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5月
遊園地

 「遊園地、行かない?」
 なだらかに告げたのは、黄色い兎。垂れた耳が、ほのかに揺れた。
 昼下がりの教室。いつものように集まって、昼ゴハンを終えたところの4匹組。禅裸は空になったパックのオレンジジュースを握り潰そうとしていて、それを繊維が行儀悪いと注意し、蒼場は空になったパンのビニル袋を律儀に小さく丸めていた。揃って目を瞠る。
 「兄ぃたちと行くつもりだったんだけど、みんなあとから予定が入っちゃって」
 遠慮がちに事務封筒から取り出した、チケット4枚。枕には「にぃたち」が3匹いる。
「今度のお休み、どう?」
「行く行く! 繊維も行くだろ? けってー!」
 身を乗り出して繊維の顔を覗きこみ、即座に腕を突き上げる禅裸。
「勝手に決めるなって」
「蒼場くんは、暇ある? 1日分」
 きょとんとしている蒼い狼に、指を1本立てて示す。ぱちぱちと瞳を瞬かせる蒼場。
「1日分、ですか。夜はどうするのですか」
「夜?」
 伝達に齟齬があったらしい。枕が訂正する。
「んー、えっと、お泊まりじゃないよ。朝から夕方までだから、半日分か」
「そうですか、驚きました。みなさんで夜襲でもするのかと」
 丁寧な物言いに反して語彙が荒々しい留学生の思案を心配して、繊維が口を挟んだ。
「蒼場は遊園地、初めてか?」
 熱心にチケットを眺めていた蒼場が、顔を起こして笑う。
「このような場所をゆうえんちと呼ぶのですね」
「『あそ』ぶ『その』の『ち』でゆうえんちだ!」
 はしゃぐ禅裸が文字を指差して説明してくれたのを受けて、深く頷く。
「なるほど。遊廓の『ゆう』に祇園の『おん』と書くのですね」
 蒼場がこの国について知っている知識は、どうにも偏っている。

 はたして当日。駅前のヘンなモニュメントを目印に、一番乗りを果たしたのは蒼場。
 白の混じった蒼毛を、くすんだ茶系の民族衣装で覆い、腰紐で止める。赤いビーズがアクセントになってはいるけれど、全体的に地味目ではある。とはいえ、半袖から覗く筋肉質の腕が、力強さを感じさせるシルエットを形作っているので、貧相に見えないのが幸いか。初めて訪れる「遊ぶ園」への期待にワクワクを隠せず、宙を撫でつけるシッポ。
 「ふわあ。早いね、蒼場くん」
「おはようございます、枕さん」
 あくびとともに現れた、黄色い垂れ耳兎。
「晴れてよかったねー」
 暖かな春先にふさわしい薄手のシャツとズボンが、つやつやと光る。上質な生地であることが伺えるのだが、小脇に抱えた枕、もとい枕型のハンドポーチのせいで、ヘタすればパジャマにも見えるという始末だ。
「枕ー! 蒼場ー!」
 おって禅裸と繊維が到着。豪快に腕を振る赤銅の西洋竜と、少し疲れ気味の黒山羊。
「繊くん、禅くんを迎えに行ってたんだね」
「ああ。予想通り、まだ寝てた」
「繊維が来てから起きようと思ってたんだよ」
「俺は禅裸を起こすためじゃなくて、いっしょに出かけるために行ったんだが」
 赤銅色のテラテラした腕が、ときおり春の日差しを反射する。逞しい胸板を覆うは網シャツなのだが上半分しかなく、これまた筋肉質な横腹が露出している。サスペンダーで止めたオーバーオールの下には、それなりの腹筋が隠れているのだろう。膝から下には肉付きのよいふくらはぎ。曲がったシッポをブンブン振って、禅裸は今日も元気である。
 かたや繊維は薄手の黄色い長袖シャツの上に、桃色のチョッキを重ね、黄緑色のボトムを合わせている。全体的に薄い色味が、体色の黒と相俟って、薄焼き生地で餡を巻いてある桜餅テイストだ。

 

