皐月






 薄暗い空の中、雨はしとしとと降り続いている。季節は梅雨に入り、雲はいつまでもその涙を流すことをやめなかった。毛皮を持つ獣人たちは皆自分達の家に引きこもり、一刻も早く雨が止むことを願う。




 ここにもそんな一人の犬人がいた。名をイヌイという。
 白いカーテンを片手に曇り空を恨めしげに見上げる彼は、外気を嗅ぐかのように鼻をガラスに押し付ける。窓ガラスは鼻息で白く曇ったが、彼は特に気にしなかった。


 彼がいるのはよくチラシで広告されているような、そんなごくありふれたマンションの一室だった。備え付けの家具に加えていくつか棚が置いてあるだけで、後は何一つ目を引くような物はない。部屋の隅に置かれた花瓶は空で、もう長いこと受け入れるべき花を持っていないようだった。




 そんな部屋のほぼ中心あたりにある大きめのソファには虎人が座っている。名を、トラという。
 大柄な虎人である彼は鏡を片手に自分の髭を弄り、湿気でみっともない格好に折れ曲がってしまったそれをどうにかまっすぐにしようと試行錯誤しているようだった。
 イヌイはそんな彼の隣に座り、鏡を横から覗き込む。鼻息で白く曇った鏡にしかめっ面を映して、トラは横の邪魔者を引き離した。
「邪魔だ」
「暇なんだよぅ」
「知らん」
 ぐすん、と拗ねるイヌイを無視してトラは鏡を拭き、再び自分の髭のセットに専念しようとする。そんな彼にくっついて、今度は鏡を曇らせないように気をつけながらイヌイは鏡を覗き込んだ。
「髭なんか気にしなくてもトラは十分かっこいいよぅ」
「……」
 トラは聞いているほうも恥ずかしくなるような恥ずかしい台詞を無視して自分の髭をピンと弾く。だが、その太い縞々尻尾はソファの上でしっかりうねっていた。
 そんな兆候を見逃さず、イヌイはここぞとばかりにトラにおねだりする。
「何かしよ?」
「……」
「ねーねー、何かしようってば」
「……」
「ねえってば」
 このままだといつまでもおねだりしていそうな犬人に根負けし、トラはついに鏡を放り投げて彼に付き合ってやることにした。
「じゃあイヌイ、お前は何がしたいんだ」
 相手をしてもらったことがよほど嬉しかったのか、イヌイは尻尾を振って考える。
「何か暇つぶしになるようなこと」
「例えば?」
「……さあ」
 何も考えていなかったのか、イヌイは眉根を寄せて考え込む。無計画な隣席者を押しのけ、トラは台所で水でも飲もうかと立ち上がった。
「ッ!」
 が、仮借なく尻尾を引っ張られて再びソファに座り込む羽目に陥った。かっとなって犯人の胸倉を掴んだトラだったが、そのあふれんばかりの笑顔に毒気を抜かれて口を噤んでしまう。
「えっちしよ?」
 そう来たか。トラが内心で嘆息している間にも限りなく変化球に近いストレートの投手はトラの膝の上に乗っかって口付けを要求する。肩に手をかけ、顔をぎりぎりまで寄せておきながら、その次の動きを見せずに自分を見つめるだけの彼にトラは遂に観念してその体を抱き寄せた。何度も合わせた唇を再び重ねると口の中に苦い味が広がる。コーヒーだろうか、などと考えている間に長い舌がずるりと滑り込んできた。貪婪なそれは勝手に鋭い牙をなぞり、歯茎の味を確かめているようだった。




 しばらく好きにさせた後、自身も興奮してきたトラは反撃に転じる。好き放題していた舌を自分の舌で上から押さえつけてやるとすぐに大人しくなった。そのまま舌を押し戻し、今度は自分の舌を差し入れる。口付けた瞬間は苦いと感じたはずなのに、こうして味わうイヌイの唾液は苦くもなんともない。舌が慣れたんだろうか、とトラは鼻息を荒げながら妙に冷静な部分で考える。
 抱擁とキスで攻められている間にイヌイは空いた膝をトラの股間に押し付けてぐりぐりと擦りつける。はじめはおとなしく押し潰されていた気の毒な息子も、親の興奮も相まって反撃のためにゆっくりと立ち上がった。くふん、とイヌイはトラの反応に満足して目を細め、トラはそんなイヌイをますます強く抱きしめる。




