嬉しく、恥ずかしく、顔を上気させるボク。
「それにしても、あの親父さんがねぇ……3人共、ずいぶんと気に入られたんじゃないの?」
冗談っぽくワッズが言った。
そう言われてみれば、最初にあの店を訪れた時よりも、先日訪れた時の方が、対応がやんわりとしていたような気がする。
ぶっきらぼうで無愛想なのには変わりなかったが。
どこかに気に入られる要素があったのだろうか。
などと考えていると、
「ねぇねぇ~! それより早く食べようよ~! 料理、冷めちゃうよ~!」
フレイクが料理を凝視し、涎を滴らせながらわめいた。
それを聞いた各自が、肩をすくめたり、ため息をついたり、苦笑いをしたりといった異なった反応を示したあと、フレイクのお望み通り、シーザー達の作った料理を頂くことになった。
『いただきます!』
全員で唱和し、思い思いに料理に手を伸ばす。
ボクは料理を食べる前に、包丁でクーアの前のケーキを人数分に切り分けることにした。
ふんわりとしたスポンジのケーキを切り分けていると、いきなり怒号が飛んだ。
「てめぇ、シーザー! これ、タマネギ入ってんじゃねぇか!」
怒号の主はケルカ。
どうやら取り分けたカルボナーラに、みじん切りのタマネギが入っていたらしい。
周りの面々は、怒号の原因が分かると、毎度のことと言わんばかりに無視を決め込んだ。
対応したのはシーザーただ1人。
「そんなの、手伝わなかったあんたが悪いんじゃん。
手伝ってれば、タマネギ入れたの分かったのにな~」
同じく取り分けたカルボナーラをすすりながら、シーザーが文句ともいえる答えを返す。
「てめぇ、手伝うの期待してねぇって言ってたじゃねぇか!」
「期待してねぇからって手伝わねぇとか、子供じゃん」
「こ、の……!」
いつになく冷静なシーザーの応答に、ケルカが立ち上がった。
が、
「ケルカ」
呆れたようなクーアのなだめに、渋々席に着いた。
それを見た、ケルカの隣に座っていたフレイクが、
「ケルカの負け~」
と、茶化すと、ケルカは無言でフレイクの頭を殴り付けた。
「~~~ッタァァァァ!!!
殴ることないじゃん!
本当のことなんだから!」
「うっせぇ、バカドラ!!
てめぇは肉でも食ってろ!!」
フレイクの文句に、ケルカはテーブル上のチキンを1本取ると、フレイクの口に押し込んだ。
「フガッ!? ……ムグ……ング……ん~、いい味。
シーザー、いい仕事するねぇ」
骨ごとチキンを食い尽し、フレイクがシーザーを褒めた。
「うん、この腕前ならお店が開けるね」
チーズとトマトソースたっぷりのピザを頬張りながら、ワッズが同調した。
高評価を得たシーザーは満足そうな様子だ。
しかし、それが癪に障ったのか、ケルカがチキンをかじりながら、
「へっ! だったらレンジャーじゃなくて料理人にでもなりゃいいじゃねぇか」
などと言いだしてしまったので、得意気にしていたシーザーが一変。
「んだよそれ! んなこと言ったら、今までやってきたことの意味ねぇじゃん!」
声を荒げて文句を言うシーザーに、
「才能あるんだったら活かした方がいいぜ?」
一転して冷静にケルカが返す。
「このっ……!」
「まぁまぁ、そう熱くなるなよ。
本気で言ってるわけじゃないんだからさ」
眉間にしわを作って言葉を詰まらせるシーザーを、クーアがたしなめた。
次いでクーアはケルカの方を向き、同様にたしなめる。
「お前もからかいすぎだ。
3人共、レンジャーになろうと頑張ってるんだから、あんまりシャレにならないことを言うなよ」
「へ~いへい」
肩をすくめて生返事を返すケルカ。
クーアは、やれやれという表情で、今度はアルファスの方を見た。
「で、どうなんだ?
実技の方は昼間に確認したらから問題ないとして、筆記の方は?」
「問題ない」
アルファスは、焼いたパンをくり抜いて作った器に入ったシチューをスプーンでかき混ぜながら、あっさりと答えた。
そして、少しシチューをすすったあと、付け加えるように言う。
「順調に工程は消化していっている。
遅れはない。
このまま続ければ、仮に教えたことの半分しか身に付いていなかったとしても、試験に落ちることはないだろう」
「そうか。 その分なら問題なさそうだな。
けど、念の為に実技を1日に減らして、座学を4日にするか?」
「ええ~~~!?」
クーアの提案に露骨に嫌そうな声を上げたのは、予想通りシーザーだった。
「いいよ今のままで!
