禁忌の間

〜人々の間〜

 

 

早一年。
すっかり街に溶け込んだ二人は、一年前より成人らしく、
大きく成長していた。
夕は元から備えていた身のこなしのお蔭か、
既に護奉陣の最高部隊である龍の陣の一人として、
さらに高末清将の側近である特務護衛官として活躍するまでに至っていた。
夜慧の方はと言うと、相変わらず日和の茜の元で働いている。
そうではあるが、いつしか看板娘として格別の評判を得ていた。
全てが順調。
幸せな日々。
満たされた日常。
彼らの暮らしに、最早一片の苦も無かった。
…但し、禁忌の間柄である、ということ以外は。
未だにそれを言われているのが、彼らの辛いところであった。

 

「よーし、じゃあ行ってくるか!」

「そうだね!」

 

そして今日。
一年振りに訪れたい場所が、彼らにはあった。
彼らの育った家であり、学校であり、全てだった。
あの孤児院。
たまには顔向けしよう、ということで久しぶりに帰ることにしたのだ。

 

「…よし。
 準備はばっちりだな。」

「夕君…?
 こんな日にも帯刀しなくても…。」

「しょ、しょうがないだろ…?
 こういう決まりなんだから。
 それに、最近は帯刀してる方がしっくり来るんだな。
 一応休暇の許可は得てるんだけどね。」

「あらあら、困った役人さんねぇ。」

「何だよ、この看板娘っ。」

「…ふふっ。」

「はははっ。」

 

まるで、お互いをけなし合ってるかのようで、
それでも褒めあっているようにも見える。
何とも不思議な、しかしただの惚気た状況だった。

住み慣れた家を離れ、懐かしい道を歩く。
毎日歩いている道でも、久しぶりに向かう場所へ行くのだから、
何となく懐かしい気がする。
そんな気分だから、自然と二人は一年前のことを思い出していた。
歩きながら、ぽつりと夕は言った。

 

「僕たち、もう一年になるんだな。」

「うん、そうだね…。
 夕君、この一年はどうだった?」

「そうだなぁ…。
 僕は幸せだったと思うよ。
 家もあって、職もあって、何不自由なく生活できるようになって。
 おまけに大好きな夜慧もいるしな。」

「…そういう恥ずかしげな言葉、よく平気で言えるわね…。」

「えー?
 本当にそう思ってるんだから、別に恥ずかしい訳ないだろー?」

「聞いてる…こっちが恥ずかしいのよ…。
 でも、嬉しいな。
 私も同じこと思ってたから。
 思ったより私たち、疎外されてないみたいだしね。」

「そうだなぁ。
 口うるさい爺さんや婆さんはいるけど、みんな思ったより良い人たちだよな。
 …裏で何言ってるか、全く分かんないけど。」

「ほらぁ、そういうことを…。」

「でもそうだろ?
 茜さんや近隣の若い方はともかく、おじさんおばさん連中は分かったもんじゃない。
 おばさん達の井戸端会議なんて、その最たるものだと思うぞ。」

「う〜…ん。
 でも私は、できるならみんなを信じたいな。
 なーんて、楽観できる状況じゃないのは分かってるわ。
 私たちみたいな間柄の人、もう街に殆ど居ないしね。」

 

そう…。
一年前には、かろうじて二桁を保っていた禁忌の間柄の夫婦。
それが一年の間に数組にまで激減していた。
つまりそれが言わんとするところは…。

 

「何らかの迫害があった、って考えるのが自然だろうな。」

「離されてしまったのか、またはこの地を離れたのか…。
 どっちか分からないけど、きっと私たちは残る。
 だって、清将さんがいるしね。」

「そうだな。
 今、近隣の国が、その異系種のことで話し合いが持たれてるらしいし…。
 そう遠くない未来には、きっと法律的にも認められると思うよ。」

「そっか、そうなると良いね。
 いつか生まれる、私たちの子のためにも。」

「ん…。」

 

ちなみに、未だ彼らに子は無い。
まず子を持つだけの余裕が無かった、というのもあるが、
やはり主原因は種族の違いだろう。
聞いていたように、かなり低確率らしい。
一度もその傾向は見られなかった。

