月は新月に近い三日月。

夜目の利く者なら、周囲の様子が大まかに分かる程度。

黒衣を纏い、黒い地肌をしたオレの姿は、よほど注意して見なければ分からないだろう。

ここはとある屋敷の3階テラス。

大きな窓から室内の様子をうかがう。

明かりの消された室内は暗く、ほとんど何も見えない。

が、今回のターゲットのいる位置は、かろうじて確認できた。

壁沿いに据え置かれた天蓋付きのベッドの上、そこにターゲットはいた。

ターゲットは中年の人族の男性。

表向きは貿易商を営んでいるということだが、裏では麻薬などの密輸も行っているらしい。

オレはガラスを切る道具を腰袋から取り出し、それを窓のガラス部分に押し当てると、それを回転させてガラスを円形にくり抜いた。

次いで、オレはその穴から内部に腕を伸ばし、窓の鍵を開ける。

鍵はカチャリと音を立て、窓は静かに開いた。

夜風が室内に吹き込み、窓の脇のカーテンがかすかに揺れる。

と、男がモゾモゾとベッドの上で身じろぎをした。

どうやら寝付きが浅かったらしい。

風に気付いた男がこちらに向かって寝返りをうち、わずかに開いた目でオレの姿を見止めた。

次の瞬間、男が覚醒し、ガバッとベッドから上体を起こした。

しかし、オレは慌てることなく、行動に移った。

ベルトに水平に差された暗殺用の短剣を右手で引き抜き、返り血が掛からないよう、上体を起こした男の後ろに移動。

そして、左手で男の口を押さえ、短剣を男の胸と腹の中間あたりで水平に構え、肋骨の下から自分の方に突き上げるように一突き

後ろからなので見えないが、男の形相が変わったのを左掌で感じた。

短剣を引き抜くと共に、男を掴んだ左手をほどき、ベッドから下りる。

支えを失い、前のめりに倒れる男。

男の口からは血が溢れ、短剣を突き刺した傷口からはおびただしい量の血が流れ出し、闇の中で毛布を黒々と染めていった。

手応え、そして結果共に、男が絶命したことは明らかだった。

念の為に心臓が停止していることを確認し、ターゲットを完全に仕留めたことを確認すると、オレは侵入した窓から外へと出る。

そして振り返ることなく、3階のテラスから跳び下りた。

 

 

「よくやってくれました」

わずかなランプの明りが灯った広い部屋。

部屋の端すらおぼろげな薄明かりの中で、目の前のソファに腰掛けた、暗殺の依頼主である人族の男が満足気な口調で言った。

ニヤニヤと薄汚く笑うその男はどうもいけ好かなかったが、契約している以上、露骨な嫌悪感をあらわにするわけにもいかない。

「契約は果たした。 失礼する」

オレは努めて無感情にそう言い放ち、部屋を出ようとした。

しかし、そのオレを、

「少々お待ちを」

男が呼び止めた。

オレは足を止め、男の方を振り返る。

「契約はまだ完了しておりませんでしょう?

 私は暗殺を依頼したのですから、ターゲットの完全な死を確認するまでは少なくとも」

言った言葉とは裏腹に、男の声に暗殺の結果報告に対する疑いの念は感じられない。

再度オレは結果を報告する。

「……ターゲットの絶命は確認している。

 心臓への致命傷、失血死に至るほどの大量出血、心臓の停止の確認。

 ターゲットが生きている道理はない。

 それに遅くとも明日の昼までには、公式の情報がそちらの耳にも入るはずだ」

「ええ、そうでしょうね。

 明日の昼までにはね」

「……何が言いたい?」

含みのある男の言葉に、オレは男を睨み据えながら尋ねる。

しかし、オレの睨みを一笑し、男は余裕のあるニヤつきを浮かべたまま答えた。

「公式な情報が入るまで、契約は完了していないということですよ。

 ですから、私はいまだあなたの依頼主ということになる」

「…………」

「あなた、なかなかいい体をしていらっしゃる……」

そう言って、男は陰湿な笑みを浮かべた。

 

 

「よっ、おかえり」

長く、幅の広い石造りの廊下で、後ろから声を掛けられた。

聞き馴染みのある軽い声。

振り返ると、少し離れた場所に見知った豹獣人の男の姿があった。

名はオルゼ。

歳はオレと同じ。

そして仕事も。

「ああ」

オレは短く返答し、オルゼがこちらに歩み寄ってくるのを待つ。

オレより頭1つ分背の低いオルゼは、オレの前で立ち止まると少し見上げる形でオレに話し掛けてきた。

「今戻ったの? ヒューネ」

「ああ」

「成功? 失敗?」

「成功だ」

「あそ。 そりゃよかった」

「お前はどうなんだ?」

「俺ちゃん? 俺ちゃんはいつでもバッチリだよ〜。

 失敗なんてあるはずないじゃん?

