その先にあるもの。
Story8 真実
午前5時。
昨日は楽しみで全然寝付けなかったのに、とんでもなく早く起きてしまった。
何故なら…今日はギャラクシーアイランドに遊びに行く日だから。
目覚ましは7時に合わせたはず。
もう一眠りしようかと思ったけれど、結局眠れずしかもいつの間にか服を着替えていた。
この感じ……以前にレナと隣町へ買い物に行く前の気分に似ている。
あの時と同じように、今日も僕は部屋の中を行ったり来たりしながらソワソワしていた。
違ったのは、時々気持ちだけ遊園地の方に行ってしまってて、
レナと歩いているところを考えてはニタニタしていることだろうか。
そんなことを30分ほど繰り返していると、さすがに待ちきれなくなって外に出ることにした。
もしかしたら落ち着くかも…と思って。
外に出ると、やはり朝なんだなと実感する。
このシンと静まり返った感じ。
太陽の光の清々しさ。
朝特有の澄んだ空気。
僕は思い切り深呼吸をして、自分の興奮を沈めようと試みた。
う〜ん、やっぱりダメみたい。
自分を落ち着けるために、辺りをゆっくりと歩き始めた。
見慣れた男子寮、見慣れた学校、見慣れた住宅地…。
それを見ているだけで、何故か気持ちが高揚してしまう。
ダメだ…落ち着けない。
仕方がなく部屋に戻ろうとしてエレベーターに乗った。
15階に着いてエレベーターの扉が開くと、ちょうどそこでジョアンとばったり鉢合わせした。
「あ、ジョアン!
おはよ。」
「おはよう…って何でこんな朝早くに外に行ってるんだよ。」
「ん〜…落ち着かなくて。」
「お前、本当に面白いやつだなぁ〜。
遠足前の小等学生かよ。」
「うっ…。
ジョ、ジョアンこそどこ行くつもりなんだよ!」
「俺?
勿論飯食いに。」
「あれ?
もうそんな時間?」
「あぁ…。
今は7時だな。
ちょっと早いけど。
でも、8時に駅に集合だからこれくらいで丁度良いかなって思ってさ。」
「そっか。
じゃ僕も行くよ。」
「んじゃ行こうぜ。
あと、行く前にノールを起こしに行くけど良いよな?」
「そうだね。
こういう時に限って寝坊するからね〜。」
ノールの部屋の前まで行くと、とりあえず1回呼び鈴を鳴らしてみた。
……出ないね。
もう1度だけ呼び鈴を鳴らす。
…………やはり出ない。
「…寝てるな。」
「うん、間違いないね。
どうするの?」
「…う〜ん。
とりあえず朝ご飯食ってからにしようか。」
「そだね。」
諦めて食堂に向かう。
そこで僕達は信じられない光景を目の当たりにした。
「よ!
遅いなぁ…。」
カツ丼を口に運びながら挨拶をしてきたのは、紛れも無くノールだった。
って朝からカツ丼…。
受験生じゃないんだから…ねぇ?
「お前、今日に限って早すぎ。」
「あ?
お前らなぁ、今日は出会いの日だぞ?
ワクワクして昨日の夜から眠れなかったくらいだ。」
「うわ、僕よりタチが悪い…。」
「お前ら揃いも揃って小等学生か。」
「オレは違うけど見た目ならミックが…。」
「僕だって違うよ!」
「はいはい。
さっさと食べて駅行くぞ。」
「ううぅ…。
完全に子ども扱いじゃん。」
午前7時50分。
予定より10分早く僕達は女の子を待っていた。
前の経験からすると…レナってもう居るんじゃないかな?