4日も座りっぱなしの缶詰じゃ、息が詰まって死んじまう!」
「分かった分かった。
じゃあ、今まで通りでいいから、その分座学にも身を入れろよ?」
凄い剣幕で言うシーザーに、クーアは苦笑いし、提案を撤回した。
ちょうど会話が途切れ、ほんのわずかの間、食器の触れ合う音だけの沈黙が訪れた時、
「そういえば」
と、アーサーが切り出した。
「昼間いたあの人は、どういう人なんですか?」
「昼間? ……ああ、ギーズのことか」
クーアが呟くと、ケルカが鼻の頭にシワを寄せる。
「ケッ! あんな野郎のこと思い出させんじゃねぇよ!」
「ご、ごめんなさい……」
恐縮してアーサーが謝る。
が、
「イって!?」
ケルカが悲鳴を上げた。
見れば、テーブルの上に置かれたケルカの手の甲を、フレイクがフォークで刺しているところだった。
ケルカは手の甲をさすりながら、フレイクを睨み付ける。
罵詈雑言をまくしたてそうな感じではあったが、それより早くフレイクが口を開いた。
「短気起こすなよな~。
別にアーサーだって悪気があって聞いたんじゃないんだからさ。
それに、多少は知っといた方がいいんじゃないの?」
なかなかの正論に、ケルカは何も言うことなく黙り込んでしまった。
フレイクの言葉の後半は、クーアに向けられたものだった。
言葉を受け、クーアは少し考える。
その間に、ミラが食事の手を止め、フレイクに尋ねた。
「ギーズがここへ?」
「うん。 昼間にね」
フレイクは言って、ワッズに視線を投げ掛ける。
それを説明しろと受け取ったのか、ワッズがフレイクの言葉を継いだ。
「ほら、今回の試験、ボクとケルカが実技の試験官になってるでしょ?
それで、この3人が今回が試験を受ける時に、ボク達が不正をするんじゃないかって疑ってきたんだ」
「バカなことを」
アルファスが吐き捨てるように言う。
「そんなことを我々がするわけがないだろう。
第一、不正にレンジャーにしたところで、最終的に困るのはこの子達だ。
それが分からんはずもないだろうに」
「まぁ、そうなんだけどね」
アルファスの言葉に、ワッズは相槌を打って、ピザを一口。
会話が一区切りしたところで、シーザーがクーアに尋ねる。
「でさ、どういう人なわけ?」
「ん? そうだな~……まぁ、だいたい察してると思うけど、あいつもオレ達と同じ、Zクラスのレンジャーなんだよ。
歳はかなり若いけどな」
「? クーアよりも年上に見えたぜ?」
シーザーの言葉に、クーアは苦笑いを浮かべ、
「見掛けの歳は、老化が止まった時のままだからな。
あいつの方がオレ達よりも遅く止まっただけで、実年齢はオレ達の方が上なんだよ。
まぁ、それはさておき。
ジークには昼間話したけど、ギーズとその上、要は元老院なんだけど、その一部の強硬派って呼ばれてる連中はオレ達のことをよく思ってないんだ」
「なんでまた?」
アーサーの問い掛けにクーアは続ける。
「自分達の立場をオレ達に取って替わられないかって思ってるのさ。
オレ達の育てたレンジャーと一緒に、いつか自分達に反抗してくるんじゃないかってな」
「もちろん、そんなつもりはまったくないんだけどね」
ワッズが肩をすくめて、昼間のクーアとまったく同じことを言う。
「早ぇ話が、あいつはオレ達を目の敵にしてる、いけ好かない野郎共の1人だってぇことよ。
なまじ実力と権力あるだけに始末に負えねぇのが性質悪ぃな」
「要約しすぎでしょ。
間違ってないけどさ」
ケルカの言葉にフレイクが突っ込むが、分かりやすい説明だということは確かだ。
「まぁ、かなりドロドロした問題だからな。
お前達はできるかぎり関わらない方がいい人間って認識でいいと思う」
クーアは言って、話を切った。
雰囲気から察するに、これ以上はこの話をしたくないといった様子だ。
なので、ボクはこれ以上は詮索しないことにした。
だが、シーザーはまだ聞きたいことがあったらしく、尋ねる。
「あのさ、ギーズってのと、そいつとつるんでる連中ってのは、オレ達がレンジャーになられたら嫌だって連中なんだろ?
