「昨日、ハーゲンが言ったことが気になったんで、Zクラスのことを調べてみました」
ハーゲンが来た翌日の夕食後。
片付けを終えてリビングでくつろいでいたボクとシーザーに、アーサーがメモ帳を手に声を掛けてきた。
「調べたの? どうやって?」
ソファから少し身を乗り出し、アーサーに問うボク。
それまでソファに寝そべってテレビを食い入るように見ていたシーザーも、興味ありといった様子で首をアーサーの方に向けていた。
ボク達の視線を受けながら、アーサーはソファに座ってメモ帳を開く。
「今日、アルファスから聞きました」
「お前、よくあの人に平気で話しかけられるよな」
ソファから身を起こし、シーザーが感心したように言う。
それに対し、アーサーは首を傾げ、
「え? なんでです?」
「だって、なんか怖いじゃん、あの人。
威圧感っつーの?
なんか無言の圧力掛けられてる気がするんだよな。
目付きも悪いし」
「……アルファスの場合、目付きが悪いというより、鋭いと言った方が正しいと思いますけど……」
ややムッとした様子でアーサーが言った。
ボクもそれに便乗し、
「それを言ったら、ケルカだってかなり目付き悪いと思うよ?
ケルカとは平気で話せるじゃん、お前」
「ケルカはなんつーか、バカっぽい目付きの悪さっつーの?
だから平気なんだよ。
それに、ケルカは冗談言っても通じるけど、アルファスって冗談通じなさそうだろ?
授業受けてても無表情だから何考えてるか分かんねぇし」
「そんなことはないと思いますけど……」
アーサーがまたも不満気に言う。
そういえばアーサーは、クーアを除けばアルファスに一番懐いてるような気がする。
自分が好意を寄せている相手を悪く言われれば気分を悪くするのも無理からぬことだろう。
それはともかく。
「それで、アルファスは何か教えてくれたの?」
このままでは話が逸れそうなので、ボクはアーサーに元の話に戻るようにうながした。
アーサーは話そうとしていたことを思い出したようで、メモ帳をペラペラとめくり、やがて目当てのページを見つけたのか、小さく咳払いして話し始めた。
「ハーゲンの言った通り、一般人や下位・中位のレンジャーのZクラスに対する認識というのは、僕達の認識と同じように、最高位のレンジャー、という認識ぐらいしかないようですね。
それ以外のことは、機密事項として扱われていて、上位のレンジャーしか知ることも調べることも許されていないようです」
「よく教えてくれたな」
シーザーが言う。
「ええ、まぁ。 誰にも話さないことを条件に教えてくれました」
アーサーが少し誇らしげに答えた。
その様子からは、『アルファスはいい人でしょう?』と言いたいのだろうということがひしひしと伝わってきた。
もっとも、肝心のシーザーにはそのメッセージは伝わっていないだろうが、ここでボクが何かを言ってまた話が逸れてしまったら、話が一向に進まなくなってしまいそうなので自重した。
「アルファスの説明を聞く限り、ハーゲンの言っていたことは本当のようですね。
Zクラスは基本的に不老長寿。
まっとうに生きれば7〜800年は生きるそうです。
だいたい、普通の人間の10倍くらいの寿命ですね。
不老も長寿も魔術の効果によるもので、誰もがなれるということではなく、適正のある者でないといけないようで、それがZクラスの最低条件でもあるみたいです。
それ以外の条件はレベルと、こなしてきた仕事の成果だとか。
ちなみに、現在Zクラスのレンジャーは全部で13人だそうです」
「……多いのか少ないのか分かんねぇな」
「レンジャーの総数は全世界を合わせて数千万と言われているらしいので、かなり少ないんじゃないでしょうか」
シーザーの呟きに、アーサーが自らの意見で答えた。
「でも……じゃあ、やっぱりクーアも?」
ボクが言う。
アーサーはメモ帳に目を落とし、
「ええ、不老長寿の魔術の適正者であることがZクラスの最低条件ですから……」
「そっか……」
アーサーの言葉に、ボクは小さく呟いて答えた。
なんとなくクーアが違う次元の存在だということを認識させられてしまったかのようで、気持ちが落ち着かない。
自分を育てた親が、実は本当の親じゃないと聞かされた時は、きっとこんな感じなんだろうと、ボクは勝手に自分の中で帰結した。
ただ、思うよりもショックを受けてはいなかった。
昨日ハーゲンから聞いた時点である程度予想できていたことと、よくよく考えてみれば、最高位のレンジャーであるということや桁違いのレベルを聞かされていた時点で、そもそも別次元の存在であったことに変わりはなく、また、不老長寿であったところで、今までボクがクーアから受けてきた様々な恩恵や、逆にボクがクーアに寄せていた思いが変わるものではないからだ。
それにクーアがそのことを話さなかったことにもそれなりの理由があるのかもしれないし、第一、クーアが不老長寿だと知ったからといって、それによってクーアのことを区別するのはクーアに対して失礼だろう。
クーアも自分がそうと知っていて、ボク達を区別することなく接してくれていたのだから。
「別にいいんじゃね?」
色々と思索していたボクとは対照的に、何も考えていないようなあっけらかんとした口調で言ったのはシーザーだった。
「考えてみたら、クーアが不老不死でもそれで何か変わるわけでもねぇだろ?」
「正確には不老長寿ですが……」
「細けぇな」
訂正したアーサーを面倒臭そうに一蹴し、シーザーが続ける。
「クーアはクーア、それでいいじゃんよ」
実に単純明快なその答えに、なるほどその通りだ、と思った。
深く考えたところでクーアの存在が今までと変わるわけではないというのは事実だ。
あれこれ考えるよりも単純に考えた方が、かえって分かりやすく、納得しやすい。
それを地で行くシーザーは、色々と物を考え過ぎてしまうボクには、ある意味でうらやましく思えた。
ともあれ、その意見はボクがたどり着いた答えと同じようなものであり、大賛成だということには間違いない。
アーサーも、シーザーの意見に同意してうなずいているところから、似たような答えを出したのだろうと推測できた。
意外にも、3人共にあっさりとクーアのことを割り切ることができたため、話はスムーズに進む。
「で、それ以外で何か分かったことはねぇの?」
シーザーが尋ねる。
アーサーは再びメモ帳に目を落とし、
「とりあえず、あとは僕達にはあまりかかわりのないことばかりですね」
「たとえば?」
ボクがうながすと、
「え〜と、たとえば、Zクラスはレンジャーとしての仕事をまったくしていなくても、年間数億クリスタ前後の収入があるとか、常に全体の半数は本部にとどまっていないといけないとか、Zクラス対応の依頼が来た場合に人員が足りない時は、状況に応じて数人が強制的に本部に戻らなくてはいけないとか。
まぁ、他にもありますが、だいたいそんな感じで僕達には無関係なことが多いですね」
「年間数億……」
ボカンと口を開けてシーザーが呟く。
指折り数えてるところがなんとも微笑ましいが、はっきり言ってなんの意味もない。
ボク達が考え付く金の使い道で使いきれるような金額ではないのだから。
しかし、これでクーアの無尽蔵ともいえる資金がどこから来るのかが理解できた。
加えてレンジャーとしての仕事もこなしているのだろうから、まさに無尽蔵だ。
だが、そこで1つ疑問が浮かぶ。
「でも、なんでそんなにもらえるんだろう?」
ボクの疑問にアーサーがメモ帳をチラリと見て答える。
「抑止力、だそうです。
Zクラスは、いるだけでカオスのハンター達や国々に対する非常に強力な抑止力になるから、だそうです。
それから、Zクラスでなければ務まらない仕事もいくつからあるから、だそうですよ」
「ふ〜ん」
確かに強力な抑止力になってるだろうと、クーアの力を目の当たりにしてきたボクは思って相槌を打つ。
「それと」
アーサーがメモ帳を閉じて言う。
「クーアの仲間、アルファス、ミラ、ケルカ、フレイク、ワッズ。
この5人もZクラスです」
『…………』
ボクとシーザーは沈黙する。
それは別に驚いたからというわけではなく、なんとなくそんな気がしていたからだった。
少なくともボクは。
「ああ、やっぱそうなのか」
シーザーは、言って体を再びソファに沈めた。
「知ってたの?」
問うボクに、シーザーは気もなく答える。
「ああ、医者から聞いた」
「医者? ……ああ」
医者と聞いて何のことかと思ったが、刺青を消す時に会った医者のことだと気付いて納得した。
その医者はケルカの知り合いだということだから、知っていても不思議はない。
1人納得していると、ソファの上をゴロゴロと転がっていたシーザーが、
「それよりさ〜、明後日クーア帰ってきて誕生日だろ?」
と、話題を変えた。
「明日、授業が終わったら街に下りてプレゼント買いに行かね?」
「お金はどうするのさ?」
シーザーの財布事情を知っているボクが聞くと、シーザーはピタリと転がるのをやめ、首だけ持ち上げて二言、
「貸して。 倍にして返すから」
と、明らかに返す気のないだろう口調で言い放った。
それを見透かしたボクは眉間にしわを寄せて懐疑に満ちた声音で聞く。
「絶対返す気ないだろ?」
「いやいや、マジで返すって。 倍にして」
「すっごい嘘っぽい」
「ホントホント。 オレ嘘つかない」
「…………」
などと、ボク達が終わりの見えないやり取りしていると、アーサーがそれに歯止めをかけた。
「3人でお金を出し合って、何か1つプレゼントを買うっていうのはどうでしょう?
