クォントの前の大広場には大勢の人が溢れていた。

大広場は、クォントを中心として10m程の高さの城壁が円状に囲っていた。

城壁には、規則的に尖塔が建っており、見張り台の役割も兼ねているのか、所々に武装した人間の姿が見える。

大広場の広さは、数万人、あるいは10万人前後は集まれるだろうという規模で、実際、上から見たら、今も万近い人がいるのではないかと思われる。

中央には大きな噴水があり、中心にある幾何学的な彫刻からは多量の水が流れ出していた。

クォント正面には、高さ・幅共に十数mはあろうかという門がいくつもあったが、どの門でも多くの人々が行き交っている。

地下の武具屋で装備を買い揃えたあと、ボク達は試験が終了するまでの間に着る衣類を適当な店で買い、昼食を済ませてクォントに辿り着いた。

クォントまでは、大通りや街の至る所に数十ヶ所も設置されている、トランスポーターと呼ばれる転移装置を使ってやってきた。

トランスポーターには送りと受けの2種類があり、大広場の城壁に沿うようにたくさん並んでいる物も、大通りや街の各所にある物も、必ず二基一対で設置されているらしい。

ボク達は大通りに設置された送りのトランスポーターを使い、大広場の受けのトランスポーターの1つに辿り着いたというわけだ。

転移は一瞬で終わり、ボク達は十数kmはあったであろう道のりも、一瞬で飛び越えてここまで到達することができた。

「ここに戻ってくるのも1年ぶりだな」

クォントの門を見上げながらクーアが言う。

「相変わらず変わってないな、ここは。

 それじゃ、オレ達も中に入ろうか」

行き交う人込みに交じって門をくぐるクーアに続くボク達。

門を抜けると、そこは非常に広大なホールになっており、ゆるいカーブを描いたアーチ状の天井の頂点までの高さは数十m、円形をしたホールの直径は300mはあろうかと思われるほどの広さだった。

一段高くなったホールの中央には大広場同様に噴水があり、高々と水を噴き上げている。

アーチ状の天井からは無数の電気照明が下がっており、それらは淡いクリーム色の光を放って、ホール内を柔らかく照らしていた。

ホール内は当然のごとく人々で溢れかえっており、しっかりとクーアの後ろについていかなければ、クーアの姿すら見失ってしまいそうだ。

「まずはどこに行くんですか?」

ボクの後ろを歩くアーサーが尋ねる。

「まずはオレの部屋に行く。

 とりあえず腰を落ち着けたいからな」

「オレの部屋って? クーアってここに住んでんのか?」

シーザーの問い掛けに、クーアは笑いながら答える。

「まさか。 Bクラス以上のレンジャーには個室が与えられるんだよ」

「ふ〜ん」

「部屋に着いたらオレの仲間と連絡取ろうと思ってる。

 さすがにオレ1人でお前等3人を教えてたら、1人1人に集中して教えられないからな」

「仲間?」

今度はボクが尋ねる。

「ああ。 今はバラけて行動してるが、昔はいつも一緒に行動してた連中だ。

 そいつ等ならオレも安心してお前等を任せられる。

 そういや、あいつ等と連絡取るのも久しぶりだな……」

話しの後半は独り言のようだった。

後ろ姿だが、仲間のことを口にしたクーアの姿はどこか嬉しそうに見えた。

そんな話をしているうちに、ボク達はホールの突き当たりに設置されたいくつもあるトランスポーターの1つの前に着いた。

トランスポーターの前には数組の人達が並んでいたが、転移自体は一瞬で終わるためにボク達の使用する番はすぐに回ってきた。

壁に埋め込まれた形で設置された円筒状のトランスポーターの内部に入ってドアを閉めると、クーアが入口脇の装置を操作してトランスポーターを起動させた。

起動と同時に目の前が真っ白に光り、次の瞬間、光は消え、転移は完了した。

トランスポーター内には変化は見られないが、トランスポーターから1歩出ると、そこはホールとはまるで違う場所だった。

「うわっ、高けぇ!」

隣のシーザーが驚いた声で叫ぶ。

それもそのはず。

トランスポーターから1歩出た時に目に飛び込んできた光景は、見渡す限りの空と眼下に広がる大地だったからだ。

足元は浮遊岩でできた幅3m程の緩やかな坂道になっている通路。

しかし通路には、本来あって然るべきはずの壁や天井がない。

1歩足を踏み外せば転落確実な通路だが、落下防止用の柵すらない。

目の前の景色からすると、ここはクォントの外観部、しかもかなり上層部らしいのにもかかわらず、だ。

「危なくない? ここ」

ボクが思わず呟く。

すると、クーアが通路の端に立ち、おもむろに外に向かって手を伸ばした。

しかし、その手が途中で止まる。

「お前達も前に見たことあるだろ? って、『見た』ことはないか」

「あっ!」

クーアの言葉にアーサーが声を上げる。

「『盲目の壁』、ですか?」

「そのとおり。 壁は見えないがしっかり壁はあるんだよ。

 その証拠にこうやって触れるし、それにこんな高い所なのにさっきから風がないだろ?

