「お前はここで母さんを守れ!!」

 

父は、そう叫んで家を飛び出していった。

 

剣を抜き放ち、町に跋扈するマテリア達のただなかに突進していく父。

 

それが僕が最後に見た父の姿だった。

 

僕は父の言いつけどおり、母を守るために家に残った。

 

剣を抜き、マテリアの侵入に備える。

 

やがて、家の屋根が軋み、壁が打ち壊された。

 

壊された壁から、本でしか見たことがないようなマテリアが侵入してくる。

 

僕は母をかばいながら、必死で戦った。

 

しかし、斬っても斬っても一向に減る様子のないマテリア。

 

血路を見出すことすらできず、僕と母は壁際に追い詰められていく。

 

そして、次の瞬間。

 

ドン!!

 

鈍い衝撃音と共に、後ろの壁が崩れた。

 

慌てて振り返れば、そこには槍のような物に胸を貫かれた母の姿が。

 

何が起きたのか理解できず、僕は虚ろな目で身動き1つしない母を見つめていた。

 

槍のような物が母の胸から引き抜かれ、大量の血が溢れた。

 

足元にできた血溜まりに、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる母。

 

僕は目の前の現実が理解できぬまま、母の手を取る。

 

温かさが徐々に失われていくその手を握り締め、僕は理解した。

 

母は死んだのだと。

 

そのあと僕は、母の亡骸を背負い、阿鼻叫喚の地獄と化した町を走り抜けた。

 

僕の足は、知らず知らずのうちにある場所に向かっていた。

 

町の全景を見下ろせる小高い崖の上。

 

そこは幼い頃、父と母とよく来た場所だった。

 

かつて、たくましい父の腕に抱えられ、そして、温かい母の胸に抱かれ、町を見下ろした思い出の場所。

 

頬を涙で濡らしながら、僕は思い出の場所に、冷たくなった母を埋葬した。

 

 

母を埋葬してから、僕は町へと下りた。

 

そこで見たものは、瓦礫と化した町と、町を我が物顔で蹂躙するマテリアの姿だった。

 

僕は、自分の倒せる範囲のマテリアを、片っ端から倒していった。

 

そして、同時に父を捜した。

 

1日、2日、3日……

 

母を埋葬した崖の下にある洞窟を拠点として、僕は何日も捜し続けた。

 

しかし、出会うのはマテリアばかり。

 

見つかるのは、もはや動かなくなった町の住人ばかり。

 

住人の亡骸を見るたびに、僕の心を絶望が侵してくる。

 

それでも僕は一縷の望みを絶やさず、町をさまよい続けた。

 

町をさまよっている間、考えていたのは、父の安否と、マテリアが発生した原因だった。

 

突如として町中のいたる所から大量に現れた、町の周辺では見たこともない強力なマテリア。

 

それは、通常のマテリアの発生法則とは明らかに異なっていた。

 

そのことに、僕は疑問を抱いた。

 

そして、魔術の心得のあった僕の脳裏に、ある1つの魔術と1つの仮説が浮かんだ。

 

その仮説は、日を追うごとに確信を帯びていく。

 

しかし、その仮説が正しければ、僕の力ではこの状況を打破することはできない。

 

父の生死もいまだ分からず。

 

僕の心にあった一縷の望みは、暗い絶望に消されつつあった。

 

 

町が襲撃されてから10日後。

 

絶望に苛まれながらも、僕は父を捜しに町へと向かった。

 

そして、そこで僕はある人物と出会った。

 

瓦礫の町で6体のミノタウロスに襲われ、絶体絶命の危機に陥った僕を、その人は圧倒的な力で救ってくれた。

 

5体ものミノタウロスをまたたく間に倒したその人は、クーアと名乗った。

 

 

クーアは、僕と同じくらいの年齢の子供2人を連れて、マテリア退治に来たらしい。

 