 ガタゴト旅客車に揺られて数十分。駅を出て、エントランスを抜ければ、そこは愉快な音楽と不思議な色形に囲まれたワンダーランド。
 「なぁなぁ、アレ乗ろうぜー!」
 さっそく禅裸が指で示したのは上空、山谷にくねるレール。その上を猛スピードで駆け巡る乗り物からは、ときおり悲鳴とも遠吠えともつかない声が挙がっている。
「蒼場くん、ああいうのだいじょうぶ?」
「恐ろしいと思います」
「やめとく? アレに乗ろうかって話なんだけどさ」
「乗ります」
「え」
「度胸試し、というコトでしょう。退くわけにはいきません」
 瞳を爛々と輝かせ、何か別の意義を見出したようだ。
「あはは、そっか。繊くんは?」
「俺はパ」
「行くぞー!」
 断りかけた繊維の腕に腕を絡めて、禅裸が引っ張っていく。
「俺は乗らない」
「なんだよ、恐いのか?」
「ニガテだって知ってるだろ」
「たまにはいいじゃん」
「それじゃ今度禅裸のニガテなニッキ飴を食べさせてやるよ、たまには」
「恐かったらオレに抱きついてればいいだろー」
 皮肉も通じない。というか聞いてない。
「纏綿さん。ワタクシも、そばにいますから」
「だからそういう問題……って、蒼場」
 そして蒼場も参戦。先日の放送室での出会いから、蒼場は繊維に心底惚れ込んでいる模様。
「恐かったら、掴まっててください」
 腕を差し出す蒼場に対し、繊維を後ろから羽交い絞めにしてみせる禅裸。
「ダメだ! 繊維はオレを頼りにしてるんだ!」
「ワタクシを頼ってください、纏綿さん」
 互いに譲らない。
 けっきょくみんなで乗ることになった。2列席だったので、禅裸と繊維が並び、その後ろに蒼場と枕が座る。
「これでは、纏綿さんを安心させられません」
 安全ベルトで腕と足と胴を椅子に縛りつけられていれば、何ができようもない。肩を落とす蒼場。
「あの、蒼場、あと禅裸。俺はだいじょうぶだから、おとなしく座っててくれ」
「助けを求めるような声が挙がっても、手出したり助けたりしちゃダメだからね。お互い危ないよ」
 繊維に続いて枕が釘を刺す。
「そ、そうなのですか」
「これは恐いのを楽しむ装置だからさ」
 と、柔らかに微笑まれる。恐がっている纏綿の呟き声に耳を澄ませ、どんなふうに慰めていいものかわからない蒼場だったが、
「震えてる繊維はかわいいなっ!」
「あ、悪趣味だぞ、そういうの」
 ニャハニャハと陽気に応対する禅裸とのやりとりを聞いて、そんなに心配しなくてもいいのかな、と異文化を解釈する。
 そして滑り出すコースター。

 言葉もなくふらふらと、出口をあとにした繊維。肩を貸そうとした禅裸だったが、身長差のせいで枕に居場所を奪われることとなった。
「纏綿さん」
「あー……うー……」
 体中の気力がこそげ落ち、覇気のない瞳でベンチに座り込む繊維。
「もっかい! もっかい乗ろうぜ!」
 かたやテンション止まらず喚きたてる禅裸。
「なぁなぁ」
「繊くん弱ってるんだからさ、ムリさせちゃダメ。僕と乗ろうよ」
「オレ繊維といっしょがいい」
 臆面もなく言い放つ。そして枕も容赦なく言い返す。
「繊くんも、蒼場くんといっしょがいいって思ってるみたいだからさ」
「んあ!?」
 すっとんきょうな声を挙げる禅裸と、びくん、と体を震わせて反応する蒼場。
「禅くんがそばにいたら、繊くん落ち着かないよ、ほらほら」
 枕に手を引かれつつ、
「繊維ぃ」
 悲しげに、その名を呼ぶも。
「少し休みたいからさ、行ってこい」
 と、遠回しに「近づくな」と言われる始末。
「うー」
 しぶしぶその場を去る。

