GAP

 世の中には、ギャップという物が存在する。
 外見と性格のギャップ。性格と趣味嗜好のギャップ。趣味嗜好と立場のギャップ。
 そのギャップ…、意外性が魅力になる場合もあれば、もちろん逆に作用して幻滅を誘う場合もある。
 後者の展開を恐れ、周囲の目が気になり、本来の自分を表に出せないというケースも少なくない。
 本来の自分と、周囲の評価…。
 これは、そんなギャップに悩み戸惑い、秘密を抱えて過ごしている若虎と、そんな彼を理解して支えている若狸の物語…。
 
 
 春の訪れにより日をおうごとに日没が延びているグラウンドで、整列したサッカー部員達が中年の監督と向き合っていた。
 列の中央前側に立つ、一人だけユニフォームが異なる虎獣人が、監督の話が終わるなり深々と頭を下げる。
「ありがとうございました!」
『ありがとうございましたっ!』
 虎に続いて他の部員達も唱和し、揃って頭を下げる。
 やがて顔を上げた虎は、部員達を見回しながら声を張り上げた。
「片付け開始!暗くなる前に急いで済ませるぞぉ!」
『う〜っす!』
 サッカー部主将を務めるこの虎、姓は虎丸(とらまる)、名は大河(たいが)。ポジションはキーパーである。
 品行方正、成績優秀、スポーツ万能。男らしく頼り甲斐があり、部員達からも慕われている。
 被毛は山吹色で、所々黒いストライプがくっきりと鮮やかに走る。
 筋肉質のがっしりした体付きで、やや厳つく濃い目の顔をしているものの、ちょいわる風のルックスから女子に人気もある。
 外から見れば嫌味なほどに欠点のない彼ではあったが、実は密かな悩みがある。
 それは、自分に向けられる周囲の過大評価と、多くの相手が自分に抱く一方的な印象について。
 本来の彼を知れば、それらは完全にひっくり返るはずであった。
 
 
 ユニフォームから制服に着替え、戸締りを後輩達に任せてプレハブの部室を出たタイガは、紅から赤紫に変わりつつある夕暮れの空を見上げた。
「トラマル」
 かけられた声に振り向けば、別の部室から出て来る大柄な影。
「そっちも今帰りか?」
 タイガの問いに頷いたその生徒は、学ランをビシッと着こなした羆の男子であった。
 足を止めたタイガに歩み寄ると、羆は「精が出るな」と労いの声をかける。
「こんな時間まで練習とは、大変だな」
「それはお互い様だろう?団長」
 タイガは羆の顔を見上げながら、目を細めて笑みを浮かべた。
 タイガのクラスメートでもある応援団長の羆は、あだ名も団長で通っている。
 178センチのがっしりした体付きのタイガと比べても、その羆は大きい。
 背は190近くある上にかなりの固太りで、向き合えば巨岩のような印象を受ける。
「日曜は星陵との練習試合だったな?団も練習を兼ね、本番体制で応援にゆく予定だ。お互い頑張ろう」
「そっちも一種の練習試合、かな?」
「そうなるな。とは言っても、入ったばかりの一年生を雰囲気に慣らすという意味合いも強い。不備の無いよう気をつけるが、演舞などに多少のズレが出ても大目に見てくれ」
「そてはこっちもだ。出場させた一年生がミスしても、怒鳴ってなんかやらないでくれよ?」
「がはははは!まさか!そんな真似はせんよ!」
 二人は笑い混じりに言葉を交わしつつ、並んで歩き出す。
 上も下も名前の響きが似ている羆は、タイガとは入学当初から三年間同じクラスで、他のクラスメートと比べても一際仲が良い。
 しかしタイガの秘密は、クラスで最も親しい彼にすら伝えられてはいなかった。
 
 
 帰路の途中で羆と別れ、丸二年以上も過ごしている寮の部屋に帰りつくと、タイガは部屋の鍵をかけ、荷物を降ろし、フローリングの床を横切ってベッド脇のクローゼットに手をかけた。
 扉を開け放ったタイガは視線を下に向け、クローゼット下のカゴに入っている物を見つめる。
 それは、コロリと丸みを帯び、ギザギザの尻尾が生えた黄色い縫いぐるみ。
 自分と同じく黄色と黒の人気キャラクターを瞳に映したタイガの顔が、デレっと弛んだ。
「ただいまぁ〜…!」
 猫なで声。そんな形容がピッタリ来る鼻にかかった声を漏らしつつ、縫いぐるみを抱き上げ、満面の笑顔でグリグリと頬ずりをし始めるタイガ。
 そこには、部活中の気迫に満ちた顔をしていた虎も、後輩達に良き先輩として接しながら片付けをしていた虎も、友人と話をしながら笑いあっていた虎も居ない。
 着替えもせずに縫いぐるみを抱き締め、ベッドにダイブしてゴロゴロと戯れながら、顔をデレンデレンに弛ませて一日の報告をしているその様子は、マタタビに酔った猫を連想させた。
 これが、タイガが他者に打ち明けられずにいる秘密の一つである。
 周囲からは男らしいと評価されているタイガだが、昔から可愛い物に目が無く、縫いぐるみが大好きで、自作すらしている。
 さらにアニメがジャンルを問わず大好きで、小遣いの大半はアニメのDVD購入やレンタルに当てられている。
 アニメ好きであるぐらいは公開してもさして問題は無さそうなのだが、タイガにはそれができない。
「タイガくんにはにあわないね?」
「へんだよねぇ」
 まだ幼稚園児だった頃、仲の良かった近所の女児達に言われたそんな言葉が、当時の彼を悩ませ、現在の彼を作り上げた。
 似合わない?変?
