レンジャー試験に向けての実技・座学が一段落して2日。
残りの日数は、これまでに学んできたことの復習に費やすこととなったのだが、そのほとんどを座学の復習に費やすこととなった。
大人達から全会一致で実技に関しては大丈夫だろうという太鼓判を押された為の判断である。
そこで、ほとんど1日中、部屋にこもって机と向かい合っていたわけだが、案の定、そんな状況にシーザーが耐えられるはずもなく、2日目にして駄々をこね始めた。
曰く、『ずっと座ってたら体がなまる』とのこと。
たかだか2日で体がなまるはずがない、ということをボクとアーサーが諭しても、シーザーは一向に聞く耳を持たず喚き立てるだけだった。
とはいえ、気持ちは分からないでもない。
ずっと椅子に座って机に向かい続けるのは、それはそれで疲れるものがあった。
体を動かすことによる疲れとは別種の疲れだ。
長時間、同じ体勢でいるので、体が固まる。
それを指して『体がなまる』と表現するのは、あながち間違ったことでもないだろう。
しかし、ボクもアーサーも分かっていた。
要するにシーザーは、勉強をするのが嫌なのだ。
体がなまるというのは、それを遠回しに訴えているにすぎない。
だが、試験までは間がない。
この際、詰め込みでも構わないから、シーザーには勉強に励んでほしい。
試験までの残り数日の間で行った勉強で合否が分かれる可能性も、特にシーザーの場合は、大いにあり得る。
試験を受けるからには、3人揃って合格したいというのが、ボクの望みだ。
それはアーサーも同じだろうし、おそらくはシーザーも同じだろう。
その為には、何としてもシーザーには勉強をしてもらわなければならない。
ブツブツと、誰にともなく文句を言い続けるシーザーを見ながら、どうしたものかと思案する。
いっそのこと大人達に訴えて諭してもらうか、でなければ叱ってもらうか。
そんなことを考えていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。
振り向くと、ドアが開き、アルファスが顔を覗かせた。
アルファスの顔を見た途端、シーザーが悪態をつくのをやめ、反対に、アーサーはアルファスに向かって、困った表情を浮かべ、
「シーザーが全然勉強してくれません」
と、シーザーを一瞥しながら訴えた。
すかさずシーザーがアーサーを睨み付けるが、アーサーは気付いていないのか意に介していないのか、アルファスを見たままだ。
そして、訴えられたアルファスは、シーザーをチラリと見やり、
「試験まで間がないぞ。
復習だけでも、しっかりしておけ」
と、言葉みじかに諭した。
うなだれるシーザー。
そんなシーザーに構わず、アルファスは続ける。
「クーアが帰ってきた。
今、下にいる」
それだけ告げると、アルファスはドアを閉めて去っていってしまった。
下に来い、ということなのだろう。
もちろん、言われなくともそうするつもりだ。
ボク達はペンを置いて、足早にリビングに向かった。
リビングに着くと、クーアはソファにもたれてくつろいでいた。
ソファの背もたれにはフレイクが座っている。
「ただいま」
ボク達の姿を見止めたクーアが、笑顔で帰ってきた挨拶をする。
今日から試験が終わるまでの間は、仕事が入ってないそうなので、これからそれまでは毎日一緒にいられるそうだ。
ボク達は、それぞれに迎えの挨拶を返した。
そして、ボクが、これからしばらく一緒にいられることを喜ぶ声をクーアに聞かせるよりも早く、アーサーが口を開いた。
「シーザーが勉強してくれないんです」
アーサーは渋い顔でシーザーを見て、訴えかける。
「おい!」
シーザーが焦った風な声でアーサーに向かって声を荒げるが、先程同様にアーサーは無視。
「シーザー」
クーアの呼び掛けに、ビクリと体を震わせるシーザー。
恐る恐るクーアの方に顔を向けるシーザーに、クーアは困ったような表情で、
「試験まで間がないんだから、もう少ししっかり勉強した方がいいぞ。
復習するだけでも違うから」
と、先程のアルファスと同じことを告げた。
それに合わせたように、キッチンからアルファスが姿を現した。
手には、湯気の立つカップが6つ乗ったトレイを持っており、それをリビングのテーブルに置くと、そのまま彼はシーザーを一瞥する。
ソファの背もたれ上のフレイクも、無言でシーザーを見つめている。
その場の全員の視線が自分に集中していることを察したシーザーは、喉の奥で唸って、視線に溜まりかねたようにうつむいてしまった。
「だって……ずっと座りっぱなしで勉強なんて……つまんねぇもん……」
すねるように呟くシーザーに、クーアは小さなため息をついて、フレイクに視線を投げた。
それに気付いたフレイクは、首を傾げて考え込む素振りを見せ、少しして、テーブル横で立ったままのアルファスを見上げた。
釣られるようにクーアもアルファスを見上げると、アルファスはトレイの上からカップを取り、一すすりし、瞑目、ややあって、自分に視線を向けているクーアに向かって言った。
「実技はもとより、筆記もおおむね問題はないだろう。
教えるべきことは教えた。
それが半分でも身に付いていれば、試験に落ちることはない。
だが、実際のところ、どれだけ身に付いているかは、実際に試験の時になってみないことには分からん。
だからこそ、万全を期して復習はすべきだと思うが」
フレイクもアルファスの意見に首を縦に振って賛同する。
再び、大人3人の視線が、シーザーに向けられた。
シーザーは、うつむいたまま、チラチラと上目遣いに3人の方を見る。
「だそうですよ。
もっと真面目に勉強しましょうよ」
助け舟を得たりとばかりにアーサーが畳み掛ける。
そんなアーサーを、シーザーはキッと睨み付けるが、すぐさましおしおとうなだれてしまった。
(そこまで勉強するのが嫌なのか……)
ここまで勉強を嫌がる意思の固さは、ある意味で称賛すべきなのかもしれないと、呆れ半ばに思っていると、
「……とりあえず、過去問でもやらせてみようか?」
いつの間にかテーブルの上に移動して、トレイの上からカップを取り、すすっていたフレイクが、提案した。
「何だ、まだ過去問やらせてなかったのか」
と、意外そうな声でクーア。
「最後の締めにと、思ってたんだ。
とりあえず明日までに用意しとこうか?」
クーアに対して答え、アルファスに対して問い掛けるフレイク。
アルファスは1つうなずいて、それに応えた。
「実際と同じ予定でやると、2日がかりになるな」
カップを手に取り、クーアが呟く。
今年のレンジャー試験は、5日間の予定で行われる。
まず2日間を掛けて筆記試験が行われ、その後3日間、実技試験が続く。
実技試験の方が日数が長いのは、一斉に試験を受けられる人数が実技試験の方が少なく、試験に時間が掛かる為だ。
実技試験の日数は年によって異なり、受験者数によって1日前後変動するらしい。
今のところ、ボク達が3日間のどの日になるかは分かっていないが、たとえ1日2日前後したところで問題はないだろう。
そして、今問題になっている筆記試験の方だが、これは全受験者が一斉に行える為、毎年2日間の予定となっている。
1日目が生命学、魔法・魔術学、技法・技術学で、2日目が一般教養と選択A・Bだ。
両日とも、600問ずつの計1200問もの問題を解かなくてはならない。
たしかに1日ですべてを解くのは難しいだろう。
「2日もやるのか〜……」
うんざりしたようにシーザーが呟くと、クーアが苦笑いを浮かべて言う。
「2日もって……お前、本番でも同じ日程でやるんだぞ?
