「おはよう」

リビングのドアを開けると、ソファに腰掛けてくつろいでいたクーアが穏やかに言った。

「おはよう!」

挨拶を返し、ボクはクーアのすぐ隣に座る。

「ボク、いつの間にか寝ちゃったんだね」

言って時計を見ると、時計の針は7時過ぎを指していた。

仕事から帰ってきた直後のクーアと小一時間ほど会話を楽しんでいたのは記憶にあるのだが、それ以降の記憶がまったくなく、気がつくとベッドの上だった。

おそらく、会話の途中で眠ってしまったボクを、クーアがベッドまで運んでくれたのだろう。

「ああ。 結構疲れてたみたいだったな」

言いながらクーアは立ち上がると、キッチンに行き、ポットの紅茶をカップに注いで戻ってきた。

湯気の立つカップをボクの前に置くと、再びソファに座り、自分の前にある、同じく紅茶の入ったカップを口に運んだ。

「ありがと」

ボクは礼を言い、テーブル上のシュガーポットから角砂糖を取り出すと、味を調えて紅茶をすする。

甘味と渋味が起きたての口と胃をさっぱりと満たし、ほんのりと温かい気分になった。

「2人はまだ寝てるのか?」

紅茶をもうひとすすりし、クーアが聞いてくる。

「うん。 まだ寝てた。

 アーサーは遅くまで勉強してたみたいだし、シーザーもボクが寝るまでに帰ってこなかったから」

「帰ってこなかった?」

「ケルカの所に行ってたみたい。

 クーアが仕事に行ってからすぐ、シーザーとケルカ、すっごく仲良くなったんだよ。

 シーザー、ちょこちょこケルカの部屋に行ったりしてるんだ」

「へぇ……そうか」

呟いて、少しだけ顔をほころばせるクーア。

シーザーが自分の仲間と打ち解けたのが嬉しいのだろうか。

などと思っていると、

「オーッス」

乱暴にリビングのドアが開き、当のケルカが入ってきた。

ケルカはクーアの姿を見ると、驚いた表情を浮かべ、

「お! なんだ帰ってきてたのかよ!

 つれねぇな。 帰ってきたんなら挨拶くらいしに来いよ。」

と、尻尾を振りながら、クーアの後ろに回り込んだ。

そして、ガバッとクーアを抱き締める。

「ん〜、おかえり〜」

言いながら、クーアの首筋に頬ずりするケルカ。

そんなケルカに、

「ただい、ま」

『ま』に被せるかたちで、クーアは作った握りこぶしを、ヒュッという音が聞こえそうな速度で一振り。

ゴッという硬い音とともに、

「ィデッ!」

拳は裏拳気味にケルカの眉間にクリーンヒットし、ケルカはたまらずクーアから離れた。

ケルカは眉間をさすりながら、

「イッテ〜な〜。 なんだよ、暴力的な愛情表現か?」

と、冗談を口にする。

クーアはニッと笑み、

「帰って早々、うざったい奴だな、お前は」

まんざら嫌でもなさそうな口調で言った。

次いで、

「シーザーの面倒、よく見てくれてたみたいだな」

「あ? ああ、ま、ちっとばかり気になったもんだからよ」

「そうか、ありがとう」

「…………」

クーアに面と向かって礼を言われたケルカは、少し恥ずかしそうにそっぽを向き、頭の後ろをガシガシとかく。

振れる尻尾に感情が出ているのが微笑ましい。

が、不意に、

「じゃあお礼のキスを!!」

叫んでクーアに抱きつこうとしたが、またしても容赦のない、というより1発目以上の勢いの裏拳が唸った。

「ぐわあぁぁぁ!!!」

悲鳴を上げて倒れるケルカ。

クーアの放った裏拳は、見事にケルカの鼻頭に直撃。

「うぅわ……痛そう……」

鼻面を押さえて悶えるケルカを見て、思わずボクは呟いた。

「大丈夫?」

ソファの背もたれから身を乗り出して心配するボクに、ケルカはウンウンと唸って答えられずにいた。

一方のクーアは、さして気にした様子もなく、

「いいんだよ、放っとけば」

と、冷たく一蹴し、紅茶をひとすすり。

そして、カップを置くと、背もたれ越しに悶えるケルカに目を向け、

「ところで、ケルカ。

 お前、シーザーを気に掛けてくれてるのは感謝するけど、まさか妙なことはしてないだろうな?」

「!」

聞いたケルカの動きがピタリと止まる。

「……おい」

「…………」

「答えろよ」

「…………」

「…………」

「あ〜……でもホラ、なっ?

 スキンシップっていうのが、仲良くなるには一番の――」

ケルカの言い終わりをまたずして、クーアが素早く動いた。

それとほとんど同時に、というより、そうクーアが動くことを予想していたように、ケルカも弾けるように飛び起き、

「うわマジゴメン!!!」

その言葉を残して、目にも止まらない速さで部屋から出ていってしまった。

スキンシップという言葉と、ケルカの性格と性質から、いったいシーザーと何をしていたのかは、ボクには容易に想像がついたが、とりあえずそれについては深く考えないことにした。

どういう経過であれ、現在シーザーとケルカが仲良くしていることは間違いないのだから、それはそれでいいことだと思う。

ケルカを逃がしたクーアは、苦いため息をつき、ソファに座る。

「ったく……戻ってきたら一発本気でぶん殴ってやる」

(クーアの本気のパンチ……)

想像するだに恐ろしい。

ケルカの末路には同情せざるを得ない。

軽く身震いするボクに、クーアが気遣わしげに尋ねてきた。

「……嫌なこと、思い出させたか?」

どうやらボクの身震いの理由を勘違いしたらしい。

ボクの過去が過去だけに、『スキンシップ』の意味にボクが気付いたと判断したのだろう。

失言したと思っているのかもしれない。

確かに、少し思い出してしまうところではあるが、ほとんど気になってはいない。

クーアに出会って吹っ切れてからは、過去のことは過去のことと、割り切って考えられるようになった。

だからだろうか。

以前、同じように辛い過去を持つシーザーにも、助言めいたことを言うことができたのは。

何にせよ、ボクがこうして前向きに考えられるようになったのはクーアのおかげなのだから、この程度のことでいちいち気にしないでほしいと思う。

そのことを、

「ううん、もう大丈夫だよ。 ありがと」

そうボクは短く伝えた。

それを聞いて安心したのか、クーアは表情を緩ませると、ポンッとボクの頭の上に手を置き撫で回した。

暖かな掌が心地いい。

その暖かさを感じながらボクはクーアに言う。

「……あんまりケルカにキツくしないであげてね」

「ん?」

クーアは手を止め、何を突然、と言いたげな顔でボクを見た。

「いや、ほら。 シーザー、そんなに嫌がってなかったみたいだから」

「? 見てたのか?」

「ああ! そうじゃなくて!」

クーアの勘違いに、ボクは何故かあたふたして取り繕う。

「ケルカの所から帰ってきたシーザー、嫌そうにしてる素振り見せなかったからさ。

 もし本当に嫌なら、ボク、きっと分かると思うんだ」

『ボクにも憶えがあるから』という言葉は、言わずにおいた。

クーアは少し唸るように考えると、小さく息を吐き、

「ま、そこそこにな」

とだけ答えた。

どうやら、ケルカの運命は暗そうだ。

なんとかフォローしてあげたいところだが。

気を取り直し、ボクは話題を変える。

「ねぇ、いつまでいられるの?

 またすぐ仕事?」

「ん〜……」

少し唸るような声を出して、クーアは紅茶を口に含む。

その様子から、あまりいい返事が返ってこないことがうかがえた。

「明日から始原祭って祭りが始まるんだけど――」

「あ、それなら知ってるよ」

覚えたばかりの単語が出てきたので、思わずクーアの言葉を遮って口を挟むボク。

しかし、クーアは気を悪くした様子もなく続ける。

「そうか。

 まぁ、その始原祭が終わるまで、だな。

 始原祭の初日も出張らなきゃならない」

「……そう」

なんとなく予想できたクーアの答えに、ボクは呟くように返事をした。

ボクの返事が寂しげに聞こえたのか、クーアはすまなそうな顔になり、

「悪いな、あまり一緒にいてやれなくて」

と、謝った。

ボクはブンブンと首を振り、取り繕う。

「いいよ、仕方ないもん。

 我儘言って迷惑かけられないよ」

「……そうか。

 でもまぁ、予定があるのは明日だけだし、今日を入れて正味3日は空いてる。

 その間はずっと一緒にいてやれるな」

言って、ボクの頭の上に手を置くクーア。

「ホン――」

と、ボクが言おうとしたその時、

「あーーーーーー!!!」

リビングの入り口から叫びにも似た声がした。

驚いて見れば、そこにはシーザーとアーサーが並んで立ち、シーザーは口を大きく開けてこちらを指差し、アーサーは目を丸くしてこちらを見ていた。

「クーアだ!!!」

再び叫び、突進してくるシーザー。

身の危険を感じたボクは、横にずれる。

その予想は当たり、シーザーはソファの脇でジャンプすると、ちょうどボクがいた場所を猛スピードで横切り、クーアに飛び付いた。

「おっと!」

飛び付くシーザーを受け止め、クーアがその頭を撫でながら言う。

「ただいま、シーザー。

 元気そうだな」

「おかえり!!!

