ロシティが武器を調達したとされる日から2週間。
いまだ目立った動きは見られなかった。
ただし、それはロシティ達に限ったことであり、ロシティ達が密会していた政府の上層部の連中の動きがどうなっているのかは分からない。
そちらもロシティ達と同様に探れば何かしらの情報が入るのだろうが、相手が相手なだけに滅多な行動には移れないの。
ならば、と、同様にロシティ達と接していた武器商の方を探ってみたが、分かったのはロシティ達と接しているという一点だけで、武器を流している等の情報は入らなかった。
その為、現在は養父の指示通りに全員が動いていた。
オレは今まで通りに仕事をこなし、オルゼやラシャラは、ロシティ達の監視、アジトの捜索を行っている。
オルゼとラシャラは互いに連携し、密に連絡を取り合っているようだ。
オレも時折養父から、あるいはオルゼやラシャラ本人から情報を聞く。
オルゼによれば、ロシティ達は引き続いて政府の上層部や武器商、そして燕尾服の男達と密会しているらしいが、何かをやり取りしている様子はないという。
ラシャラは、新しいアジトを2ヵ所見つけたが、そこにもすでに見つけてあった2ヵ所のアジトにも武器らしき物は見当たらなかったらしい。
トレイヤの言っていた『屋敷から遠い場所』という言葉を元に、今は屋敷からかなり離れた場所にまで調査に向かっているようだ。
そんな実りのない日々を過ごし、進展のない状況にいささかの焦燥感を募らせていた、あの店での密会から15日目の昼。
仕事を終えたオレが養父の部屋で報告をしていた時、トレイヤからの報告が入った。
「ああ、ヒューネも一緒か。 ちょうどいい。
養父さん、ロシティ達に動きがあった」
「何?」
トレイヤの一報に、養父が机から身を乗り出す。
「夜半から今朝にかけて、レイトとラフト、それからグルーエが武器を運んでいるのを確認した。
場所はここから200kmほど離れた森の中の廃屋。
4日前にラシャラが見つけたアジトだ」
「そうか。 それで、今はどうしている?」
「1人をアジトに残してきた。
他はロシティ達に付いている」
「ラシャラ達とは?」
「まだ連絡を取っていない。
かなり遠くまで行ったようだから、しばらくは取れないと思う」
「……ヒューネ」
トレイヤとのやり取りのあと、養父がオレに目を向けて名を呼ぶ。
その意図を察したオレは、
「分かってる。 トレイヤ、そこまで案内できるか?」
「ああ」
「なら、すぐに行こう」
言って、トレイヤをともなって養父の部屋をあとにした。
目的のアジトは屋敷から約200km。
オレ1人、平坦で舗装された道を全速で走り続けることができれば、約1時間もあれば着く距離だ。
しかし今は道案内としてトレイヤがついてきている。
どちらかといえば諜報活動が中心のトレイヤは、肉体的にはオレよりも劣る。
早くて2時間は掛かるだろう。
オレ達2人は、できるだけ直線で、かつ人目につかないような道を選び、突き進む。
道中、互いに交わす言葉はない。
話せばそれだけ体力を使うし、移動の速度も遅くなるからだ。
沈黙したまま進む最中、オレは覚悟を決めていた。
(見つかり次第、奴等と戦うことになるだろうな)
報告のない武器の調達・移送は、明らかに裏で何かの準備を行っている証拠。
それをロシティに突き付けて問い詰めたとしても、奴が非を認めて謝罪するなどということはあり得ない。
必ず反撃に出るだろう。
そうなれば、ロシティ達との戦いは避けられない。
(結局、組織が分裂することは避けられないのか……)
懸念していた内部分裂が起きてしまうが、だからといってロシティ達の行動を捨て置くことはできない。
オレ達の予想通りの行動をロシティ達が起こそうとしているなら、組織の内部分裂などよりもはるかに大きな事が起きてしまうのだから。
組織の分裂を避ける為に養父の提案を受け入れることを躊躇していたのだが、結局はそれも無駄になってしまいそうだ。
ともあれ、オレ達が勝つにせよ負けるにせよ、組織の後継の問題、そして内戦の問題に決着が着くことになるだろう。
(……いや、負けるわけにはいかない)
ふと昔の記憶が一瞬だけ蘇る。
それは、薄暗く、薄汚れた冷たい路地裏で、ボロ布1枚を巻き付けて震えていた、あの日の記憶。
寒さに震え、飢えにうずくまり、死に怯えていたあの日の記憶。
(内戦など、絶対に起こさせるものか!)
知らず知らずのうちに、体に力がこもる。
決意を新たに、オレはひたすらに走り続けた。
屋敷を発ってから2時間半。
ようやく目的のアジトに付いた。
森の中の廃屋というその言葉通り、2階建のアジトは深い森に囲まれ、見事なまでに朽ち果てていた。
深い森は昼間でも薄暗くジメジメと湿っており、草の生い茂る地面から伸びた蔦は朽ちたアジトに幾重にも巻き付いている。
アジトは天井、そして壁のそこかしこに穴が空き、窓ガラスはほとんどが割れているかひびが入っていた。
近くには小さな町があったものの、アジトからそこまでは歩いて10分ほどは掛かるだろう。
立地的には、屋敷に似ている。
もっとも、建物自体の規模も違うし、状態も比べるべくもないが。
「ここだ」
そう言って、トレイヤがアジトの前で足を止める。
オレはトレイヤに先行し、アジトに足を踏み入れた。
内部も外観に負けず劣らず酷い状態だった。
崩れた屋根や天井や壁が瓦礫となって床に散らばっており、その床には所々に穴が開いている。
残っている床も、下手に力を掛ければ崩れ落ちてしまいそうだ。
玄関はホールになっており、いくつかの部屋が隣接しているらしく、はずれかけた扉がいくつか見られる。
おそらく、武器はどれかの部屋に運び込まれたのだろう。
しかし、1つ気に掛かることがある。
トレイヤは報告の時、ここに1人見張りを残してきたと言っていた。
だが、アジトの内外に見張りの姿は見当たらず、気配もまるでない。
見張りならばオレ達の姿を確認しているはずなので、すぐにでも姿を見せてもよさそうなものなのだが。
(……まさか)
ロシティ達のうちの誰かに始末されてしまったのかもしれない。
一抹の不安が胸をよぎる。
オレは脆くなっている床に気を付けながら、そして辺りの変化や物音、気配に注意を払いながら、玄関ホールの中ほどまでを、何が起きても行動ができるように慎重に進み、後ろにいるトレイヤに声を掛ける。
「武器はどこだ?