しかも、そのあとに実技があるんだからな」
「そりゃ知ってるけどさ……それに実技はいいんだよ。
オレ、体動かすの好きだし。
座って勉強するのが嫌なの」
「……まぁ、いい。 とりあえず、試験がどんなものかの感触をつかむのにもちょうどいいし、明日、明後日と過去問をやってみろ」
「うぇ〜……」
どこまでも嫌がるシーザーに、クーアは大きくため息をつき、呆れ交じりの笑みと共に一言付け加えた。
「もし、過去問やって合格点に達してたら、1つだけおねだり聞いてやるから」
それを聞いた途端、シーザーが目を輝かせる。
「マジで? 約束だぜ? 絶対だぜ?」
念を押され、クーアは少し考える風を見せてから、
「ま、できる範囲のことでなら、だな」
と、やや気弱に答えた。
それを見たフレイクは、
「軽はずみな約束しちゃって」
と、クーアを半眼で一瞥し、アルファスはため息をついた。
2人の様子とシーザーの目の輝きを見たクーアは、決まりが悪そうに頭の後ろを掻いていた。
翌日。
昨日の言葉通り、フレイクが過去問――去年の筆記試験の問題――を持ってきて、ボク達はそれぞれ別の部屋で、大人達1人付き添いのもと、模擬試験を行うことになった。
科目は本番同様の順番で、2日目の選択A・Bは、ボクは魔法・魔術学と語学、シーザーは技法・技術学と史学、アーサーは武具学と生命学だ。
本番と同じように、1日目は9時半から始まり、11時半までが生命学。
それから1時間の昼休みを取って、12時半から再開し、14時半までが魔法・魔術学、そこから30分の休憩ののち、15時から17時までが技法・技術学となっている。
2日目は1日目と同じく9時半から11時半までの時間で選択A。
1時間の昼休みののちに12時半から14時半まで選択Bを行い、30分の休憩をはさんで15時から18時までが一般教養だ。
一般教養は、問題量が多いので二分され、16時半から10分の休憩時間がある。
問題数からいえば、かなり時間がかつかつな気もするが、クーア曰く、頭を捻るような難しい問題は、ほぼ出ないということらしい。
解き方としては、少し考えて答えが出ない問題があったら、その問題は飛ばして、答えが分かる別の問題を解き、時間が余ったら、分からなかった問題をじっくり考えるといいそうだ。
フレイクが言うには、試験はマークシート式なので、分からない問題は当てずっぽうで適当に潰していけばいいとか。
たしかに、何も書かずにおくよりは、その方がましだろう。
そんなこんなで、クーア達から試験のアドバイスをもらい、本番前の模擬試験が始まった。
1日目。
模擬試験とはいえ、初めてのことなので緊張して中々頭が回らず、思ったように答えが出せずに終了。
2日目。
少しだけ慣れたのか、それとも1日目の出来の悪さで開き直れたのか、1日目よりは頭が回転し、割と満足のいく結果となり終了。
模擬試験を終えて翌日の午前。
クーアがボク達をダイニングに集めた。
模擬試験の結果発表の為だ。
部屋には、フレイクとアルファスの姿もあった。
ボク達が椅子に座ると、クーアは手にしたメモ帳に視線を落とす。
緊張の瞬間。
思わせぶりな間を置いて、クーアが口を開いた。
「ジーク、877点、アーサー、963点、シーザー、748点。
……全員、合格だ」
「……ぃよっしゃぁ!!!」
結果を聞いたシーザーが、飛び跳ねて喜びの声を上げた。
アーサーもホッとしたように笑顔を浮かべ、ボクも内心で胸を撫で下ろす。
模擬試験ではあるが、全員が合格点に達した。
しかし、大人3人は少しばかり難しい顔――アルファスはいつも通りの無表情な気もしたが――をしていた。
「シーザー、お前やっぱりもうちょっと頑張った方がいいぞ」
そう言って、クーアは、喜びに飛び跳ねるシーザーをたしなめる。
言われ、ピタリとシーザーの動きが止まった。
一拍間を置いて、
「何でだよ!? ちゃんと合格点超えてるだろ!?」
そう言ってクーアの持つメモを指さし、不満そうに鼻の頭にしわを寄せるシーザー。
たしかに合格点は720点だから、その点数は超えている。
だが、上回った点数は28点、つまりは28問の余裕しかないということだ。
もしも本番で模擬試験よりも難しい問題が出たとしたら、あるいは、ということも充分考えられる差だ。
「そう、28点だけな。
ほかの2人と点数を比べてみろ」
クーアにしては手厳しい言葉を投げ掛けられて、シーザーはボクとアーサーを見比べて小さく呻いた。
「2人は、ちゃんと復習している。
だからこれだけの点数を取れたんだ」
「そりゃ、そうかもしれないけど……でも、こいつ等の方が元々頭がいいし……」
「そう思ってるなら、なおさら復習しないとダメだろう?」
「…………うん」
クーアの諭すような語調の問い掛けに、シーザーは小さく答えた。
2人のやり取りを眺めつつ、ボクは内心ほっとしていた。
ボク自身の点数が思っていたよりも高かったこともあるが、何より、これでシーザーも本試験までの間、しっかり復習してくれるだろうと思ったからだ。
「本試験だと模擬試験なんかよりも緊張するだろうから、頭が回らなくなるかもしれないし、やっぱり復習しといた方がいいよ」
と、フレイクが畳み掛ける。
アルファスはフレイクの言葉に同意するように無言でうなずいた。
大人達3人の総意を感じたのか、シーザーは耳と尻尾を垂れさせて、神妙そうな面持ちでため息をついた。
だが、それも束の間。
不意にピンと耳と尻尾を立たせ、目を輝かせると、その視線をクーアに向け、
「そういや、合格点取ったら、おねだり聞いてやるって言ったよな!?」
と、声を大にして訴えた。
そういえば、そんなようなことを言っていた気がする。
クーアを見ると、失敗した、というような表情をしていた。
「あ〜、まぁ、たしかに言ったけど……」
「ちゃんと合格点取ったぞ!
おねだり聞いてくれるよな!?」
勢い込んで身を乗り出すシーザー。
目を爛々と輝かせるシーザーに気圧されるように、クーアは視線を逸らしてフレイクを見る。
クーアの目は、明らかに助け舟を求めている目だったが、フレイクはこれを顔を逸らすことで拒否。
次いでアルファスに同じ目を向けるも、アルファスはため息を1つつき、
「言動には責任を持て」
と、冷たく突き放した。
「そうだ! アルファスの言う通りだ!
男に二言はないよな!?」
アルファスの言に便乗してシーザーが指を突き付ける。
自らに着き付けられたシーザーの指を見ることしばし。
観念したのか、クーアは大きく息をつくと、両手を挙げた。
「分かった。
何でも可能な限りで聞いてやるよ」
「よっしゃあ!!」
拳を握りしめて喜ぶシーザー。
歓喜するシーザーをよそに、ふとアーサーが冷静な声でクーアに尋ねた。
「おねだりって、シーザーだけなんですか?」
その質問に、目を丸くしてクーアがアーサーを見る。
一瞬の沈黙のあと、一同の視線がアーサーに集中すると、アーサーは決まりが悪そうに、もじもじと身じろぎし、
「いや、ちょっと聞いてみただけです」
と、声を小さくして言った。
小さな吐息をつき、クーアがアーサーに尋ねる。
「アーサーも何かおねだりしたいのか?」
「あっ、いえ、そういうわけじゃ……ただちょっと気になったというか、なんというか……」
「この際だから、おねだりしちゃえば?」
しどろもどろで答えるアーサーに、フレイクが背を押すように言った。
アルファスは肯定とも否定ともつかない視線をアーサーに向けて沈黙している。
「いいぞ、この際だから、な」
笑い含みのクーアの言葉に、アーサーは居住まいを正し、真剣な視線を、クーアと、そしてアルファスに向けた。
「それじゃあ、1つ、お願いします。
クーアとアルファスに戦ってほしいんです」
「戦う?」
おうむ返しに問うクーアは、アルファスに目を向ける。
アルファスもまた、クーアに目を向け、両者は再びアーサーに視線を戻して、続きの言葉をまった。
「ただの、本当にただの好奇心なんですけど、2人共Zクラスのレンジャーでしょう?
だから、その戦いが見てみたいんです」
そこまで言って、アーサーは言葉を切る。
クーアは困ったように頭の後ろを掻き、
「う〜ん、でも、オレとアルファスが本気で戦ったら、余波だけでとんでもないことになるぞ?