シーザーもお金がまったくないというわけじゃないでしょう?」
「……1000ないくらい?」
シーザーは少し考えて答えた。
それを聞いたアーサーは小さくうなずく。
「それだったら、僕もジークも同じくらいの額を出して、何か1つのプレゼントを買った方がいいと思うんです。
3000クリスタくらいあれば、それなりの物は買えると思いますし、別に1人1人が1つずつプレゼントを用意しなくてもいいと思うんですよ」
「……なるほどね」
アーサーの提案に納得し、それなら確かにシーザーの乏しい資金でもそこそこのプレゼントが用意できるだろうし、3人で出し合ったと言えばクーアも喜んでくれるだろう。
「それ、いいかもしれない」
「でしょう? それに、そのプレゼントにケーキとかも一緒に手作りで合わせて用意すれば、きっとクーアも喜んでくれますよ。
ケーキの材料なら、まだ確かあったはずですから」
「あ〜、それいいね〜」
アーサーの名案に相槌を打ってうなずくボク。
しかし、そこへシーザーが慌てた様子で割り込んできた。
「オイオイ! それなんかオレが1000クリスタ出すこと決定みてぇじゃねぇか!?
そんなに払ったら、オレ次の小遣い日までどうすんだよ!
ジュースは!? 菓子は!?」
抗議の声を上げるシーザーに、アーサーは何をそんなに慌てているのかという表情を浮かべ、
「さぁ? 水でも飲んでいればいいんじゃないですか?」
バッサリとシーザーの抗議を切り捨てた。
「――ッ!」
あまりにもバッサリと切り捨てられた為、シーザーは反論の言葉も出ない。
「だいたい、シーザーは少しお金を使い過ぎですよ。
まだ次のお小遣い日までだいぶあるというのに、もう1000クリスタもないというのはどういうことですか?
見れば、いつもいつもジュースを飲んだりお菓子を食べたり。
そんなにお金遣いが荒いと、いざ独り立ちした時に――」
堰を切ったように途切れることなく言葉で責めるアーサーに、さしものシーザーも、耳を垂れさせうなだれて、おとなしくその話を聞いているしかないようだった。
結局その後、シーザーはアーサーに有り金をすべて渡すことを承諾させられ、もとい、承諾し、ボク達は明日の授業後に街に下りることとなった。
『今度ははぐれるなよ!』
授業を終え、釘を刺すように言っていたシーザーのその言葉が耳に痛い。
周りを見渡せば人、人、人。
どこにもシーザーとアーサーの姿が見当たらない。
一昨日に続き、またもボクは2人とはぐれてしまった。
平日だからはぐれるはずがないと高をくくっていた自分が恨めしい。
(これは帰ったら確実に文句言われるな……)
シーザーに罵倒される場面を想像し、溜息をつく。
それだけならまだしも、アーサーにも呆れられ、そのうえ、アーサーの言葉責めを受けそうだ。
昨日のシーザーに対するアーサーの責めの容赦なさを知っているボクは、今度はそれが自分に向けられることを想像してげんなりして肩を落とした。
しかし、そんなことを考えていても始まらない。
とにかく今は帰らねば。
幸い、クーアへのプレゼントは購入済みで、それはアーサーが持っている。
なので、ボクはクォントに帰ればいいだけだ。
2人を探すよりも、その方が早いだろうし、またボクがはぐれたことに気付いた2人もおそらくクォントに帰るだろう。
不本意ながら前例もあることだし。
すべきことを決めたボクは、すぐにトランスポーターを探しにかかった。
授業の最中、ミラにクーアへのプレゼントを買うことを話したところ、夕方過ぎでは何かと物騒だからと授業を午前中で切り上げてくれたので、まだ日は高く、人混みを除けば見通しはいい。
その人混みも抜けてしまえばいいだけの話で、トランスポーターを見つけるのはそう難しくはないはずだ。
前回の時に比べ、1度は経験がある為か、今回は意外にも冷静に判断することができた。
その判断に従い、ボクは人混みを斜め横に抜ける。
すると、運よく人の往来の少ない公園に辿り着いた。
ボクはそこでいったん止まり、トランスポーターがないかどうかを探すために辺りを見回そうとした。
その時だった。
「やあ」
公園の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
振り返るとそこには見覚えのある姿が1つ、そして見覚えのない姿が2つ。
「ハーゲン!」
ボクは見覚えのある姿の名を呼んで近寄っていった。
ハーゲンは変わらぬ無表情でボクが近付くのを見つめている。
そして、ボクが近くまで行くと、開口一番、
「また友達とはぐれたのかい?」
「え、と……うん」
図星を指されたボクは、決まり悪くそう答えた。
そこに、
「今、トランスポーター探してるんだ」
と、加えて答えると、ハーゲンはチラリと後ろを向いて、
「向こうにあるよ」
と、トランスポーターのある場所を指し示した。
言われた方向に目を凝らしてみれば、確かに反対側の公園の入口付近に、トランスポーターらしき建物の影が見えた。
「あ、ホントだ」
とりあえず帰り道が分かったことで安堵し、ボクは小さく息を吐いた。
と、そこへ、
「コイツが前に言ってたヤツ?」
ハーゲンの斜め後ろにいる見覚えのない姿のうちの一方が口を開いた。
年齢はボクと同じくらい。
アーサーと同じ鳥人の少年なのだが、アーサーとは比べ物にならないくらいに派手な羽毛を持っていた。
嘴の色は原色そのままのような黄色、その頭と顔面を覆う羽毛、そして翼は光沢を帯びた緑をしており、頭の羽毛は重力に逆らうようにツンツンと上に向かって伸びていた。
その伸びた羽毛の緑の光沢は不思議な印象を受ける光沢で、顔を少し動かせば、陽の光の変化を受けて、わずかに緑が淡くなったり濃くなったり、ともすれば、青にも見えるような、そんな光沢だった。
身に付けている衣服もまた派手で、オレンジを基調とした迷彩柄のジャケットに真っ青なジーンズ、そのうえジーンズからはジャラジャラと鎖状のアクセサリーを複数垂らしているという、一目で派手だと思える出で立ちだった。
しかもズボンの膝の辺りは意図的に破られた個所があり、そこからは真っ赤な羽毛が見え隠れしており、背後に覗く尾羽は真っ白だ。
さらに、その尾羽には、翼と同じ色をした、2本のとても長い飾り羽と思しき羽が混ざっており、それが派手さを増している。
そんな派手な彼は値踏みするような仕草でボクを眺め回す。
動くたびに若干見える胸元は、どうやら真っ赤な羽毛をしているらしく、これまた一段と派手だ。
派手が派手を着て歩いているような彼は、ひとしきりボクを眺め終えると一言。
「な〜んだか地味な奴じゃん?」
「なっ!?」
初対面でいきなりそんなことを言われ、ボクは思わず声を上げてしまった。
確かに、今ボクが着ているのは防寒用の草色のダウンジャケットと黄土色のチノパンツでは地味と言われても仕方がない格好をしているが、それでも面と向かって言われたのでは少々腹が立つ。
ボクが何か言い返そうと思って口を開きかけた刹那、もう1人の見覚えのない姿がそれより早く言葉を発した。
「お前が派手過ぎるだけだろ?」
もう1人はボクよりも少し年上と思われる、ボクと同じ竜人。
しかもボクと同じ無鱗系の陸竜科の竜人だった。
ただし、
「お前が言う〜?」
鳥人の少年のその言葉通り、白竜種であるボクとは違い、彼は金色の表皮を持った金竜種の竜人だった。
当然ながら、表皮が金色ということもあり、陽の光を受けて輝くその姿は、鳥人の少年に負けず劣らずの派手さをそれだけで醸し出していた。
もっとも、こちらの着ている衣服は、白いダウンジャケットにインディゴのジーンズという、ボクに負けず劣らずの地味なものではあったが。
「……これは生まれ付きだ、仕方ないだろ」
仏頂面で言う竜人の少年に、鳥人の少年は、
「じゃ、こっちも生まれ付きってことで、仕方ないじゃん?」
と、返す。
竜人の少年は鼻息を吐き出し、指で鳥人の少年の赤い羽毛の見えた胸元を指差し、まくしたてるように文句を言い始めた。
「そうじゃない、俺が言ってるのは服のことだ。
そんな目立つ格好しやがって、少しは人目を気にしろ。
だいたい、こんな寒い日に胸元をはだけさせるな、恥ずかしい。
それに見てるこっちが寒い」
それに対し、鳥人の少年は少しも悪びれた様子を見せず、
「こっちは羽毛100%で暖かいからいいんです〜。
寒いのはお前がハゲてるからいけないんです〜。
それにオレのカッコ良さを引き立たせるためには、これくらいの服が派手さの最低ラインなんです〜。
これより下だとカッコ良さが半減するんです〜。
第一、オレのカッコ良さをアピールするためには人目に付いた方がいいから、服も派手な方が都合がいいんです〜」
と、逆に挑発するように竜人の少年に言った。
竜人の少年は何か反論しかけたが、諦めたようにため息をつき肩を落とした。
鳥人の少年は、してやったりという表情で竜人の少年を見下ろし、今度はボクの方に向き直って言う。
「そんなことよりさぁ、なぁなぁ、初対面のお前から見て、オレってどう?