 クーアが帰ってきてたんだったら起こせよな!」

前半はクーアに、後半はボクに向かってシーザーは言った。

とはいえ、文句とは裏腹に、シーザーの尻尾は千切れんばかりに左右に大きく素早く振れていた。

少し遅れてアーサーもそばまで来る。

「おかえりなさい!

 今朝帰ってきたんですか?」

「いや、昨日の、っていうより、今日の夜中にな。

 あんまり遅かったし、3人共寝てたんで起こさなかったんだ」

「起こしてくれてもよかったのによ〜」

クーアから離れ、その横に座ったシーザーが文句を言う。

「悪い」

苦笑いを浮かべてシーザーに一言謝ると、クーアはソファ横で佇んでいるアーサーに向かって手招きをした。

手招きを受けたアーサーは、少し恥ずかしそうにするとクーアのそばへと近寄る。

クーアは寄ってきたアーサーを引き寄せ、抱き締めると、

「ただいま、アーサー」

と呼び掛け、その頭を撫で付けた。

アーサーははにかみ笑いを浮かべながらも、素直に頭を撫でられていた。

しかし、ふと何かを思い出した顔になり、クーアから離れた。

「誕生日おめでとうございます!」

アーサーのその言葉にボクとシーザーはハッとする。

今日はクーアの誕生日だ。

昨日プレゼントまで買いに行ったというのに、クーアが帰ってきたことに浮かれていてすっかり忘れてしまっていた。

ボクとシーザーは声を揃えて言う。

『誕生日おめでとう!』

「おお、ありがとう!」

言って笑うクーア。

その笑顔を見ながら、ボクはまた1つ思い出したことがあった。

そのことをクーアに単刀直入に尋ねる。

「ねぇ、クーア。

 聞いた話なんだけどさ、クーアって200年以上生きてるって、ホント?」

ボクの言葉に、シーザーとアーサーがハッと顔を見合わせ、視線をクーアに向けた。

問われたクーアは、驚いたような表情も見せず、ボクに問い返す。

「誰から聞いた?

 ケルカかフレイク辺りか?」

「ううん。 こっちに来てから友達になった子。

 その子、ハーゲンっていうんだけど、色んな事を知ってるんだ。

 クーアがZクラスだってこととか、神聖皇帝フラークが闇の力を使ってたとか、色々」

「へぇ……」

呟くように言い、少し顔を引き締めるクーア。

「フラークのことを知ってるのは極一部だけのはずなんだけどな。

 その子、どこかの王族だったりするのか?

 それともかなり上位のレンジャーか?」

いぶかしんで言うクーアに、ボクは首を横に振り、答える。

「違うよ。 ハーゲンも孤児だったみたい。

 それにレンジャーを目指してるんだって。

 ハーゲンを育てた孤児院の先生が元Mクラスのレンジャーだったみたいだから、その人から聞いたんじゃないかな?」

「Mクラスか……名前は分かるか?」

「え〜と、確かガロって言ってた」

ボクの答えに、クーアは少し思い出すように沈黙し、間もなく口を開いた。

「ガロ…………聞いたことがあるな。

 確か、どこかの支部のマスターがそんな名前だったはずだ」

「知ってるの?」

問うボクに、クーアは首を横に振る。

「いや、面識はない。 名前を知ってるだけだ。

 Mクラスならフラークのことを知ってておかしくないか」

言って、何かを考えるようにうつむき、再び沈黙するクーア。

「……クーア?」

ボクが尋ねると、クーアは顔を上げ、

「ん? ああ、悪い、何でもないよ」

と、やや取って付けたような答えを返してきた。

その様子が少し気になり、ボクがそれを指摘しようとした矢先、シーザーが横から口を挟んだ。

「それよりさ〜、クーアって今何歳なわけ?

 あいつの話じゃ200年以上生きてるって話なんだけどさ」

あいつというのはハーゲンのことだろう。

先程のクーアの様子よりも、シーザーの質問の答えの方に心が引かれたボクは、クーアの答えを待った。

クーアは、やはり少し考えた風を見せ、

「ん〜、何歳だったかな。

 結構な歳だから、あまり細かくは憶えてないな。

 まぁ、そこそこの歳だ」

と、曖昧な答えを返した。

少し困ったような表情を浮かべているところを見ると、あまりこのことには触れられたくないのだろうか。

しかし、そんなことに気付きもしないシーザーはなお聞き募る。

「300歳? 400歳? なぁなぁ」

クーアは苦笑いを浮かべ、

「さぁ、どうだったかな?」

やはりはぐらかすように答えるだけだった。

だが、シーザーはそれでは納得できないようで、憮然とした表情を浮かべる。

このままではまた同じような質問をしそうなので、ボクが別の話題にすり替えようと考えていると、今度はアーサーが口を開いた。

「いつまでここにいられるんですか?」

「今日入れて4日間、だな。

 明日は予定が入ってるけど、それ以外は空いてるよ」

「え〜? それだけしかいられねぇのかよ〜……」

シーザーが心底残念そうにぼやいた。

内心、ボクも同意する。

アーサーも同じ意見かもしれないが、そんなことはおくびにも出さずに、変わらぬ口調で続ける。

「じゃあ、今日は空いてるってことですよね?」

「ああ」

「今日の夕食の時、クーアの誕生パーティをやりたいんですけど、どうですか?」

「そうそう、料理とかオレが作るぜ!」

アーサーの話に、シーザーが同調する。

「3人でプレゼントも買ったんだぜ?」

「プレゼントか。 それは嬉しいな。

 プレゼントなんてしばらくもらってないし、誕生パーティなんてのも、ずっとしてもらってないしな。

 3人共、ありがとう」

「へへへ……」

クーアの感謝に、尻尾をゆっくり振りながら鼻の頭をかくシーザー。

ハーゲンはクーアが喜んでくれるかどうかいぶかしんでいたが、どうやらその考えは外れたようだ。

もちろん、喜んでくれた方がボク達としても嬉しい。

「んじゃ、さっそくパーティの買い出しに行こうぜ!

 クーアはここで待っててくれよな!」

ボク達に呼び掛け、クーアに言うと、さっさとリビングを出ようとするシーザー。

その背に向かって、ボクは時計を見、冷静に言った。

「まだ7時半だよ」

シーザーの動きがピタリと止まった。

「普通に考えて、この時間じゃほとんどのお店が閉まってますよね」

同じく冷静に言うアーサー。

言われたシーザーは踵を返し、トボトボとこちらに戻ってきた。

そんなシーザーに向かってクーアが言う。

「……相変わらずだな」

 

 

「じゃあ、そろそろ始めるか?」

そう言ってクーアは手足をプラプラとさせ、体をほぐし始めた。

大地は一面、緑の草原。

空は雲1つなく、青々と澄み切っている。

そんな中で、いつもの白に金の刺繍の施された装束とは異なるブライトトーンの橙を基調とした装束を纏ったクーアの姿は、ことさら際立って見えた。

「こっちはいつでもいいぜ!」

横でシーザーが張り切って言った。

その手には鉄製のダガーが握られており、キラリと光を反射させている。

「ボクもいいよ!」

答えたボクの指には、鉄製の台座に銅球の据えられた指輪が光っていた。

「おー、さっさとやれー」

少し離れた所から野次めいた声が飛ぶ。

そこにはアーサーとワッズ、そして顔を腫らしたケルカが座っていた。

野次を飛ばしたのは当然の如くケルカ。

なぜ顔が腫れているのかといえば、言わずもがな。

見ていて痛々しいので回復してやりたいが、クーアからストップが掛かったのでおあずけである。

「よし、なら始めるぞ」

体をほぐし終えたのか、クーアが不動の姿勢を取る。

それを見て、シーザーがダガーを構え、ボクもいつでも魔法を詠唱できるように備えた。

なぜこんな状況になっているのかというと、話は朝食の後にさかのぼる。

 

「オレ達、結構強くなったんだぜ?」

朝食後のデザートに、カラメルソースたっぷりのプリンをすくいながらシーザーが言った。

「な? ジーク?」

「え? うん、まぁ」

話を振られ、同じくプリンを食すことにいそしんでいたボクは、曖昧な答えを返す。

もちろん強くなったという実感はあるが、あまりそれを口にするのは自意識過剰な気がして、気が咎めたからだ。

それと、昨日ルータスに言われたことも、無意識に影響しているのかもしれない。

「今オレ、レベルが24になったんだぜ?」

ボクの考えていることなど知りもせず、シーザーは自慢気に続けた。

「ちなみにこいつは22ね」

付け加えるように、少し下に見るように言うシーザー。

シーザーより低いのは、別にボクが訓練をサボっていたわけではなく、ただ単に伸び率の違いだとミラは言っていた。

そんなわけであまり気にしてはいないのだが、やはりルータスの時同様、見下されて言われると少々腹が立つ。

なので、

「アーサーの68に比べれば、どっちもどっちだけどね」

と、できるだけ何気なくを装い、アーサーのレベルを引き合いに出して皮肉った。

「う……」

言葉に詰まるシーザー。

その目は嫉妬を帯びてアーサーを見つめている。

当のアーサーは、困ったようなごまかし笑いを浮かべて紅茶をすすっていた。

あとで引き合いに出してしまったことを謝っておかなければ。

「そうひがむなよ、シーザー」

クーアはシーザーの視線に気付き、なだめるように言う。

「ひがんでねぇよ!」

シーザーは口を尖らせ、そっぽを向いてしまった。

それを見て、クーアは困ったような笑いを浮かべる。

そして、紅茶をひとすすりし、ボク達3人に向かって言う。

「それじゃ、手合わせするか?