 ちなみに、浮遊岩を固定してるのも『盲目の壁』だ」

なるほど、と納得するボク達。

「それじゃ、先に進もうか。

 っていっても、部屋はもうすぐそこなんだけどな。

 ほら、そこだ」

言ってクーアが指差したのは、左右に伸びる緩やかな坂道の上側、浮遊岩でできているのだろう、窓らしき物が所々についたゴツゴツとした岩塊だった。

豪邸が一軒丸々収まりそうな大きさの岩塊は、通路から伸びた10m程の長さの石橋でつながっている。

クーアのあとについて坂道を登り、石橋を渡ると、岩塊の正面には石造りのドアと丸窓が2つついており、ドアの横にはカードを通すらしい装置がついていた。

クーアがカードを懐から取り出して装置に通すと、ドアはほとんど音もなく左右に開いた。

「ここが一応オレの部屋だ」

そう言って、クーアはボク達を中に入るようにうながす。

開かれたドアから覗き込むと、部屋の内部の壁と床は、無骨な部屋の外観とはまるで違い、どこかの高級な宿のロビーを連想させるほど綺麗に磨かれていた。

ボク達がさっそく中に入ろうとすると、

「あ、ちょっと待った。

 ここでは靴を脱いでくれ」

と、クーアに注意された。

「? なんで?」

シーザーが怪訝そうに尋ねと、クーアは履いていたブーツを脱ぎ、答える。

「こっちじゃ、家や部屋に入る時には靴を脱ぐんだ。

 お前達の生まれた世界じゃその必要はなかったみたいだけどな」

クーアは、一段高くなった床の上にブーツを脱いだ状態で上がると、脱いだブーツを揃えて端に寄せた。

「めんどくせーの」

不満げに呟きながらも、シーザーはブーツを脱ぎ、クーアと同じようにそろえて端に寄せた。

「そう言うなよ。 これも文化の違いだ。

 レンジャーになる以上、色々な文化のことを知っておかないと、トラブルの原因になったり、自分が恥をかいたりすることになるぞ」

「じゃあ、僕達はさっそく文化の違いの洗礼を受けたってことですね」

アーサーが履いていたサンダルを脱いで言うと、クーアは、まぁな、といった風に笑った。

最後にボクがブーツを脱いで部屋の中に入ると、クーアが言う。

「試験が終わるまでの当面の間、ここがお前達の寝起きする場所になる。

 とりあえず、部屋の中を適当に見て回ってくれ」

言われるがまま、ボク達は思い思いに岩塊の中にある部屋を見て回った。

部屋は1階と2階とに分かれており、どちらも非常に広かった。

部屋のある岩塊の大きさからも予想できたことだが、まさに家が丸々1件入ったかのような広さだ。

1階にはリビングとダイニング、キッチンと収納部屋があり、2階には寝室として使えそうな部屋が4部屋と風呂があった。

リビングはちょっとしたパーティを開いても十分だろうと思われるほどの広さだし、そこから出られるテラスも同じくらいの広さを持っている。

そのテラスから見える2階部分のテラスは露天風呂になっていた。

両階を合わせると、いや各階だけでも1人で使うには余りあるほどの広さがある。

椅子やテーブルなどの調度品は1つもなかったものの、与えられる個室にしては贅沢すぎる気がした。

これも高クラスのレンジャーには当然の特典ということなのだろうか。

しかし逆に言えば、これだけの特典がついて当然と言えるほどの仕事をこなしているということにもなる。

だとすれば、高クラスのレンジャーというのは、一体どれくらい危険度の高い仕事をこなしているのだろうか。

露天風呂のあるテラスから目の前に広がる雲海を見ながらそんなことを思っていると、

「贅沢すぎると思うか?」

まるでボクの心を読んだかのような言葉が、いつの間にか後ろに立っていたクーアからかけられた。

「びっ……くりした〜」

クーアは驚いたボクを笑いながら、ボクの隣に並ぶ。

「……うん、ちょっとだけ。

 まだレンジャーの仕事がどれくらい危険か分からないから、こういうことは言っちゃいけないのかもしれないけどさ」

「確かに、オレみたいにいつも本部から離れてる奴には、こんなだだっ広い部屋なんて宝の持ち腐れだな。

 最初はオレもいらないって言ったんだけど、それだと下のクラスのレンジャー達に示しがつかないとか、規則は規則だからとかいう理由で無理矢理上の連中から与えられたんだよ」