やっぱカッコいいと思わない?
カッコいいだろ? カッコいいよな? カッコいいって言えよ、なぁ?」
あまりにもしつこい問い掛けに、無意識のうちにボクは一歩退いた。
外見は確かに格好とは思えるのだが、なにぶん内面に難があるように思われる。
しかし、それを口に出して言ったら、おそらく喧嘩、というよりも罵詈雑言の嵐が来そうな予感がし、ボクは一歩引いたまま、鳥人の少年に詰め寄られるがままになっていた。
と、そこへ助け船が。
「ルータス、うるさい」
言ったのはハーゲン。
表情はそのままに、若干うんざりしたような口調でルータスと呼ばれた鳥人の少年を制した。
それを受け、ルータスは明らかに不満そうに嘴を尖らせる。
が、竜人の少年に言ったような文句は言わず、渋々後ろに引き下がった。
ように見えたのだが、ルータスは横の竜人の少年に向って、あからさまにハーゲンに聞こえるように、
「ハーゲンのヤツ、きっとオレのカッコ良さに嫉妬してるんだぜ?
まぁ、仕方ないよな〜。
ハーゲンもそこそこカッコいいけど、オレと比べられたら見劣りしちゃうもんな〜。
格下のヤツが格上のヤツを妬む気持ちってのはよく分かるよ。
何だかかわいそうになってきた。
でもこればっかりは――」
「モルド、黙らせて」
1人喋り続けるルータスの言葉を遮り、ハーゲンはやや強い口調で竜人の少年、モルドに向って言った。
モルドは言われるが早いか、ルータスの後ろに回って脇の下から手を回し、羽交い締めにする格好で、さらに嘴を手で掴んで言葉と動きを封じた。
ルータスは暴れて抗議の声を上げているようだったが、それも嘴を上下から押さえ付けられている為にモガモガとしか聞こえない。
ようやく静かになったところで、ハーゲンがボクに向って言う。
「この2人、僕と一緒に今レンジャーになる勉強と訓練をしてるんだ。
前に会った時に言わなかったっけ?」
「え〜と……確か、ハーゲンがレンジャーになろうとしてるっていうのは聞いたけど、2人のことは聞いてないと思う」
「そう。 じゃあ紹介するよ。
と言っても、今名前呼んだから分かってると思うけど。
こっちがモルド、こっちがルータスだよ」
言って、ハーゲンは2人を指し示した。
「よろしく」
「ん〜!」
モルドと、彼に押さえ付けられているルータスが挨拶をしてきたので、ボクもあとに続いて挨拶を返す。
「ボクはジーク。 よろしく」
軽く会釈して互いの紹介を済ませると、ハーゲンが話し掛けてきた。
「2人には君達のことを話してあるんだ。
そしたら2人とも会ってみたいって言ってたんでちょうどよかった」
「へぇ〜」
ボクは相槌を打ち、未だに取っ組みあっている2人を見る。
すると、2人は取っ組み合いをやめ、こちらに目を向けた。
その目はどこか観察をしているように見え、以前ハーゲンがじっとボクを見つめていたのを思い出し、ボクは気恥ずかしくなって少し目を逸らしてしまった。
そんなボクに、ルータスが尋ねてくる。
「なぁ、お前、レベルいくつ?」
「え?」
「レベルだよ、レ・ベ・ル」
聞き返したボクに、ルータスが詰め寄りながら言う。
ボクは若干身を引きながら、
「22、だけど」
と、答える。
それを聞いた瞬間、ルータスは目を見開き、
「は!?」
と、明らかに嘲りを込めた口調で聞き返してきた。
さらにルータスは聞き返す。
「え? え? 今なんて言った?」
「22、だよ!」
ボクは語気を強めて言い返す。
するとルータスは、プッと吹き出し、
「アハハハハハッ!!」
これ見よがしに腹を抱えて笑い始めた。
その笑い声に、周囲の人々の視線がこちらに集まる。
ボクはルータスの明らかに馬鹿にした笑いと衆人の目とを受け、顔を赤らめた。
しかし、そんな衆人の目とボクの恥ずかしさを知らぬ気に、ルータスは笑い続けている。
その横では、モルドが周囲の視線を気にしながら、ルータスに笑うのをやめるようにつついていた。
やがて、ルータスはひとしきり笑い終えると、目の端に涙を浮かべてボクの肩に手を乗せた。
そして一言。
「ま、頑張ってな!」
激励の言葉だったが、その言葉に明らかな侮蔑の意思を感じ、ボクは肩に乗せられた手を払い除け、
「それってどういう意味!?
ボクのレベルが低いって言いたいの!?
そういう自分はいくつなんだよ!」
ボクは衆人の目もはばからず、語気を荒げて言った。
だが、ルータスはまたも悪びれた様子を見せず、それどころか見下した表情で答える。
「別に〜? 誰もそんなこと言ってないじゃん?
お前、被害妄想の気でもあるの?
それに、オレのレベルを教える必要はないね。
教えたところできっと落ち込むだけだろうしさ。
でも、お前のことをバカにできるだけのレベルだってことは確かだね。
それこそ、雲泥の差? 天と地の差?
それくらいの開きはあるよ、うん
まぁ、弱者に対する強者からの激励の意味だと思っていいよ、今の言葉は」
ボクは特別、レベルがどうこうとか、強さがどうこうとかいったことに、あまり強い興味はない。
もちろん、強くありたいとは思ってはいるが、どちらかと言えばそういったことに関しての興味はシーザーの方がはるかに強いだろう。
しかし、こうも見下され、馬鹿にし尽くされたような物言いをされては、いくらそこまで興味がなかろうと腹も立とうというものだ。
ましてそれが、今しがた会ったばかりの、お互いのこともよく知らない初対面の相手ならばなおさらだ。
「…………ッ!」
ボクは何も言い返さず、怒りに震えて立ち尽くす。
怒り叫んで掴み掛かるほど激昂はしていないが、それでも震えるほどには頭に血が上っていた。
そんなボクを見て、ハーゲンが静かに動いた。
「ルータス」
抑揚を抑えた静かな声でルータスの名を呼び、彼に向き合うように、彼とボクとの間に割って入る。
しばらくの沈黙。
ボクからはハーゲンの後姿が邪魔になってルータスの顔もハーゲンの顔も見えないが、ルータスの横にいるモルドの表情が少し緊張を帯びているように見受けられる。
少しの間をおき、ハーゲンの姿の向こうで、
「チッ!」
という、ルータスの小さな舌打ちが聞こえた。
そして、
「分かった、分かったよ!