 オレがいない間に、お前達がどれくらい成長したか、よく知りたいしな」

すると、仏頂面だったシーザーは、すぐさま顔色を変え、

「いいぜ! やろうやろう!」

と、嬉しそうに言って、残りのプリンを一気にかき込んだ。

 

というわけである。

ちなみにケルカはというと、クーアの部屋から逃げる途中でワッズに遭遇してしまったらしく、その様子を不審に思ったワッズによって引きずられるようにクーアの部屋に連れて来られ、そのあとクーアの言葉通り、キツい一撃を見舞われて現在のような憐れな顔になってしまった。

もしあのあと、シーザーやボクがケルカをかばわなかったら、おそらくはもっと酷いことになっていただろう。

あの程度で済んだのだから、幸い、というべきなのだろうか。

ともあれ。

手合わせの為に手頃な場所ということでクーアがボク達を連れてきたのが、この誰もいない平原が延々と続いている特異世界だった。

ここならば誰に気を使うこともなく、思う存分に本気の力が振るえる。

もっとも、ボク達が本気になったところで、クーアにダメージらしいダメージを与えられるとは到底思えないが、だからといって本気を出さない理由にはならない。

むしろ、ダメージを与えられないという安心感があるからこそ、逆に本気を出せると言えるかもしれない。

そう思うと、全身に力が漲ってくる気がした。

事前にある程度シーザーと打ち合わせをした結果、シーザーがクーアと近距離で戦い、ボクが中・長距離で魔法による援護・攻撃を行うという戦法を取ることとなった。

かなりオーソドックスな戦法ではあるが、奇をてらった戦法を取ったところで、勝つことが目的ではないのだから大した意味はないだろう。

それよりも真っ向から向かっていった方が、ボク達の力をクーアに分かってもらいやすいと思う。

ちなみに、アーサーは1人だけレベルが違い過ぎるということで、ボク達のあとに1人でクーアと手合わせすることになっている。

手合わせとは言え、真剣勝負であることに変わりはない。

対峙するボク達とクーアとの間に張り詰めた空気が流れる。

沈黙と静寂の数秒。

まず動いたのはシーザーだった。

姿勢を低く走り込み、瞬時に間合いを詰めると同時に、下からすくい上げるように右手のダガーを走らせる。

クーアは左足を引き、わずかな動きで皮一枚の回避を行うと、伸び上がった体勢で腹部ががら空きになっているシーザーに向かって右の掌底を繰り出した。

が、シーザーはこれを読んでいたのか、すかさず左手を腹部に回して防ぐと、その反動で後ろに飛んだ。

「うん、速くなったな」

口元に笑みを浮かべ、クーアが言う。

「へへ!」

着地し、得意気に笑うシーザー。

すぐさま体勢を整え、再びシーザーが走った。

と、向かう先のクーアの左手に、何の脈絡もなく、柄から刀身まで真っ白の、所々に金の意匠の施されたダガーが現れた。

クーアは逆手に持ったダガーでもって、己の左胴を横に薙ごうと振るってきたシーザーのダガーを受け止める。

金属音を発して止まるシーザーのダガー。

火花が散るほどの鍔迫り合い。

その様子を眺めながら、クーアは悪戯っぽくぽつりと呟く。

「力はあまり変わってないな」

「! うるせぇ!」

呟きが耳に入ったシーザーが、悪態をつきながらダガーの刃を滑らせ振り抜いた。

そして、返す刃で今度はクーアの右胴を薙ぐ。

クーアは軽く地を蹴り、後ろに飛び退ってそれをかわした。

それを見たボクは、魔法の詠唱に入った。

『四元の一角、土よ、打て!』

詠唱が完成し、ボクの頭上に大人の拳ほどの大きさの、魔法力でできた土塊が十数個出現。

走り出そうとしているシーザーを迎え撃つ為にダガーを構えたクーアに向かって、ボクは土塊を撃ち出した。

対象をクーアに限定した魔法力による土塊は、走り出したシーザーの体をすり抜け、クーアに迫る。

その土塊がクーアに当たる寸前、クーアの体が半透明な光に包まれた。

(『アーマー』!?)

クーアが行使したのは、対象の全身を薄い技法力の膜で包む技術。

『アーマー』自体はたいした強度ではないのだが、クーアが行使している以上、それでもボクの『黄土』の魔法を防ぎ、シーザーの斬撃を防ぐのには充分な強度はあるだろうと思われる。

ビシィッという、鞭ではたかれたかのような耳に残る鋭い音を発し、ボクの放った土塊はクーアに命中して消滅。

続いて繰り出されたシーザーの斬撃も、『アーマー』に阻まれて効果はないようだ。

予想通りの結果だ。

が、それでもシーザーは、ヒットアンドアウェイを繰り返しつつ、『アーマー』を撃ち破らんと斬撃を繰り出し続けている。

その様子を、クーアは手にしたダガーで防ぐでも、回避するでもなく眺めていたが、不意にこちらに視線を向けた。

(! 来る!)

その視線に攻撃の意思を感じたボクは、すぐさま『防御』の魔法の詠唱に入った。

同時に、クーアも詠唱に入る。

『護れ、万災万禍より!』

『四元の一角、土よ、打て』

一瞬早くボクの周囲を包む光の正三角錐、わずかに遅れてクーアの頭上に頭程の大きさの土塊が数十個生まれた。

「!?」

土塊の大きさと量に驚愕するボク。

おそらく、憶えたての『防御』の魔法では、とてもではないが防ぎきれない。

そこへ、

「させるか!!」

シーザーが吠え、手にしたダガーを地面に突き立てた。

突き立ったダガーが黄色の光を放つと共に、クーアを中心とした見えない円の線上に十数ヶ所、ダガーの刀身と同じ形をした、しかし、その刀身の十数倍の大きさはあるだろう黄色い光の刃が出現、そのままクーアに向かって倒れ込む。

黄光刃は、クーアの頭上の土塊の多くを斬り砕きながらクーアに直撃した。

耳に障る高い音を発し黄光刃が消滅するも、クーアの『アーマー』はそのまま。

しかし、頭上の土塊は8割方消滅していた。

クーアは、やや驚嘆の表情を見せつつ、それでも残った2割の土塊をボク目掛けて撃ち放った。

ボクの『黄土』とは比べ物にならないほどの速さで飛来する土塊。

だが、元来、放射状に土塊を放出するこの魔法。

シーザーの攻撃で土塊の数が減じた為、残った2割の土塊のうち、ボクの作り出した防御壁にぶつかるのは、その半分ほどだろう。

それだけならば、いかに速さ・大きさが優れていたとしても防ぎきれないことはない。

連続した破砕音を響かせ、防御壁にぶつかった土塊が砕け散る。

案の定、すべての土塊が砕けたあとも、やや強度は減じてはいたものの、ボクの防御壁はしっかりと残っていた。

攻撃の不発に動揺した素振りも見せず、クーアは、むしろ嬉々とした表情をとっていた。

「うおおおおお!!!」

その隙を突き、シーザーが吠え声を上げながらクーアに斬り掛かった。

息もつかせぬ連撃は、ただの1度も外れることなくクーアを打つが、『アーマー』によって守られているクーアの肉体に傷を負わせるまでには至らない。

より威力の高い攻撃でなければ、到底『アーマー』を打破することはできないだろう。

判断し、ボクは『防御』の魔法を解き、新たな魔法の詠唱に入った。

『火円に満ちたる、紅蓮、立ち昇れ!』

詠唱に気付いたシーザーが、攻撃の手を止め、いったん跳び下がる。

それを見計らい、ボクは魔法を行使した。

不動のまま、ボク達の行動を値踏みするかのようにうかがっていたクーアの足元に、火の円が描かれる。

その一拍後、火円全体から上方へ向かって轟々と炎が立ち上った。

『炎上』の魔法は、ボクが使用できる魔法の中でもかなり上位の威力を持っている。

しかし、これだけではクーアの『アーマー』を打ち破れはしないだろう。

そこでボクは、遠巻きに成り行きを観察していたシーザーに向かって叫んだ。

「シーザー! もう1度あの技法を!!」

耳をピクリと動かし、即座に応えるシーザー。

「ハッ!!!」

気合いと共に地面にダガーを突き立てると、先程と同じようにダガーが黄光を放ち、クーアを包む炎の周囲に、黄光刃が十数本出現した。

それらは、一気に炎の中に向かって倒れ込む。

炎の轟音に紛れ、先程の耳に障る高い音が、短く聞こえた。

黄光刃が消え、ボクの炎も消えると、そこからは何ら変わった様子のないクーアの姿が現れた。

だが、身に纏っていた半透明の光が消えている。

(やった!)