それに、とてもじゃないけど、お前に知覚できるような戦いじゃ――」
「もちろん、本気じゃなくてもいいんです」
クーアの言葉を遮って、アーサーが言う。
「僕だけじゃなくて、ジークとシーザーも知覚できるレベルでの戦いでいいんです」
「あー、オレもそれ興味ある!」
アーサーのおねだりに、シーザーが便乗して声をあげた。
「ボクも見てみたいな」
興味を引かれ、ボクもつられて言う。
どちらが強いのか、というわけではなく、熟練のレンジャーがどういった戦い方をするのかが、とても気になる。
「ん〜……って、言ってるけど、どうする? やる?」
ボク達の好奇の視線を受けたクーアは唸り、アルファスに選択を求める。
アルファスはしばし考えるように瞑目し、
「……俺は構わん」
とだけ答えた。
それを受けて、クーアは再度頭の後ろを掻き、
「じゃあ、いいか。
とりあえず、ジークに合わせてレベルは23でやろうか?」
そう、アルファスに尋ねた。
ボクのレベルに合せたのが、ボクが3人の中で一番レベルが低いからだろう。
アルファスは、無言でうなずき、これを了承した。
そうして話がまとまったのを見て、フレイクが興味深げに口を開いた。
「面白そうだな〜。
2人の手合せなんて、すっごく久しぶりな気がする。
オイラも見たいから一緒するよ」
言って、フレイクはクーアの頭の上に飛び乗った。
模擬試験の結果が、思わぬ展開へと発展した。
フレイクの口ぶりからすると、2人が手合せすることなど滅多にないことのようだから、何やら得した気分だ。
このあと、しばしの話し合いの結果、2人共レベルは23相当の状態で、武器はお互いの得意とする物を用い、魔法や技法等は回復系統のみ制限、3分間の手合せということに決まった。
場所は――
くるぶし丈の草が生い茂る草原が見渡す限り続いている。
全周を見渡しても、障害物となるような物は何もなく、ただ緑の大地と青々とした空が広がるだけだ。
そよ風が吹くたびに緑がゆるやかに揺れる草原は、とても平穏な情景であり、草々が擦れ合う音が耳に心地良い。
しかし、そんな草原の様相と相反するように、目の前の2人は静かに闘志を漲らせていた。
2人は向かい合い、視線を交わし合う。
2人共、白地に金の刺繍が施された『エルーシャ』の装束をまとっており、一方は手甲を、一方は2m半程の槍を手にしている。
手甲の方はクーア、槍の方はアルファスだ。
アルファスは相変わらずの無表情だが、クーアの口元には薄い笑みが浮かんでいる。
ただし、双方共に眼光は鋭い。
「こうしてあんたと手合せするのは何年ぶりだっけ?」
「さあな。 少なくとも二桁年ぶりなのはたしかだ」
子供が遊ぶ時のような楽しげな声で問い掛けるクーアに対して、アルファスは落ち着き払った平生通りの声で答えた。
そんな短いやり取りののち、2人は構えた。
アルファスは槍を両手で握り、穂先をクーアに向け、クーアは手甲をアルファスに向けている。
クーアの口元から笑みが消えた。
見守るボク達が固唾を飲むなか、ボク達の前に座っていたフレイクが口を開いた。
「それじゃ、2人共準備いいね?
制限時間は3分。
――始め!」
フレイクの合図のもと、クーアとアルファスの戦いの口火が切られた。
即座に動いたのはアルファス。
両翼を大きく広げて、やや後ろ斜め上に飛び上がると、力強く両翼を羽ばたかせて地面すれすれを一直線にクーアに向かって飛んだ。
レベル23相当であるというのに、その飛行速度はレベル24のシーザーの全速を明らかに超えている。
一方で、クーアはまったく動く様子がなく、手甲を飛行してくるアルファスの方へと向けたままだ。
一息で双方の間合いが詰まり、アルファスの槍の穂先がクーアに届く。
その瞬間、クーアは穂先を手甲で防ぎつつ、体を反転させた。
半円を描く、ほとんど最小の動きと手甲とで、アルファスの槍の軌道をずらす。
アルファスの初撃は不発に終わった。
攻撃を受け流されたアルファスは、そのまま飛行を続け、翼を羽ばたかせて上昇。
上空で身をひるがえすと、今度は急降下しながらクーアに向かって突進していく。
クーアは再びアルファスに向かって手甲を構えた。
距離が狭まり、クーアが初撃をいなしたような動きを見せやいなや、アルファスは『突き』の為に構えていた槍を引き、横薙ぎの『払い』の構えを取った。
接触の瞬間に翼をわずかに動かし、クーアの横をかすめるように飛行、槍を払う。
クーアは槍と体との間に手を潜り込ませ、これを受けた。
同時に、地を蹴り、衝撃を殺す。
攻撃を加えたアルファスは、やはりそのままクーアから離れ、またも上昇して、すぐさまクーアに向かって突進を始めた。
すれ違いざま、再び『払い』の一撃を放ったアルファスに対し、クーアは今度は手甲で受けず、その場に伏してこれをかわした。
そして、アルファスがクーアから距離を取る。
察するに、アルファスはヒットアンドアウェイの戦法を取っているようだ。
スピードファイターのアルファスにとっては、速度を活かせる理にかなった戦法だ。
アルファスが攻撃をし、クーアがそれを手甲で防ぎ、あるいは回避する。
そんな攻防が幾度か続いて攻防が膠着したかに思えた時、クーアの動きに変化が表れた。
『瞬く暇もあらばこそ――』
魔法の詠唱だ。
『閃火』という低位の攻撃魔法で、使用者の全周放射状に、無数の炎の筋を瞬間的に発生させるというものだ。
範囲は狭く、威力もさほどではないものの、瞬間的に発生する炎の筋は、範囲内にいれば回避することはほぼ不可能といえる。
だが、詠唱の完成よりもアルファスの攻撃の方が早い。
詠唱に気付いたアルファスの飛行速度が上がり、すれ違い様、クーアに向かって鋭い突きを繰り出した。
クーアは、これを手甲と体さばきでかろうじて受け流し、体勢を崩しながらも詠唱を続け、攻撃を防がれたアルファスは、すぐさま上空で折り返し、クーアに向かって飛行する。
『赤条閃き、幾筋刻め』
詠唱が完成した。
と、同時に、クーアに向かっていくアルファスの全身が淡く白い光で包まれ、さらに進行方向に円形の光が出現した。
円形の光は、アルファスの動きに合わせて移動している。
『アーマー』と『シールド』の技術で『閃火』を防ぎつつ、攻撃をするつもりのようだ。
こうなるとクーアの分が悪い。
威力の低い『閃火』では、それらの技術を貫いてダメージを与えることは難しいだろう。
一体どうするつもりなのか。
そう思いながら固唾を飲み、2人の接触の瞬間を見守る。
双方の距離が縮まり、あと数mの所まで接近すると、クーアが『閃火』を行使した。
瞬時に、クーアを中心とした球状の周囲に赤い炎の筋が無数に伸び、複数の炎の筋はアルファスの『シールド』と衝突、また、別の複数の筋は、『シールド』では覆いきれないアルファスの翼を覆った『アーマー』と衝突する。
しかし、ボクの予想通り、『シールド』も『アーマー』も健在のままだった。
無傷のまま、アルファスが強烈な突きを放つ。
だが、そこにクーアの姿はない。
クーアがいたはずの場所を通り過ぎ、アルファスは上空へ舞い上がって、見下ろす。
その瞬間、複数のハンドボール大の光球がアルファスに向かって飛来した。
アルファスは咄嗟に両手を交差させ、それを受ける体勢を取る。
いくつかの光球は『シールド』を砕き、残りの光球が『アーマー』を砕いた。
その2つの技術に守られていたおかげで、アルファスにダメージはない。
が、そこへ、さらにバスケットボール大の光球が襲い掛かった。
光球は、守りを失ったアルファスの交差させた両手に直撃、乾いた音を立てて、彼の体をはね飛ばした。
上空で一回転し、静止したアルファスが見下ろした先には、彼の姿を見上げるクーアの姿があった。
クーアは『閃火』を行使した位置からは動いていない。
離れた位置から見ていたので、ボクには何が起きたのかがよく分かった。
『閃火』が防がれた刹那、アルファスの槍が繰り出されるよりも、ほんのわずか早く、クーアはその場に伏せたのだ。
炎の筋の直撃を受けたせいで、アルファスの視界からは、伏したクーアの姿が見えなかったのだろう。
思わぬ攻撃の不発を受けたアルファスが確認の為に振り返った瞬間を狙って、クーアは複数の光球、『ボール』の技術を放ったのだ。