それに見張りは?」
が、
「…………」
返事がない。
「?」
不思議に思い、振り返って再び声を掛ける。
「トレイヤ?」
トレイヤは確かに玄関ホールに入ってすぐの場所に立っていた。
しかし、様子がおかしい。
入口にたたずんだまま、じっとこちらを見つめている。
やや逆光になっている為に正確には分からないが、その表情は少し微笑んでいるようにも見えた。
「……トレイヤ?」
もう1度声を掛けてみる。
すると、今度は答えがあった。
まったく予想だにしなかった答えが。
「そんなもの、最初からないし、いないよ」
トレイヤの発した予想外の言葉は、嘲るような調子を含んでいた。
「……トレイヤ?」
「ふふふ……」
笑い声を漏らし、トレイヤが1歩足を踏み出す。
逆光から抜けたトレイヤの表情は、今までに見たことがないほどの冷たい笑みだった。
「どういう……ことだ?」
帰ってくる最悪の答えを予想しつつも、オレは尋ねた。
トレイヤは口の端を吊り上げ、答える。
「どうもこうも、武器なんてここにはないし、見張りなんてものもいない。
ここにいるのは私と君だけだ。
早い話が、つまりは私はロシティ側の人間だったというわけさ」
「!!!」
それはオレが予想した最悪の答えだった。
今まで寝食を共にし、信頼を寄せていた友の裏切りにも似たその言葉は、激しくオレの心を斬り付けた。
斬り付けられた心に、怒りや悔しさ、そして何より悲しさが溢れた。
衝撃のあまり、地面がなくなったような錯覚に陥り、思わず1歩退く。
しかし、そんなオレに構うことなく、冷笑しながらトレイヤは続けた。
「仕入れた武器ならすでにロシティ達の手元にあるよ。
現体制に反感のある政府の上層部の連中も、すでに武器を揃えて反乱軍を編成し終えてるはずさ。
軍隊から、傭兵から、一般民から、浮浪者から、そして犯罪者からかき集めた反乱軍を、ね。
もっとも、こっちの武器の仕入れに関しては、私達は一切関与してないがね。
そもそも考えてもみなよ。
大軍を擁するだろうと予測される反乱軍の為に、わざわざ私達のような個人が武器を調達すると思うかい?
そんなものは政府上層部の連中に任せておけばいいことだろう?
養父さんもオルゼもラシャラも皆、なぜこんな簡単なことに気付かないんだろうね。
それとも、それだけロシティの影響力が強いと過大評価していたのかな?」
いたずらの種明かしでもするかのような口調でトレイヤは説明した。
余裕のあるその態度が、更にオレの心をかきむしる。
しかし、ここで冷静さを失っては、返ってトレイヤの思うつぼだ。
今は別にすべきことがある。
(そう、今はそれどころじゃないんだ。
やるべきことをやらなくては……)
そう自分に言い聞かせ、オレは感情を押し殺してトレイヤがどんな行動を取ってもすぐに反応できるように身構え、尋ねた。
「……いつからロシティの側についた?」
「君に分かりやすく言うのなら、養父さんにロシティ達の監視を言い付けられる前からさ。
もっと言うなら、組織に入ってしばらくしてから、だね。
よくよく思い出してみるといい。
私がロシティ達と問題を起こしているのを見たことがあるかい?」
「…………」
確かに言われてみれば、思いつく限り、トレイヤがロシティ達といさかいを起こしているのは、見たことも聞いたこともない。
しかし、かといって親しくしている様子もなかった。
「だが――」
「親しかったようにも見えない?」
「!」
オレの答えを予想したのか、トレイヤが言葉を制した。
「君は四六時中、私を監視していたのかい? 違うだろう?
だから君は、君の見ていないところで私が何をしていたのかなんて知らない。
10年のうち、いったいどれだけ私に自由な時間があったと思ってるんだい?
ロシティと接触する機会なんて、いくらでもあったんだよ。
親交を深める機会なんて、いくらでも、ね」
まるで劇の役者のように、大仰に身振り手振りを交えて説明をするトレイヤ。
「つまりは最初から計画のことを知っていたというわけか」
オレの言葉に、トレイヤは大きくうなずく。
「その通り。 彼の計画については、前々から聞かされていた。
もっとも、養父さんが彼に疑いを持っていることを話してから計画は若干早められたが。
いや、それにしても驚いたよ」
言ってトレイヤがことさら大仰な仕草を取る。
「?」
オレが疑問の視線を投げ掛ける。
それを受けたトレイヤは、微笑を浮かべたまま説明した。
「あの店で君が言ったロシティの計画のことさ。
あれには私も驚いた。
なるほど、ロシティが嫌うわけだと思ったよ
あれこそまさにロシティの計画そのものだったんだから!」
やや興奮した口調でトレイヤが続ける。
「ちなみに、もう気付いていると思うが、あの場で言った『武器商に金を払っていた』というのは嘘だよ。
私も、まさか君の考えがあそこまで正確にロシティの計画をとらえているとは思ってもいなかったんでね。
ロシティには無断だったが、計画の前倒しの為にあえて無断で扇動させてもらった。
ああ言っておけば、君達は即座に行動を開始すると思ったからね。
私が思っていた通りの行動を、ね。
そして事実、こうして君は何もない、この場所におびき出された」
「……まんまと踊らされたわけか」
ギリッと歯を食いしばりトレイヤを睨み据える。
が、トレイヤに動じる様子は見られない。
「それで、どうするつもりだ?
この場でオレとやり合うつもりか?」
殺気を膨らませ、ベルトに差した短剣の柄に手を掛けるオレに、しかしトレイヤは余裕の表情を浮かべて肩をすくめ、
「まさか。 君とまともにやり合って私が勝てるはずがないだろう?
ロシティに次ぐだろう実力者の君とね。
それよりも、もう少し私の言葉を正確に受け止めて吟味した方がいいんじゃないかい?」
「?」
オレの様子を楽しむようにトレイヤはニヤリと笑い、
「私は君を『おびき出した』と言っただろう?
『おびき出す』には二通りの意味がある。
1つはターゲットを『おびき出す』。
もう1つはターゲットの周りの人間を『おびき出す』。
この場合は一体どっちだろうね? ふふふ……」
「……!!!」
トレイヤの言葉の意味を理解し、オレは即座に行動に移った。
戸口へと走り寄り、トレイヤの脇をすり抜けて廃屋の外へと飛び出す。
予想に反し、トレイヤからの妨害はなかった。
ただ、すり抜ける一瞬に見たトレイヤの表情は、オレがこれから行う行動がすべて無駄だとでも言わんばかりの表情だった。
しかし、今はそれを気にしている暇はない。
廃屋から飛び出したオレは、全速力で屋敷へと駆け戻った。
(間に合ってくれ!!!)