彼等を洞窟まで案内する途中、お互い簡単な自己紹介を済ませ、クーアからこの地に来た目的を聞いた。

 

洞窟へ着くと、僕は事の次第を説明し、そして自らの仮説も話した。

 

一連の出来事の解決のためにクーアに協力を仰ぐと、クーアは快くそれを受けてくれた。

 

ただ、そのあと、僕がクーアの連れの子供2人のことを、暗に足手まといだと言ってしまったため、そのうちの1人、シーザーを怒らせてしまった。

 

クーアが説得してくれたので大した事にはならなかったが、どうにも気まずい雰囲気ができてしまった。

 

その後、僕達はクーアの予想に従って洞窟を下へ下へと向かって進み、そこに流れていた地下水脈に飛び込んだ。

 

地下水脈に飛び込む準備を説明する際、またもシーザーの機嫌を損ねてしまったようで、敵意むき出しで睨まれてしまった。

 

どうやら完全に嫌われてしまったらしく、僕はどうしていいのか分からず、シーザーの視線を受け止めることしかできなかった。

 

気まずい雰囲気の中、なんとか説明を続け、いざ地下水脈の中へという時、クーアがシーザーを離れた場所へ連れ出した。

 

2人が声が聞こえないほど離れた所で何かを話していると、クーアの連れの子供のもう1人、ジークが話しかけてきた。

 

「ゴメンね。 あいつ、ああいう奴なんだ。

 ホントはいい奴なんだけどさ。

 だから、あまり嫌いにならないでやってよ」

 

それに対し、僕は曖昧に笑みを浮かべて返した。

 

そんな出来事があったものの、その後は何事もなく、僕達は無事に地下水脈を抜け、地底湖と思しきその場所へと到達した。

 

クーアの予想は見事に当たっていた。

 

赤黒く不気味に明滅するゲート、ゲートを守護するゲートキーパー、そして魔術師。

 

それらはすべて、地底湖の水面から突き出した岩に一まとめになって存在していた。

 

ジークとシーザーを残し、僕とクーアがその元へと向かう。

 

そこで衝撃的な事実を知ることになるとは知らずに。

 

 

「アルテア」

 

それは聞き間違えるはずもない、僕の父の名だった。

 

その名が魔術師の口から出るなどと、僕は夢にも思いはしなかった。

 

そして、父の死を知らされることも。

 

ゲートの下に無残な姿をさらした鳥人の骨。

 

その骨を指して魔術師は父の名を口にした。

 

それを聞いた途端に頭の中が真っ白になった。

 

僕は声を絞り出し、問う。

 

お前がやったのか、と。

 

口の端をゆがめ、魔術師がからかうような口調で答える。

 

その答えに、僕の頭で何かが切れた。

 

怒号を上げ、僕は魔術師に向かって突進する。

 

しかし、それはゲートキーパーによって妨げられてしまった。

 

頭に血が上った僕をクーアが諫める。

 

クーアは僕に待機するよう指示を出し、僕はそれに従って水面から突き出た岩陰に隠れた。

 

岩陰で待機する僕の頭に様々な考えが浮かぶ。

 

あの骨が父だなんて信じられない、信じたくないことだった。

 

しかし、骨は確かに鳥人のものだったし、町にも父の姿は見当たらなかった。

 

そのうえ、魔術師は父の名、そして僕の名まで知っていた。

 

考えれば考えるほど辻褄が合ってしまう。

 

自然に僕の目に涙が込み上げてくる。

 

頭では父の死を予想していたはずなのに、その死を現実として突きつけられると、動揺と悲しみを隠すことはできなかった。

 

だが、もしかしたらあの骨は父のものではないかもしれない。

 

一縷の、本当に一縷の望みを、そんな都合のいい考えに託し、とにかく今は魔術師とゲートキーパーを討ち、ゲートを閉じることを優先させようと、必死に考えを切り替えようと努めた。

 

岩陰からクーア達の方を見ると、今まさに戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。

 

