その先にあるもの。

Story5 変わった僕


バタン。
…何が起こった?
何があった?
僕はレナに呼ばれて振り返っただけだ。
今でも残っているその時の余韻。
ふわっと香った石鹸のようなレナの良い匂い。
部屋に戻った僕は、頑張って事態の把握に頭をフル回転させた。
でも、頭では何一つ分からなかった。
いや、一つのはっきりとした事実だけが頭の中を何度も巡った。
レナが…キスしてきた。
僕にとって初めてのキスをしてきた。
それはあまりにも唐突で、予測不可能な事態だった。
レナと別れたあの時から、僕は何も見えていなかった。
ただただ何度も甦るキスの感覚。
僕はショックを受けたというより、不思議な気分になった。


「………。」


そっと自分の唇を触ってみる。
そこで気がついた。
手も、足も、唇も…。
全てがカタカタ震えていた。
理由は分からない。
主の僕の命令を無視するかのように、体は震え続けていた。
とりあえず体を何とか動かして、ローブをハンガーにかけるとすぐさまベッドに潜り込んだ。
これは夢だ。
どんな夢を見ているんだ。
いい加減に覚めるんだ!
僕は何度もそう自分に言い聞かせながら、ひたすら事実から逃げることしかできなかった。

次の日、僕は学校を休んだ。
何だか体が重いからだ。
よく分からない、不安定な気持ちだったし…。
そんな状態で勉強なんてできっこなかった。
だからその日はずっとベッドに入っていた。
時々切なくなって、何度も泣きそうになった。
眠って意識を深い闇の底に落とすことが、僕の唯一のその状態からの逃避だった。

気がつくと夕方の4時を回っていた。
流石に24時間何も食べてないとお腹が空く。
それでも僕の体は依然として動くことはなかった。
そんな時、呼び鈴が1回だけ鳴った。
誰だろう…。
そう思い、重い体をベッドから引きずり起こすと無言でドアを開けた。
…ジョアンだった。


「大丈夫か?
 何か体調悪いって先生に聞いたんだけど。」


ジョアンの姿を見た瞬間に、僕の目から涙が零れ落ちた。
理由は分からない。
その涙を止めることはできなかった。


「うぁぁ…。
 あぁぁぁぁあぁ…。
 わぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ!」

「おい、どうしたんだよ!
 何があったんだよ!」

「あぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


ジョアンに寄りかかって、僕はひたすら泣いた。
悲しくもないのに、目からは止め処なく涙が流れ続けた。
そんな僕をかばうように、ジョアンは僕を部屋に入れて慰めてくれた。
泣き始めて10分後、ようやく涙も止まりかけてきた。


「あうぅぅぅぅ。
 うぅぅぅ。」

「よしよし…。」

「あぁぁありがど…。」

「大丈夫か?」

「………うん、もう大丈夫…。」

「…何か、あったのか?
 お前が泣くなんて余程のことがあったんだろ?」

「……うん……。
 あのね……。」


僕はあの時起こったことを、思い出せる範囲で全て話した。
思い出せる範囲と言ってもたかが知れている。
僕でも未だに何が起こったのか理解できていないのだから。
ジョアンも驚きはしたものの、真剣に僕の話を聞いてくれた。


「…へぇ〜…。
 あのレナがね〜…。
 今日、彼女が何かそわそわしてたのが分かった気がした。」

「レナ、どうしてた?」

「ん?
 まぁ普通と言えば普通だったけど…。
 珍しくずっと困った顔してたな。」

「そう…。
 じゃあやっぱり僕がレナを困らせてるんだ…。
 僕が悪いんだ…。」

「ちょ、ちょっと待てよ!
 誰が悪いとか、そういう問題じゃないだろ?
 …で、どうする?」

「…どうするって?」

「…そっか、まだ分かんないか。
 まぁ、今日はゆっくり休んで明日に備えろよ。
 な?」

「う、うん。」

「…元気出せ、な。」

「うん。」


そう言って立ち上がろうとしたジョアン。
何故か怖くなって、僕はジョアンの腕をぐっと掴んだ。


「ミック?」

「ジョアン、夕御飯まで君の部屋に行ってていい?
 僕、一人になるのが怖いよ…。」

「……分かった。
 ついでに今日授業でやったとこも教えてやるよ。」

「ありがとう。」


その後、僕は夕御飯を食べ終わって自分の部屋に戻るまでずっとジョアンの隣にいた。
一人になるとあの切なさがまたやって来るんじゃないかって。
不安だったから…。
でも、ジョアンのおかげで大分落ち着いてきて、あの切なさを感じることもなく眠りについた。
…明日、どんな顔してレナに会えばいいんだろう。