心の中で勇むボク。

ダメージを与えられたかは定かでないが、少なくとも『アーマー』を打ち破ることはできた。

今が好機。

「いくぞ! ジーク!!」

同じく好機と判断したのか、シーザーが叫んだ。

「うん!!!」

答え、ボクは魔法の詠唱をはじめ――

「遅い」

言葉と共に、クーアが1度、地を軽く踏み叩いた。

それと同じくして、そこを起点に円形の衝撃波が、土埃を上げて地を奔る。

それは目視とほとんど同時にボクの、そしてシーザーの足元に迫り、パンッと乾いた音を立て、足元を起点に足全体に痛烈な衝撃を走らせた。

『――ッ!!!』

痺れにも似た痛みに、声もなく体を硬直させるボクとシーザー。

痛みにつむった目を開けた時、次に映ったのは、手にしたダガーを地面に突き立てるクーアの姿。

(これは!)

ボクが思った直後、周囲に黄光刃が出現した。

その数、およそ数十本。

『!?』

声を失い、その威容に竦むボクとシーザー。

数十本の黄光刃は、それぞれがクーアの手にしたダガーの刀身の数十倍はあろうかという巨大さであり、出現場所もボク達とクーア、どころか、観戦しているアーサー達までも――当然対象外だろうが――を内に入れた円周上という広大さだった。

先程シーザーが行使した技法と同じものだと思われるが、『黄土』の時と同様、効果も規模も、ボク達のそれとは桁外れだ。

本能的に回避しようと逃げ道を探すが、頭上はもとより、円周上を縁取るようにそそり立っている黄光刃同士の間隔もとても短く、どこからも逃げられそうにない。

「シーザー!」

回避が困難と悟ると、ボクはシーザーを呼んだ。

「!」

呼び掛けに応え、硬直を解いてボクの真横に駆け寄るシーザー。

それを確認すると、ボクは、すかさず『防御』の魔法の詠唱を始めた。

『護れ、万災万禍より!』

瞬時に、ボクとシーザーを囲むように生まれる光の正三角錐。

次いで、シーザーが『アーマー』の技術をボクと自身に行使し、さらにボクが作り出した防御壁の外側の上方に、円形の光の盾『シールド』を作り出した。

回避ができない以上、防御するしかない。

おそらく、これが今ボク達にできる最大の防御策だ。

ボク達の防御行動の終了を待っていたかのように、黄光刃が倒れ込んできた。

鼓膜をつんざくような高い音を立てながら、黄光刃とボク達の作り出した防御壁とが相殺し合う。

黄光刃の放つ光と、防御壁との衝突の際に生まれる光のせいで、視界は目も眩むほどの明るさで満ちている。

ビキンッという、金属の折れるような音を立て、シーザーの張った『シールド』が砕けた。

「クソッ!!」

焦りの声をシーザーが発する。

黄光刃は、今度はボクの作り出した防御壁にぶつかり、相殺し合う。

しかし、ボクの防御壁も、わずか2〜3秒で破られ、消滅。

残るはシーザーの『アーマー』のみ。

ほんの薄皮一枚隔てた所で、黄光刃が止まっているのが、『アーマー』の防御膜越しに伝わってくる。

(ダメ!?)

文字通り目前まで迫った脅威に、半ばあきらめの感情が生まれる。

が、唐突に黄光刃が消え、耳障りな音も、鼓膜に余韻のみを残してかき消えた。

ボク達の体は、体を包む半透明の膜こそほとんど薄くなっていたが、まったくの無傷。

「よっしゃ!!」

シーザーが歓喜の声を上げ、ポーズを取る。

それに対し、ボクは、

「まだだよ!」

と、警告を発しながら辺りを見回した。

辺りには土煙がもうもうと舞っており、視界はないに等しい。

おそらく、その土煙に紛れてクーアが何らかの攻撃を仕掛けてくるに違いなく、ボクはそれを警戒していた。

ボクの警戒する様子を見て状況を把握したのか、シーザーもダガーを構えて視線を巡らせる。

数拍視線を巡らせ、

「これじゃ見えねぇ!」

そう言いながら、シーザーはダガーを逆手に持ちかえると、腰溜めにダガーを構え直し、一気に真上に向かって振り上げた。

すると、ダガーの軌道上に三日月型をした緑色の光の刃が生まれ、一拍ののち、凄まじい速さで前方に向かって、土煙を切り裂きながら飛び進んでいった。

それと同時に、緑光刃の後方からは、軌道に沿って左右へと薄緑色の風が吹き荒れ、さらに土煙を吹き飛ばしていく。

すっかり開けた前方の視界。

クーアは、ちょうどボクの真正面にあたる位置に、地面から抜いたダガーを左手に携え、立っていた。

位置的に、シーザーの放った緑光刃は当たらなかったようだ。

「『ミストカット』か。

 技法の選択がよくできてるじゃないか」

感心した風にクーアが呟く。

「そりゃ、毎日真面目に訓練してるからな!」

誇るように言って、シーザーが走った。

意識を攻撃に向けた為か、ボクとシーザーの体を覆っていた『アーマー』が切れる。

シーザーは瞬く間にクーアに肉薄すると、ダガーによる素早い連撃を繰り出した。

その攻撃を、クーアはダガーで防ぎ、あるいはわずかな身動きで回避する。

シーザーの連撃の合間を縫ってクーアも攻撃するが、シーザーも何とかこれを防ぎ、かわし、攻防は一進一退の状況が続いていた。

しかし、ボクもただこの状況を眺めているわけにもいかない。

クーアが『アーマー』を行使していない、生身のままの今が好機。

「合わせて!」

ボクは、クーアと切り結ぶシーザーに向かって叫び、魔法の詠唱に入った。

『孤描く一重の風、奔れ!』

行使する魔法は『切気』。

切断性に優れた風の刃を撃ち放つ、ボクが使える中で、もっとも難易度が高く、かつ威力が最も高いものだ。

今のボクの切り札と言ってもいい。

しかも対象指定をしていない為、効果を減じることなく、魔法本来の威力を備えている。

詠唱の最中、シーザーが大きく後ろに飛ぶのが見えた。

『百禍を切り裂き、尚、奔れ!!』

ボクの詠唱が完了する。

と、同時に、ボクの真横付近に着地したシーザーが吼えた。

「ッラァ!」

シーザーの片足が地面を強く踏み叩くと、そこを起点として円形の衝撃が地面の上を奔る。

高速で奔る衝撃は、地面に土煙を巻き上げながら広がり、クーアの足元に迫る

先程クーアが行使したものと同じこの技法は、ボクの呼び掛けに応えたシーザーの足止めの技法だ。

つい今しがた経験したばかりだから分かるが、ダメージが通るかどうかは別として、当たれば必ず衝撃が走り、それは確実に足止めになる。

仮にかわすにしても、平面上を奔る衝撃を避けるには跳ぶしかない。

となれば、なお一層体勢が崩れ、ボクの『切気』をかわすことは困難になるだろう。

ボクは、高速で肉薄する衝撃に対して未だ微動だにせずにいるクーアに向かって狙いを定める。

その刹那あと、衝撃がクーアの足元を直撃。

するはずだった。

突然、辺りを闇が包んだ。

「!?」

不意の出来事に動揺する気配が隣のシーザーから伝わってくる。

それはボクも同じだった。

(無詠唱の『黄昏』!)

辺り一面、黒一色の視界。

この闇は、対象部にわだかまる闇を発生させる『黄昏』の魔法によるものだ。

しかも、詠唱を省略した無詠唱の。

魔法・魔術の最大の弱点とされる発動までのタイムラグを極端に短くしてしまうこの方法を用いるには、使用者が、行使する魔法・魔術を発動させる為に最低限必要な魔力・魔法力を、はるかに上回るほどの魔力・魔法力を備えていなければならない。

今のボクでは、最も簡単な魔法・魔術でさえ無詠唱で発動させることは不可能だ。

もちろん、無詠唱は利点ばかりではない。

最も大きな欠点は、本来ならば詠唱と共に時間を掛けて行うはずの『増幅』の過程を省略してしまっているので、瞬間的に大量の魔法力を消費することになることと、発動後の効果が、使用者の魔力・魔法力にもよるが、詠唱を経た魔法・魔術のそれの2・3割程にまで減じてしまうことだ。

しかし、効果を減じたとはいえ、今のボク達の視界を遮り、動揺を誘うには充分過ぎる効果だった。

唐突に目標を見失ったボクは、無意味ながらも目を凝らして辺りを見回した。

当然、自分の手すら見えない深い闇の中で、クーアの姿を見留められるわけもなく、さらに詠唱の完了した『切気』の魔法をこれ以上とどめておくこともできず、一か八かでクーアがいた前方に向かって撃ち放った。

ゴゥッと音を立てて飛び去る風の刃に、手応えはまったく感じられない。

(外れた!)

そう思った直後、辺りを包んでいた闇が、一瞬で跡形もなく消え去った。

明暗の急激な切り替えに目が眩む。

目をしばたき、直前までクーアの立っていた場所を見れば、そこにクーアの姿はない。

(どこ!?)