 さっきに親父に報告が終わったとこで、今帰り。

 ヒューネはこれから報告?」

「ああ」

「じゃ、行ってらっしゃ〜い。

 あ、明日暇?

 オレちゃん明日非番だから、暇だったら一杯どう?」

「ああ」

「じゃ、夕方にいつもの店集合ってことで」

「ああ」

「ほんじゃ、おやすみ〜」

「ああ、おやすみ」

世間話にも似た会話を終えると、オルゼは口笛を吹きながら、踊るような足取りで去っていった。

廊下の曲がり角で振り返り、こちらに向かって手を振るオルゼに、オレは手を挙げただけで応えた。

自分でも思うほど簡潔で無愛想なやりとりだったが、オルゼとはもう20年近くの長い付き合いになるので、これだけでも充分に意思の疎通はできているし、それでオルゼが気を悪くすることもないことをオレは知っている。

オルゼを見送ったあと、先のオルゼとのやり取りの通り、今日の仕事の報告の為、養父のいる部屋へと向かった。

屋敷は広い。

地上4階、地下2階の計6階。

しかも縦だけではなく横にも広いうえ、更に入り組んだ造りになっているので目的地までは遠い。

幾度か廊下の角を曲がり、階段を上って4階。

その中央部に目的の部屋はあった。

黒塗りの重厚な鉄製扉。

両開きのその扉に手を掛け、押し開く。

部屋の中は扉同様、黒を基調にした重厚な造りになっていた。

そしてその奥の机に、1人の鷲鳥人が、椅子に深く腰掛けてこちらを見ていた。

歳は50近く、初老と呼ぶのがふさわしいだろうその男は、眼光鋭くオレを見据えている。

「報告を」

養父はうなずいて答え、オレに目の前に来るように目配せした。

オレが扉を閉めると、養父が間をおかずに指示を出す。

「鍵を」

言われるまま、オレは扉に施錠し、養父のいる机の前に移動。

同時に、養父が口を開く。

「首尾は?」

「予定通りに」

「そうか。 よくやってくれた」

ねぎらいの言葉とは裏腹に、無感動に言う養父。

しかし、オレは別段気にはしない。

むしろ、冷静であまり感情をあらわにすることのない養父らしいとさえ思える。

一拍置いて、養父が机の上で両手を組み、オレの目を見据えたまま口を開いた。

「ところで例のことだが、考えてくれたか?」

「……ああ」

養父の問いに、少し惑いながらもオレは答えた。

唐突な話題転換で、しかも曖昧な問い掛けだったが、その問い掛けの内容がオレにはすぐに理解できた。

以前から言われていた話だ。

「それで?」

急かすように答えを求める養父。

オレはしばし考え、といってもすでに答えは決まっていたのだが、

「やはり断らせてほしい。

 オレが継ぐのは筋違いだと思う」

きっぱりと答えた。

それに対し、養父は難しい顔をして考え込んでしまった。

以前から言われていた話。

それはオレが養父の後を継ぐという話だった。

それ自体は悪い話ではない。

暗殺という裏仕事とはいえ、今更暗殺に抵抗を感じることもないし、最近では依頼さえあれば誰も彼も暗殺するわけではなくなってきている。

無論、だからといって暗殺という仕事が綺麗な仕事なわけはないが、それでもそれなりの矜持を持つことはできると思っている。

というより、散々裏仕事で手を汚してきたオレが、今更表の世界で生きられるとは思えない。

だから悪い話ではない。

しかし、オレは素直にこの話を受けるわけにはいかなかった。

養父には、実の息子が1人いる。

名はロシティ。

年齢はオレと同じで、今現在、オレと同じようにアサシンとしてこの組織で動いている。

当然、実子がいるのだから、彼が後を継ぐのが筋なのだが、養父がそれを望まず、オレに後を継がせようとするのにはわけがあった。

ロシティの性質はまさに狂。

その性質はターゲットを暗殺する為の行動に表れている。

警備に囲まれたターゲットを始末する為、警備の目をそらす目的で、まったく関係のない人々の集まっている建物を爆破したり、建物の中にいるターゲットを始末する為に建物に火をかけ、延焼によって周りの人家をも焼失させたり。

