遠い昔

6.落日

 

ルーネスタリアを出発後、月日にして約3ヶ月。
クローシェッタ最寄の駐屯地まで来た僕らは、
状況を確認するまでもなく戦闘の態勢に入っていた。
先遣隊として出兵したのだが、最早そのような生易しい現状ではない。

一言で言えば、最悪。
たったの3ヶ月の間に、クローシェッタ・エスティモート・セントラルホルンの三国が、
戦時同盟を結び戦力の強化、及び調整を行った。
そして、我々ケモノビトに対して宣戦布告を行ってしまったのである。
つまりそれは、勝つ自信があるということの表れか…。
または、これを機会にしてヒトとしての最後の足掻きをするのか…。
三国の戦力を総合すれば、僕らと互角のものになる。
だが、それは魔眼という切り札を考慮していない想定である。
特にアメリアの持つ紅炎の魔眼は、彼らの技術でも兵器として再現できない
常識外れの能力であり、最も畏怖すべき脅威なのだろう。
その脅威は、遠く離れた地区で指揮を取っている。
そして、今戦地にいるのは、その指揮下にある魔眼を持たない者たち。
ならば、少しでも戦力を減らすために、勝利の確率が高いところから
潰していくのが無難だろう。
そう、思っているのかもしれない。

あちらにも、戦う理由と事情がある。
僕らにも、負けられない理由と信念がある。
何故、争って優劣をつけなければいけないのだろう。
争いを避けたいと思うのに、どうして結局力に頼るしかないのだろう。
この戦争が始まって、既に100年弱。
認め合い、許し合うことは…できなくなってしまったのだろうか。

頭痛がする。
大切な何かが戻ってくるような、無理矢理現実に引き戻されるような、
重く鋭い痛みが僕の頭を貫く。
理想は理想で、叶うことがないから夢を見るのだと。
そう訴えかけているような痛みだ。
でも…、きっとそれは違うと思う。
誰もが、叶えたいと思うから夢を見るのであって、
叶わないから望むわけじゃない。
僕にしか語れない理想だから、そうあって欲しいと願うんだ。
そんな、気がした。

 

「大丈夫すか?
 まずいなら、ここはジョシュアに行かせた方が」

「いや、大丈夫…。
 僕にしか、きっとできないことだ。
 ありがとう、咲夜。」

「大佐…。」

「それに、君たちだっていてくれるんだ。
 大丈夫、まだ最悪の事態にはならない。」

 

そう。
まだ、最悪ではない。
世界情勢としては最悪だが、僕らの現状は最悪ではない。
ただ、敵が近くにいるだけ。
そして、彼らがこちらと話をしたい、と交渉してきているだけ。
あぁ…分かっている。
誰が見ても、こんな状況は異質だ。
武装した軍人と話がしたい、だと?
普通に考えれば、ありえない話。
でも、だからこそ僕も、その話に乗ることにした。
たとえ、理想であっても…。
それを貫くのが、僕の生き方だからだ。

 

「さぁ、行こう。」

 

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叔父様の日記と私の本能が告げている。
その日は、間違いなく今日である、と。
今日が、戦争終結のきっかけとなる日なのだろう。
そしてそれが意味するところは…ミハルクとの死別。
今でも覚悟はできていない。
何故なら、私は今日と言う日のために、それを避けるために、
この3ヶ月を費やしてきたのだから。
だから覚悟なんて、作る必要は無かった。
しかし、やっておかなければならないことはあった。

まずは、この…私の胎内に眠る子を、誰かに移すということ。
まともな精神状態で帰ってくることは不可能なので、
安全な誰かに私たちの子を任せておく必要がある。
そうすれば、少なくとも子の安全は確保できるし、
何より生まれた子に親が居ない、という表面上の問題は回避される。
私程度でもできる秘術なので、特に問題は無い。

次に、ルフェルへの連絡。
切り離した私を未来に繋ぐ、重要な役割だからだ。
私が全てをなし終えた時に、彼女がいればそれで良い。
遅れれば、私が被害を拡大させるだけ…。
それは許されることではない。
完璧なタイミングで彼女が現れなければ、
私の計画が水泡に帰してしまう。

そして、最後に…空っぽの私を消滅させてくれる誰か。
これはエニスが適任であろう。
破壊行動のみの傀儡と化す私を消滅させるほどの力は、
虹の中では彼女以外持ち得ない。
ただ、彼女にはそのことを教えてはならない。
3ヶ月前の夜から、少しずつ関係を改善してきてしまったせいで、
そんなことを頼みでもしたら断られてしまうからだ。
彼女が私を滅する以外に方法が無い、そんな状況を作り出す必要がある。
そのためにも、セントラルホルンの軍備は私の意思で破壊すべきだろう。

