遠い昔

1.追憶

 

微睡んだ意識の中で、私は懐かしい過去を見ていた。
あれは、十年以上前のことだったろうか…。
私は、生まれながらにして持つ魔眼のせいで、 現在秘密裏に結成された十二使徒の一人として扱われ、 大切に育てられてきた。
城を出れば稀代の魔女として崇められ、未来への願をかけられるだけ。
かと言って城内では、一切の自由なく所謂英才教育の毎日だった。
私はそんな毎日がうんざりで、ある満月の晩に城から抜け出した。
幸か不幸か、当時七つ程の少女であった私だが、 そこらにいる大人より数段上の魔術の行使が可能だったため、 眠い目を擦っているような衛兵では私の妨げなどできるはずもなかった。
初めて、自分の意志で城を抜け出したのだ。
外は広かった。
満月に照らされて走るのは、この上なく気持ちの良いことだった。
季節は秋と冬の中間で、若干寒さを感じたりもしたが、私は高揚感でいっぱいでむしろ暑かったような気がした。
最初はそれで良かった。
だが、所詮は精神も肉体も七つの少女。
息が切れるのも早ければ、城に帰りたいと思うのも早かった。
その感情が溢れ、跪き、泣きじゃくっているところで…私は、彼に会った。
満月の晩、更にはこんな夜更け。
何故私よりいくつか幼い少年が、こんな場所に立っていたかは分からない。
それよりも分からなかったのは、私にそこらの友達に会ったのと同じような調子で話しかけてきたことだった。
 
「だいじょうぶ?
 どこかいたいの?
 おくすり、いるの?」
 
私がうずくまって泣いていたからだろう。
少年はそんなことを心配していた。
しかし、それが嬉しかった。
どんな相手でも、私に話しかける時は敬語。
私より遥かに年を重ねている老人や、私よりもまだ幼い子供でさえも。
初めて、自分以外が遠慮のない話し方をしているのを聞いた。
私は頑張って立ち上がって、その少年を真正面に見据えた。
私よりも小さく華奢な、よく見れば少女にも見えそうな少年は、 いつまでも私を心配そうに見つめていた。
 
「大丈夫よ。
 痛くて泣いてたわけじゃないから。」
「そっか。
 泣くとね、
 いっぱいいっぱい悲しくなるから、
 いっぱいいっぱい笑いなさい、
 っておかあさんが言ってたよ。」
 
何とも不思議なことを言う子だと思った。
しかし、私も子供だったから、素直にそれを受け入れ、 無理やり笑顔を作ってみせた。
それに合わせ、少年はとても優しい笑顔を見せてくれた。
それを見た私は、何だか本当に先程の感情などすっ飛んでしまって、 それがやけに滑稽で、ついには声をあげて笑い出してしまった。
勿論、少年は何がそんなにおもしろいのか分からなさそうで、 笑顔の上にクエスチョンマークでもついてそうだった。
 
「私の名前、分かる?」
 
きっとその少年は知らないはずだ。
私が何者か知っていれば、こんな接し方なんてできないはずだ。
なのに、その少年は平然と
 
「アメリアさまだよね?
 ぼく、知ってるよ!」
 
なんて言うものだから、私はあっけらかんとしてしまった。
 
「ぼくはミック。
 ほんとはミハルクって名前だけど、
 みんなにそう呼ばれてるよー。
 よろしくね、アメリアさま。」
 
何という少年だろう。
親から何も教わってはいなかったのだろうか。
それとも、何か別の理由でもあるのか…。
私には分からなかった。
そして、それを口にせずにはいられなかった。
 
「私のこと、何とも思わないの…?」
「なんとも…?」
「王女だから、とかそういうのはないの?」
「何で?ぼくも、きみも、おなじじゃんか」
 
当時の私には、それが理解できなかった。
私は明らかに特別扱いで、目の前の少年は明らかに普通の少年で…。
違いこそあれど、同じところなんて一つも無いとしか思えなかった。
それでもミックと言う少年は、同じように繰り返した。
 
「ぼくら、みーんなおなじだよ。」
「どうして?」
「おかあさんがね、言ってたの。
 ヒトも、ケモノビトも、みーんなおなじ命だから、
 たいせつにしなくちゃだめだって。」
 
本当によく分からないことばかりを喋る子だと思った。
私と彼以外に、他の¨ヒト¨まで含むもの、全てが同じだというのだから。
当時の私が言うのも変だが、普通の幼児だとは思えなかった。
ただ、幼さ故かは分からないが、言葉には純粋さを感じた。
それは文面通り、そのままの意味で話しているように思えた。
とは言っても、普通の子より遥かに高等な教育を受けていた私でも、その意味を理解することはできなかった。
分かったことは、この少年は優しい子なんだと。
それだけだった。
 
「あなた、この近くに住んでるの?」
「うん。みんなと住んでるよ。」
「みんな?」
「うん。
 ジンおじちゃんと、アジルにぃちゃんと、あとそれから…」
 
違和感。
あれだけお母さんお母さんと言っていたのに、 最初に出てくるわけもなく、何人か後にすら挙がらなかった。 真っ先に出てきてもおかしくないはずなのに。
 
「ねぇ…、お母さんは?」
「おかあさんね、この前、しんじゃったの。
 でもね、おかあさんと約束したんだ。
 つらくても、かなしくても、泣いちゃだめだって。
 だからぼく、おかあさんがいなくなっても、泣かないんだ。」
 
