遠い昔
7.想念
ルーネスタリア城会議室では、虹の面々が集結していた。
数時間前に起こったと思われる、先遣隊とヒトとの衝突に対して、
いち早く処置を行う必要があったからだ。
たった一時間で各国の王である、使徒が収集され、
会議室に一堂に会していた。
しかし、そこにアメリアの姿は無い。
その異変には誰もが気がついている。
中でもただ一人ルフェルだけは、こうなるであろうことは予想していた。
否、知っていた。
フランベルクの手記に記されていた事実を、彼女がただ受け止めることはしない。
きっと何か策を巡らせ、迷走するはずである。
それを知っていて、だからこそ彼女に諭した。
が、それも意味を成さなかった。
そのような結末に出ることも、ルフェルは分かっていた。
だからもう、彼女が何をしてもおかしくはない。
それでも止めなかったのは、ルフェルでもアメリアの気持ちを理解しているからだ。
恋に溺れ、愛に沈むのも、それは仕方の無いことだと思ったからだ。
アメリアがヒトを破壊してしまえば、ルフェルの願いは届く。
ヒトの存在の消去が目的である以上、今の状況は彼女にとって望ましい。
むしろ、こうなるように立ち回っていたのかもしれない。
しかし無表情の彼女を、誰が理解できようか。
その彼女が、今はわずかに笑んでいることを、誰が見分けられようか。
「あー、もうっ!
あの女、どこ行ったってのよ!
…ったく。」
アメリアだけが揃わないこの状況に苛立つエニスからは、
ただアメリアに皮肉を言っていた頃の姿は無かった。
親しくしてしまったからこそ、溢れ出る思い。
ぶつけようのない腹立たしさが、何も言わずに出て行かれた遣る瀬無さが、
憤りとなって外に流れ出てしまう。
十二使徒が珍しく全員顔を合わせているのに、
このような状況下で一体何をしているというのか。
ルフェル以外は、それを口にせずとも同じことを考えていた。
集まって三十分が経過し、これ以上待っても無駄であると判断し、
アメリア無しでの会議が始まった。
普段はアメリアが議長を務めるのだが、今回はその次席である
エニスが行う。
「で、件の衝突は何?
ロスフの爺さん、あんたの管轄でしょ?」
「うむ。
クローシェッタがセントラルホルン、エスティモートと軍事同盟を結んでいることは、
諸君もご存知だったかと思う。
エスティモートの兵力、セントラルホルンの兵器をクローシェッタに持ち込んでいたことも、
また把握済みである。」
「で。
クローシェッタの様子を見に行かせたら、先遣隊がドーンと。
そんなことは誰もが予想していたわ。
だから先遣隊のメンバーを、私らの最高軍備を持つルーネスタリアを中心に
構成したことも言わなくても分かるわ。
決めたの、私らだもの。
問題はその場で起こった衝突が、相手方の国をも巻き込む範囲で行われていることよ。
そこはどうなの?」
「それはヒトが考えていること。
ケモノビトである我々が計り知れるものではない。」
「ちっ…。
そんなこと、今ここにいる全員がそう思ってるわよ。」
クローシェッタ付近で、先遣隊とヒトの軍が衝突した。
今のところ、被害は不明。
突然周囲十キロメートルにも及ぶ閃光とともに、
中枢であるクローシェッタ城下の街を半壊させた。
そして、その爆心地には半径二キロメートルにも及ぶ
巨大なクレーターができてしまっている。
それだけは、レゼットの式神によって確認できている。
たったそれだけだが、十分すぎるほどの絶望となった。
どれ程の被害が出たかすら、検討のつかないような規模であることは、
誰しも理解できる結果なのだから。
重い空気の中、普段は喋りたがらないオルディが、
珍しく口を開いた。
「最早これはどうにもならないのではないか?