本来、暗殺とはターゲットのみをすみやかに排除するのが定石なのだが、彼にしてみればターゲットさえ始末できれば定石などお構いなし。

むしろ、そんな定石は手枷足枷にすぎないと考えているのだろう。

とにかく、目的達成の為には手段を問わず、犠牲もいとわない。

しかも、ターゲットもただ殺すだけではなく、自分の気の済むまで嬲ってから殺す。

ターゲットの死体が原形をとどめていないことなど、ざらにある。

更に、彼の狂気はそれだけにとどまらない。

彼は、依頼人をも平然と殺す。

契約に違反したから、金を出し渋ったから、酷い時には態度が気に食わなかったからというのもある。

ここまできては、もはや強盗と変わりない。

しかし、それでもなお、彼が組織にいられるのは、その実力によるところが大きい。

おそらく、組織の中でもその実力は群を抜いてbPだろう。

かつてアサシンとして鳴らした養父の実力をも上回っているかもしれない。

その為、養父も彼を組織から追い出すことができないでいるのが現状だ。

そんなわけもあって、養父は組織を彼にではなく、オレに継がせようとしている。

だが、どんな理由があれ、実子である彼を差し置いて、オレが後を継ぐわけにはいかない。

もしオレが組織を継いだとしたら、彼と彼に追従する連中が黙ってはいないだろう。

そうなれば、かつての仲間同士、血で血を洗う殺し合いになることは目に見えている。

そう判断した結果、オレはこの話を断ることにしたのだ。

もちろん、養父としてもそれを承知のうえでの話だろうが。

「そうか……そうか……」

養父は呟くように言葉を反芻し、瞑目している。

オレはその様子を、無言で見つめていた。

ひとしきり考え込んだあと、養父が顔を上げて言う。

「ヒューネ。 もう一度考えてはくれんか?」

「……だが……」

「知っての通り、アレは私の後を継ぐには問題がありすぎる。

 私の目の黒いうちは、まだ私の信頼で依頼もこよう。

 だが私が死に、アレが後を継いでは、この組織はほどなくして消える」

「…………」

沈痛な面持ちで言う養父に、オレは口を閉ざす。

オレの沈黙を見て、養父の表情が更に曇る。

机の上で組み合わせた両手を額に押し当てながら、何かを悩むように思案しているようだ。

そして、しばらくの思案ののち、重い口調で言った。

「……内戦を起こそうとしているのかもしれん」

「……まさか……」

突拍子もない養父の言葉に、苦笑い交じりにオレは言葉を返す。

しかし、養父は沈痛な面持ちのまま話を続ける。

「まだ正確な情報はつかめていないが、このところアレが頻繁に政府の上層部や武器商と接触しているらしい。

 無論、それだけで内戦を起こそうと思っているなどと言うのは早計過ぎるのかもしれんが、アレのことだ。

 可能性としては高いだろう」

「いくら何でも内戦など……」

「では、お前は『ない』と言い切れるか?」

「…………」

養父の言葉に、オレは答えを返すことはできなかった。

ロシティの性格を考えれば、あり得ない話とは言い切れない。

「この組織が潰れるだけならまだいい。

 だが、万が一にも内戦など起こさせるわけにはいかん。

 それでは本末転倒だ」

言って、養父は大きく溜息をつき、体を椅子の背もたれに深くもたれかけた。

養父がこの組織を作ったきっかけ。

それはかつてこの国で起きた内戦にあった。

20年ほど前、この国で全国規模の内戦が勃発した。

内戦を憂えた養父は、その内戦を終結させる為にこの組織を発足。

その時、構成員として選ばれたのが、オレやオルゼのような、内戦で親を亡くした孤児達だった。

養父がなぜオレ達のような孤児を構成員として選んだのか、その正確なところは分からない。

が、子供は何事に対しても吸収が早く、また善悪の頓着が薄い為に、暗殺という汚れた仕事にもあまり抵抗がない。

その為、養父はオレ達のような孤児をアサシンとして育て上げたのではないかとオレは思っている。

しかし、養父の思惑がどうであれ、養父がオレ達孤児の命の恩人であることに違いはない。

なぜなら、道端で飢えて動けずにいる孤児が内戦を生き延びることなど、まず不可能だからだ。

事実、養父に拾われる前の自分の状況を思い返してみて、養父に拾われずにいたならば、こうして生きていられた気はまったくしない。

ともあれ、養父はオレ達をアサシンとして育て上げ、育ったオレ達の働きがどの程度影響したのかは分からないが、数年前に内戦は終結。

果たして、養父の憂いは晴れることとなった。

だが、ようやく終結したその内戦を、今度は息子が起こそうとしているかもしれない。

そんなことは、養父としては断じてあってはならないことなのだ。

「だが……」

沈黙を破って、オレが口を開く。

「政府上層部と会ってると言っても、仕事を受けているだけかもしれない。

 武器商とも、仕事で使う武器の調達で会っているだけかもしれない」

もっともな予想を言うが、養父もそのことは頭にあったようで、

「かもしれんが、楽観できんことは確かだ。

 今、アレの行動の裏をオルゼを中心に探ってもらっている」

「オルゼに?」

「ああ。 現段階の報告ではまだ目立った動きはないようだがな。

 だが、接触しているにしては動きがなさすぎるのが気にかかる。

 今後も引き続き探ってもらう予定だ」

「……もし、ロシティが内戦を起こそうとしていることが確かだとしたら?」

「…………やむを得まい」

暗澹とした表情で、絞り出すように養父は言った。

その心中は、オレには察することはできない。

オレは沈み込んだ養父に背を向け、

「……さっきの話、もう少し考える時間をくれ」

その言葉だけを残し、養父の部屋をあとにした。

 

