第八話 屋上で

 ガコン、という音と共に、自動販売機の取り出し口に缶が出てくる。
 アオイはそれを取ると、ユキの待つベンチへと向かった。
 ベンチに座っていたユキに、缶を放る。
「ほら」
「ありがとう。あ、お金…」
「いいって。奢っちゃる。友達記念ということで」
 気付いてなかった俺が言うのもなんだけど、と言いながらアオイはプルタブを起こして、ユキの隣に腰を降ろした。
「でも、悪いよ」
「いいだろ?俺が良いって言ってんだし。それに俺がお前のことちゃんと思い出せなかった侘びも含めて、受け取っていてくれ」
「…うん。じゃあそうするよ。ありがとう」
 アオイはコーヒーで、ユキはミルクティー。アオイのお言葉に甘えることにしたのか、ユキも缶を開けて口を付けた。
 二人が友達らしい友達になったのは、ついこの間のこと。
 同じ学校にいながらアオイ側は顔も、どこかで見たことがあるかな…というくらいにしか知らなかった。そのことに雪は少しだけ残念そうな顔をしていたが、腹を立ててはいないらしい。今日アオイが昼食を一緒にと誘ったときに、ユキは途惑いながらも、快くOKしてくれたことからもそれは分かる。
 少々、周囲の反応がおかしかったが。
 やはり自分はクラスの面子にすらまだ誤解を受けているらしい。

「シラネ」
「何?オオガミ君」
「ちょっと顔貸せよ」
 アオイがそういった瞬間に、ざわりと、教室にどよめきが広がった。アオイがユキの前で止まったときから周囲の視線が集まりつつあるのは感じていたが、今度はピタリと話し声が止んで、今まで以上の視線が集まった。四時間目が終わった昼休み、アオイはユキの席の前に立って、声をかけた、それだけなのに。
 だが確かに、強面で喧嘩っ早くて停学経験すらあるアオイが、華奢で弱々しくて小さなユキに「顔を貸せ」という発言。端から見れば、簡単に未来が予想できるというものだろう。
 その予想が正しいかどうかは別として。
「あー…。一緒に、ひ る め し 食 べ な い か ?」
 周囲の明らかな誤解を感じたアオイは、目的を比較的大きな声で区切るように言った。周囲にハッキリと聞こえるように。
 クラスメイトをどういう目で見てるんだこいつら…、とそう思わずにはいられない。
「…うん、いいよ?」
 ちょっと黙った後に、ユキが頷く。
(こいつ今の俺の置かれてる状況分っていないんだろうな…)
 アオイは肩を落としながら、じゃあ屋上に行こう。と言ったのだった。
 それが、この誤解と珍しいものを見る視線から逃れるためだったのは、言うまでもない。

「…はぁ」
「どうしたの?」
「いや、なんでもねぇ」
 誘った時のことを思い出して吐いたため息に反応したユキに、慌てて取り繕ったような笑みを浮かべる。
 アオイはとなりでパンを頬張る白い猫を見た。自分よりも頭一つ分低い身長は、座っていてもさほど変わらない。
「ただそんなので足りるのかなぁ…と」
 先ほど一緒に購買部で買ってきた袋を指して、アオイは誤魔化す。
 お前の無自覚さに呆れてました。自分の評判の悪さに悲しんでました。顔に見とれてました。そんなことは言えるはずもなく。
 ユキが買った袋の中に入っているのは、焼きそばパンと、砂糖のかかった捻りパン。ちなみに焼きそばパンはアオイが買わせたようなものなので、何も言わなかったらユキはパン一つで済ませるつもりだったらしい。ユキの小食具合が見て取れるが、流石に少ないとも思う。
「でもオオガミ君に言われて焼きそばパンも買ったよ?」
「どっちにしろ俺には足りねーなぁ…」
 アオイが買ったのは、ユキにも勧めた焼きそばパンに、他の菓子パンもろもろが三つほど。更におにぎりを5つとホットドックが一つ。
「オオガミ君の量じゃあ、僕の場合は食べ切れないよ」
「にしても少ないと思うけどなぁ…」
 だから背が小さいのだろうか。
 そんなことを思いながら、アオイは焼きそばパンを一口で半分ほど咥え込んだ。
 それに対し、ユキは小さく焼きそばパンを頬張る。
 お互いに租借の途中で会話を交わし、笑う。
 まったく違うペースで食べる二人だが、なかなか楽しい。
 春になりかけの風がまだ少し冷たいが、どこか柔らかく心地良い。
「あの…よ…」
「なに?」
「あ…その…いや、なんでもね」
 アオイは一瞬何かを言おうとし、それを押しとどめた。
「なにそれ!逆に気になるじゃない!」
「あーお前の食い方がちまちましててまどろっこしいなって」
「な…」
「だがまぁ、それはそれでお前らしかなとも思ったりもする」
「褒めてるの? けなしてるの?」
「どっちでもねぇよ。思ったこと言っただけだ」
 ぷいっと顔を背けてパンを頬張るアオイ。
 …どうにか誤魔化せただろうか。
 横目でチラリとユキの方を伺うと、少しばかりむっとした表情ではあるが、こちらと同じように租借を始めたので多分大丈夫だろう。
「オオガミ君は、今日部活?」
「いや今週は三年生は休みだってよ」
「ああそうか、今度の実力テスト」
「そういうこと」
 三年生は中間テストの前に、学年統一実力判別テストなる名前そのままの試験が課される。
 高校入試に向けて、足がかりとなるテストである。
 それに向けて、大抵の部活は前一週間程を休みにするのだ。
 勉強がしたい者にとってはこの上ない待遇だが、アオイのように学校にはむしろ部活のために来ているような者にはこの上なく要らない期間である。
 ましてや三年生。部活生活の最後が迫る中、この制度を疎ましく思う者は多い。
「今更勉強したってしかたねぇのに…」
「そんなことないよ?まだ一週間もあるのに」
「出来ないやつはやっても変わらないんですー」
「やってみなきゃわからないじゃない?」
 真剣な目で言うユキ。アオイは顔をひきつらせながら「それはお前だからだろ。」と言いたくなるが、それを押し止める。
 今日一日、ユキのことが頭から離れなかった。廊下を歩いていてふと目にとまった去年の学年テストの順位表。自分の名前が 載ることはないので普段から気にも留めていなかったのだが、今回はある名前が目に入って思わず立ち止まった。