謝ればいいんだろ、謝れば!」
と、ルータスの不機嫌な声も、少し遅れて聞こえてきた。
その言葉を聞くと、ハーゲンは横に動き、ボクとルータスは再び向き合う。
ルータスは頭の後ろをガシガシと掻きながら、明後日の方向を向いてぶっきらぼうに言った。
「言い過ぎた、悪かったよ」
まるで悪戯を咎められてふて腐れた子供の謝罪のように、謝意のまったくこもっていない謝罪の言葉だったが、それでも謝られたことに変わりはなく、ボクは怒りのやり場を失ってしまった。
「心がこもってないね」
同様のことをハーゲンも感じ取ったらしく、ルータスに向って冷たく言い放った。
ルータスはふて腐れて、苛立ち気味に答える。
「だって、こめてないし…………ィテッ!?」
そんなルータスの態度を見かねてか、今度はモルドが動き、ルータスの頭を小突いた。
「イッタいな! 何すんだよ!」
振り返ってモルドに文句を言うルータスだったが、逆にモルドに睨み付けられ、やや身を引く。
「今のはお前が悪い。
しっかり謝れ」
モルドに詰め寄られ、後ずさるルータス。
しかし、後ずさった方にはハーゲンが立っており、後ろからも、
「ルータス」
と、静かに凄まれ、ルータスは渋々肩を落として言った。
「悪かった。 ゴメン」
今度はさきほどとは違って多少の謝意がこもってはいたが、普通なら満足されないくらいのレベルだろう。
だが、これ以上場の空気を悪くするのを嫌ったボクは、
「もういいよ」
と、ルータスの謝罪を受け入れた。
憮然とした様子のルータスを尻目に、ハーゲンはボクの方に向き直り、
「悪いね。 こいつは頭も性格も態度も悪くてね。
一応、少しは悪いと思ってるみたいだから許してあげてくれる?」
「うん」
なかなか手厳しいことを言ってルータスを評したが、言われたルータスは今度は文句も言わずにあさっての方向を向いていた。
そのルータスの表情が一瞬、怪訝そうな表情に変わった。
気になってその視線の先を追おうと首を動かそうとした瞬間、突然ボクの角を何者かが掴んだ。
「うわっ!?」
思わず声を上げ、掴まれた角の方に目をやると、
「見〜つ〜け〜た〜!」
怒りの形相を浮かべたシーザーが立っていた。
その後ろにはアーサーの姿も見える。
「あ、シーザー」
「何が『あ、シーザー』だ、バカ!
はぐれんなって言っただろーが!!」
「あ、あはは……」
ボクは笑ってごまかそうとするも、シーザーには効果がなく、鼻にしわを寄せて怒っていた。
その脇からアーサーが歩み寄り、怒るシーザーをなだめるように言う。
「まぁまぁ、見つかったからよかったじゃないですか」
シーザーはまだ怒り冷めやらぬ様子だったが、
「ふん!」
と、鼻息を荒く吐き出し、ボクの角から乱暴に手を離した。
それを見たアーサーは、やれやれといった感じで苦笑いを浮かべる。
そして、
「ところで……」
視線をハーゲン達に向け、説明を求めるように言葉を切った。
「ああ。 2人とはぐれたからトランスポーター探そうと思ってここにきたら偶然会ったんだよ。
こっちの2人はハーゲンの仲間だって。
一緒にレンジャーになるために勉強してるんだってさ」
ボクが事の成り行きと初対面となるルータスとモルドの簡単な紹介をすると、アーサーはルータスとモルドの2人に軽く会釈し、
「初めまして。 僕はアーサーです」
と、愛想よく自己紹介をした。
一方でシーザーは胡散臭げに2人を見やり、
「シーザーだ」
と、無愛想この上なく紹介を済ませた。
それを受け、ルータスとモルドの2人も、
「ルータス」
「モルドだ」
簡素な紹介で答える。
その時、微妙に空気が重くなっていることにボクは気付いた。
特に、シーザーとルータスの間の空気が重い。
交わす視線に火花が散っているようにすら思える。
なんとはなしの不穏な空気に、ボクはアーサーに目を向け、次いでハーゲンとモルドにも視線を送る。
アーサーは小首を傾げて応え、ハーゲンとモルドもそれぞれに肩をすくめ、眉寝をよせて応えた。
どうやら3人も場に漂う空気の不穏さを感じているようだった。
そんな中、シーザーが口を開いた。
「……何見てんだよ?」
ほとんど喧嘩腰でルータスに向って言い放つシーザー。
ルータスは鼻で小さく笑い、言い返す。
「別に? ただ、地味な野郎だなと思っただけ」
「あ?」
「それにヒョロくて弱そうとも思ったね」
「……喧嘩売ってんのか?」
「先に因縁つけてきたのはそっちだろ?」
「この野郎……!」
売り言葉に買い言葉。
人間関係に相性の良し悪しはあれど、初対面でこれだけ対立できるのはある意味すごい。
よほど相が合わないのだろうこの2人のやり取りは、周りにいるボク達4人など眼中にない様子で白熱していった。
お互い、嫌悪と敵意の入り混じった表情と視線で睨み合い、もはや取っ組み合いに発展しそうだというまさにその時、一触即発の雰囲気を打破したのは、耳につく電子音だった。
その場にいた全員が音のした方に視線を向ける。
音の出所は、ハーゲンのズボンのポケットだった。
ハーゲンはポケットに手を突っ込むと、そこから掌大の機械を取り出す。
携帯電話だ。
使ったことはないが、見るのも初めてではない。
ハーゲンは手元で携帯電話を操作すると、顔の横に当てて話し始めた。
「もしもし。…………はい…………いえ、今は21番公園の入口です。
…………はい、分かりました」
話し終えたのか、ハーゲンは再び携帯電話を操作し、ポケットに押し戻す。
「何?」
ルータスが不機嫌に尋ねる。
ハーゲンは素っ気なく、
「先生。 用が済んだから、今からこっちに来るって」
言って、公園の入口に目をやった。
先生というのは、おそらくハーゲンの親代わりの人なのだろう。
(ハーゲンを育てた人か…………どんな人なんだろう?)
歳の割には落ち着いている、というよりも達観した感のあるハーゲンの育ての親に、ボクは少し興味を惹かれた。
しかし、ボクとしては1度会ってみたい気もしたが、隣のシーザーはとてもそんな雰囲気ではない。
今の電話で多少気が逸れたようだが、それでも喧嘩を続ける気満々の雰囲気を醸し出していた。
なので、
「アーサー、シーザー連れて先に帰ってて。
ボク、ちょっとその先生に会ってみたい」
と、アーサーに向かって小声で言ってみたものの、きっちりとシーザーの耳にも届いていてしまったらしく、シーザーは神経質そうに耳をピクリと動かし、ルータスに向けていた視線をそのままこちらに向けた。
「あ?」
「いや、だから、ちょっとその人に会ったらボクも帰るからさ」
ボクに対してまで喧嘩腰で詰め寄るシーザーをなんとかなだめようとするが、かえって火に油だったようで、
「ふざけんな! さっさと帰るぞ!」
と、乱暴にボクの腕を掴んでトランスポーターの方に引っ張っていこうとした。
しかし、それをアーサーが押しとどめる。
「まぁまぁ、いいじゃないですか、別に。
僕達は先に帰りましょう」
言って、アーサーはボクの腕からシーザーの手を引き剥がすと、
「じゃあ、僕達は先に戻ってますから、ジークも夕飯までには帰ってきてくださいね」
と、保護者めいたことを言って、未だわめくシーザーを半ば強引に引き摺っていった。
その様子をボクが見守っていると、
「ケッ! 興醒め! オレもか〜えろっと」