ここまで大きな宣戦布告をされたのだから、
我々も戦地に赴く必要があると思うのだが。
開戦には十分すぎる。」
これもまた、誰もが思ったことだ。
ここまでされて、黙っているわけにもいかない。
しかし、魔眼の取り決めがある以上、
軽い気持ちで十二使徒が前線に出るわけにもいかない。
それを許さなかったのが、第一位であるアメリアだったために、
今まではそう思われてきた。
現在は状況が違うと、全員がそう思っている。
ゆえに、オルディが代弁したのだろう。
「そりゃそうなんだけど…。
満場一致ってことで、オッケーで良いのかしら?」
誰も、何も、言わない。
つまりは、そういうことだ。
さらに珍しく、ルフェルが愚痴をこぼすように、
アメリアを否定する言葉を口にするのだった。
「私は、随分前から暁光だとは思っていたがね。
どこかの小娘が、いつまでも自分の連れ合いの意思を尊重してるから、
動き出すのが鈍ってたんじゃないかね。
ヒトはもう、滅びるだけの存在さ。」
「ふーん…。
婆さん、今日は随分攻撃的な発言をするもんだね。」
「今日は、か。
私はお前が生まれる前から、ずっとそう思っていたよ。
言葉にしなかっただけでね。」
「へぇー…。
じゃ、これからは侵攻について話し合いましょ。」
表情には出さないが、言葉には出ているルフェルの気持ちを、
その場にいる全員が感じ取った。
普段こそ、自らの心の内を出さないルフェルが、
このような態度に出ることは本当に稀だ。
稀、というか見たことがない。
会議はわずか二十分で終了した。
結論は、三時間後に十二使徒でクローシェッタへ侵攻し、
軍事同盟を壊滅させる。
その後、セントラルホルンに総攻撃をかけ、
ヒトを制圧、そしてヒトを完全に滅する。
リッツは時間を置いて赴いて、こちらの条件を全て飲ませた上で、
この長きに渡る戦争を終結させるという方法となった。
条件と言うのは、ただ一つ。
ヒトはケモノビトに全面降伏をし、ケモノビトになることを求める。
たったそれだけだ。
ロスフとタートスの力で、それは簡単に完遂されるだろう。
その三時間後の侵攻までに、各自礼装を施すため
一次解散となった。
部屋に通されたエニスは、何も語らない狼の元へ向かい、
何も言わずに後ろから抱きしめた。
返ってこない言葉を求め、一人ここにいない者へのメッセージを込め、
憤りを抑えるようにつぶやく。
「ねぇ、あんた。
アメリアは…これで良かったのかしらね。
あいつは…生真面目で、バカで、どうしようもないくらい乙女だった。
だから、さすがの私でも、今何してるのかくらい分かる。
そして、私にどうして欲しいのかも…。
ほんっと、バカじゃないの…!
何なのあいつ!
自分が犠牲になれば、全て解決できると思ってるの?!
ほんと…バカ。
私、あいつの役に…立てなかった。
あーあ、前まで、あーんなにケンカしてたのになぁ。
どうしてだろ、あいつと仲良くしようなんて思ったの。
あんた、分かる?」
言葉を発することを知らない狼は、気丈な猫の話を聞くだけしかできない。
言葉で応えられずとも、その態度で応えるしかできない。
一回り以上に大きな巨躯で、彼女を守るように。
向き合い、強く、優しく抱いたのだった。
獣としての種族は違えど、同じ思いを共感できる。
全てを受け止めあえる。
そんな世界を、彼女も望んでいた。
もしかしたら、ヒトとケモノビトでも、同じことが言えるかもしれない。
薄々そんなことも思い始めていた。
だから自分も、アメリアの話を聞くことができた。
悪態をつきながらも、十二使徒の一人として活動してきた。
それなのに、この状況が嫌だった。
その特殊な力を、同じ境遇になっている少女に向けて、
全力で振るうことが怖かった。
さらに、この状況を良しとしているルフェルに憤った。
ルフェルがどのような過去を歩んできたかは知っているが、
それを失くすことためにはヒトを滅ぼすしかない、と言い切る彼女が
どうも短絡的に思えてしょうがなかった。
あ、そうか。
誰もがみんな、自分の理想を振りかざして生きているのか。
でも皆が皆違う人生を歩んでいる以上、理想も異なる。
そんなことを、狼の優しい抱擁によって、初めて理解するエニスだった。
「だったら私は…。
これからの世界、誰もが同じ、共通の理想を持って生きる世界を作りたい。
皆が精神の充足を目指して、他人を害することのない世界を。
あんただって、いや、こんなに優しく抱いてくれるあんたなら、
私の思い、分かってくれるよね…?」
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私の何かが、警告している。
愛する彼が、危機に瀕していると。