それによってアルファスの『シールド』と『アーマー』を砕き、さらに追い打ちとして威力を高めた単発の『ボール』を放つ。
元より、『閃火』は攻撃の為ではなく、この為の布石だったに違いない。
「すっげ……」
横でシーザーが呟く。
アーサーもうなずき、ボクもまったく同感だった。
短時間の、しかも戦闘中に、この駆け引き。
とてもボク達に真似できる芸当ではない。
ボク達が呆気にとられていると、
「1分経過〜」
という、フレイクの呑気な声が2人に向けられた。
それを合図にするように、アルファスが地上へと降りてくる。
アルファスが地面へと足を着いた、その途端、クーアが地面を蹴った。
走るクーアの周囲に、複数の『ボール』が付き従うように出現する。
それらはクーアに先行して、アルファス目掛けて飛んでいった。
アルファスは軽やかに跳ねて後退しつつ、飛来してくる『ボール』を槍で打ち落としていく。
打ち落とし方は見事で、単に力任せに叩き落とすのではなく、槍の中心付近を握り、『ボール』が衝突した際に発生する衝撃によって槍を反転させ、穂先と石突を交互に使って『ボール』を打ち落としていった。
言うのは簡単だが、少しでも槍と『ボール』の衝突角度を間違えば、槍はあらぬ方向へと弾かれてしまって、次の『ボール』を打ち落とすことはできないだろう。
アルファスがすべての『ボール』を打ち落とすと同時に、クーアが肉薄する。
あと1歩でクーアの手が届く距離だ。
アルファスが右手1本で槍を持ち、左薙ぎに槍を払う。
それを読んでいたのか、クーアは1歩踏み込みつつ、すれすれで伏してそれをかわし、左の拳をアルファスの腹に目掛けて突き出した。
鈍い音がする、かと思いきや、アルファスは地を蹴って後方へと跳び、ぎりぎりのところで回避に成功した。
それを追って、クーアも走る。
が、クーアが走ろうとした刹那、唐突に彼の右側に白い光の筋が現れた。
「ッ!」
クーアの驚きがこちらに伝わるのと同じくして、光の筋が彼に向かって伸びる。
クーアは右腕を上げてこれを防ぐが、体がわずかに浮き、跳ね飛ばされた。
倒れこそしなかったものの、クーアは大きく体勢を崩す。
光の筋は、アルファスの行使したなんらかの技法なのは間違いない。
その証拠に、アルファスは、体勢を崩したクーアに向かって、まるでそうなることが分かっていたかのように、間髪入れずに槍を突き出して突進している。
アルファスの接近を見て取ったクーアはすぐさま体勢を立て直すが、そこを狙いすましたアルファスの突きが襲う。
狙いは左の肩口。
回避は困難とふんだか、クーアは左手のガードを上げ、手甲を、向かってくる槍の穂先に向けた。
手甲と穂先がぶつかり合い、槍の軌道がずれる。
それはクーアの耳をかすめ、わずかに赤い鮮血を空に散らせた。
飛び散る血を意にも介さず、クーアは左手で槍を押しのけ、右手で柄を掴んでアルファスの追撃を封じると、左手を、柄を掴んだ右手の下をくぐらせて、アルファスへと向けた。
逆手になった左の掌の先に、バスケットボール大の『ボール』が生まれる。
『ボール』の光球とアルファスの距離は1m弱。
槍を掴まれていることもあって、とてもよけられる距離ではない。
『アーマー』の行使も間に合うかどうか。
(当たる!)
そう確信した次の瞬間、あろうことか、アルファスは槍を自分の方へと引き寄せた。
槍を掴んだままのクーアは、当然アルファスの方向へと引っ張られ、それに連動して、『ボール』の光球もまた、アルファスへと引き寄せられる。
光球とアルファスの距離は50cmもない状態になったが、さらに驚いたことに、アルファスは光球に向かって、自分の左翼を被せた。
左翼の先端部分が光球に触れた瞬間、破裂音と共にアルファスの羽根が数枚舞い上がった。
先のクーア同様、回避が不可能と判断して、己の体の中で一番ダメージが薄い翼の、しかも羽根の部分を犠牲にして被害を最小限に食い止めたか。
しかし、ダメージが薄いとはいえ、鳥人にとって翼は飛翔の為に必要な部位。
そこにダメージを負うということは、飛翔が困難になるのではないだろうか。
そんなボクの考えをよそに、戦いは続く。
アルファスは槍を持つ手をしっかりと握り込むと、力任せに槍を振り上げた。
槍を右手で掴んでいたクーアの体が、上方へと引っ張られる。
咄嗟にクーアは手を離すが、アルファスは槍を振り上げた勢いをそのままに、クーアに背を向ける形で体を反転させ、槍の石突を、脇腹の横から後方のクーアに向かって突き出した。
「くっ!」
体勢を崩しているクーアは、焦りの息を吐きつつ、辛くも手甲でこれを防ぐが、突きの勢いに押されて、後ろへ1歩2歩とよろめく。
その隙を見逃さず、アルファスは再度体を反転させ、今度は穂先を向けた鋭い突きをクーアに向かって繰り出した。
が、クーアは無理に体勢を立て直そうとはせずに、よろめき倒れ込むように後転、アルファスの穂先は空を裂くだけにとどまる。
起き上がったクーアが構えを取り、攻防は仕切り直しとなった。
「1分30秒、半分だよ〜」
フレイクが時間を告げる。
2人は睨み合ったまま動かない。
攻撃のタイミングを計っているのか、じりじりと摺り足で動く2人。
膠着状態は10秒程。
寸分の時間差なく、2人は地を蹴った。
先制したのは、長い間合いを制することができる槍を持ったアルファス。
急停止したアルファスは、突進してくるクーアに対し、突きではなく、右斜め下からのすくい上げるような振り上げで攻撃する。
クーアは身を沈めて、すれすれの位置で回避。
そのまま動きを止めず、がら空きになったアルファスの右脇腹に向かって左拳を突き出そうとした。
この攻撃を読んでいたのか、アルファスは即座に槍の石突を突き出し、懐に飛び込んできたクーアの迎撃に移る。
迫る石突に、クーアは攻撃をやめ、半歩後退、目の前を石突が通過すると、再度攻撃に移った。
と、今度はアルファスが後ろへ大きく跳び下がった。
逃すまいと、クーアが追う。
再び迎撃の為にアルファスが槍を構える。
クーアがアルファスの攻撃範囲に入り、アルファスが槍の持ち手を動かした。
刹那、クーアが地面を強く踏み叩いた。
瞬時に、そこを起点として、円形の衝撃波が地面を走る。
地面等の平面上に衝撃波を伝わらせる技法『フラットショック』だ。
2m強の近距離の、しかも足元で発生した衝撃波、さらには攻撃態勢に入っていたこともあって、さすがのアルファスも回避はできなかった。
瞬き程の間で、衝撃波はアルファスの足元に達し、乾いた音を立てて彼の動きをわずかに止めた。
その瞬間を見逃さず、クーアは右の中段蹴りを放った。
クーアの右足が、アルファスの左脇腹にめり込む。
この手合せが始まってから初の攻撃の直撃だ。
アルファスの体が大きく吹き飛ぶ。
その吹き飛びざま、アルファスは槍を投げ飛ばした。
しかし、槍はクーア目掛けて飛んでいくどころか、まったく見当違いな、空へと向かって飛んでいく。
直後、不意に中空で槍が何かに吸い込まれるように先端から消失した。
追い打ちを掛けようとしていたクーアが、はっと息を飲む気配が伝わる。
それと同時に、クーアはその場に身を伏せた。
すると、それまでクーアが立っていたその場所を、背面から飛来した槍が貫いた。
もしもクーアが身を伏せていなければ、胸の位置を貫いていただろうという高さで。
槍技法の1つ、『インペイルメント』。
投擲した槍を任意の場所に転送する技法で、通常は今のように投擲対象の死角へ転送する。
単に投擲した槍を転送するだけの技法ではあるが、投擲対象は転送された槍を視認することが非常に困難なので、回避は難しい。
また、狙う場所によっては一撃必殺にもなりうる、単純ながらも強力な、そして危険な技法だ。
ただの手合せ、それほど危険なことはないだろうと、ボクは半ば高をくくっていたが、存外アルファスは本気のようだった。
アルファスの本気を受けて、クーアの表情が明らかに引き締まる。
一方、狙いを外した槍は、クーアの追い打ちを逃れて体勢を立て直したアルファスの手元へと、寸分の狂いなく戻った。
「あと1分!」
フレイクの声に、アルファスが反応した。
地を這うような走りで、クーアに向かって肉薄すると、槍を真上へと振り上げた。
