禁忌の間

〜始終の間〜

 

 

「…何?
 それは本当の話ですか?」

「はい。
 爺も信じたくは無かったのですが…。」

「そうですか…。」

 

憂いを帯びた表情が一層強くなる。
厳しい顔、目つきになった城主は、苦々しい思いで城下を眺めた。

 

「人というものは、やはり悪習を拭い去ることは難いですね…。
 十余年では…偏見は取り除けませんか。
 たとえ、それが一国の城主であるとしても。
 …分かりました。
 城内、及び領地区域内含む半径五千間にて、緊急警戒態勢を敷きましょう。
 加え、護奉陣各隊に城下街の警備強化を伝えてください。
 そして、ここに勇灯(いさりび)を呼んで下さい。」

「かしこまりました。」

 

爺が部屋を出るのを確認し、一人溜め息をする。
この状況は容易に想像しうる、想定の範囲内での出来事だ。
異系種の領主であるが故に、先の騒乱の原因であるが故に、
古くからある血統深き領主から警戒されることは分かっていた。
それでもこの動きは無いだろう。
秘密裏に結託して、自分達の世にするつもりだったのだろうか…?
何にせよ、和平の道を模索中と言えど、未だ国欲しさに争う族がいるということだ。

 

「父上…母上…。
 私は…こんな争いなど、したくないです…。」

 

一城主が一時だけ見せた、父母にすがりたそうな寂寥の表情。
だがそれは刹那。
目を閉じ、開いた時には優秀な城主に切り替わっていた。

 

「殿、失礼いたします。
 勇灯夕、参上いたしました。」

「ご苦労様です。
 話は急を要します。」

 

勇灯とは、武士として位の高くなった夕に付けれられた苗字である。
その姓を与えたのは、やはり清将。
彼の勇ましさ、そしてずば抜けた統率力を称えての苗字だ。
清将は今手に入れた情報を、すぐに夕の耳に入れたくて召集をかけたのだった。

 

「夕、今から申し上げることは全て事実のようです。
 落ち着いて聞いてください。
 そして頼みごとがあります。」

「はい、殿の頼みとあらばどんなことでも!」

「ありがとうございます。」

 

入手した情報を洗いざらい夕に話し、さらにこれから起こるであろうこと、
これからすべきことを神妙な面持ちで淡々と話した。
その姿は、冷静な一城主。
それを聞く、殊勝な部下にして親友。
だが、最後のそれにだけは、夕は動揺を隠せなかった。

 

「以上が、現在の状況です。
 私は、この国を潰されるわけにはいかないので、刃を交えるしかないでしょう。
 そこで貴方にお願いがあります。
 これはこの国の城主としてだけではなく、一人の親友としての願いでもあります。
 敵は明後日、先に南方より攻め、さらに東西を囲むようにして我らを追い詰めようとするようです。
 北には山しかないですからね。
 だから、貴方には今晩にでもここから離れていただきたいのです。」

「…な…?」

「これは一刻を争う事態です。
 周囲三国が結託して行われていることなので、私達だけで解決できる可能性はほぼ皆無。
 よって貴方は、夜慧さんを連れて先に北にお逃げください。」

「し、しかし…!
 私もこの国の侍!
 国守らずして何のための雑兵ですか!」

「貴方は雑兵などではありません。
 私の大事な側近であり、親友です。
 だから逃げて欲しいのです。
 貴方達は…私の希望ですから。」

「それでも…。」

 

殿と、その側近としての一定の距離。
ゆっくりと近づき、殿はただの親友へと変わり、そして諭した。

 

「お願いです。
 これは私の気持ちから出た、本当の言葉です。
 ほら、私は異系種の獣人でしょう?
 夕と夜慧さんの間には、いつしか子が生まれることでしょう。
 いつしか、と言うと変ですね。
 あと数ヶ月かそこら、でしょうか。
 その子を死なせてはなりません。
 その子が我々の希望になり得るのですよ、十分に。
 だって…、私の大切な友人である夕と、その奥様である夜慧さんの子ですよ?
 きっと、世直しの方向を築いてくれることでしょう。
 少なくとも私はそう信じています。」

「だからって…自分の命を差し出すような真似は…。」

「大丈夫です。
 私は最初から、この事態を予測していました。
 まだ古き慣習は残り、それでも頂点に立つはその原因、ですからね。
 王位継承時には覚悟しておりました。
 貴方は気に病むことはないのですよ。
 私達がこうして出会って、貴方達が残せた結果は、きっと無駄なものにはなりません。
 私の意思は、確かに貴方達に伝わっていると思います。
 だって、最初から私と貴方は同じ考え方をしていたのですから。
 貴方の気持ちは私の気持ち。
 だから、貴方ならきっとやれる。
 …異系種の未来は、貴方達がきっと、切り開いてくれると、信じてます。」