 残された2匹。
「纏綿さん」
「んん?」
「どうして乗りたくないのに乗ったんですか?」
「あー……」
 額に手を当て、半開きの目でかろうじて呼気を保つ繊維。こういうときにこういう質問をされても、頭が回らないけれど。
「乗らなきゃ、あとから禅裸がうるさいだろ」
 そういう意味では、繊維は禅裸に甘い。
「蒼場はどうだった?」
「そうですね、覚悟していたほどではなかったです」
 初めて乗った絶叫マシンに、冷静なコメントを寄せる蒼場。このテのライドはのきなみニガテな繊維にとっては、驚きで。
「蒼場はああいうの好きなのか」
 苦笑いしながら訊いてみる。こちらも苦笑い。
「好き、といわれると、あまり。なんだか儀式みたいで緊張しました」
「儀式?」
「そうです、こう、成長の証に、足首に蔦を巻きつけて崖から」
「それ以上は言わないでくれ……恐いから」
 ジェスチャーを交え、祖国の通過儀礼を説明しようとした蒼場の口先を制した。

 

 「次はコレだ!」
 合流した一行が目指したのは、ホーンテッドアトラクション。ビジターを恐怖驚愕の渦に陥れる、いわゆる「お化け屋敷」である。
 「禅裸、俺が恐がるモノばかり行きたがってないか?」
 さっきから背筋の毛並みが逆立ち続けて戻らない。
「だって繊維の恐がってるトコ、かわいいからっ!」
 バカ正直なのか正直バカなのか、どちらでもいいけどカンベンしてほしい、と、繊維は思っている。黙ってはいるが。
「蒼場くんはだいじょうぶ? こういうの。コースターは平気だったみたいだけど、これも恐いよ?」
「恐いのですか」
「うん。恐さの種類が違うよね」
「さきほどの乗り物もそうでしたが、ワタクシの国の『恐いモノ』とこの国の『恐いモノ』は、やはり違いますね」
「冷静だねー。うん、恐くなったら抜け道から脱出できるそうだから、とりあえず行ってみようか」
 突入直後、禅裸が戦線離脱した。
「な!?」
「あー、 禅くん逃げちゃった。んーとね、『追試験』って耳元で囁かれたのがダメだったみたい」
 改めて、びょーん、びょーんと端から数匹のスタッフが跳び現れて、蒼場を囲んで呪歌を歌う。端では打楽器と笛が妙な旋律を奏でていて、蒼場のシッポがゾゾゾゾと逆立った。
「あ、あの、ワタクシも」
 足がガクガクしている。
「蒼場くんも?」
「はい、そんな呪文を唱えてはいけませ……ああ、ダメです」
 蒼場も退散。びょーん、びょーんと跳び去っていくスタッフ。
 「繊くん、僕も」
「えええ、枕もか!?」
「ほらアレ。ツブツブ。ニガテ、っていうかもう、ダメ」
 枕が目を逸らしながら指さす先には、無機質模様の書き割りが鎮座している。
「首筋、ゾクゾクしてきてっ……先帰るよ」
「お、俺も」
「ダーメ。ちゃんと恐がってきてね」
 このアトラクションは、個々人の恐いモノを見せたり聞かせたり再現したりしてくれるらしい。

 

 「繊維の恐いモノ、知りたかったのに、オレのほうが先に出てきちゃった」
 屋内なのにパラソルが乱立する、フードコート。遊園地といえばうどん! だとかたくなに主張する禅裸が、ツユの浸みた竹輪の磯辺揚げにかぶりつく。
「コレは、スゴいですね」
 初めて見たとろろうどんの様相に、蒼場は空いた口が塞がらない。箸で麺を引き上げれば、白いゲル状の物体が纏わりついてくる、未知の食べ物。
「口の周りが痒くなるから、食べ終わったら洗ってくるのがいいよ」
 昼ごはん代わりだと、バナナチョコクレープにパクついている枕。
「メリーゴーラウンドに乗りたいんだって?」
 繊維は山菜そばである。濃いめのツユがお気に入り。
「おう! 繊維が車に乗ってやってくるんだ! 枕がお付きで蒼場が御者。オレがおーじ様。出口のトコで待ってるから!」
「あんまり面白くないぞ」
「僕、ゆっくり回ってると眠くなっちゃう」
「えー」
 自身の理想世界を構築しようとする禅裸は措いといて、とろろに苦戦中の蒼場を気遣う繊維。
「蒼場、おいしい?」
「変わった舌触りですね、食べたことない感触です」
「あんまりおいしくなかったら残していいんだぞ? 食べ物はほかにもあるし」
「はい」
 ともあれ、きれいに平らげた。枕の言いつけ通り、洗面所でマズルを整えて、午後からの遊びを心待ちにする。