エマは基本的に5分前行動だからもう少しで来ると思うけど…。
「ミーちゃん♪
おはよ!」
「ひゃう!」
あまりに突然話しかけられ、急に肩を叩かれたものだからすごく驚く僕。
後ろに振り返ってみると、そこにはこの前買い物で買った服を着たレナがいた。
この服、僕があの時言ってた服だ…。
買い物に行った時に、その服が目に入った瞬間に思ったんだ。
絶対にレナに似合うって。
それを小声でぼそりと言ったんだけど、まさかそれが聞こえていて買っていたとは思いもよらなかった。
僕はただそのレナの姿に見とれていた。
「おい、ミック。
ミック!」
「何固まってるんだよ!
(お前の愛しのお姫様がいるんだぞ〜?)」
「(う、うるさいなぁ!)
あ、えっと…。
おはよう…。」
「うん、おはよ♪
どう?この服?
あの時買った服だよ。」
「え、えっと…その……。
あの………。
す、すっごく似合ってる!」
「ありがと♪」
やっぱり言葉がうまく出ない。
レナを誉めようとする言葉は、全て途中で詰まっているかのようだ。
そんな様子を見てか、ジョアンとノールが必死に笑いを堪えようとしている。
……みんな意地が悪いよ。
あぁ、そうそう。
結局泊まりの話は無しになった。
どうしてもエマのお父さんが許さなくて…。
それに…ノールが危ないからね、色んな意味で。
そんな時、ちょうど5分前にエマは現れた。
「おはよう!
うわぁ〜、皆早いね〜。」
「まぁ今日はノールが特に、な。」
「本当だ!
珍しい〜。
いつもならまだ家で寝てるのにね。」
「だぁかぁらぁ、オレは楽しみで眠れなかったの!
ずっと起きてんの!」
「え…。
睡眠なし…って。」
「さ、もう行こうぜ?
電車も来たし。」
ギャラクシーアイランドへ行くにはここから約30分電車に乗る必要がある。
そこからさらに船で島に渡るんだ。
電車はいつも通りだったけど…。
やっぱり船の混み様はハンパない。
何か朝の通勤ラッシュって感じだ。
そのぎゅうぎゅう詰めの状態でさらに15分。
船から下りると、僕達の目の前にとんでもなく大きな観覧車が現れた。
「うわぁ〜…あの観覧車、おっきいねぇ…。
頂上……高いよね……。」
「乗ろうね、ミーちゃん!」
「え…あれ、乗るの?」
「勿論。」
「じゃあ幾つか回ってからにしようよ。
心の準備が……。」
「心の準備?」
「うん。
僕、高いところダメなの。」
「へぇ〜、高所恐怖症なんだ。
じゃ、高いところばっかにしよっか♪」
「えぇ?!
それはちょっと……。」
「ほら、さっさと行くぞ?
パスポート買わないといけないんだからな。」
パスポート売り場の前には、長い行列ができている。
それでも思っていたより少なかった。
レナが言うには、パスポート買うだけで1時間待ちになってるってテレビでやってたんだって。
レナやエマの勘が当たったのかは知らないが、僕達は10分でパスポートを買うことができた。
それを見せて入場ゲートをくぐると、風景が一変。
きちんと舗装された歩道。
ところどころに植えてある、背の高い不思議な木。
それを見ているだけで、何だか気持ちが高揚してきた。
「んじゃじゃあな〜。」
入場したその瞬間に、ノールは今までに無いくらいの笑顔で走り去っていった。
うわ、また鼻の下伸びてる…。
数秒後には他人の中にのまれていってしまって、ノールの姿が確認できなくなってしまった。
「あ、アイツ…。
初めは皆で行動するからその後なって言っといたのに…。」
「ノール…。
何だか逆に可哀想に見えるわ…。」
「ほ、本当にね…。」
「ま、まぁノールは帰る頃にまた会うだろ。
ところで、最初にどれから行く?
やっぱり空いてそうなところから順番に行くか?」
「私は……どこでもいいや。
ジョアン、連れてって♪」
「つ、連れてって……。」
「何かエマ、ちょっと変わったね。」
「そう?」
「うん。
えっと…何て言うか…明るくなった…?