 

その次の日、無理言って僕はジョアンと一緒に学校に行くことにした。
一応何があっても良いようにね。
…何もないとは思うけど。
教室に入ると、目の前に現れた顔に僕はすごく驚いた。


「オハヨ、ミーちゃん♪」

「わ、わぁ?!
 …レナ…。」

「どうしたの?
 オ・ハ・ヨ♪」

「うん、おはよう。」

「昨日休んでたけど、大丈夫?」

「…。」

「あっほら、コイツまだ病み上がりだから。
 ちょっと元気ないんだ。」

「そっか。
 分からない所があったら私が教えてあげるからね。」

「うん、ありがと。」


本当に驚いた。
何もなかったかのように話しかけてきたから…。
…僕の気にしすぎだったかなぁ…。


「レナ、普通だな。
 昨日までとは大違いだ。」

「うん、普通だね…。
 僕、何を悩んでたんだろう…。」

「………。
 とりあえず向こうが普通にしてるんだし、普通にしとけよ。
 な?」

「うん。」


その日はやっぱり普通だった。
何一つ変わらない1日だった。
何度もレナが話しかけてきたけど、何故だか普通に受け答えができた。
僕は一体昨日何をしてたんだろうって思うくらい。
やっぱり僕が悪いのかなぁ…。

今日の放課後はレナと勉強することになった。
レナが休んだ時の授業の内容を教えてくれるらしい。
…ジョアンに教えてもらったけど。
でも断るわけにもいかないし、今日の復習も兼ねてやることにした。


「へぇ〜、すごいね。
 まるでもう知ってるみたい!」

「うん。
 実はね、昨日部屋にジョアンが来た時に教えてもらったんだ。
 だから知ってたの。」

「そっか…。
 なら言ってくれれば良かったのに…。」

「だって、断っちゃまずいかなって思って…。」

「やっぱり優しいんだね、ミーちゃんは。」

「…。」


思わず照れてしまう。
俯いて頭を掻いている自分の顔が、何となく赤くなっているのを感じた。


「本当に大丈夫?
 病気、治った?」

「う〜…ん。
 分かんない。
 でも体の重さもなくなったし…。
 それに、気持ちも安定してきた。」

「気持ち?
 何で?
 不安定になってたの?」


これは嫌味なんだろうか?
それとも単に無神経なんだろうか。
それが僕には分からなかった。


「ん。
 まぁそんなとこ。」

「そっか、早く治るといいね。」

「うん、ありがと。」


僕は聞くことができなかった。
そんな勇気がどこからも出なかった。
何でキスしたのかって…。
まずその話題になるべく触れたくなかった。


「病み上がりで辛いならもう帰る?
 帰った方がいいんじゃないかな…。」

「まだ大丈夫だよ。
 それに明日の予習もしなくちゃいけないし…。」

「明日の予習?
 明日は学校お休みだよ?」

「へ?」

「ハハハ、ミーちゃんらしいね!
 明日は学校の設立記念日でお休みなんだってさ。
 今年からそうなったみたい。」

「そっか…。」

「じゃ、明日も買い物に付き合ってもらっちゃおっかな。」

「え?
 またぁ?!」

「うん。
 いいでしょ?
 だって明日から3連休だもん。
 明日からはもう7月なんだし…。」

「7月ってのは関係ないんじゃ…?」

「いいじゃん。
 たまには離れた町で買い物したいって思ってたんだ♪」

「…はぁ。
 今度は何を買うの?」

「ん?
 服とか…。」

「服って…。
 今度は辞書じゃないんだ?」

「私だって服くらい買うよ〜。
 ほら、私国外から来たから荷物少なくってさ。
 夏用の服、持ってくるの忘れちゃって…。
 それに…。」

「それに?」

「ミーちゃん、地元の人でしょ?
 良い服屋さん知ってるよね!」

「…まぁ一応…。
 エマの買い物にも付き合ったことがあるし…。」

「決まり!
 じゃあ今日は早く寝て明日に備えなくっちゃね。
 病気のまま来たら許さないんだから!」

「ははは…。
 じゃあ何時から行くの?
 それによっては考えなくちゃいけないし。」

「もちろん、午前中のうちから!」

「えぇ?!
 一日中買い物に時間を使う気なの?!」

「そうよ。
 女の子の買い物は時間がかかるの、知ってるでしょ?」

「うん、エマもそうだったしね…。」

「はい、全部決まり!
 じゃあ片付けて帰ろ?」


やはりいつも通りのレナ。
それにいつも通りの僕がここにはいた。
そっか、別に意識しなければ問題ないか。
しかし、その考えが間違ってるなんてこの時点では思いもしなかった。