 

養父の部屋を出たオレは、自分の部屋へと戻る為、長い廊下を進んでいた。

組織の構成員のほとんどがこの屋敷で生活をしている。

といっても、この屋敷で生活をしているのは、かつての内戦で養父に拾われた孤児だった者ばかりで、外部から新たに入った構成員は別の場所で生活をしている。

オレの部屋は3階にあり、養父の部屋からもそう遠くはない。

その道すがら、オレはさきほどの養父の話を考えていた。

後継ぎのこと、内戦のこと。

言葉すればたった2つのことに過ぎないが、その2つのことがあまりにも大きく、あまりにも多くの問題をはらんでいる。

そして、そのどちらにもロシティの存在が大きくかかわっている。

正直なところ、オレはロシティのことが嫌いだ。

子供の頃から今に至るまで嫌いだ。

傲慢で残忍で冷酷で非情な性格、それだけでも嫌う要素が有り余っているというのに、向こうも昔からオレが養父に目を掛けられていると考えていて、目の敵のように嫌っている。

むしろ、向こうはオレのことを殺そうとさえ思っているかもしれない。

これでは好ける要素がどこにもない。

しかし、今は感情抜きで考えることが大事。

これは組織の先行きのみならず、この国の先行きにもかかわるかもしれないことなのだから。

とはいえ、ロシティの行動の裏が取れなければ、こちらとしても何もできない。

下手に準備や行動を起こして、もしロシティの行動に養父の懸念していたようなことがなかった場合、今度はそれが原因で内部分裂の危険性がある。

(……今は考えても仕方ないか。

 オルゼ達の報告待ちだな…………ん?)

オレが考えをまとめた時、前方の曲がり角に人影が見えた。

オレよりも頭2つ分は背が低いだろう人影は、こちらを向いて立ち止まっている。

(……こんな時に)

内心、舌打ちして、人影の方に歩いていくオレ。

できれば今はそばに寄りたくはないが、オレの部屋がその方向にあるうえに、ここで廊下を戻ろうものなら、あとで何を言われるか分かったものじゃない。

ある程度人影に迫った時、人影がオレに声を掛けてきた。

「こんな時間までお仕事?

 キヒヒ、随分と仕事熱心だねぇ、ヒューネさん」

「……何か用か、ラフト」

癇に障る嫌らしい喋り方で、卑屈な笑みを浮かべてオレを上目遣いで見上げる鼠獣人に、オレは気もなく答えた。

「用がなきゃ声を掛けちゃダメかい?」

「できれば今は遠慮してほしいな。

 用があるなら別だが」

「なら話し掛けてもいいことになりますねぇ。 ウフフ……」

そう、慇懃無礼とも言える口調で言ったのは、目の前のラフトではなかった。

曲がり角の奥、オレの部屋がある方からもう1人の人物が姿を現す。

それは、ラフトと瓜二つの姿をした鼠獣人だった。

ラフトの双子の兄、レイトだ。

こちらも卑屈な笑みを顔に張り付けて、オレを上目遣いで見上げている。

「ロシティさんがお呼びですよ。

 『地下の自室』まで来てほしいとのことです」

「……用件は?」

「さぁ、そこまでは」

言ってニヤニヤと笑うレイト。

その様子から察するに、おそらくはロシティの用件を知っているのだろう。

いや、むしろオレに対して、『分かっているだろう?』と言っているように見えると言った方が正しいか。

断りたいところだが、ロシティの取り巻きであるこの2人が迎えに来ている以上、断れもしない。

「分かった。 行こう」

「ではお供しましょう」

言って、レイトが先導するようにオレの先を歩き始めた。

オレはそのあとに付き、ラフトはオレの後について歩く。

まるで護送されているような気分だ。

しかも、連れて行かれる場所が『地下の自室』とあっては。

この屋敷の地下は2階ある。

地上部分ほどの広さはないが、それでも普通の民家ならすっぽり入るほどの広さはある。

1階は武器庫になっており、構成員は必要に応じてそこから武器を持って行けるようになっている。

2階は牢屋と尋問室、そして拷問室になっている。

今はどれも機能していないが、かつてはターゲットの居場所が分からない場合に、ターゲットに近しい人物から情報を聞き出す為に使われたり、構成員が違反を犯した場合に使われたりしていた場所だ。

