遠い昔
4.不安
二階の回廊から望めるのは、月夜の晩だった。
満月…には満たない欠けていく月。
夜空の光を見るたびに、あの日を思い出す。
「私は…これで良かったのでしょうか…。
大叔父様…。」
独り、ここには既にいない誰かに打ち明ける。
それは不安の塊だった。
高貴に振る舞ってはいるものの、
私だって世界の裏側まで見えるような精神的成長など、
まだできてはいない。
ダイヤモンドみたいに硬く脆い。
特に、ミハルクに関することは。
いつの間にか私は、カーテンの端をぎゅっと握り締めていた。
私だけでは支えきれない不安。
悪い確信じみた予感。
フランベルク大叔父様の遺した手記。
全てが悪い歯車の一端であるかのような錯覚。
これは、ミハルクが近くにいないからというだけの理由からか、
または別にあるのか…、私には分からなかった。
そんな、どうしようもない不安にかられている時だった。
「あら、アメリア。
夜更かしが貴女の趣味だったかしら?」
現れたのはエニスだった。
なんだこの空気読めない女は。
私が感傷的な時くらい現れんな。
と、私らしからぬ口調で言いたいのは山々だが、
ここは言うわけにはいかない。
だからやはり、皮肉の飛ばし合いになってしまうのである。
「エニス…。
貴女の趣味は私的時間を監視することですか?
相変わらず趣味が悪いですね。」
「あんたね、この先に化粧室があるんだからしょうがないでしょうが。
こんな設計にしたやつに文句言わなきゃいけないようね。」
「残念なことに、この城は此度の戦より前からあります。
つまり、建てたのはヒトです。
さらに、ルーネスタリアには既にヒトはいらっしゃいません。
残念でしたね。」
「ならあんたが改装なり何なりすれば良いじゃんよ。
私が迷惑してんだから。」
「化粧室の場所について文句を言うのは
あなたが最初で最後でしょうね。」
「何よ?
あたしを変人扱いする気?
つーか変人レベルはあんたのが数段上。
あんな優男のどこが良いんだか。」
それを言われて、私は一体どんな表情をしたのだろう。
私の顔を見ていたエニスは、非常に驚いていた。
怒りの気持ちを含めた軽い一瞥のつもりだったわけだが…。
何だかそのエニスの態度にも腹が立ってきた私は、
さらに沸々と怒りがこみ上げてきた。
「ミハルクは優男ではありません。
それは私が一番良く理解している。
それに一体何ですか?
そんな顔をされて。
私が怒るのはそんなに珍しいですか?」
「いや…。
あんたの感情的になったのを見るのは久しぶりだったから、つい。」
「は?」
「あんたさ、最近涼しい顔になったよな。
私が何言っても、さらりとかわすようになって。
最初の頃なんか、あたしの言葉一つでオドオドしてたっけ。
あの頃、あんたいくつだったっけ?」
「貴女の相手が面倒になっただけです。
当時十二歳の私には、貴女はただの小姑のようでしたわ。」
「何かムカつく言い回しだね、それ。」
そうは言いながらも、彼女は笑っていた。
私より少し年上の彼女は、
いつも私より上の目線からものを言ってくるわけだけれど、
今晩は何故かそんな感じではなかった。
エニスは私の隣に立つと、私と同じように月を眺めた。
彼女の行動は私にとって不可解極まりなく、
どう反応して良いのかさっぱり分からなかった。
そんな彼女の様子を見る私は、余程変な顔をしていたのだろう。
彼女は私の顔を見てくすくすと笑っていた。
…ったく、何なんだ。
「アンタさ、あたしの昔、知ってる?」
「は?」
「は?じゃなくて知ってるか知らないかを聞いてるんだっつの。」
「知りませんわ、当然。
興味もありませんし。」
「そう。
でもまぁ聞きなさいな。」
何とまぁ強引な女だ。
「夫と知り合ったのは五年前。
ちょうどアンタくらいの歳だったわね。
その時ちょうど、セントラルホルン付近で三度目の大戦があったことは、
アンタも覚えてるでしょ?
あたしの旦那、魔導器兵だったのよ。
あの大戦で利用された。
あたし、あん時ドジっちゃって捕虜にされたのよね。」
「えぇ、それは存じておりますわ。
その後、見知らぬ大きな狼のケモノビトと一緒にいましたわね。
猫の特徴を持った貴女が、連れ合いに狼を選ぶところは称賛に値しますわ。」
「アンタね、自分も希少種の竜族なのに相手は犬じゃないの。」
「まぁそこだけですわね、類似点は。」
「…何で旦那と帰ってきたか分かる?