「僕にはそんなこと…。
 清将さんがいたから、僕らはここまで来れたのに…。
 貴方だから…。」

「四の五の言わずに聞いてください。
 お願いです、北を目指してください。
 古き禁書にこんなことが書いてあったのを覚えています。
 『異系種、みな輝ける星の下に集いて、ただひたすらにその時を待つ』
 と。
 どういうことかお分かりかもしれませんが、輝ける星と言うのは一番強く輝く北極星を示していると思います。
 つまり、遥か北の地には、異系種の村落があると思われるのです。
 ただ、これは二百年も前のことなので…自信はありません。
 が、ここで止まって私と命を落とすようなことになってはいけません!
 明らかに負けが見えている戦に、馳せ参じてはなりません!
 私はこの国を背負う義務があるので、逃げませんけどね。
 貴方は”逃げる”わけではないのですよ。
 私達の意思と共に、新たなる道への一歩を歩みだすだけです。
 それだけ考えてください。」

「それでも…清将さんだけを置いて行くだなんて…。」

「大丈夫、信じてください。
 私、これでも人には無い能力持ってるんですからね!
 一応、30人くらいが相手なら十分に立ち回れます。
 …そうですね、約束しましょうか。
 私、この国を捨てるつもりは無いのですが、もし国が敵の掌中に堕ちた場合。
 うまく逃げて、きっと夕と夜慧さんと合流します。
 それなら大丈夫でしょう?
 私は遠くから国の奪還を図り、もう一度ここへ帰ってくるのです。
 その時には、貴方もまたご一緒していただけますか?」

 

友に見せる、友にだけしか見せない、清将の顔。
それはとても優しくて、強がっていて、複雑そうだった。
お互いが分かっている。
国が敵の手に堕ちれば、まず間違いなく清将は討たれてしまうだろう。
そして、国が堕ちる可能性は、極めて高い。
そんなことが分かっていながらも、夕は目の前の親友を拒みきれなかった。

 

「…はぁ、分かりました。
 では、北にあると聞く、異系種の村落でお待ちしておりますよ、殿。
 それまでは…どうかご無事で。」

「ありがとうございます。
 貴方の方にも、もしかしたら被害が及ぶかもしれませんが…。
 夜慧さんは、しっかり守ってあげてください。」

「ははは!
 大丈夫ですよ、夜慧は。
 あいつ、子供の頃から気に食わないやつと取っ組み合いになったりしてますから。
 意外と腕っぷしは強いんですよ、夜慧も。」

「それは頼もしいですね〜。
 …。
 今日は日暮れまでは勤務についていてください。
 その後は…しっかりとお願いします。」

「はい、分かりました。
 近いうちにまた、再会しましょうね。」

「勿論です!」

 

親友としての会話を笑顔で終わらせ、目線で夕を送る。
その目に宿っていたのは、悲しみと希望。
お互いに、それを携えていた。

 

「さて、と…。
 私も、戦の準備をしないといけませんね…。
 爺、入ってください。
 兵の状況と、戦の突破口について話し合います。
 夕を除く隊長を収集してください。」

 

 

 

その後の夕は、いつも通りしっかりと勤めた。
自分だけが、護奉陣も頂点に近い自分が、ここを逃げ出す。
そんな後ろめたさや、これから起こることへの恐怖を押し殺して。
それでもいつも通り。
日常と変わらぬよう行動した。
それが夕に表せる、精一杯の清将への誠意だった。

時は、刻一刻と過ぎ、ついに夕刻となる。
護奉陣の隊長議会を終えると、短い手紙を残す。
そして、二度と戻ってこないであろう城を後にするのだった。

家に戻ってくると、夜慧はいつも通りの笑顔で出迎えてくれた。
そのいつも通りの笑顔が、何故か急に胸に痛く感じ、
夕はその表情が陰っていった。
勿論、そんな夕はあまり見ない夜慧なので、これは緊急事態だということを即座に理解。
しかも尋常ではない、ということまで看破した。

 

「どうしたの、夕君?
 お城で何かあったの…?」

「夜慧…。
 突然で悪いけど、今すぐここを出るから荷物をまとめよう。」

「え?
 突然何で?」

「それは片付けながら説明する。
 とにかく、必要なものだけを持って町を出る。」

「わ、分かったわ…。」

 

と言っても、彼らの家には必要最低限のものしか置いてないので、
持って行くものを選ぶ必要はあまり無かった。
それでもその短時間内に、夕は夜慧に分かりやすく現在の状況を説明し、
家を出られる頃には一通りは伝えることができたのだった。

 