元老院にもそんな連中がいるんだったら、オレ達が試験に合格しても、勝手に不合格にされちゃうんじゃねぇの?」
言われてみれば最もな意見だ。
クーア達が不正を行える立場にいるなら、そのクーア達を快く思わないギーズ達も、同じく不正を行える立場にいる。
そのようなことを『天浮の離園』でクーアが言っていた気がする。
疑われることばかりに頭が行って失念していたが、逆の可能性もあり得るのだ。
気付いて、ボクはクーアの方を見る。
すると、クーアが答えるより早く、ミラが答えた。
「それはあり得ません。
彼等が私達を監視しているように、私達もまた、彼等の動向をつぶさに観察しているのですから」
「万一、不正が行われようものなら、連中と対立する穏健派と、それに中立派の連中も黙ってはいないだろう。
それに、我々も黙ってはいない」
と、アルファス。
強い否定と、攻撃をほのめかす言葉。
普段の2人からは、聞かれないような言葉だった。
2人共、昂っているわけでも、ましてや怒っているわけでもない、ごくごく普通の口調だったが、そこにある種の抗いがたい意志を感じ、ボクもシーザーもアーサーも黙り込む。
クーア達を見れば、各々が視線をそらし、各々からミラやアルファスと同じような意志を感じる。
言葉も、食器の触れ合う音もない、重い静寂が流れることしばし。
静寂を破ったのはクーアだった。
「っていうか、これ、オレの誕生パーティだよな?
なんでこんなに空気が重くなってるんだ?」
おどけたような口調で言ったクーアの言葉に、場の空気が変わった。
「そーそー、せっかくのおいしい料理がまずくなっちゃうし冷めちゃうよ」
と、フレイクがチキンを手に取りパクつく。
確かに、とボクは手元を見ると、まだ半分ほどしかケーキを切っていなかった。
みんなが料理に手を付けているというのに、ボクはまだ何も口にしていない。
ケーキを切るのはあとにして、とりあえずはシーザー自慢の料理をごちそうになるとしよう。
そう思った矢先、再びケルカの怒号が飛んだ。
「てめっ、シーザー! シチューにもタマネギ入ってんじゃねぇか!!」
カチャカチャと音を立てながら、食器をスポンジで洗う。
世の中には、入れるだけで食器の洗浄と乾燥をしてくれる機械もあるらしいが、あいにくとクーアの部屋にそれはない。
隣では、アーサーがボクから泡だらけの食器を受け取り、水ですすいでいた。
キッチンシンクの向こう、カウンター越しのリビングでは、すっかり片付いたテーブルに地図らしき物を広げ、クーアとアルファス、ミラが何やら話し合っている。
その周囲の床には、シーザー、ケルカ、ワッズ、フレイクが転がって点在していた。
フレイク以外の3人は飲み過ぎ、フレイクは食べ過ぎが原因だ。
シーザーは、大人が気分良さそうに飲んでいることを理由に酒に手を出し、無分別に飲み、撃沈。
ワッズはケルカに無理矢理酒を飲まされ、撃沈。
ケルカは用意された酒の半分近くを飲み干し、高笑いを上げながら、撃沈。
フレイクは出された料理の半分近くを平らげ、満足そうな笑みを浮かべ、撃沈。
シーザーとワッズはともかく、ケルカとフレイクの沈みようは情けなくてため息が出る。
こんな2人がレンジャー、しかも最高位のレンジャーだなどと、誰が想像できるだろうか。
高いびきを上げて爆睡しているケルカとフレイクを見て、大きくため息を1つ。
「どうかしました?」
ボクのため息に気付いて、アーサーが尋ねてくる。
「ん、なんでもない」
説明するのもバカらしいので、ボクははぐらかした。
アーサーは首を傾げたが、特に追及はしてこなかった。
「それより、何話してるんだろうね?」
目をクーア達に向け、ボクは言う。
クーア達のいるリビングのテーブルは、キッチンからそれほど離れているわけではないが、クーア達が小声で話しているのと、シンクに落ちる水音の騒音が耳につくのとが相まって、内容が聞き取れない。
時折、クーアが地図らしき紙の上に指を走らせるのが分かる程度だ。
「……明日の始原祭の打ち合わせ、とかですかね?」
と、アーサー。
ボクがアーサーを見ると、アーサーは手にした皿をすすぎながら話を続けた。
「始原祭にはトリニティの皇帝や、他の国々の王侯貴族も多数来るらしいので、その護衛の為の打ち合わせとか」
「なるほど」
言って、ボクは昼間に訪れた『天浮の離園』でのことを思い出した。