と、

「はい、終わり」

声はボクの真後ろから聞こえた。

慌てて振り向けば、クーアが真後ろに立ち、ボクを見下ろしていた。

クーアはポンとボクの頭の上に手を乗せると、アーサー達のいる方へと向かう。

ボクとシーザーもあとにつき、クーア共々アーサー達と合流したところで、クーアはボクの方に向き直り、

「『切気』みたいな範囲の狭い、指向性のある魔法じゃ、今みたいに姿を見えなくされたら当てるのが難しい。

 もっと広範囲に効果のある魔法だったら、オレも避けられなかったかもしれないし、もし見失う事態になっても、咄嗟に対象範囲を自分に切り替えれば、こうして背後をとらせることもなかっただろうな。

 それともう少し詠唱の声のトーンを落とした方がいい。

 魔法の知識がない相手ならいいけど、知識のある相手じゃ、使おうとしている魔法が丸わかりだぞ?」

次いでシーザーの方に顔を向け、

「シーザーも下がるのが早すぎたな。

 技法で足止めしようとしたのは分かるけど、あの場合は切り結び続けてた方がよかった。

 ジークの詠唱が完成したら、発動寸前で跳べば、タイミング的にオレも避けるのが難しかっただろう。

 もし技法を使うなら、ジークの魔法が直撃したあとに追い打ちとして使った方が効果的だったな。

 けど、個々の発想はよかったぞ。

 『フラットショック』は地面上の相手の足止めには適してる技法だし、『切気』も単体相手なら効果的な魔法だ。

 咄嗟の思い付きにしては、結構いい選択だぞ?」

優しい口調でボク達にアドバイスをするクーア。

「でも、結局は選択ミスだよな〜」

観戦していたケルカが茶々を入れた。

それに対して、クーアはギロリとケルカを睨み、

「何か言ったか?」

「ゴメンナサイ」

ケルカは即座に謝り、ワッズの後ろに隠れた。

盾にされたワッズは、苦笑いを浮かべ、後ろのケルカに言う。

「しばらく黙ってた方がいいと思うよ。

 これ以上、クーアの機嫌を損ねないようにさ」

「そーする」

2人のやり取りを見ながら、クーアは小さく息を吐き、

「まぁ、こういうのは徐々に慣れていけばいいさ。

 いきなり最適な選択なんてできるわけがないからな。

 オレ達だって咄嗟の判断で行動を選択するのは難しいんだから」

と、フォローを添えた。

ダガーを鞘にしまいながら、シーザーが顔に疑問の色が浮かばせて尋ねる。

「なぁ、ところで今って何したんだ?」

シーザーの質問に、しかしクーアは答えず、逆にボクの方を向いて尋ねた。

「何したか、分かるか?」

「う〜ん……たぶん、無詠唱で『黄昏』と『転移』を使ったのかな?

 『黄昏』の暗闇で目眩ましして、その間に『転移』を使ってボクの後ろに来て、攻撃をかわした?」

クーアの問い掛けに対して、ボクは何となくそうだろうということを、尋ねるように答えた。

するとクーアは少しだけ首を横に振り、答える。

「1つだけ正解だ。

 無詠唱の『黄昏』を目眩ましにしたのはあってるけど、『転移』は使ってない。

 『黄昏』のあとに、跳んで『フラットショック』をかわしながら、お前の後ろに回ったんだ。

 それと着地の音を消す為に、一瞬だけ『消音』を無詠唱で使ったな」

「あと『心眼』も使ってるよね」

言ったのはワッズ。

「『心眼』?」

シーザーがオウム返しに聞き返した。

ワッズがシーザーに返答するより早く、クーアがそれに答える。

「魔法の1つで、分かりやすく言えば、物が見えない状態とか見えにくい状態、つまり、目を閉じた時とか、今さっき見たいな暗闇に包まれた状態でも、普段通りに物が見える状態にする魔法だ。

 あの闇の中でジークの真後ろに正確に着地できたのも、この魔法のおかげだな」

「え〜? いつ使ってた?」

「始まった直後、無詠唱で。

 まぁ、クセみたいなもんだな。

 ある程度のレベルの戦いになると、まばたきとか、逆光とか、ほんの少しの視界の陰りが命取りになりかねない。

 だから、それなりに戦い慣れた奴は、大抵この魔法を使うか、使えなければ封魔晶で代用してるよ。

 そんなに難しい魔法じゃないから、もうジークも使おうと思えば使えるんじゃないか?」

「そうかな? まだ試したことないけど」

言われて、ボクは首を傾げた。

「『心眼』だけじゃなく、積極的に他の魔法も使えるかどうか試してみるといい。

 使える魔法が増えれば、それだけ戦略の幅も広がるからな」

「うん、そうだね、試してみるよ」

クーアのアドバイスに、ボクは素直にうなずいた。

そこへ、

「いいよなぁ、魔法使える奴は」

シーザーが愚痴るように呟いた。

以前、ミラにシーザーとアーサーの魔法の資質について尋ねてみたことがある。

それによると、アーサーはかなり多様な魔法の資質が備わっている可能性がある一方で、シーザーには魔法の資質がまったくないかもしれない、とのことだった。

それは魔術に関しても同じらしい。

おそらく、シーザー自身もそのことは聞かされているのだろう。

別段、それ自体は珍しいことではないらしく、実際レンジャーの半数くらいは、魔法や魔術の資質がまったくない者だとか。

しかし、だからといってそうそう納得できるものではないのかもしれない。

特にシーザーは。

「アーサーも使えるしよ、オレだけなんか仲間外れみてぇじゃん」

なおもシーザーが愚痴る。

それを見たクーアは、困ったような表情を浮かべた。

「まぁ、こればっかりは資質の有無だからな」

「む〜……」

唸るシーザー。

そこへ、ワッズから助け舟が出た。

「ボクも、魔法も魔術も全然使えないよ」

その言葉に、シーザーは目を丸くしてワッズを見る。

「え? そうなの?」

ニッコリと微笑んで、うなずくワッズ。

ワッズは、自分の後ろに首をめぐらせると、隠れているケルカに声を掛けた。

「ケルカも魔術は使えるけど、魔法は使えないよね?」

「おうよ」

ワッズの問い掛けに対し、後ろから姿を現し、ケルカが答えた。

「へぇ〜。 ケルカが魔法使えないのは知ってたけど、ワッズはちょっと意外だな〜」

シーザーがワッズをひとしきり眺めて言った。

「そう?」

小首をかしげるワッズに、シーザーはうなずいて言葉を続ける。

「うん。 だって、ワッズって頭良さそうじゃん?