それだけを思いながら。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
肩で息をするオレの目の前で、パチパチと火が爆ぜ、炎が唸りを上げている。
屋敷は赤々と燃える炎に包まれ、その全容を隠していた。
(間に合わなかった……)
屋敷に着いたのは廃屋を出て約1時間後。
その間に事は済んでしまっていた。
頭の中が真っ白になるほどの絶望感と、足元から崩れそうになるほどの脱力感がオレを襲う。
しかし、
(まだだ……まだ可能性はある……!)
まだ生きている者がいるかもしれない。
気持ちを無理矢理切り替え、オレは勢い込んで屋敷の中に飛び込んだ。
この程度の炎なら精気が守ってくれるから焼かれる心配はない。
少なくとも、オレは。
そして仲間達も万全な状態であるならば。
ロシティ達もそれは承知しているはず。
おそらく、中の仲間達は最良でも瀕死状態だろう。
瀕死状態の生物の精気は極めて弱い。
この程度の炎ですら容易に命を奪う脅威となりうる。
だからこそ一刻も早く救出しなければならない。
一縷の望みを懸けて。
「誰かいないか!?」
屋敷の正面玄関に立ち、炎にかき消されないほどの大音声で叫ぶ。
しかし、返事はない。
1階には食堂や浴場等の共有施設、そして、組織の人間が全員集まれる集会室がある。
オレは玄関からすぐの集会室へと向かった。
集会室の入口の扉はまったくの無傷で残っていた。
急ぎその扉を開ける。
その瞬間、
「うっ!」
むせ返るような炎の臭いと共に、非常に強い血臭が溢れ出してきた。
「!!! そんなっ……!」
目の前に広がっていたのは、無残な仲間の遺体と、あちらこちらでくすぶる炎だった。
そのほとんどが原形をとどめていないほどに破壊され、とても息のある者がいるようには思えない。
一部の遺体にはすでに火が燃え移り、特有の嫌な臭気を発していた。
(クソッ……!!!)
憤怒と怨嗟のない交ぜになった悪態をつくと共に、あることに気付いた。
(……親父が……いない!)
多くの遺体の中に、養父と思われる遺体は見当たらない。
オレは急ぎ集会室から飛び出そうとした。
が、立ち止まり後ろを振り返る。
(……すまない)
心の中で、事情も知らないだろうままに死を遂げた仲間達に謝罪する。
本来なら、1人1人、しっかりと弔い埋葬してやりたかった。
しかし、燃え盛り、刻々と勢いを増していく炎はそれを許さない。
オレは後髪を引かれる思いで、集会室をあとにした。
燃え盛る炎をくぐり抜け、燃え落ちた床を跳び越え、崩れ落ちる天井を払い除け、4階の養父の自室へと駆け抜ける。
4階に到達すると、階はほとんどが炎に包まれ、前方の視野も非常に悪かった。
それでも何とか炎をくぐり、煙をかき分けて養父の自室前に辿り着く。
心臓が早鐘を打ち、この上ないほどの嫌な予感が襲った。
ゴクリ、と無意識に唾を飲み込み、炎の影響で灼熱した扉を強引に押し開ける。
「親父!!!」
扉を開くと同時に、大声で呼び掛ける。
だが、返事は返ってこない。
室内は集会室よりも激しく燃え上がっており、正常であった頃の面影はない。
「親父!!!」
オレは室内に押し入り、再度呼び掛ける。
だが、やはり返事は返ってこない。
炎をくぐりながら、養父の机へと向かう。
そして、そこで発見した。
「親父!!!」
机の向こう側、椅子から崩れ落ち、床に横たわる養父の姿を。
その胸には1本のナイフが突き立ち、そこを中心に赤い染みが大きく広がっていた。
「親父!!! 親父!!!」
横たわる養父を抱え起こし叫ぶも、養父からの返事はない。
オレは恐る恐る首筋に手を添える。
「…………!!!」
指先にわずかな律動。
(まだ息がある!!!)
誰がやったのかは想像がつくが、おそらくは心臓を狙ったものだと思う。
しかし、ナイフは微妙に心臓を外れており、致命傷ではあるが即死は免れていた。
オレは急いで養父を抱え上げ、炎の渦巻く室内を横切り、窓を蹴破って4階から飛び出した。
着地の衝撃が養父に伝わらないよう、慎重に着地し、そのまま駆ける。
目指すのは街にある病院。
本来なら、すぐにでも回復魔法を掛けたかったが、オレは魔法を使えないし、回復魔法の込められた封魔晶も持っていない。
それに何より、真に瀕死の者は、回復魔法を受け付けない。
養父はまさにその状態だった。
こういった場合には、一刻も早い医術による施術が必要となる。
病院へは、ここから全速で走れば3分と掛からずに着く。
いつも通る道を全速力で駆け抜け、脇目も振らずにオレは急いだ。
が、
(……何だ!?)
街の方角の様子がおかしい。
カンカンカンと、鐘の打ち鳴らされる音がかすかに聞こえ、ざわめきにも似た喧噪のようなものも聞こえる。
さらに街に近付き、街の姿がかすかに見える位置にまで達すると、街のあちらこちらから黒煙が立ち昇っているのが見える。
(まさか……!)
不安を胸に、急ぐ。
そして、
「何てことを……」
ほどなく辿り着いた街で見たものは、不安そのものの光景だった。
路上には住民の遺体が転がり、血が赤い水溜まりのように広がっていた。
ある者は手足を切り落とされ、ある者は体を潰され、ある者は顔を醜く爛れさせ、息絶えていた。
家々からは火の手が上がり轟音と共に崩れ落ちていき、崩れた家の下には下敷きになった者がいたのだろう、血が流れとなって石畳の間を流れていく。
炎の爆ぜる音と熱気、物の焼ける臭いと血の臭気、崩れる家の轟音と逃げ惑う狂乱状態の住民達の叫喚は、まさに地獄絵図だった。
「ここまで……」
徹底したその攻撃に、オレは言葉を失った。
だが、今はすべきことがある。
逃げ惑う住民達を避け、あるいは倒壊した家を跳び越え、一直線に病院へと突き進む。
街のほぼ中心にある病院まではそう遠くはない。
地獄の様相を呈するこの街で、まだ病院が機能しているのか、いや、施設自体があるのかどうかさえ分からない。
しかも、仮に施設が存続し、機能していたとしても、大量の怪我人が運び込まれ、助けを求める人混みで溢れ返っているだろうことが予想される。
しかし、今はそれに懸けるしかない。
抱えている養父はピクリとも動かずグッタリとしたまま。
常に移動をし続けている為に、呼吸や脈の確認すらできない。
(もってくれよ……!)