分かんないでしょうけど。」
「む、知りもしないこと分かるはずありません。
貴女も、私が分からないと分かっているなら、
そんなこと確認しないで下さい。」
「あいつね、ヒトに拷問されてるあたしを助けたのよ。
呆れるわよね。
その頃自我なんて持ってなかったくせに、
あたしのこと身を挺して守るのよ?
バッカみたいで、おかしくて、…涙が出た。」
語る女性の顔は、普段と違った表情を見せていた。
私の前では、一度としてこんな優しく憂いの帯びた顔をしたことはなかった。
そんなだから、私は皮肉も飛ばせずただじっと話を聞くしかなかった。
「女って簡単だよな。
ちょっと守られたからって、ただそれだけで…
私は彼から目を離せなくなった。
確かにあんたの言う通り、うちの旦那の頭は空っぽ。
あんたのとこみたいに、教養があるわけでも品があるわけでもない。
自慢は力だけ。
長い間自我なんてなかったんだから、それは当然でしょう?
戦うためだけに生み出された人だもの。
そんな人でもあたしを守ってくれた。
この魔眼のせいで、近寄ってくる人はいたけど…。
親しくなってくれる人なんていなかった。
そんなあたしだったのに、自分が傷ついて守るなんて…本当にバカ。
そう思ったら、あたしの中から暖かい何かが溢れた。
そして、初めて自分の意思で魔眼を使った。」
当時の私は、それを契約違反だと叱り飛ばした。
エニスも、悪態はつけど言い訳はしなかった。
それを思い出し、今の私が彼女を叱り飛ばすことなど…できるはずもなかった。
ただ、そう…と返すことしかできない。
その気持ちを、私も理解できるから。
「…何?
そんなことで魔眼を使って、周囲一体を焦土にしてしまったのですか?!
とか言わないの?
言ってたじゃない。」
「貴女…私をバカにしてませんか?
私だって気持ちくらい分かります!
今更そんなこと…言われたら…。」
「へぇ〜。
冷徹な魔女の二つ名があるくせに?」
「それは他の方が勝手につけただけではありませんか!
私だって女王ではありながら、年相応の女性です。
貴女はいつもそれを冷やかしていたじゃありませんか!」
「そりゃそうだけど、フランベルクさんの直々の教育は伊達じゃないなー、
なんても思ってたよ。
あたしだって、好きで敵の基地を丸々一個と、
その他大勢を犠牲にしたわけじゃないさ。
あんただって、自分の力を全て解放したことなんてないだろ?」
「当然です!
だって…。
私の力は…あらゆるものから意味を無くしてしまうから…。」
「あたしも、まさか自分の力が、
あらゆるものを一瞬で消滅させるような破壊力があるなんて思わなかったよ。
だからあれ以来使ってない。
今だって、使ってるのはロスフの爺さんとルフェルの婆さんだけだろ?
あんたも、あたしも、オルディ兄さんも、タートスも、レゼットも、
今回の戦では使ってない。」
「ですが貴女…!
昼に言ったことをお忘れですか?」
「ロスフの爺さんの力っつったじゃん。
平和に使えるのはあの力だけだろ?」
「確かに一理あります。
しかし、魔眼とは決め手であり最後の手段です。
精神誘導の力であるとしても!」
「ルフェルの婆さんは?」
「あれは…攻撃手段ではありません。
そうでなかったとしても、
私は魔眼の力を容易に使うべきではないと思います。
魔眼は…意味の重さを取り去ってしまうから…。」
「そりゃあんたのは尚更だろ?
完全なる破壊、即ち存在の全否定。
有を無にするその力は、世界のバランスを崩す唯一無二の凶器だ。
幸いにも優等生に宿ったもんだね。
これもルフェルの婆さんの力の内なのかは知らないけど。」
「だからこそ、あっさりと使って良いものではありません。
魔法ではないにしろ、魔眼は無に繋がるものでもありますから。」
「あぁ、そうだな…。」
その後、辺りはまたしんと静まり返った。
ここに二人もいるのに。
数分間、二人ともが夜空の月を見上げているような状況は、
傍から見たらかなり不自然だったのでは無かろうか。
そんな静寂の間を破ったのは、またもやエニスだった。
そして、私が想定し得ないことを言い放ったのである。
「アンタさ、不安なんだろ?
