遠い昔

8.破壊

 

「………何て…こと…。」

 

予定より一時間も遅れてしまった私を待ち受けていた事態に、
絶句するしかなかった。
辺りは粉塵により視界が不明瞭ではあったが、
大叔父様の手記の通りの現状と、想像を絶する衝突がそこにはあった。
これは…一体どういうことだろう。
何がどうなったら、彼らはたった4人であんなにも多くの兵士と兵器を
相手にしなければいけない状況になったというのか。
圧倒的不利にも程がある。

しかも彼らは、もう戦うことすらままならない状態だ。
二人の巨体が盾となり、二人が後方支援をしているように見える。
が、盾は既に盾としての役割を果たせていない。
剣を杖にし、立っているのが精一杯と言った感じで…。
その後ろにいる二人も、防御の陣が殆ど保てていなかった。
四面楚歌に風前の灯。
それが、この状況を簡単に説明できる言葉だった。

そう思えたのも束の間。
次々と繰り出される魔導砲弾に耐え切れず、
ついに一人がその場に崩れ落ちた。
残るたった一人で二人の前に立ち、砲弾の攻撃を一人で受けている。
全員が死ぬのは、目に見えていた。
なのに、後方支援をしている一人が…盾の一人の前に進み、
今度は自分が盾となり、剣となろうとしている。
その姿は遠くからでもはっきりと分かった。
私の…愛する人だった。

 

「ダメエエエエエエェェェェェェェェェ!!!」

 

空間を翔け、一瞬にしてその距離をゼロにする。
その一刹那ですら、私には遠く…追いつくことができなかった。
手を伸ばせば届きそうな距離だったのに、私の手は届かなかった。

 

「ミーちゃ…っ!」

 

数多の砲弾を受け、血まみれになって崩れ落ちていく。
赤い飛沫を散らせながら、ゆっくりと、力なく、倒れる。

 

「いや…いや……イヤアアアアァァァァァァァァ!」

 

私の理性が、咆哮と共にはじけ飛ぶ。
目の前には真っ赤な体の、今だ幼さの抜けきらない青年。
装甲は壊され、肉がはがされ、それでも何とか原型を残している、
私の大好きだった人。
地面に倒れる彼を抱く。
まだ温かみがあるけれど、きっともう少ししたら、冷たくなってしまうだろう。

勉強の合間に外に引っ張っていった、あの手が、
時々ご飯粒をくっつけていた、あの頬が、
何度も何度も抱きしめてくれた、あの華奢な体が、
失われていく。

あの頃の記憶が、まるで一瞬だったかのように脳内で再生される。
再生と同時に、無くなっていく。
もう二度と、懐かしい思い出が作られていかない。

あらゆることが私の脳裏を走った。
頭の回転が追いつかないほどに速く、真っ白に塗り潰されていった。

 

「あああぁあ、あ…ああぁぁぁあ…。」

 

言葉にならない。
傍にいる二人が何かを喋っているが、何も聞こえない。
脳が完全に拒否しているかのように、彼らの言っていることを理解しない。
そもそも、そんなものは知覚できない。
私は、ミハルクの体温を、体の全ての感覚を使って噛み締めていたから。

そんな絶望的な損傷を受けた体だが、弱々しく、優しく、
私の体を抱き返してくれた。

 

「ミ…」

「アーちゃ…ごめ…ね。
 り、そう…論、だ、けど…。
 ぼ…く…」

「良いの!
 何も言わないで!
 死んじゃう……!」

 

奇跡的なことに、彼は致命的な損傷を受けているにもかかわらず、
まだ息があった。
大人しくしていれば良いのに、残された全ての力を使って、
私に何かを伝えようとしている。
こんなにも血だらけなのに、それでも私を見つめている。
それが、本当の意味で最期になってしまうから、私は聞きたくなかった。
私に…人を癒す力があれば…。
ただ全てを破壊するためだけの力じゃなく、たった一人を癒す力だけあれば良かったのに。
この時ほど、私は自分の力を恨んだことはなかった。

 