クーアが身を逸らしてこれをかわすと、アルファスは半歩間合いを詰めて、即座に真下へ振り下ろす攻撃へと移る。
それもかわされると、体を回転させて、槍を横に薙いだ。
身を伏せたクーアの上を槍が通り過ぎると、今度はクーアが間合いを詰めて拳を繰り出す。
だが、アルファスは短く跳び下がり、クーアと一定の距離を置き、攻撃を回避。
そこから息もつかせぬ攻防の応酬が始まった。
攻撃範囲の狭い素手のクーアは距離を詰めようと踏み出し、反対に攻撃範囲の広い槍のアルファスは距離を取ろうと離れる。
アルファスは、軽快なステップで絶えずクーアの周りを動き回って一定の距離を保ち、槍の柄を持つ手の位置を巧みに替えて、斬りや払い等、クーアの接近を拒む最適の攻撃を繰り出していた。
その為、クーアは今一歩攻撃間合いに入ることができずに攻めあぐね、それどころか移動に合わせて放たれるアルファスの槍を防ぐのに手いっぱいの様子だった。
防戦一方のクーアだったが、攻防の合間にその顔を注視すると、口元が動いている。
魔法の詠唱だ。
先の『閃火』の時よりも戦いの場が離れ、かつ小声で詠唱しているのか、何の魔法を行使しようとしているのかは分からない。
すぐそばで攻撃を繰り出しているアルファスには、クーアの詠唱が聞こえているのだろうが、距離を取るなどの魔法に対する対処は見られなかった。
さほど注意を払うような魔法でもないのだろうか。
そう思っていた矢先、違和感を覚えた。
どうもアルファスの攻撃の激しさが増していっている気がする。
逆にクーアは完全に守りの体勢に入っているのか、距離を詰める為の動きを見せていない。
ボクは直感で、クーアがかなり強力な魔法を詠唱しているのだろうと思った。
それこそ、詠唱に気付いたアルファスが、回避行動を取ろうとしても間に合わないような強力な魔法を。
そのことを察したアルファスは、詠唱を中断させようと攻撃速度を上げているのだろう。
しかし、クーアの口の動きは淀みなく、詠唱の妨害ができている様子はない。
通常の攻撃では妨害しきれないと判断したのか、アルファスは後ろに跳び、クーアとの距離を大きくあけた。
そして着地様、槍の穂先で地面に弧を描く。
描かれた弧に青い光がうっすらと滲み、その直後、そこから前方、クーアに向かって、アルファスの身の丈程高さがある波濤が放射状に放たれた。
波濤は、前進するにつれてみるみる高さと幅を増していき、クーアの前に到達する頃には、5mを越える高さと、それに倍する幅になっていた。
水の壁となった波濤を前に、クーアは詠唱を続けたまま、左手を軽く揺らし、大きく振り上げた。
途端、クーアの目の前、波濤が地面と接している部分から上方へと向かって、赤い衝撃波が轟音と共に吹き上がった。
波濤は衝撃波に散らされ、クーアがいる場所だけを綺麗に避けて左右に割れ、地面に打ち付ける。
そして、衝撃波が消える同時に、クーアの口の動きが止まった。
次の瞬間、目の前が真っ白に染まり、間を置かず、鼓膜を突き破らんばかりの轟音が。
「うわあっ!?」
突然の閃光と轟音に、座って観戦していたボクは思わず声を上げて目蓋を閉じ、後ろに仰け反った。
1秒程、光と音が続き、不意に両方共に途切れる。
とっさに目蓋を閉じたものの、あまりの光の強さに目蓋は用をなさず、耳も麻痺したのか、周囲の音は聞き取れず、ほぼ無音に近い。
目蓋を開き、少しずつ目が元の明るさに順応してくると、目の前には、深さ5m程、直径30m程のいびつな円形の穴が、大地に穿たれていた。
抉れた部分の縁は、ほぼ垂直な崖になっているので、クレーターというよりは、パイやタルトを作る時の型のようだと言った方が正しいだろうか。
そんな穴の縁から、底を覗き込むように身を乗り出して、クーアが立っていた。
驚いたことに、左腕の肘のすぐ下辺りには、アルファスの槍が手甲を貫いて突き刺さっており、槍の穂先は完全に貫通しているように見える。
一方でクーアの視線の先、穴の底には、アルファスがいた。
片膝を着き、クーアを見上げているアルファスの体からは、ブスブスと煙が上がっている。
衣服や羽根はボロボロで、まさに満身創痍といった感じだ。
「は〜い、終了〜!」
目の前の惨状に似つかわしくない間延びした声で、フレイクが手合せの終わりを告げた。
クーアとアルファスの2人は、その声を聞き付けて、こちらに戻ってくる。
近付いてくるにつれて鮮明になる2人の傷が痛々しい。
「お疲れさん」
フレイクは2人を労い、彼等に向かって大きく口を開いた。
そこから、金色の煌めきを帯びた白い光が放射状に放たれ、2人を包み込む。
光に包まれながら、クーアが腕に突き刺さった槍を無造作に引き抜いた。
やはり槍は腕を貫通しており、2ヶ所の傷口から血が溢れ出る。
しかし、血は瞬く間に収まり、それどころか傷口がみるみるうちに塞がっていく。
その光景を見て、今フレイクが放射しているのが、癒しの力を持った『ブレス』だということが分かった。
クーアの横に立つアルファスを見れば、やはりボロボロだった羽根が、いつの間にやら再生していた。
「どう?」
2人の傷が塞がったのを見て、フレイクが『ブレス』を止めて問い掛ける。
「ん、大丈夫」
槍の刺さっていた腕を動かしながらクーアが答える。
アルファスも両翼を動かしながら頷いて応えた。
「さ、こんなもんで満足か?」
槍をアルファスに手渡しながら、クーアがアーサーに尋ねる。
ポカンとしていたアーサーは、問われて我に返ったようで、
「あ? あ、ええ、はい……」
と、まだ放心したような返事をした。
「何だ、ボーッとして。
お前のレベルなら余裕で知覚できるレベルの手合せだったろ?」
「そうなんですが、やっぱり戦い方が上手いというか、無駄がないというか。
もしも僕が同じレベルで戦ったとしたら、絶対勝てなかっただろうなって思って」
「ん〜、まぁ、いい線はいくと思うけど」
「そりゃそうだよ」
クーアとアーサーのやり取りに割って入ったのはフレイクだった。
フレイクはクーアの頭の上に飛び乗る。
「だって、戦ってる年数が違うもん。
戦い始めてせいぜい数年の人間と、何十年、何百年と戦ってる人間とじゃ、同じレベルだってどうしても差は出るよ。
ほら、よく『年季が違う』とか言うでしょ?
だから、別に気にすることじゃないよ」
フォローになっているのかいないのか分からないフレイクの言葉に、それでもアーサーは納得したようだった。
しかし、実際にその通りだろうとは、ボクも思う。
「さて……と、じゃあ戻るか」
頭の上のフレイクを両手で掴んでクーアが言うと、
「ちょっと待った!」
と、それまでボクの横で黙っていたシーザーが声をあげた。
全員の視線がシーザーに集まる。
「何だ?」
クーアが問うと、シーザーは憮然として言う。
「何だ、じゃねぇよ!
まだオレのおねだりが済んでないだろ!?」
「ん? 今終わったじゃないか。
オレとアルファスの手合せ、見てただろ?」
フレイクを胸の前で抱えながら言うクーア。
「そりゃ、アーサーのおねだりだろ?
オレはまだおねだりしてない!」
「……でも、お前も見たいって言ってたじゃない」
ボクが指摘すると、シーザーは黙ってろとばかりにボクを睨み付けた。
割と無理のあるように感じられるシーザーの発言に、場が、しばし沈黙する。
「……って、言ってるけど?」
沈黙を割ったのは、クーアに抱えられているフレイクだった。
クーアは、自分を見上げるフレイクを見下ろし、それから怒った表情で自分を見つめるシーザーを見つめ、苦笑しながら口を開いた。
「で、何だ、おねだりは?」
その一言に、シーザーは顔を輝かせた。
そして、シーザーは腕を組み、空を見上げる。
「……ひょっとして、考え中?」
ボクの言葉を無視し、シーザーは空を見上げて唸っている。
おねだりが決まっているかのような口ぶりに感じたが、どうやらボクの発言は正しかったらしい。
シーザーは、唸りながら、しきりにあちこちに視線を移し、やがて目の前にできた大穴を注視すると、何か閃いた表情を見せた。
「クーアが使える一番強い技法か魔法、見せてくれ!」
「は?」
シーザーのおねだりに、クーアは意表を突かれたような声を出して目をしばたかせた。
シーザーは畳み掛けるように、目の前の大穴を指さしながら続ける。
「これより強いの、使えるんだろ?