 頭がいい奴って、魔法が使えそうっていうかさ、なんかそういうイメージがある」

シーザーの言葉に、ワッズは首を横に振り、

「魔法が使える使えないに、頭の良し悪しは関係ないよ。

 まあ、世間的にはそういうイメージがあるかもしれないけどね」

と答えた。

「ふ〜ん……でも意外」

シーザーは、言葉通り意外そうな顔で、舐めるようにワッズを見て呟いた。

と、そこへ、ワッズの後ろから身を乗り出したケルカが、

「……ん? って、ちょっと待て。

 そういやお前、オレが魔法使えないって言った時、妙に納得顔してやがったけど、アレ、オレが頭悪そうに見えたって意味で納得してやがったのか!?」

「? そうだけど?」

何を当たり前のことを、とでも言うように、シーザーが答えた。

それを聞いたケルカはガバッと立ち上がり、

「このガキ! オレのどこが――」

「頭悪いだろうが」

文句を言おうと息巻いていたケルカを、ばっさりとクーアが切り捨てた。

「――っ!」

さすがにクーアに言われては分が悪いのか、ケルカは言葉を詰まらせ、再びその場に座り込んでしまった。

「……まだ怒ってるの?」

ボクが小声でクーアに尋ねると、

「それなりにな」

と、クーアも同じく小声で返してくれた。

少し前よりは多少は許していることが、その語調からは感じられた。

そろそろケルカの顔の腫れくらい治してやってもよさそうな雰囲気だ。

「さて、それじゃ、アーサー。

 次はお前の番だな」

「はい! お願いします!」

答えて、アーサーが立ち上がる。

「ここじゃなんだから、場所を移そうか。 ワッズ」

そう言って、クーアはアーサーの手を取ると、懐から封魔晶を1つ取り出し、ワッズに向かって放った。

ワッズは何も言わず、それを受け取る。

「行くぞ?」

「はい!」

クーアの問い掛けにアーサーが答え、直後に2人の体が発光し、光が消えると同時に姿を消した。

おそらく、この世界のかなり離れた場所に転移したのだろう。

「その封魔晶、何が入ってんだ?」

シーザーがワッズの手にした封魔晶を指差して尋ね、ボクと一緒にワッズの隣に座る。

ワッズはニコリと笑うと、手にしている封魔晶を軽く握り込む。

すると、ワッズの正面、十数mくらい先の空間に、クーアの姿が現れた。

同時に、現れたクーアを中心として、数m大の球状に、周囲の景色が変わる。

それまであった景色を塗り潰すように出現した新たな景色は、それまでの草原とは打って変わって、ゴツゴツとした岩場といった様相だ。

「これって……」

ボクが言い掛けると、今度は少し離れた位置にアーサーの姿が現れた。

クーアの時と同様に、アーサーを中心とした球状の景色が、岩場の景色へと変貌する。

「おお〜?」

驚きと好奇心の入り混じった声を上げて、シーザーは立ち上がってクーアとアーサーの方へと向かっていった。

シーザーはアーサーのすぐそばまで行くと、軽く手を伸ばす。

しかし、その手はスルリとアーサーをすり抜けてしまった。

「この封魔晶には『景音』の魔法が封じられてるんだよ」

ワッズが手にした封魔晶を掲げて言った。

「離れた場所の景色と音声を目の前に映し出す魔法だよね?」

ボクがワッズに確かめると、ワッズはコクリとうなずき、

「下位の魔法に、景色だけ映す『転景』、音声だけを映す『転音』があるね」

と、補足の説明を入れた。

「やっぱ、魔法って便利でいいよな〜」

こちらに戻りながら、シーザーがぼやいた。

それを聞いて、ワッズは苦笑いを浮かべながら、フォローを入れる。

「まぁ、そうだね。

 でも、こうして封魔晶で代用もできるし、そんなに悲観することもないと思うよ?」

「使えるに越したこたぁねぇけどな」

「うっさい! ケルカ!」

せっかくのフォローを台無しにするように茶々を入れたケルカに、シーザーが怒鳴って飛び掛かった。

「わっ! もう、やめときなよ、ケルカ」

真後ろで暴れる2人から少し離れ、呆れたように言いながら、ワッズが再度封魔晶を握り込んだ。

新たな映像が、クーアとアーサーを映す映像の上部、空に出現した。

出現した映像は、先のそれとは異なり、十数mほどの大きさを持つ楕円体で、それは延々と岩場と岩山を映しだしているだけだった。

2人の姿はどこにも見当たらない。

「?」

「今、上に映し出したのは、見えないけど、2人がいる場所を上空から捉えた映像だよ。

 下の映像は2人自身を対象にしてるから、常に2人が映像の中心にいて、その細かな動きが確認できるけど、全体的な状況はまったくと言っていいほど把握できないからね。

 その点、上の映像は、場所そのものを対象にしてるから、2人がこの範囲から出ない限りは、攻防の様子が大まかに分かる。

 まぁ、順次、状況に合わせて新しい映像を映してくから問題ないよ」

ボクの疑問に悟ったようにワッズが説明する。

次いでワッズは、後ろでまだ揉めている2人に向かって、

「ほら、そろそろ始まるみたいだよ」

と、声をかけた。

下映像の2人を見れば、すっかり準備を整え、構えを取っている。

アーサーの右手には、おそらくは『マテリアライズ』で生成した物だろうサーベルが握られており、左手には同じく生成された物だろうガントレットがはめられていた。

「変わった組み合わせだね。

 ガントレットは防御用かな?」

ワッズがアーサーを見て呟く。

「そういや、お前、あいつが戦うのは初めて見るんだっけ?」

「うん。 ジークとシーザーの戦いも今日が初めて」

ケルカの問いに、ワッズは目に興味の色をたたえて映像を見ながら答えた。

「クーアは、また何も装備してねぇのな」

そう言ったのはシーザー。

「あいつは基本、武器使わねぇからな」

答えたケルカの言葉に思い返してみれば、確かにクーアが武器を使っている記憶はほとんどない。

先の手合わせを除けば、時折、白地に金の装飾が施されたバスタードソードを使っていた程度だ。

「始まるぞ」

ケルカの声に、映像を見れば、今まさにアーサーが地を蹴った瞬間だった。

目にも止まらぬ速さで――といっても、『転景』の対象指定の効果によって常に映像の中心にいるのだが――クーアとの間合いを詰め、クーアの右胴を薙ぐように剣を一閃させるアーサー。

