禁忌の間

〜二人の間〜

 

黄昏時の中、彼らはいた。
夕闇が自分達の住んでいる世界を包み込もうとする、そんな時間帯。
犬と猫の兄妹は、沈み行く太陽を眺めていた。
一日の終わりを、見届けていた。

 

「今日も一日が終わりだね。」

「そうだなー。」

「明日も良いこと…あるかな?」

「あれば良いなー。」

「…夕(ゆう)君、ちゃんと聞いてないでしょ。」

「いや、聞いてるよ?」

「むぅ…。」

 

こんなやり取りだが、それでも嬉しかった。
夜慧(やえ)には、どんな時よりこうしてただ何もせず隣にいることが嬉しかった。
楽しかった。

この子らには、親がいなかった。
正確に言えばいないワケではない。
ただ、彼らが知らないだけ。
そう…孤児であった。
戦国の世は終わり、泰平の時代に切り替わって既に十余年。
戦国時代に両親を亡くしてしまった幼子は、決まって街の孤児院へと連れてこられる。
そして、里親を探してもらうか、自立できるまでそこでお世話になるのだ。
彼らも既に、年にして齢十六。
正式に大人として認められる年齢だった。
それはつまり、孤児院を離れて暮らす、ということを意味していた。

勿論、彼らは本当の兄妹ではない。
孤児院に入ったのが同時期だった二人は、
気が付いたときから常に一緒に行動し、時に叱られ、時に喧嘩し…。
そして、今まで生きてきたのだった。
男女ということもあり、種族の差も関係なく、彼らにはお互いに恋心が芽生えていた。
しかし、お互いにそれを禁忌としていた。
種族の差が問題なのではない。
むしろ、これまで兄妹として生きてきてしまったことが問題なのだ。
それ故に、いくら血の繋がりが無いとは言え、各々の気持ちを相手に明かせないでいた。
相手の気持ちも分かっているというこの状況が、更なる苦痛を強いることになった。

 

次の日、ついに彼らは孤児院の院長に呼ばれた。

 

「失礼します。」

「おぉ、来たか、夕。」

「お兄ちゃん遅いなぁ…。」

「う、うるさいっ!
 ちょっと寝坊しただけだ!」

「あー、戯れはそこまで。
 …良いか?
 汝らは既に齢十六を満たしておる。
 それがどういうことか、分かっておるな?」

「はい、僕と夜慧は…。」

「その通り。
 ここを出ねばならぬ決まりになっておる。
 大人となったそなたらは、これからは自分の意思で生き、自分を支えていかねばならん。
 その覚悟が…あるか?」

「はい。」

「私も、既に心中にあります。」

「そうか…。
 そなたらがここへ来て、もう十四年。
 うまく里親を見つけてやれんで…本当に済まんかった。」

「いえ、院長先生は私達のために、ずっと努力していらしたのは知っています。
 私はここで育てていただいたことを、本当に感謝していますよ。
 院長先生のお蔭で、私達はここまで成長することができたのですから。」

「そうですよ!
 僕らの親は、院長先生だけです。
 だから…時々はここに戻ってきて良いですか?」

「ほっほっほ。
 それこそ大歓迎というもの。
 そなたらが行く道に迷い、挫けそうになった時…。
 またここに帰ってくると良い。
 いつでも待っているよ、我が子らよ。
 本当に困ったときは、雇うことくらいできるのだから。
 …まぁ、賃金の方はあまり充てにならんがね。」

「そう言っていただけるだけで嬉しいです。
 きっと私達は、自分達で歩んでいけると思います。
 ここで過ごした日々は、私達にその力を与えてくれたと思っています。
 …ね、お兄ちゃん?」

「はい、だから大丈夫です。
 僕達は、きっと大人としてやっていけましょう。」

「そうか…。
 立派になったものだな。
 では三日後に、ここを後にすると良い。
 それまでに準備をなさい。」

「はい、分かりました。
 本当にありがとうございました。」

「ありがとうございました。」

 

十六歳を迎えた孤児は成人とみなされ、ここを後にして行く。
今年、十六を迎えるのは夕と夜慧のみだった。

一礼して部屋を出ようとすると、呼び止める院長の声が二人を遮った。

 

「これ、夜慧。
 お前にはちと話がある。
 残っていきなさい。」

「…?
 はい。
 じゃあまた後でね、お兄ちゃん。」

「ん、また後でな。」

 

一人、夕だけが部屋の外へと出る。
そして、ふと考えてみる。

「…一体何だったんだ?」

 

残された夜慧は、一人院長と向かい合わせる形となった。
一体何の話だろう、疑問に思っている夜慧に、院長は優しく語りかけた。

 

「ほっほっほ、大丈夫じゃ。
 別に取って食うわけじゃないよ。」

 