祈るように心の中で叫び続け、病院への道を駆け抜ける。
途中、何度も悲鳴や助けを求める声が聞こえたが、今のオレにはそれらに答えてやれるだけの余裕はなかった。
たとえ外道と罵られようと構わない。
今のオレには、養父の命以上に重いものはないのだから。
幾重もの人混みを抜け、何軒もの家を跳び越え、幾度もの救難の声に耳を塞ぎ、駆け続ける。
そして、1秒が1分にも1時間にも感じられるような焦燥感を胸に駆け続け、ようやくたどり着いた病院。
しかし、そこは予想通りの状態だった。
病院の入口には怪我人や怪我人を抱いた人々が殺到し、さながら暴動のような怒声や悲鳴が飛び交っていた。
これではとても中に入ることはできないし、仮に入れたとしても施術を行ってもらうまでにどれほどの時間が掛かるか分からない。
(……これまで……か……)
諦めたくなどなかったが、諦めざるをえない現実がそこにあった。
落胆と絶望に、膝から崩れ落ちる。
荒い呼吸に肩を上下させ、震える手を養父の手首に添える。
指先の律動は先程よりもゆっくりと脈打ち、養父の死が近いことを嫌というほどに伝えた。
と、
カッ!!!
「!?」
空から地上に一筋の光が走り、一瞬、目の前が真っ白に染まった。
その刹那のあと、耳を劈く大音響と共に、身を裂かれるほどの衝撃がオレと養父を襲った。
とっさに養父をかばうように抱え込んだものの、襲ってきた衝撃は凄まじく、オレは一気に宙に吹き飛ばされてしまった。
その間、何度も石壁や石畳、そして人間に叩き付けられ、全身に激痛が走った。
「〜〜ッ!」
声にならない苦鳴を発しながら石畳の上を滑り、崩れた家の石壁にぶつかってようやく止まる。
痛みに思考が麻痺し、数秒の間、何が起きたのかまったく理解できなかった。
しかし、抱え込んだ養父の感触が、すぐさまオレの思考を元に戻す。
反射的に吹き飛んだ方向に目を向けると、その様相は一変していた。
建物は完全に消え失せ、集まっていた人々は誰もいない。
変わりにそこにあったのは、直径300mは優に超える大きなクレーター。
おそらく、なんらかの爆発が起きたものだと思われる。
オレ達は爆発の範囲内から離れた位置にいたために助かったようだが、もしあのクレーターの範囲内にいたとしたら、こうして生きていられた保障はない。
(何が…………ハッ!)
考えの途中で、腕の中の動きを感じ取った。
目を落とせば、養父が顔を歪めて口をうっすらと開いていた。
「う……」
開いた口から、小さな呻きが漏れる。
「親父!!!」
意識を取り戻したと思われる養父に、大声で声を掛ける。
養父はオレの声にピクリと反応し、ゆっくりと目を開けた。
「……ヒューネ…か…?」
「ああ!」
「ここは……私は……」
意識が朦朧としているのか、養父は視点の定まらない目で中空を見つめ、うわごとのような呟きを漏らす。
しかし、落とした視線の先に、自分の胸に突き立ったナイフを見止め、
「ああ……そうか……」
と、納得と諦めの入り混じった声音で言った。
状況を理解したのか、弱々しい声で続ける。
「トレイヤ…は…?」
「……今、ロシティ達を追っている」
オレは嘘をついた。
養父はトレイヤを信頼していた。
そのトレイヤが裏切ったなどということを知らせることは、オレにはできなかった。
まして、今のような状態の養父には。
「……では、武器が……?」
「……ああ」
オレの嘘を信じた養父に、オレは嘘を重ねた。
「そうか……そうか……」
そう繰り返した養父の口から血が滴る。
その体から力が徐々に抜けていくのを、オレは感じた。
「他の…者達は…?」
「…………」
今度の問いには、オレは嘘をつけなかった。
仮に嘘をついたところで、養父には気付かれてしまっていただろう。
「…………そう…か…」
オレの沈黙から悟ったように、養父は呟き目を閉じた。
「親父……」
オレの呼び掛けに養父は目を開け、視線を辺りに巡らせる。
「…………結局、私は…何も…できなかったな……」
炎と叫喚に包まれた町並みを見、養父が絶望に曇らせた声音で呟く。
そして、片手を胸に突き立ったナイフに添えた。
「アレは……ロシティは……最早…私の手に負える……存在ではなかった……」
養父はナイフの柄に手を掛けると、それを勢いよく引き抜いた。
ナイフが引き抜かれると同時に、血が噴き出、溢れる。
「何を!?」
そう叫び、オレは養父の傷口を手で押さえる。
だが、そんなことをしても血が止まることがないことを、オレはよく知っていた。
熱い液体が指の隙間から漏れ出し、オレの手を真っ赤に染める。
その熱は、養父に残された時間が残りわずかであることを、否が応にもオレに伝えた。
養父は自らの傷口を抑えるオレの手に手を重ね、弱々しい口調で言う。
「私は……構わん……こうなることは…覚悟していた……
だが…何も知らず……死んでいった…者達のこと……を…考える…と……悔やんでも……悔やみ…きれん……」
光が失われつつあるその眼から、一筋の涙をこぼれる。
「親父……心配するな。
ロシティはオレが――」
言い掛けたオレの言葉を、養父が首をわずかに振ってさえぎった。
「無理…だ…………アレは…お前の手に…は…負えん…………
お前…は……生き……延びろ…………」
「だが!」
「これ…は……私からの……最後の……命令…だ…………従って…くれる…な……?」
力なく、しかし力強くオレの手を握り返す養父。
「…………」
オレは無言で養父を見つめた。
オレと養父は無言で視線を交わし、そして養父が再び弱々しく口を動かした。
「そして……これ…は…私から…の…最後の…願い…だ……
もし…もし…いつの日…か……お前が……ロシティを…超え…るだけの……力を…身に付ける…ことが…できたなら…………その時…は……その…時は……この国を……救って…く…れ……」
衰弱しきった声に強い意志を乗せ、養父は強い眼差しをオレに向けて言った。
その言葉はまぎれもなくオレにあてた遺言だと、オレは理解した。
オレは養父の意志を感じ取り、深くうなずく。
と、途端に養父の体から力が抜けていくのを、腕全体で感じた。
養父は安堵したように一息つくと、
「すまな…かった……な…………私に…拾われ…な…けれ……ば……もっと…まとも…な……道を……歩め…た……か…も……しれん…の…に……」
悔恨の念を込めて、オレに謝罪した。
その言葉に、オレは自分の目に涙が溢れそうになるのを感じた。
オレは勢いよく首を横に振り、こぼれそうになる嗚咽をかみ殺し、養父に言う。
「オレは……あんたがいなければ、あの日、死んでいた。
あんたがいたからこそ、オレは生きることができたんだ。
あんたには感謝してもしきれない。
だから……だから、そんなことは言わないでくれ……」
オレのその言葉に、養父は力なく微笑んだ。
これまでに見たことのないほどのその弱々しい微笑みは、養父の最期を、オレに悟らせた。
オレは力を失い、冷たくなっていく養父の手を握る。
「あんたの最後の命令と願い、確かに受け取った。
だから……安心して眠ってくれ…………」
養父が心残りなく逝けるよう、心静かに言ったオレの言葉に、養父はゆっくりと目を閉じ、満足そうに微笑んだ。
閉じられた目から、涙が筋となって流れる。
「……あ…り…が……と……う…………」
静かに息を吐き出し言った感謝の言葉。
それが養父の最期の言葉だった。
養父はオレの腕の中で、静かに眠りについた。
さきほど聞いた爆音がどこか遠くで再び轟いたが、今のオレにはどうでもいいことだった。
養父の亡骸を、いまだ燃え続けている屋敷のそばの森に埋葬し、簡素な墓を作った。
1分か、5分か、10分か。
どれくらいの間、無言無心でその墓を眺めていただろうか。
さほど遠くない場所で燃え盛っている屋敷の熱と、時折聞こえる街からの爆音が、落ち着きを取り戻しつつあったオレの心の動きに拍車を掛けた。
(……爆音…………そうだ、あの爆発は……?)