クーアは回避することなく、いつの間にやら右手にはめられていた、白地に金の装飾が施されたガントレットで掴み止めた。

ギッと、金属音の余韻をなくした甲高く、それでいて鈍い音が、映像の中の攻撃の接点から聞こえてきた。

クーアとアーサー、2人を対象にしたそれぞれの映像に2人ずつ映った状態で、2人は力比べをするように動かないことしばし。

鋭い速さで動いたのはクーアだった。

空いた左手に、ガントレット同様、いつの間にか握っていた、白地に金の装飾が施された、ナックルガード付きのサーベルで、アーサーを薙ぎ払うように横に振る。

それを察知したアーサーは、左手のガントレットの甲を向かってくるサーベルに向けた。

気のせいでなければ、わずかの間、背中の翼を大きく開き、ほんの少しだけ体を浮かせたようにも見えた。

響く金属音を残し、アーサーの体が大きく吹き飛ぶ。

アーサーは、空中で2・3回転して体勢を整えると、音もなく着地、そのままクーアに向かって構えた。

間合いを取って再び対峙する2人。

ボクでもなんとか目で追える速さだったが、あれが2人の、というよりアーサーの全速でないことは、よく知っている。

よく言う、『挨拶代わりの一撃』というやつだろう。

しかし、その『挨拶代わりの一撃』を見て、ワッズが感嘆の声を漏らした。

「戦い慣れてるね」

「そりゃ、70近いしな。

 レンジャーならCクラスだ。

 それなりに戦い慣れてるだろうよ」

と、ケルカ。

「でも、まだ様子見ってところかな?」

ワッズがそう言い終えると同時に、映像の2人に動きがあった。

クーアが無造作にガントレットを装備した右手を振るう。

その動きに対応するかのように、クーアの足元の地面から垂直に白光の壁が噴出した。

上方に噴出する技法力の壁を撃ち出す技術『ウォール』。

前方を広範囲にわたって攻撃できる技術で、壁は距離に比例して高くなる。

その効果通り、噴出した白光壁は、クーアの前方、アーサーのいる方向へと向かって、地面を抉り上げながら高さを増し、突き進んでいく。

さほどの速さではないが、なにぶん幅と高さがあり、回避が難しいと思われる。

アーサーは、徐々に大きさを増しながら迫りくる白光壁を見上げると、翼を大きく開き、地を強く蹴って羽ばたいた。

白光壁がまだ低いうちに飛び越えてしまおうという算段だと、瞬時に理解できた。

しかし、アーサーからは白光壁が邪魔で見えなかったのだろうが、ボク達からはクーアの動きがよく見てとれた。

「甘ぇな」

ケルカが呟くのとほとんど同時に、白光壁を越えたアーサーを、跳躍して待ち構えていたクーアが斬り下ろしの一撃。

アーサーはすんでのところでこの一撃をサーベルで受けるが、勢いに押されて墜落。

そこへ、『ウォール』が直撃した。

アーサーを映す映像が真っ白になると共に、そのすぐ横に別の映像が映される。

ワッズが新たに映したものだろうそれは、2人の姿がかろうじて分かるくらいの場所から見ているような映像だった。

その映像の中で、噴出しながら前進する白光壁に巻かれ、アーサーが大きく後ろ上空に吹き飛ばされたのが分かった。

その体はわずかに発光しており、アーサー主体の映像に目を映すと、それが『アーマー』による防御膜だということが見て取れた。

衝撃により飛ばされはしたが、ダメージはないと思われる。

空中で大きく翼を広げて静止したアーサーをクーアの追撃が襲う。

『自在』を行使し、あっという間に空中で間合いを詰めたクーアは、手にしたサーベルを閃かせた。

アーサーは空中で静止したまま、それをサーベルで受け止める。

クーアはそのまま鍔迫り合いをせず、サーベルの角度を変えて刃を流すと、その反動を活かして逆方向から斬り付けた。

あわててアーサーがこれをガントレットの甲で受け流すも、クーアはさらにこの刃を流し、再び逆方向から斬り付ける。

微妙に角度を変えながら、斬り返しを続けるクーア。

サーベルとガントレットを駆使し、なんとかこれを防ぐアーサー。

斬り返すたび、クーアの斬撃の速度がつり上がっていく。

たまらずアーサーが後ろに退くと、クーアは追わず、今度は自らの周囲に100に近い数の、小供の頭程の大きさをした『ボール』を出現させ、それを連続で撃ち放った。

退く速度をさらに加速させ、アーサーが回避に徹する。

空中を縦横無尽に飛び回り、飛来する『ボール』を次々に回避。

その大きな回避行動によって、すでに映像ではアーサーの姿が捉えられないほどになっている。

と、今ある映像の周囲に、複数の新たな映像が映し出された。

「1つ1つ映すのは面倒だね。

 これくらい出しとけば、どこにいてもだいたい捉えきれるかな?」

ワッズが言うと、その通り、新たな映像の1つに、回避を続けるアーサーの姿が映った。

「避けるな〜」

ケルカが驚きの声を出す。

「けど、あんまり『ボール』にばっか気ぃ取られてっと……」

続けて言ったケルカの言葉に呼応するように、クーアに動きがあった。

左手のサーベルを振り、その切っ先で魔陣を描く。

素早いサーベルさばきで描き終えると、瞬時に魔陣が光を放った。

無詠唱の魔術だ。

魔術ゆえに魔陣を省略することはできないが、それでも詠唱がないぶん、発動にかかる時間は半分以下だろう。

魔陣の形からすると、発動させるのは『盲目の壁』。

それを見たボクは、すぐさまクーアの意図を察することができた。

だが、回避に徹しているアーサーは、まだクーアの動きにも気付いてはいない。

そのアーサーが、空中で見えない何かにぶつかったような動きを見せた。

ボクの思った通り、『盲目の壁』によって生まれた不可視の壁にぶつかったのだろう。

予想外の出来事に驚きの表情を浮かべたアーサーが、回避の妨害をされたのはほんのわずかの時間だった。

しかし、それでもクーアの『ボール』がアーサーに直撃するには充分な時間だった。

アーサーを追っていた複数の『ボール』が、『アーマー』を纏ったアーサーにぶつかり、パンッパンッと連続して乾いた音を立てる。

それを見たクーアは、周囲に残った1/3程の『ボール』を一斉に解き放った。

それらは一直線にアーサーに向かって飛んでいき、不可視の壁と『ボール』の衝突による衝撃によって身動きをとれないでいるアーサーに、一斉に襲い掛かった。

複数の花火が連続して爆ぜるような音を立てて、アーサーに直撃した『ボール』群が爆ぜる。

上の遠景の映像でもアーサーの地点が分かるほどの強烈な閃光が迸り、それが攻撃の激しさを物語っていた。

閃光が収まったあとには、纏っていた『アーマー』をすっかり打ち消されたアーサーがあった。

さすがにこの猛攻にはダメージを受けたらしく、肩で息をしながら、ゆっくりとおぼつかない翼さばきで下降を始めた。

見れば、身に付けた衣服の所々がボロボロになり、そこから覗く羽毛はバサバサに乱れていた。

アーサーが地面に降りると共に、再びクーアの追撃がかかった。

瞬く間に間合いを詰めたクーアがサーベルを振り下ろす。

皮一枚というほどに危うい所でアーサーが後ろに退いてこれをかわすと、クーアは追いすがりながらサーベルを振り上げた。

アーサーはまたもや後ろに下がり、回避。

そこへ、クーアの左斜め上からの斬撃が襲う。

アーサーが退き、それを回避。

さらに反動を付け、クーアが右斜め下から、やや上向きに軌道を変えて切り上げる。

アーサーは後ろに下がり、クーアの4撃目を回避。

と、思いきや、クーアの切り上げがアーサーに当たる直前に、突然アーサーの姿が発光し、クーアの眼前から消えた。

次の瞬間、クーアの真後ろに姿を現したアーサーが、クーアの左脇腹を薙ぐ、するどい横薙ぎの一閃を放った。

アーサーは無詠唱の『転移』を行使し、後ろに下がりながらの回避に目と判断の慣れたクーアの意表をついて、攻撃を回避しながらの反撃に出たのだ。

〈!〉

命中は必至かと思われた刹那、クーアが獣じみた勘で身をひねり、さらに右手のガントレットを左脇腹にあてがい、アーサーの反撃を防いだ。

だが、斬撃の勢いを殺すことはできず、吹き飛ばされる。

クーアは空中で体を一転させると、難なく着地、小さく息を吐く。

対してアーサーは、まだ肩で息を切らせている。

〈今の一撃。

 ダメージを与えるつもりなら、突きの方が効果的だったな。

 横に払ったのは、そうして距離を取る為か?

 もし、オレの体が吹き飛ばなかったら、逆に反撃されるところだぞ〉

映像のクーアが、構えて対峙するアーサーに向かって言った。

判断ミス、ということを暗に指摘しているのだろうか。

あの一瞬で反撃を試みること自体がボクにとっては驚きで称賛に値する行動なのだが、クーアとしてはそれではまだ足りないらしい。

ボク達の時と比べると、なかなかに厳しい評価だ。

「さすがにあのレベルになると、言うことも厳しいねぇ」

ケルカがボクの気持ちを代弁するように言った。

「Cクラスは死亡率が一番高いからね。

 どうしても厳しくなるよ」

さらっとワッズが恐ろしいことを口にする。

「そんなに高いの?」

尋ねるボクに、ワッズはうなずいて答える。

「全クラスで唯一、年間の死亡率が5桁なんだよ。

 Cクラスから受けられる依頼っていうのは、それまでと比べて危険性が高くなるんだ。

 高レベルのマテリア退治とか、紛争地帯への派遣とか、ね。

 ちょうどレベル的にも慢心しやすいレベル帯だし。

 たしか前回の上層会議でCクラスの扱いについての案件が議題に上ってたかな」

「え? お前、あんな面倒な会議に出てんの?