「へぇ〜……」

「ただな、高クラスのレンジャーはそれ相応の仕事を求められる。

 まぁ、それはお前がレンジャーになってクラスが上がっていけば分かるさ」

そう言って、クーアはボクの頭に手を置いた。

「……ボク達、レンジャーになれるかな?」

頭にクーアの掌の温かさを感じながら呟くようにボクが言う。

クーアは手でクシャクシャとボクの頭を撫で回すと、ニコリと笑った。

「なれるさ。 頑張ればな。

 さて、そろそろ戻ろうか。

 お前等を合格させるために、仲間に連絡しなきゃいけないからな」

ボクの頭から手をどけ、部屋の中に戻っていくクーア。

そのあとを追い、ボクも部屋の中へ戻る。

1階のリビングに戻ると、そこにはすでに部屋を見回り終えたらしいシーザーとアーサーがいた。

2人ともテラスへと出られる大窓から、外の景色を眺めている。

それを見たクーアが独り言のように言う。

「ああ、そういや椅子も出してなかったな。

 なにせ、普段は使ってないからな、ここは」

そして、部屋の中央に手をかざすと、小さく気を込めて息を吐く。

すると、かざした先にクッションの張られた背もたれ付きの白木の椅子が4つと、同じく白木のテーブルが1つ出現した。

「そこに座っててくれ。

 オレはこれから仲間と連絡取るから」

そう言うと、クーアはリビングの入り口脇の壁に掛かっている灰色の機械に手を伸ばした。

なにやら機械をいじると、機械から小さな機械を外し、耳に当てる。

その様子をボク達が椅子に座りながら見ていると、いきなりクーアが機械に向かって話し始めた。

「外部へ繋げてくれ。

 番号はKM-1827‐3401‐0965だ」

そこでいったん言葉を切り、クーアがボク達の方に視線を向ける。

ボク達がなにか聞きたげな顔をしていたのだろうか、クーアは機械の説明を始めた。

「これは電話っていってな、電話を持ってる遠くの人間と話ができる機械なんだ。

 街中でオレと同じように機械を耳に当ててる連中を見ただろ?

 あれも電話の1種で携帯電話っていうんだ。

 機械を使うから、『伝心』を使えない奴でも使えるのが便利だな。

 もっとも、話すためには相手の電話の番号を知らなくちゃいけないんだけどな」

クーアにしてみれば馴染みのある物でも、ボク達にしてみれば目新しい。

電話の原理は分らないが、とりあえずなにやら便利そうだというのは理解できた。

と、そうこうしているうちに、クーアが再び電話と会話を始めた。

「…もしもし? フレイクか?

 ……久しぶりだな、3年半ぶりくらいか?

 ………ああ、元気だよ。 お前は? ……そうか。

 ……うん、ちょっとお前等に頼みたいことがあってさ。

 …ああ。 今ホームにお前以外に誰がいる?

 ………そうか。 じゃあ2人にこのあと3ヶ月間、なにか予定がないか聞いてくれ。

 もし予定がないなら、クォントのオレの部屋に来てほしいんだ。

 …お前はどうだ? ……じゃあお前も来てくれ。

 …………こっちに来てから話すよ。

 それじゃ、またあとでな」

話がすんだのか、クーアが電話を元に戻す。

「とりあえず1人は確実につかまったか。

 3人だからあと2人、あいつ等の予定が空いてるといいんだけど……」

独り言を発し、こちらに歩いてくるクーア。

しかし空いている椅子には座らず、テーブルの脇に立つと、

「オレはちょっとこれから試験の申込用紙を貰ってくる。

 オレのいない間に仲間がここに来るかもしれないから、来たら部屋に入れてやってくれ。

 オレが出てくと、玄関の鍵がかかるようになってるからさ」

それだけ告げて、リビングを出て行ってしまった。

取り残されたボク達は、キョトンとしてその場に座りつくし、それぞれ黙り込む。

いったい、どんな人達が来るのだろうか?

クーアの仲間というくらいだから、悪い人達ではないだろうが、初めて会う人達だけに緊張する。

そばにクーアがいてくれれば、その人達の話が聞けて幾分気も楽になるのだろうが。

と、そんなことを考えていると、

ピンポーン!

