遠い昔
5.輪廻
まだ二度目の朝食を取りながら、
私は何とも晴れない気持ちで考え事をしていた。
ミハルクが発って、まだ二日。
何故こんなに多くの人に囲まれながらの生活なのに、
心の中では寂しいと思ってしまうのだろう。
使用人だから、という理由?
テセラだっているというのに?
一刻も彼らが、ただの調査としてだけで終わってくれるのが、
一人の女としての安心だ。
しかし、私は女である前に王だ。
常に国の行く末を正しい順序とタイミングで導いていかねばならない。
ひどいジレンマだ。
何より、同じことで何度も悩むのは苦痛だ。
答えなど、既に決まりきっているというのに。
もう、何年も前から…。
「アメリア様?お口に合いませんか?」
そんな私を心配してか、テセラが私に言葉をかけてくれた。
平然を装っていたことを見抜かれてしまったのか、
彼女は心配そうに私のことを見つめている。
未だにテセラの前でだけ、本当の自分が出てしまうようだ。
「あ、いえ、口に合わないわけではありません。
とても美味しいわ。」
「左様でございますか…。」
嘘はついていない。
テセラが作ったものだから、美味しいに決まっている。
それでも空返事になってしまう私。
そんな様子を見て、さらに心配をするテセラ。
私だって、そろそろあれこれ心配されるような年齢ではない。
…けど、そう思っていてくれるのは、とても嬉しい。
「無理なさらなくても良いんですよ、アメリア様。
ミハルク様がいらっしゃらないから…。」
「良いのよ、テセラ。
私は今、女王としての責務を果たす必要がある。
それだけのことですから。
だから、その先のことは言わないでちょうだい。」
「………。
心配なさらなくても大丈夫だと思います。
こんなにもアメリア様が思っていらっしゃるんですもの。
無事に帰っておいでになりますわ。」
「…えぇ、そうであれば良いのだけど…。」
不安要素がいくつもありすぎる。
不確定な不安要素ではなく、既に確定した不安要素。
いわば、約束された不安だ。
そんなのを受け止めきって、なお平然としていられるほど、
私は精神的に強くできていない。
だが、それを表面に出すほど、私は教育されていないわけではない。
だから、女王の責務はきっちり果たす。
普段やっていることだから、心がどうあれ、体が勝手に仕事はしてくれる。
今までうまく国を守ってきたからこそ、身の入らない公務でも何とかなる。
しかし、本当はそんなことではいけない。
感情の一つや二つで、私はこんなにも左右されるべきではない。
それが王としてあるべき者の在り方だ。
そう教えられてきた。
それを実践してきた。
なのに、何故それが、今になって崩れてしまうのだろうか…。
食事を終えると、いつものようにテセラが今日の予定を確認する。
何時に誰が来て、国家間協定の見直しやら何やら…と、
一般人には目の回るような、秒単位の勤めだらけである。
その一つ一つを聞き流しながら、私は何となく気になっていたことを尋ねた。
「テセラ。」
「はい、何でしょう?」
「他の使徒の皆さんは、もうお帰りになられましたか?」
「はい。早朝ルフェル様を除く皆様はお帰りになりました。」
「ルフェル?
何故彼女だけ?」
「誠に申し訳ありませんが、存じておりません。」
「彼女は今どこに?」
「アメリア様より早く朝食を召し上がられた後、大書蔵に。」
「そうですか…。
彼女に会ってきます。
三十分だけこの後の予定をずらして下さい。」
「かしこまりました。」
強行的に時間をずらして、私は大書蔵へと足を進めた。
何故ルフェルが残っているかは分からない。
彼女のことだから、何かあるから残っているはずだ。
しかしそんなのどうでもいい。
私だって、彼女に用事があるのだから。
急ぎ足で大書蔵へ向かうと、彼女は予感していたように、
私を待つように、ただ静かにイスに座っていた。
「ルフェル…。」
「アメリアか。
お前にはまだ尋ねたいことがあったから、
少し出発を遅らせてもらったよ。」
「そうですか、何か?」
私の問いには答えず、ゆっくりとした足取りで私に近づいてくる。
その表情は無。
このルフェルという人は、老齢のせいかほとんど表情を崩さない。
楽しいのか、悲しいのか、それも分からない程に。
私の顔の前までやって来ると、さらに顔を近づけ、
私の中を探るようにして、じっと私の目を見つめていた。
「何でしょう?」
「迷いのある目だね。
お前、分かってるんだろう?