ほら、禁断技法とか、禁断魔法とかさ!
それ、見せてくれよ!」
興奮したようなシーザーの言に、クーアは眉をピクリと動かした。
「……禁技や禁魔がどんなものか、教えたのか?」
フレイクを地面におろし、クーアはフレイクとアルファスを交互に見て、真面目な声音で尋ねた。
「一般に認知されている程度には」
答えたのはアルファスだった。
「同じく」
次いでフレイクも答える。
「そうか……」
と、静かに呟くクーア。
張り詰めたような沈黙が場に降りる。
ただならぬ雰囲気を察したのか、ボクとアーサーはもとより、言い出しのシーザーも黙ってクーアの答えを待った。
ややあって、クーアは大きく息をついた。
「まぁ、いい機会か」
「まさか、見せるの?」
クーアの一言に、驚いたようにフレイクが尋ねる。
アルファスも何か言いたげな視線をクーアに向けた。
2人の反応を見比べつつ、クーアはうなずく。
「『禁断』の二つ名が付けられる意味を知るのもいいだろう。
聞くよりも見た方が理解が早いだろうしな」
「何を使うつもりだ?」
アルファスの問いに、
「……『壊尽』を無制御で」
クーアは一言、呟くように告げた。
名前からして魔法であることは分かる。
が、それを聞いた途端、
「ちょっと!?」
フレイクは非難の声をあげ、アルファスは眉根を寄せ、険しい瞳でクーアを見据えた。
「魔力は限界まで落とす。
お前達がいれば問題ないだろう」
2人の批判的な態度を無視し、クーアは否定を許さない程はっきりとした口調で言った。
その口調の強さに、フレイクとアルファスは二の句を継げず、顔を見合わせて沈黙した。
大人達の緊張したやり取りに、さすがにシーザーも困惑した様子を見せる。
「あ〜、あんまりアレなら、別にまた今度でも……」
「いや、大丈夫だ」
シーザーの呟きに、またもはっきりと言い切るクーア。
「詠唱文まで教える気?」
憮然とした口調でフレイクが尋ねる。
「そのつもりはない。
もっとも、憶えたところで使いようがないだろうがな」
クーアは、答えながらボク達の背後に移動する。
「フレイク、アルファス、子供達を大穴の際まで下がらせてくれ
それと、念の為、子供達に被害がいかないように頼む」
クーアの出した指示に従い、2人はボク達に大穴の際まで行くよう促した。
着いた途端、ボク達子供3人の体が淡く白い光で包まれ、さらに周囲に、半透明な白い光で作られたドーム状の防御膜が現れた。
フレイクとアルファスのどちらが行使したのかは分からないが、『アーマー』と『ドーム』の技術だ。
クーアがこちらを振り返る。
クーアは、そのまま真っ直ぐに歩き続け、大穴から50m程離れた位置で立ち止まっていた。
気付いたアルファスが、うなずいて合図を送ると、クーアもうなずき返して正面に向き直った。
こちらの準備は整った。
背を向けているので分からないが、クーアも『壊尽』の行使に備え、気息を整えているようだ。
その間に、アーサーがアルファスに尋ねる。
「『壊尽』って、どんな魔法ですか?」
「五大禁魔の1つだ」
アルファスの答えは簡潔だったが、簡潔過ぎて具体的にどんな魔法なのかは理解できなかった。
「……見た方が分かりやすい」
ボクの考えを見透かしたように、アルファスは付け加えた。
「始まるよ。
せっかくなんだから、ちゃんと見てて」
クーアを見据えたまま、フレイクが言った。
言われるまま、ボク達はクーアの後姿を食い入るように見つめる。
魔法の行使は、技法とは違って身振り手振りを必要としない。
ただ魔法ごとに定められた詠唱文を唱えるだけだ。
もちろん、詠唱文と唱えるだけでは魔法は発動しない。
魔法には、最低限これだけは行使に必要、とされる魔力と魔法力の値があり、使用者のそれが値に達しており、かつ、その魔法の資質を持っていれば行使する条件は整う。
ただし、あくまで条件が整うだけで、行使する魔法のことをよく理解し、イメージすることができなければ、やはり発動はしない。
例えば、魔法の名や詠唱文を知っているだけでは、魔力と魔法力が足りていても発動させることはできないのだ。
先にクーアが言った『使いようがない』というのは、魔力と魔法力、そして資質のことのみならず、これらのことも指している。
もちろん、魔法の名と詠唱文を知ることも必須だ。
もっとも、これらの特徴の多くは、魔法のみならず、技法や技術、魔術にも当てはまるのだが。
ともあれ、魔法とはそういったものなので、クーアに動きはない。
位置が離れており、さらに『ドーム』で覆われていることもあって、詠唱文すら聞こえてはこない。
だが、それでもクーアから発せられる尋常ならざる気配は感じられた。
見えない何かが迫ってくるような、そんな気配を。
そうして、やがて、目の前の光景に変化が現れた。
クーアの頭上に小さな光塊が現れたのだ。
光塊から無数の短い光の筋が放散され、光塊自体は輝きを増し、肥大していく。
最初はソフトボール大だった光塊がバスケットボール大の大きさになる頃には、輝きは目も眩むほどになっていた。
「よく見ておけ」
アルファスが静かに注意を促す。
その言葉を耳にとらえながら、ボクは一瞬たりとも目を離すことなくクーアの挙動を見つめていた。
それから数拍後、光塊が動いた。
と、クーアが半歩、顔の向きはそのままに、体を横にずらした。
それによって、光塊が、かなりの速さでクーアの視線の先に飛んでいっていることが分かった。
どのくらいの距離を飛んだのか、光塊は徐々に高度を落とし始める。
地面に触れるかどうかという所まで降下した時、閃光がボクの目を貫いた。
次いで起こる大轟音。
閃光にやかれた目を何とかして見開けば、目の前に信じがたい光景が現れていた。
白いドーム状の光が、そこにあった。
一目で、火薬類を用いた爆発とは異なる、『光』を用いた爆発、光爆が作る、特有の爆発造形だと分かった。
本来は球状をしているのだが、地面があるせいでドーム状に見えるのだ。
その大きさたるや、光塊の着弾した場所はかなり遠かったように見えたというのに、光爆の端は、幅はクーアの眼前にまで届きそうな程、高さは見上げる程もある。
その様を、クーアは微動だにせずに見つめていた。
やがて、光爆が霞のように薄れ、消える。
そのあとに現れた光景に、ボクはさらに驚いた。
クレーターだ。
それも尋常でない大きさの。
直径1kmはあろうかという巨大なクレーターが、光爆が起きたあとの大地に残されていた。
爆発の規模に比して、周囲の地面はそのままで、上に生える草々はそよ風に揺れており、光爆が起こる前と変化はない。
これも光爆の特徴で、通常の爆発で起こる衝撃波などは一切発生せず、光の届く範囲だけが影響を受ける。
光は触れた物を消滅させる力を持つので、結果的に目の前のような光景ができあがるというわけだ。
突如として現れたクレーターを前にして、ボク達は言葉を失い、呆けたように口を開いていた。
『ドーム』と『アーマー』が消えると、クーアが踵を返して戻ってきた。
言葉もないボク達を見て、いつものクーアなら笑みを浮かべながら軽口の一言でも言ってくるはずなのだが、今のクーアは極めて真面目な顔付きで説明を始めた。
「今のが『壊尽』の魔法で、効果は見ての通りだな。
これに、『朽亡』、『滅至』、『遠極』、『圧戮』の4つを加えて五大禁魔だ。
ほかにも禁魔はいくつかあるが、この5つは特に効果が高い為から、こう呼ばれる。
何か質問はあるか?
