「痛ぇな! 気をつけろよ!!」

町に入ってすぐの場所で、いきなり後ろの腰の辺りに鈍い衝撃が走ると同時に、オレはそう怒鳴られた。

声の主はそのまま真っ直ぐに大通りを走り抜けていく。

面と向かって文句を言われたわけではないので顔は見えなかったが、後姿と声の調子から獣人の子供だということが分かった。

「なんだ、アレ!? そっちがぶつかってきたんじゃないか!」

人もまばらな大通りを走り抜けていく子供の後姿を見つめているオレの横から文句が上がる。

ぶつかった子供と同じくらいの年頃の白い竜人の子供、ジークが不満げな眼差しで子供の後姿を睨んでいた。

3ヶ月程前にとある町で知り合った子で、色々あって今はオレと一緒に旅をしている。

「ま、別にいいんじゃないか?

 あれくらいのことでいちいち目くじら立てるなよ」

オレがそう諭すが、ジークは納得がいかない様子で、

「でもクーア。 今のはどう考えたってあいつが悪いんじゃないか。

 いきなり後ろからぶつかってきて……」

と不機嫌に答えて、まだ大通りを睨んでいた。

とはいえもう子供は脇道に入ってしまっていて、その姿を確認することはできないのだが。

「この程度のことでいちいち腹立ててたら、ろくな大人になれないぞ。

 さて、まだちょっと早いけど、宿でもさが…………ん? …………あれ?」

しつこく大通りに睨みを利かせているジークをうながし町中に進もうとした時に、オレはある物が無くなっていることに気付いた。

「? どうしたの?」

何事かとジークが尋ねてくる。

「…………財布が無い。」

オレはポケットを押さえ、答える。

「えっ!?」

「町に入るまでは確かにあったんだけど…………ひょっとしたら、さっきの子供に盗られたかな?」

かなり慌てている様子のジークをよそに、オレは冷静に分析する。

どうやらさっきの子供はスリだったらしい。

ぶつかった瞬間にポケットから財布を抜き取ったようだ。

まるで気付かなかったが……

「何落ち着いてるのさ!?

 早く追いかけて取り戻さなきゃ!!」

そう言って、慌てて大通りに向かって走り出そうとするジーク。

だが、オレはその手をつかみ、引き止めた。

全速で走ろうとしたジークはそのはずみでバランスを崩し、ドスンと尻餅をつく。

「……ぃったぁ……何すんのさ!!」

涙目で睨んでくるジーク。

周りを歩いていた何人かの人間が何事かとこちらを見てくる。

オレはギャラリーに愛想笑いをしながら、ジークを助け起こす。

「悪い」

オレはジークの服を払いながら謝る。

「服なんて払わなくていいよ!