ちょっと違う気がするけどそんな感じ。」
「へぇ〜…。」
「ミックはどこ行きたい?」
「僕もないなぁ…。」
「オイ。
レナは?」
「私はやっぱり…遊園地の定番からかな。」
「定番ってことは…。
メリーゴーラウンドかコーヒーカップか…そんなところだな。」
「あぁ、それならまだ空いてそうだね。
ほら、あっち見てよ。
どっちも空いてるよ!」
「お、まだ並んでないじゃん!
んじゃ列ができる前に早く行こうぜ!」
午前9時。
僕達はどっちかって言うと距離が近いコーヒーカップから乗ることにした。
コーヒーカップって言うと、真ん中についてるハンドルをすごく速く回すのがちょっと好きなんだ。
小さい頃コーヒーカップに乗った時に、あの遠心力がかかる感じが好きになって…。
遊園地に行く度に何回も乗ってるんだ…って母さんに聞かされたことがある。
「レナ、すっごく速く回していい?」
「え?
そんなに速く回すの?」
「うん。
あの遠心力がぐ〜ってかかる感じが好きなの。」
「す、好きって…。
まぁ分かる気がするけど…。」
「でしょ?
あ、そうだ。
ジョアン、どっちが速く回せるか競争しようよ!」
「お、いいねぇ〜。」
「良くないって。
私、酔っちゃって動けなくなっちゃうよ?」
「大丈夫だって。
そうなってもお姫様だっこして動いてやるからさ!」
「………。
それはちょっと…。
おんぶなら……良いかな……。」
今更だけど、僕達は二手に分かれて乗り込んだんだ。
勿論僕とレナ、ジョアンとエマってね。
コーヒーカップがゆっくりと動き出す。
それを確認すると、僕はもの凄い勢いで回し始めた。
この振り回される感じが何とも言えないんだ。
テンションが上がってますます速く回し続ける僕。
「ミーちゃん、まだまだ遅いよ?」
「えぇ?
ちょっと待っててよ。
僕の力だとこうやってゆっくりとしか……。」
「じゃ、私がやってあげる♪
それ!」
「う、うわぁ!」
速さが格段に上がった。
もう周囲の風景がはっきりと確認できないくらいに。
それでもレナの顔はちゃんと見られるからビックリだ。
「ほらほら♪
…どう?
速くなったでしょ?」
「レナって…力強いんだね。」
「うん、一応私は竜の血が入ってるからね。
竜族って元々力が強いらしくて…。
それでもミーちゃんが力無さすぎだよ。」
「でもさ、筋肉ムキムキの僕なんて嫌でしょ?
何か僕じゃないみたいで。」
「う〜ん、そうね…。
今の顔でそんな風だったら嫌だよ。
やっぱりミーちゃんはあどけなさが残ってなくちゃね♪
だからミーちゃんはね、全部可愛いままが一番よ。」
「あ、あどけなさって…。
その可愛いって言うのはあんまり…。」
いつでもそうやってさらっと可愛いという言葉を僕に向ける。
まぁ慣れたと言えば慣れたんだけど……。
どうしても何か引っ掛かる。
それが僕らしさっていうのもあるかもしれないけれど、やっぱり僕としては童顔から卒業したい。
普通の人らしく成長したいよ。
そんなことを考えながらハンドルを回していると、いつしか速度が落ちていくのを感じた。
どうやら終了らしい。
「はい、おしま〜い。
楽しかったね♪」
「う、うん。」
「どうしたの?」
「ん〜、考え事。」
「こら、デートの合間に考え事なんてしちゃダメだぞ?」
「で、デートぉ?!
