禁忌の間

〜世俗の間〜

 

 

街に移り住んで、早四ヶ月が経過した。
二人だけの生活にも慣れ、周囲の住人とも打ち解けあい、
都の暮らしを知り、何より成人としての生き方を知った。
夕は街のお触れで募っていた、城下の奉公を生業とするようになった。
街からは若干離れた距離ではあるが、十分に歩いていける距離だ。
さらに、この周辺を収めている城主、
高末清将(たかすえ きよまさ)は近隣国ではこの上も無いほどの名城主と言われている。
弱きを助け、悪しきをくじく。
まさに理想の主だった。
そこに奉公することになり、夕はゆっくりと少しずつ、
武士としての地位を確立していくこととなった。
この時代、この場所では、平民出身の武士は非常に多い。
が、武士と言えど、今は泰平の世。
戦話は全く出ず、ただの自衛のための布石に過ぎない。
それでも、時々くじかれた悪しき者が怨念を持ち、
城に潜入して主を討とうとすることもある。
それを未然に防ぐのが彼らの仕事であり、また国の治安維持も兼ねているのだ。

しかし、この武士集団「護奉陣(ごほうじん)」に入隊するのは、
意外と容易なことではなかった。
護衛のためとは言え剣術を覚える必要があるし、
さらには国の法令も暗記せねばならない。
男性ではあれど、今まで夕は剣術も法令も全く知らずに生きてきた。
では何故その夕が入隊できたのか。
それは三ヶ月前のことだ。

当時職を探していた夕は、あるお触れを目にした。

「奉公者、求む」

ただそれだけが書いてあるお触れ。
それを見ただけなので、その時は何も思わなかった。

夜、夜慧と散歩に出ている時のこと。
いつものように、二人で星を眺めながら歩いていた時のこと。
一人の青年が、二人の横を通過した。
一瞬で分からなかったが、きっと猫か狐の類の人であると推測された。
その次に見たのは、数人が青年の後を追うようにして走り去っていったところ。
最初は何とも思わなかったが、それでもおかしいと少し思っていた。

 

「ねぇ、夕君。
 今の人たち…。
 おかしくなかった?」

「ん?そかー?
 何かちょっと変だったけどな。」

「うーん…。」

 

突如、何かの衝撃音。
それは後方から聞こえてきた。

 

「…何だろう…。」

「夜慧、ちょっと見に行こう。」

「え、うん。」

 

今来た道を少し戻ると、
先程通り過ぎた彼らが物凄い勢いで何かを言っているのは分かった。
しかし、何を言っているのか分からない。
言葉が汚すぎて。
そしてその向こうには…。

 

「あ!
 さっきの人だ!
 さっきの人が袋叩きにされかけてる!」

「え?!
 うーん…。
 夜慧、とりあえずその板の裏に隠れてて。」

「どうして?
 ま、まさか…夕君…。」

「大丈夫大丈夫。
 あんな図体のでかい熊さん達に捕まったりしないって。
 とりあえず、あのどう見ても悪者そうな人たちを僕が誘導してここから離すから、
 その隙に夜慧は、あの人を家に連れてって匿ってあげて。」

「…とっても危険だと思うんだけど…。」

「人助けは大事だろー?
 大丈夫、両方に被害が無ければ問題無しっ!
 んじゃ行くから、後は頼んだぞ!」

 

袋小路の入り口に躍り出た夕は、わざとらしく声を出して気を逸らす。

 

「あ、あなたたち、何してるんですか?!
 ここでは喧嘩はご法度ですよ!」

「ん?
 何だお前は。
 そんなもん夜は関係ねーんだよ。」

「夜だからって、そういうものを無視するのは良い大人と言えないと思いますが。」

「いちいち癇に障るようなこと言いやがって…。
 おい、あいつも捕まえるぞ。」

「ぼ、僕は何もしてないですよ…!」

「構うな!
 行くぞ!」

 

その声と同時に、熊の三人集が夕めがけて走り出す。
夕は彼らを十分に引き付けると、目で夜慧に合図し、
そして彼らに追いつかれないよう、しかし離さないような距離を維持し、
街の外れを目指して走り出した。
十分に離れたのを見計らい、夜慧はうずくまっている青年に駆け寄る。

 

「だ、大丈夫ですか?!」

「あ、あぁ…問題無い。
 少し肩が当たってしまっただけで、まさかこんなことになるとは…。
 あれ?
 貴女はさっき、私が通り過ぎた時に見た…。
 か、彼は?!」

「きっと今頃…逃げ回っていると思います…。」

「それは危ない!
 彼を助けに…痛た…。」

「無理はなさらないで下さい…。
 思い切り壁に当てられたんですよね?
 背中に異常を来たしているかもしれません。」

「し、しかし…。」

「そうですよ、兎に角僕らの家にお連れします。
 さ、行こう、夜慧。」

「そうね。
 ………。
 夕君?!
 どうしてここに?!」

「軽く撒いといた。
 当分はここに来れないだろうね。
 さ、急ぎましょう。」

 