当時の私は、それを聞いてどう思っただろう。
はっきりとは覚えてないが、不憫に思いながら似た者のようにも映ったような気がする。
私も、両親はいない。
見たこともない。
側にいるのは、いつも侍女のテセラだったから。
勿論、彼女が本当の母親のように感じているし、 フランベルク大叔父様だって父親のように厳しく優しくしてくれている。
だから足りないものはない。
だから似ているはずがない。
なのに、肉親がいないということが、何らかの類似のように思えた。
 
「私も、本当のお母さん、いないんだ。」
「そっか。」
 
たったそれだけ、少年は言った。
 
「私たち、お母さんいない同士だね。」
「うん。」
「お父さんは?」
「おとうさんはね、ずっと前からいないの。
 ぼくがもーっと小さいころ、いなくなっちゃったんだっておかあさんが言ってた。」
「そっか…。」
 
少年と同じ言葉しか返せなかった。
それと同時に、感じた。
この子は、きっと私と同じなんだと。
彼が言う「みんな同じ」という意味で、ではない。
私と同じように、肉親以外の人に支えられながら生きているという点において。
幼いながらも、何となくそれに気が付いた私は、
この少年と離れたくないと思ってしまった。
きっとミックは、私の何か。
そう、私でさえも知らなかった、黒い何かを理解してくれるはず。
それを直感的に感じたのだった。
だから、初めて私は、人にわがままを言った。
 
「私、あなたと離れたくない。」
「そっか。
 ぼくもね、アメリアさまともっともっと仲良くなりたいな。」
「仲良くなりたいし、ずっと一緒にいたい。
 だから…、ミーちゃんって呼んでも良い?」
「ミーちゃん…?
 そんなふうに呼ばれたことないからよく分からないけど、
 ぼく、それが良いな。
 じゃあぼくは、アメリアさまをアーちゃんって呼ぶね。」
「アーちゃん…。
 私、初めてアメリア様とは違う呼び方されてる…。」
「いやぁ?」
「嫌じゃないよ。
 ありがとね。」
 
不思議な安心感。
まるで、出会うべくして出会ったかのような感覚。
幼い私でも、はっきりと認識していた。
私はきっと、この人と共に生きていくのだと。
二人して笑顔でいると、私が走ってきた方向から人の群れが、
手に蛍火のランプを携えてぞろぞろやってくるのが見えた。
私の、最初で最後の家出が終わるのを感じた。
先頭にはフランベルク大叔父様がいて、叱られると思っていた。
が、私の予想とは裏腹に、随分困った顔をしていったのを覚えている。
いつも素直なアメリアが、どうして今日はこんなことをしたんだい?
そう、私に問うた。
私だって、分からない。
ただ、毎日にうんざりしてて、今日が満月で、衛兵が眠そうで、
それを越えた先に何かがあるのを期待して家出してしまっただけのことだった。
私の言い訳を聞くと、私の手を取って城へ帰ろうと歩き出してしまう。
だから、私は手を振りほどこうとした。
それでも、振りほどけなかった。
だから、叫んだ。
 
「大叔父様!待って!
 私、あの子と一緒が良い!
 あの子ともっと、もっともっと、仲良くなりたいの!」
「あの子…?
 誰かいたかい?」
「ミーちゃんが!
 ミーちゃんがいたの!
 私、ミーちゃんと一緒が良い!」
「どうしたんだい、アメリア?
 よく見てごらんよ。
 ほら、誰も居ないだろう?」
「そ、そんな…!
 だってあそこにい…た…」
 
一生懸命指をさしていた先は、何もなくただ風で草が揺れているだけ。
私は、自分の目を疑った。
先程、本当につい先程までいた少年は、既に私の目の前からいなくなっていたのだ。
 
「あ…れ…?」
「ほらね?
 さぁ、城へ戻ろう。
 生活がつらいのなら、明日からはもう少しゆとりを持たせてあげようね。
 お前は、私たちにとって…とても大切な子なのだから。」
 
まるで、幻。
現の夢のようだった。
しかし、それが夢ではなかったことを、私は翌日知るのであった。
城下に出向いて、民衆の願いを聞くという週に一度の儀礼の最中、
私はミーちゃんを見つけたのだ。
見つけたらあとは簡単だった。
私が何とか大叔父様にお願いして、ミーちゃんを城に招き入れればよかったのだから。
後から聞いた話だと、
ミーちゃんは自然操作を主とする五行という難易度の高い魔術行使に向いた特性を持っていたようで、
それのお蔭で大叔父様は受け入れたということだった。
まぁ、私にはそんなことなど関係なかったわけだが…。
同じくらいの歳の友達と、毎日過ごすことができたのだから。
そして、私たちは約束したのだ。
 
「私ね、大きくなったら女王様になるんだって。」
「そっか。
 女王様になると、もうアーちゃんに会えないのかなぁ…?」
「大丈夫!
 私、ミーちゃんと結婚してあげる!
 そうすれば、いつまでもずーっと一緒にいられるよ!」
「ほんと?!
 じゃあぼく、アーちゃんと結婚する!」
「うん!
 ずっとずっと一緒だよ!
 だから、約束にキスしてあげるね!」
「ありがと−!」
 
 
…………。
ゆっくりと、微睡みから現実へと戻されていく意識。
私が、私として覚醒する不思議な感覚の中、ふと目を覚ました。
時刻は分からないが、あの時の晩のように、綺麗な満月が窓の外に見えた。
 
「夢、か…。」
 
明日、彼が騎士団を率いて進軍する。
私の横で、女の子のように可愛い寝顔をしている、ミハルクが。
 
「愛してるよ、ミーちゃん。」
 
もう十年近く呼んでいないその名を口にし、頬に軽く口付けをする。
そしてまた、私はもう一度懐かしかったあの頃を遡るのだった。

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