それだったらそれはそれで困るな、と夜慧は不思議なことを考えていた。

 

「それでじゃ。
 夜慧、そなたは大人となった今、いずれ子を持つことになろう。」

「はい、分かっています。
 それが何か…?」

「そなたは…夕を好いておるだろう、違うか?」

「…!
 それは…。」

「隠さずとも良い。
 他の子らにも知れ渡っている程有名な話じゃ。」

 

確かにそうだけど、そこまで知れ渡っていることを、夜慧は知らなかった。
周りにバレない方が無理な状況である。
それにも気付かない夜慧は、時にどこか抜けていた。

 

「それでじゃ。
 現状では種族間の恋愛は、まず成就することは無い、というのが通例。
 子はできぬし、何よりできたとしても異系児とされ、忌み嫌われる。」

「で、ですが…!
 現にこの孤児院には、その…異種族間の子も何人かいるではないですか!」

「この孤児院が特殊なのだよ。
 幼い時から何の先入観も偏見も無くここで育てば、忌み嫌われることは無かろう?
 しかし、そなたが出るのは世間じゃ。
 一方的な先入観や偏見が、そなたらを苦痛の淵に追い込むだろう。
 それでも良いのか?」

「……そんなこと…。」

 

それは知っている。
ずっと前から知っている。
街でも種族間で仲良くしている者はあれど、それが夫婦になっているのは見たことがない。
異種族は、ただの知り合い、友人、親友。
それ以上にはなれない、ということを物語っている。
数少ないカップルは成立すれど、やはり種族による差に耐え切れず別れてしまうか、
子宝に恵まれないか…。
仮に子が生まれても、成長する前に死んでしまうことが多い。
うまく育っても、他の者が受け入れない。
何故受け入れないのだろう。
生まれて育った子は、誰でも幸せに生きる権利があるはずだ。

 

「何故か。
 それは、二百年以上も前の話。
 戦国時代が始まる時の話じゃ。
 それなら教えただろう?」

「…はい。
 異系児は親の優れた部分をどちらも持つ者。
 その子がある城主の御子としてお生まれになったとか…。
 その御子が成長し、力を得て城主になりでもすれば、
 いずれ他国を制覇する脅威にも成り得る。
 それを危惧した他の数国の城主が、その御子を謀らんとした。
 しかし失敗に終わり、それが原因で戦国の世に突入した…。」

「その通り。
 やはりお前は賢い子じゃ。
 そういう背景を持つがゆえに、今では異系児は戦をもたらすとされてしまっておる。
 街に生きる数少ない彼らは、その現実と戦いながら生きている。」

「それは…紛れもない事実です。
 ですが、既に戦を終えて十余年経っております!
 いくら何でも、そろそろ人の目も…。」

「変わっておらぬのもまた事実。
 しかしまぁ、そなたらも若い。
 時に感情で動くこともあろう。
 それは私も止めはせぬ。
 それでも、よく考えておくれ。
 これから歩もうと思う道が、どんな道なのか。」

「はい…。
 申し訳ありませんが、もう退室して構いませんか?」

「あ、あぁ…済まないな。
 こんなことで呼び止めてしまって。」

「いえ…、わざわざお叱りいただいてありがとうございました。
 それでは。」

 

引き戸をゆっくりと、上品に開け、そして閉める。
一礼をしながら去っていく夜慧は、途端に元気を無くしてしまっていた。

 

「…はぁ、どうにかならんもんか…。」

 

 

「で、何だったんだ?」

「ゆ、夕君…!
 わ、わぁっ!」

 

既に立ち去ったと思っていた夜慧は、いきなりの夕に驚き、
よろめいて倒れそうになって…。

 

「あ、危ない!」

 

そこを、夕に救われた。
お互いが抱き合う形となってしまったが。

 

「あ…。」

「う…。」

 

お互いの体が硬直する。
今まで、一度もこの距離まで近寄ったことが無かった二人は、
愛する者を目の前に何もできなくなっていた。

 

「…。」

「…。」

 

静寂の時は数分続き、そして気が付いたかのように夜慧から離れた。

 

「ご、ごめん、お兄ちゃん!」

「あ、いや…。」

 

ぎこちなく動く二人は、妙に挙動が不審になってしまった。
そして、それを見守る数人の子供は、小さな声で笑っているのだった。

 

「兄妹…か…。」

「え?」

「何でこんなに複雑なんだろうな。」

 

夕の言わんとすることがしっかり分かってしまう夜慧は、
嬉しいがゆえに、それを拒絶しなければいけないのが悔しかった。
互いに口にしなかった気持ち。
それでも分かり合っていた心。
絶対に口にはしなかった言葉。
目の前にあるのに、事実が拒絶させる。

 