ゲートキーパーの放った一撃が地下水脈の天井を破壊し、戦いが始まる。

 

大量の土砂が降り注ぐ中、岩陰で待機していた僕の頭の中に、不意にクーアの声が響いた。

 

地上に出たというクーアは簡潔に状況を伝え、そのまま待機しているようにと告げる。

 

僕はそれに了解の意を示すと、ポッカリと開いた天井の大穴を見つめながらその場で待機を続けた。

 

しかし、その間も気になることがあった。

 

視線を先程までクーア達がいた岩の上に向けてみる。

 

岩の上には、大小様々な岩が散乱しており、それらに囲まれるようにして白い骨があった。

 

それを見た瞬間、僕の心臓は早鐘を打ち始める。

 

僕は知らず知らずのうちに、その骨の方に向かって移動をしていた。

 

耳に響くほどの心臓の音を聞きながら、程なくして骨の前に到達する。

 

大穴から射す地上の光に照らされた骨は驚くほど白かった。

 

僕はその場にしゃがみ込み、骨をしばらく見つめたあと、形をそっくり残したままの頭蓋骨に、震える手でそっと触れようとした。

 

その時だった。

 

どこからか何かを言い争うような声が聞こえてきた。

 

我に返った僕は、周囲に視線を巡らせる。

 

すると、地底湖の壁をよじ登る人影が2つ視界に入った。

 

それは紛れもない、ジークとシーザーの2人だった。

 

やり取りの声はよく聞き取れなかったが、その様子から察するに、どうやら2人とも地上に出ようとしているらしい。

 

地上は今、クーアと魔術師達が戦っている。

 

彼等のハイレベルな戦いに巻き込まれたら、僕でさえただでは済まないのに、僕よりレベルの劣る彼等が生きていられるはずがない。

 

そう察知した僕は、骨のことを忘れ、急いで2人の元に向かった。

 

2人が地上に出るほとんど寸前のところで、僕は2人の元に辿り着いた。

 

「あ! アーサー、いいところに来てくれた!

 シーザーの奴が地上に出ようとして聞かないんだ!」

 

シーザーの下を登っていたジークが、僕の存在に気付いて助けを求めるように訴えた。

 

当のシーザーは黙々と壁をよじ登っている。

 

僕はシーザーのすぐ横まで行くと、地下にいるようにと、なんとか説得を試みた。

 

しかし、シーザーは頑として聞かず、僕の存在を無視するように壁を登り続けている。

 

ジークも下で声を荒げて説得しようとするが、それでもシーザーは登り続ける。

 

言葉で言ってもダメならばと、僕はシーザーの腕に手をかけるが、シーザーは乱暴に僕の手を振り払った。

 

そして、そのまま逃げるようにして、地上に向かって勢いよく壁を登り始めてしまった。

 

シーザーが地上に出る。

 

続いてジークもあとを追って地上に出た。

 

そして2人が地上に出た、ほんの数秒後。

 

クーアの叫び声が響いた。

 

ただならぬ気配を感じ、地上へと飛び出す僕。

 

それとほとんど同時だった。

 

ジークとシーザーへと向かって黒い闇が向かってくるのは。

 

身をすくませて動けないでいる2人に向かって、僕は突進する。

 

突き出した両手に2人を突き飛ばす感触。

 

突き飛ばされた2人が視界から遠ざかる。

 

視線を変えれば、すぐそこに迫りくる闇。

 

当たる。

 

そう思った刹那、目の前が真っ白になるほどの衝撃と、体の奥底から響くような凄まじい音が。

 

一瞬遅れて右足から走る、気が遠くなるような激痛。

 

僕は激痛に上がりそうになる悲鳴をこらえ、そのまま地面に転がり落ちた。

 

痛みに耐えるために堅く閉じた目を見開き、痛みの発生源である右足に目をやる。

 