ようやく思考ができるほどに落ち着きを取り戻したオレは、さきほどの爆発に疑問を持った。
突然起きた爆発。
その直前に空から走った光。
(……魔法……? いったい誰――ッ!)
即座に頭に人物像が浮かぶ。
(誰が? 決まってるじゃないか……!)
立て続けに起きた出来事のせいで、どうやらかなり頭の回転が鈍っていたようだ。
街を破壊して回ったのは誰か。
そんなことは、考えるまでもない。
だとしたら、爆発を起こしたのが誰かも考えるまでもない。
ズゥゥゥゥゥン……
またも街の方から爆音が響いてきた。
(まだ続いている!)
オレは反射的に街の方向に走りだそうとしたが、とどまった。
理由は背後に発生した気配。
いや、殺気。
振り返れば、そこには燃え落ちる屋敷を背負ったロシティの姿があった。
「トレイヤの報告通りだな。
のこのこ戻ってくるとは、思慮が足りない証拠だ」
いつもと変わらない鷹揚な口調でロシティが言う。
そしてチラリとオレの脇にある墓に目を向けると、オレに向って問い掛けた。
「誰の墓だ?」
「…………」
オレは何も答えず、ほとんど無意識にベルトに差したに短剣に手を掛け、身構える。
「……そうか、親父か。
わざわざ屋敷から運び出したのか?」
「ああ……」
オレの答えに、ロシティは視線を墓からオレに戻す。
そして、軽蔑の眼差しで一言。
「余計なことをしてくれたな」
「……何?」
言われた言葉の意味を理解できず、聞き返す。
ロシティは殺気をわずかに膨らませ、オレを睨み据えた。
「余計なことを、と言ったのだよ。
屋敷に火を放ったのは、親父への手向けだったというのに」
「手向け、だと?」
「そうだ。 表も裏も、共に戦火の中で生きてきた親父に相応しいのは火葬だ。
そう思い、火を放ったのだがな。
どうやら、俺の最期の親孝行は見事に邪魔されてしまったらしい」
「ふざけるな! 親父を殺したのはお前だろう!?
殺すことの何が親孝行だ!!!」
想像を超えた冷酷なロシティの言葉に、オレは思わず語気を荒げる。
しかし、ロシティは静かに、そして物思いにふけるように続けた。
「ふざけてなどいない。
俺はお前が思う以上に親父のことを思っていた。
だからこそ殺した。
親父がかつての豪気を失い、日に日に心弱く衰えていくのをこれ以上見ていられなかったのでな」
「そんなふざけた理由で親父を――」
「ふざけてなどいないといったろう」
オレの言葉を遮って、ロシティの殺気が大きく膨らむ。
静かに言い放たれたその言葉と向けられた視線には、明確な殺意が込められていた。
そしてそのまま一歩こちらに滲み寄る。
「親父は変わってしまった。
お前達孤児を拾い始めてから、な。
かつての親父は今の俺以上に強く、冷徹で、残忍で、無慈悲で、強さの上に強さを求め、死の上に死を築き、何者にも束縛されず、何者も寄せ付けず、まさに孤高の士だった。
その姿に俺は幼心に尊敬と畏怖を覚え、そしてその姿こそが俺の目指すべき目標となった。
お前は知らないだろうな、在りし日の親父の姿を」
「…………」
オレはロシティの言う養父の姿を知らない。
オレが知っているのは、厳しくはあったが包容力に溢れた養父の姿だった。
オレの知っている養父の姿は、ロシティの言うロシティ自身の投影のような養父の姿とはまったく重ならない。
嘘。
そう思いたかったが、性格こそ残忍であれ、ロシティが嘘をつかないことは、不本意ながら長い付き合いのオレがよく知っている。
それに嘘を言ったところで、ロシティには何の意味もメリットもない。
オレの知らない養父のかつての姿を聞かされ、いささか動揺するオレ。
そんなオレの動揺を知ってか知らずか、ロシティは続ける。
「まあいい。 知らないお前に何を言っても分からないだろうし、分からせようとも思っていないからな。
それよりも今は――」
言ってロシティは腰に差した剣を引き抜き、切っ先をこちらに向ける。
「親父が誤って育ててしまった失敗作共の始末が先だ」
オレはロシティから発せられる殺気を感じると同時に、その言葉に疑問も感じた。
「失敗作共? まだ生き残ってる奴がいるのか?」
じりじりと後退しながら問うオレに、ロシティは徐々に間合いを詰めながら答える。
「オルゼとラシャラがまだ残っている。
だが、それも時間の問題だ。
お前が気にする必要はない」
まだオルゼとラシャラが生き残っていると聞いて、ほんのわずかだが安堵するオレ。
しかし、今は2人のことよりも自分の身の方が危険だ。
ロシティは一足飛びでオレを斬り付けられる距離にまで迫ってきている。
オレはすでにベルトに差した短剣を引き抜き構えているが、おそらくロシティの速さに反応できないだろう。
なかば諦め気味な思いを胸に、オレは短剣を胸の前に据えた。
そして、間合いを詰めつつあったロシティの足が止まった。
(来るか!?)
