第十一話 お見舞いNA12
「うえ…停学…?マジで?」
「大マジだ」
休日が明けて月曜日。学校に来るなりアオイは生徒相談室に連れて行かれた。(ちなみにこの部屋の名前がアオイは嫌いだ)
バックレる、つまりはサボろうかとも思ったのだが…赤木相手ではそうもいかなかった。
話の内容は、アオイの期待とは裏腹に来週に迫ったテストのことなどではなく、先日の乱闘騒ぎのことであった。
約一週間前。アオイが路地の一角でユキを助けたあの一連の騒ぎは学校に知らされ、目撃証言からアオイの仕業だと発覚したらしい。路地裏での乱闘であったにもかかわらず、人目に付いたのがまずかった。
「よく俺だって分かったなアカさん…」
「赤木先生、だろうが。いい加減に直したらどうだ。…知らされたのは“黒い狼の少年が暴れていた”ということ。この学校に狼はお前だけだ」
確かに、狼の獣人というのはとても珍しいのだが。
「でも、他の学校も合わせりゃ何人かは…」
「その狼と一緒に、この学校の制服を着た少年もいたそうだ」
「……っ!!」
どう考えても、それはユキのことだ。幸い、ユキは普段が優等生なので気付かれていないようである。
アオイは、自分が勝手に暴れたことでユキに火の粉が飛ぶことが、ひどく怖く思えた。確かにユキを助けた。だが、あれは自分が助けたくて助けたのだ。ユキは関係ない。
そのつもりで行動したのに、周囲はそんなことをお構いなしにユキにまで手を伸ばそうとしている。
「心当たりはないか?」
「喧嘩をしたことについては、ある」
「一緒にいた誰か、というのは?」
「知らない」
「なに?」
アオイは、さもどうでもいいことのように言ってのけた。
「あいつは何にもしてねぇし、罰を受ける必要も無い」
「お前というやつは…」
赤木はやれやれといった風に頭に手をやった。
アオイの性格は知っているだろう。こう言い方をしておけば、赤木ならわかってくれるはずだった。
「停学は俺一人で十分ってこと。それにあれは正当防衛だったぜ?」
「残念ながら、そういう情報が無いな」
「ちぇ…まぁいいや。俺が暴れたのは本当だけど、その制服の奴は本当になにもしてねぇよ」
「わかった、わかった。まったく、貴様らしい」
赤木は、アオイが好いている数少ない教師の一人だ。
差別を嫌い、いつも公平な目で物事を見定めようとしている。その姿勢をアオイは買っていた。そして更に惹きつけるのが、こうやって生徒の心情を、自分の立場やプライドよりも重んじてくれるところだ。
自分の思いをいつも酌んでくれるアカギに感謝こそしてはいたが、それが正しいことや、優しいことに向いている時に、なおさらであることまでは、アオイは気付いていない。
「それはいいが…だがまずい事もある」
「なんだ?」
「停学期間は一ヶ月と言われている」
「おう」
殊勝に頷くアオイ。だが、その反応は赤木にとって見ると正しくないらしい。
「…貴様、重大さがわかってないな?一ヶ月家から出るなと言われてるのと同じなんだぞ?」
赤木の額に血管が浮き出ている。書類を挟んでいるボードが、ミシミシと音を立てた。
「停学期間中に、大会の予選がある」
「あ…?」
「五月のゴールデンウィークには合宿も行うな?」
「あぁ!?」
そこでアオイも気付いた。停学中では合宿になどいけない。もちろん大会にも出られない。
「本来ならお前ほどの選手はその辺を考慮してもらえるんだが…」
アオイは去年、全国大会までコマを進めた。
陸上を始めて半年足らずでのその記録は素晴らしい快挙であり、学校発の久しい全国大会出場者。
かなりの優遇を受けても可笑しくはない。停学を取り消されることはなくても、その期間をずらす程度ならばしても良いはずだった。
「教頭が、それを許さない。あの人はお前のような問題児が嫌いだからな…」
「あのハゲ…!!」
「ハゲ言うな。こればかりは、私一人の力ではどうにもなりそうに無い…」
「なんとか…ならないのか…?」
「お前が悪い。喧嘩なんぞするな馬鹿者」
「だってそれは…」
アオイは、ユキを助けるために仕方なかった、という考えを振り払った。
いい訳だと思ったから。他に助ける方法はあったかも知れないのに、自分はそれを思いつかなかった。
それに、自分が喧嘩をした理由をユキのせいにするようで。結局、自分の行動なんてものはそんなものなのだろうか。
「教頭に…頭下げてみるかな…」
「無駄だ」
アオイの考えは、赤木に一蹴される。
はっきり言ってアオイは教頭が嫌いだ。というか、もはや嫌いというレベルでもない。そんな相手に頭を下げてみようかと思ったのは、アオイにとってかなり大きなことだった、が。