そこには本来あるべき右足はなく、代わりにおびただしい量の血がとめどなく溢れ出していた。

 

自分の状態を理解し、激痛と恐怖と絶望感が僕を襲う。

 

僕は両手で失われた右足を押さえ、呻くことしかできなかった。

 

その時、傍らからクーアの声が聞こえてきた。

 

何かを言っているが、今の僕の耳には届かず、ついに僕は痛みに耐えかね、そのまま意識を失ってしまった。

 

 

上空から響く戦いの音に僕は目を覚ました。

 

目を覚ました途端、右足から激痛が走る。

 

上体を起こして右足を見ると、その傍らには、しゃがみ込んだジークが僕に回復魔法をかけていた。

 

その横では、シーザーが心配そうに僕の傷口を見つめている。

 

僕が目を覚ましたことに気付き、シーザーの表情に安堵の色が浮かんだ。

 

だが、僕と視線が合うと、すぐに目を伏せてしまった。

 

そして、一言。

 

「ごめん……」

 

小さな声でそう呟いたシーザーの目からは、一滴の光るものがこぼれた。

 

僕は痛みに耐えながら微笑み、言う。

 

君のせいじゃないから。

 

しかし、シーザーは首を横に振り、その口から嗚咽が漏れ始める。

 

僕は回復魔法をかけ続けているジークに、あとは自分で回復をするから、と告げ、僕は上体を起こすと、全霊を込めて、自らに回復魔法を行使した。

 

急速に癒えていく傷。

 

十数秒後、失われた僕の右足は完全に復元していた。

 

痛みも違和感もなく、失われる前の右足となんら変わらない。

 

と、その時だった。

 

「ごきげんよう、子供達」

 

上空に激しい光が現れ、それと共に、かすれた声が背後から聞こえてきたのは。

 

慌てて後ろを振り向けば、そこには邪な笑みを浮かべた魔術師の姿が。

 

ローブがザックリと裂けているが、口調や表情から察するに怪我をしているようには見えない。

 

僕は身構え、ジークとシーザーを守るようにして魔術師の前に立ちはだかる。

 

魔術師は笑みを貼りつけたまま、あごをしゃくって空を指す。

 

僕は空を仰ぎ見た。

 

上空に先程の強烈な光はすでにない。

 

あるのは白い点と黒い点が1つずつ。

 

それを確認した刹那、白い点が上空から急降下してきた。

 

白い点はそのまま吸い込まれるように大穴へ。

 

僕達の真横を通り過ぎる瞬間、僕は白い点を凝視する。

 

白い点、それは紛れもなくクーアだった。

 

どうやらジークもシーザーも白い点がクーアだと分かったらしく、2人はクーアの名前を呼びながら大穴へ飛び込もうとする。

 

しかし、2人を阻むように、上空から黒い点、ゲートキーパーが降りてきた。

 

ゲートキーパーは2人の前にはだかり、2人を大穴へと向かわせまいとしている。

 

「君達の保護者はいなくなったぞ。

 さぁ、今度は君達の番だ」

 

魔術師の声に反応し、僕は腰のサーベルを抜き放つと戦闘態勢を整えた。

 

ジークとシーザーが僕のそばに戻る。

 

魔術師は狂気をたたえた笑みを浮かべたまま僕達を指差す。

 

ゲートキーパーはそれを合図にしたかのように僕達の方ににじり寄ってきた。

 

その両手には黒い闇の塊がわだかまっている。

 

そして、戦いの口火は切られた。

 

だが、結果は火を見るより明らかだった。

 

ゲートキーパーの圧倒的な力に、僕達はなす術もなく打ちのめされていく。

 

僕達がやられる様を見て高笑いを上げる魔術師。

 

もはや、これは戦いとは呼べなくなっていた。

 

こちらは3人とも法力も尽き果て、魔法も技法も使えず、満身創痍の状態なのにもかかわらず、あちらはまったくの無傷。

 