反射的にオレは身構える。
しかし、予想に反してロシティは動きを止めたまま。
その視線はオレを通り越し、オレの背後を見据えている。
「おや? せっかくの勝負に水を差してしまいましたかな?」
声は後ろ、ロシティの視線の先から聞こえてきた。
同時に背筋にぞくりと悪寒が走り、オレはとっさに横に跳び、ロシティと今までオレが背中を向けていた方向が視界に入る位置まで移動する。
声が聞こえてきた方向、屋敷から街へと続く道に突如姿を現したのは、オレが今まで見たことのない姿をした男2人。
2人とも後ろの裾が二股に広がった背広のような黒い服に黒い円筒状の山高帽、そして銀の装飾が施された黒い杖を手にしていた。
1人は人族の青年。
歳はオレと同じくらいに見える。
場違いな笑みを浮かべ、ロシティに微笑みかけている。
もう1人は猫獣人。
年齢はオレよりも少し上くらいに思える。
身に付けている衣服や杖と相対する白い被毛の顔に、真紅の瞳を無表情にこちらに向けている。
(こいつ等が燕尾服の男達……)
ラシャラから聞いた特徴そのままの男2人の出現に、場の空気が変わった。
「なるほど、こちらがヒューネ君ですか」
言ったのは人族の青年。
さきほどの声はこちらの青年のようだ。
青年は値踏みするような視線をオレに送る。
「ふむ。 なかなか精悍な顔付ですね。
芯の強そうな方だ。
処分するには惜しい逸材だと思いますが?」
言って青年はロシティに視線を戻した。
「俺が決めたことに不満でもあるのか?」
青年の言葉が癇に障ったのか、ロシティが不機嫌な口調で尋ね返す。
言葉を受けた青年はゆっくりと首を横に振った。
「いえいえ、私はただ自分の意見を述べただけですよ。
組織の処分は貴方に一存するということに異存はありません。
……おっと、そうだ」
青年が何かを思い出したように呟き、体をこちらに向け、シルクハットを脱ぐ。
シルクハットを脱いだことによって、青年のやや長めの金髪がさらりと垂れ下がった。
青年はそのまま優雅な所作で一礼すると、
「ご挨拶が遅れました。
私の名はディアム。
こちらはルービックです。
はじめまして、ヒューネ君。
そして、悲しいかな、さようなら」
芝居がかった口調で言うと、再びシルクハットを被り、ロシティに向き合う。
「では、私達に遠慮なさらずに続きをどうぞ。
……と、言いたいところですが、どうやらもう1組来そうですね」
言ってディアムは振り返り、空を仰ぎ見る。
視線の先をたどれば、そこには見覚えのある姿が。
メルエスとマッドー。
メルエスはゆっくりと降下しながらこちらに近付き、その足につかまっていたマッドーは途中で手を放し、ロシティのすぐそばに着地した。
その片手には、いままでに見たこともない形状の物体が握られている。
それは赤子ほどの大きさがあり、長方形に近い形状をしていた。
マッドーはそれを持ち上げると、角度を変えて眺める。
「いや〜、なかなかすげ〜もんだわ、コリャ〜。
でっけ〜クレーターがぽこぽこできちまう。
オレの美学にゃ〜反するが、これはこれでおもしれ〜な〜」
マッドーが言葉を切ると、地上に降りたメルエスがロシティに歩み寄り報告する。
「連射性能に少々難がありますが、あの破壊力はそれを補ってあまりあるレベルにあると思われます。
ただ、いかんせん機械兵器であるために、対象の指定ができないのが欠点ではありますな」
「それが機械兵器というものです。
誰もが強大な力を得られる代償、とでも言いましょうか。
細かな破壊を行いたいのであれば、各々の力に頼っていただくより他はありませんね。
もっとも、そのボマー程度の破壊であれば誰でもできるでしょうが」
メルエスの言葉に真っ先に反応したのはディアム。
どうやらマッドーの持っている物体が、ロシティ達とディアム達との間でやり取りされた武器のようだ。
そして、おそらく、というよりも間違いなく、オレの目の前で起こった爆発を引き起こしたのもあの武器だろう。
などとオレが考えているうちに、場には不穏な空気が流れていた。
「そりゃ〜、どういう意味だ?
すっげ〜皮肉に聞こえるんだけどよ〜?」
マッドーが威圧的にディアムを睨み付ける。
しかし、ディアムは涼しい顔で、
「いえいえ、私はただ事実を言ったまでですよ。
そんなに睨まないでください。
それとも、貴方はまさかあの程度の破壊が自分にはできないと認めてでもいるのですか?」
どう聞いても火に油を注いでいるとしか思えない言葉を返した。
「てめぇ……」
凄み、マッドーがボマーと呼ばれた兵器をディアムに向ける。
ディアムは変わらず涼しい顔をしているが、脇のルービックが一歩前に出て、静かに殺気を放ち始めた。
まさに一触即発の事態。
と、そこにロシティが介入。
「やめろ、マッドー」
簡潔な制止の言葉に、マッドーが舌打ちしつつボマーを下ろし、ルービックからも殺気が失せる。
「そうですよ。
第一、ここでボマーを使っては貴方方にも被害は出るでしょう?
機械兵器が対象指定をできないこと、もうお忘れですか?」
「あんたも煽ってくれるな」
ディアムのさらなる皮肉に、マッドーが反応する前にロシティが渋い顔で咎めた。
ディアムは笑みを浮かべたまま一礼すると、そのまま口を閉ざす。
マッドーは納得がいかない様子だったが、さすがにロシティにまで逆らおうとは思わないらしく、再度不機嫌そうに舌打ちをした。
一触即発の空気が薄れたところで、メルエスが口を開く。
「ところで彼は?」
言いながらメルエスが示したのはオレ。
場の全員の視線がオレに向けられる。
「処分しないのですか?」
不思議そうに尋ねるメルエスにロシティが答える。
「始末するところだったのだがな。
少し水を差された」
チラリとロシティがディアム達の方を見るが、視線を向けられたディアム達は悪びれる様子はない。
「もうじきに各地の一斉蜂起が起こる時間ですが」
言ってメルエスが懐から懐中時計を取り出して時間を確認する。
それを聞いたロシティは、
「あとどれくらいだ?」
「予定通りならばあと5分ほどで開始されます」
「そうか」
短く答え、ロシティが再び剣を構えた。
「お前達は先にグルーエ達と合流しろ。
俺もすぐにあとを追う」
「了解しました」
ロシティの指示を受け、メルエスが翼を広げて飛び立つ。
その足をマッドーが掴み、2人は空へと昇っていった。
その様子を見送るように見ていたディアムは、
「それでは我々も向かいましょう。 ルービック」
と、ルービックに呼び掛ける。
ルービックは懐から封魔晶を取り出すと、それをディアムに手渡した。
「ではロシティ君。 我々はザッファと合流してから向かうこととします。
またのちほどお会いしましょう。
それとヒューネ君。 さようなら」
ロシティに言付け、オレに別れを告げると、ディアムは封魔晶を発動させ、ルービックと共に虚空に消えた。
残されたのはオレとロシティだけ。
状況はさきほどと何も変わっていない。
もっとも、状況がよくなるなどと期待していたわけではないが。
「さて、とんだ邪魔が入ったが、これで終わりにしよう」
剣を構えたロシティが言う。
そのロシティから放たれる殺気は、さきほどまでの比ではなかった。
間合いと、そしてロシティの殺気からして、ロシティの動きにオレは反応できないまま、オレの体は両断されるだろう。
両断され、地面に転がった自分の体が容易に想像できる。
(生きている自分より、死んだ自分の方が想像しやすいなんてな……)
自嘲気味な思考が頭を巡る。
気付けば、オレはもはや短剣を構えることさえしていなかった。
ロシティの殺気が一気に膨れ上がる。
(これまで……か)
諦めの言葉が頭に浮かんだ。
そして。
ドォン!!!