この際だ、答えるぞ?」
静かな口調でそう言ったクーアに対し、ボク達は顔を見合わせた。
まさかこれほどのものとは想像もしていなかったので、いまだに頭が混乱している。
そんな中、しばらくして口を開いたのはシーザーだった。
「あの、さ……オレの聞き間違いじゃなきゃ、さっき魔力は限界まで落とすって言ってたよな?
それって、レベルにすれば1と同じってこと……じゃないよな?」
「いや、1と同じだ。
正確には、同じレベル1でも能力に振り幅はあるが、今回は生まれたての赤ん坊と同じレベルの魔力と思っていい。
生命維持とは無関係な魔力は、筋力や免疫力等と違って、そのレベルまで下げられるからな」
「……それって、言い換えれば、もしも仮に生まれたての赤ん坊が『壊尽』の魔法を行使したとしたら、目の前の……つまり、こういうことになるっていうことですよね?」
尋ねたのはアーサー。
視線はクレーターに向けられている。
「そうなるな」
と、クーアの答えは簡潔だった。
信じがたい答えだが、事ここに至って嘘をつく理由もないし、行使した本人が言っているのだから間違いでもないのだろう。
「じゃあさ、もしもジークかアーサーが同じの使ったらどうなるんだ?」
と、若干興奮した様子を見せつつシーザーが尋ねる。
クーアは後ろのクレーターを見やり、
「……ジークが使えば、直径20km前後の、アーサーが使えば100km前後の、これと同じクレーターができるだろうな」
思案するように顎下を指でなぞりながら答えた。
驚愕の答えだった。
20kmといえば、規模にもよるが、都市2つ3つを合わせた程の広さがあり、ましてや100kmならば、小国1つを丸々飲み込める程で、それは、ボクでさえ都市を、アーサーならば国を、魔法の一撃だけで滅ぼせるということになる。
「すっげぇ……!」
目を輝かせてシーザーが呟く。
そして、好奇心を抑えきれないような嬉々とした表情で、詰め寄るようにクーアに尋ねた。
「ほかの4つはどんな魔法なんだ!?」
「4つとも攻撃魔法だ。
『朽亡』は、ごく一部の防御法以外では防ぎようがない魔法。
通常の防御魔法や防御技法等では、この魔法に対してまったく効果がなく、そのうえ、この魔法で失われた体の部位や体力は、やはり特定の回復法以外では回復できない、五大禁魔の中で最も防ぎ難い魔法だ。
『滅死』は、生命体に確実に死ぬだけのダメージを与える、食らえば回復魔法等の回復方法がない限りは致死率100%の魔法。
生命体にしか効果がないが、その成功率は100%で、たとえはるか格上の相手に使っても成功するうえ、対象となった生命体が生きている限り、その生命体を中心とした一定範囲内にいる生命体に効果が伝染する、五大禁魔の中で最も生命体にとって危険な魔法だ。
『遠極』は、遠くの対象を撃ち抜く魔法。
仮にレベル1の状態であってさえ100km先の対象にまで届き、さらに効果範囲内であり、かつ対象が場所であるならその場所を、生命体であるならその個体を指定するだけで、正確に対象を追い、撃ち抜くことができる、五大禁魔の中で最も射程距離が長い魔法だ。
『圧戮』は……見たことがあるな?
五大禁魔の中で最も破壊力のある魔法で、その破壊力は、ほかのすべての魔法はおろか、すべての魔術や技法を含めても最も威力が高く、発生した力場は任意で動かすことができる。
力場自体はそれほど広くもないが、その特性にも関わらず対象指定ができない。
一歩間違えれば、味方まで巻き込みかねない危険な魔法だ。
そして、今見せた『壊尽』は、五大禁魔の中でもっとも破壊範囲の広い魔法になる」
淡々と説明をするクーア。
聞き終えて、ボクは戦慄した。
一個人が持つには、あまりにも過ぎた力だと感じたからだ。
現に、惨状と言い表しても差し支えない、目の前のこの光景は、それを端的に示していた。
クーアの言によれば、生まれたての赤子が行使してすらこの惨状を作り出せるのだ。
もしもクーアが全力で行使したならば、いったいどれほどの規模の破壊が引き起こされるのか、ボクには想像もできない。
以前、Zクラスのレンジャーは、対抗勢力、主にはコスモスと敵対するカオスに対して、強力な抑止力となっていると、アーサーから聞いた。
それが何の誇張でもない、紛れもない事実であると、この一件でまざまざと認識させられた。
「すっごかったよな〜!」
3つ並んだベッドの、向かって右側のベッド。
その上で体を揺すりながら、シーザーは1人興奮した様子でしゃべり続けていた。
話題は昼間のクーアとアルファスの手合せのことだ。
というより、クーアが見せた禁魔のことと言った方が正確だろう。
あの凄まじい破壊を、シーザーはいたく気に入ったようだった。
向かって左側のベッドでは、アーサーが無言で毛布に包まっている。
ずっと続くシーザーの独り言に、辟易でもしているのだろう。
「うるさいなぁ……」
真ん中のベッドにもぐり込みながらボクが聞こえよがしに呟く。
しかし、その声はシーザーの耳には入っていないらしく、彼は鼻息荒く言葉を続けていた。
正直なところ、ボクは恐ろしかった。
以前にアーサーから、禁書保管室なる場所がこのクォントのどこかにあり、そこには世に出すことを禁じられた書物が収められていると聞いたことがある。
その時は、禁魔の類の記された禁書があれば読んでみたいと好奇心を抱いていたのだが、今ではそんな気持ちは、昼間の『壊尽』の魔法を見て、霧散してしまった。
あれほどの力、人間が持つには過ぎた力だ。
ボクが現状使えるどの魔法でさえ、あの破壊には到底及ばない。
魔法の性質が違うことを考慮しても、あまりにも桁違いだ。
そもそも、同じ魔法という括りに入れてよいものなのかという疑念すらわく。
もっとも、昼間クーアが言っていたように、だからこそ『禁断』の二つ名が付くのだろうが。
昼間の光景を思い出し、小さく身を震わせ、部屋の一角の壁を見る。
視線の先にある壁の向こう側、廊下を隔てた先に部屋には今、禁魔を見せてくれたクーアがいるはずだ。
これまでの仕事の疲れが出てきたのか、珍しくボク達よりも早く部屋に引き上げてしまった。
Zクラスのレンジャーがこなす仕事がどんなものかは、ボクは分からない。
あれほどの力を持つ者に任される仕事なのだから、それは大変な仕事なのだろうと、想像がつくだけだ。
だというのに、ボク達のわがままともいえるおねだりに付き合ってくれたことには、本当に頭が下がる。
ボクが内心で感謝の念を視線の先に送っていると、
「あ〜、オレもあんなのが使えるようになりてぇな〜」
夢見るような口調でシーザーが呟いた。
きっとシーザーは、クーアのボク達に対する気遣いなどには、気付いていないだろう。
能天気なシーザーの様子に呆れると同時に、ボクはその台詞が、少し頭にきた。
いったい何の為に、クーアが禁魔を見せてくれたのか、まったく理解していないように聞こえたからだ。
「使えたところで、あまり使い道がないと思いますよ。
あんなに強い力、向ける先がほとんどないでしょうから」
それまで無言でいたアーサーが、淡々とした口調で言った。
語気に、シーザーの言動をたしなめる色が混ざっているように感じる。
「わっかんねぇぞ?
すっげぇ強いマテリアとかと戦う時に必要になるかもしれねぇじゃん」
「そんな力を使わなければいけないくらい強力なマテリアとは戦わなければいいんです。
戦いを避けることも重要なことですよ」
「向こうが襲ってきて、戦いが避けられなかったらどうするんだよ?」
「その時はその時です。
少なくとも、禁魔や禁技といった類のものは使わないように努めるべきです」
「何でよ?
使えるんだったら、禁魔でも禁技でもドカンと一発ぶっぱなせばいいじゃんよ」
「……昼間、何を見ていたんですか?」
シーザーの無神経な言葉に、アーサーはベッドから上体を起こして、静かに尋ねた。
その表情は険しく、苛ついているのが見て取れた。
ボクを挟んでの2人のやり取りは続く。
「は? 何それ、どういう意味?」
「昼間のあの光景を見て、凄い以外に何も感じなかったのかと聞いているんです」
「すげぇ以外に何を感じろってんだよ。
っていうか、何怒ってんの?」
「怒ってませんよ」
その言葉とは裏腹に、アーサーの表情はますます険しくなっていた。
(これは……ちょっとまずいかも)
珍しいアーサーの怒りの表情に、内心で慌てながら、どう執り成そうかと考えるボク。
しかし、ボクの内心の焦りをよそに、2人のやり取りはなおも続く。
「恐ろしいとは思わなかったんですか?」
「別に、むしろ血が騒いだね」
って、何?