 周りの子はみなアニメに夢中になっているのに、何故自分だけ似合わないなどと言われるのか?何故自分だけ変だと言われるのか?
 納得はできなかったものの、そう言われて酷く嫌な気分になった彼は、以来アニメなどの話はしないようになり、過剰なまでに好みを隠すようになった。
 似合わないという言葉が、変だという言葉が、正しい在り方でないと告げられたように感じられてしまい、ある意味トラウマになってしまったのである。
 しかし、好み自体は以後も一切変わらなかった。
 むしろ皆と一緒に盛り上がる事ができなかったせいか、彼が胸に秘めたアニメへの愛は、日に日に深く、強くなる一方であった。
 外では可愛い物やアニメが好きであるそぶりは全く見せぬように振舞い、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ…、そんな苦難の日々が続いた。
 …やや大げさな感はあるものの、少なくとも本人にとっては苦難の日々であったらしい。
「…それでな、決まったら凄く良い顔をするんだぁ、あいつ…。今年は良い一年が入ってくれた。そう思うだろぉ…?」
 縫いぐるみを抱いたタイガが一日の報告を続け、それが部活での出来事に及んだ頃、ココンッと、ドアが軽快な音を立てた。
 ビクンと体を突っ張らせたタイガは、たちまち表情を強張らせて全身の被毛を逆立て、毛が逆立って太くなった尻尾をビンッと立てる。
 ノックの音に過剰反応を示し、クローゼットに縫いぐるみを隠すべくあたふたと身を起こした虎は、
『僕だよぉタイガ』
 ドア越しに聞えたくぐもった声を耳にすると、ほっと、安堵の息を漏らした。
 縫いぐるみをベッドに下ろし、念の為に上にタオルケットをかけて外から見えないようにしつつ、タイガはドアの外の訪問者に告げる。
「待って、すぐ開ける」
 程無く、タイガが開錠したドアを潜って部屋に入って来たのは、背が低くてむっちり太っている、焦げ茶色の狸獣人であった。
 姓は本田(ほんだ)、名は響(ひびき)。タイガと同じく寮生で、隣の部屋で生活している。
 ぷっくり頬が膨れた歳より幼く見える丸顔に、狸特有の黒い縁取りがあるつぶらな目。
 身長は160を下回り、ずんぐり短身でタイガより頭一つ分程も背が低いものの、体重は109キロと、タイガを10キロ程上回っていた。
 多くの獣人は人間と比較して、同じ体格でも二、三割程度重くなる。
 頑強な体を構成する骨格や筋肉の質の違いが原因だが、タイガなどはその典型で、見た目以上に重量がある。
 が、ヒビキの場合は筋肉があまりついていないので、脂肪太りがそのまま反映されたウェイトとなっている。
 肉付きがよい体型は種族全体に見られる傾向ではあるものの、この狸の太り具合はいささか度を越している。
 大きくせり出した張りのある腹は、歩けばたぽたぽと揺れ、走ればぼよぼよと弾む。
 こよなく愛するスナック菓子とジュース類のおかげで横幅と厚みに偏って発育良好なこの狸、タイガにとっては同郷の幼馴染でもある。
 特技は無し。成績は中の下。スポーツは概ねダメ。ちなみに帰宅部。
 タイガとは真逆のタイプであるヒビキは、幼馴染であり、親友でもあり、彼の本来の性質を全て理解している、ただ一人の人物でもあった。
「ひとそれぞれって、ゆぅじゃない?」
 近所の女児達の言葉で傷付き、落ち込んでいたタイガは、当時のヒビキが口にしたそんな言葉で救われた。
 以来タイガは、ヒビキにだけは偽りの無い自分を見せている。
 彼の前でだけは縫いぐるみも抱けばアニメも観る。マニアックなアニメ論を遠慮なく展開する。
 全てをさらけ出せる相手…。タイガにとってヒビキは、唯一無二の存在であった。
「まだ着替えてないの?そろそろ夕食行こうよ」
 黒のトレーナーを腕まくりして着込み、クリーム色のハーフパンツを穿いた普段着姿の狸は、タイガの姿を足の先から頭のてっぺんまで眺めながら提案した。
「ああ。すぐ着替える」
「じゃあ待ってる」
 引き返したタイガの後ろでドアを閉め、鍵をかけると、ヒビキはてぽてぽとベッドに歩み寄り、どすんと勢いよく尻を落っことした。