そこで会話は一時中断。
二人は無言のまま、手を繋ぎ、そして丘を目指した。
懐かしの我が家へと。
そして見えてくる、慣れ親しんだ建物が。

近づいて見てみると、ここはどこも変わっていなかった。
一年前の今日と同じように咲いている花。
一部壊れかけた柵。
遠く離れている、よく二人が夕焼けを見ていた場所。
本当に、全てが同じだった。

 

「…そりゃそうか。
 一年でがらりと変わってたら、逆に気持ち悪いよ。」

「そうね…。
 でも変わってないから、帰ってきたんだな、って感じがするよ。」

「そうだな。
 じゃ、まずは院長先生のところに行くか。」

「うん!」

 

自分達の親とも言える、院長先生。
会うのをかなり楽しみにしていたらしく、
足がとても速く動いてしまっていた。
一年前のように、慣れた感じでそこへ一直線に向かっていった。
そして、焦る気持ちを抑えるようにして、深呼吸。
二人で目を合わせ、二人で同時に扉の外から呼びかけた。

 

「院長先生、入ってもよろしいでしょうか?」

「はい、どうぞ。」

 

がらり、という音と共に、目の前に飛び込んでくる。
彼らの思い描いた人物とは、全く違う若い虎の男性が座っているのが。

 

「「え…?」」

「…?
 何でしょう?」

 

二人は状況をよく理解できていなかった。
何故、いつもの院長先生ではなく、この男性がいるのか。

 

「あ、あの…。」

「夕君と夜慧さんですね、お久しぶりです。」

「え?
 何で私たちの名前を知ってるんですか…?
 それに、久しぶりって…。」

「…あれ?
 私のこと、覚えてませんか…。
 そうですね…、五年程前の春、障子破り、で思い出してくれませんかね?」

「春…、障子…?
 私…分かりません…。
 夕く…、お兄ちゃんは?」

「うーん…。
 そうだなぁ…。
 確か……、あっ!」

「思い出してくれましたか!」

「いいえ、全く。」

 

夕の反応に前のめりになっていた虎の男性は、
一瞬にしてその体が崩れ落ちていって、ついには椅子から転げ落ちていた。

 

「あ、あのですね…。
 私、平継優源(ひらつぎゆうげん)です。
 これでも思い出してくれませんか。」

「…あぁ…思い出してきた…。
 確かに五年前だ。」

 

五年前の春。
この孤児院の院長先生を継ぐべくして、研修に来た男性がいた。
彼は、ある日孤児院の清掃をしている最中、
絡まれてきた子供と遊んでいたら、その子供に思い切り投げられ、
一部屋の障子を丸々破いてしまった。
そんな事故があったような気がした夕だった。

 

「うん、多分あれだ。
 僕に投げられた、ひ弱な優兄さんだな。」

「ひ弱は余計です。
 それは五年前までの話で、
 今では出るところは出ましたよ。」

「お腹?」

「何言ってるんですか!
 筋肉ですよ、筋肉!
 より男性らしくなったという意味です!」

「…そんな人、確かにいたわね…。
 これはとんだ失礼を…。」

「あ、いえいえ。
 私も貴方達には優先的に報告すべきでした。」

「そ、そういえば私たちの知っている院長先生は?!
 どこにいらっしゃるのですか?!」

「はい、それが報告すべきことです。
 院長先生は…。」

「院長先生は…?」

 

一気に雰囲気が張り付いた。
神妙な面持ちの優源に、二人の顔も強張る。

 

「院長先生は…引退なされました。
 お歳がお歳だったので。
 それが、君たちがここを去った三ヵ月後の話です。」

「け、結構急だったのですね…。
 それで、今はどちらに住んでいらっしゃるのですか?」

「今は…。
 非常に申し上げにくいのですが、その後すぐにこの世を去られました。
 自分の人生を全うしたかのように。」

「「え…?」」

 

そろそろ引退の時期かもしれんの。
かつての院長は、時々そうひとりごちていた。
それは確かに覚えている。
本当に幼子だった頃から面倒を見られていたのは二人だけだったし、
その後なら引退しても確かに問題ないとすんなり頷けた。
問題は、その後。
この世を去られた、ご逝去された。
それが、はいそうですか、と頷けることではなかった。

 