ただ、拷問室だけは、ロシティが『地下の自室』と称して使っている。

つまりは、拷問室本来の機能を果たしているらしい、ということだ。

ロシティが拷問室に出入りしているのは知っていたが、拷問室を機能させているのかどうかまでは分からない。

実際に見たわけではないし、本人にも取り巻きにも確認したわけではないが、組織内でそういう噂があることは耳にしていた。

オレは今、そこに連れて行かれようとしている。

長い廊下が、更に長く感じられた。

その道中、後ろを歩くラフトがオレにちょっかいを掛けてきた。

前を歩くオレの尻尾を、指先で何度も嫌らしくさすってくる。

「おい、やめろ」

「おーっと、ゴメンゴメン。

 あんまりにも艶めかしく動く尻尾だったから、ついね。 キヒッ!」

耳に障る笑い声を発し、ラフトが後ろに離れる。

が、しばらくすると、またオレの尻尾を弄り始めた。

しかも、今度は感触が違う。

後ろを振り返って見てみると、今度はオレの尻尾を指先でさすっているのではなく、両手でつかんで自らの股間に擦り付けていた。

これにはさすがに頭に血が上った。

「やめろ!」

叫んで、力任せに尻尾を振り回す。

しかしラフトは、オレが尻尾を振り回すと判断するや否や、身軽に後ろに跳び下がり、これを回避。

オレの尻尾はむなしく宙を切った。

「キヒヒヒッ! そんなに怒るなよ。

 ちょっとしたスキンシップだろぉ? キヒヒッ!」

悪びれた風を見せず、ラフトが言う。

前を行くレイトも立ち止まって振り返り、

「そんなにラフトに弄られるのが嫌でしたら、尻尾を持って歩いてはいかが?