だって今日はジョアンもエマも居るからデートってワケじゃ」
「二人で乗ってるからデートでしょ。
…ほら、次に行こうよ!」
「うん、……そうだね。」
この後、僕達は空いてそうなアトラクションばかりを選んで楽しんだ。
そうやって過ごしていると、いつの間にか12時近くになった。
楽しい時間は速く流れてしまうのが不思議だ。
僕達は昼食を取るために、遊園地内のハンバーガーショップに入った。
「…まだ席は空いてるな。
あそこ座ろうぜ。」
「うん。」
「エマもレナも先に何か買ってこいよ。
俺たち、席の確保しとくから。」
「ありがとう!
行こ、レナ。」
「え、うん。」
「ミック、オレ水持ってくるから席で待っててよ。」
「うん、分かった。」
屋内の窓側にちょうど4人座れる場所が空いていた。
僕は窓の隣にあるイスに座ると、周りの様子を見回した。
さすが夏休みと言わんばかりに人が居る。
やっぱり家族連れが多いせいか、子どもの笑い声や泣き声が色んなところから聞こえてくる。
子ども…か…。
他の人から見ると、やっぱり僕は子どものままなんだろうか。
だとしたら、僕とレナって姉弟ぐらいにしか見えないのかな……。
「はぁ。」
「何ため息ついてるんだよ。」
「ジョアン。」
僕の目の前にあるテーブルに4人分の水をドンと置く。
ジョアンは僕の目の前の席に腰を下ろした。
「どうしたんだよ。
つまんないか?」
「そんなことないよ。
すっごく楽しい。
考えてるのはね、遊園地のことじゃないんだ…。
…僕のこと。」
「お前のこと?」
「うん。
レナと一緒に居ても、他の人から見ると姉弟ぐらいにしか見えないのかな〜って。」
「まぁそりゃそうだけど…。
そんなの気にすることないだろ?
お前はレナが好きで、レナは…どうかよく分かんないけど。
ただそれだけのことさ。
他の人のことなんか知るもんかってな。
お前はレナのことだけ考えてれば良いんだよ。
レナのことで悩んでれば良いんだよ。」
「ジョアン…。
でもさ、僕いつも言われるんだ。
可愛い…とか。
それが引っかかってさ…。」
「憶測での話だけどな、レナはそれを皮肉のつもりで言っているワケじゃないと思うぞ?」
「え?」
「今までのことを考えてみろ。
時々無神経なこと、言ったりしたろ?」
「うん、言われた。」
「俺が思うには、レナは少し天然入ってんだよ。
覚えあるだろ?
どっか抜けてる…とか。」
「ん〜……。
あぁ、そういえばこの前カレンさんが同じこと言ってた。
ちょっと話す機会があった時に聞いたんだけど。」
「そうか…やはりな。
じゃあ決定。
皮肉は皮肉じゃないと思え。
純粋にそれを誉められてんじゃねぇの?」
「そっか。
…って、そうやって改めて考えてみると…。
何かある度に可愛いって言われて、僕、すっごく恥ずかしいよぉ。」
「ははは、まぁいいじゃん!
ほらほら、エマとレナも来るし。
その暗い顔はもう無しな。」
「うん、ありがと。」
なるほどね…。
レナって別に悪意込めて話してるわけじゃないんだ。
そうすると、今までのレナの言動って優しい言葉ばかりだ。
…恥ずかしいのが多いけど。
「ん?
どうしたの?
私の顔に何かついてる?」
「え?
あ、いや、そういうのじゃないよ!