 

 日も傾いて、そろそろ閉園時間。しめくくりはもちろん、
「観覧車乗ろうぜ!」
 と禅裸がいうので、4匹揃って乗り場へ向かう。
「オレと繊維、枕と蒼場で分かれて乗ろうなー!」
「定員4名なのに、ですか?」
「だってオレ、繊維と2匹きりで乗りたいもん」
「わ、ワタクシだってそうしたいです」
 あくまで控えめに、しかし譲らない蒼場。
「繊くんモテモテだねー」
 冷やかされて頬を赤らめ、うつむく繊維。
「み、みんなで乗ればいいじゃないか」
「でも、こういうときにしか密室に籠もるコト、ないでしょ? せっかくの機会」
 嬉しげに枕が語り、「密室」と聞いて禅裸と蒼場の目の色が変わる。
「じゃあ、ぐーちーで決めようか、禅くんも蒼場くんもいいかな?」
「おう!」
「ぐーちー、とは何ですか?」
「じゃんけん、のぐーとちょきだけ出して、グループ分けするんだ」
 両手でそれぞれぐーとちょきを作り、説明する繊維。
「ぐーが2つ、ちょきが2つ出たら決定で、それまではあいこで仕切り直し」
「なるほど」
 先日教えてもらった「じゃんけん」の新たな利用法を知り、好奇心に蒼場の耳が揺れる。
「よーし、いくぞー! オレはぐーにするっ! だから繊維も」
「禅くん、蒼場くんは初めてぐーちーするのに、心理戦なんて卑怯だよ」
「うぐ、ひ、卑怯なことはしないぞ!」
「蒼場、いいか?」
「はい」
「せーの」
「ぐーちー!」

 狭いゴンドラに揺られて、
「……繊維と乗りたかったのに」
「……ワタクシもです」
 両者、がっくりと肩を落とす。緩い弧を描いて上昇する密室。
「高峰さんは纏綿さんのコトが好きなのですか?」
 こないだの放送室の顛末を思い出しつつ、蒼場が訊いた。
「おうっ! 繊維はオレのだからなっ!」
 同じセリフを繰り返す禅裸。その瞳に迷いはない。
「しかし、纏綿さんは、それは違う、と言っていました」
「ぐっ」
 言葉に詰まる。
「せ、繊維がなんて思ってても、オレがそう思ってるからいいんだ!」
 わたわたしながら強硬意見。とたん、蒼場の顔つきが固くなる。
「ダメです。相手の気持ちを考えずに、所有物扱いしてはダメですよ」
 厳しく言い放つと、禅裸はことさらオロオロし始める。語調の強い蒼場と2匹きり、場のペースが掴めない。
「で、でも、幼馴染みだし、これまでずっといっしょだったし」
「だけどつがいではないのでしょう?」
「なっ」
 つがい、という響きは、禅裸にとって馴染みがなくて、気恥ずかしくて。なのにこの留学生は、真摯な瞳でまっすぐに、禅裸に語るのだ。
「ワタクシは、纏綿さんとつがいになりたいと願っています。だから、もっと纏綿さんのことを知って、ワタクシのコトを纏綿さんに知ってもらって、それから改めてつがいの申し出をしたいと思っています」
 蒼場のマズルに夕日が刺し、紫に滲む。ゴンドラは頂上に差しかかった。
「高峰さんと纏綿さんがつがいであれば、ワタクシは身を引きます。しかし、そうでないのなら、ワタクシは高峰さんと競い合うことになりますね」
「あ、あんまりつがいって言うなよ、恥ずかしい」
「すみません、適切な言葉を知らなくて。ふむ、特別な関係、と表現すると、曖昧に過ぎますか」
「合ってる、と思う。……そうか、受け入れてもらわなきゃ、特別な関係、じゃないのか」
 切なげに俯いたマズル。陽光に、赤銅色が赤みを増す。
「繊維はオレが守るんだ。これからもずっと」
「ワタクシも、纏綿さんが欲しいです。高峰さんが欲しがっても、譲りませんよ」
 強まった語気に、はっとして顔を上げた。いっしゅん、睨みつけるような、眉間に皺を寄せた蒼場の表情が見えたのは幻か。いつもの笑顔が、禅裸を見据えた。
「高峰さんが纏綿さんと特別な関係になるか、ワタクシがそうなるか。淘汰ですね」
「とうた?」
「競争、でしょうか」
 うまく言葉が選べなくて、恥ずかしさを誤魔化すために舌をぺろ、と出す。
「よろしくお願いします、高峰さん」
 膝に手をついて、ペコリ、と礼。
「お、おう! 繊維がオレのコト、特別だって思うようになればいいんだなっ!」
 よろしくされたので、腕を下から上に曲げ、掌をぐーにして差し出す。
「はい。コレはどうすればよいのですか?」
「右手で同じカッコにして、ぐーっと押し付ける!」
 と、口頭で説明しても伝わらないので、禅裸が蒼場の腕をひっぱってポージングさせた。ぐいぐいと禅裸が押せば、ぐいぐいと蒼場も押す。
「繊維さんは、ワタクシのもの、ですからね」
「繊維はオレのものだっ!」