「じゃ、明日の朝10時にミーちゃんの部屋に行くからね?
 準備、しとかなきゃダメよ?
 じゃね?」

「うん、バイバイ。」


正門でレナに向かって手を振った。
こちらを見ながら手を振るレナに僕はドキッとした。
またこの前みたいなことが起きるかも知れないって思ったから。
でも、今回は無かった。
それを少し残念だと思った僕自身が分からなかった。
部屋のドアの前でカギを入れた瞬間に、またもやジョアンと遭遇した。
はぁ、ジョアンもけな気だねぇ…。
毎日エマのところに行くなんて。
ジョアンは夕御飯の30分前になると帰ってくるんだ。


「あ、お帰り。
 どうだった?」

「どうって?
 …ん…普通だった。」

「すごいな〜お前は。
 キスされて普通で居られるお前はすごいよ!」

「ちょ、ちょっとジョアン!
 そんな大声で言わないでよ!」

「でも事実は事実だろ?
 そろそろいい加減に受け入れたらどうだ?
 何も変わってないならいいじゃん。」

「う、うん…。」


その時、どこかから懐かしい大きな声が聞こえてきた。


「何ぃ?キスだぁ?!」

「うわぁ!
 …ノールじゃん!
 久しぶり。
 隣のクラスなのに随分会わなかったね〜。」

「まぁオレは恋を求めて彷徨う放浪者だからな。
 ハッハッハ!」

「ははは…。
 放浪者ね…。
 随分変わったね…。」

「オレは過去を顧みないからな!
 目の前にある恋と言う光を求めて爆走中さ。」

「まぁせめて暴走にならないようにね。」

「ところで今ジョアンからキスという単語が聞こえてきたぞ?
 まさかジョアン…。
 もうそこまで行ったのか?!」

「お、俺は別に…。
 ミックが…!」

「あぁ、ちょ、ちょっとジョアン!」


言いかけるジョアンの言葉に僕の制止が間に合わなかった。
…はぁ…。
まだ知られたくないのに…。
ましてやまだ日も浅いのに…。
その上僕はまだ心が不安定なままだよ?
何でも知りたがりのノールが放っとく訳が無かった。