ルータスが悪態をつき、頭の後ろに手を組んで、スタスタとアーサー達とは別方向に歩きだした。
それを見たモルドが、
「おい、トランスポーターはこっちだぞ」
「いやなこった。 あんなのと一緒に順番待ちなんてしてられないっつーの。
別の所から帰る」
「また面倒なことを。
大体、これから先生が来るんだぞ?」
「いいじゃん、別に。
どうせ宿に帰ってくれば会うんだから、待ってる必要ないじゃん」
「いやしかし……」
「モルド。 君もルータスと一緒に帰って。
少し荒れてるみたいだから、君も付いていってあげて。
先生なら僕がここで待ってるから」
ハーゲンの言葉に、モルドはハーゲンとルータスを交互に見る。
ルータスはすでに1人で離れた所まで歩いていってしまっていた。
「……分かった。 じゃあ、俺も帰るぞ?」
モルドが言うと、ハーゲンは小さくうなずいてそれに応えた。
それを見たモルドは、小走りにルータスの元へと駆け寄っていく。
「面白い奴ではあるんだけど、ちょっと性格に癖があってね」
合流した2人の後ろ姿を見ながら、ハーゲンが言う。
主語がないために何のことかと思ったが、おそらくはルータスのことを言っているのだろう。
確かに、ずいぶんと変わった性格ではあると思う。
好き嫌いがハッキリしそうなタイプだ。
一方でモルドは、誰とでもそれなりに仲良くできるようなタイプに思える。
身も蓋もない言い方をすれば、当たり障りのない性格、とでも言うのだろうか。
どちらかといえば、大人な対応のできる性格と言った方が正しいかもしれない。
(でも……)
と、ボクは思った。
初対面にもかかわらず、ルータスとモルド、2人のある程度の性格は把握できた。
しかし、目の前で2人を見送っている、このハーゲンの性格はよく分からない。
といっても、これで会うのがまだ2度目なのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、分かりやすかった2人と比べると、どうにも判断に困る。
そうして、ボクは初めて気付いた。
(あ、そうか……無表情なんだ)
会ってからこれまで、ハーゲンの表情が変化したことがない。
彫像のように整った顔は、本当の彫像のようにそのままで、まったく変化がない。
さらには、声にあまり感情がこもっていない。
まったくないわけではないが、それでもボク達のような明確な感情がこもった声ではない。
それが、ハーゲンの性格を分かりづらくしているのかもしれない。
「来るまでもう少しかかるだろうから、その辺に座ってようか」
自分のことをボクが考えているなど知る由もなく、ハーゲンは空いたベンチを目指して歩いていく。
ボクはそのあとを追い、先にベンチに腰掛けていたハーゲンの横に腰掛ける。
2人並んで座ったものの、ただ黙って待つだけでは気詰まりになってしまうので、何か話題はないかと視線を巡らせていると、目の前を横切って行く人々の向こう遠くに、何やら目につく物があった。
「……お祭り?」
目についた物、それは日中にあって煌びやかな光を放つ祭飾りのようだった。
ボクの目にして呟いた物を見、ハーゲンが答える。
「ああ、始原祭だね」
「シゲンサイ?」
「そう。 明後日1月1日は神聖皇帝フラークの誕生日とコスモス発足の記念日が重なるんだ。
だから毎年その日は、フラークの誕生とコスモスの発足を祝って、クォントで始原祭っていう祭りが3日間続く。
ああ、前夜祭も入れれば4日か。
アレはその飾りだろうね」
「へぇ〜」
ハーゲンの説明に相槌を打ち、祭飾りを眺めていると、
「このあと、行ってみるかい?」
「え?」
思いもよらないハーゲンの発言に、ボクは驚いて聞き返した。
ハーゲンの方に目を向けると、彼は相変わらずの無表情でボクを見返し、続ける。
「先生が来るまでは動けないけど、そのあと。
君も用を済ませたなら、やることないんだろ?」
「まぁ、ないけど……」
「気の早い連中ならもう出店を出してるかもしれないから、面白いかもしれないよ?
どうする? 行くかい?」
「う〜ん……」
先程のシーザーの機嫌からいって、帰りが遅くなったら八つ当たりまがいの文句を言われそうな気もするが、しかし、アーサーからは『夕飯までには』と言われていたので、まあ大丈夫だろうか。
仮に文句を言われても、アーサーが助け船を出してくれるだろうし。
少し考えて、ボクはうなずいて答える。
「うん、行くよ」
「そう。 じゃあ決まりだね」
言うと、ハーゲンは公園にある時計に目をやった。
「……もうそろそろ来るかな」
呟き、辺りを見回すハーゲン。
しかし、まだハーゲン達の先生は来ていないらしい。
ハーゲンが視線を巡らせるのをやめたのを見計らって、ボクは話し掛ける。
「ねぇ、ハーゲンの親代わりの人……っていうか、先生ってどんな人?」
聞かれ、ハーゲンは少し考えた風を見せ、
「人族の男で初老。 60代だったかな?
背はあまり高くなくて、痩せてもなく太ってもなく。
性格は優しい人だよ。
孤児院の院長をやってるくらいだから当然かもしれないけど。
ああ、あと昔はコスモスでレンジャーの仕事もしてたみたいだよ。
今は辞めてるけどね」
「へぇ〜……」
「結構、高クラスだったらしいけど、今は引退してるから昔ほどの力はないみたいだね。
それでも僕よりも強いけど――」
淡々と答えるハーゲンが言葉を切って、視線を一点で止めた。
視線を追うと、そこには男性が立っており、こちらを見ていた。
「あれが先生だよ」
男性を見たまま、ハーゲンが言う。
ハーゲンが先生と言ったその男性は、今ハーゲンが説明してくれたように、中肉中背の60歳くらいの人族だった。
顔は柔和で、いわゆるところの好々爺という風を呈していた。
そこからは、とてもかつて高クラスのレンジャーだったとは思えないような印象を受ける。
男性は笑顔を浮かべ、こちらに歩み寄ってきた。
歩み寄ってくる男性を見て、ハーゲンが立ち上がる。
つられてボクも立ち上がった。
「そちらが話にあったお友達かな、ハーゲン?」
声に人柄が表れている、そんな包容力のある優しい声音で、男性はボクを見てからハーゲンに問い掛けた。
ハーゲンは小さくうなずき、短く答える。
「そうです」
「モルドとルータスは? 一緒じゃなかったのかね?」
「先に宿に戻りました」
「そうか」
男性は説明を受け終えると、こちらを向き、丁寧な所作で一礼。
「初めまして、ハーゲンのお友達。
私はこの子の育て親で、名はガロと申します」
急に行われた自己紹介に驚きつつも、ボクも同じように一礼し、
「ボクはジークです。 初めまして」
と、やや緊張気味に答えた。
それを見て、ガロはニコリと微笑む。
「そう緊張しなくても結構。
私が少々仰々しく自己紹介をしてしまったので気負ってしまったかな?」
「え〜と、そういうわけじゃ……」
しどろもどろで答えると、ガロはニコニコと微笑んだままボクを見つめていた。
その視線が妙に恥ずかしさを誘い、モジモジと恥ずかしさをごまかすように身じろぎをしてしまう。
やがて、ガロはハーゲンの方に視線を向けると、懐に手を差し入れ、財布を取り出した。
「ハーゲン。 すまないが何か適当に飲み物を買ってきてくれないか?