ひょっとして、お前、怖かったわけ?」
「恐ろしいに決まっているでしょう!
あの力の強大さが理解できなかったんですか!?」
「分かったに決まってんじゃねぇかよ!
だから、すげぇって、何度も言ってんじゃねぇか!」
「違う、そうじゃない!
クーアがなぜ禁魔を見せたのか、その理由も分からないんですか!?」
「知らねぇよ、バカ!!」
このシーザーの一言で、アーサーは完全に頭に血が昇ったようだった。
「――ッ! この――」
ベッドの上に立ち上がると、傲然とシーザーを見下ろし、飛び掛かろうという体勢を見せる。
「ちょっと落ち着いて!」
すんでのところで、ボクがアーサーにすがりつくようにしがみ付き、シーザーへの突進を抑えた。
「どうしていつもそう短絡的なんですか!
もう少し物を考えてください!」
「んだと!?」
「クーアが禁魔を見せてくれたのは、その危険性を僕達に教える為だと思い至らないから短絡的だと言ったんです!
いいえ、それだけじゃない!
勉強のことにしたってそうです!
どうして勉強もろくにせずにレンジャー試験に受かれると思っているんですか!
本当にレンジャーになるつもりなら、もっと真面目に勉強すべきでしょう!」
「うるっせぇなゴチャゴチャと!
ちゃんと模擬試験に受かってるじゃねぇかよ!」
「今朝言われたことをもう忘れたんですか!?
合格点ギリギリだったじゃないですか!
あんなの誤差の範囲ですよ!
本試験で落ちてもおかしくないくらいの点差で模擬試験を合格したところで、何をいい気になってるんですか!
そんなことでは本試験で落ちますよ!?」
「ちょっと、アーサー!」
ボクはアーサーを咎めた。
今のシーザーの反省した様子もない言葉に反感を覚えたのはボクも同じだが、論点がずれてきているうえに、さすがに少し言い過ぎた気がしたからだ。
案の定、背後のシーザーからは瞬間的な怒気を感じる。
様子をうかがう為に後ろを振り向いた瞬間、シーザーが牙をむいてこちらに飛び掛かってきた。
完全に頭に血が昇ってしまい、見境がなくなっている状態だ。
と、不意にボクはアーサーに突き飛ばされ、床に尻餅をついた。
「いたっ!」
尻をさすりつつアーサーの方を見れば、飛び掛かったシーザーは、アーサーにベッドの上で腕を捻り上げられて組み伏されていた。
さすがにレベルが違い過ぎて、実力行使は逆効果だったようだ。
「放せこの野郎!!」
「そっちが飛び掛かってきたんでしょう!」
「ちょっと、2人ともやめてよ!」
ボク達3人の叫びが部屋に響く。
その時、部屋のドアが開いた。
「何してる?」
クーアだった。
同じ階にいたのだから、これだけ騒げば見に来るのも当然だろう。
「2人が――」
ボクが助けを求めるように言うと、クーアはボクを、そしてシーザーとアーサーの2人を見てある程度の状況を察したのか、小さく息を吐いた。
「アーサー、放してやれ」
クーアの言葉に、アーサーは素直に従い、シーザーを解放した。
シーザーはアーサーを睨み付けながら、捻り上げられた腕をさすっている。
「それで、何があった?」
クーアはボクに向かって問い掛けた。
状況から、ボクが中立と判断したのだろう。
「実は――」
ボクは事のあらましを説明する。
昼間の出来事からのシーザーの様子、言動。
それに対するボクやアーサーの反応。
そして、今しがたのシーザーとアーサーのやり取り。
ボクが簡単な説明を終えると、クーアは、
「なるほどな」
と、呟き、ボク達が普段勉強用に使っている椅子の1つに座った。
そうしてボク達を順に見止め、瞑目する。
ややあって、クーアが目を開けて言った。
「たしかに、アーサーの言う通り、昼間の禁魔は、お前達に禁魔の危険性を知ってもらう為に、あえて行使した」
それを聞いたアーサーが、視線に含みを持たせてシーザーを見る。
シーザーは、半ば意地になってアーサーを睨み返した。
2人の様子を見ながら、クーアは一言、付け加えるように続けた。
「ただ、だからといって、シーザーの感想も間違いではない」
アーサーが驚いたようにクーアを見る。
シーザーも同様だった。
「本当は、どっちも感じてほしかったんだよ。
こんなに恐ろしい、けど凄い魔法があるんだって言う風に。
そうだな……怖さ8の凄さ2くらいの割合で、かな。
ジークはどう感じた?」
突然、話を振られて、ボクは咄嗟に思いを巡らせる。
「えっと…………人間が使うには、大き過ぎる力じゃないかって、思った」
率直な答えを、ボクはそのまま口にした。
それに対し、クーアは首を縦にも横にも振らなかった。
「だが、それでも使うことができる力だ。
それは紛れもない事実だ。
禁魔や禁技を使える人間は、実は多い。
さすがに五大禁魔や六大禁技を使える者は、世界広しと言えど数える程だが、それ以外の禁魔や禁技を使える者は多い。
それらの力を、興味本位で、あるいは悪意を持って振るう者も、少なからずいる。
そして、レンジャーはそういう者達の脅威に、もっとも晒されやすい職種だ。
これからお前達が進んでいく道行きで、そういった者に遭うことは、大いにあり得る。
そうなった場合、対抗するための力が必要になる。
自分を守る為に、誰かを守る為に。
その力の行き着く頂点が、禁魔であり禁技なんだ。
もちろん、倫理的に禁じられている物は覗いて、だが」
そこまで言って、クーアは息をついた。
そして、昼間に見せた真剣なまなざしを順繰りにボク達に向け、続ける。
「ただ怖いと思うだけじゃ駄目だ。
それじゃ力を振るえない。
ただ凄いと思うだけじゃ駄目だ。
それじゃ力に振り回される。
そうなれば、自分も守れないし、誰も守れない。
自分を傷付けてしまうかもしれないし、誰かを傷付けてしまうかもしれない」
クーアの深く静かな声に、ボク達は一様にうつむいて沈黙した。
長い沈黙が下りる。
クーアの言う通りだと、ボクは思った。
力に強弱はあっても、善悪はない。
使う者次第で、良い結果を生みもするし、悪い結果を生みもする。
それによくよく考えてみれば、ボク達が今現在振るえる魔法や技法でも、それらを使えない、あるいは、ボク達よりも身体能力の低い人々からしてみれば、充分な脅威にもなるのだ。
例えば、ボクの行使する『赤火』の魔法でさえ、戦いとは無縁の生活を送っている一般の人々を焼き殺すことは容易い。
それは、昼間見た禁魔『壊尽』に、ボク達が対抗する術を持たないのと似ている。
『赤火』と『壊尽』、強弱の違いがあるだけだ。
ボクが物思いにふけっていると、クーアはパンッと自分の両腿を叩き、
「まぁ、要するに、だ。
禁魔や禁技は恐ろしい力だけど、全部が全部毛嫌いするようなものじゃないってことと、そういう強い力を求めるのは構わないけど、その力の矛先を間違えるなよってことだ。
じゃあ、オレはもう寝るから、お前等もケンカなんてしてないで早く寝ろよ」
と、それまでとは一転して明るい声で言い残して、部屋を出ていった。
残されたボク達は、クーアの出て行ったドアを無言で見つめる。
それからしばらくして、
「……あ〜、ごめん」
ポツリと謝罪の言葉を漏らしたのはシーザーだった。
その視線はアーサーに向けられている。
それに気付いたアーサーも、決まり悪そうに身じろぎして、
「いえ、僕もカッとなって怒鳴ってしまって、ごめんなさい」
と、シーザーに謝り返した。
2人は視線を交わしたまま、苦笑い気味の笑い声を漏らす。
どうやらお互いに腹の虫はおさまったようだ。
大事にならずにすんで良かった。
そう思いながら、ボクは和解した2人を静かに見守っていた。
クーアの言葉を、胸の内で反芻しながら。