「そういえば、今日、クーアと散歩してる時なんだけどさ、マジックインペリアルの女帝に会ったよ」
「……はっ!?」
一拍置いて、驚きの声を上げてアーサーが硬直する。
その声を聞き付け、クーア達3人がこちらを見た。
ボクは何でもないという風に3人に向かって首を横に振る。
3人は怪訝そうな顔だったが、すぐさま話に戻っていった。
「もう、いきなり大声出さないでよ」
硬直状態のアーサーに苦情を言うと、アーサーはハッとしたようにボクを見た。
「ああ、ごめんなさい。
ちょっと、あんまりビックリしたものですから、つい。
あの、でも本当にマジックインペリアルの女帝に?」
半信半疑といった様子でアーサーが聞き返してくる。
ボクはうなずき応え、
「クーアがそう言ってたし、本人も……身分は言わなかったけど、名前は名乗ってたよ」
「たしか……ルシディア=リア・アレフルーブ・シールでしたっけ?」
「あ~、そういう名前だったと思う。
名前長くて覚え切れてないや。
なんで偉い人って名前長いんだろう。
覚えるの、大変だよ」
愚痴るボクに、アーサーはカチャリと洗った皿をラックに置き、苦笑い。
「魔法や魔術の詠唱文を覚える方が大変だと思いますけど。
まあ、偉い人はどうしても名前が長くなるものですよ。
家を継いだりとかしないといけませんから、その分どうしても長くなるんです。
けど、名前が4つも続くのは皇族だけですよ」
「そうなの?」
「名前が4つは皇族、3つは王族と大貴族、2つは貴族と良家、1つが一般、というのが基本みたいです。
だから僕達は一般、ですね」
「ふ~ん、よく知ってるね」
「前に、ちょっと気になったから調べました。
え~と、たしか、皇族の名前は、1番目が本人の名前で、それとイコールで繋がってる2番目が、ロストワーズを用いた本人を表す名前、二つ名みたいなものらしいです。
3番目が父母のどちらか一方から継いだ父母の1番目の名前で、これは性別によってどちらを継ぐかが分かれるみたいです。
男だったら父の、女だったら母の、という感じで。
4番目が家系を表す名前ですね」
「へぇ~、そうなんだ」
丁寧な説明に納得するボク。
と、そこへ、
「何の話だ?」
いつの間にかカウンターの向かいに来ていたクーアが口を挟んだ。
後ろではミラがテーブルの上の紙を丸め、アルファスが床に転がっている4人を一まとめにしてソファの上に寝かせていた。
「名前について話してたんです」
「名前?」
アーサーの答えにオウム返しに問うクーア。
「偉い人の名前って長いねって話」
「……ああ、ひょっとして、ルシディアの名前のことか?」
ボクの答えで、クーアも昼間のことを思い出したらしく、カウンターの椅子に座りながらボクに問い返してくる。
ボクがうなずくと、納得顔のクーア。
「たしかに、連中の名前は長いな。
まぁ、それなりの地位がある連中の名前には意義があるから仕方ない。
家柄を表したり、血縁を表したり、な」
「ルシディア陛下にお会いになったのですか?」
と、キッチンに来て、アーサーの横で食器を拭き始めたミラがクーアに尋ねる。
「ああ、『天浮の離園』でな。
ミディールも一緒だった」
「そうですか……」
嬉しそうに薄く笑み、ミラが言う。
その様子が気になって、ボクがクーアに視線を投げると、クーアは意図を察して説明してくれた。
「ミディールは、一時期ミラが家庭教師をしてたんだ」
「もう、20年近く前の話になりますけれど」
付け加えるようにミラが言う。
「貴方方に負けず劣らずの、物覚えの良い子でした」
昔を思い出しているのか、どこか遠い目をしながら呟くミラ。
そこへ、ミディールのことを知らないアーサーが尋ねてきた。
「ミディールというのは?」
「ルシディアの護衛を兼ねた世話役、まぁ従者だな。
ミディールの場合は皇従か」
答えたのはクーア。
「コウジュウ?」
ボクが尋ねると、クーアは1つうなずき、説明を始める。
「トリニティの皇族には、専属の従者が1人付くのが慣例になってるんだよ。
その従者のうち、皇帝に付いている従者のことを皇従って言ってな、普通の従者よりも身分が高い。
通常、皇族の従者は貴族の子弟がなるものだけど、彼等のそれよりもさらに高い。
もっとも、だからといって政治的権限があるわけじゃない。
皇従にかぎらず、皇族の従者になった者は、皇室に対しての特殊権限を与えられる代わりに、貴族としての政治的権限を一時的に取り上げられるからな。