 抗議するようなベッドの軋みを無視して、盛り上がったタオルケットを一瞥してペロッと捲り、先客の顔を確認したヒビキは、次いでクローゼット前のタイガに視線を向ける。
 脱ぎ終えた制服をハンガーに吊るしているタイガは、タンクトップとトランクスのみを身に付けた軽装。
 薄いタンクトップの生地に、背に浮かぶ筋肉のラインが透けて、動きがはっきり見て取れる。
 肩から先が剥き出しになっている両腕は、発達した筋肉の盛り上がりが被毛越しでも確認できる。
 大柄な体躯に敏捷性を与える両足などは一層太く、腿もふくらはぎも大量の筋肉をぎっしり搭載していた。
 分厚い胸に引き締まった腹部。太くゴツい首。頑強かつ柔軟な骨格と筋肉。
 見ていてため息が出そうなほど見事に鍛えられたタイガの体を無言で眺めていたヒビキは、やがて顔を俯けて自分の体を見下ろす。
 同学年の女子よりも径がある(ただし垂れ気味の)豊満なバスト。
 ベルトを締めたハーフパンツの上にぼよんと乗り、大きくせり出したウエスト。
 狸特有のもっさり太い尻尾が生えた分厚い腰の下には、どっしりと重量感があるヒップ。
 腿も太いが、筋肉質なタイガの物とは根本的に違う。たぷたぷした脂肪で丸く膨れているだけである。
 半眼になってスンッと小さく鼻を鳴らしたヒビキは、丸く張った腹の肉を掴んでみた。
 そして、トレーナーと被毛越しにブニッと掴めた皮下脂肪の感触にため息をつくと、心の中で呟く。
(…破れるわけだ…)
「悪い。待たせた」
 声に顔を上げれば、真っ白なトレーニングウェアの上下に着替え終えたタイガの姿。
「さっそく食いに行こう」
「うん」
 頷いて腰を上げたヒビキが浮かない顔をしている事に気付き、タイガは「どうかしたのか?」と眉根を寄せる。
「あ〜、うん。あれだけバクバク食べるのに、タイガは何で太らないのかなぁ〜って」
「…体質…かな?あと運動しているからか?」
 首を傾げたタイガから視線を外し、ヒビキはぼそりと呟く。
「…引退したらデブっちゃえ…」
「何だとぉっ!?」
 凄く悪そうな顔でこっそり悪態をつくヒビキと、目を丸くしながら声を上げるタイガ。
 二人はぎゃいぎゃいやかましく言いあいながら、先を争うようにしてドアを潜る。
 縫いぐるみがベッドの上で留守番をする部屋に、鍵がかかる音がカシャンと軽やかに響いた。
 
 寮生が一斉に集まり、俄かに混みあった食堂の片隅。
 長机の一番端の席に陣取り、向き合う形で座ったタイガとヒビキは、あれこれ話をしながら夕食を摂っていた。
 おかずはさほど余裕が無いので数人しかお代わりできないが、米やふりかけ類は好きなだけ自由にとれる。
 山盛りご飯にさらさらとふりかけを散らすタイガは、毎食丼で三杯は食べる。
 一方、間食がやたら多いヒビキは、米は少なめに盛り、おかずは苦手なものを除いて食べる。
 今日も既にポテトチップやコーラを胃に納めている事もあり、箸の動きはおっくうそうに遅い。
「ところでさ、お願いがあるんだけどぉ、後で部屋に行って良い?」
 野菜炒めからピーマンとニンジンをせっせとより分け、小皿に移してタイガに押し付けながら、ヒビキが口を開く。
「良いけど、どした?」
 押してよこされた小皿を取り上げ、ピーマンとニンジンを自分の野菜炒めに振り落としながらタイガが尋ねると、
「…ズボン破けたの…」
 と、狸は少し恥かしそうな顔をして呟く。
「またか?今年何度目だ?」
「二回目?」
「いや、そんなもんじゃきかないだろ?」
「…よん…?」
「ぐらいかもな…」
 やや呆れ気味の虎の顔を見つめて、ヒビキはプク〜っと頬を膨らませた。
「だって!春物出したら大半が縮んでたんだもん…!」
 それは衣類が縮んだのではなく、ヒビキが膨れたのだろうと思ったタイガだったが、大人の対応で突っ込まないでおく。
「良いよ。準備して待っとくから」
「ありがとタイガ」
 二マッと笑ったヒビキは、嫌いなものを取り除き終えた野菜炒めを掻き込み始めた。


 そして食後。
 テレビの電源を入れ、引き出しから取り出したパッケージを開き、プレーヤーにDVDを挿入したタイガは、ノックの音に反応して画面を通常のテレビ放送に切り替える。
『僕だよぉ』