 早く追いかけなきゃ、あいつ逃げちゃうよ!」

落ち着いて服の埃を払っているオレをジークが怒る。

「大丈夫。 すぐに追いかける必要はないさ。

 アレはダミーだからな」

「え? どういうこと?」

キョトンとした様子で聞き返してくるジーク。

「オレは、こういうことが起きてもいいように、財布をいつも2つ持ってるんだ。

 1つは金とかが入った、盗りにくい位置にしまった、普通の財布。

 もう1つはスリ用に目印をつけた、盗りやすい位置にしまった、空っぽのダミーの財布。

 あの子供が盗ったのはダミーの方だ。

 本物はほら、こっち」

そう言って、オレは懐のポケットから財布を取り出し、ジークに見せる。

「あ……そういえばいつもお財布は懐から出してたっけ」

ジークは財布をまじまじと見つめながら、納得したように呟く。

「ちなみに、ダミーの財布は100クリスタの安物だ」

「安ッ!」

「中身が入ってないうえに財布自体も安物だと分かった日には、そうとうな屈辱感だろうな。

 スリなんかした奴にはちょうどいい嫌がらせだ」

財布をしまい、小バカにしたように鼻で笑いながら話すオレを、ジークが呆れた目で見つめる。

「……けど、あんな子供がスリっていうのは感心しないな。

 確かに最近、治安が悪くなってるって話は聞いてたけど、まさか子供がスリとは……」

なおも呆れた目でオレを見つめているジークをよそに、オレは辺りに目をやり、呟く。

この町は交易の中心地として栄えてきたかなり大きな町らしい。

町を東西に貫く大通りを中心に町は広がっており、大通りの噴水広場からは、この国の首都への街道が、南に向かって延びている。

今、オレ達はその大通りの東側の門の付近にいた。

昼を少し回ったくらいの時間帯の大通りは、普段なら大勢の人間が行き来しているのだろうが、今は閑散としている。

行き来しているのは、行商人らしき人間の乗った馬車と、町の住人と思われる人間。

そして何より目につくのが、傭兵らしき出で立ちをしたガラの悪そうな連中だった。

この町の隣にある村で聞いた話だと、ここ最近、町の近くに野盗の集団が居を構えたらしい。

おそらく彼等は、その野盗に対抗するためにこの町の領主が雇った連中なのだろう。

もっとも、一般人から見れば腕が立ちそう、強そうに見えても、オレから見れば、そこいらにいるようなゴロツキが武装しただけにしか見えないのだが。

一応、彼等に紛れて整った装備をしたこの町の自警団らしき男達も見受けられたが、どいつもこいつも役に立ちそうにない。

ここ何年もの間、大きな事件が起きたこともない町にいる自警団が、どんな生活を送ってきたのか、というのは想像に難くないので当然のことかも知れないが。

と、オレがそんなことを考えていると唐突に、

「ねぇ、それよりさぁ、あっちのお財布にはどんな目印がついてるの?」

ダミーの財布についている目印が気になったらしく、興味津々といった感じでジークが聞いてきた。

「え? あぁ、アレには『印章』の魔法がかけてあるんだ。」

不意の呼びかけに我に返ったオレは、簡潔に説明してやる。

「その魔法がかけてあると、魔法の使用者は魔法がかけられた物がどこにあるのかがすぐに分かるんだ」

そう言うと、オレは意識を集中して財布のある場所を探る。

すると、財布が町の西に向かってゆっくりと移動しているのが分かる。

「……どうやらあの子供はまだ大通りの近くにいるらしいな」

オレは意識の集中を解き、呟く。

距離的にはすぐに追い着ける場所だ。

「じゃあ追いかけようよ。

 まだ近くにいるんでしょ?

 空飛んでいけば追い着けそうじゃない」

「こだわるね、お前も」

どうにもあの子供のことが気になるらしく、しつこく追跡を提案するジークに、オレは呆れて溜め息をつく。

「どうせ中には何も入ってないんだし、別に放っておいても構わないだろ」

「それじゃあ、魔法がかけてある意味がないじゃない」

納得がいかない様子でジークが文句を言う。

「まぁ、もともと、魔法をかけておく意味なんて大してないんだけどな。

 中身が入ってないことに気付いたスリが、財布を捨てる。

 それをあとで拾いにいく時の目印に、程度の意味合いしかないからな。

 拾いにいくにしたって、気が向いた時だけだし」

オレは少し肩をすくめながら答える。

「さぁ、そんなことよりもまずは宿探しだ。

 せっかく町に着いたのに、公園のベンチで野宿なんてゴメンだからな。

 ほら、行くぞ」

「あ、ちょっ、待ってよ!」

まだ納得がいかない様子のジークをうながし、オレは大通りへと進んでいった。

 

 

宿を見つけたのは陽もだいぶ傾いた頃だった。

大通り沿いの店で昼食を済ませたオレ達は、大通りの宿の何軒かに入ってみたがどこも満室で泊まれず、結局泊まることができたのは、大通りを少し入った場所にある宿だった。

大通り沿いの宿ほど大きくはなかったが、そこそこキレイな3階立ての宿で、値段的にも悪くない所だった。

オレ達は受付で記帳を済ませると、渡された鍵を持って部屋へと向かう。

部屋は2階の一番階段よりの部屋だった。

「思ってたよりもおっきな部屋だね」

部屋に入って荷物を置きながらジークが呟く。

部屋の中にはベッドが2つと、その向かい側にテーブルと椅子が1対あるだけのシンプルな造りになっているため、感覚的に広く感じる。

トイレと風呂は共用らしく、部屋についてはいなかった。

「だいぶ手間がかかったな……」

オレは窓に近寄り、外の様子を眺めながら呟く。

窓からは夕焼けに染まりつつある町並みが見える。

「でも割といい宿が見つかってよかったじゃない。

 だけど、こんな状況なのにどこも満室だなんて思わなかったな。

 お客さんは町から離れようとか考えないのかな?」

ベッドの感触を確かめながらジークが聞いてくる。

「この町に来たのはいいけど、運の悪いことに町の周りに野盗が巣食ってしまった。

 早く町を出たいけど、町を出た途端、野盗が襲ってくるかもしれない。

 安全な場所までの護衛を頼もうにも、いるのは役に立ちそうもない自警団とゴロツキまがいの傭兵だけ。

 だったら、野盗が別の場所に移るか、連中が野盗を壊滅させてくれるまで安全な町の中にいよう、って感じなんだろ、きっと」

「タリキホンガンってやつだね」

「まぁな。 でも、一般人が野盗に襲われたらひとたまりもないだろうから、懸命な判断とも言えるかもな。

 ……問題解決するまでに路銀が尽きなければ、の話だけど」

ぼそり、と呟いてオレは窓を開ける。

残暑も過ぎているので、部屋に入ってくる風もやや冷たい。

オレは窓から顔を出し、意識を集中してみる。

どうやらダミーの財布を盗った子供は、町の外れの方にいるようだ。

この町の子供なのだろうか。

大した被害が出たわけではないので、今更どうでもいいことなのだが、どうやらジークの粘着ぶりがうつったらしい。

オレが小さく肩をすくめて、ジークの方に向き直り、

「明日、町巡りがてら、昼間のスリの子を捜してみようか?」

と言うと、ベッドの上でゴロゴロと寝転がっていたジークは少し驚いた顔をしたあと、怒ったように、

「それだったら昼間、追いかければよかったじゃない。

 放っておけばいいって言ったのはどこの誰でしたっけ?」

「いや、まぁ……それはそうだけど……

 見つからなければ見つからないでよし、見つかったら見つかったで財布を取り戻してお説教ってことで。 いいだろ?」

「……別にいいけどさ。

 その代わりなんか買ってよ」

「なんでそうなるんだよ……」

「ボクの意見を聞かなかったバツ」

ベッドの上に座り、ニィっと意地悪そうに笑うジーク。

オレは勝ち誇ったように笑うジークに近寄り、ガバッと脇腹をつかんでくすぐる。

「この悪ガキが!

 そうやって人の揚げ足ばかり取ってると性格悪くなるぞ! お仕置きだ!!」

「アヒャヒャヒャッ!! ゴメンなさい! ゴメンなさい!

 もう揚げ足取らないから許してぇ〜! アヒャヒャヒャ!!」