「っは……」
 長い口戯の後に息を漏らしたのは、果たしてどちらだったのか。口元から垂れた唾液を拭いもせず、イヌイは妖艶に微笑んで自分の服に手をかける。目の前で始まったストリップにトラの息子はますます興奮し、黒いズボンにその巨砲の姿を浮かび上がらせた。 ベージュ色の毛皮は電灯の下でやけに黒く見える。一糸纏わぬ姿になったイヌイの体は本人が言うところの「あんまり意味ない」筋肉に覆われ、世の中で十分魅力的な部類に入ると思われた。その股間にあるものはその鎌首をもたげ、その先端に僅かな滴をつけている。トラの太い指にその滴を弾かれてイヌイは切ない声を漏らした。




 身を妖しくくねらせて誘うイヌイを無視してトラは立ち上がり、風呂場の方に消える。てっきり今すぐ抱いてもらえるものと思っていたイヌイはぽかんとしながらその後姿を見送った。
「トラー?」
 がさごそと何かを探しているらしいトラに呼びかけても返事がない。何考えてるんだよぅ、とイヌイは鼻を鳴らしてソファに身を沈める。一度火の点いた体には抑えがたい疼きが広がりイヌイの理性をゆっくりと蕩かしていく。このままでは不完全燃焼のまま自分だけで気持ちよくなってしまいそうだ。そうするのも悔しかったのでもう一度名を呼ぶと、今度はちゃんと返事があった。
「待ってろ」
「萎えちゃうよぅ」
「自分で擦ってろ」
 いくらなんでもこの返事はあんまりだ。勃たなくなるまで搾り取ってやる、とイヌイは復讐の決意を固めて自分の下半身に手を伸ばした。
「んっ……」
 指先で自分の分身を軽くなぞる。柔らかな獣毛の感触に大喜びのそこは先端からとろりとした蜜を垂らした。それを空いた右手で取って袋の下でひくつく菊門に塗りこむ。その単純な作業を何度か繰り返している内に使い慣れたそこは抵抗なく指を一本飲み込んだ。ずず、とまずは人差し指を奥まで侵入させながらイヌイは深い溜息を漏らす。トラが立てる音がやけに遠い世界のように感じられた。棹への刺激は一旦中断して袋を揉みほぐし、穴から広がってくるじんわりとした熱を味わう。とはいえ、やはり本物を突っ込まれたときに比べたらまだまだ足りなかった。




 指をもう一本入れようとしたところで、探し物を見つけたらしいトラがやっと戻ってきた。遅いと目で訴えるイヌイの前でトラはニタリとなんとも不気味な笑いを浮かべる。最近の湿気で脳が黴たんだろうかとちょっと心配になったイヌイだったが、口に出すと殴られそうなのでやめておいた。
「何してたの?」
「探し物」
 そう言われればトラが後ろ手に何か隠している。それが何なのか見ようにも虎縞尻尾がゆらゆらと揺れてよく見えない。
「それ何?」
「何だと思う?」
「あんぱん」
「……」
 何一つ疑いのない目つきで断言する目の前の犬人にトラは自分の中の煩悩と愉快な仲間達が急速に昇華されていくのを感じた。
「……あのな。何が悲しくて今からヤるって時にお前にアンパン食わせるんだよ」
「ほら、あんぱん食べて元気出してえっちしようねーって」
「……」
 本格的に萎えてきたトラを尻目にイヌイは尻尾を振って催促する。こいつ梅雨で脳味噌カビてんじゃないか、とトラはさっき自分に対して発されたのと同じ疑念を抱いた。