狐のような尾を持った、犬の顔をした青年を背に、
夕と夜慧は隠れるようにして自宅へと戻った。
その青年は特に傷も無く、幸いなことにしばらくすれば動けるようになった。

 

「済まないね…。
 いや、おかしいですね…。
 私、これでも深夜徘徊には慣れているのですが…。」

「お言葉ですが、慣れていたらこんな真夜中に、
 人が通らないようなところで人にぶつかったりはしないと思うのですが…。
 私は猫目のおかげでよく見えるのですが、
 もしかしたら夜にはあまり目がよろしくないのですか?」

「いや、私の目は普通ですね。
 ただ少しだけ見難いかもしれません。
 そうですね…。
 以降は気をつけることにしましょう。」

「それで、お体の方は大丈夫ですか?
 僕が彼らを撒く時には、若干痙攣なさっていたようですが。」

「はい、大丈夫です。
 わざわざ済みません。
 どうもありがとうございました。」

「あ、自己紹介が遅れましたね。
 私は夜慧。
 彼は夕と申します。」

「私は将清(まさよし)。
 高田将清と申します。
 以後お見知りおきを。」

「はい、よろしくお願いします。」

「ん?
 将清…?
 僕はどこかで聞いたことがあるような…?
 あれ、見たんだっけ…?
 失礼ですが、お名前は将軍の将の字に、清らかという字ではありませんか?」

「はい、その通りです。
 それが何か?」

「気のせいか…。」

「どうしたの、夕君?」

「いや、城主様の名前に近いものがあるなぁ…なんて思って。」

「それ、よく言われます。
 …そろそろ帰らなければ。
 ではこれにて失礼します。
 本当にお世話になりました。
 それでは。」

 

青年は席を立ち、華麗な足運びでささっと家を後にした。
その振る舞いからは、どこと無く気品を感じることができた。

 

「礼儀正しい方だったね。」

「そうだなー。
 腰に刀を差してたと言うことは、護奉陣の人かな…?
 そっか。」

 

次の日。
昨晩会った彼のことが気になり、夕は城へと足を運んでみた。
勿論、奉公について聞く、という建前で中に進入して…。

進入後、意外にもあっさりと彼と遭遇することとなった。
人目につかないように歩いている様は、如何にも捕まえてください、
と言っているようなものだった。
城の影を歩行し、人に見られないよう、忍んで動いている。
夕からは丸分かりであったが。
こちらの様子に気付かれないように、後ろにつき、
そして一言。

 

「すみません。
 それ、思い切りばれますよ?」

「ふわぁっ?!」

 

後ろから出ているふさふさの尻尾をぴんと立て、
物凄い勢いで夕に振り返る。
その様はやはり昨晩の青年と同じだった。

 

「び、びびび、びっくりしたぁ…。」

「驚かせてしまって申し訳ありません。
 ですが、隠れているつもりなのでしょうが、
 全く無意味だったみたいですよ、それ。」

「んむむ…、おかしいですね…。
 今まで見つけられたことは一度としてないのに…。」

 

急に、この城の警備の具合が心配になった夕だった。

 

「あ、昨晩の…夕様ですよね?
 どうしてここに?
 貴方、城の者ではないですよね?」

「実は、奉公の話を伺いに来まして…(という口実で)。」

 

ぼそりと、不穏なことを口にした。

 

「そうだったのですかー。
 あの悪者共を撒く俊敏性、護奉陣の入隊志望ですかね?」

「奉公って、護奉陣への入隊も可能なんですか?」

「あ、はい。
 むしろそちら目的の方が多いですね。
 違うんですか?」

「ぼ、僕は…剣術なぞやったこともありませんし…。」

「しかし、やったこと無い方でも、基礎体力の試験で通れば、
 剣術を学ぶことができますよ。
 この泰平の世、剣術道場は閉鎖が相次いでますからね。
 ですから、道場主を城に募って、剣術を教える師範にしているのです。」

「そ、そうだったのですか…!
 僕は…城の世話役にでもなろうかと思ってました…!」

「ではどうですか?
 試験を受けてみるというのは。
 私、爺に相談しますよ?」

「…爺?」

「…あ!
 い、いや、老中殿に!」

「…。
 ところで、貴方はどこの配属なのですか?」

「え、わ、私ですか…。
 じ、実は私も世話役の一人でし…」

 

言っている最中に気が付く。
世話役は、刀なんか帯刀しないことに。
それが白々しすぎて、夕は将清を疑いの目で何となく見つめた。

 