いないだけで辛いんだろ?」
「…。
誰が、そんなことを」
「あたしにくらい喋れよ。
そりゃ嫌味言っちゃうことはあるけど、
別にアンタを嫌ってるわけじゃないんだからさ。
十二使徒で女は、アンタとあたしとルフェルの婆さんだけなんだし。
第一位だからって強がってなくても良いんじゃないかな。
こういう時間にあたしと会う時くらいは。
…ま、いきなりこんなこと言っても、アンタはプライドがあるから無理かな。」
聞きながら、ただじっと月を見つめていた私だったが、
別に受け入れる気がないからと言うことではない。
正直戸惑っていた。
エニスがこんなことを言い出すなんて思いも寄らなかったから。
もしかしたら、私の小姑という表現は間違っていないのかもしれない。
彼女は彼女なりに、不器用な表現をするしかなかったのではないか。
ひねくれて育ってきた天の邪鬼。
本心をさらすのは怖いから、壁を作ってしか話を始められない。
もしかしたら、そうなのかもしれない。
だから私は、敢えてこう返した。
「本当に小姑みたいな方ですね、貴女は。
老婆心ながらお説教なんて、小姑様々ですわね。」
「あんたねぇ…」
「でも、先輩の言うことは聞いておくに越したことはない。
多少気にくわないこともありますが、たまには頼って差し上げますわ。」
「ふん、アンタも素直じゃないな。
一体誰のせいなんだか。」
「さぁ、誰でしょうね。」
互いに微笑みながら、柔らかな皮肉を飛ばし合う。
今までのギスギスとしたそれとは違い、別段気にならない、
むしろ心地良いとさえ思うようなやり取りだった。
私はずっと、エニスという女性を勘違いしていたようだ。
ほら、何て言ったっけ。
ツンデレ?
まぁそれに近い人なんだと思う。
彼女は、また明日な、と言って自分の部屋へと戻って行った。
ん?
化粧室は行かなくても良いのかしら?
なんて疑問を浮かべてはみるけれど、何故か妙に心が落ち着いていたので、
そんなどうでも良いことは気にしないことにした。
部屋に戻った私は、先程まで見ていた同じ月に向かって、
毎晩のように続けている願いを、心の中で繰り返す。
先遣隊がクローシェッタ最寄りの基地に着くには、三ヶ月くらいだろう。
その間に私ができること、やらなければいけないことだけは全うしなくては…。
きっと世界はその後…半分消失することになるのだから。
他の誰でもない、私自身の手によって。
大叔父様の手記が物語る、最後の時を実現する気は勿論ない。
最期の一瞬まで抗ってみせる。
密かに抱いた、ミハルクの理想郷の実現を夢見て。
魔導史実歴程初版原稿
「第十一章 破壊と創造」
ノゼィン女王
エニス・アトラシア
まず初めに。
以下の文章は最上級国家間機密とし、のち編纂される魔導史実歴程には加えないものとする。
各国王と、それに準ずる権威者に示すために遺すものであり、
決して彼女の魂を探し出すのを目的とした伝言ではない、ということを理解していただきたい。
ヒトの定めた暦で、これを執筆しているのが1489年11月4日。
49日前、世界の半分は消滅した。
我々は着実に、最も有利とされる方法で平和への歩みを進めてきたつもりだった。
それが災いとなることなど、誰が予想し得たであろうか。
厄となり、戦火に見舞われ、朽ちる想いがあった。
同時に穿たれた楔があった。
彼女が起こしてしまった事態は、私の責任として問われてもおかしくはなかったと思う。
魔眼という存在は、今考えると災厄を招くものでしかなかった。
故に、ルフェル・エス・シエルによる能力の継承は、
我々以降の十二使徒には受け継がれないようにすべきだった。
しかし、それは少しばかり遅すぎたのだ。
アメリア・フローライト・ブルーデンスという個体と紅炎の魔眼を継承した何者かが、
後に現れることになるだろう。
彼女が言うには、その何者かがどのような形で現れるかは分からないらしい。
あの能力だけは、魂の輪廻に組み込むべきではなかった。
私の能力でさえも、封印をすることが最善のはずであったのに…。
繰り返される輪廻で多少は弱くなるとは言えど、元は十二使徒。
その身に刻まれた呪は、責任と言う形で管理せざるを得ないだろう。
願わくば、この先の未来に、我々の力が元で争いが起きることなど無きよう。
ただの象徴に成り下がれば良いのだが…。
ではここから本文である。
(この後、現在の神学魔導史実歴程とほぼ同様の内容が展開されていく)