「そっか、そんなことがあったのね…。」

「僕は、清将さんの意見を汲み取ってあげなきゃいけないんだ。
 一国の城主に頭下げられたら、そうするしかないし…。
 また会うとも約束したしね。」

「夕君…。」

「さぁ、行こう。
 きっとつらい道のりになるけど、何とかしていこう。
 大丈夫、君は僕が守るから。
 そのために、得た力だ。」

「…ふふふ。」

「ん?
 どうした?
 今何もおかしなことなんか言ってないぞ?」

「あ、ごめんね。
 夕君、成長したな〜って思って。」

「そんなこと言ったら夜慧だって、色々成長したと思うよ!」

「…それはどんな意味で言ってるのかしら…。
 とにかく、夕君は成長したと思うよ。
 私、こんなに夕君に頼ろうだなんて思ったこと、無いもん。
 たくましくなったなぁ、って思ったの。
 孤児院にいた頃は、いつも頼りないお兄ちゃんで。
 だけど近くにいると優しい気持ちになれる、そんな人だったよ。
 でも今は、純粋に男の人として頼れる。
 私の旦那様って実感する。」

「ははは…。
 そんなこと、真顔で言うなよ…。
 すっごく恥ずかしいじゃん。
 でもまぁ…、ありがとう。
 ほ、ほら、行くぞ。」

「うん♪」

 

満面の笑みを浮かべる少女は、既にあの時とは違った。
一年前までは、確かに自分でも認めるほど頼りなかっただろう。
むしろ、いつも頼ってきたと夕は自覚していた。
あの頃はこういう展開なんて、全く予想していなかった。
あの平和がいつまでも続き、いつまでも夜慧に甘え、時には兄らしくして過ごす。
そんな人生を歩んでいくんだろう。
それは希望だった。
種族の壁。
その違いを前に、あり得ない希望。
人々に根付いた意識を払拭するには、あまりに長い時間が経過しすぎている。
気にしないという人は確かに増えたが、実際にはそんなに良くも思っていないだろう。
それは普段の生活から十分に読み取れることだ。
だから彼らは、少しだけ暗い影の部分でしか生きていけない。
しかし、それも少しだけ間違いだった。
清将の存在は、他の誰よりも彼らの支えとなった。
誇れる地位まで手に入れることができた。
護奉陣に入隊し、それ相応に人を護る力も手に入れた。
この力を使って夜慧を護っていく。
支えたい、護りたい。
現世でたった一人、真剣に愛しているかけがえのない存在を。
内に、熱く秘めた思いを胸に、夜慧の手をしっかりと握って、
一年間過ごした家を後にした。

 

「あれ?」

 

街の遥か北を目指し、城下町出口近辺まで来た二人は、同時に同じ言葉を出してしまった。

 

「ははは…、こんばんは。」

 

清将だった。

 

「き、清将さん?!
 ど、どうしてここに?!」

「え?
 深夜徘徊が私の趣味であることは、夕もよくご存知のはずじゃないですかー。」

「だ、だからと言って、こんな町外れに来るなんて…。」

「まぁ、確かにそれもそうですね、ははは。
 私、夕には確かに最後の挨拶をしましたが、夜慧さんにはしてないので。
 あと、ほんの少しだけ続く平和のうちに、私が知る人に会っておきたかったのです。」

「清将さん…。
 ただ、私に会うためだけに…。」

「えぇ。
 こんなこと言っても何にもならないし、そちらは困るだけかもしれませんが…。
 私が、初めて惚れた女性ですからね。
 こんなに自分が女々しいと思ったのは初めてで、とてもふがいなく思います。」

「えぇっ?!
 わ、私?!
 で、でも私は」

「存じております。
 別に私は夕から夜慧さんを盗ろうと思ったりしてるわけじゃないですよ!
 大丈夫です。
 ただ、私達が出会った初めての時。
 私は貴女に魅了されました。
 裏路地だったのに、月光を受けていた貴女の姿は、とても美しかった。
 後に夕と一緒にいるところを見て、私はすぐに分かりました。
 この方たちはもう結ばれているということに。
 だから私は、この気持ちをそっと心の奥にしまっておきたかった。
 しかし、無理でした。
 私の目の前には…きっと死が待っていることでしょう。
 それを強く感じた時、私の気持ちだけは伝えておきたくなったのです。」

「清将さん…。」

「夕にはちょっと不快な話ですよね。
 安心してください。
 貴方は私の唯一無二の親友。
 親友の幸せを願わない人がどこにいますか。
 私は、貴方たちの幸せを壊すつもりは毛頭ありません。
 どうせ私はそのうち潰える運命にあるのです。
 だったら、気持ちをはっきりさせ、その気持ちを親友に委ねるという形の方が、
 一番私にとって幸せな形であると思ったのです。」