「ああ、今開ける。…早いなオイ…」
 ドアに歩み寄って鍵を外し、ノブを掴んで押し開けた虎の目の前には、右手を上げて掴んだ布…、クリーム色のハーフパンツを突き出している狸の姿。
「お尻が破けちゃったの。縫って?」
「また尻か!?」
 驚き、そして呆れながらも、タイガはヒビキのハーパンを受け取る。
 引き返すタイガの後に続いたヒビキは、部屋に入るとしっかり鍵をかけた。
 タイガは床に投げ出していたリモコンを拾い上げ、テレビ画面をDVDの映像に切り替えつつ、破れたハーパンを片手に机に歩み寄る。
 そこには、カモフラージュのために広げたタオルが載せられた裁縫セット。
 バスケット型の裁縫セットを掴み、テレビの前の床に座り込んで広げ、ハーフパンツと色が合う丈夫な糸を選び始める。
 その間にタイガのベッドへダイブし、壮絶な軋みを上げさせつつ寝転がったヒビキは、先客である黄色い縫いぐるみを隅に押し退け、持参した携帯ゲーム機のスイッチを入れている。
「また劇場版?日曜にも見て無かったっけ?」
 右側を下にして横臥し、タイガの後頭部とテレビを眺めながら言ったヒビキの口調は、やや呆れたような響きを伴っている。
「何度見ても飽きない名作だ」
 マイフェイバリットムービーであるところの劇場アニメーションのオープニングを耳で鑑賞しつつ、尻の縫い目が大きく引き裂けたヒビキのハーフパンツをチクチク縫ってゆくタイガ。
 縫いぐるみを自作するだけあって、こういった作業は大得意。
 だからこそヒビキも衣類がほつれたりすればタイガを頼って来る。
 しかし、しょっちゅうズボンが裂けるのは、ヒビキがあまりゆるくない衣類を好む事と、彼自身のふっくらし過ぎた体型が原因に他ならない。
 破れる都度補修させられるタイガにすれば、大き目の衣類を着るか体重増加に少し気を付けるかして欲しいというのが本音であった。
 丁寧かつスピーディーに針と糸を操りながら、タイガはおもむろに口を開いた。
「話は変わるが、先週のアレの展開は如何なものかと思う。…聞くか?まぁちょっと聞け」
「いい迷惑だけどいいよ」
 言い方を変えれば「勝手にしろ」。あるいは「壁とでも喋ってろ」。
 突き放すようなヒビキの返答にも、しかしタイガは気分を害した様子も無く、難しい顔つきで語りだした。
「番組後半のパワーアップは黄金のマンネリにして醍醐味だ。とはいえ、この作品に限っては微妙。少なくともメカチュウにするべきではなかった。何故サイボーグ化だ?まるっきり方向を誤っている。なにより愛くるしさが激減でこれっぽっちも頂けない。ただでさえ俺的にはグっと来るフォルムへのあの進化に関しては何故か否定的意見が多いというのに、メカ化なんてもっとダメだろう?メカ化だぞ?機械だぞ?監督が代わったらやりたい放題で冒険し過ぎだ。目新しさばかり追求した展開になっている。ファンの新規獲得を意識するのは悪い事じゃあないんだろうが、オールドファンをないがしろにし過ぎの感が拭えないというのが俺の…」
 くどくど長々と持論を展開するタイガに目を向けず、相づちを打つ事もせず、ベッドに寝そべったヒビキは携帯ゲーム機を巧みに操作し、流行りのハンティングアクションゲームに没頭している。
 それでもタイガは気にせず喋り続けていた。すっかり自分の世界に浸って。
 もっとも、自分の世界に浸っている点はゲームに熱中しているヒビキも同様だが。
 やがて、ズボンの補修を終えたタイガは、ベッドの上のヒビキを振り返って声をかけた。
「終わったぞ」
「ありがとぉ〜」
 ゲームを中断して身を起こしたヒビキが、ズボンを受け取って笑みを浮かべる。
「お〜!バッチリ!さっすがタイガ!」
「…これぐらいはまぁ、大した事じゃないけどな…!」
 謙遜するタイガは、しかし耳を倒して少し嬉しそうな笑みを浮かべ、誉められてまんざらでもない様子である。
「じゃあ、お風呂行こう」
「え?今から前半の山場…」
 テレビを振り返ったタイガの後頭部に、ハーフパンツを畳みながらヒビキが声を投げかける。
「上がってからゆっくり見ればいいじゃんか?」
 なおも難色を示すタイガを促しつつベッドから降りたヒビキは、さっさとドアに向かい、クルリと振り向いた。