大音と共に眼前に煙が舞った。
その一拍のち、オレは自分の体になんの異常も起きていないことに気付いた。
(!? 煙幕!?)
「何やってんだ馬鹿野郎!!!」
突然、声が煙幕の中から聞こえた。
同時に、煙幕の中から人影がこちらに飛び出し、オレの横に着地する。
その人影の正体に、オレは思わず声を上げていた。
「オルゼ!!!」
「ぼさっとしてんじゃねぇ!!! 逃げるぞ!!!」
そう言うが早いか、オルゼはオレの胴に手を回し、勢いよく森の中に駆け込んだ。
その刹那、煙幕が吹き散らされ、ロシティが追い迫ってきた。
オルゼはオレを抱えたまま、森の木々を抜け、後方に煙幕を発する玉を撒き散らす。
それらはロシティの前で炸裂し、もうもうとした煙を上げ、オレ達の姿をロシティから遮った。
ロシティは煙幕を吹き散らしながら迫りくるも、木々に邪魔され、あるいは木々の間を複雑に移動するオルゼに翻弄され、なかなかオレ達に追い付けずにいた。
逃げながら、オルゼがオレに話し掛けてくる。
「ラシャラは他世界に逃げてるはずだ。
事が起きちまったら、あいつは逃げるように親父に言われてたからな。
あいつの諜報能力は反ロシティの要になる。
それを見越しての親父の判断だ。
……親父は?」
問うオルゼに、オレは何も答えられず沈黙する。
「……そうか……」
オレの沈黙から悟ったのか、オルゼが小さく呟いた。
そして自分に喝を入れるように歯を食いしばり、
「俺等もさっさと逃げるぞ!」
有無を言わせぬ物言いで言った。
その言葉に、オレはうなずき応える。
と、
「――! くそっ! 煙幕が……!」
オルゼが悪態をつく。
どうやら煙幕が底をついてしまったらしい。
するとオルゼは木々の間を複雑に移動するのをやめ、ほぼ直線での逃走を試みた。
幸い、ロシティは煙幕に巻かれていてまだこちらに気付いていない。
このままロシティの視界に入らなければ、逃げ延びることも可能だろう。
オレはオルゼから離れると、自らの足で駆けだした。
オルゼに目配せし、二手に分かれるように知らせる。
そしてお互いに意を介し、二手に分かれようとしたその時、
「遅い」
恐ろしく静かな声、しかしはっきりと聞こえるその声が、すぐ後方から聞こえた。
反射的にそちらに目を向けると、そこには剣を振り構えたロシティの姿が。
剣を水平に構え、一薙ぎでオレの首を刎ねられる位置にいる。
もはやかわせる距離ではない。
(――!!!)
諦めも覚悟も脳裏にはよぎらない。
それでいて、ロシティが剣を振るうまでの一瞬が驚くほど長く感じられた。
ロシティの腕が剣を振るおうと力をためた。
その刹那。
頬に何かが当たる感触。
そして、横から突然現れ、目の前に広がる赤。
(!?)
それが何かを認識するより早く、目の前の赤は後方から来たロシティの顔面を直撃。
「ぐっ!?」
赤に顔面、目を急襲されたロシティは呻き声をあげ、剣を振ることさえできずに立ち止まった。
これを好機と、ロシティの視界が回復するよりも早く、オレはロシティから離れようと駆けだす。
だが、その瞬間、視界に赤く染まったオルゼの姿が目に入った。
(オルゼ!?)
とっさにそちらに向かい、状況を理解できぬままにオルゼを抱え上げ、ロシティから離れる。
その間に脇に抱えたオルゼに目を落とせば、オルゼは首筋からおびただしい量の血を流していた。
「オルゼ! オルゼ!」
ぐったりとしているオルゼに呼び掛ける。
「う……」
オルゼはわずかに身じろぎし、小さく呻く。
が、次の瞬間。
「はっ!?」
オルゼは目を見開き、オレを地面に押し倒した。
そして間をおかず、地面に伏したオレの上を無数の闇線が通り過ぎていった。
「ぐっ!!!」
闇線が通り過ぎると同時に聞こえた苦鳴。
その苦鳴に反応し、顔を上げれば、そこには体を闇線に貫かれたオルゼの姿が。
「オルゼ!!!」
ロシティに気付かれる可能性も考えず、オレは叫んでいた。
体のいたる所から血を流し、膝から崩れ落ちるオルゼを抱き止める。
オルゼは全身を小刻みに痙攣させ、震える口で呟く。
「早く…ここから…離れろ……!
次が…来る……!」
「!!!」
それを聞いて、オレはオルゼを抱え上げてその場を全力で離れた。
そしてややあって。
後方で凄まじい爆発が起きた。
爆発は森の大半を飲み込み、夕闇に覆われつつあった空を赤々と染め上げた。
やっとのことで森を抜けたオレは、目の前に崖を確認すると、次に来る爆風に備えて崖の下に飛び降りた。
その数秒後、崖の上を爆風が通り過ぎて行った。
爆風によって吹き散らされた土砂が崖下に降り注ぎ、頭上に木々の葉が生い茂っているとはいえ、かなりの量の土砂がオレ達の上に降り積もる。
やがて土砂が納まると、降り積もった土砂を振り払い、血と土にまみれたオルゼに呼び掛けた。
「オルゼ! オルゼ!」
「……う……」
小さく呻き、薄く目を開くオルゼ。
かすかに目を動かし周囲を確認すると、小さな声で語り掛けてきた。
「ロシティは……?」
「分からない。 だがここなら簡単には見つからないはずだ」
「そう…か……なら…一安心…だな……」
オルゼが声を発するたびに、ヒューヒューと空気の漏れるような音も同時にオルゼの口から発せられる。
その全身を見れば、土にまみれているとはいえ、かなりの出血が見て取れる。
しかも、どうやら闇線で貫かれたと思しき場所からは、じわりじわりと血が溢れ出していた。
何より出血がひどいのは首筋。
動脈を切り裂いたかのように大量に出血している。
「…………」
瀕死のオルゼの状態に、オレは言葉をなくす。
その姿は、養父の姿とだぶって見えた。
死。
その最悪の考えが頭をよぎった。
(やめろ!!!)