「私が既に何度も頼み込んだ。それでも駄目だったんだ、お前の頭一つでどうにかなるとは思えん」
「そこまでしてくれたのか…」
プライドの高いこの先生が、頭を下げるとは。自分のためにしてくれたのだと思うと胸が熱くなる。
「あのハゲ…」
赤木が低い声で呟いた。
先ほど言うなといっていた教頭の呼び名を。
「いや、アカさんもハゲ言うなよ」
「じゃかあしい!!あんなのハゲで十分だ!!」
パキン!という音と共にボードが割れた。
「人が必死に頼んでいるというのに半笑いで見下しおって…! 貴様の頭の方が笑えるというのがわからんのか…!!」
赤木の頭から湯気が立つのではないかとアオイは思った。
割れたボードを持つ手が、ぷるぷると震えている。
「…隣、職員室だからな?」
「わかっとるわ!!!」
本当に職員室にも聞こえてしまいそうな声で、赤木は声を荒げる。
「…いや、すまない」
息を大きく吐きながらそう言うと、無残に使い物にならなくなったボードを机の上に置いた。
「もう少し、手を尽くしてはみる。お前は明日から停学だ、とりあえず大人しくしていろ」
「わかった…。頼むぜ先生」
そう言ってアオイが立ち上がろうとしたとき、相談室のドアがノックされた。
「失礼します」
「待て。今込み入った話をしている。他のものは…」
「シラネ!?」
そろそろと開いたドアから顔を覗かせたのは、先ほど話していた誰か、もとい白い猫だった。
「あ、オオガミ君!やっぱり…!」
「なんでここに…」
「呼び出されたって聞いて。もしかしたらこの前の喧嘩のことかと思って。やっぱりそうなんでしょ?」
「いや…!その…だな…」
アオイは突然のユキの登場に慌てた。
学校側はもう一人が誰か知らなかったのに、これではバレてしまうかもしれない。
「赤木先生!オオガミ君は悪くありません!集団で絡まれていた僕を助けようとして…」
「おっまえなぁ…」
アオイがしようとした静止は間に合わなかった。先ほどまでのアオイの工作は、全て無に帰したことになる。
せっかく隠せてたのに…と思わずにはいられないアオイである。
「そうか、お前が…」
「アカさん…!」
赤木がその考えにいたったことを、アオイは悟った。
どうにか、誤魔化せないだろうか。だがそれは絶望的。
「アカギセンセイ、だと言っているだろう。ふむ…目撃証言ありだな…。なぁシラネ」
アカギはあごに手をやりしばらく考えた後、ユキに問いかけた。
「オオガミは、正当防衛だったか?」
「え?いや…先に殴ったのはオオガミ君だったような…あ、でも殴りかかってきたのは向こうが先です。僕も殴られる寸前だったので…それを助けようとして…」
「そうか。十分だ」
アカギは納得したように頷くと、自らが残骸へと変えたボードの破片をゴミ箱へ片付け始めた。
「ハルさ…アカギ先生、さっきから言ってるけどこいつは関係なくてだな…」
「オオガミ、放課後にもう一度ここに来い」
「は?」
「ついでに、そこの“目撃者A“も連れて来るといい。気になるだろうからな」
アオイがどうにか弁明しようとしたところ、アカギの言い方におかしなものを感じた。
「もくげきしゃえい?」
アオイがどういう意味かわからずに復唱すると、アカギは含みを持たせて言った。
そして、ユキの方を指差す。
「私は今の証言者が誰だったかを知らないものでな。目撃者Aからの情報によるとお前は正当防衛らしい。これでもう一度教頭に持ちかけてみよう、今度は校長も交えて」
アカギは、ふっと笑った。
昨日の乱闘騒ぎのときの制服姿の少年がユキであることを、知らないことにしようと。そう言っているのだ。
更に校長をも交えて再び直談判に出てくれるという。
アオイは、自分の気持ちを酌んでくれようとしていることに気付くのに、少し時間がかかった。
「アカさん…」
「アカギセンセイだ。馬鹿者」
そう言って立ち上がると、
「ご苦労だったな、目撃者A」
ユキの肩を叩いて、相談室を出て行った。
アオイも後に続いて部屋を出るが、アカギはもう廊下を歩いていってしまっていて背中しか見えない。黒髪を揺らして歩く後ろ姿は、凛という言葉が相応しい。
廊下に、コツコツという足音だけが響いていた。
「えっと…なんなの?」
訳の分からないユキが、アオイを見上げながら尋ねた。
「はは…説明してやるよ…!」
アオイは、アカギの粋な計らいに再び胸が熱くなった。
さて、どう転ぶものか。
どうにかして大会に出れることをアオイは願った。もしそちらに転ぶことになったら、この不思議そうな顔で自分を見ている猫のおかげだ。
そう思うと、なんだかくすぐったい思いに駆られた。