「お風呂セット取ってくるから、準備しててよね?」
 返事も聞かずにドアから出てゆこうとするヒビキに、プレーヤーを停止させ、テレビの画像を消しつつ、少し顔を顰めながら頷くタイガ。
 ヒビキが出て行ったドアが閉まると、裁縫セットを片付け、縫いぐるみをクローゼットにしまい、入浴準備をしながらタイガは思い出す。
 このひた隠しにしている趣味が以前バレそうになったのも、風呂上りに二人でくつろいでいた時だった事を。
 
 
 湯上りホコホコの狸が体重計に乗ってため息をつくと、脇から肩越しに覗き込んだ虎は、「ほぉ…」と声を漏らす。
「いよいよ110キロ台か…」
「この辺でストップかけたいトコ…」
 居合わせた寮生達が愉快そうに笑う中、ヒビキは頬を膨らませる。
「痩せる!今年こそ痩せる!夏には!…いや冬までには!明日からダイエット!」
 胸の前で両拳を握り、フンと荒々しい鼻息を漏らすヒビキではあったが、「夏には」とか「冬まで」とか「明日から」とか、今回も上手く行かない事を臭わせるフレーズが言葉の節々にぶら下がっている。
「って、わわっ!?」
 手を離した事で腰に巻いていたタオルがハラリと落ち、慌てて拾い上げて股間を隠すヒビキと、笑い声をはじけさせる寮生達を眺めながら、タイガは確信していた。
 これまでもそうだったように、ダイエットの決意は、風呂上りのコーラの前に脆くも崩れ去るであろう事を…。
 
 
 そして数分後。
「っぷふぁ〜…!この一杯がまた格別…!」
 脱衣場からタイガの部屋に直接やってきたヒビキは、途中の自販機で買ったコーラをグビビッと煽ると、笑みを浮かべて大きく息をついた。
「…ダイエット…どした…?」
「明日からっ!」
 ニコニコと満足気な顔をしているヒビキを眺め、タイガは微苦笑を浮かべる。
 事ある毎にダイエットを口にするものの、そもそもヒビキは太っている事をそれほど気にしていない。
 気に入っている衣類が着られなくなるのが困るだけで、体型そのものはコンプレックスでも何でもないのである。
 からかわれようがつつかれようが、これが自分なのだと割り切っている。
 タイガはそんなヒビキが羨ましく、そして少し眩しい。辺りの目など全く気にせず自然体で振る舞えるヒビキが…。
 羨んでも仕方が無いと、小さくかぶりを振って微苦笑したタイガは、濡れたタオルを干して小型冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、時計を見遣って、
(丁度今ぐらいの時間だったよな…)
 丸二年前、自分の密かな趣味がバレそうになった時の事を、また思い出していた。
 
 
 それは、タイガとヒビキがまだ一年生で、入学したての頃に起こった出来事。
 寮生活にもまだ不慣れだったタイガは、点呼の存在を忘れてしまった事があった。
 それまでは注意していたのに、うっかり鍵をかけ忘れていたその日、身を乗り出してテレビ画面に見入っていた時に、タイガは寮の監督生の訪問を受けた。
「へぇ…、トラマル…、こういうの観るのか…」
 意外そうな表情で、戸惑った様子で、すらりとした猫の寮監はタイガを見つめていた。
 咄嗟に言い訳も思いつかず、ただただ口を半開きにして寮監を見返していたその時のタイガは、幼い頃の事を思い出し、恐怖すら覚えていた。
 似合わない。変だ。またあんな言葉を投げかけられるのではないかと過度に怯えた。
 しかしそのタイミングで…、
「あ。僕のなんです、これ」
 そんな、救いの手とも呼べる一言を発したのは、部屋を訪れてベッドを占領していたヒビキであった。
「僕、テレビもプレーヤーも無いから、DVD持ってちょくちょくお邪魔して借りてるんです」
 照れ笑いを上手に作りながら言ったヒビキに視線を向けた寮監は、「へぇ…」と声を漏らしつつ、納得したような表情を浮かべた。
 それを見たタイガは、胸が詰まるような感覚を覚えていた。
 本当は、ヒビキはアニメに全く興味を示さない。にもかかわらず、寮監はヒビキの言葉を疑いもせず受け入れた。
 自分に対しては戸惑っているような反応を見せたのに…。
 見た目にそぐわぬ趣味を持ってはいけないのか?