「本当に今でも残念に思います。
 あんな人を、私はこの人生で二度として見たことがありません。
 とても偉大な方でしたね。
 そして…貴方達には親同然でした。
 あの方を弔った場所が、この孤児院から少し離れた、
 夕焼けが綺麗に見える場所にあります。
 行ってあげてくれませんか?
 きっと前院長先生もお喜びになると思います。」

 

彼は言った。
二人が夕焼けをよく見たあの丘に、彼らの親が眠っていると。
優源と会話を終えた二人は、事実を確かめるために向かった。
未だ信じられない。
そういった面持ちだったのだが、確かに墓標はそこに存在していて、
さらにそこには
『私達の愛するお父様に、安らかなる眠りを。』
と刻まれていた。
それは…どうにもできない事実だった。

 

「院長…先生ぃ…っ。」

 

墓標の前で、うずくまるようにして夜慧は泣き崩れた。
夕は、その場でただ堪えるように震え、
それでも懸命に言葉を選んで、院長に語り始めた。

 

「先生…。
 僕ら、この一年はとても辛かったけれど、
 とても楽しかったです。
 先生の言ったとおり、やはりご年配の方はなかなか僕らを認めてくれません…。
 ですが、受け入れてくれる方もいます。
 僕ら兄妹は、兄妹としても、愛する者同士としても、
 うまく行っていると思います。
 それは…先生。
 貴方のお蔭でした。
 僕らが今日まで生きてこられたのは、全て貴方のお蔭です。
 感謝しても…感謝し切れません…。
 本当は…直に…言いたかった…のにぃ…。」

 

途中まで言い、遂には夕も涙してしまう。
一度流れ始めた涙は、止まることを知らず、
次から次へと湧き出すように流れ落ちる。
そして、言葉さえも紡がせようとはしない。

 

「夕君…。」

「何で…、何で僕がこんなこと言わなくちゃいけないんだよぉっ!
 何で…こんな…。
 …だめだ、これじゃ…。」

「え?」

「こんな言葉は、僕らしくないよ…。
 院長先生は僕らの親なんだから…。
 こんなかしこまったさよならじゃ、僕が嫌だ!」

「…そうだよね、私がいつもその役回りだものね。
 私がいつも丁寧で、夕君は子供みたいだった。
 一年経った今でも、院長先生の前では…いつもと同じようにしなくちゃ…ね。」

「本当は成長した姿を見て欲しかった…。
 でも…。
 院長先生、本当にありがとう。
 僕ら、頑張るよ。
 頑張って、院長先生の教えを守って、強く生きていくよ。」

「院長先生…。
 私は…今でも泣き虫な夜慧のままですね…。
 本当は…笑ってお別れしたかったんですけど…、
 今は…無理です…。
 来年も…また来ますね。
 それまでは、一旦ですけど…、さようなら。
 私たちが愛した場所を守りながら、待っていてください。」

 

親を亡くした悲しみ。
それがどれだけ重く悲しいことか。
いるはずの人、いるのが当たり前だった場所。
現在には無い過去。
ぽっかり空いた、心の穴。
それを埋めることは、とても難しい。

帰ってきた二人に告げられた悲しい出来事は、
何度も二人の胸中で繰り返された。
それでも前を見て歩かないといけない、とも思わされたのだった。
院長先生の子供として。

その夜は、久しぶりに孤児院で泊まることになった。
一年ぶりに再会した子供達は、やはり子供だけあって成長は早く、
見知った顔も少しずつ大人へと近づいているのがはっきり分かった。
特に、この中でも年長者である、十三歳の翔は、
より青年らしくなっていた。

 

「翔、一番上になった気分はどうだー?」

「んー、あんまり変わらないよ〜。
 兄ちゃんみたいに力があるわけじゃないから、
 いつも下の子に冷やかされてばっかの生活だよ。」

「そっかそっか。
 それは一番上の特権だからしょうがないさ。」

「特権?
 何で特権なの?」

「さぁ?
 何かよく分からんが、大抵年長者は冷やかし受けるか、
 または夜慧みたいに思い切り尊敬されるかどっちかだな。」

「でも兄ちゃんは尊敬されてたと思うなぁ…。」

「そうか?
 あの辺のがきにはいつも、
 『やーい兄ちゃん!年食ってついて来られないだろー!』
 って言われて追いかけて、捕まえて遊んだもんだけどな。」

「そっかぁ、そういうのが大事なのかぁ…。」

 