「…そっか。
 僕以外にも、夜慧の良さがしっかり分かる人がいたってことか。
 ちょっと悔しいな…。
 僕だけが分かってるつもりだったのになぁ。
 ま、同志ってことで、貴方の気持ちはしっかり汲み取ることにしますよ♪」

「ありがとうございます、夕。」

「ただ…。」

「はい?」

「そんなに死ぬ死ぬ言わないでください!
 僕たち、また再会するって約束したばかりでしょう?!」

「ははは、そうでしたね…。」

 

苦笑いをする清将だが、その表情にははっきりと死への恐怖が刻まれていた。
誰しも死は怖い。
それも突然なら尚更。
さらに、それは望んだ死でも自然な死でも何でもない。
待ち受ける死は、邪魔だから、気に食わないからというだけで与えられる理不尽なものなのだ。
恐怖することは、何も変なことでも奇妙なことでもない。
当然の感情。
追い詰められ、それでも国のために戦わなければいけない。
まだ全てを包み、受け入れられる程の年齢ではない清将には、とても辛いことなのである。
だから現にこうして、夕と夜慧の前に、未練がましいと分かりながらも現れたのだ。

 

「ひどく…自分勝手な話ですよね。
 死ぬことがほぼ決まっているのに、生きたいと願うなんて。」

「そんなことはないと思いますよ。
 夕君と約束したんでしょう?
 もう一度会うと。
 だったら私とも約束です。
 清将さん、またお会いしたいです♪」

「夜慧さん…。」

「私を好いてくれてたっていうのは嘘なんですか?
 嘘じゃないなら、混乱の後私に会ってもう一度言ってください。
 貴方のために、夕君と別れることができる訳ではないけど…。
 そうだなぁ。
 私の弟、ということで良いですか?
 何か私、清将さんを男性として見るより、兄弟として見る方がしっくり来る気がするんです。」

「お、おいおい夜慧。
 言ってることがちょっとひどいぞ…。」

「あ、そう?
 でも私達は同じってことよ?
 元々夕君とだって、ただの兄妹になってたんだし、ね?
 今更一人弟が増えたって構わないでしょ?」

「まぁ良いけど…。
 何か身分とかいろんな問題が」

「そんなの関係ないでしょ!
 私達がお互いに愛し合う関係ならそれで良いと思うの。
 愛の形は多少違えど、愛するという一点においては変わらないわ。」

「うーん、よく分からないけど、夜慧がそう言うなら…。」

「これでどう?清将さん。
 私達、血は繋がってないけど家族なのよ。
 家族の元に帰ってくるのって、至極当然のことだと思わない?
 どれだけ遠くに行っても、結局帰るところは自分の家なんです。
 私達が、貴方のいつか帰る場所になりますから。
 …ね?
 だから帰ってきてくださいね?」

「夜慧さん…。
 ぅぅ…ありがとう…ぅ…。」

「ほらほら、泣いてないで、ね?
 お姉ちゃんを困らせないの。
 だから、もう一度私達の前で約束してください。」

「ぁ…。
 はい。
 私は、貴方達とは家族です。
 だからもう一度、必ず再会を果たしましょう。
 その後、また国を作る担い手の一人として、働いてくれますか?
 …お兄様に、お姉さま。」

 

少し俯いて、照れながら話す清将の姿は、二人が今まで見ていた清将とは少し違い、
何となく頼りない、本物の弟のように見えた。
その姿を可愛いなんて思いながら、夕も一息入れ微笑んだ。

 

「あぁ、また会おう。
 …何か変だな!
 どっちが身分が高いんやら!」

「そうですね、ははは…。
 でも何だか…暖かくてこういうの、好きです。
 本当にありがとう、夕に夜慧さん。
 貴方達も、どうかご無事で。」

「はい。
 ではまた。」

「えぇ、また会いましょう。」

 

全員が微笑み、にこりと挨拶を互いに交わす。
それは、ちょっとそこまで行ってくると言った、お遣いじみた旅立ちだった。
行ってらっしゃい、と気楽な姿勢で送る清将。
その間、体には気をつけてね、と年上のような態度の夜慧。
まぁ何とかやってくるさー、と楽天的に歩む夕。
当然、また会うことを前提にしながらの別れだった。
そして、各々がそれぞれの道を行く。
国を護るため。
家族を護るため。
関係を護るため。

二人を見送りながら、城主としての覚悟を固めた殿は、
二度と迷わないと胸に近い、自分の城へと戻っていった。
一回り程成長したように思える風貌には、密かに自分の死を受け入れきったと思わせるような、
そんな雰囲気をまとっていた。

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