「ミック〜…。
 ちょっとこっち来いよ。」

「あぁ、ちょ、ちょっと!」


ノールは僕の部屋の鍵を開けると、僕を引きずって中に押し入ってきた。
心配そうにジョアンも中に入ってきた。
はぁ、何から話せばいいんだよ…。


「ジョアン、お前はエマのところ行かなくていいのか?」

「だってミックが心配だから。
 お前に何されるか分かったもんじゃねぇもん。
 エマには分かってもらえるさ。」

「ノール〜。
 そろそろ離してよぉ〜…。」

「あ、わりぃ。」

「うひゃぁ!」


どすんとお尻から床に落ちた。
やっぱり荒いのは変わってないようだ。


「よし。
 じゃあさっきのは何だ?
 キスって何のことだ?」

「えぇ?!
 本当に言うの…?」

「お〜ま〜え〜。
 オレも親友の1人だろ?
 何でのけ者なんだよ!」

「うっ。
 …そっか。
 じゃあ言うよ…。」

「いいのか、ミック?
 まだ落ち着いてないんだろ?」

「でもノールも聞く権利はあると思う。
 僕たち、親友だし…。
 あのね…。」


僕はジョアンに話した時と同じようにノールに思い出せる範囲で話した。
…これ以上の漏洩はご遠慮願いたい。


「えぇ?!
 レナ・ブルーデンス?!
 あのスーパーかわい子ちゃんだろ?」

「…最近言わないね、それ。」

「そんなのどうでもいいんだよ!
 …また他人に取られちまったよ…。」

「また?
 何それ?」

「オレもレナって子狙ってたんだよ!
 忘れねぇぜ、廊下ですれ違った時の何とも言えない良い匂いは…。」

「ははは…。
 オレもって…まるで僕が狙ってるみたいじゃん。」

「え?
 違うのか?
 とうとう恋に目覚めたんじゃないのか?
 この羨ましいシチュエーションに遭遇しやがって!!!」


ノールの鋭い正拳突きが見事にクリーンヒットした。


「ぐへっ!
 …うぅ…痛い…。」

「あ、あぁスマン!
 でもなぁ…。
 それ、最高に羨ましいんだぞ?コンチクショーめ!」

「えぇ?」

「うん、俺もそう思う。」

「ジョアンもぉ?
 僕、そういうの分からないから…。」

「オレもそうやってファーストキス奪われてぇなぁ…。」

「ファースト…キス…。」


その言葉を言った瞬間に、すごい勢いで顔が熱くなるのを感じた。
いきなりあの場面が思い出されたから…。
気がついたら当たっていたレナの唇。
ただ柔らかくて暖かくて…。
今思い返してみると、そんな感じだった。
もう、そんなの思い出させないでよ!


「ハハハ。
 ミック、顔真っ赤だぞ?
 可愛いな〜。」

「ウブだね〜。」

「………。」


ますます赤面してしまう。


「で、次のキスはいつするんだ?
 明日か?
 明後日か?」

「ノール、そんなこと聞くなよ。
 大体ミックはしたくてした訳じゃないじゃん。」

「……キスなんかしないけど…。
 明日、レナと一緒に隣町まで買い物に行くことになってる。」

「マジでか?!
 じゃあ次のキスは明日だな♪」

「そ、そんなつもりないよ!」

「買い物って…よく行く気になったなぁ…。
 そんなことあった後に…。」

「気にしなきゃ問題ないかなって思ったから。」

「気にしなきゃって…気になるだろ。」

「う〜ん、頑張れば何とかなりそうだし…。」

「お前、どんな強固な精神持ってるんだよ。」

「…あのさ、ジョアン?」

「ん?」

「エマのとこ、行かなくていいの?
 もう7時になるよ?」

「…あぁ?!
 流石にまずいか…。
 じゃ30分したら戻ってくるからな!」


急いで部屋を抜け出していくジョアン。
本当にけな気だと思う。


「…ノール、いつまで居るつもりだよ。」

「え?
 やっぱダメ?」

「ダメ。」

「ちぇ〜。
 ま、じゃあオレはまた新しい娘見つけようかな〜。
 頑張れよ。」

「が、頑張れってそんな…。」


バタン。
…ふぅ、やっと落ち着いた。
………。
恋なんて……まだ良く分かんないよ……。
しかし、僕の中で渦巻いているものは確実に前より大きくなっていた。
レナは…僕の中で恋愛対象なんだろうか……。
はっきりと断定できたことが、今になってすこしずつあやふやになってきた。
何だろう、この曖昧な感じは…。
僕は、また独り切なさに身を震わせながら耐えていたのだった。

次の朝、僕はとてつもなく早く起きた。
何故か目覚めてしまったのだ。
何で僕はこんなにそわそわしているんだろう。
何だか落ち着かない。
部屋の中をうろうろしながら、持っていく物を確かめる。
…って僕は何も持って行く必要がない。
お金が少しあれば問題ないじゃないか。
何でこんなに落ち着かないんだ。
そういえばまだ朝ご飯さえ食べていなかった。
食堂で何か食べようと思って、ドアをがちゃりと開けると同じタイミングでジョアンも顔を出した。
本当によく会うな〜と思う。