ふむふむ、と言いながら納得した顔をしている翔を見て、
夕は目をぱちくりさせた。

 

「ん?
 兄ちゃん、どうしたの?」

「いやー、翔、変わったなぁと思って。」

「僕、変わった?」

「うん、変わったな。
 去年までは内気でちょっと控えめなやつだったからさー。
 積極的になったんだなぁと思って。」

「んー…自分ではよく分かんないや。
 でも兄ちゃんの代わりの兄ちゃんになったんだから、
 少しは兄ちゃんらしくしないとな、とは思ってるんだよ〜。」

「そっかそっか。
 こいつめ、何かちょっと見ない間に立派になりやがって!」

「に、兄ちゃん、痛いよぉ!」

 

夕は翔の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。
翔の成長した姿があまりに嬉しくて。
翔はそんなことされながらも、笑いは耐えなかった。
久しぶりに会った夕に、自分を認めてもらえたことが嬉しくて。
お互いが喜びを分かち合っていた。
そんな様子を見ている他の男子が、それを遊びだと思い参戦してくる。
そしてはっちゃかめっちゃかの状態になり、まさに一年前と同じ状況になっていくのだった。

そして、女の子は女の子で盛り上がっていた。

 

「ねぇねぇ、夜慧姉ちゃん!
 夕兄ちゃんとはどうなの?!」

「どうなの?!」

「な、何で久しぶりに会ったってのに、話題がそれなんだか…。」

「良いでしょー?
 仲良くやってるー?」

「うーん、まぁ良い感じかな。」

「良い感じって何?何ー?」

「あはは…、困ったなぁ…。」

 

夜慧と夕の話で持ちきりだった。

夜は更け、子供達は眠りにつく、そんな時間帯。
また別に、祝いの席が設けられた。
夕、夜慧、優源、翔の四人。
勿論、翔がいるため酒の席にはならない。

 

「そうか…。
 夕君は、あの護奉陣の、さらに龍の陣の役人さんになったのか…。
 それは凄いね、おめでとう。」

「いや、何かとんとん拍子でよく分かんないんですけどね。」

「それは君に才能があった、ということじゃないか?」

「うーん、何だろう。
 運が良かったと言うか?」

「兄ちゃん、やっぱり凄いなぁ…。」

「君たちは…本当にこの一年頑張ったのですね。」

「まぁ、割りとそうですかねー。」

「やっぱり私たち、他の人から見ると奇妙ですからね…。
 人以上に頑張らないといけないんですよね…。
 ご年配の方は特に、なかなか受け入れてくれません。」

「何でなんだろうね?
 だってさ、兄ちゃんも姉ちゃんもその爺ちゃんや婆ちゃんも、
 みんな同じ人でしょ?
 ちょっと種族が違うだけで、そんな風にならなくても良いのにぃ。」

「そうですね…。
 みんながみんな、翔と同じ考え方ができれば良いのですが…。
 どうしても、古くからあるわだかまりというのは、なかなか埋まらないものなのですよ。
 それは、年を取るとさらに埋まりにくくなるものです。
 この問題は二百年にも渡る、大きな大きな問題ですからね。」

「大人って面倒くさいんだね。」

「翔のように楽観的な人ばかりだと、きっとこの世は平和なのでしょうね。」

「先生、さり気なく僕に酷いこと言ってない?」

「いいえ、気のせいですよ。」

「ははは♪」

「ふふふ♪」

「「???」」

 

翔と優源のやり取りは、ある意味完成したものだった。
それが余りにも滑稽で、ふと笑みを零してしまう。
それに釣られて優源も笑い出してしまう。
翔は何がおかしかったのか分からず、
分かっていないのが自分だけという状況が滑稽で、
結局笑いを堪えきれず。
全員が笑っているという不思議な状況が出来上がった。

皆が就寝。
夜は更けていく。
いずれ迎える朝には、決意を新たに踏み出さないといけない。
そう胸に誓い、夕と夜慧の久しぶりの帰郷は終わっていくのだった。

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