頭に浮かんだ悲観的な考えを振り払うように、オレは首を振る。
すると、オルゼが空気の漏れる口で呟いた。
「こりゃ……もう駄目だな……」
「! 何を……!」
声を荒げて反論しかけたオレに、オルゼが薄く微笑む。
「どっちも……回復手段…ねぇだろ……?」
「――!」
「仕方…ねぇさ…………あいつ相手に…これなら……上出来だ……」
「オルゼ……」
オルゼの名を口にし、オレは無意識に最も出血のひどい首筋に手を添えた。
それを目で追い、オルゼが自嘲気味に笑う。
「にしても…さすがに首切ったのは……まずった…かな…?」
「……首?」
言われたことの意味が理解できず考えるオレ。
と、ふとさきほどの場面を思い出す。
横から突然現れた赤。
直後に首筋から血を溢れさせたオルゼ。
そこまで考え、オルゼの言葉の意味を知る。
「お前、まさか!?」
「効いてたろ……? 俺の血の…目潰しは……?
けど…急いでたから…な…………思ったより…深く…切っちまった……」
言って自嘲するオルゼ。
それを聞いたオレは、オルゼの首に添えた手に触れるオルゼの血に、より熱い熱を感じていた。
(オレを助けるために…………なのにオレは……!)
オルゼの捨て身の行動に、オレは何も報いることができない自分を責めた。
しかし、
「気に…すんな……」
そんなオレの自責を見透かしたように、オルゼは優しい言葉をオレに投げ掛けた。
「お前の…せいじゃねぇ…………俺が……自分の意志で……したことだ……」
「だが!」
「…へへ…へ……お前は…相変わらず…真面目…だな………………やった…本人が…いいって言ってん…だ……ぜ……?」
なおも自分を責めようとするオレを諭すようにオルゼは笑う。
そして小さく息を吐いて言葉を続けた。
「……この国は…もう……終わりだ………………今…この国に……あいつ等に…対抗…できる奴ぁ……いねぇ……」
「…………」
「…………逃げろ……ヒューネ……」
「何を……」
「他の…世界…に……逃げろ…………」
「……オレは……」
「親父なら……そう…言うはず…だ……」
「!!」
「ここから逃げて……忘れちまえ…………全部…な……」
「忘れるなんて、そんなこと――」
「けどよ……もし…それでも…もし…………どうしても……やりきれねぇ…気持ちが…あったら…………力…付けて……戻って……こい………………な……?」
「オルゼ……」
養父と同じ言葉を言うオルゼの姿が、今際の際の養父と重なる。
自然と涙が溢れてくるのを、オレは否応なしに感じた。
「へ…へへ……泣いて…くれるな……よ…………死んでも…死にきれねぇ…だろ……?」
「……バカなこと言うなよ……」
「へへ…へへへ……」
オレの嗚咽と、力ないオルゼの笑い声が静かに混じり合う。
土砂はすっかり降りやみ、辺りには静寂が戻ってきていた。
そして、やがてオルゼが静かに語り始めた。
「俺……弟が…いたんだ……」
「……?」
「義理の……だけど…な………………黒い…竜人の…子でさ…………親父に…拾われる……少し…前に……飢えで…死んじまった……」
唐突に語られたオルゼの過去に、オレは静かに耳を傾けた。
「俺は……それが…どうしても……納得できなくて…………それが…どうして…も……悔しくて…………弟を…生き返ら…せる…方法を……探したんだ……」
オルゼは言葉を切り、大きく息を吐く。
「……でも…駄目……だった……………………見つけたのは……外法…ばかりで……あいつを……まともに…生き返らせる…手段……見つけ…られなかった……」
「……オルゼ……」
無念そうに言葉を切ったオルゼに、オレは掛ける言葉も見つからず、名を呼ぶことしかできなかった。
「…………ヒューネ……」
呼び掛けるオルゼ。
「……何だ?」
「逃げるのに……その名前じゃ……具合…悪い……だろ……?」
「……?」
「裏で……手配…回るかも…しれねぇ……だろ……?」
「……かもな」
同意したオレに、オルゼは静かに微笑み掛けた。
「……お前に……弟の名前……やるよ…………」
「何……?」
「……真面目なとこが……弟……そっくり……だし…………それに……顔も……ちょっと……似てたし…な……」
オレを見て、懐かしむようにオルゼが微笑む。
オレの姿に弟の姿を重ねているのだろうか。
「生きてたら……お前と…気が合った……だろう…な……」
「オルゼ……」
「……使って…やって…くれる……か……?」
問うオルゼに、オレは深くうなずいて応えた。
それを見たオルゼは、満足そうに微笑んだ。
「弟の…名前は…………バンネ…………」
「バンネ……」
「ああ…………使って…やってく…れ……」
「分かった」
答え、再度うなずくオレ。
すると、オルゼは大きく息をつき、
「ありがと……な……」
満面の笑みと共に、礼の言葉を述べた。
そして、中空に視線を向け、呟くように言う。
「へ…へ……勝手…に……名前…あげ…ちまって……あいつ……おこ…る……かな……」
独り言のようなオルゼの言葉を聞きながら、ふと気付いた。
オルゼの首筋から溢れる血の量が、明らかに少なくなっていることに。
「オルゼ? おい、オルゼ!?」
予感に、オレは必死で呼び掛けるが、オルゼは中空を見つめたまま、
「……いや……おこら…ねぇ……か………………あい…つ……優し…い……から…………な……」
その瞳から、徐々に光が失われつつあった。
「オルゼ! オルゼ!!!」
オレの呼び掛けに、オルゼの瞳が動いた。
こちらを見つめ、瞳に最期の光が灯る。
「……じゃあ……な…………ヒュー……ネ…………」
力のない微笑みと共に、オルゼの瞳が光を失った。
「オル…ゼ……? おい、起きろよ……」
抱え起こすも、オルゼは重力に身を任せ、ぐったりとして動かない。
溢れ出る血は、もうほとんど止まっていた。
「オル…ゼ…………」
名を呼び、嗚咽を上げ、オレはオルゼを抱き締めた。
冷たくなりつつあるオルゼの胸に顔をうずめて閉じた目に、暗澹とした未来が映った。
暗く、淀んだ、暗澹とした未来が。