「で、繊くんはどっちが好きなの?」
「どっち、って」
 枕・纏綿組のゴンドラが、ゆっくりと回る。
「幼馴染みの禅くんとは、ずっと昔からいっしょにいて。転入生の蒼場くんには、始業式当日に告白されて。三角関係、だね」
 指で三角を形作り、床に影絵を踊らせる。繊維の状況を傍目に、楽しくてしかたないといった様子。
「そんなコト、ないだろ。禅裸は俺のコト、好きとかそういうのは、ないと思う」
 片手で頬杖をつき、窓から外を見つめる繊維。併せて黙る枕。
「好き、なんて、言われたことないから」
「でも、オレノモノ扱い、されてるじゃない」
「禅裸は何でも所有物にしたいんだよ、ダイジなモノをさ」
「……それは、ダイジに思われてる、って証拠でしょ?」
「オモチャとか、食べ物とかと、同じレベルで、だけどな」
 話を翻す。
「繊くんは禅くんのこと好き?」
「うあ」
 それこそ、考えたコトもない。物心つく前からいっしょに遊んで、同じ学庵の同じクラス、同じ研究会で過ごしてきた。つきなみな言葉でいえば、親友、なのだろうが、相手に対する恋愛感情があるかと問われれば、
「わからない」
 というのが正直なトコロ。
「じゃあ、蒼場くんのことは?」
 初めて会って告白されて、同じクラスに転入してきた。知らない国のことを教えるかたわら、知らない国のことを話してくれる、トモダチ、だけど。
「わからない」
 やっぱり、好きかどうかなんて、意識したこともない。
「……悩んでる顔、禅くんや蒼場くんに見せないほうがいいよ? 押し倒されるかも」
「なっ、なんでだよっ、それっ」
「んーと、官能的、みたいな? ソソる表情っていうのかなー」
 くすくすと笑う。茶化しているのかと思いきや。
「気を付けないとダメだよ、繊くん流されやすいから」
 真面目な顔で忠告され、素直に頷いてしまう。
「うん」
「そっかあ、繊くんがどっちか決めてないなら、どっちを応援してもいいんだよね」
「な、なんだよ、応援って」
「やっぱり蒼場くんのほうが不利なんだけどねー、ずっといっしょにいた分、お互い感覚が鈍ってる禅クンもつらいトコだね」
 両手を頬に当て、足をバタつかせながら、嬉々として恋路の錯綜を語る枕。
「3匹でくっついてくれても、僕としてはいいんだけどね、みんな幸せなら」
 とんでもない展開になっている。
「ま、枕はどうなんだ? 恋、とか」
 自分にばかり話題を振られてはたまらず、繊維は方向転換を試みた。
「僕?」
「ああ、好きな相手とか」
「いまのところはね、いないの」
「そうか」
「でも、待ってるだけじゃダメだよねー、あ、キレイキレイ」
 観覧車のてっぺんで、黄色い兎が橙色に染まる。ほのかに赤みがかった黒山羊が、額を窓に向けた。
 高層からの景色は、斜陽を受けて、どこまでも赤く。
 「禅くんと蒼場くんが繊くん取り合ってるの見てたらさ、僕ももっと攻めなきゃ、って思った。恋は争奪戦だね」
 向き直り、そんな決意を口にする枕。垂れた耳がゆるりと揺れる。
「なんてね、まだ相手もいないんだけどさ」