「え、えっと…。
 護、護奉陣…。」

「の、割には…、あんな族から逃げ回っていたのですね。」

「そ、それは…。」

「失礼ですが、僕、貴方の正体が分かった気がします。」

「う…。」

 

すでに、多くの方が気が付いているであろう。
夕の目の前にいる方は、この国の主。
つまり、高末清将であることに。

 

「あの…、夜に徘徊しているのは、爺には内緒にしておいてください…。
 爺は厳しいのです。」

「は、はぁ…。
 そう言えば、貴殿はおいくつなのですか?」

「私ですか?
 私は今年で齢十六。
 ようやく成人になるのであります。」

「と、殿は僕らと同じ年齢だったのですか…!」

「え?
 そうなのですか!
 いやー、周囲には同じ年齢の方なんていなくてー。
 是非貴方には護奉陣になっていただき、私の側近としていていただきたいですね。」

「そ、そんな無茶苦茶な…!」

「無理は承知でお願いしています。
 私、同じ年齢の知り合いがいなくてですね…。
 これでも一人前に色々悩みとかあるのですよ。
 お願いします…!」

 

本当に、彼が名城主と名高い高末清将なのであろうか…。
そんな疑問が、夕の脳裏を右往左往していた。

 

「いや、私は政治については、爺や他の重鎮達に助けを得ています。
 それに、城下に出ているのも、自らの目で住民の様子を見るためなのです。
 そうすることで、私は経験を通して現状を知ることができますからね。」

「…え?」

 

驚いた。
彼は、夕が思っていることを、思っていただけのことを、
見事に理解しその返答をした。

 

「私、これでも不可思議な力を持っているのです。
 読心術と言いましょうか…、
 私は人の考えていることが少し分かる力があるんですよ。」

 

そんな話は聞いたことが無かった。
夜慧なら知っているかもしれないが、少なくとも夕は初めて知った。
そのような、不可思議な力を持つ者がいることに。
もう一度清将の容姿を見た時、それは何となく解決した。

 

「あぁ…貴殿は…。」

「はい。
 私は異系児。
 私を生んだ母は犬族。
 父は狐族の方でした。」

「…でした?」

「はい。
 私、今より幼い頃に、父と母を亡くしております。
 それでも今日までこうして生きていられたのは、爺のお蔭でした。」

「そう…だったのですか…。」

 

さらに驚く。
自分と夜慧、他の孤児院の子らのように、同じ境遇を持った人が、
今目の前で城主として生きていることに。
そしてその城主は、自分を異系児だと言った。
異系児が恐れられる理由は、そういった普通の獣人には有らざる力。
即ち、持ち得ない力を有していることにある。
それを、夕は今目の前で認識させられた。

 

「私、異系児だからどう、とか言われるのって嫌いなのです。
 私は私。
 生んでくれた父上と母上に感謝し、今を生きているのです。
 私は、この国を任された者として、責任を負わねばならないのです。
 そして私は…異系児の偏見を取り除きたい。
 絶対に私は、過ぎ去った過ちを繰り返せたりはしない。
 それが、今の私の信念です。
 私を私たらしめんとする、意志です。」

 

語る青年。
勇気付けられる青年。
そして思う。
この青年は本物だ。
自らの闇を知り、人の闇を知り、それでも強く生きると言う。
世俗では弱いとされる存在が、こんなに強く在る。
それは、とてもすごいことだと思った。
夕は、この青年なら信じられると、確信した。

 

「そう、なんですか…。
 僕、貴殿のような方なら、喜んで協力いたします。」

「本当ですか?!
 では爺には試験について話しておきます。
 きっと貴方のような方なら、きっと通過することができましょう。」

 

かくて、結ばれた絆。
いつしか、夕は清将の重鎮の一人として、名を連ねることになるのだった。

 

 

一方夜慧は…。

 

「夜慧ちゃーん、こっちできたからあちらさんにー!」

「は、はーい!」

 

街にある、食事処で働いている。
やはり、さすがに公務員と言えど、夕の給料は未だ少ない。
支えあう必要があり、夜慧もこうして働いているというわけだ。
職場環境は良く、結構離れた年上の女性が面倒を見てくれる。

こうして、共に職場を得た夕と夜慧は、離れる時間が増えても、
お互いはしっかりと大事にしていた。
そんな四ヶ月だった。

そして今。

 

「ふぁ…ぁ。
 もう朝かぁ…。
 ほら、夕君、起きなくちゃ。」

「んぅ…。
 ん…む…?」

 

冬が近くなったせいもあるのだろう。
布団一枚で寝るのはさすがに寒くなってきて、
今では二枚の布団を使用している。
…こともあるのであろうが、それに加え、
あの時から二人は同じ布団で寝るようになった。
布団の中は暖かく気持ちが良い。
それゆえに、なかなか布団から出られない夕だった。
…どっちかと言うと、猫の血を引く夜慧の方が寒さが苦手だと言うのに。