ちょっと…見てただけ♪」
「なぁに?」
「気にしないでよ。
うん、そういうこと!」
「どういうことなの…。」
「レナが前そう言ってたじゃん。
じゃ僕達も買ってくるね。
行こ、ジョアン。」
「ん、あぁ。」
レナは言葉の通りの女の子なんだなって思う。
ほら、レナが話す言葉は全部感情に直結してるんだなってこと。
平たく言うと素直ってことだ。
言葉に嘘偽りがない。
それがレナらしさということなのだろう。
僕が前に彼女にキスされて何か気分が沈んでた時、レナがかけた言葉の裏には…。
僕への心配、ただそれだけの感情があったんだ。
それなのに僕は無神経なのかなって思ったりして…。
何だかとても申し訳ない気持ちになる。
そんな風に考えていたら、僕はレナの顔をじっと見つめずにはいられなかった。
昼食を食べ終えて外に出ると、午前中よりも人数が増えているように思えた。
いや、確実に増えているのだろう。
そんな中、混雑に追い討ちをかけるように昼のパレードが始まるものだから、
僕とレナはジョアンとエマと別れてしまった。
「困ったなぁ…。
二人とも、何処行っちゃったんだろ。」
「しょうがないよ。
これだけの人の波にのまれればね。
私達だけで楽しもうよ、ね?」
「うん、そうだね。
じゃあ何乗る?
まだパレード見る?」
「パレードはもう勘弁…。
アトラクションよね、やっぱり。
さ、ミーちゃんの高所恐怖症克服ツアーにレッツゴー♪」
「えぇ?!
本当にそれやるの?!」
「当たり前じゃん♪
ほら、まずはあのおっきいジェットコースターからね!」
「うっ…。
あれ、絶対怖いよ…。」
「さ、乗ろうね♪」
「うん…。」
逆らえない…。
何かレナがにこっとするだけで、反抗する気さえ失せてしまう。
やっぱり何だか不思議な空気を身に纏っている。
少なくとも僕はそう思う。
レナが選ぶアトラクションは、所謂絶叫系と言われるものばかりだった。
数々のアトラクションに、僕はもうクラクラして卒倒寸前。
そのスパルタのような克服ツアーは4時間続いた。
「はぁ〜。
もう、ダメ…。
目が……。
地面が……回ってるぅ…。」
「…ちょっと、調子に乗りすぎちゃった…かな?
大丈夫?」
「う、うん。
何とか……うわぁ!」
「足元フラフラしてるじゃん。
…はい。」
「ん?」
いきなり僕の前でうずくまるレナ。
それに『はい』って…。
一体何がしたいのだろう。
「何してるの?」
「ほら、乗って。」
「え?」
「おんぶ!」
「だ、だって…。
ほら、みんな見てるし…。」
「他の人は関係ないでしょ。
ほら、ね?
早く乗って?」
「う、うん。」
すごく恥ずかしいけれど、乗らないといつまでもレナがそうやって待ってそうだったので、
しぶしぶおんぶされることにした。
レナの背中に乗ると、何だかよく分からない感触のものが当たっていることに気がついた。
「…?
何、コレ?」
「ん?
それは翼。」
「翼かぁ…。
へぇ〜。
…って翼?!
レナって空飛べるの?!」
「飛べるよ。
ちょっとだけなら。」
「へぇ〜。
翼って服が着られるほど小さいんだね。
もっと大きいかと思ってた。」
「本当はもっと大きいよ?
大きさが調整できるから、大抵はこのまま。
こっち来てから飛ぶことなんてなかったし。」
「飛行機、乗る必要なかったんじゃ…?」
「だからちょっとだけしか飛べないんだってば。
距離で言うと、女子寮から駅ぐらいまでかな…。
飛ぶのってすっごく疲れるんだよ?」
「そうなんだ…。
知らなかった。」
「当たり前じゃん♪
だってミーちゃん、翼ないもん。」
「そ、そうだけどさ…。」
「じゃ、このまま退場ゲートまで行こっか。
もう疲れちゃったしね。
あとはエマ達を待ってればいいもんね。」
足取りは先ほどまでと変わらず、普通にてくてく歩くレナ。
やっぱり力が強いんだろうな〜…。
レナの背中って以外に広い。
でも男の人みたいにガタイがいいってワケじゃない。
すごく華奢な体をしている。
それでも、僕と比べるとたくましく見えるだろう。
レナの髪が目の前にあるせいか、柔らかな石鹸の匂いがする。
その匂いは暖かいような甘いような…そんな感じがした。
何か安心できる匂いだ。
いつの間にか、僕はレナの背中で眠ってしまっていた。
「ミーちゃん?