夫が死ぬ運命にあることを。
そして恐れている。
自分の力に飲まれることを。」
「…。」
はっきりと言われたものだ。
だからこそ、私もこの後の話に進めるわけだが…。
「何故?って顔をしているね…。
千里眼のフランベルクだよ。
後にも先にも、奴のような力を持ったケモノビトは
出てこないだろうね。
だが、不安な未来を言い当ててしまうなんてこと、
これからの時代必要ないだろう?」
含みのある言い方で、私に何かを求めていた。
勿論、私だってそれを問わねばならない。
何度も言うように、その先に進むために。
「ルフェルは…どこまでご存じなのですか?」
「フランベルクの手記と、この世界の行く末を。」
「やはりそうですか…。
では話が早い。
私とミハルクの魂を、輪廻の螺旋に組み込んでほしい。」
「きっとそんなことだろうと思ってね…。」
お互いに読み合いをしているような気分になって、嫌になる。
だが、私にだって譲れないことがある。
きっと、それを彼女は全て知っているのだろう。
それでも敢えて、ルフェルから現実を言い渡してきた。
「来世でも一緒にって?
随分平和で幸福な夢じゃないか。
だけどそれは聞けない。
今お前がいなくなることは、この戦争を終結させるにも、
フランベルクの読みの上でも大変困ることになるからね。
何故なら、そんな未来は”無”いからさ。」
「私は…やはりこの戦争で残らなければいけないのでしょうか?」
「まぁ、お前がいなくなるのは好ましいことではないねぇ。
私にとっても、世界にとっても。
これほどまでに傲慢に世界を牛耳ってきたヒトに、一体何を求める?
ヒトはもう戻ることができないほどに、罪深い業を繰り返してきた。
ならば、絶対的な秩序を生み出す自信と能力がある私たちが、
未来を切り開いていくべきだと思うだろう?
だから私たちがいる、ケモノビトが救われる道を作っている。
私も生を受けて一世紀近いが、それを疑ったことは一度としてない。
分かるだろう?
私の思いが、皆の思いが。
お前も、両親を奪われた哀れな娘の一人なのだから。」
「………。」
言葉が詰まる。
実感が無くとも、それは紛れもない事実。
私だって、その信念は揺らいだことは無い。
彼がいつも言うことは、結局泡沫の夢に過ぎない。
現実に変える力が私たちにあって、それを実行しないのは愚の骨頂。
彼の言うことは正しいかもしれない。
一方、私たちの貫いていることは至極当然のことだ。
結果が勝ち負けの二択しかないとされる現在に、
もう一つの理想郷を目指すには既に遅すぎる。
だからこそ、私は剣を取り、前線で女王として戦ってきたのだ。
あの時はそれで良かった。
だが、今は確実に私情と実情に板ばさみされている状態だ。
私は、女王として生きるより、彼に愛してもらった女性として、
共に生き、共に絶える、という道を選べるのなら…選びたいと思っている。
一度くらい、自分にとって幸福な選択をしても良いのではないだろうか?
エニスだって、たった一度だけれど、自分のために力を使った。
なら、私だって加減さえすれば、
愛する者のために使ってもいいんじゃないか?
…なんて考えは、当然否定されてしまう。
勿論私だって、そんなのは言葉にする前から分かっている。
「女としての幸せね…、なるほど。
それだけのことで、お前は私たちの未来まで潰すつもりか?