 印象と合っていれば、嘘でもすんなり受け入れてしまう物なのか?
 寮監の反応に理不尽さを感じたタイガだったが、しかし本当は自分の趣味なのだと訴えるだけの勇気は持てなかった。
 タイガはヒビキに感謝すると共に、未だに幼少時のトラウマを引き摺る情けない己を恥じた…。
 
 
 再び軽く頭を振って回想を中断したタイガは、改めて時計を見上げ、点呼の時間が近い事を確認した。
 そして、ベッドに腰掛けてコーラを啜りながら、手近にあった雑誌を取ってペラペラと捲っているヒビキに視線を向ける。
 あの一件に続き、タイガがしでかした何度かの失敗を庇ったヒビキは、今では寮内でアニヲタとあだ名されている。
 タイガはこの事でかなり落ち込み、何度も頭を下げて詫びた。
 だが、ヒビキにしてみれば、呼ばれ方や周囲からの評価などどうでも良かった。それが事実と異なっていても。
 タイガが辺りからそんな目で見られる事を恐れているなら、自分がスケープゴートになっても構わない。
 周囲にバレる事をタイガが望まないなら、いつまででも協力しよう。そう思っている。
 周囲から見られている通りに、周囲から思われている通りに振舞わなければならないという強迫観念に囚われ、外では仮面を被っている幼馴染…。
 その一生懸命さと悩みの深さが、傍で見ているヒビキには不憫に思えて仕方ない。
 為にならない馴れ合いだと心の何処かでは理解しながら、しかしヒビキはタイガを庇う。
 何でもできて、困ったときにはいつも助けてくれるタイガに、自分がしてやれる事は少ないからと…。
 やがて寮の監督生が訪れ、二人の点呼を済ませて出てゆくと、部屋の鍵をかけたタイガは、入浴前に中断していたアニメ鑑賞を再開する。
 相変わらずベッドを占領しているヒビキは、すっかりくつろぎムードでしばし雑誌を読み耽っていたが、やがて飽きたのか放り出し、タイガの背中とテレビをぼんやりと眺め始めた。
 時折耳をピクリと動かし、尻尾で床をたふっと叩く、画面に見入っている筋肉質な虎の後姿を視界に納めるヒビキは、退屈そうに頬杖を付いて足をパタパタさせながら、アニメが終わるのを待つ。
 ヒビキ自身はアニメに全く興味が無いものの、タイガに付き合わされて何度も見たので内容はすっかり頭に入っており、物語がクライマックスに突入している事は判った。
 ぐぐっと身を乗り出して愛くるしいキャラクターの活躍に見入っていたタイガは、画面にスタッフロールが表示されると、興奮して硬くなっていた体の力を緩め、傍らに置いていたミネラルウォーターのボトルを手に取った。
「いやぁ、何度見ても良い…!何故皆にはこの良さが判らないんだろうな?決して子供専用なんかじゃあない、大人の鑑賞にも耐える名作なのに…」
 満足気な様子でそんな事を言い始めたタイガの背中を見ながら、このまま語らせてまた長くなってはかなわないと、ヒビキは口を挟んだ。
「それはそうと、宿題とかある?」
「いや?無いけど?」
 取り出したディスクをパッケージに収めながら応じたタイガの背後に、ベッドからのそっと降りたヒビキが歩み寄る。
 プレーヤーの電源を落とし、テレビの画像を報道番組に切り替えていたタイガの手から、リモコンがゴトリと床に落ちた。
 床にあぐらをかいたまま硬直したタイガの後ろから、床に膝をつき、逞しい肩から胸元へと腕を回して抱き付いたヒビキが、もたれかかるようにして密着している。
 背中にくっつくヒビキの胸と腹。その柔らかな感触に表情を弛ませ、はぅ…、と小さく息を漏らしたタイガは、右肩に乗ったヒビキの頭にそっと手を乗せた。
「…今日は…、いぃ…?」
 甘えるような声音で囁いたヒビキに、タイガはぎこちなく頷く。
 背中に当たっている柔らかな出っ腹の下にある、カタい感触が気になって仕方無い。
 ドアに目をやり、鍵がかかっている事を再確認したタイガは、胸に回されたヒビキのぽってりとした手に、自分のゴツい手を重ねた。