 1日議場に缶詰じゃん」

ケルカが若干引き気味に尋ねると、ワッズは心底呆れた風を見せ、

「ミラ以外、誰も出ないからだよ。

 他の皆はいつもどこかうろついてるから、せめてもう1人、ボクくらいは出なきゃ駄目じゃない。

 無関心すぎるよ皆。

 Zクラスの自覚がないの?」

「その言い方だと、他の連中が出てれば、自分は出ないかもって聞こえっけど、そういうこと?」

「もう、揚げ足取らないでよ。

 そんなんだから――」

「お、動きそう」

シーザーの言った言葉に、ワッズとケルカの口論めいたものが終わる。

全員で映像を見ると、すっかり呼吸を整えたアーサーが、深く腰を落とし、サーベルを構えていた。

〈……ふっ!〉

荒い呼気と共に、アーサーが大地を蹴った。

一瞬でクーアとの間合いを詰めると、手にしたサーベルを振る――ったように見えた。

その一撃が凄まじく速く、もはや剣筋すら見えない。

おそらく、この対戦が始まった中で、最速の一撃ではないだろうか。

しかも、そこからアーサーは、先程自身がされたように、連撃に繋げた。

もはやボクのレベルで知覚できる速さではない。

ひたすら鳴りやまない剣戟の音を聞き、剣圧と剣風による土煙が上がるのを見るのが精一杯だ。

「あ、も、何も見えねぇ……」

シーザーが投げやりな口調で言う。

「うん、確かに速いね。

 あのレベル帯じゃ、速い部類に入るだろうね。

 スピードファイター寄りのオールラウンダーかな、アーサーは」

ワッズが映像を見つめながら分析する。

映像の中のアーサーは、息をもつかせぬ連撃を繰り出し続け、クーアに反撃の隙を与えないでいた。

確かにあれほどの速さなら反撃するのも難しいだろう。

が、連撃の最中、クーアの体が発光したかと思うと、突然消滅し、アーサーの真後ろに出現した。

先程のアーサーの反撃への皮肉か、手にしたサーベルを突きの姿勢で構えている。

しかし、アーサーはこれを読んでいたのか、連撃の反動を活かして体を右回転させ、真後ろのクーアに向かってサーベルを勢いよく薙いだ。

クーアは突きの手を止め、サーベルの峰にガントレットを添え、これを防いだ。

今度は吹き飛ばない。

〈……いい読みだ〉

クーアがフッと笑い、感嘆の声を送る。

対して、アーサーは険しい表情だ。

先程同様、クーアを吹き飛ばす為に剣圧を強めているようだったが、クーアの体は微動だにしない。

数秒後、アーサーはクーアを吹き飛ばすことを諦めた。

代わりに、サーベルを振り抜き、後ろに飛び下がる。

その最中、自らの周囲に十数個の『ボム』を出現させ、クーアのいる辺りに散発させた。

爆発音と共に土煙が上がり、クーアの姿がアーサーからはすっかり見えなくなる。

反面、クーアからもアーサーの姿は見えてはいないだろう。

その間、アーサーは距離を取り、サーベルで空中に魔陣を描き始めた。

サーベルの軌跡に沿って光が奔り、見たこともない魔陣が完成する。

《水風、逆巻き氷を生みて、透き氷の嵐は煌めき吹雪く!》

詠唱文も聞いたことがないものだ。

しかし、その内容から、水と風、そして氷を利用した魔術だということは容易に理解できた。

詠唱完了と同時に、アーサーの周囲に生まれたキラキラとした光が渦を描き、辺りに拡散し始めた。

渦を描く光は時を追うごとに多く、そしてその動きが激しくなり、やがてその光の正体が分かった。

「氷?」

シーザーがボクの代わりに光の正体を呟いた。

光の正体は、陽光を反射して煌めく、ごく小さな氷の粒だった。

「『氷煌の風丘』だな、ありゃ」

ケルカが言う。

「ヒョーコー……?」

「まぁ、見てろって」

シーザーの言葉には答えず、ケルカが映像を指した。

アーサーの周囲を回っていた氷の粒の渦は、すでにクーアの入る地点を巻き込み、かなり広範囲にまで拡大していた。

クーアの周囲をもうもうと覆っていた土煙も、渦に飛ばされてすっかりと晴れている。

クーアは、自らの周りを包む氷の粒の乱舞を見留めると『アーマー』を纏った。

さらに激しく吹き荒れる氷の粒は、もはや氷の猛吹雪と読んでも差支えないだろう。

通常の吹雪と違い、陽光を遮っているわけではないので、映像を見る限り、視界にそれほど影響はないと思われる。

むしろ、氷が光を反射しているので、すこぶる明るい。

陽光を反射する氷が吹雪く様は、その場にいないボクには美しいとさえ感じた。

吹雪は勢いを増すことをやめたようだったが、衰えることもなかった。

その代わりに、今度は別の変化が表れ始めた。

氷の吹雪く範囲内のいたる所で、大きな氷の塊が形成され、隆起し始めたのだ。

上の広範囲を捉えた映像を見れば、その様相の変化は一目瞭然だった。

それは、まるで氷の丘が、あちこちで形成されているようにも見えた。

クーアの足元にも氷の丘が形成されたが、クーアはあまり意に介した風もなく、冷気を発するなだらかな氷の斜面を滑り降りた。

陽光を反射する吹雪と共に形成された冷気を発する氷の丘。

「それで『氷煌の風丘』ってわけか……」

ボクが1人呟く。

「そういうこった」

ケルカがボクの独り言に答えた。

「効果は、相手には水・風属性のダメージを与えつつ、能力を引き下げ、味方には水・風属性の回復を行いつつ、能力を引き上げるっつー、結構な複合効果だ。

 当然、属性によっちゃあ、効果も大きくなる。

 アーサーは水だから、結構能力が引き出されてるはずだぜ」

「ほえ〜……便利だな〜」

ケルカの説明に、シーザーが嘆息を漏らした。

「……やっぱ、オレも魔法とか魔術とか使いたかった」

「そう言うなって。

 技法にも同じようなのあるから、ひがむ必要ねぇよ」

言って、ケルカがシーザーの頭に手を置いて慰める。

そうこうしているうちに、映像に動きがあった。

アーサーが氷の地面を蹴る。

その動きは、ケルカの効果の説明を裏付けるかのような動きだった。

クーアとの間にはかなりの距離があったはずなのに、アーサーは瞬く間に間合いを詰めている。

そして、サーベルの振りの速さも、その強さも、格段に上昇している、と思われる。

アーサーの一撃をサーベルとガントレットで受けたクーアがの体が大きく横に吹き飛んだ。

クーアは、空中でくるりと回転して体勢を整え、吹き飛んだ先の氷の丘に着地するが、そこへアーサーの追撃が迫る。

氷の丘を蹴って回避するクーア。

目標を外したアーサーの一振りは、氷の丘を切り裂き、砕いた。

すかさず、アーサーは氷の丘を蹴ると、空中に避けたクーアを追う。

空中で静止し、クーアが迎撃の体勢に入った。

クーアのやや上に飛び上がったアーサーは、翼を大きく広げ、クーアに向かって大きくサーベルを振り上げ、大上段の構えを取った。

隙だらけの大振り。

確実にクーアに反撃されると思ったアーサーの一撃は、しかし予想外の展開を見せた。

構えたアーサーのサーベルが、青く強烈な光を放つ

〈!?〉

映像のクーアが、驚嘆の表情を作り、反撃の手を止めた。

〈ハアァァァァァ!!!〉

アーサーが気合いを吐き出し、青い光を纏ったサーベルを一直線に振り下ろした。

パァンッという、物凄まじい破裂音。

そして、上の広範囲映像のすべてさえも、青く輝いて見えてしまうほどの激烈な閃光。

「『ブレイブインパルス』か!!」

ケルカが思わずといった様子で叫んだ。

今アーサーが行使した技法に驚いているらしいが、その技法を受けたクーアは、猛速で吹き飛び、氷の丘を砕いて埋まっていた。

氷に埋もれたクーアの手にしているサーベルは、刀身の中程から先がなくなっているのが確認できる。

クーア自身も『アーマー』を打ち消され、外傷は見当たらないが、しかめた表情からダメージを負っていると思われる。

氷の残骸を押しのけながら、クーアが立ち上がる。

痛みのせいか、わずかに顔をしかめ、折れたサーベルに目を向け、次いで前方を見据えた。

視線の先には、荒く呼吸をする、地に降りたアーサーの姿があった。

手にしているサーベルの光は消え失せ、元の様相を呈している。

〈予想外、だな。

 まさかダメージを負うとは思ってなかった。

 というか、『ブレイブインパルス』なんて使えるとは思いもしてなかったぞ。

 オレが実技の試験官だったら、今の一撃だけで合格をやりたいくらいだ〉

嬉しそうな口調で、クーアが絶賛を贈った。

対してアーサーは、どこか不満そうだ。

〈……僕も予想外です。

 アレは僕の切り札だったんですが、それを受けても大したダメージが与えられないなんて……〉

〈いや、実際大したものだよ。

 この『エルーシャ』のサーベルを折るなんて、そうそうできることじゃない。

 ガントレットにも少しひびが入ってるな。

 サーベルとガントレット、それに『アーマー』がなければ、腕がなくなっていたかもしれない〉

クーアは本当に満足そうに呟いた。

それを聞いたアーサーは、気恥ずかしそうに、それでも少し誇らしげに微笑んだ。

〈よし、これで終わりにしよう〉

クーアは折れたサーベルとガントレットをどこへともなく消すと、アーサーに向かって言った。

〈はい! ありがとうございました!〉

アーサーも手にしていたサーベルとガントレットを消し、『氷煌の風丘』を解く。

帰還の為、映像の中で歩み寄る2人を見ながら、シーザーがケルカに尋ねた。

「なあ。 あの技法……『ブレイブインパルス』だっけ?

 どんな技法なんだ?」

「ありゃ、全技法の中でも高度な技法だよ。

 武器を光らせて、打ち据えるっつー、単純な技法なんだけどよ……あ、剣でも斧でも槍でもそうだけど、アレ使ってる間は、斬ったり貫いたりはできないで、打ち据えるだけなのな。

 ま、とにかく、喰らうと物凄ぇ衝撃が衝突点から全身に走ってな。

 弱っちぃ奴なら、衝撃で全身がバラバラになっちまう。

 クーアの『エルーシャ』のサーベルが折れるっつーくらいだから、かなりの威力だぜ、ありゃ」

アーサーに対する感心の念を語気に含めて説明するケルカ。

ボクは、そのケルカの説明の中で、先程も出てきた『エルーシャ』という単語が気になった。

「ねぇ。 『エルーシャ』って何?」

ボクが尋ねると、それにはケルカではなく、ワッズが答えてくれた。

「『エルーシャ』っていうのは『力』だよ。

 魔法や技法なんかとは違う『力』。

 体力と法力を融合させて発動させる『力』。

 なんていうのかな……特殊能力……みたいなものかな。

 いくつかこういう『力』はあるんだけど、その中の1つで、大雑把に言うと、技法の『マテリアライズ』に似た『力』だね。

 違う点は、武具しか生成できないけど『マテリアライズ』で出現させた武具よりもはるかに性能が優れてる、1度出現させれば、体力・法力を消費することなく出しっぱなしにしておける、消す時に使った体力・法力を還元できる、あとはデザインがある程度決まってるとかだね。

 他にもあるけど、大まかな違いはそんなところだよ」

「デザインっつーと、あの白に金の?」

と、シーザー。

「そう。 初めて会った時、ボクも着てたでしょ?」

ワッズの答えに、シーザーは『そういえば』という表情を作り、

「アレって、すっげぇ目立つよな」

と、素直な感想を述べた。

確かに、ボクもそう思う。

あれを纏ったクーアも、街中で周囲の注目を集めないのが不思議なくらいに目立つ姿だった。

シーザーの感想に、ワッズは苦笑いを浮かべると、付け加えるように説明しだした。

「あれはね、カモフラージュしてるんだよ。

 たとえば、ボクの場合だけど、自分と相性がいい者か、『エルーシャ』のことを知っている人間にしか、本来の『エルーシャ』のデザインに見えないようにしてる。

 見えてない人間には、かなり地味な配色とデザインの装備に見えてるはずだよ。

 まぁ、相手がある程度のレベルに達してると見破られちゃうけどね」

「へぇ〜、通りで……」

シーザーが言い掛けて、納得したように言葉を切った。

切られた言葉のあとに出てくる言葉は、たぶんボクと同じだろう。

通りで、今まで誰にも奇異の目で見られなかったはずだ。

旅の間の不思議が、きれいさっぱりに氷解した。

などとやり取りをしていると、クーアとアーサーが戻ってきた。

2人共、今の戦いの傷や疲れは、魔法か何かで癒したようだ。

「お疲れ様。 危なかったね」

ワッズが向かってくるクーアに向かって言った。

クーアは少し口元を緩ませながら、

「ああ。 油断してたわけじゃないんだけどな。

 あと少しで致命傷だった」

「ぼ、僕はそんなつもりじゃ……」

クーアの言葉を聞いて、アーサーが面食らったように言う。

クーアは首を横に振りながら、

「そういう意味で言ったんじゃない。

 オレの予想を超えてたってだけの話さ」

「確かに、アレは予想外だったな」

ケルカが同調して言った。

「もう少し反応が遅かったら、右腕、持ってかれてたろ?」

「そうだな。 危ないところだった。

 ただ、あとがよくなかったな。

 結果的とはいえ、防がれたわけだから、そのことを考えに入れて、反撃に備える為の余力を残すなり、身を隠すなりした方がよかった。

 まぁ、それを差し引いても、あの一撃は評価できるけどな」

「はい!」

ケルカの問いに答えたクーアのアドバイスに、アーサーは嬉しそうに返事をした。

それを見て、シーザーがぼやく。

「な〜んか、アーサーばっかり褒められてて面白くねぇな〜」

「なんだよ、嫉妬か?

 思春期だねぇ」

「うっさいケルカ!

 頭触んな!」

ワシャワシャと音を立てながら撫で回すケルカの手を払いのけ、シーザーが悪態をついた。

それを見て、クーアが困ったように苦笑をする。

「アーサーばっかり褒めてるわけじゃないんだけどな」

言いながら、クーアは、口を尖らせているシーザーの、クシャクシャになった頭を撫で付けた。

まんざらでもない様子で撫で付けられているシーザーを見て、今度はケルカが口を尖らせた。

「なんだよ。 オレはダメでクーアはいいのかよ、頭」

憮然とした様子のケルカに、ワッズが小さく笑って突っ込む。

「嫉妬してるの?

 年寄りの嫉妬はみっともないよ?」

「誰がだ! っつーか、歳はテメェもたいして変わんねぇだろうが!」

掴みかからんばかりの勢いでケルカが吠えた。

そのやり取りを横に見ながら、クーアは付き合いきれないといった様子で首を横に振った。