 それに、あまり大声を出されては、周りの部屋に迷惑が掛かりますよ? ウフフフ……」

と、弟のしたことを咎めるどころか、逆にオレに非があるように言い放った。

ロシティの取り巻きの中でも、オレはこの2人が特に気に入らなかった。

卑屈な顔付も、陰険な性格も、人を小馬鹿にした態度も、すべてが癇に障る。

それに、それとは別に、オレにはこの2人を嫌う理由があった。

常に2人1組で動くこの2人が手を掛けたターゲットの死が公式に伝わる時、その死は必ず強姦魔による犯行とされる。

つまり、この2人はターゲットを殺す時、必ず犯してから殺しているのだ。

ターゲットが女でも男でも。

それがオレには気に入らない。

かくいう、オレもこの2人に襲われたことがある。

この2人も組織発足時からの構成員なのだが、オレがまだ10歳くらいの頃、夜寝ている時に、この2人に犯されそうになった。

その時はオルゼがそばにいて未遂で済んだのだが、オレの心にはいまだにそのことが遺恨となって残っている。

それが尾を引き、オレはこの2人が気に入らなかった。

「…………」

オレは2人を睨み付け、2人を置いてさっさと廊下を歩き出した。

2人は後ろで挑発するかのように声を殺して笑っている。

しかし、ここでまた頭にきては、2人の思うつぼだ。

オレは2人を無視して、1人廊下を歩き続けた。

2人もあとを付いてくるのが気配で伝わったが、それ以降、何かちょっかいを掛けられることも、話掛けられることもなく、目的の部屋の前に辿り着いた。

硬い岩壁に、重苦しい鉄の扉が張り付いている。

拷問時の声が外に漏れないよう、分厚い岩壁と鉄扉とに仕切られているこここそが、ロシティの『地下の自室』、拷問室だ。

ここに来るのは、内戦が終わってからは初めてのことだった。

薄暗がりの中、鉄扉の取っ手に手を掛ける。

下に向って取っ手を押し下げ、そのまま鉄扉を奥に押し込むと、鉄扉が重い音を立てて開いた。

途端に、生暖かい空気が拷問室から流れ込んでくる。

その空気に、わずかな血臭と、妙に甘ったるい香の匂い。

残った血臭を消す為にでも焚いているのだろうか。

しかし、あまり効果はないように思える。

室内は廊下よりも暗かった。

といっても、手元足元は充分に見えるほどの暗さだ。

室内の十数か所に灯った蝋燭が、室内の様々な拷問器具を映し出す。

揺らめく蝋燭に映し出された拷問器具は、壁に、床に、天井に、その不気味な陰影を映し出している。

かつて、これらの器具が使用されるところを、オレも何度か見ている。

そのたびに胸糞が悪くなったものだが、使用されていない状態のこれらの器具を見ただけでも、今では胸糞が悪くなる。

そんな拷問器具に取り囲まれるようにして、部屋の奥に複数の人影があった。

人影の数は5人。

虎獣人のグルーエ。

非常な無口無表情で、何を考えているのか分からない。

ただ、彼に狙われたターゲットは、常に原形をとどめていないほどに引き裂かれている為、必要以上の攻撃をターゲットに加える残忍性を持っていることは確かだ。

蛇竜人のイナス。

いつもニヤ付いていて、人を見下す高慢さが鼻に付く。

毒物に精通しており、暗殺の際も好んで毒を用いる。

事実かどうかは分からないが、毒の効果を確かめる為に、一般人をさらってきては実験体としているという。

狼獣人のマッドー。

奇行の目立つ、ロシティの取り巻きでもとりわけ近寄りたくない人物。

暗殺の時は、決して自らの手は汚さないという美学を持ち、ターゲットの親兄弟や子供など、ターゲットに近しい人物を利用してターゲットを暗殺するという手段を取る。

梟鳥人のメルエス。

常にロシティのかたわらにいる彼の側近的存在で、組織の諜報員の1人。

頭の回転が速く、隠密行動に秀でており、それを活かして非常に正確な情報を仕入れてくる。

ロシティもその情報には全幅の信頼を寄せている。

そして、鷲鳥人のロシティ。

彼等は一様にオレに敵意のこもった視線を送り付け、とりわけロシティは殺意さえ見え隠れする視線を送り付けてきていた。

前方の5人に加え、後方のレイトとラフト。

肩書上は仲間なのだが、実質敵に囲まれていると言って差し支えないだろう。

だがオレは素知らぬふりをして部屋の中に足を踏み入れた。

怖気付くような素振りを見せれば、たちまちのうちに彼等の攻撃が始まりかねない。

一触即発の雰囲気の漂う部屋中に轟くような残響を残して、後ろで鉄扉が閉められた。

と同時に、錠の落ちる音も。

もう逃げ場はない。

「連れてきましたよ、ロシティさん」

レイトが言う。

肘掛椅子に座っているロシティが軽く手を上げて、レイトとラフトをねぎらった。

次いで鷹揚な口調で、そして明らかな敵意のこもった声音でオレに話し掛けてくる。

「仕事が終わったばかりなのに、よく来てくれたな、ヒューネ。

 俺がお前の所に出向いてもよかったのだが、ここの方が落ち着いて話ができていいだろうと思ってな。

 まあ御苦労だったが、気を悪くしないでくれ」

ニヤリと口元をゆがめて言うロシティの目に、しかし笑みはない。

言った言葉にも、謝罪の意は感じられない。

仕事で神経をすり減らしたあとで、しかもここに来るまでにレイトとラフトにされたこともあって、いささか気が立っていたオレは、自分の置かれた状況を知りつつも反撃した。

「面倒な言い回しだな。

 『お前の所まで行く気はない。ここなら自分の方が有利に話を進められる』と、そうはっきり言ったらどうだ?」

オレの挑発めいた言葉に、ロシティの取り巻き達の顔色がにわかに変わる。

が、言われた当のロシティは顔色一つ変えず、まるでオレの言葉など聞かなかったかのように話を続けた。

「少しお前に聞きたいことがある。

 まあ、立ち話も何だから座れ」

言って、脇にいたグルーエに嘴をしゃくって指示を出す。

指示を受けたグルーエが部屋の隅から肘掛椅子を持ち出し、ロシティの座っている椅子から5mほど前に離れた位置に置く。

もしオレがロシティに危害を加えようとしても、周りの4人が反応して防げるだけの余裕がある距離だ。

オレが彼等を警戒しているように、彼等もオレを警戒しているらしい。

オレは置かれた椅子に腰かける。

それを見計らい、ロシティが口を開いた。

「さて、単刀直入に聞こう。

 最近、俺の周りを嗅ぎ回っているのはお前か?」

さきほどとは打って変わった直接的な言い方に、オレの心臓がドクンと大きく脈打った。

メルエスからの情報か、それとも探るメンバーがヘマをしたのか。

どちらにせよ、探りを入れられていることは悟られているようだ。

だが、まだ誰が探っているのかは知られていない様子。

ここでオレがボロを出すわけにはいかない。

オレはわずかな動揺も悟られないよう、平静を装って答える。

「知らないな」

答えは明確に短く。

多くを語れば、そこからボロが出かねない。

「そうか」

答えたロシティは、じっとオレの目を睨み付ける。

答えの真偽を見極めようとしているのか、脅しを掛けているのかは分からないが、ここで視線を外せば怪しまれるだろう。

オレは無言でロシティの視線を受けた。

しばらくして、ロシティが再び口を開いた。

「親父に何を言われた?」

またも直接的な質問がきた。

しかし、これにもオレは平静を装って答える。

「仕事の話――」

「たとえば、組織の後継の話」

オレの答えにロシティが割って入った。

「お前は親父のお気に入りだ。

 前々から俺よりもお前を組織の後継に、と思っている節がある。

 そんな話をしているのじゃないか?」

「…………」

オレは答えない。

イエスと答えれば、おそらくオレはこの部屋から出ることはできない。

かといって、ノーと答えたところで、見え透いた嘘を、とロシティの神経を逆撫でするだけだろう。

結局、どう答えたところでオレの立場が悪化するだけだ。

共に言葉を発さず、睨み合うことしばし。

状態が膠着し、ただでさえ重い空気が更に重くなる。

心なしか、ロシティの取り巻き達の敵意が、殺意に変わりつつあるように思える。

(これ以上は危険だな)

そう判断したオレは、重い沈黙を破って口を開いた。

「質問はこれで終わりか?