クーアを失った今、僕達に勝つ見込みは万に一つもなかった。

 

「さて、それではそろそろ終わりにしようか」

 

そう呟き、酷薄な笑みを浮かべた魔術師が迫る。

 

死を覚悟し、その瞬間、脳裏によぎる父と母の姿。

 

僕は両親の仇を取る事もできず、それどころか、その仇に殺されようとしている。

 

悔しさが込み上げ、目にうっすらと涙が浮かぶ。

 

その時だった。

 

ジークが希望に満ちた声でクーアの名を呼んだのは。

 

ハッとして顔を上げると、こちらに歩み寄ってくる魔術師の背後にある大穴のすぐそばにクーアの姿が。

 

その場にいた全員が一斉にクーアに目を向ける。

 

全身びしょ濡れで、肩口からひどく出血しているものの、その眼光は鋭く魔術師を見据えていた。

 

しかし、魔術師は焦る様子もなく、僕達の方に向き直り、邪悪な笑みを浮かべる。

 

その途端、ゲートキーパーがクーアに襲いかかり、傷のせいか反応の遅れたクーアは、その場で羽交い絞めにされてしまった。

 

クーアは必死にもがくが、ゲートキーパーの縛めを振りほどくことはできず、希望的な状況は一転し、再び絶望的な状況に陥った。

 

勝ちを確信した魔術師が哄笑を上げ、そして魔法の詠唱を始める。

 

詠唱が紡がれるたびに、僕達は確実に死に近付いていく。

 

そして、ついに最後の言葉が紡がれた。

 

しかし、その直後、突然、後方から僕達の頭上を越え、黒い線が走った。

 

黒い線に音もなく胸を貫かれ、魔術師はその場に倒れ伏すと、彼は狂気の笑みを顔に貼りつけたまま絶命していた。

 

あまりにも突然で、あまりにもあっけない、両親の仇の最期だった。

 

僕は呆然と魔術師の死体を見つめ、何が起きたのかを理解できずにいた。

 

いや、おそらく僕だけでなく、その場にいた誰もが状況を理解できていないだろう。

 

主を失ったゲートキーパーはクーアを解き放ち、混乱したように空へと昇っていく。

 

縛めを解かれたクーアは僕達に近寄り、辺りに油断なく視線を走らせている。

 

その刹那。

 

僕は背後に凄まじい力の高まりを感じた。

 

いまだかつて感じたことのないほどの力の高まりに、無意識のうちに体が震える。

 

そして、大音響を発し、空に異変が起きた。

 

ほとんど反射的に空を振り仰げば、上空では黒い巨大な半透明な球体がゲートキーパーを包んでいた。

 

ゲートキーパーは黒い球体の中で圧縮され、次第に体を縮めていき、やがて掌に収まるほどの大きさの黒い塊になって地に落ちた。

 

何が起きたのか分からず、僕の頭は完全に混乱していた。

 

その僕の口から漏れた呟きに、背後から答えるような声が聞こえた。

 

振り向けば、そこには人影が。

 

服の色、髪と眉の色、瞳の色こそ違うものの、その人物の顔形は、まるで生き写しのようにクーアと瓜二つだった。

 

だが、その人物の身にまとう雰囲気は、クーアとはまるで違った。

 

例えるなら、クーアのまとう雰囲気が暖かな光を放つ昼の太陽だとしたら、その人物のそれは冷ややかな光を放つ夜の月のようだった。

 

クーアはその人物の名前がルーアという名前であることを僕達に告げる。

 

クーアが警戒を解いていないところから察するに、この人物が僕達にとって見方でないことが、というよりも、敵であることうかがえた。

 

しかし、ルーアの取った行動は、技法で僕達の傷を癒すという、敵としてはあまりに意外なものだった。

 

なぜそんな事をするのか、と尋ねるクーアに対し、ルーアは微笑を浮かべつつ答えた。

 

このゲームで及第点をとった褒美だ、と。

 