 これがタイガの、そしてヒビキの、最大の秘密であった。
 幼馴染のこの二人、実は恋人としても付き合っている。
 女には興味を示せず、男にしか興味を持てない。ヒビキは幼い頃からそんな性質を持っていた。
 近所のガキ大将に苛められれば、飛んで来て助けてくれる頼れる幼馴染。
 自分と違って何でもできて、格好も良い同級生。
 タイガを慕い、憧れるヒビキの気持ちは、歳を重ねるごとに徐々に変化して深みを増し、やがて恋心だと自覚できるまでになった。
 一方でタイガは、トラウマを負った幼少時の一件以来、女性に苦手意識を持ってしまっている。
 小学校高学年の頃には、想いを寄せて来る女子も少なからず居たが、距離を置いて逃げ回った。
 そんな調子で女子と距離を取るタイガの様子を見て、ヒビキが告白を決意したのは、中学二年の時。
 幼馴染からの唐突な性癖暴露と告白に戸惑ったタイガは、しかしヒビキを拒絶する事はなかった。
「ひとそれぞれって、ゆぅじゃない?」
 まだ幼かった頃にかけてくれた、ヒビキの言葉。
 自分を救ってくれたその言葉は、いつでも、どんな時でも、タイガの胸の真ん中に在り続けていた。
 ひとそれぞれ。ヒビキが男である自分を好きになったのも、ひとそれぞれの好みの問題。
 タイガはそうして、ヒビキの告白を受け入れた。
 これといって特技も無く、何となく頼りなく、いつもちょっとした事で助けを求めて来るヒビキ。
 それなのに、見た目とのギャップを否定する事無く自分を理解してくれて、いざという時には守ってくれるヒビキ。
 かけがえの無い幼馴染であり、大切な恋人。
 付き合い始めた当初こそ、交際に戸惑いやぎこちなさもあったが、今では愛しくて仕方が無く、他の恋人など考えられない。
 ヒビキの手をそっと解いて立ち上がったタイガは、
「…ベッド…、行こう…」
 恥じらいながら顔を伏せてぼそっと呟き、ヒビキを迂回してベッドに向かう。
 そんな恋人の様子を首を回して追い、眺め遣りながら、ヒビキは嬉しそうに耳を倒し、太い尻尾をゆっくりと左右に揺すっていた。
 
 
 たっぷりと肉がついて張り出した乳房に、虎の鼻先が埋まる。
 腹側の白い被毛に覆われた突起を口に含み、嘗め回すタイガに、
「あぁ…!タイガ…、いぃ…!はふ…。…いぃ、よぉ…!」
 ベッドの上で仰向けになっているヒビキが、喘ぎ混じりの声で囁く。
 一糸纏わぬ姿のヒビキの上に覆いかぶさるタイガも同じく全裸で、黒い縞模様が走る逞しい背中が、弾んだ息で上下している。
 左手をヒビキの顔の横につき、乳首を舌で転がすタイガは、空いた左手をヒビキの股の間に入れていた。
 ゴツイ手の中指と人差し指は、実に狸らしいヒビキの大玉の下で肛門に潜り込み、クチュクチュと音を立ててほぐしている。
 胸と尻を刺激され、興奮して息を荒げるヒビキの腹が、ふいごのように上下する。
「タイガぁ…、反対側も…、してぇ…」
 必死の形相で愛撫に没頭しているタイガは、頭に添えられたヒビキの手に導かれて反対の乳房を、鎖骨を、首筋を、耳の脇を、順番に舐め、甘噛みしてゆく。
 やがて、十分にほぐれたと判断したヒビキは、タイガの首に両腕を回してギュッとしがみつき、
「タイガ…、あっ…!そろそろ…、お尻、だいじょうぶそぉ…。もぉ、いぃよぉ…」
 と、耳元に息を吹きかけながら囁いた。
 背中の毛を逆立て、太くした尻尾をビンッと立てたタイガは、小刻みに何度もコクコク頷く。
 そろりと身を離したタイガの前で、ヒビキは寝返りを打つようにして体を起こす。
 首を曲げて下に視線を向けたヒビキは、嬉しそうにニンマリ笑みを浮べた。
 タイガの股間では、他の部位同様欠点の無い彼自身が固く屹立していた。
「カッチカチだね?おまけにもうヌルヌル…」
 そっと伸ばしたヒビキの手が、その濃い桃色の先端に触れると、タイガは「うっ!」と呻いて腰を引く。
「敏感だなぁもぉ!」
 自分でここまで興奮してくれる事が嬉しくて、太った狸は満面の笑みを浮かべている。
