「生きろ。 いいな?」
その言葉が耳から離れない。
兄が残した最後の言葉。
真紅の血にまみれた手でボクの手を強く握り、微笑みながら兄は絶命した。
その瞬間、ボクの時間は止まった。
そして、ボクは兄を殺めた者達に捕まった。
ボクは、敵国の奴隷として慰み者にされた。
身にまとう服すら満足に与えられず、奴隷市場で衆目にさらされ、知らない相手に買われていく。
買われた先で待ち受ける地獄。
毎夜行われる主からの慰み。
未成熟なモノを扱かれ、舐め回され。
穴に異物を入れられ、主のいきり立った欲望を入れられ。
鞭で叩かれ、刃物で切りつけられ。
全身を傷だらけ、粘液まみれにしながら、夜を過ごした。
涙を流さない夜なんてなかった。
傷が痛み、何より心が痛んだ。
何度、死のうと思ったことだろう。
しかし、そのたびに兄のあの言葉が頭に響いた。
優しかった兄。
誰よりも慕っていた兄。
片時として離れたことなんてなかった。
側にいるだけで安心できた。
どんな苦しみも、悲しみも乗り越えられた。
両親が亡くなった時も、兄が手を握っていてくれるだけで、悲しみが和らいだ。
兄が優しい声で励ましてくれるだけで、苦しみが癒えた。
だが、その兄はもういない。
もう、2度と会うことはできない。
ボクがどんなに苦しんでいても、悲しんでいても、あの温かい手のぬくもりを感じることも、あの優しい声を聞くことも、もうできない。
そう思うと、涙が止めどなく溢れた。
主の興味はあまり長くは続かない。
ボクの体に飽きれば、すぐに売られる。
そのたびにボクは奴隷商人に引き取られ、また新しい主に売られていった。
そして、3度主を替え、4人目の主が見つかった時。
ボクは目の前のその人に不思議な感覚を覚えた。
初めて会ったはずなのに、どこか懐かしい感じ。
どこか安心感を感じさせる、そう、まるで兄と同じような感じ。
種族も年齢も違うのに、その人と兄がだぶって見えた。
ボクを買ったその人は、クーアと名乗った。
優しく手を握られた時、兄と同じ温かさを感じた。
兄を思い起こさせる優しい口調で話しかけてくれた。
手の温かさを感じるたび、優しい声を聞くたび、心が安らいだ。
しかし、同時にその優しさに恐怖も感じた。
2人目の主が同じように優しく接してくれた。
その主は、普段はこれ以上ないというほど優しかった。
だが、情事が始まるとまるで別人のように変貌した。
殴られ、蹴られ、鞭で叩かれた。
ボクが泣き叫ぶと、より一層嬉しそうにボクを痛めつけた。
優しくされるたび、その時の記憶が鮮明に甦る。
この優しさはまやかしだと思ってしまう。
話しかけたくても、心が開いてくれない。
優しさに甘えたいのに、声が出てくれない。
もどかしさを感じ、自分が嫌になった。
そんな時、事件が起きた。
クーアと離れたほんのわずかな時間。
そのわずかな時間に、ボクはさらわれた。
そして売り飛ばされた。
売られた先は、薄汚れたスラムの住人達。
いやらしい目でボクを見て舌なめずりをする彼等。
ボクの体は、心は、恐怖で震えた。
そして、ボクが犯されそうになったその時。
クーアが来てくれた。
嬉しかった。
嬉しくて、安心して、涙が出た。
嬉しくて、安心して、抱きついた。
優しく抱き上げられた時、この優しさはまやかしじゃないと思えた。
閉じていた心が、開いていった。
しかし、開いた心の底には、まだこの優しさを信じられない自分がいた。
その自分が聞いた。
なぜボクを犯さないのか、と。
クーアは言ってくれた。
奴隷から解放してやりたかった、と。
今までそんなことを言ってくれた主はいなかった。
それが当たり前だと思っていた。
なぜならボクは奴隷なのだから。
主に奉仕するのがボクの存在理由なのだから。
しかし、クーアの言葉は、ボクが奴隷だということを根底から覆してくれた。
優しく包容力のあるその声に、ボクの中の、優しさを信じられない自分は消えていった。
クーアはさらに言ってくれた。
自分はお前の兄のようなものだ、と。
それを聞いた瞬間、兄との思い出が甦ってきた。
楽しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと。
そして、兄の最後の言葉。
「生きろ」
その兄の言葉に、クーアの言葉が重なった。
「一緒に来るか?」
兄の死から2年。
その時、止まってしまったボクの時間が、再び動き始めた。