その言葉の意味が理解できなかった僕は、思わず聞き返す。

 

だが、僕の問いに対してのルーアの返答は、耳を疑うような信じられないものだった。

 

事の発端の一家殺し、怒りに猛る住人達の扇動、魔術師によるゲートの発生。

 

それらはすべて自分が仕組んだゲームだと、ルーアは平然と、いやむしろ楽しげにそう言い放った。

 

それを聞いた時、僕の頭は真っ白になった。

 

そして全身を震わせ、搾り出すようにして、なぜそんなことをしたのか、と問う僕に対し、ルーアはきっぱりと、楽しいから、と言い放った。

 

その瞬間、僕は完全に言葉を失った。

 

ゲーム。

 

ルーアはそう言った。

 

僕の生まれた町が破壊されたことも、僕の両親が死んだことも、ルーアにとってはただ楽しいだけのゲームでしかなかった。

 

怒りが静かに全身に広がっていくのが分かる。

 

腹の奥に熱く苦いものがうごめいている感覚。

 

意識が頭から半分ずれているような感覚。

 

まるで自分の体が自分の物ではないような感覚だ。

 

僕の怒りをよそにルーアは話し続けているが、僕の耳には一切残らない。

 

そして、ルーアが去ろうとしたその時、僕は叫んだ。

 

僕の叫びに面倒くさそうに答えるルーア。

 

その瞬間、僕の体は僕の物ではなくなった。

 

目に映るのはルーアだけ、耳に聞こえるのは自らの叫びだけ、体は火でも点いたかのように熱くなった。

 

殺してやる。

 

僕の思考は、ただそのことだけで満たされた。

 

しかし、それも束の間のことだった。

 

ルーアの顔つきが変わった途端、怒りに猛る僕を、凄まじいという形容が生温いとさえ感じられるような殺気が襲った。

 

体に点いた火が一気に消え、代わりに全身を氷よりも冷たい感覚が包む。

 

あれほど猛った怒りも完全に霧散し、代わりに背筋も凍りつくような言い知れぬ恐怖が込み上げてくる。

 

全身が震え、呼吸することすらままならない。

 

止まらない震えに苛まれる中、どこか遠い所から会話が聞こえてくるが、恐怖によって完全に思考が停止した僕の頭には、それらの会話は僕の記憶には残らなかった。

 

やがて、殺気が消え、やっとの思いで僕は呼吸を整える。

 

体の芯まで染み込んだ恐怖は、しばらく拭えそうになかった。

 

 

一連の出来事のあと、僕達は瓦礫と化した町を離れ、町からは遠い村に辿り着いた。

 

その村で宿を取った時、シーザーが相部屋を申し出た時は驚いた。

 

彼は僕のことを嫌っていると思っていたから。

 

些細なことかもしれないが、傷付いた今の僕には嬉しいことだった。

 

そして、その日の夜。

 

食事の席で、僕はクーアにある頼みことをした。

 

僕も一緒に旅に連れていってくれないか、と。

 

驚いた顔をしていたものの、クーアは快くうなずいてくれた。

 

ジークとシーザーも同じように了承してくれた。

 

食事を終え、部屋に戻ると、僕とシーザーは一言も交わさず、早めに寝床についた。

 

明かりを消し、窓からの月明かりだけが部屋を照らす中、なんの脈絡もなく、シーザーが口を開いた。

 

「あの時は……ごめんな……」

 

小さな声で呟くように言うシーザー。

 

あの時というのは、おそらく僕が彼等をかばって右足を失った時のことだろう。

 

僕の返事を待たずに、シーザーは言葉を続ける。

 

「お前がクーアに褒められたのを見てさ、なんかこう、嫉妬しちまったんだ。

 自分よりお前が優れてるってことが悔しくてさ、オレだってできるんだってことを証明したくて、それであんな無理しちまったんだ。

 その結果、お前を怪我させちまって……その……ホントにごめんな……」

 