 終わりなら部屋に戻りたいんだがな」

遠回しに回答を拒否し、解放を訴える。

しかし、言ったオレの言葉に、ロシティは目を細めて返した。

「いや、もう1つある」

わずかに口の端もゆがんでいる。

嫌な予感がする。

「何だ?」

質問をうながすオレに、ロシティは口元をゆがめたまま口を開こうとはしない。

再び沈黙が訪れた。

と、ふとあることに気付いた。

妙に体がだるく、熱い。

心拍数が上がっているような気がする。

視点もどこか定まらない。

まるで酒に酔っているような感じだ。

嫌な予感が更に高まる。

オレは努めて平静を装いながらも、早くこの部屋から出ようと、再度ロシティの質問をうながす。

「何かあるなら早くしてくれ」

だが、ロシティは答えようとはしない。

気が付けば、鉄扉のすぐそばにいたはずのレイトとラフトがすぐ真後ろまで迫ってきており、グルーエ以外の全員が笑みを浮かべてオレを眺めている。

(まずい……)

嫌な予感どころか身の危険を感じたオレは、即座に椅子から立ち上がった。

が、

「!?……ぅあ?」

立ち上がった瞬間、全身の力が抜けてしまったかのようにふら付き、その場に尻もちを着いてしまった。

オレは過去にこれに似た経験をしたことがあった。

酒を飲み過ぎて酩酊状態となってしまった時と、非常に酷似している。

体が宙に浮いているかのような、心地よい浮遊感。

それでいて体が熱く、重い。

視点が定まらずに宙を泳ぎ、周りの音もどこか遠くに聞こえる。

何とか立ち上がろうとするも、平衡感覚が麻痺しているのか、うまく立ち上がれない。

何度も何度も立ち上がりかけてはその場に倒れるオレを、ロシティ達は面白い見世物でも見ているかのような表情で見ていた。

やがて、立ち上がることを諦めたオレは、尻もちを着いたまま絞り出すようにロシティに尋ねた。

「何をした……?」

だがロシティは質問には答えず、笑みを浮かべたままオレを見下ろしてる。

代わりに質問に答えたのはイナスだった。

「毒だよ、毒。

 私が調合した新しい毒だ。

 ああ、致死毒ではないから、その点は安心しろ。

 肉体を酩酊状態に近い状態にするだけで、精神にも影響はない」

言ってイナスはオレに近付き、両手に封身石の付いたブレスレットをはめた。

「これで抵抗はできない。

 質問に答えやすくなっただろ?」

「……いつ毒を……」

毒と封身石の影響で、身じろぎすら困難になったオレは、やっとのことで尋ねる。

「この部屋に入った時からだよ」

(部屋に?)

入ってきた時のことを思い返す。

(…………!)

「……香か…?」

「大当たり。 竜族にのみ効果のある香だ。

 まぁ、またたびのようなものだ。

 もちろん、私は解毒しているので効果はないが。

 しかし、気付くのが遅かったな」

言ってイナスはロシティの横に戻る。

油断も隙もないとはまさにこのことだ。

(次からイナスに近付く時は、もっと警戒が必要だな。

 ……次があれば、だが)

我ながら後ろ向きと思えることを考え、再びロシティに視線を移す。

と、同時にロシティが立ち上がり、こちらに近付いてきた。

そして、オレの横でしゃがみ込むと、オレの首に片手を添えた。

まるでこれからオレの首を絞めるかのような形で。

「今日会った依頼主から聞いたことなのだが……どうもこの組織に男娼めいたことをやっている輩がいるらしい」

「…………」

冷たい視線をオレに向け、1人語りのように言葉を発するロシティ。

手を優しく動かし、オレの首を撫で付ける。

「依頼主に尻尾を振るだけならまだしも、体を売るような下賤な行為。

 俺としては、とても許せるものじゃない。

 お前もそうは思わないか?」

「…………」

同意を求められるが、オレは答えない。

頭に今日の依頼主のことが浮かんだオレは、答えられない。

もちろん、自らが望んでしたことではないといってもだ。

「聞けば、身売りをしてるそいつは、黒い肌をした竜人だそうだ。

 ……さて、この組織で黒い竜人といえば……」

オレを見下ろして、ロシティが言葉を切る。

首に添えられた手に、わずかに力がこもった。

「俺の知る限りは1人しかいないのだがな」

もはや誰であるのか確信しているだろうその言葉には、明確な殺意が込められていた。

「……好きでやっているわけじゃない……

 だが、オレの勝手で信頼を損なうわげっ!?」

言葉半ばに息が止まった。

万力のような力で、ロシティがゆっくりと首筋が締め付けてきたからだ。

「お前のそういうところが気に入らないのだよ。

 依頼主ならば無条件で媚を売る。

 それどころか身売りだと?