ははっ、…寝ちゃったか。」
午後6時30分。
僕はふと目が覚めた。
ここは……どこ?
「あれ、ミーちゃん起きちゃった?」
体を起こすと、そこには暗くなり始めた空とレナがいた。
いかにも起きたばかりのような声で、僕はレナに聞いてみた。
「ふぇ?
ん……。
ここドコ?」
「駅のホーム。
これから電車に乗って帰るところよ。」
「そっか…。
ジョアンとエマは…?」
「あっち。」
レナが指差す方向を見ると、二人は自動販売機の近くで飲み物を飲んでいた。
「じゃあノールは?」
「…そこ。」
「ふぇ?」
レナが指を差した方向は僕の後ろだった。
ゆっくりと振り返るとかなりの近距離にノールの顔があった。
「わ、わわわわ…。
うわぁ!」
あまりにビックリして、僕は長イスから落っこちた。
どうやら僕は駅内の長イスに寝かされていたみたいだ。
「いったぁ〜…。」
「ははは、何やってんだよ!」
「ノールの顔がすごく近くてビックリしたんだよ!」
「じゃあ何か?
(レナの顔の方が良かったか?)」
「う、うるさいなぁ!
ところで、何で駅で留まってるの?」
「お前が起きるの待ってたんだっつの!
まぁ次の電車が来る前に起きなかったら、またおぶってもらって帰るつもりだっただけどな。
残念だったな〜、レナにおぶってもらえなくて♪」
「…………。
ご、ごめんねレナ!
重かったでしょ?」
「ん〜ん、大丈夫。
ミーちゃん軽いんだもん。
おぶって数分で寝ちゃったことにビックリしちゃった♪」
「ご、ごめん…。
何かすごく良い匂いで安心して……。
あ…、いや、な、何でもないよ!」
「ふふっ。
ありがと。」
「???」
間もなくして、電車がホームに入ってきた。
同じ遊園地帰りの客で溢れそうになるくらいの人の量。
何とか乗り込む僕達。
電車は僕達の町へ向かってゆっくりと走り出した。
本当に楽しいことをしていると時間が経つのが早い。
さっき出発したと思ったら、いつの間にかもう帰りの電車に乗っている。
それをちょっと切なく思うのは何でだろう。
「じゃあな。」
「うん、また今度ね。」
駅に着き、僕達はジョアン、エマ、ノールと別れた。
外出の際には、エマのお父さんに直接報告しないとお父さんが落ち着かないらしくて…。
で、ジョアンと二人で行くとお父さんが混乱しちゃうかもしれないからノールも。
ということで、三人でエマの家へ行くことになった。
僕は…レナを送っていかないといけないらしい。
三人が揃って同じこと言うものだから、そうせざるを得なかったわけ。
「今日は楽しかったね、ミーちゃん!」
「うん、そうだね。
おかげでちょっと高いところも慣れた気がする…。」
「じゃあ今度行く時はもっとたくさん高いの乗ろうね♪」
「…それは…ちょっと…。
観覧車くらいで勘弁してよ…。」
「ふふっ、そういうわけにはいかないかな。
…なんてね!」
「んもぅ〜…。
…今日は、ありがとね。」
「ん?」
「おぶってくれて。」
「そのこと?
もういいよ、別にさ。
ミーちゃんってすごく軽いし。
体重何キロ?」
「ん〜、前量った時40キロだった。」
「40キロ?!
身長いくつなの?」
「152センチ。」
「そっかぁ、私より10センチくらい小さいんだ…。
可愛い♪」
「か、可愛いって…。
レナは体重いくつなの?」
「ミーちゃん、女の子にそういうこと聞いちゃダメだぞ?」
「え?