シーザーから見えたかどうかは分からないが、僕は首を横に振って、気にしてないからと答えた。

 

しばらくの沈黙が暗い部屋に満ちる。

 

その沈黙を破って再びシーザーが口を開いた。

 

「なぁ……なんでオレ達と一緒に行くんだ?」

 

いきなりの質問だったために、僕は頭の中で答えを導き出そうとしたが、うまく答えが出せない。

 

「……復讐、か?」

 

僕の答えを待たずシーザーが発したその言葉に、僕は自分の体がピクンと反応するのが分かった。

 

この10日間の出来事が、頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消え。

 

様々な思いが頭をよぎる中、僕は言った。

 

違うと思う、と。

 

「なんで? あのルーアって奴が憎くねぇのか?」

 

シーザーがガバッと身を起こし尋ねる。

 

確かに憎い。

 

直接的にではないにしろ、彼が僕の両親を、僕の住んでいた町を僕から奪ったのだから。

 

しかし、その憎悪を打ち消すほどに、僕の本能と理性が頭の中の警鐘を鳴らす。

 

本能は言う。

 

彼には決して抗うな。

 

その言葉に思い出される、あの体の奥底を、魂を突き刺すような、おぞましくも凄まじい殺気。

 

直感で分かった。

 

彼は闇そのものだ。

 

一点の光すら差さない、完全な闇。

 

あの闇の前では、僕の憎悪などたちまちのうちに呑み込まれてしまうだろう。

 

そしてその先に待っているのは、絶対の死。

 

理性は言う。

 

父と母の仇を討つために戦い、その結果死んでしまったら、2人は決して喜ばない。

 

どんなに僕が必死で腕を磨いても、決して彼には届かない。

 

ちっぽけな1個体が、闇そのものに勝てるはずがないのだから。

 

本能と理性が、彼への復讐を固く拒んでいた。

 

僕は暗い部屋の天井を見つめながら、答えを待つシーザーに向かって口を開いた。

 

彼に挑むことなら簡単だ。

 

けれど、彼に勝つことは不可能に近い。

 

両親の仇討ちを口実に勝てない戦いに挑んで僕が死んでしまったら、それこそ両親に対して申し訳ない。

 

僕が君達と一緒に行くのは、少しでも強くなりたいから。

 

自分の手の届く範囲の者だけでも救い出せる力が欲しいから。

 

もう2度とあんな悲しい思いをしないために。

 

「……そっか」

 

僕の答えに、シーザーは短く答えてベッドに横たわると、それからは何も言わなかった。

 

しばらくして、静かな寝息が隣から聞こえてくる。

 

それから程なくして、僕の意識も闇へと沈んでいった。

 

 

旅立ちの日。

 

旅に出る前に、僕のたっての願いもあって、僕達は僕の両親の眠る場所へと向かうことになった。

 

マテリアの姿が消えた瓦礫の故郷を抜け、町を見下ろせる崖の突端、僕と両親の思い出の場所にある簡素な墓標の前にひざまずくと、僕は色とりどりの花をより集めた花束を供え、静かに目をつむり、両親を想う。

 

次々に甦ってくる幼い日の思い出。

 

甦ってくるのは楽しい思い出ばかり。

 

不思議と悲しい思い出は浮かび上がってこなかった。

 

僕は、しばらくの間、その優しい思い出に浸った。

 

そして、途切れる思い出。

 

最後に浮かんだ思い出は、父と母の優しい笑顔だった。

 

僕は小さく微笑み、立ち上がると、後ろで哀悼の意を示してくれていたクーア達に出発をうながした。

 

崖を下り始める僕達。

 

その途中、僕はふと足を止め、後ろを振り返った。

 

丸木の墓標の前では、花が風にそよいでいる。

 

僕は、その下に眠る父と母に向かって小さく呟いた。

 

 

 

 

 

父さん、母さん、行ってきます。