 トラが取ってきたのはただの白いタオルだった。予想外のアイテムの登場にイヌイは首を傾げてそのタオルの正体を見極めようとする。
「……何これ」
「タオルだ。見りゃ分かるだろうが」
「これで縛るの?」
「アホ」
 見当違いなことを言うイヌイの手にタオルを押し付けてトラは自分の服を脱ぎ出す。目の前のストリップに興奮してイヌイの視線はそこに釘付けになり尻尾はばたばたと左右に振られていた。
 強くなった雨音に紛れて衣擦れが響く。やがてトラは全ての服を脱ぎ捨ててイヌイの前に立った。虎人ということを差し引いても十分筋肉質な体にイヌイは思わず手を伸ばしてその隆起を確かめる。しばらく好きに体を触らせていた後、トラは腕を引っ張ってイヌイを立たせた。
「ここでするぞ」
「汚れちゃうよ?」
「何のためにタオル取ってきたと思ってんだよ」
「タオルオナニー?」
「……」
 バカらしくなってきたトラはイヌイの肩を抱き、噛み付くようにキスをする。互いの犬歯が当たって立てた小さな音は雨音に掻き消されてしまった。
「ん……」
 腕の中で身じろぎする自分より頭一つ分小さな体を抱き、トラはそっと尻尾を絡ませる。長い虎人の尻尾を短い犬人の尻尾に絡めるのは一苦労だったが、こうするのが一番好きなのだから仕方ない。
「尻尾くすぐったいよぅ……」
「嫌か?」
「ぜーんぜん。トラがしたいんなら、いいよ」
 自分の胸に顔を擦りつけて甘えてくるイヌイに興奮してトラはケダモノじみた唸り声を上げて首筋を舐める。下半身の硬茎もしっかり成長してその先端部分から漏れ出る液でイヌイの毛皮に染みを作っていた。
 ひとしきり互いの体温を感じあったところでイヌイは身を離しソファに手をつく。目の前の少々小さめな尻と、その中心で獲物を求めるイソギンチャクのように蠢く雄穴にトラはゴクリと喉を鳴らした。
「もう、挿れてよぅ……」
「慣らさなくていいのか?」
「トラが焦らすから……」
 イヌイが軽く腰を振って見せるとケダモノはすぐさまその上に圧し掛かった。先走りでぐちょちょになった先を穴にあてがった後にトラは侵入を始める。先程とはまた違ったトラの体温が柔肉を押し開き奥底まで突き進んでくる感触に甘い悲鳴が上がる。待ち望んでいたそれが奥まで入りきったところでイヌイは溜めていた息を吐いた。


―ずん。


「アウッ!?」
 少し安心したところを強く突かれて思わずソファに倒れこんでしまう。慌てて後ろを向くと嗜虐的な笑いを浮かべたトラが見下ろしていた。抗議の声を押し潰すように、トラはイヌイの腰をがっちりと掴んでピストン運動を始める。初めこそゆっくりだったものの次第に勢いを増す責めにイヌイはソファに爪を立て悲鳴を押し殺すことしか出来ない。やがて痛みしかなかったはずのそこからじんわりとした熱が染みこんでくる頃になって、やっとイヌイにも交合を楽しむ余裕が出てきた。
「くぅん……っ!」
 自分の中からズルリと雄が抜き出され、また突きこまれる度に甘い痺れが背筋を走る。肩にかかる荒い息が心地よい。いつしかイヌイは口から舌をはみ出させ、涎をぽたぽたと垂らしながら欲望を受け止めていた。
 グルグルと野生の唸り声を上げながらトラは狂ったように腰を打ち付ける。二匹の結合部からはグチュグチュと水音が響き、透明な液が流れ落ちて床に飛び散る。イヌイは飛びそうになる意識を支えながらソファにしがみつき、少しでも早くイカせてやろうと締め付ける。何度目かの締め付けでトラは動きを止め、腰を限界まで押し付けた。
「と、とらぁっ……!」
 奥底まで擦られてイヌイは悲鳴を上げる。このままじゃトんじゃいそう、と考えたところで白い濁流が爆ぜた。
「出すぞ、出すからな、っくッ!」
「くぅぅぅんっ!」
 どろりとした淫液が流し込まれる感覚に後ろの尻尾が逆立ち、前の尻尾はビンビンと跳ね回る。体内で震えるモノが大人しくなったのと同時に二匹は繋がったままソファに倒れこんだ。




 しばらく二人とも荒い息をつくだけで会話はない。やがてどちらともなく唇を寄せ、触れ合うだけの軽いキスをした。
「こんなシンプルなのも……たまにはいい、ね」
 クスリと笑うイヌイの声に返事ができるほどトラはまだ回復していない。言葉の代わりに自分の鼻先をペロリと舐めた舌に軽く噛み付いてやった。


イヌミミモード