そうなの?」
「そういうことはちゃんと知っておこうね。
でも…竜族ってちょっと重いらしいから…。
幻想族の人は平均身長とか平均体重とかものさしにならないの。
だからと言って、私の体重は教える気にはならないかなぁ。
ミーちゃんより重いもん。」
「そっか、じゃあ……。
あ、いや、何でもない!」
「なぁに?」
「な、何でもないよぉ!」
まさか、僕が下になるのって無理だね。なんてとてもじゃないけど言えない。
何かよく分からないけど、最近頭の中でそういうネタがよく出てくる。
ジョアンに…教えてもらったあの時から。
「ふ〜ん。
ならいいけど…。」
「へへへ。
あのさ、クレアドル公国に行くって話さ…。」
「ん?」
「本当に僕、行かなきゃダメ?」
「ダメ。
だってお父さんにもお母さんにも話しちゃったもん。
男の子が来るからよろしくね、って。」
「よろしくねって…。
それで大丈夫なの?」
「うん。
お母さんは、『そっかぁ、ならご飯いっぱい用意しなくちゃね』って張り切ってたよ。」
「お父さんは?」
「『おぉ、友達か。是非連れてきなさい』って。」
「僕……男だよ?」
「だから?」
「え?
だって…その……マズくないかなぁ…。」
「ミーちゃんだから大丈夫♪」
「その自信はどこから来るの…。」
「それに………。
ミーちゃんなら……。」
「え?」
「ん?
どうかした?」
「それは僕のセリフ……。」
本当に不信感を少しでも持った方がいいんじゃないか…?と不安になるくらいだ。
そんなに軽くて大丈夫なんだろうか…。
むしろ、そんな両親なら前レナから聞かされた話が何となく信じがたくなってしまう。
ほら、中等学生の時は固かったとか融通が利かなかったとか…。
「送りはここまででいいよ。
ほら、もう寮の目の前だしね。」
「え?
あ、本当だ。
何か話してるとあっと言う間に着いちゃうね。」
「そうね、本当に。
あの時誘ってくれてありがと。
あれが無かったら今頃家で一人ゴロゴロ過ごしてるとこだったよ。」
「どういたしまして。
…って言っても誘ったのはエマだけどね。」
「でもミーちゃんが言ってくれなかったら行かなかったよ、多分。
だからありがと。」
「僕もありがとうだよ。
おぶってもらって寝ちゃって…。
本当にごめん。」
「気にしないで。
大それたことしたワケじゃないじゃん。」
「十分大それてるよ…。」
「そう?」
「うん…。」
おぶってもらったことが恥ずかしくて、自然と俯いてしまう。
そんな時、またもや不純な考えが頭をよぎった。
『今日もキスしよ』って。
でも、前みたいに泣かれてしまうと辛いから、必死で僕はその考えを押し殺した。
レナが悲しむ顔なんて…見たくない。
そんなことを考えているせいか、会話に沈黙が入ってしまった。
さらに、またもや違う考えが頭をよぎった。
…そうだ、ずっと前からの疑問。
それであの時は一日中寝込んだりもした…。
僕の口は自然と開いて言葉を発した。
「あのね、えっと…。
ずっと前のことなんだけど……。」
「ん?」
その先を言う勇気はない。
けれど口は勝手に動く。
「社会見学の日……。」
「え…。」
レナの表情も、笑顔から困惑に少し変化した。
「何で……キス、………してくれたの?」
とうとう、聞いてしまった。
二度目にレナとキスした後からずっとそれだけが聞きたかった。
心のどこかで、それが発情期のせいではないと信じていたかったから。
「…………。」
レナが今までに無いような、困った顔をしている。
やっぱり……聞いちゃいけないことだった…。
言ったその瞬間に僕はもう後悔の念しか抱けなかった。
ほんの少しの沈黙のあと、レナは少し俯いて視線を落とした。
そして、優しい口調でこう答えた。
「ミーちゃんが……好きだからよ。」