聞きなれない音が部屋中に響いた。

ボク達3人は一斉に音の出所を探る。

その間も、音は何度も鳴り続けている。

「……これって、ひょっとしてクーアの仲間が来たんじゃねぇのか?」

向かいに座っているシーザーが、辺りをキョロキョロしながら思いついたように言った。

随分と早い気もするが、もしそうならば玄関の鍵を開けてやらなければならない。

「それじゃあ、僕、ちょっと見てきますね」

そう言ったアーサーは、立ち上がるとリビングを出て玄関へと向かった。

振り返り、アーサーが玄関に向かうのを目で追う。

アーサーが玄関に着くまでの間も、音は鳴りやまない。

それどころか、一層激しく鳴り続けていた。

やがて、音が鳴りやむと、玄関の方でなにやら声が聞こえた。

ややあって、こちらに誰かが向かってくる気配が。

そして、

「なんだよ、クーアの奴、いやがらねぇのかよ。

 せっかく会いに来てやったっつぅのによ」

野性味のある声で悪態をつきながらリビングに入ってきたのは、1人の狼獣人だった。

クーアのことを知ってる上に、その口ぶりから、彼がクーアの呼んだ仲間なのだろうか。

歳はクーアと同じくらい。

風貌は粗野で野性的、目つきはお世辞にも良いとは言えない。

というよりも、悪い。

見た目で善人か悪人かを判断するとしたら、前言撤回になってしまうが、間違いなく悪人に分類されるだろう。

しかし、それに相反するかのように、全身を包む被毛は雪を思わせるような純白。

さらに服までも真っ白で、形こそ違えど、クーアの着ている服と同じ金の刺繍が施されている。

ただし、首に巻かれた首輪だけは黒。

狼獣人はひとしきりリビング内を見回すと、クーアが出した椅子に勝手に腰掛けた。

真隣りに座っていたボクは、呆気にとられて狼獣人を見つめる。

シーザーも目をしばたかせながら狼獣人を見つめていた。

と、不意に狼獣人がボクの方を見て口を開いた。

「ところで、オメェ等誰?

 なんでクーアの部屋にいるんだ?」

「あ……え〜と……」

ボクが答え淀んでいると、

「あ〜、なんとなく分かったから全部説明しなくていいや」

狼獣人が遮るように言った。

まだなにも説明していないのに、なにが分かったのだろうか。

「アレだろ? レンジャーになりにきたんだろ?」

疑問に思うボクの心を読んだかのように、ニヤッと笑って狼獣人が言葉を続ける。

「ま、今に始まったことじゃねぇしな」

含みのある言葉を放ち、狼獣人が続ける。

「で、クーアはどこだ?」

「今さっき、レンジャーの申込用紙を取りに出ていきました」

ボクが答えようとする前に、リビングに戻ってきたアーサーが代わりに答えた。

「ふ〜ん、それじゃあと30分はかかんな。

 仕方ねぇ、待つか」

狼獣人は面倒そうに息をつくと、足を組んで椅子の背もたれにもたれかかった。

狼獣人が黙ってしまったことで、部屋に沈黙が訪れる。

ボク達3人だけなら、たわいもない話に花を咲かせることもできるのだが、初対面の人物、それも歳が大きく離れた人物が1人そこに加わると、途端に会話しづらくなる。

それは、シーザーもアーサーも同じようで、なんとも気詰まりな空気が部屋に広がった。

といっても、それを感じているのはボク達3人だけで、狼獣人は気にした風もなく、もたれた椅子をギシギシと揺らしていた。

なんとか会話を、と思っていた矢先、

「あ、そういや」

狼獣人が思い出したかのように口を開いた。

「まだ名前言ってねぇし、聞いてもなかったな。

 オレはケルカってんだ。 オメェ等は?」

「あ……っと、ボクはジークです。

 それであっちがシーザーとアーサー」

「ふ〜ん、ジークにシーザーにアーサーね」

ボク達の名前を声に出して確認し、値踏みするかのようにボク達1人1人を見回すケルカ。

先程、クーアが電話で話していた人物とは名前が違う。

とすると、ケルカはクーアが言っていた2人のうちの1人なのだろうか。

ともあれ、会話のきっかけを得たボクは、これ幸いにとケルカに話しかける。

「あの、ケルカさんは――」

「呼び捨て敬語なしで構わねぇぜ」

「え? あ、はい。

 えっと、ケルカ……は、クーアの仲間なんですか?

 じゃなくて、仲間なの?」

言い直したボクの問いに、ケルカがうなずき答える。

「ああ、仲間だぜ。

 つっても、随分と一緒に旅してねぇけどな」

「あの、いいですか?」

今度はアーサーが尋ねる。

「クーアの仲間の人は何人いるんですか?」

「んあ? オレ入れて5人だ。

 もう1人、あとでここに来ることになってる。

 それがどうかしたのか?」

「いえ、さっきクーアが電話で連絡を取っていた人とは名前が違うなと思って」

「電話? 誰かと連絡取ってたのか?」

「ええ、フレイクという人と」

「フレイクか。 こっち来んのかな?」

「来るみたいです。

 あと、ほかにも2人、ひょっとしたら来るかもしれないです」

「へ〜。 ってこたぁ久しぶりに全員集合するかもしれねぇってことか。

 何年ぶりだ?」

懐かしげに呟き、微笑むケルカ。

その時、

ピンポーン!