「ジョアン!
 おはよう。」

「うん、おはよ。
 朝早いんだな。
 って言っても8時過ぎてるけど。」

「実は2時間前から起きてるんだけどね。」

「早っ!
 そんなに早く起きて何してんだよ。」

「分かんない。
 ずっと…あ、いや、何でもないよ。」

「ふ〜ん、粗方アレだろ?
 今日のデートの段取りでも決めてたんだろ?」

「そ、そんなことないよ!
 まぁ…ちょっとくらいは……考えてたけど……。」

「ハハハ!
 本当に可愛いやつだな、お前。」

「う〜、うるさいなぁ!
 ジョアンもご飯食べに行くんでしょ?
 早く行こ!」

「そうだな。
 じゃあ行くか。」


あの事件が起きてから、妙にジョアンがいじってくる。
一体何でだろう。


「そう言えばジョアンってさ、何で今日はこんなに早いの?」

「ん?
 まぁ…ちょっと…。」

「あぁ〜分かったぁ!
 どうせエマとどこか行くんでしょ〜?」

「…まぁそんなところ。
 半分は合ってるよ。」

「半分?」

「…。
 (本当はエマとお前ら二人の尾行だけどな)」

「何?
 何でニタニタしてんの?」

「な、何でもないって。」


う〜ん…。
どうも怪しい。
ああいう顔の時って、絶対に良いことは考えてないんだよね。
僕を学級委員にした時も然り。
はぁ…落ちつかないなぁ…。

もうすぐ時計が10時を指そうとしていた。
その時の僕の心持ちは…。
何かこの世界にいるような気分ではなかった。
そわそわしてるし、何か地面を歩いている気はしないし…。
何でこんなことになってるんだろう。
自分でもよく分からない。
そんな時だった。
ピンポ〜ン。
呼び鈴が鳴り、僕は考えるよりもまず先に体が動いた。
こんなこと、初めてだ。
ドアを開けると、そこには私服姿のレナが立っていた。
それを見て、僕は純粋に可愛いと思った。


「ミーちゃん、オハヨ♪」

「おはよう。
 時間ピッタリに来たんだね。」

「うん。
 ミーちゃんが待ってるんじゃないかって思ってね。」

「そんな…。
 別にゆっくり来ても良かったのに…。」


自然に出た今の言葉。
何故だか今の自分とは逆のことを言っている気がした。


「そういえば…どう?これ。」

「何が?」

「コレ!
 服!
 ミーちゃんの為におろしてきたんだよ、コレ!
 夏用ってこの新しいのしかないから…。」

「うん。
 か、か、可愛いね…。」

「ありがと♪」


可愛い。
それだけの単語が、僕の口から上手く発することができなかった。
口に何かが詰まってるみたいだ。


「さ、行こ!」

「うん。
 隣町で良かったよね?」

「ミーちゃんに任せる♪
 デートの段取り、決めてくれておいたんでしょ?」

「で、デート?!
 デートなんてそんな……。」

「え?
 男女で町歩くことのどこがデートじゃないの?」

「知らないよ〜。
 そんなのしたことないもん。」

「えぇ?!
 じゃあこの前辞書買いに行ったのは何だったのよ。」

「えぇぇぇ?!
 あれってデートなの?!」

「少なくとも私は思ってるよ。
 さ、行こ!」


レナは僕の手を引きながら走った。
それだけなのに、僕の顔から何故だか笑みがこぼれた。
何だろう、この感じ。
どうしたんだろう、僕は。

電車に乗って、隣町までやってきた。
僕らが今住んでる町は、学校が中心に栄えているらしく、お店と言うのはそんなにない。
ここはそれとは違い、大体何処を見ても何かのお店なのだ。
つまり…買い物通りの町版って感じかな。
僕は過去の記憶を頼りに、女の子の好きそうな服屋さんを回っていくことにした。
まず一軒目。


「…ここが確かエマに連れてこられた服屋さんの一つ。
 どう?」

「んっと…。
 何か感じが違うのよね〜…。
 よし、次行ってみよう!」

「分かった。
 ここにはたくさんお店があるし、ゆっくり考えようよ。」


この後お店を転々とするが、レナは外に並べてあるほんの少しの商品を見るだけで、
お店に入っていくことはなかった。
そうやって回っていると、いつしか僕は空腹感を感じてきた。
それはレナも一緒だったみたいで…。


「ミーちゃん、お腹空かない?」

「うん。
 何か食べよっか?
 何がいい?」

「私さ、まだこっち来て1回も食べてない物あるんだ〜。」

「何?」

「ずっと好きな物なんだけどね…。
 カレーライスなの。」

「カレーライス、好きなんだ…。」

「うん、大好き♪
 …ミーちゃんは好きなもの何なの?」

「僕は特に無いよ?
 嫌いな物も無いけど。」

「そっか。
 …………思ったのになぁ…。」

「ん?
 何か言った?」

「何でもないよ♪
 カレー屋さんってこの近くにある?」

「うん。
 美味しくて安いお店を知ってるよ。
 じゃあそこに行こっか。」


カレーライスか…。
そういえば僕も最近食べてなかったっけ。
寮の食堂にはカレーライスなんて無いからね。
ハンバーグはあるんだけど…。
その辺の基準が分からない。
とりあえず僕たちは、近くにあるカレー屋さんに向かって歩き始めた。