 ゴンドラが一巡りして、地上に帰還した禅裸と蒼場、次いで纏綿と枕。
「蒼場、禅裸にヘンなコト吹き込まれなかっただろうな?」
 2匹きりの密室で、勢い任せに何を言ったか知れない。繊維がいぶかしげに尋ねる。
「とてもよいお話ができたと思います」
 そんなふうに破顔されると、よけいに心配になるのだが。
「禅裸」
「繊維ぃ!」
 確認しようともう片っぽを呼んでみれば、西洋竜が息巻いていて。肩をがっしと掴まれた。
「オレ、オレは繊維のコトがっ……」
「ん、ん?」
 当惑する繊維に構わず、言葉を紡ごうとする。顔中真っ赤なのは夕日のせいだけではないだろう。
 告白というものは、観覧車のてっぺんで、あるいは放課後の体育館裏で、はたまた流れ星を観察しながら、それとも古めかしい言い伝えのある特定の場所で卒業式に、するものだ。禅裸はそう強く確信している。
 とはいえ、今はオレノモノを手中に収めておくために、蒼い狼との差を縮めておきたい。そのためには、同じセリフを。即刻。目の前で。
「せっ、繊維のコトがっ……す……」
 だけど、定番中の定番であるその形容動詞を、今の今まで繊維にぶつけたことは、なかったから。
「す?」
 どぎまぎ。気恥ずかしくて少しだけ、視線を斜め下に落とせば、ピンク色のチョッキが視界を掠った。
「……すあま」
 繊維は混乱している。なお、禅裸も混乱している。
「……咬みつくなよ?」
「せっ、繊維はオレノモノだ! 食べたらなくなっちゃうだろ!」

「禅くんはまだ恥ずかしいみたいだね、蒼場くんみたいにストレートに言えなくて。あ、蒼場くん、これから蒼くんって呼んでもいい?」
 軽く体を傾けて、枕が蒼場によりかかると、懐っこく笑い返された。
「ええ、ぜひ。枕さん」

 

 妙な形のモニュメントに戻ってきた4匹。辺りはだいぶ暗くなっている。
「今日は楽しかったねー」
 ぐぐーっと背伸びして、体の筋を伸ばす枕。手に提げた紙袋には、行けなかった兄ぃたちのための、遊園地サブレと遊園地煎餅が入っている。
「帰りの電車で、禅裸がずっともじもじしてたんだが」
 と、繊維が首を傾げれば、
「そんなことないぜ! オレはいつも通りっ!」
 ぐるんぐるんと腕を回し、“いつも通り”をアピールする禅裸。蒼場が繊維にしたように、“好き”だと伝えたかった。その失敗が尾を引いて、挙動がぎこちない。
「また、みんなで行けたら、嬉しいです」
 蒼毛のシッポをパタパタと振り、次の機会を楽しみにする蒼場。枕が呼応する。
「うんうん。今度は海、行こうよ。水着も新しいの欲しい」
「そうだな」
「あ、でも、ときどきは繊ちゃん誘って、ちゃんと2匹だけで出かけなきゃダメだよ? 禅くん、蒼くん」
 そう言って両手に1本指を立て、先端をちょこんと寄り添わせる。
「お、おおう!」
「そうですね、よろしくお願いします」
 気合入りまくりでガッツポーズを決める禅裸と、律儀に会釈する蒼場。
「な、なんだよ、みんな」
 羞恥に頬を赤らめて、繊維がうつむく。
「繊くんも、誘われ慣れとかないとねー」
「もう、帰るぞっ」
 枕の揶揄に耐えかねて、繊維が歩き出した。3匹が続く。
 禅裸は褌屋へ、繊維は自宅へ、枕は兄弟の待つ館へ、蒼場は学庵の寮に戻り、今日の顛末を思い出したり思い出さなかったりする。

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