再び耳につく音が部屋に響き渡った。

「お、来たかな?」

音を聞いたケルカが立ち上がり、玄関へと向かう。

先程、ケルカが来た時と同じように、玄関でやり取りをしている声がかすかに聞こえ、しばらくして、ケルカとここを訪れてきた人物がリビングへと姿を現した。

ケルカと共にリビングへとやってきた人物は3人。

1人は背の高い、白い羽毛を持った鷲鳥人。

色味を抑えたピシッとした衣服を身に纏い、鋭い眼光をこちらに向けている。

もう1人は長い白髪を背に垂らした、尖った耳を持った精族の女性。

ゆったりとした淡い色のローブに身を包み、色白な顔に柔和な表情を浮かべている。

最後は白い滑らかな肌を持った小さな竜。

首に金の刺繍が施された白いスカーフを巻き付け、鷲鳥人の肩に止まっている。

おそらくこの3人がクーアが呼んだ仲間なのだろう。

「子供?」

鷲鳥人が鋭い眼差しでボク達を見ながら呟く。

「ああ、レンジャーにするためにクーアが連れてきたらしいぜ」

実に簡潔なケルカの説明。

その説明に、すべてを察したように精族の女性が口を開く。

「なるほど、そういうことですか。

 つまり私達は、彼等がレンジャーになるためのお手伝いをすればいいということですね?」

「まぁ、多分そうだろうね〜」

精族の女性の言葉に、小竜が相槌を打つ。

「クーアは等の申込用紙取りに行ってていねぇらしい。

 しばらく戻って来ねぇだろうから、戻ってきたら聞いてみな。

 ……そうそう、あとでワッズも来るぜ。

 今日までオレと一緒に仕事してたからな」

「では、久しぶりに全員揃う、というわけですか。

 それにしては随分と殺風景なお部屋。

 せっかく全員揃うのですし、新しいお仲間も加わるのですから、少しお部屋も飾り付けなければ」

「おいおい、勝手にそんなことしていいのかよ」

「構わないでしょう。

 クーアはそんなことで怒ったりはしませんよ。

 では、失礼」

ケルカとのやり取りを終え、精族の女性が一言断ると、急に体が椅子から1cm程浮き上がった。

周りを見れば、ボクを含めた全員が、少し宙に浮いている。

精族の女性は全員が浮き上がったことを確認すると、優雅なしぐさで両手を左右に開いた。

直後、部屋の風景が一変。

座っていた椅子は座り心地の良さそうな布張りのソファに変わり、テーブルは艶のあるダークブラウンの物に。

テーブルの上には細かな刺繍の施されたテーブルクロスが敷かれ、その中央には本物と見間違えるような造花の飾られた花瓶が。

他にも、床には絨毯、窓にはカーテン、チェストやシェルフ等の家具は壁際に、むき出しの壁にはタペストリーや額入りの絵が飾られ、殺風景なリビングは一変、一瞬で高級宿の一室のように変化した。

「とりあえず、こんなところでしょうか。

 あとで他のお部屋もテラスも飾り付けましょう」

女性が一息つくと、ボクの体はフワリとソファの上に降り、そのまま程よくソファに沈み込んだ。

向かいを見ると、シーザーとアーサーもソファに着地している。

「さて、それではクーアが戻ってくるまでに自己紹介を済ませておきましょう。

 私はミラと申します。 どうぞよろしく」

優美ともいえる所作で女性、ミラが一礼する。

「アルファスだ」

「オイラはフレイクだよ。 よろしくね〜」

実に簡潔な紹介をしたのは鷲鳥人の男性、軽い口調で言ったのはその肩に止まっていた小竜だ。

アルファスがソファに腰掛けると、フレイクもアルファスの肩からソファの上に降り、テーブルに両手を掛けてボクらの方に目を向け、言う。

「で、キミ達は?」

「ボクはジークです」

フレイクにうながされ、まずボクが答える。

次いで、

「……シーザー」

小さな声でシーザーが、

「アーサーです。 よろしくお願いします」

丁寧な言葉でアーサーが答えた。

(ん?)