つまり、その時が近いと言うことを。
アンナの腹に仔を移す儀式を執り行うと、
私はすぐにルーネスタリアを出た。
空間を捻じ曲げていけば、早くて1時間程で着くことができる。
テセラには、
「今までありがとう、さよなら」
と言い残し、戦地に赴く私だった。
フランベルク大叔父様、幼い私を育ててくれてありがとう。
大叔父様からいただいた愛情、知識は絶対に忘れません。
テセラ、今まで私の世話をしてくれてありがとう。
貴女のことは、本当の母親だったと思っています。
もし来世で会えたのなら、私はもう一度、改めて貴女の仔になりたいです。
アンナ、私のわがままに付き合ってもらって、感謝しています。
龍の血を引く貴女で良かった。
でなくては、きっと私の力は引き継いでいけないから。
これから、その仔をよろしくお願いします。
数々の思いを胸に、聖戦礼装を身にまとい、
誰にも見つからないようにこっそりと城を出る。
こんなことしたの、あの日の月夜の晩以来だ。
なんて考えて、きらめいていた幼い日々を思い出した。
そう、あそこでミーちゃんに出会えたのは、本当に良かった。
今でもあれは、必然だったと確信している。
でなければ、私は今こんなことはしていない。
もう少し確実性の高い方法を取っている。
しかし、それだけの価値はあると思っている。
否、価値とかそういう問題じゃない。
私がこうしたいからこうする。
至極私的な欲求だった。
「お前がいて良かった。
ようやく私の往来の夢が叶う。
人柱になるくらいなのだから、せめてお前の思いくらいは叶えてやるよ。」
その様子を見ていた老婆が、深く波打つ藍色の眼を解き放つ。
それは最後に表した彼女への慈悲の光。
光は彼女の知らぬ間に心に宿り、次に繋げる布石となった。
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「……っ?!」
一瞬の閃光後、爆風を伴って辺りを粉々にした。
被害が甚大であること以外、予想もつかない。
ジョシュアの反射的な守護により、四人への直接の被害はなかったが、
軍としての被害は計り知れなかった。
目の前にいた青年は跡形もなく消え去り、
不自然にも何もなかったように立つ老人は未だ健在。
何をしたのか分からないが、ものすごく強大な破壊兵器を使用したのは明確だった。
「ちぃっ、まだ生きていやがったか。
これだからケモノビトというやつは、頑丈でかなわん。
ヒトならほら、こんな感じであっさりと消し炭になってしまうのになぁ。」
この老人は、かなり危険なものを持っている。
四人は即座に判断、臨戦態勢に移った。
何も言わずとも、阿吽の呼吸で、
ジョシュアは更に強固な守りの陣を敷きながら、
咲夜に防御壁を作る。
咲夜は軍の安否を確かめるため、その体つきからは考えられないような速さで
基地へと走る。
海那は目の前の強大な敵を捉えるため、己の身の丈ほどある剣を構え、
老人の様子を見る。
ミハルクは未だ剣を抜かず、この状況でもなお信じようと強い意志を秘めた瞳で、
老人を見据えた。
「どういうことですか。」
たったそれだけを聞く。
聞かなくても分かる。
しかし、それは彼の信条に反することだ。
とにかく人の話を聞く。
それが彼の姿勢であり、気持ちを切り替える手段でもあるからだ。
「ケモノビトなど、要らん。
そして、ケモノビトと和平を目指すような者も、要らん。
それだけだ。
他に何がある?
誰が自ら作り出した奴隷に、頭を下げるものか!
ハーッハッハッハァ、良い気味だ!あの小僧!
ヒトのプライドを傷つけるような真似をするから、このように消されてしまうのだよ!
お前達も同様だ!
ヒトに屈しないならば、壊して作り直すだけだ。
我らの作り物の人形だろう?お前達なんぞ。
人形の分際でヒトに歯向かうなど、身の程を知れ!
いや、痴れ!」
何の飾り気もない、侮蔑と罵倒。
いかにミハルクと言えど、この言葉には耐えられなかった。
このヒトはどうしようもない。
自身の仲間をも犠牲に、自分たちを滅ぼすつもりなのだから。
いや、滅ぼすと言う表現は不適切だろう。
彼らにとっては、壊すだけ。
それは、ミハルクにとって、耐え難い悲しみだった。
それゆえに、覚悟を決めるしかなかった。
駿足で戻る咲夜の言葉で、完全に気持ちが切り替わった。
「隊長、全滅です。
誰一人、生き残っていません。
その亡骸すら、残っていません。」
分かった、ありがとう。
僕は、目の前のヒトを敵とみなした。
その背後に構える、巨大兵器の数々と幾千万もの人々を相手に、
僕らはたった四人だけの戦争を開始したのだった。
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