一位 橘 千夏
二位 白根 雪暉
三位 熊井 圭吾
四位 ……



 二位。つまり、上から二番目の位置。そこに知っている名前があった。
 よく見てみれば他にも知り合いの名前はあるのだが、アオイの視線は今はその名前しか認識しない。横に掲載されている点数表示も見てみれば、ユキの点数は一位と3点差。実質殆ど一位である。
 それに比べてアオイの方は、下の上とでも言ったところだろうか。赤点をなんとか取らないでいる位置。
 この学力の差では…逆立ちしても、同じ考え方にはならないだろう。
「俺は部活のほうがいいわ…」
「みんなきっとそう思ってるよ。でも、陸上部は赤点取ったりなんかしたら大変でしょう?」
「まったくだ。ハルさんの怒号が聞こえてきそうだぜ…」
 アカさんというのは、アオイが所属する陸上部の顧問で、国語の教師で、アオイとユキのクラスの担任の赤木茜(あかぎあかね)のことである。
 黒い長髪をした人間の女性なのだが、獣人より鋭い目つき、男より男らしい女として、生徒から尊敬と畏怖を受けている。美人ではあるが。
 赤木は、アオイが教師として尊敬できる少ない人間だ。だが、そんな人物をアオイは「ハルさん」と馴れ馴れしく呼ぶ。
 他のしょうもない教師と一緒にしたくないと、無意識のうちにアオイは赤木のことをあまり先生とは呼ばなくなっていた。何度となく先生と呼ぶように注意はされるが、赤木自信そこまでこの呼ばれ方を嫌がっていないことをアオイは本能で察しているのか一向に止めないでいる。
「優しい先生なんだけどね」
「まぁな。わかっちゃいるが…それ以上に怖い。…赤点なんてどうなるか分ったもんじゃない!ヘタしたら部活を謹慎させられちまう…ましてや今年も担任だからなぁ…」
「あはは…!大変だねぇ」
 アオイは今こうして笑っているのが、教室であんなに静かだった白猫と同一人物だとは、ちょっと信じられなかった。
 小さな肩を揺らしながら、くっくっと笑う仕草。こんな風に笑うことが出来るのに、それをしないユキに疑問を感じる。
 普段は、意識して自分を出さないようにしているようにすら思える。笑わないように。怒らないように。目立たないように。
 だが、そのことが同時に嬉しさにもつながる。皆に見せる訳ではない表情。それを自分の前では見せてくれる。
 笑わないユキが、自分の前で笑顔を見せる。むっとする。口を開く。話しかけてくれる。
 そのちょっとした特別感が、自分を高揚させているのが分かった。
「どうしたの?またぼーっとしてるよ?」
「…! いやっ、なんでもねぇよ…!」
 またユキのことを凝視していたことに気付き、慌てて弁明しようとする。
 そのときにちょうどユキもこちらを向いた。
 二人の顔が近づく。
「「…!」」
 黒狼と白猫は同時に固まった。
 お互いの顔まで、僅か数センチ。嫌でも今朝のことを思い出す。
 暫くその状態が続いた。お互いの瞳を覗き込んで、どちらとも動かずにいる。
 アオイは、なぜか「綺麗な紅い瞳だ」なんてことを考えていた。極限状態にあると、一見どうでもいことが頭をよぎるものなのだろうか。そんな冷静な思考すらできるのに、全てが硬直した状態は変わらない。
 アオイの視点が、瞳から下がって、ユキの唇に移る。
 獣人であるユキやアオイに唇と言う概念は可笑しいかもしれないが、他に形容のしようのない感触を、アオイは思い出す。
 柔らかで、暖かな、あの感触。
 顔が赤くなったのが、自分でも分かった。
「あ、オオガミ君どこ行くの!?」
「べ…便所だ便所!」
 アオイは立ち上がり走り出した。
 心臓がばくばくいっている。顔が熱い。
 今までに体感したことのない感情に、アオイはどう対応していいかわからなかった。