私と君とジーク君の分をね」
「はい」
ハーゲンが答えると、ガロは財布から金を取り出し、ハーゲンに手渡した。
近くの露店に向かっていくハーゲンの姿を見送りながら、ガロは財布をしまい、今までボク達が座っていたベンチに腰掛けた。
「君も座りなさい。 立ったままでは疲れるだろう?」
自分の隣を軽く叩き、ガロが座るように勧める。
「あ、はい」
答え、ボクはガロの隣に腰掛けた。
少しの間、露天に向かうハーゲンの後ろ姿を見たあと、ガロは嬉しそうな口調でボクに語り掛けてきた。
「それにしても驚いた。
あの子は少々気難しくて、友達を作るのが苦手だったのでね。
私の孤児院でも、あの子がまともに接する相手といえば、モルドとルータスくらいのものだ。
君はまだ出会って間もないだろうに。
よほどあの子は君のことを気に入ったのだろうね」
「そう……なんですか?」
「ああ、そうとも。
分かり辛いかもしれないが、あれでもあの子は君のことを気に入っているよ。
でなければ、君と2人きりになるなんてことはないだろうし、第一、私に君のことを報告したりもしないだろうからね。
そう、面白い子に出会ったと、珍しく興奮した様子で君のことを知らせてくれたよ」
「面白い……」
ハーゲンの面白いの基準が分からない為、素直に喜ぶべきかどうか、ボクは悩んだ。
「何か気に障ったかい?」
気遣わしげに問うガロに、ボクは首を横に振る。
「そうじゃなくて。 ただ、ハーゲンの面白いの基準が分からないなって思っただけで……」
ボクがそう答えると、ガロは少し困ったような笑顔を浮かべ、
「確かに、あの子は少々変わっているからね。
何をして面白いと言うか、その基準はあの子にしか分からない。
君が困惑するのももっともな話だ。
ただ、1つ言えることは、あの子はありのままの君のことを気に入っているのだと思うよ。
それなり長い付き合いだ、私には分かる」
「…………」
ハーゲンに視線を戻すと、露天の列に並んでいる後ろ姿が見えた。
その後ろ姿は、どう見てもボクと同年代の子供のそれにしか見えなかった。
実際に話してみると、とてもそうは思えないほどの落ち着きぶりを感じるのだが、後姿はそうは見えなかった。
「君はあの子のことが好きかい?」
「え?」
突然のガロの問い掛け。
かなり重い質問に、ボクはハーゲンの後ろ姿を見ながら考える。
ハーゲンはちょうど露天商から飲み物のカップを3つ受け取っているところだった。
しばらくの間考え、ボクは答えた。
「よく分からないです。
でも、嫌いじゃないです。
……ただ、好きか、とか、気にいってるかって言われると、分からないです。
なんて言ったらいいんだろ…………」
ボクは思案し、ちょうどいい言葉を探す。
さほど多くない語彙の中から懸命に探していると、ある言葉が閃いた。
「気になる……そう、気になるんです。
ボクはハーゲンのことが気になってるんです」
「なるほど」
ボクの答えに、ガロはなぜか満足気にうなずいた。
うなずくガロを見ながら、ボクは自分の答えがガロの納得のいく答えだったと判断してもいいのかどうか分からなかった。
「おお、ハーゲン、ご苦労様」
ガロの声に前を向けば、目の前にすっと差し出された飲み物のカップが。
視線を上げれば、やはり無表情のハーゲンの顔が。
「ありがと」
差し出されたカップを受け取り、ボクはハーゲンに礼を言い、次いで、ガロに、
「ありがとうございます」
と、礼を述べた。
礼を受け、ニコリと笑い、
「どういたしまして」
と、ガロ。
ハーゲンはガロにカップを差し出し、自分はボクの隣に腰掛けた。
「何の話をしてたんですか?」
カップに刺さったストローから中身をすすりながら、ハーゲンがガロに問う。
「ちょっとした世間話だよ。
な、ジーク君?」
「あ、はい」
話を振られ、ボクはあいまいに答えて飲み物をひとすすり。
隣では、ハーゲンが何も言わずに視線をこちらに向けているのが、視線の片隅に入った。
無言の圧力に押され、ごまかすために飲み物をもうひとすすりするボク。
それでもハーゲンの視線は移らない。
耐えかねたボクは、とっさに思いついたことを口にした。
「ガロさんは、昔レンジャーだったんですよね?」
「うん? ああ、そうだよ。
もう10年位前のことだがね」
ガロは飲み物のカップを下ろし、答えた。
ハーゲンの視線がボクからガロに移ったのを感じながら、ボクは質問を続けた。
「ハーゲンが高クラスだったって教えてくれたんですけど、どのクラスだったんですか?」
「Mクラス、マスタークラスだね」
「Mクラス……」
Mクラスは上から3番目のクラスで、世界各地にあるコスモスの支部長を任されるほどのクラスだと習っていたボクは、驚嘆のため息をついた。
確かレベルにすると161以上は必要なはずだ。
なれるのは数多くのレンジャーの中でもほんの一握り。
力も財も地位も名誉も、充分過ぎるほどにあるはず。
だからボクは気になった。
「なんでレンジャーをやめたんですか?」
不躾かとも思ったが、ボクは思い切って尋ねてみた。
するとガロは少し困ったような笑みを浮かべ、
「まぁ、こちらにも色々と事情があってね」
と、曖昧に答えた。
あまり聞いてはいけないことだったのだろう。
「あ、すいません、聞いちゃいけなかった……ですよね?」
申し訳なく思い、謝るボク。
ガロは首を横に振り、
「いや」
とだけ答え、飲み物を口に含んだ。
ズズッと、カップから音が聞こえ、飲み物がなくなったことを知らせる。
それを聞いたガロは、スッと立ち上がると、ボク達を見下ろして言った。
「さて、モルドとルータスが宿に戻ったのなら、私も宿に戻るとしよう。
ハーゲン、夕飯までには戻ってきなさい」
「はい」
「ジーク君」
「はい」
「これからもハーゲンのこと、よろしく頼むよ」
「……はい!」
ボクの答えに満足したのか、ガロはニコリと微笑むと、ゆったりとした足取りで帰路についた。
遠ざかり、人混みにまぎれていくガロの後ろ姿を眺めていると、横にいるハーゲンから声が掛かった。
「で、先生とは何を話してたんだい?」
「うわ、結構しつこいね――あ!」
ハーゲンの問い掛けに、ボクはいつもシーザーとやり取りをしているような軽口で答えた。
そのことに、ボク自身が驚いた。
昨日今日あったばかりで、お互いのことをよく知りもしないのに、急に長年の友人のような対応をしてしまったからだ。
今までのボク達のやり取りからすれば、馴れ馴れしいと言っても差支えない。
ハーゲンも気のせいか、若干目を丸くしたような表情になってボクを見返しているように見えた。
気まずいと形容するには語弊のある、少々奇妙な沈黙がボク達の間に漂う。
しばらくハーゲンはボクを見つめていたが、やがて、
「まぁ、いいよ」
と、ボクからの返答を諦めたように呟いた。
沈黙が破られたことにホッと胸を撫で下ろすボク。
となりでハーゲンがカップの中身をすする。
ボクも同じくカップの中身をすすり、ズズッという音が中身が底をついたことを知らせた。
ボクは立ち上がり、ベンチの近くに設置されていたゴミ箱に、空のカップを捨てる。
踵を返し、見ると、ハーゲンの手にはすでにカップはなかった。
以前のように消してしまったのだろう。
そして、ハーゲンはおもむろに立ち上がると、スッと片手をボクに差し出した。
「?」
「出店、一緒に見るんだろ?」
「あっ」
言われて思い出した。
歩み寄り、差し出された手を取ると、ほんの半歩ほど、ボクはハーゲンのそばに寄り添う。
少し恥ずかしさが込み上げてきたが、ハーゲンは気にした様子も見せなかった。
軽くボクの手を握ると、ハーゲンは無言で歩き出した。
ボクも遅れないよう、ハーゲンに足並みを合わせてついていく。
被毛に包まれたハーゲンの手はとても温かく、寒さで若干かじかんでいたボクの手を優しく温めてくれた。
温かさのあまり、さらに温かさを得ようと、思わず手に力を入れてハーゲンの手を握り込むと、ハーゲンは何も言わず、こちらも見ず、同じようにボクの手を握り込んでくれた。
そうして、会話もなく、ボク達は出店を回っていった。
いつの間にか、ハーゲンと繋いだ手はすっかり温まり、その温かさが全身に回ったように、ボクの体は火照っていた。
心なしか、胸の鼓動も早くなっているような気がする。
そして気付いた。
何の言葉も交わすことのないこの沈黙の時間が、まるで苦ではなくなっていることに。
ボクとハーゲン、2人で並び、手を繋ぎ、出店の前に立ち、同じ物を見、同じように店の前を離れ、同じように歩き、再び出店の前に手を繋いだまま2人で並ぶ。
今までに感じたことのないこの感覚を、ボクはどう表現していいのか分からなかった。
それはシーザーにも、アーサーにも、クーアにさえ感じたことのない感覚だった。
しかし、この感覚は以前にも感じたことのある感覚、ハーゲンと手を繋いだ時に感じた感覚と同じものだった。
(……なんだろう?)