 お前は一体何様だ!?」

「……っ! ……はっ!!」

ロシティの怒声と共に、強烈な力で首が締められる。

このままでは窒息どころか首の骨を折られかねない。

しかし、抵抗しようにも封身石と毒の影響で力の出ないオレは、それすらできないでいた。

と、不意にロシティが力を緩めた。

同時に、無意識に肺に空気が送り込まれる。

「げほっ! げほっ! っぐぅ……!」

咳き込み悶えるオレの首筋から手を放し、ロシティが立ち上がる。

「依頼主の命令ならどんな命令でも従うのか、お前は?

 誇りも何もあったものではないな。

 力を持つ我々が、力もない屑共に体を売るだと?

 滑稽にもほどがある。

 こんな男を組織の後継にしようとは…………親父の目も随分と曇ったものだ」

侮蔑を込めた言葉を吐き捨てるように言うロシティ。

とりあえずの危機は去ったが、このまま終わるとは思えない。

そして、すぐにオレの予感は的中した。

「レイト、ラフト」

「はい?」

「はいはい」

オレの後ろにいたレイトとラフトに声が掛かる。

「あとはお前達の好きにしていいぞ」

「……了解です。 ウフフフ……」

「キヒヒヒ!」

淫靡な笑みを浮かべてレイトとラフトが答えた。

この2人の好きなことといえば、容易に想像がつく。

死という最悪の展開は避けられたが、こちらも最悪に近い展開だ。

できれば逃げ出したいところだが、今のオレの状態ではとてもかなわないだろう。

(……クソ!)

内心で悪態をつく。

それで何かが変わるわけではないが、せめて悪態だけでもつかなければ、救いも何もない。

「さて、俺はもう行く。

 お前達も朝までには終わらせろ。

 親父に知れるとあとがうるさいぞ」

レイトとラフトに指示を出し、オレに一瞥をくれると、ロシティは1人部屋を出ていった。

「了解してますよ」

「朝まであれば充分充分。 キヒヒヒ」

扉の向こうに消えたロシティに向ってレイトとラフトが言う。

次いでレイトが残った4人に声を掛けた。

「あなた方はどうします?

 ここで僕達と楽しみますか?」

「乱交だ乱交! キヒヒ!」

言われた4人はそれぞれに違う反応をして応えた。

イナスは、

「人体実験なら歓迎だが、男を犯すのは趣味じゃないな」

と言って、さっさと部屋から出ていき、マッドーは、

「同じく、男にゃ〜興味ねぇな〜。

 女だったら喜んで参加したんだけどよ〜。

 まっ、そ〜ゆ〜わけで、オレも抜けるぜ〜」

イナスと同じく部屋を出ていった。

メルエスも、

「私も興味ありませんな。

 色々と忙しいので失礼させていただきますよ」

部屋を出ていき、残されたのはグルーエ。

「……オレは残る」

「へぇ……」

グルーエの言葉に、意外そうな声を出すレイト。

「お〜? グルーエさんも犯りたいの?」

面白そうに言うラフトに、グルーエは首を横に振り、

「イナスの毒が切れて、封身石が外れたら、お前達、ヒューネに殺されるぞ。

 そうさせない為に、オレは残る」

「あ〜、イナスさんに毒の効果時間を聞いておけば良かったですねぇ。

 まぁ、いいでしょう。

 参加したくなったらどうぞご自由に、グルーエさん」

「大勢で犯った方が楽しいかもよぉ? キヒヒヒ!」

「…………」

グルーエはレイトとラフトの呼び掛けには答えず、椅子を部屋の隅から持ち出すと、そこに腰掛けた。

「さて、と。 では朝まで楽しみましょうか、ヒューネさん。 ウフフフ……」

「何年前か忘れたけど、前は邪魔が入ったからねぇ、キヒヒヒ!」

「今回は誰も助けがきませんよ。

 心の用意はいいですか? ウフフフ!」

好き勝手なことを言いつつ、自らの衣服を脱ぎ始めたレイトとラフト。

(……どうにでもなれ……)

逃げることも抵抗することもできないオレは、半ば自暴自棄に心の中で呟いた。