「ダメ…。
 それ以上…言っちゃダメ…。」

「でもさぁ!
 僕ら、もう…。」

「お願い、お兄ちゃん。
 じゃないと…私達…。」

「ご、ごめん…ごめんな…。」

「良いの…。
 私達が、いつまでもこうしていられるなら…。」

 

そう言って、重い足取りで自分の部屋へと戻っていく二人。
その背中は、切なさと悲しみを帯びたものだった。

自室に戻った夕は、一人考えた。
兄妹として今まで生きてきたからこそ、それは楽しい日々だった。
支え合えた。
今もこうして二人でここを離れることができる。
それは、どう足掻いても兄妹としての二人だった。
たとえ他人が否定しようが、自分達が嫌と言うほど感じてしまっている。
自分達は兄妹。
幼い時から一緒にいた幼馴染とは違う。
いや、確かに幼馴染である。
事実上はただの幼馴染でしかないのだが、今までずっと夕は夜慧を妹として慕い、
夜慧は夕を兄として慕っていた。
そうだった。
それが崩れだしたのは、昨年の夏の出来事だった。

 

夏。
城下では、泰平を記念して毎年祭りを行うことにしている。
いつも通る大きな通りには出店が並び、提灯が並ぶ。
さらには、多くの人が祝杯を挙げるためにやってくる。
それはもう大きな行事で、街の者の一年の内にある行事の一つの楽しみとなっているのだ。
他の者と同じように夕と夜慧も楽しみにしていた。
そして毎年通り、祭りへと足を運んだ。

 

「今年も随分と派手だなー。
 やっぱり、平和が一番ってことかー。」

「ははは、そうだね!
 お兄ちゃん、早くお店を回ろっ!」

「そうだな!
 夜慧、どこ行きたい?」

「うーん、じゃあ綿飴食べたい!」

「じゃあそこで決定!
 行こうよ!」

「うん!」

 

仲良く駆け回る二人の姿が、そこにはあった。
一端の幼さを帯びた、兄妹そのものだった。
周りの目から見れば、犬と猫の獣人が二人でいたところで兄妹だと思わないだろう。
ある者から見れば、それは恋人にも取られたかもしれない。
しかし、それでも二人の間では仲の良い兄妹だったのだ。
それは誰にも否定させなかった。
それだけの仲の良さがあった。

一通り店を回ると、さすがに疲れてしまう。
そんなわけで、二人は神社の裏の縁側で休んでいた。
時折小さな子が迷い込んでくることはあれど、殆どの人がそこに来ることはなかった。
人混みが苦手な夕には丁度良い休憩場所だったのだ。

 

「…ふぅ。
 結構歩いたなー。」

「そうだねー。
 あ、お兄ちゃんも食べる?
 ほら、かき氷。」

「お、ありがとう。」

 

渡されたかき氷を、掬いにいっぱい取って一気に頬張る。
その姿はどこか小さな子供のようで愛らしかった。
勿論、その後に痛烈な痛みが頭を走ることになった。

 

「あいてて…。」

「ははは!
 お兄ちゃん、一度にたくさん食べすぎだよ〜。
 ちょっとずつ食べなくちゃ。」

「そうだな…。
 あー、痛かった…。」

 

まるで、子供のような振る舞い。
頭痛のせいで涙ぐんでいる姿は、本当にただの子供のようだった。
それは、夜慧しか見えない、夕の姿の一つ。
夕は夜慧の前だと、単純に、そして素直になることができた。
孤児院では年齢が高い方なので、必然的に毅然とした態度を取ることになる。
それが、年上としての威厳を保つ方法だと思っているからだ。
しかし、所々でドジをする姿は、あまりにも威厳を感じるには程遠いものだが…。
そんなことをふと思い、突然くすくすと笑い出す夜慧に、
夕は目を点にするしかなかった。

 

「な、何だよぉ…。」

「お兄ちゃんだなー、って思ってね〜♪」

「あ、このやろう、からかってるなー?」

「あら、気付いた?」

「何だと〜〜〜?!」

「あはは♪
 ここまでおいでーっだ!」

「こらー、待」

 

突然、背後で明るい光が天を埋め尽くした。
それと同時に爆音。
祭りの締めである、花火だ。
その音を聞くと、追いかけようとしてた夕も、逃げようとした夜慧も、
その場に留まって空を見上げていた。

 

「…今年も最後の花火、始まったな。」

「うん、今年も綺麗に咲いてるね!」

「そうだなー。
 うーん…。」

「…考え事?」

「まぁね。
 ほら、来年で僕らも成人だろ?
 ここに来てから、色々あったなぁ〜って思ってな。」

「うん、そうだね…。
 いっぱい、いっぱい、あったね。
 楽しいこと、辛いこと、悲しいこと。
 いっぱいあった。」

「でも僕ら、また同じ花火を見てる。
 また同じ花火を見られるのかな…、来年。」

「お兄ちゃん、珍しいこと考えてるのね。
 でも私達、確かに同じだけど、同じ花火を見てるわけじゃないと思うの。
 今は十五歳のお兄ちゃんと私が見てる花火。
 去年は十四歳だったお兄ちゃんと私が見た花火。
 ずっと昔見た花火とは、同じだけど全然見え方が違う気がする。」