どうもシーザーの様子がおかしい。

いつもの様子とは打って変わって、静かで声も小さい。

そういえば、ケルカが来てから今まで、さほど時間が経っていないとはいえ、一言も発していない。

「どうしたの?」

気になったボクは、小声でシーザーに尋ねる。

「……別に」

シーザーは同じく小声で、ぶっきらぼうに答えた。

その声は、どことなく出会ったばかりの頃のシーザーを思い出させた。

出会ってから今までの間、ボクとアーサー、そしてクーア以外の人間とはほとんど接触がなかったために気付かなかったが、どうやらシーザーは人見知りをするタイプらしい。

反対に、アーサーは気負った様子もなく、いつもと同じ調子だ。

ボクもどうやらアーサーと同じで、初対面の人間とも普通に話せるタイプのようだ。

そのことでシーザーを少しからかってやりたい気もしたが、初対面の人達の前でそうするのはさすがにはばかられる。

ふと気付くと、どこから取り出したのか、ミラが人数分の紅茶を淹れていた。

目の前に差し出された紅茶を、これまたどこかから用意された砂糖で味を整え、ひとすすり。

ほんのりとした甘味と風味が口いっぱいに広がる。

「はぁ……」

それは思わずため息がでるほど、今まで飲んだどの紅茶よりもおいしかった。

「お口に合いませんでした?」

ボクのため息をまずかったためと勘違いしたのか、ミラが気遣わしげに尋ねてきた。

「あ、いやそうじゃないです。

 おいしかったですよ」

ボクが慌てて否定すると、ミラはニコリと微笑んでアーサーの隣に座り、そしてそのまま、会話をしていたケルカ達の輪に加わった。

いつの間にかアーサーも会話の輪の中に入っている。

会話に入りそびれた感があるボクは、その様子を横から眺めていた。

と、向かいからカチャリというティーカップを置く音が聞こえ、そちらに目をやる。

見れば、シーザーがティーカップを置き、ソファから立ち上がるところだった。

シーザーがなにも言わず、そのままリビングを出て行くのを見て、気になったボクは彼のあとを追った。

しかし、遅れてリビングを出たのでシーザーの姿を見失ってしまった。

とりあえず手当たり次第に部屋を回ってシーザーを探す。

1階の部屋をすべて回ったが見つからず、2階に上がってまた部屋を回る。

「あ、いた」

シーザーを見つけたのは、2階の露天風呂のあるテラスだった。

テラスの縁、柵のように上に突き出た岩に腰掛け、シーザーは雲海を見つめていた。

「どうしたの?」

テラスに出て声をかける。

シーザーはこちらを振り返り、しばらくボクを見つめて、また雲海に目を向ける。

「らしくないじゃん、黙っちゃってさ。

 結構人見知りするんだね、お前。

 普段はあんなにうるさいのに」

「…………」

(あれ? 言い返してこない)

普段なら二言三言反論がくるところだが、意外にも返ってきたのは沈黙だった。

予想外の展開に押し黙るボク。

すると、こちらを見ないまま、シーザーが口を開いた。

「……人が多いとさ、なんか昔を思い出しちまうんだよ」

「昔?」

「うん。 お前等と会う前の」

そう言ってシーザーは左腕をさする。

さすっているのは、野盗だったころの紋様が入っているところ。

シーザーにとっては、消すことができない苦い記憶を強く思い起こさせるものが刻まれているところだ。

ボクはシーザーの近くの岩に腰掛け、続きを待った。

「……あの頃は、仲間が騒いでてもオレ1人仲間外れでさ……なんか思い出しちまった」

「そっか……」

どう言葉を掛けていいか分からず、ボクは再び黙り込む。

珍しく感傷的になっているシーザーを慰める言葉を探すが、うまい言葉が見つからない。

しばらく考えたあと、ボクは口を開いた。

「ごめん」

「? なにが?」

「こんな時、クーアならなにかいい慰めの言葉でも言えるんだろうけど、ボクじゃ無理みたい」

「……別にいいよ」

「でも……」

「いいって」

「…………」

「…………」

3度目の沈黙。

階下からの会話の声も、眼前の風景からの音も聞こえぬ無音の中、ボクとシーザーは雲海を眺め続けた。

どのくらいそうして雲海を眺めていただろうか。

不意にシーザーが話し掛けてきた。

「よかったのか?」

「?」

「レンジャーになることだよ」

「どういうこと?」

「……オレがレンジャーになるって言ったから、つられて『なる』って言っちまったんじゃねぇかと思ってさ」

思わぬことを言われ、キョトンとしてシーザーを見つめるボク。

それに気付いたシーザーが、

「な、なんだよっ」

「いや、なんかお前からそんなボクを気遣うような言葉が出るなんて、意外だったから」

「別に気遣ってねぇよ!