いつものように、二人で朝食を作る。
決まって朝はアジの開きをおかずに、ご飯とお味噌汁。
質素かつ、最適な朝食だ。
朝食を食べながら、いつものように軽い会話が始まった。

 

「夕君、調子はどう?」

「そうだなー。
 今日から護奉陣に配属されることになったよ。
 獅子の陣。」

「本当?!
 すごいなぁ、夕君。
 獅子の陣って言ったら、街や城の警備じゃない!」

「えへへ…。
 まぁ、頑張ったからなっ!
 清将さんのお蔭だよ。」

「そうだね〜。
 あの方のお蔭で、今私たち頑張れてるのよね、うん。」

 

家の中限定で、城主は”さん”付けされている。

 

「で、夜慧の方はどうなんだ?
 何か、変なこととかされてないか?」

「うん、大丈夫よ。
 茜(あかね)さんが見てくれてるもん。」

 

ちなみに、夜慧の職場の店長が、茜さんという巨体を持った大柄な犬の女性である。

 

「時々変なお客さんいるけどね。
 でも茜さんが怒鳴るだけで解決するから♪」

「そ、それは解決になってんの…?」

 

ある種の解決で間違いなかった。

 

「とにかく大丈夫。
 さて、じゃあお片付けして…っと。」

「で、その後は僕」

「却下。
 何言うつもりだったのか分からないけど、
 多分それは却下よ。」

「ひどいなぁ…。
 僕 しか言ってないのに…。」

「はいはい。
 その後は、今日のご公務が終わってから聞きますね、お兄ちゃん。」

「…そういうの、ずるいよなぁ…。」

「ん?何が?」

「妹様には敵いませんよ、ったくもー。」

「あはは♪
 じゃ、一緒に途中まで行こっ!」

「そうだなー。
 行くかー。」

 

一人思う。
やはりそう簡単にたがは外れないもんだな、と。
そう夕は思った。
それは極めて当たり前のこと。
飽くまで、彼らは彼らなりの表向きが兄妹。
恋人、という訳ではないのだから。
やはり、その辺りは悲しき男の性である。

夜慧の職場、「日和」まで夜慧を送ると、夕はさらに遠くの城へと目指していった。
それを見送るのが、毎日の夜慧の仕事のようなものだった。

 

「うーん、やっぱりお兄ちゃん、最近どうも…。」

 

守りが甘いというか、認識できていないというか…。
と、考えたところで、ぽんと答えは出た。

 

「そっか、私…。」

 

兄である夕。
しかし、男である夕。
それを受け入れた時点で気が付くべきだった。

 

「それが男の子だもんね。」

「夜慧ちゃーん?
 どうしたのー?」

「?
 茜さん、お早うございます。」

「はい、お早う。
 どうしたの?
 今日はいつになく考え込んでちゃって。
 いつも夕さんを見送ったそうね。」

「それは気のせいだと思いますけど…。」

「なーに言ってるのよ!
 まぁそれは良いとして、…こんなこと言うのも変だけど、
 気をつけた方が良いわよ?」

「はぁ…?
 何をですか?」

「私はね、別に気にしていないけど…。
 やっぱり考えが古いご老体にはね、あなた達の受けが悪いのよね。
 ほら…、分かるでしょ?」

「そういうことですか…。
 それでも私たちは…。」

「分かってる、分かってるわ。
 夜慧ちゃんは良い子だし、夕さんもしっかりしてるからね。
 でも、一応気には留めておいてね。
 私も…こんなこと言いたくなかったんだけど。
 ここの常連の爺さんがうるさいのよ。
 あの若者らはまた同じことを繰り返させるつもりなのか!ってね。
 古い考えだけど。」

「大丈夫です。
 全く気にしていません。
 それに、他人の目が気になるようなら、私たちは今こうして一緒ではないのですから。」

「…強い子ねぇ。
 ま、私もできる限りで助力していくから、困ったことがあれば頼りに来なさいよ?」

「はい、ありがとうございます、茜さん!」

「…さて、辛気臭くなっちゃったわね…。
 よーし、今日も頑張って働くわよ!」

「はーい!」

 

そう…。
自分達が負けるはずがない。
古い考えは所詮磨耗していくだけ、ただの事象。
そんなもの、自分の前にはだかろうと、決して屈しない。
それが夜慧の意思だった。
ここに来た四ヶ月は、確かに院長が言っていたことで、その通りだった。
近所に住む老人夫婦は揃って自分達を蔑むし、
昼間に二人で歩いていれば、老舗の雑貨屋は店に入れさせない。
だが、それでも良かった。
それでも二人で生きる希望を見出せるのだから。

 

「負けないんだから。
 ね、夕君?」

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