これで大丈夫。
きっと、いや、絶対にうまくいく。
もう、女王なんて立場はどうでも良い。
ただ私は、彼と共に行きたい、逝きたい。
たったそれだけのことくらい、許されても良いと思う。
二度目のワガママを、ここで使ってしまおうと思う。

 

「今日」が、始まった。
いつものように朝食をとり終えると、
私は後ろに控えるテセラに、若い侍女を呼ばせた。
しかし、それでも子育ての経験のある侍女を。
現れたのは、まだ私が名を知らぬほどの新参者で、
城で勤務をするようになってからは一ヶ月にも満たないという。

 

「はい、女王様。
 参上いたしました。」

「ありがとう。
 テセラも、これからの話を聞いてもらえるかしら?」

「えぇ、かしこまりました。」

 

テセラと一緒であれば、私と二人きりにされるよりは
ずっと気が楽になるだろう。
そう思ったし、何よりこの計画はテセラにも把握しておいて貰う必要がある。
本当はテセラが適任なのだが、テセラはもう子育てとは程遠い、
そんな年齢に達してしまっているから不可能。
テセラには、これから託すこの子の面倒を看る補佐になってもらいたい。

 

「これから話すことは女王命令であり、
 貴女に拒否権はありません。
 それを承知でお願いします。」

「はい。
 何でしょう?」

「貴女、名は?」

「はい、アンナと申します。」

「アンナ。
 訳あって、私は女王としての責務を果たせなくなります。
 王の跡継ぎは自ずと決まることでしょう。
 しかし、私の子を継いでもらうには、私が決めねばなりません。

 貴女に私の子を託します。
 私の代わりに産み育ててください。
 これは、私の勝手と承知してお話しています。
 ですが、頼りになるのは貴方しかいない。」

「アメリア様?!
 一体どうされたのですか!
 あんなにも愛しておられた御子ですよ?!
 そんな…!」

「テセラ…。
 貴女には、この方の支援をお願いします。
 これは既に、私が決めたことです。
 従っていただきます。」

「アメリア様は……それでご満足なのですか?」

「勿論、不満だらけです。
 ですが、もうこれしか方法が無い。
 確実に私の魂が宿った子を継いでいかないと、
 私たちの切実な願いは届かないのです。
 分かってください、とは言いません。
 私は、私のわがままで意志を貫こうとしているだけなのですから。
 …これだけは言えます。
 必ず、私がこの長きに渡る戦争を終わらせると。
 そのためには、貴女が必要なのです、アンナ。」

 

そう、これが最善ではないことくらいは分かっている。
きっと何か方法があるはずだ。
しかし、私にはそんなものを考える余裕などない。
叔父様の手記が告げているのは今日なのだから。
それさえ無ければ、もう少し考えていたかもしれない。
それがあったから、思い立った行動に移るのかもしれない。
だけれど、それで良いと思う。
私は、もう踊らされていたくない。
私は…私の人生は、私のためにあると思いたいから。

 

「………。」

 

テセラは何も言わず、真剣な顔をして俯いている。
アンナはテセラの顔色を伺っている。
私は、もうこの場を見ていない。
テセラの返答を聞かず、私はアンナを連れ玉座の間へと向かった。

 

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嫌な予感がする。
この感覚は分からないが、本能が全身に何かを伝えているような…。
僕の知りえないところで、とても黒いものが蠢いている…気がする。

渋る僕たちの反応を見てか、彼らは街の外に小さなテントを張り、
そこで会議をしようと持ちかけてきた。
あちらの人数は2人。
今争う気は無い、とでも言いたげだ。
それはこちらも願うところ。
争うより、和平の道を模索したいのが個人の希望だ。
アメリアや十二使徒の彼らは、絶対に受け入れないだろうけど。
こちらが警戒していることを表すためにも、僕らは4人で向かうことにした。
これで…本当に、戦争が終われば良いと思う。

 

長机に、椅子が4つ。
それだけの簡素な設備の、小さなテントだった。
あちら側にはヒトが2人。
どちらのヒトも見たことがないから、最高責任者ではないのだろう。
こちら側には4人。
僕とジョシュアが椅子に座り、その左右に海那と咲夜が立っている。
とにかく警戒していることを相手に示した。
緊張した静寂空間を切り裂いたのは、若い青年のヒトの声だった。

 

「突然の会談になってしまい、申し訳ございません。
 私は三国軍事同盟クローシェッタ支部副支部長、ベルベットと申します。」

 

爽やかな挨拶をする青年だった。
最初の一言は好印象だ。
だが、その隣に座る老人は、厳しい目つきでこちらを睨んでいて、
あまり気分が良くは無かった。

 

「私はルーネスタリア先遣隊隊長、及びルーネスタリア聖騎士軍統括部大佐。
 ミハルク・ファームレットと申します。
 どうかよろしくお願いいたします。」

 