 ……ただ、オレにつられて、なりたくもないものになるって言わせちまってたら悪ぃと思ったからさ」

「……それを気遣ってるって言うんだよ?」

「う……」

「ふふふ」

言い淀んでひるむシーザーが微笑ましく思え、思わずボクは笑ってしまう。

ガラにもないことを言ったことを指摘されたことか、それとも気遣っていることを指摘されたことか、あるいはその両方か、シーザーはどうやら恥ずかしがっているらしく、フンッと鼻を鳴らして顔をそむけてしまった。

「別にシーザーにつられてレンジャーになりたいって言ったわけじゃないから気にしなくていいよ。

 決めたのはボク自身なんだしさ」

「……そっか?」

「うん」

「そっか」

「うん」

少し安心したような表情を浮かべ、シーザーは再び雲海に目をやった。

ボクもつられて雲海を見つめる。

言った言葉は嘘でも気休めでもない。

確かにクーアにレンジャーになることを薦められた時には事の重要さから逡巡した。

しかし、危険性と見返りを天秤にかけても、見返りが優っているように思えたし、自分の力を活かせる場でもあるように思えた。

なによりクーアが薦めてくれた仕事、そしてクーアが就いている仕事だということが大きい。

結局のところ、どう考えたとしてもボクはレンジャーになることを望んだと思う。

「……なれんのかな、レンジャーに」

遠くを見つめながらシーザーが独り言のように言った。

「不安?」

「……ちょっとな」

「頑張り次第でなれるってクーアが言ってたじゃない?

 だから頑張ればなれるよ」

「……だな」

「ホントに今日はらしくないね」

「……うるせぇ」

静かに悪態をつくシーザー。

その右手はまだ左腕をさすっている。

「…………違うよ」

「……?」

「下にいる人達はクーアの仲間だ。

 お前の昔の仲間とは違うよ」

「…………」

「だから…………あ〜、やっぱりうまく言えないや」

言葉が出てこないのがなんとももどかしい。

しかしそれでもシーザーは、

「……ありがとな」

そう言って左手をさするのをやめた。

「えへへ」

シーザーの礼の言葉に、ボクが照れ笑いを浮かべたちょうどその時、

「ああ、ここにいたんですか」

後ろからアーサーの声がかかった。

「クーアが戻ってきましたよ。

 今リビングにいます」

「うん、分かった。 今行くよ」

答え、シーザーをうながしてアーサーと共にリビングへと向かう。

リビングに戻ると、そこにはクーアと見知らぬ人族の青年が立っていた。

人族の青年はクーア・ケルカ同様、金の刺繍が施された真っ白な服を纏っている。

髪と眉の色は白、瞳の色は金色と、これまたクーアと同じだ。

少し気弱そうな印象を受ける青年は、ボク達に気付くとニコリと笑い、

「こんにちは、初めまして。

 ボクはワッズ。 よろしく」

軽く会釈をして自己紹介をした。

ボク達もつられるように、それぞれに自己紹介を済ませる。

「待たせたな。 もうお互いに自己紹介は済んだのか?」

ボク達とフレイク達を交互に見て言うクーア。

ボクがうなずいて答えると、

「そうか、なら本題に入ろうか」

言って、全員が見渡せる、テーブルの横に移動した。

ボク達3人とワッズはそれぞれソファに腰掛ける。

ボク達が座ったのを確認すると、クーアはフレイク達を見渡して口を開いた。

「大体察してくれてるとは思うが、一応言っておくな。

 今日来てもらったのは他でもない、この子等3人がレンジャーになるのに協力してもらいたいんだ。

 フレイクは大丈夫として、アルファスとミラはどうだ?

 来てくれたってことは、大丈夫なのか?」

尋ねるクーアに、アルファスとミラが答える。

「俺はかまわん」

「私もかまいません」

「ありがとう、助かるよ。

 で、ケルカとワッズはどうする?」

ケルカとワッズに目をやり、クーアが尋ねる。

するとケルカは小さく肩をすくめ、

「協力してやりてぇのは山々なんだけどよ」

「ボク等2人、今回の試験の試験官を頼まれてるんだよ。

 筆記になるか実技になるか、まだ分からないけどね。

 もし筆記の試験官だったら、試験を受ける人間に直接教えるわけにはいかないでしょ?