感覚の正体がつかめず、ただ悪戯に胸を高鳴らせ、ボクはハーゲンの手から伝わる温もりを感じていた。
「――ねぇ」
「え!?」
ビクッと体を震わせ、声を掛けてきたハーゲンの方を向く。
ハーゲンは覗き込むようにボクの顔を見ると、
「どうしたんだい?」
「んと……考え事」
「そう。 で、どう?」
「え? 何が?」
唐突に尋ねられ、ボクは尋ね返した。
どうもボクが考え事をしている間に、ハーゲンが何かを尋ねてきていたらしい。
ボクが話を聞いていなかったことに怒る素振りさえみせず、視線を出店に並べられている串焼きに移してハーゲンは言った。
「アレ、僕は買うつもりだけど、君はどうする?」
ハーゲンの見ている串焼きにボクも目を移す。
脂を滴らせたジューシーな肉が3つと、その間に程よく焦げ目を付けたタマネギが2つ挟まっている。
湯気を立ち上らせながら漂う、香ばしいその香りに、ボクの鼻と腹が刺激された。
「あ〜、じゃあボクも買おうかな」
そう答えると、ボクはポケットから財布を取り出す。
クーアへのプレゼントを買ったとはいえ、串焼きを1本買うくらいの余力は充分にあった。
しかし、
「いいよ、僕が払うから」
ボクが財布を開こうとしたのを見て、ハーゲンがそれを制止した。
「でも……」
と、ボク。
ハーゲンには出会ったその日にも御馳走になっている。
今また御馳走になるのには、さすがに気が引けた。
だが、ボクが遠慮を言いかけた時には、
「串焼きを2本ください」
ハーゲンは店員にそう告げていた。
焼き立ての串焼き2本と、2本分の代金を引き換え、店を後にするボク達。
無言で串焼きを差し出すハーゲンに、ボクは串焼きを受け取りながら礼を言った。
「ありがとう」
「別にいいよ」
そう返し、串焼きの肉にかぶり付くハーゲン。
大きめの肉を1口で頬張ると、やや熱そうに噛み始めた。
それを見て、ボクも1口で肉を口の中に入れる。
焼き立ての肉の熱が口いっぱいに広がり、同時に塩と胡椒のしっかり利いた肉の味が肉汁と共に広がった。
熱くはあるが、吐き出してしまうほどではなく、ハフハフと白い息を吐きながら肉を噛み締める。
口の中の肉を細切れにして飲み込むと、2口目のタマネギを口に運ぼうとしていたハーゲンに言う。
「おいしいね」
ハーゲンは手を止め、
「そうだね」
と、小さく答えた。
そうして串焼きを食べながら、ボク達は目につく限りの出店をすべて回った。
前半の道中とは異なり、ボク達は店の商品のことや祭りの飾り付けのこと、勉強のことや仲間達のこと、果ては昨日見たテレビ番組のことまで、本当に長年の友人のようなたわいもない会話を楽しんだ。
出店を回り終える頃には、串焼きもすっかりただの串になり、会話も一段落ついていた。
「ごちそうさま」
「どういたしまして」
ボクの礼に返答し、ハーゲンは串を黒い球体で消し去る。
と、その時、ハーゲンの耳が、ボクの目にも明らかにピクリと動いた。
「? どうしたの?」
ボクの問い掛けに対し、ハーゲンは四方に耳を動かし、まるで気配を探るような仕種を続けたまま答える。
「……誰かがこっちを見てる。
しかも殺気のこもった視線で、ね」
「えっ!?」
「……ここを離れた方がいい。
というより、離れよう」
言うが早いか、ハーゲンはボクの手を引いて歩き出してしまった。
「あ、ちょっと!」
いきなりのことで頭の整理がつかないボクは抗議の声を上げようとしたが、そんなことなどお構いなしにハーゲンは人混みをかき分けるように先に進んでいく。
やがて人混みを抜けると、やはり周囲の気配を探りながらハーゲンはどんどん進む。
その進む方向は、明らかに人通りが少ないと思われる路地裏。
建物の間、幅1mほどの、ハーゲンと初めて会った時に通ったような路地だ。
「ねぇ、こんな路地裏入っちゃって大丈夫なの?」
以前のことから不安を感じたボクは、ボクの手を引いて迷いなく進むハーゲンに問い掛ける。
ハーゲンは、
「問題ないよ」
とだけ答え、なおも先に進む。
そして、右に左にと曲がり、ある程度進んだ頃、ボク達は建物に囲まれた袋小路に入り込んでしまった。
「行き止まりだ……」
ボクが呟く。
目の前にドアはあるが、ハーゲンがドアノブを回しても開く様子はない。
「カギ、掛かってるの?」
ボクが言うと、ハーゲンはうなずいて応えた。
「じゃあ、戻ろうよ」
「……いや、もういいよ」
ボクの提案に、ハーゲンは諦めたように呟き答える。
そして、ボクの手を引き、立ち位置を自分と入れ替えると、ハーゲンは路地裏に向って、大声ではないがよく通る声を放った。
「出てきたらどうだい?
つけてきてるのは知ってるよ」
声が建物に反響する。
すると、一時置き、今までボク達が通ってきた路地から男が数人姿を現した。
「!」
ボクは驚いて目を見開く。
男の数は6人。
そのうちの2人は見覚えのある顔だった。
「……まぁ、そんなことだろうと思ったけどね」
げんなりした様子でハーゲンが男達に言う。
正確には、見覚えのある2人に、だろうか。
その2人は、以前路地裏で遭遇した、ハーゲンを襲っていた2人だった。
2人とも血走った目でハーゲンを睨み付け、殺気を放っていた。
他の4人の男からは、殺気らしい殺気は感じられない。
どちらかといえば、興味のこもった視線をハーゲンとボクに向けている。
「探したぜ、クソガキ……」
ドスの利いた声で言う、人族の男。
そして言うが早いか、懐からダガーを取り出し閃かせる。
馬獣人の男も同様に、腰に差したナイフを抜き、構えた。
それを見て、ハーゲンは小さくため息をついた。
「懲りないね、まったく。
それで、後ろの4人は用心棒か何か?」
2人の後ろに並ぶ初見の男達に視線を向け、ハーゲンが言う。
すると、その中の1人、虎獣人の男が、人族と馬獣人を押しのけるように前に出て答えた。
「まぁ、そういうことだ、坊主。
こいつ等はオレの舎弟みたいなもんでね。
ちっと前に、こっぴどくやられちまったから手ぇ貸してくれ、って頼まれたから来てみたんだが、まさかこんな坊主にやられたとはなぁ」
言って、虎獣人は後ろの人族と馬獣人をチラリと見る。
2人は虎獣人をチラリと見て、恥入るように視線を逸らした。
「まぁいいや。
ところでよ、坊主。
物は相談だが、大人しく捕まっちゃくれねぇか?」
とんでもない提案を出す虎獣人。
しかしハーゲンはまったく動じず、
「それは冗談で言ってるのかい?
それとも本気?」
と、しれっとした口調で返した。
虎獣人はニヤリと笑うと、
「本気さ、もちろん。
こっちとしては、くだらねぇこいつ等の趣味の為に労力を使いたくないんでね。
できれば穏便に事を済ませてぇのさ」
舎弟を卑下したような口調で言う虎獣人だったが、当の2人は顔をしかめこそしたものの、反論するまでは至らなかった。
しばらく沈黙する場。
やがてハーゲンが虎獣人に問い掛ける。
「……あんた、もしかしてレンジャーかい?」
「え!?」
この質問にはボクが驚いた。
そして、問い掛けられた虎獣人も目を開き、聞き返す。
「……なんでそう思う?」
「特に根拠はないよ。
ただ、穏便に済ませたいっていうことは、事を大きくしたくない、つまりは公にしたくないってことだろ?