お前の力は目に見えるものだけに留まれば良いが、
そんなことは無いだろうね。
意味そのものが消えてしまえば、世界は土台を失って崩れていくしかない。
その力は、そんな生易しいもんじゃないね。
来世で、という夢を持つのなら、尚更そんなことは考えるべきではない。」
「えぇ、そうですね。
貴女が仰ることは尤もです。
それでも…心では割り切れない。
なのに私は結局、女王という立場、
虹の第一位という責任からは逃げられない。
ひどい皮肉ですね。
女性としての幸せを望めないのに、
世界を幸せに導こうと努力しなければいけないなんて。」
所詮小娘が見た夢など、この百年にも及ぶ戦争の前には
些末なものでしかない。
たった一人の大事な人と、これから未来を作っていく大多数の人々。
天秤にかけるまでもない。
そんなことは分かってた。
だけど、もう一度だけ…我が儘をしたかった。
その結果が私の消失であってもだ。
許されるのであれば、私は彼と、
もう二度と分かたれず幸せに暮らしていきたい。
魂の輪廻に踏み入ることのできる
唯一にして至高、流布藍(るふらん)の魔眼だけが私たちの最後の希望なのだから。
「はぁ…、やっぱり若い女だね、お前も。
お前が望む魂遺伝の他に、私が人格転写と呼んでいるものがある。
この方法を使えば、お前は魂の一部を削って未来へ継承することが可能だ。
…理論的にはね。
仮に人格転写をしたところで、お前自身が残っていることはまずないだろう。
お前そのものが輪廻の螺旋に組み込まれるわけではなく、
お前の魂のコピー、情報だけを乗せる技術だ。
そんなものの転写は、成功率なんて高いわけがない。
我々の体内にだって、遺伝子の読み違いはある。
それでもバランスが変わらないのは、
自分という機構、雛型とも言えるものが、
土台として確かに存在しているからだ。
魂なんて形の無いもの、他と溶け合ったり爆ぜたりで
原型を留めることなんて殆ど考えられないね。
ましてや乗せるのが一部だけだから、転写時の読み違いは致命的だ。
奇跡的に少ないミスでも、人格が反映されるかどうかは保障できない。
うまくいっても、お前そのものが現れるかは分からん。
非常にリスクの高い方法だよ、無論お前たちにとってはだがね。」
「…では、彼はどうすれば良いのですか…。
このままでは、きっと…!」
「あぁ、死ぬことになるだろうね。
フランベルクも大したもんさ。
自分の愛娘とも呼べる女に、最悪の不幸が訪れることを予言しているんだからね。
そのようなことさえ見えるのは、良いことでも悪いことでもある。
あの男を失ったのは痛手だが、あんな能力は後世に伝えない方が良かったからね。
だからあいつの魂遺伝は行わなかった。
未来まで見えてしまえば、人は生きてく希望も何もなくなっちまう。
それはお前にだって適用できることなのだが、
世界の秩序に直接触れられるのは、今までの歴史から見ても唯一お前だけだ。
勿論、お前の魂遺伝は行うつもりではある。
しかし、その時はお前の現世での役割の終わりを意味する。
それは分かってるだろう?
じゃあここで問題だ。
お前の魂遺伝には理由がある。
さて、お前の夫にその理由があるかい?」
魂遺伝は人格転写とは根本的に異なり、
自らをそのまま未来へ送り出す手法だ。
未来に現れるのが私という魂を持った存在か、
それとも私の魂の性質を受け継いだ存在か、
つまりはそういうことになる。
そして、私にはそれを行うに足る意味がある。
しかし、ミハルクにはそれがない。
未来にどうなるか分からないが、ミハルクような能力は変わらず稀有ではあるだろうが、
決して出てこない可能性が無いわけではない。
しかも、世界の秩序の安定を考えた時、どうしても必要な能力でもない。
冷静にふるい分ければ、要らない、という判断が下されることは目に見えていた。
「諦めな。
無闇に使うべき力ではないことくらい分かるだろう?