 だから今回はちょっと協力できないかも」

ワッズがすまなそうに言った。

「そうか……なら仕方ないな。

 じゃあ、フレイクとアルファスとミラ、3人でこの子等を見てやってくれ」

「クーアはどうすんの?」

フレイクが尋ねる。

「オレは少し仕事をこなすよ。

 しばらく空けてたから、少しは働かないと」

「え? クーアはいないのか?」

シーザーが焦ったような口調でクーアに尋ねた。

てっきりクーアも教えてくれるものと思っていたボクも、同様に思っていたのかアーサーも、クーアを見つめて目で尋ねる。

「いや、ずっといないわけじゃない。

 できるかぎりオレも教えにくるさ」

ボク達が不安そうに見えたのか、安心させるような口調でクーアが答えた。

そして全員を見回し、

「じゃあ、そういうことで、フレイク、アルファス、ミラ、頼む。

 それとケルカ、ワッズ、ちょっと来てくれ」

「お?」

「うん」

クーアはケルカとワッズを連れてリビングから出ていった。

残されたボク達とフレイク達は向かい合い、

「それじゃ、とりあえず試験までの間、よろしく〜」

軽い口調で言ったフレイクの言葉を皮切りに、口々に『よろしく』を言い合った。

それからクーア達が戻ってくるまでの間、それぞれ会話をしたり、紅茶を飲んだり、いつの間にか用意されていたクッキーやケーキを食べたりして時を過ごした。

先程のシーザーとの会話が気になっていた僕は、それとなくシーザーの様子をうかがっていたが、多少ぎこちないながらも会話に加わっていたことで少し安心することができた。

もっとも、会話と言っても、聞かれたことに答えるだけで、フレイク達に自分から話しかけるようなことはなかったのだが。

とはいえ、リビングを出ていったクーア達が戻ってくるまでは、ものの10分程度。

苦手な状況の中でシーザーがいつもの調子に戻るのにはあまりにも短すぎる時間だったので仕方がないだろう。

「内緒話?」

戻ってきたクーアにフレイクが尋ねる。

「まぁ、そんなところだ」

クーアはあいまいに返事をし、話を続ける。

「明日はこの子等も慣れない環境で疲れてるだろうから休ませるとして、明後日から早速頼む。

 オレは明日から仕事に戻る。

 実技と筆記の割合は2:3で教えてやってくれ」

「オッケー」

「分かった」

「分りました」

フレイク達3人が了解の意を示すと、クーアはうなずき、そして、

「今夜はこの子等の新たな一歩を記念して、バーベキューでもやるか」

オレ達3人を見て笑顔を浮かべて言った。

その言葉を受け、ミラがソファから立ち上がる。

「それはいい考えですね。

 では早速、買い出しに行ってきましょう。

 アルファス、ケルカ、付き合ってくれませんか」

「ああ」

「おう、いいぜ」

アルファス、ケルカが答え、ミラと共にリビングを出ていく。

そのすぐあと、今度はワッズが立ち上がった。

「それじゃあ、ボクは彼等のための参考書なんかをそろえてくるね。

 参考書を買う程度なら問題ないし。

 フレイクも一緒に来るかい?」

「いいよ〜」

ワッズに連れられ、フレイクもリビングを出ていった。

仲間達を見送ったクーアはこちらに向き直り、

「どうだ? あいつ等とうまくやっていけそうか?」

「うん、大丈夫だと思う。

 まだあって間もないから分らないけどね」

「でも、皆さん、とてもいい方みたいですね。

 雰囲気というか、話していてそんな感じを受けました」

「……たぶん平気なんじゃねぇの」

3人とも似た答えを返す。

しかし、シーザーだけは言葉とは裏腹な表情を浮かべ、その右手はしきりに左腕をさすっていた。

トラウマとでも言うべきシーザーの過去の記憶は、ボクの想像以上に根深いものらしい。

アーサーも、左腕をさするシーザーの仕草と、いつもとは違う態度に気付いたようで、怪訝そうな顔をしてシーザーを見つめている。

同様に、シーザーらしからぬ態度に気付いたらしいクーアも、わずかに眉をひそめ、その様子をうかがっていた。

だが、クーアは瞬時にシーザーの心情を見抜いたのか、いつもよりも和らいだ声音で言った。

「……昔のことを今すぐ忘れるのは難しいだろう。

 苦い記憶ほど、しつこく頭にこびり付いて離れないものだからな。

 だが、それだけこびり付いて剥がれない記憶なら、逆に今の状況が、その記憶の中の状況とは違うことにも気付くはずだ」

クーアが言葉を切る。

クーアを見つめるシーザーの、左腕をさする動きが止まった。

微動だにしないまま、2人が見つめ合うことしばらく。

先に動いたのはクーアだった。

「乗り越えてみろよ。

 強くなりたいんだろ?」

不敵、とも形容できるような笑みをシーザーに向け、言う。

言われたシーザーは、しばらくの間、目を伏せていたが、やがて再びクーアを見やると、力強くうなずいた。

その表情には、クーアと同じような、不敵ともとれる笑みが浮かび、そこからは決然とした強い意志を見て取ることができた。

シーザーの事情をよく知っているボクは、その表情を見て安堵し、本人から断片的な話を聞いていただけアーサーも、クーアの話がなにについて語られているのかを察したようだ。

胸のつかえが取れたからか、それともそれを乗り越えたからか、シーザーはひとつ大きな伸びをすると、

「あ〜、なんか腹減ったな」

テーブルの上のクッキーやケーキをバクバクと食べ始めた。

クーアはその様子を見て微笑む。

「そうだな。 今日の夜は腹いっぱい食べるといい」

 

 

その夜、テラスではバーベキューが行われ、ボク達は大いに飲み、食べ、騒いだ。

明日から始まる、ボク達の新たな一歩を祝って。