「せかい…が、へい、わ…に、なる…と……良い…な…ぁ…。」

 

こんな状況になっても、こんな仕打ちを受けても、
それでも彼は以前と変わらぬ思いを口にしていた。
何度も何度も聞いて、飽きて、呆れていた言葉だったけれど、
これほどまで聞いていたいと思うことはなかった。
私は無言で、涙を噛み締めて、強く、何度も頷いた。

 

「私が、絶対に幸せにするから!
 平和にしてみせるから!
 だから…だから…っ!」

「あ、り…が…、と…。
 …待っ、…て、……る。」

 

笑顔になれるわけがないのに、彼はこんなにも素敵で無垢な笑顔を見せてくれた。
見せて、そのまま…彼の体に力を感じなくなった。
二度とさめることのない眠りに、ついてしまった。

 

「あ……、あ……っ…ああああ……!」

 

たった少しだけの会話だけれど、十分すぎる長い会話だった。
永い誓いの言葉だった。
一分にも満たない時間だったけれど、心を満たされる時間だった。
それだけの時間を、傍にいた二人が作ってくれていた。

それなのに私は…、救える命も救えなかった。
残った、たった二人も…潰えた。
残るは、途中からやってきた私一人。

戦況は最悪。
だけれど、状況としては好都合だ。
私の優秀な部下を目の前で殺され、愛する人も奪われた。
なら、もう躊躇する必要が無い。
迷わない。
平和のために、元凶を破壊してやる…!
薄汚れた人間め…。
いくら破壊しても、この恨みは消えやしない!
だからこそ、絶望の淵に叩き落してやって、
苦痛に苛まれながら、こんな状況にしたことを…後悔させてやる!

 

目を閉じ、眼を開く。
たったそれだけで、私の目は業火に似た色彩を放つ。
燃えたぎる炎を宿した意思で、彼らの武器を睨みつける。
まずは…攻撃する手段が意味をなさないことを、私は絶対的な力によって示す。

 

「あれは、いらない。」

 

一言も必要とせず発動する魔眼だが、それでも終わりを言い渡すように、
彼らに押し付けるように、素直な気持ちを口にした。
瞬間、幾千機にも及ぶ魔導砲台は、紅い光とともに中空に霧散していく。
そこにあるのを許さない。
存在の否定、それこそが破壊だ。
有を無に帰す、たったそれだけだが、それをやってのけるのが紅炎の魔眼。
この力で否定したものは、全てが無いものに変わる。
最初から、そこに存在はしていなかったことになる。
よって、数多の砲台は消えたのだ。
原子レベルで存在が破壊されているのだ。
否。
構成していた分子、原子ですら、存在を消した。

勿論、その状況をヒトは理解できていない。
何故なら、それは一刹那よりも短い瞬間的な破壊だから。
彼らの目には、ただ紅い閃光が走った、というくらいにしか感じ取れていないだろう。
そして気がつくのだ。
私と言う存在が、彼らを蹂躙し、絶望させる天敵であると。

 

「ちっ…。
 あれは…十二使徒のアメリアか…!
 このタイミングで出てくるとは…考えもしなかった!」

 

遠く離れた場所でそれを見ていた老人は、
想定の範囲外の現実から目を背けたい衝動に駆られた。
あれは、このような事態で、このような場所に現れる存在ではない。
穏健派の女王が、ここにいて良い訳が無い。
だからこその奇襲だったのだ。
この現状は、老人のシナリオとは大きくかけ離れた最悪の事態だった。

 

「ここは撤退するしか」

 

逃げるしかない。
そう判断し、言葉を発している最中。
突然紅い光に包まれ、その存在が破壊された。
当の本人もそれを知覚できないまま、老人は世界に拒まれた。

 

「あの男が元凶か…。
 じゃあ…こんなに早く破壊する必要はなかったわね。
 もっと…苦しめてやるんだった…。」

 