どうせ魂遺伝してやるんだ。
今から人格転写で魂を削ってどうするんだい。」
「…さすが、口論では勝てませんわね。
ここまではっきりと不可を言い渡されて、他にどんな弁護がありましょう。
ですが、私にだって考えくらいはあります。
…この仔です。」
たった一つ、残された可能性、希望。
それは、私の胎内に宿る子供に託していた。
きっと可能性としては、無い訳ではないと踏んでいたから。
「まさかお前、白紙の子供に自分の魂を受け継がせるというのか?」
「それならば、魂の輪廻に乗せる必要は無いかと思いまして。
ですよね?」
「既に生を受けたものに、魂の上書きを試みたことは無い。
だから何とも言えん、…が、可能性としては無いわけではない。」
やはり…。
思っていた通りの事態の転び方に、私は少しだけ口がにやけてしまった。
誰もいなかったら、よしっ、と軽く握り拳を作りたいくらいに。
…なんて、少しだけ有頂天になっていたのも束の間。
とんでもない切り返しが来てしまった。
「…いいや、やはり危険だね。
人は生を受けたその瞬間から、自身の魂を継承している。
上書きできず、拮抗しあって空っぽになってしまう、
なんてことも考えられるよ。」
「…でも可能性としては」
「お前、愛する夫との子供を何だと思ってるんだい?
失敗したら、その子は死んだも同然なんだよ。
そんな実験にかけるなんて、どう考えたって無謀さ。」
やはりダメか…。
あらゆる選択肢を、実現可能そうなものを考えて、
結局これだけしか出なかったというのに…。
これで無理ならば、本当に私は打つ手がないということになってしまう。
「酷なことだが、今生の別れ、で割り切るしかあるまい。
どうせ魂の螺旋は、全ての生き物に通じている果てなんだ。
私が手を貸さなくとも、また巡り合える可能性もないわけではない。」
「たとえ巡り合ったとしても、互いが互いを知らない人だと思うわけですよね。
それだったら…意味がない…!」
何もできない自分が歯がゆい、悔しい、空しい。
ミハルクがどうなるか分かっているのに、それに対抗することも、
最悪の結果のための救いを用意することもできない。
なのに、何故私が虹の第一位なんだ!
こんなにも無力だというのに!
もはやルフェルの前だろうと気にしない。
感情むき出しにして、何度かルフェルに食いつくが、
その度に冷徹な現実を言い渡されて、
何もできない自分ばかりが浮き彫りにされていった。
結局ルフェルは、私にこれだけを告げて帰っていった。
「お前の肩に乗っている責任は、一人の男の命とは比べ物にならんくらい重い。
本来のお前の役割を忘れるな。」
その後は以前と同じように、女王として毅然と仕事をこなした。
テセラに心配させたりしない。
ルフェルの言葉で吹っ切れたから、もう見える未来に怯えたりはしない。
あらゆる協定文を何度も見直しながら考えていたら、
私はある答えにたどり着いたのだから。
私の力がこの戦争の鍵となるのなら、それを私自身が使えば良いのだ。
大叔父様の手記にだって、私が決め手になると書かれていたじゃないか。
これだけは揺るがぬ事実である。
そして、ミハルクが死ぬということも…。
ただそこに順序はない。
私が力を行使して世界を救うのが先か、ミハルクが死ぬのが先か。
それが書かれていないのだ。
ただ箇条書きのように羅列してあるだけ。
そんな屁理屈、と言われようが私は構わない。
私個人の幸せを望めない以上、無理矢理前向きに考えて結論を出すしかない。
責務の暇に、現在城に残っている軍の上層部数人と確認を行った。
ミハルク達の到着予定日と、現在の進行状況。
そして、相手国の状況。
その他諸々、あらゆる情報を整理し、今持っている知識から最善の一手を思考する。
この作戦なら、ミハルクの魂をサルベージして、私と一緒に飛ばすことが可能だろう。
自信はある。
根拠は無い。
だがそれを信じるしかない。
きっとこの時から私は、何かが壊れ始めていたのだろう。
自分で言っていた言葉さえも、既に忘れてしまっていたのだから。