こんな誘拐まがい、脅迫まがいのことをしておいて、それを公にされたくないってことは、世間からはそれなりにクリーンなイメージを持たれてる。
そして、相手が誰かも分からないのに、用心棒を買って出るだけの実力があるか、あると自負してる。
そんな連中の中でまず思いつくのがレンジャーだったからさ。
でも、あんたのその反応を見る限り、レンジャーで間違いないようだね」
説明を済ませ、ハーゲンが黙る。
虎獣人は眉根をひそめてハーゲンを睨むように見つめた。
「その歳でそこまで小賢しい、しかもオレがレンジャーだと分かっても動じねぇなんざ、大した坊主だな」
「あんたも、その歳でこんな子供相手に殺気立つなんて、大した大人だね」
皮肉たっぷりの答えを返し、澄ますハーゲン。
じわりと、虎獣人の殺気、そしてその周囲の男達の殺気が膨らむ。
一方で、ボクは軽いショックを受けていた。
まさかボクが目指しているレンジャーがこんなことをするなんて、と。
『コスモスは君が思ってるほど奇麗な組織じゃないよ』
初めて出会った時にハーゲンが言っていた言葉が頭をよぎった。
しかし、ショックを受けている暇もなく、事態は進んでいく。
「その様子じゃ、おとなしく捕まる気はねぇな……?」
虎獣人が殺気を込めて尋ねる。
それに対し、ハーゲンは静かに一言。
「もちろん」
「……そうか」
言うと同時に、虎獣人は腰に差したサーベルを抜き放った。
後ろの男達も同様に、各々の武器を取り出し、構える。
「なら仕方ねぇ。 手足の1本や2本、覚悟――」
虎獣人の男が言い掛けたその瞬間、殺気が一気に膨らんだ。
全身の皮膚が粟立つような強烈な殺気。
しかし、それは男達の放つ殺気とは別の殺気だった。
殺気の出所。
それは、ボクの斜め前にいるハーゲンの放ったものだった。
男達の放つ殺気とは比べるまでもなく大きいその殺気は、ボクの身を竦ませ、視線さえも動かせなくする。
その刹那、ハーゲンが視界から消えた。
次いで、一瞬遅れ、前方から何かが地面に落ちる音。
硬直から解かれ、視線を前方に向ければ、虎獣人を含む初見の男達4人の地面に崩れ落ちた姿、そしてその中心で静かにたたずむハーゲンの後姿が。
「ヒッ!?」
馬獣人が短い悲鳴を上げる。
「この程度の用心棒じゃ話にならないよ。
今度はもう少し強い用心棒を連れてくるんだね。
もっとも、次があれば、だけど」
言って馬獣人の方を振り返るハーゲンの顔は、いつも通りの無表情。
そのいつもと変わらない無表情が、背筋にうすら寒さを覚えさせる。
「な、なん……何しやがった!?」
人族の男が恐怖の声を上げた。
ハーゲンは首を少しかしげ、さも当然のように答える。
「ただ、あんた達の間をぬって、首筋に一撃喰らわせただけだよ。
だから、こいつ等はただ気絶してるだけさ。
こいつ等は、ね」
含みのある言葉を残し、再びハーゲンが殺気を膨らませる。
「こいつ等は初めて会うから気絶させるだけで済ませてあげるけど、あんた等はこれで2回目だからね。
『二度あることは三度ある』っていう言葉もあるし、もしそうなったら面倒だ。
きっちりとここで処分させてもらうよ」
目を細め、両手を馬獣人と人族の男にそれぞれ向けるハーゲン。
その両掌の先に、黒い球体が現れた。
『ヒッ! ヒィィィィ!!!』
2人が同時に悲鳴を上げる。
膨張する黒い球体。
しかし、次の瞬間、その黒い球体が消滅した。
『ヒッ……へ……?」
怯えていた2人は間の抜けた声を発し、向けられた手越しにハーゲンを見る。
「と、思ったけど、見逃してあげるよ。
今日は気分がいいんだ。
それに……」
言葉を切り、ハーゲンはボクを見た。
ボクは先程ハーゲンが放った殺気に当てられて、未だその場所から動くことさえできず、前回のように止めることなどできずにいた。
そんなボクをハーゲンはしばし見据え、再び視線を2人に戻す。
「さっさとここに倒れてる連中を拾って行きなよ。
見逃してあげるって言ってるんだからさ」
面倒そうに言うハーゲン。
『…………』
それを受け、2人は警戒と恐怖の色を見せながら、倒れた4人の男のそばにしゃがみ込む。
そして、焦りながらもそれぞれ2人の男を抱えると、脇目もふらず一目散に路地裏を逃げていった。
残されたのはボクとハーゲン。
ハーゲンが向き直り、こちらを見る。
その姿からは、わずかな殺気も感じられない。
そこでようやくボクは先程からの殺気の呪縛が解けた。
小走りにハーゲンに駆け寄るボク。
「これでいいかい?」
「え……?」
ハーゲンに掛けられた言葉の意味を理解できず、ボクは聞き返した。
するとハーゲンは小首をかしげ、
「止めるつもりじゃなかったのかい?
もし僕があの2人を殺そうとしたら、さ」
「あ……うん」
「違ったのかい?」
「いや、その通りだけど……」
首を傾げるハーゲンに、言葉を濁すボク。
今回は前回のように止めることなどできなかったのは明らかで、それ以前にその考えまで至らなかったというのが正直なところだ。
それほどまでに今さっきのハーゲンの殺気には凄まじいものを感じた。
傍観者のボクでさえそこまでのものを感じたのだから、殺気を直接当てられたあの2人は、それこそ死を覚悟しただろう。
「ああいうタイプはしつこいからね。
本当はここで始末しておいた方が、後々の為によかったんだけど」
言ってハーゲンが振り返る。
視線の先、男達がいた場所には、薄闇が立ち込め、もう2〜30分もすればすっかり闇に包まれるだろう。
空気も随分と冷え込んできた。
時間的には、もう午後4時を過ぎた頃だろうか。
今から部屋に戻れば、アーサーの提示した刻限である夕飯に遅れることもなく、ちょうどいいくらいの時間になるだろう。
もしも遅れると、アーサーはともかく、シーザーはわめき出すに違いないから、そろそろ戻った方が賢明だ。
「じゃあ、戻ろうか」
まるでボクの考えを読んだかのように提案し、スッと手を差し出すハーゲン。
(そう言えば、ハーゲンも夕飯までに戻って来いって言われてたんだっけ)
気付いて、ボクは小さく吹き出した。
大人顔負けの力と殺気、冷静さと豪胆さを持ったハーゲンが、夕飯までに戻って来いなどという、いかにも子供っぽい門限を課せられていること、そのギャップに、だ。
「どうかしたのかい?」
またも首をかしげ、ボクが吹き出したことを気にするハーゲン。
「ううん、別になんでもないよ」
首を横に振り、ボクは答え、そして、
「それじゃあ、帰ろう」
言って、ボクはハーゲンの手を取った。
毛皮に包まれたその手は、冷え込んできた空気で冷やされたボクの手には、とても温かいものに感じられた。
21番公園に戻る頃には、日は完全に沈み、辺りは街灯の灯りと始原祭の飾り付けのイルミネーションによって明るく照らし出されていた。
ハーゲンと2人、クォント行きのトランスポーターの前まで来ると、ハーゲンは、
「僕はあっちのトランスポーターだから」
と、少し離れた場所にあるトランスポーターを指し、言った。
色々あったが、ハーゲンと一緒にいた時間は、奇妙な楽しさがあった。
もう少し一緒にいて、あれこれ話をしたりしたかったが、時間的にそれは難しい。
名残惜しいが、これが今生の別れというわけでもなし、
「そっか。 ここでお別れ、だね」
ボクは自然と寂しげな声音になっていることに気付きつつ、そう告げた。
ハーゲンは小さくうなずくと、
「それじゃあ、またね、ジーク」
そう言って、先程指し示したトランスポーターへと去っていった。
そして、その後姿を見送りながら、ボクはあることに気付いた。
(あ……名前……)
出会ってからこれまで、1度もボクを名前で呼ばなかったハーゲンが、今、初めてボクを名前で呼んでくれたことに。
何故かは分からないが、それがボクにはとても嬉しいことに思え、自然と顔がほころんだ。
その嬉しさを噛み締めながら、ボクは手にわずかに残るハーゲンの温もりを感じていた。
カチャ
わずかに覚醒した意識に、小さな音が響いた。
小さな音で覚醒したのかもしれない。
(…………ドア?)
まだ靄の掛かった意識でそう呟くと、ベッドから体を浮かせ、辺りを見回す。
左右のベッドにはシーザーとアーサーが眠っており、2人が何か音を立てた様子はない。
意識の呟き通り、ドアの方に目をやるが、ドアはしっかりと閉まっていた。
窓にも天井にも床にも目を回すが、どこも変わった様子はない。
(?)
頭にクエスチョンマークを浮かべ、気のせいかと、再びベッドに体を沈める。
(…………)
普段ならこのまま眠りに戻るところだが、今回は先程の小さな音に何かしら気になるところがあり、ボクはベッドを這い出した。
夜中ということもあり、ベッドの外は冷える。
ボクは毛布の上に掛けてあった室内用のパーカーを羽織ると、ドアを開け、部屋の外に出た。
廊下は部屋以上に薄暗く、ボクは壁に手を添えながらゆっくりと歩き、階段を降り、1階へ。
その途中、1階からかすかに誰かがいる気配を感じた。
階段から見える1階部分に、明かりは点いている様子はないが、誰かがいる。
ボクは少し歩を速めて階段を降り切ると、玄関を見た。
(! このブーツは!)
玄関に揃えられたブーツには見覚えがあった。
白地に金の刺繍が施されたブーツ。
(帰ってきた!)
すっかり目が覚めたボクは、駆け足でリビングへと向かう。
明かりは点いていないが、気配はリビングからしていた。
閉められたリビングのドアを勢いよく開けると、ボクの思っていた通りの人物がいた。
テラスへと続く大窓を背に、その人物はこちらを振り返った。
月明かりが射しているせいで逆光になり、人物の顔はよく分からない。
ただ、そのシルエットを、ボクは見間違えるはずがなかった。
シルエットが体をこちらに向ける。
「ただいま」
少し微笑んでいるような優しい声が、シルエットから発せられた。
ボクはいてもたってもいられず、走り込んでシルエットに飛び付き、喜びのあまり叫んでいた。
「クーア!!!」