 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆同時刻◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 

「あの子達…買い物もしなくて何やってるのかしら?」

「さぁ?
 あ、どこかに歩き始めたみたいだぞ…。
 行こう、エマ!」

「えぇ!」


今日は本当はエマとデートのはずだった。
しかし、ミックもレナとデートだという情報を掴んだので急遽変更。
エマもミックのことが気になっているのか、快く承諾してくれた。
そりゃそうだよな〜。
あいつの口から恋なんて言葉は今まで出なかったから…。
まだその感情を認めてないのか、それとも恋として分かっていないのか…。
そんな曖昧なミックがかつての自分にそっくりで、最後まで見届けてやりたくなった。
それでこうして尾行をしているわけだ。
勿論ただ尾行しているわけではない。
俺たちもそれなりに買い物を楽しんでいる。
目的はミックの様子見だが、デートも欠かさないのだ。


「あいつら…どこ行くつもりだろうな?」

「時間帯からいくと、お昼御飯よね?
 こっちの方向って確か……カレー屋さんしか無かったんじゃないかしら?」

「カレー?!
 また子どもっぽい物を食べに行こうとしてるんだな…。
 もうちょっとこうムーディーな店に行けばいいのに…。」

「ほら、ミックってデート経験無いから…。
 じゃあ私達もカレー、食べましょうか。
 お腹も空いてきたし…。」

「そだな。」


 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ミックサイド◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 

こじんまりとした、古風なお店に入った。
そこが意外に穴場の美味しいカレー屋さんなんだ。
僕たちはお店の奥の方に座って、一緒にカレーを食べた。


「あ、本当だ♪
 本当に美味しいじゃない!」

「そうだよ。
 最初に言ったじゃんか〜。」

「久しぶり〜。
 こうしてカレー食べるの…。」

「僕もそうなんだ。
 2ヶ月ぶりくらい。」

「私なんて半年も食べてないんだから!
 …アハハ!
 ミーちゃん御飯粒付いてる!
 可愛いねぇ♪」

「え?
 どこ?
 どこどこ?」

「こ・こ♪
 …はい、取れた。」


僕のほっぺに付いていた御飯の粒を口に入れてレナは笑った。
何かものすごく恥ずかしい。


「………。」

「何赤くなってるのよ!
 本当に可愛いわね〜♪」

「そうやって僕をいじらないでよ…。
 最近皆そうなんだ。
 学級委員をやり始めたらさ、寄って集って僕をいじるんだ。
 いつの間にいじられキャラになったのかなぁ…。
 いやさ、僕たちの中ではいじられキャラはノールってことになってたんだよ。」

「皆から可愛がられてるんでしょ?
 いいことじゃない。」

「そう?
 どこで役回り間違えたのかなぁ…。」


そうなんだ。
本当に最近になってからやたら皆が絡んでくる。
あのエマも…。
時々四面楚歌ってこういうことかなと思ってしまうくらい。
まぁ僕も特別嫌がらないから余計にやってくると思うけど。


 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ジョアンサイド◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 

「な、何やってるんだよあいつら!」

「…本物の恋人同士みたいね…。」

「あんな新鮮なミック初めて見たなぁ…。
 この瞬間を何かに収めておきたいのに…!」

「ふふふ!
 本当にね!
 随分可愛らしいじゃない。」

「そう考えると、あのミックを変えたレナは相当押しが強いんだな…。
 そうなるとキスしたのも必然ってワケか。」

「あのレナがね〜…。
 明るい元気な子だけど、そんな意外な一面があるなんて知らなかったな〜。」


 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ミックサイド◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 

カレーを食べた後、また同じようにお店を転々とした。
それでもレナは何を買うそぶりも無く、ただ眺めているだけの様に見えた。
服が欲しいって言っていたのに、本当は欲しくないんじゃないかって思えるくらいだ。
そんな気がして、思い切って僕はレナに聞いてみることにした。