囁くようにつぶやいた彼女だが、その言葉には一切の感情がこもっていなかった。
遠い場所を一瞥し、彼女は再度目の前にしている軍勢を睨む。
彼らは、未だに自分たちの置かれている状況を理解できていない。
砲台が突然消え、さらには自分たちの持っていた武器すら消えてなくなった。
常人ならば、理解できるはずが無い。
そこに持っていたと思われたものが、周囲に紅い閃光が満ちただけで、
何の感触も無く、知覚もなく、破壊されてしまったのだから。

 

「まだ理解できないというの…。
 良いわ。
 さぁ…逃げ狂いなさいな。
 RnuB tLabS」

 

一詠唱の言霊が世界に響き渡り、それが現実に書き換えられる。
ヒトの軍を囲むようにして、爆炎がほとばしった。
爆発音とともに舞い上がった灼熱の炎により、
ようやく人々は危険な状況にいることを理解。
のち、圧倒的な力の差を前に、すべからく絶叫した。
まさに、地獄絵図。

 

「そうよ!
 恐怖に身を震わせなさい!
 何もできない自分に絶望しなさい!
 あは…ははは、アハハハハハハハハハハハハ!!」

 

アメリアという人格が崩壊する。
そして、十二使徒の魔眼使い第一位であるアメリアが表れた。
理性と言うものは存在せず、そこにあるのはただ破壊衝動のみ。
壊すだけの衝動ではなく、紛れもない破壊の欲求である。
破壊に特化した、稀代の魔女が降臨した。

その後もヒトを弄ぶように、蹂躙するかのように、
破壊しないようにいたぶり続けた。
ある者は手足を飛ばされ、それでも生きていることを強制された。
ある者は全身を焦がされ、それでも逃げ続けることを強制された。
アリジゴクに苦しめられる蟻の姿に似ていた。
逃れられない、眼前の絶対的な死。
それでも逃げようと必死にもがく。
もがけばもがく程、死に近づくことすら分からずに…。

 

たったの三十分で、戦場は何もなくなってしまった。
草木は元より無かったが、土が風化してしまってぼろぼろ。
生命の欠片すら感じさせない土地になってしまった。
そこにぽつんと立つアメリアは、未だに恍惚状態のまま、
次は何と遊ぼうか、何を破壊してやろうかを考えている。
目の前には誰もいないことを、アメリア本人が理解していない。
何故なら、彼女には全てが破壊の対象だからだ。
理性を持ったアメリアなら、目の前にあるものだけしか破壊することができなかった。
しかし、現在のアメリアは魔眼そのもの、と言っても良い存在である。
破壊神、と言う表現で間違いが無い。
それほど驚異的な力を持った魔眼なのだ。
だからこそ、使い方を誤ってはいけなかった。

破壊とは、存在の否定。
ここにある、という事実を消してしまう唯一の方法。
紅炎の魔眼の真の意味は、対象が存在している意味を破壊するということ。
彼女が知覚できる全てが、その対象となってしまう。
魔法の域に達するレベルの魔術だ。

 

「そうね…。
 そもそも、私たちにアレは要らないわ。
 私たちがこんなに苦しい思いをしたのも、
 こうして愛しい人たちが奪われたのも…全部アレがいけない。
 だったら…この世界に”ヒト”は要らない。
 ヒトそのものは勿論のこと、ヒトがいた痕跡も、この世界には必要ない。」

 

そう、それが全ての原因。
魔導器兵として生み出されたケモノビトが、ヒトに使役され、
虐げられてきた事実。

だから、彼女は願った。
ヒトの破壊を。
ヒトの痕跡の消去を。

「ヒトとケモノビトが一緒に、平和に幸せに暮らしていける世界になると良いなぁ」

そんな言葉を言われたことがあった。
彼女もそれを目指していた。
けれど、そんなことはもう忘れていた。
彼の理想を思い出すこともなく、彼女はヒトを拒んだ。
紅炎の魔眼が、より一層強く揺らぐ。
業火に似た紅い閃光は、瞬く間に世界に広がり、
全域を焦がし破壊していった。
ヒトが存在していた歴史は、今をもって途切れたのだった。

 

 

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