「そうだなー。
 不変の物は無い、ってか。
 夜慧、よく凄いこと考えてるよなー。」

「私は…凄いことなんて考えてないよ。
 ただ…お兄ちゃんといつまでも一緒にいられたらな、なんて考えるだけで。」

「夜慧…。」

「無理だけどね。
 私達、もう成人だもの。
 だから…別々に生きなくちゃ。」

「そ、そんなことは無いだろ…?!
 僕らは兄妹なんだからさ。
 これからも支え合って生きていけるじゃないか!」

「そうだけど…。
 でも、兄妹って言っても、普通の兄妹でも成人してからも支え合うなんて…。
 あんまり聞かないし…。」

「僕らは特別な兄妹じゃないか!
 今までもこれからも、ずっとずっと先も!
 血が繋がってるわけじゃないけど、僕はお前を…一番大切な人だって思ってる。」

「ありがとう。
 私も、お兄ちゃんが一番大事。
 私達、唯一無二の兄妹だもんね!」

「夜慧…。
 こっちからも、ありがとう。」

「ん…。」

 

気恥ずかしくなり、互いにそっぽを向く二人。
だけれど、本心嬉しさを覚えていた。
今まで生きてきて、お互いそんなことを言ったことがないから。
勿論、それは自明の理、とでも言えるようなものだった。
しかし、今ここで言葉にして、よりその強さが増した。

 

「んじゃ、そろそろ表に出て見るか!
 ここからじゃちょっとしか見えないもんね。」

「うん!」

 

二人で、縁側からぴょんと飛び降りる。
しかし、若干足元がぬかるんでいて、二人ともが体のバランスを崩して着地失敗。
よたよたよたよたした挙句…。

 

「わ、わ、わぁっ!」

「きゃぁっ!」

 

夕が夜慧を押し倒す形で、二人とも転んでしまった。

 

「いってぇ…。
 だ、大丈夫か?」

「う、うん、何とか…。
 さっきまでぬかるんでなかったのに、何でだろう…ね…。」

 

少しずつ夜慧の声が小さくなっていく。
目の前には、見慣れた顔が大きく見えた。
同じく、夕も見慣れたはずの顔を限りなく近い距離でのぞいていた。
辺りを、花火の爆音だけが包み込む。

 

「…。」

「…。」

 

沈黙が、数秒。
そして、止まらない。

初めてした、他人とした、口付け。

夕から、自然に動いたものだった。
その時の理由は、夕には分からなかった。
ただ、口付けしなければいけない、と思っただけだった。
数秒続いた口付けの後、思い出したように夕から離れた。

 

「あ…。
 あ、えっと…。」

 

謝罪の言葉さえ思い浮かばない。
衝動的な口付けは、二人が今まで押し込めていた感情を、
はっきりと外へと押し出すことになってしまった。
兄妹なのに、ここまで愛していた自分を知った自分を抑えきれなくなってしまった。
夕から離れた口付けを、追うようにして夜慧がもう一度繰り返す。

 

「ん……。」

 

初めて触れた他人に唇は、驚くほど温かで、柔らかかった。
まるで、先程食べた綿飴のように甘く、優しかった。

 

「お兄…ちゃん…。」

「夜慧…。
 僕、気付いちゃったかもしれない。」

「私は…知っちゃいけないことを、知った気がする。」

「なぁ夜慧、僕さ、お前のこと」

「ダメ、それ以上言っちゃダメよ…。
 きっと私は、お兄ちゃんと同じことを思ってる。
 でもその先は言っちゃダメ…。
 私達、兄妹だもの…。
 それに…私達は、犬と猫。」

「僕、そんなことなんて関係ない。
 ただ…僕は…。」

「お願い、言わないで…。
 私は…このままじゃないと…いけない気がするの。」

「…そっか…。
 じゃ、じゃあ今日はもう帰ろ!
 お風呂入って、寝て、忘れよう!」

「…ふふっ。」

「な、何だよ…!」

「そういう子供らしいところ、夕君らしいな、って思って♪」

 

赤面する夕。
ここで、初めて夜慧は夕を夕君と呼んだ。
その後も、二人きりでいる時のみ呼んでいた。
しかし、超えてはいけない一線が来るたびに、夜慧はもう一度お兄ちゃんと呼ぶことにしていた。

帰る頃には、既に花火は終わり、人々は家路に着いている頃だった。

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