「レナ…。」

「ん?何?」

「本当に服買う気、ある?」

「あるよ。
 どうして?」

「だってさっきから眺めてばっかだもん。」

「欲しいのがないからよ。」

「…どんなのが欲しいの?」

「ん〜…、こう涼しげで軽そうな…。
 あぁ、色は真っ白ね。」

「…あぁ…。
 じゃあ、あのお店かな…。」

「どこか知ってるの?」

「うん。
 僕が服買うところ。」

「それって男性向きじゃない…。」

「大丈夫、女性向けの服も売ってるから!
 さ、行こ!」

「うん!」


もしかしたら、僕とレナは服の趣味が一緒なのかもしれない。
何となくそう思った。
お店に着いてみると、思ってた通りにレナが食いついてきた。


「そうそう!
 こういう感じ!
 先にここに来てよ!!!」

「まさか同じ服のセンスしてるなんて思ってなかったから…。
 しかもエマとはここに来なかったし…。
 ほら、僕と同じセンスしてる人って結構少ないから。」

「へぇ〜。
 あ、これ可愛い!」

「…はぁ。
 女の子の買い物モードだね。」


女の子は自分の好きな服に遭遇すると、すごくテンションが高くなる。
それを僕は買い物モードと呼んでいる。
この状態に入ると、大抵の女子は無我夢中になって服選びをするんだ。
こういうのにはエマで慣れているので、僕は横でひたすら相槌を打つのだった。


「…ふぅ!
 今日はいい買い物できた♪
 ありがとね。」

「どういたしまして。
 本当に驚いたな〜…。
 僕と同じセンスの人って。
 やっぱり白を重視するんだよね。」

「そうそう。
 私、白が一番好きなの。」

「僕も。
 ハハハ!」


既に夕暮れが出ている時間になった。
7月になったばかりとは言っても、日が落ちるのも随分遅くなったものだ。
電車の中で窓に寄り添いながら見る夕暮れは、いつもとは違う印象を受けた。


「今日も夕暮れが綺麗ね…。」

「うん、綺麗だね…。」

「あのね、ミーちゃん。」

「ん?何?」

「…ありがとう。」

「何が?」

「ん〜、いろいろ!」

「何それ〜?!」

「ふふっ!」


そんな他愛の無い会話。
何をありがとうって言われたのか分からないけれど…。
そう言われてすごく嬉しかった。
何故だか嬉しかった。
この気持ちをずっと取っておきたいって思った。

僕達の町に帰ってくる頃には、夕暮れももうすぐ消えそうだった。
それを見て少しドキリとした。
またあの時のことを思い出したから…。
とりあえず、僕はレナを女子寮まで送っていくことにした。
最近不思議に思うのだが、僕は元々会話をすることがそんなに得意ではなかった。
でもレナとだけは違った。
次から次へと話題が出てきて、溢れそうになって…。
話のネタが尽きることが無かった。
本当に何故だろう…。
そして僕の中に渦巻くこの感情は何だろう…。
女子寮の前まで来ても、僕達はまだ向き合って話をしていた。


「本当に今日はありがとう。
 おかげでいい服買えてよかったよ!
 これで夏は過ごせそう。」

「それは良かった…。
 最初は服買うつもりないんじゃないかって思ってたんだけど…。」

「だから違うって言ってるじゃない。
 ちょっと私の目に止まる服が無かっただけ。」

「そっか。
 …また服に困ったら言ってね。
 僕もついてくから。」

「ふふ、ありがとう。
 じゃあね。」

「うん…、バイバイ。」


そう言って僕はレナに手を振った。
ここまではあの時と同じだった。
でも、今回は僕が違ったんだ。
僕は何も考えることなく、言葉を発した。


「れ、レナ!」


理由は分からない。
何故か引き止めなければいけないような気がしただけだ。


「ん?
 何?」


僕はレナのもとに小走りで近寄った。
ここまで来て、僕は何も言葉が出なかった。


「あの…その……。」

「ん?」


レナの顔が僕の正面までやって来ていた。
その時、僕は何を思ったのかよく分からない…。
でも、考えるより先に体が動いていた。
今度は、僕からキスをしていた。
この前した時よりもずっと長く…。
ただ唇を押し付けていた。
その時ふと目を開けた僕が目にしたのは、レナの目から零れ落ちる涙だった。
瞬間的に飛びのいて、僕は焦った。


「ご、ごごご、ごめん!」

「…本当に…ありがとね…。
 …バイバイ…。」


震えた声で、レナはそう言い残してマンションの中に入って行ってしまった。
何を感謝されたのかは分からない。
ただ、僕は夢中でキスをしていただけだった。
理由も分からないままキスをしただけだった。
その僕に向かってありがとうって…。
悪い気はしながらも、僕はまたキスの余韻に浸っていたのだった。
これが、この後の目まぐるしい変化の序章だということに気がつかないまま…。

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