ただ、常に皇帝のそばにいるんだ、彼女等の言葉が皇帝の言動に影響を及ぼすこともないわけじゃない。
……まぁ、建前的には政治的権限はないってことになってるけど、実際には貴族以上にあるようなものか」
最後の一言を独り言のように言って言葉を切るクーア。
そこへ、さらにボクが尋ねる。
「じゃあ、ミディールはすごく身分が高いんだ。
名前も3つあるし。
3つあるのは王族か大貴族なんでしょ?」
「たしか……」
言って、クーアはミラを見た。
そこからミラが言葉を引き継ぎ、答える。
「ミディールはマジックインペリアルの3大貴族の1、セッタ家の次女ですね。
セッタ家はマジックインペリアルの北方に領地を持つ大貴族です。
3大貴族の中ではもっとも新しく数えられる大貴族なのですが……」
そこまで言って、ミラは言葉を濁らせた。
「ああ、あの……」
と、同じく言葉尻を濁したのはクーア。
あまり言葉にしたくない事情があるようだ。
アーサーもそれを察したようで、次の言葉を促そうとはしなかった。
しばらくの沈黙のあと、クーアが思い出したように口を開いた。
「そういえば、今日は前夜祭だったな。
悪かったな、お前達。
本当は祭りに行きたかったんじゃないか?」
「……ああ、そっか、今日お祭りだったんだっけ」
クーアに言われて、ボクは今日が始原前夜祭だということを思い出した。
パーティの準備やら何やらで、今の今まですっかり忘れていた。
「すっかり忘れてましたね」
アーサーも忘れていたらしい。
そこへ、リビングの人と物の片付けを終えたアルファスが、キッチンに入ってきて口を開いた。
「子供があまり気を使うものじゃない」
言われたことが何のことか分からずに顔を見合わせるボクとアーサーをよそに、アルファスはキッチンでコーヒーを入れる準備を始める。
その様子から察するに、自分の言葉の意味をボク達が理解したと思っているようだ。
授業の時もそうだが、アルファスは淡々としている。
よくいえば無駄がないのだが、時折、今のようにこちらの理解が追いつかない時があり、その場合は質問せざるを得なくなり、結果として無駄が生まれてしまう。
こちらの理解力を過大評価してくれているのかもしれないが、たまにそれがもどかしく感じる。
「え~と……」
コーヒーを入れているアルファスの姿を見ながら、呟くボク。
ややあって、ボクはようやくアルファスの言葉の意味を理解した。
「あ、別に、クーアに気を使ったわけじゃないよ。
お祭りのことはホントに忘れてただけ」
「そうですよ。 忙しかったですからね、今日は」
アーサーも理解したようで、相槌を打ってくれた。
しかし、その反応が逆にわざとらしく感じられたのか、クーアもミラも苦笑いを浮かべ、アルファスもまた、鼻で小さく笑った。
その様子にボクは慌てて、取り繕う。
「いや、ホントにそういうんじゃないんだよ。
どっちかっていうと、このパーティの方が楽しみだったし、ね?」
「そうです、本当ですよ。
でなきゃ、パーティをしようだなんて言いませんよ」
アーサーの合わせに感謝しつつ、ボクは最後の皿を洗い終えた。
「そりゃ、前夜祭にも行けたらよかったけど、クーアの誕生パーティの方が重大イベントだよ!」
勢い込んで言うボクに、最後の皿をすすぎ終えたアーサーが全力でうなずく。
そんなボク達を見ながら、
「ありがとな、2人共」
クーアがそう言って笑いかけてくれた。
本当に理解してくれたのかどうか怪しいが、もうこれ以上は釈明のしようがないと、あきらめてボクは息を吐く。
「今頃は前夜祭もたけなわといった頃でしょうね」
壁の時計を見ながらミラが言った。
「そうだな」
言ったクーアの目の前に、アルファスがコーヒーを置く。
アルファスは、礼を言ったクーアの横に座ってコーヒーをすすると、ボク達とクーアに向かって問い掛けた。
「今からでも行ってきたらどうだ?
クーアもこのあとは予定がないだろう?」
「ああ、ない。
どうする、お前達?」
コーヒーに砂糖とミルクを入れながらのクーアの問いに、ボクとアーサーは顔を見合わせ、次いで2人同時にリビングのソファでグッタリと眠り込んでいるシーザーを見やった。
ボク達の視線を追い、クーアもアルファスもミラもそちらを見る。
「ん~、やめとく。
1人だけ置いてけぼりにしたら、あとで何言われるか分からないもん」
シーザーを見ながら言ったボクの言葉に、その場にいた全員が、たしかに、といった風に笑った。