丁寧な挨拶には、丁寧な挨拶を。
それが騎士道というものだろう。
僕の自己紹介を聞いて、老人も面倒そうに自分のことを話した。
が、ぼそりとしか聞こえなかったので、彼の名前はさっぱり分からない。
それに、聞こえたところで、正直な話、覚える必要は無い。
彼らが武装解除するのかどうか、それが僕らの最も必要とする情報だ。
その意を察してか、あちらから今回の会談について述べ始めた。

 

「今回このような席を設けたのは、他でもありません。
 どうか、退いてくださらないでしょうか?」

「…え?」

 

何て甘い言葉なのだろうか。
彼らは、その言葉で僕らが帰っていくと思っているのだろうか。
それとも、何か別の思惑でもあるのだろうか。
あまりに単純な申し出で、彼らの意図が全くつかめない。

 

「…と、申しますと?」

「はい。
 我ら三国軍事同盟は、度重なる議論の結果、
 ケモノビトの独立を認め、我らと対等の存在として考え、
 共に平和な世界を作っていきたい、ということになりました。
 そのためにも、一度その旨を女王に届けていただいて、
 そちらでも議論をしていただきたく思うのです。」

 

まるで、僕の本心を見透かすような事の流れだ。
僕は大賛成なのだが、如何せん他の3人は納得するわけが無い。
ジョシュアはヒトに故郷を奪われ、命からがら逃げてきた、
という過去がある。
海那も咲夜も、実際に体に傷がつくような体験までしている。
それを今更許すことなど、できるわけがない。
そんなことを知っていて、あっさりと承諾するほどバカな僕でもない。
返す言葉に詰まっていた僕のことを察してか、
ジョシュアが落ち着いた声で彼らに質問を投げかけた。

 

「今更、そんな夢物語が通るとでもお思いで?
 仮に今ここでそれを受けましても、たったそれだけのことで
 私達が今までに受けた傷や屈辱が、すっきり解消されるなんて
 お考えではないでしょうね?」

「思いません。
 私どもは、今までケモノビトを単なる兵器として考えていました。
 しかし、これからの時代はそんなことは言っていられません。
 同じ知識、理性、違う能力を持つ以上、共存することに越したことは無い。
 そう、私達は考えたのです。」

「ほぅ、それこそ今更ではありませんか?
 そのように私達をお造りになられたのは、他の誰でもないヒトではありませんか。
 何故初めからそうしなかったのです?」

 

ジョシュアの厳しく的確な指摘にも怯まず、
ヒトも淡々とこちらに回答をする。
同じような言葉のやり取りが、何度も続く。
そのやり取りの中で、僕はあることに気がついた。

共存しようと言い出している割には、こちらに向かって謝罪の一言も無いということに。
ということは、彼らは今までの行いを何とも思っていないわけだ。
何とも思っていない。
それはつまり、僕らに対して酷いことをしたという認識すらないということだ。
ただ、便利な道具が一つ増えた、とでも思っているのだろうか。
結局彼らは、今までと何も考えを変えてはいないのだろう。
形式上同じ立場にしておけば、きっと相手も満足するに違いない。
たったそれだけの考えで、今回の席を設けているようにしか思えなかった。

同じような返答ばかりをされて、いつも冷静であるジョシュアも
平静を保っていられなくなる。
咲夜と海那にしても、随分不快を覚えているようで
表情に少しずつ表れ始めていた。
立場が曖昧な僕としては、どちらの言い分も理解し、
お互いが平行線を辿っていることも分かっていた。
相手も同じようで、青年も徐々に言葉に熱がこもり始めていた。
が、老人は全く表情を変えないままこちらを睨んでいる。
そこに、わずかな違和感を覚えた。
僕のような生粋の理想論者ならまだしも、彼はここにいる以上、
明らかに僕らを敵として扱っていたはずだ。
なのに、この無表情。
いや、関心が無いというのが一番しっくり来る表現なのかもしれない。
本能的に、彼が何かを企てているような気がしてきた。
が、証拠は無いので何とも言えない。

こんなことを考えている間にも、ジョシュアと相手方のベルベットとの
議論は白熱していく。
だからこそ、だったのかもしれない。
この場に青年を用意したのも、そしてその付き添いが老人だったのも、
全てが計算の内だったのかもしれない。
しかし、そんなことに気が付くはずも無く、
それは突然訪れた。

こちらが言い分を聞かないのに憤り、
ついにベルベットが席を立ち、長机に思い切り拳を叩きつけた。
バンッ!という、割りと普通な音。
直後、目くらましのような激しい閃光が部屋に散った。

 

「っ?!」

 

予期していなかった事態に、僕らは目を覆ってしまった。
予期していなかった僕らだけは。

 

「見せしめに滅びよ!
 ずっとヒトに従っていればよかったものの!」

 

老人の、今までとは打って変わった、咆哮のような叫びとともに、
光は一瞬で部屋の中心に収束。
霧散すると同時に、僕らを巻き添えにテントを吹き飛ばしたのだった。

 

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