 背は低いし、太っているし、勉強もスポーツもダメ。これといった特技も魅力も無い自分を相手に、タイガが興奮してくれる。その事が嬉しくて仕方が無い。
 自分とは違って何でもでき、誰からも好かれるタイガのオンリーワンである事…。それは、ヒビキにとって何よりも誇れる、何よりも嬉しい事であった。
 自分は弄られもせず、相手を愛撫していただけだというのに、すでにいっぱいいっぱいになってしまった極めて敏感なタイガに、仰向けに寝るようヒビキが促す。
 耳をペタンと寝せ、恥じらいながらも大人しく指示に従った虎に、狸は「よいしょ…」と声を漏らしつつ、のそっと跨った。
 尋常でない量の先走りで、さながら失禁してしまったかのように物凄い事になっているタイガのソレをそっと握ると、
「じゃあ、はいりま〜す!…グイっと一本!…んっ!」
 元気に宣言したヒビキは、自分の肛門にソレをあてがい、ゆっくりと腰を落とし始めた。
 挿入前の抵抗によって亀頭がググっと押さえつけられ、低く呻いたタイガの上で、ヒビキは意識して肛門を緩めながら尻を沈み込ませる。
「んっ…!う…、熱…!ギンギンだねタイガ…!」
 やがて、ぬるりと尻に先端を咥え込んだヒビキは、「はふぅ…」と息を漏らし、恋人の顔を見下ろした。
「さきっぽ入ったよ?どう?」
「ん…う…!」
 既に余裕が無いらしく、硬い表情で頷くタイガに、ヒビキは少し意地悪な笑みを浮かべて尋ねる。
「ねぇ〜?きもち、いぃ〜?」
「い…、いぃ…!」
 快感と恥かしさで涙目になっているタイガが応じると、ヒビキはニマ〜っと笑みを深くした。
「それじゃあ、残りは一気に行きま〜す!」
「え?一気にって、…うっ!」
 聞き返そうとしたタイガは、歯を食い縛って両目を堅く閉じた。
 ぐっと腰を落としたヒビキの中に、タイガの逸物が一気に飲み込まれる。
「んっ…!う…、んんんっ…!は…、ん…!」
 目を閉じて眉尻を下げ、切なげな喘ぎを漏らしながら尻を下ろしきったヒビキは、「はぁっ…」と息をつくと、薄目を開けて少し苦しげに喘ぎながらタイガを見下ろす。
「お、奥まで…、全部…、入ったよぉ…?判るぅ…?」
「ん…う…、わ、判る…!」
 柔らかな感触に包まれた逸物が早くも限界を迎えそうになっているタイガは、涙目になりながらヒビキを見返した。
「すぐイっちゃヤだよ?」
「そ、そんな事…、言われても…!実はもう俺、あんまり余裕が無っ…!」
 言葉を切ったタイガは、頭を両手で抱えてギリリと歯を食い縛った。ヒビキが主張を意図的に無視し、腰を揺すり始めたせいで。
 むっちりした腹と胸をタプタプと弾ませながら体を揺するヒビキの下で、タイガは刺激と快楽に耐え、食い縛った歯の隙間から「ぐうぅぅぅ…!」と、押し殺した呻き声を漏らす。
「ど、どう…?はぁ…!気持ち、いぃ…?僕の中…、どうっ…!?」
 熱に浮かされたような声で問いかけるヒビキに、タイガは言葉も返せず、ただ低く呻きながら頷く。
 タイガの引き締まった腹の上に乗るヒビキのたっぷりした玉袋が揺れ、その上では先端まで皮を被ったこぢんまりとした肉棒が、糸を引く透明な液体を零している。
 食い縛った歯の隙間から荒い息を吐くタイガと、熱を帯びた体と息を弾ませるヒビキ。
 やがて、先に音を上げたのはタイガの方であった。
「ひ、ヒビキっ!だめっ!だめだっ!俺もう、で、出るっ!」
「え?」
 目を丸くしたヒビキは、次いで「もう?」と声を発しかけたが、それは叶わなかった。
 腹の中に深々と埋まったタイガの肉棒が一層怒張し、快楽を伴う圧迫感が増して息を飲み込む。次いで…、
「だ、ダメっ!もうダメだ!で…、出っ…!んがぁっ!」
 吼えるような声を上げたタイガは、ブルルッと激しく身震いした。
「あ…、あふぁっ!」
 タイガの熱い体液が腹の中に注ぎ込まれて弾ける感触に、思わず声を漏らしつつ、ヒビキは背を反らせて両目をギッと瞑る。
 ヒビキの肛門が反射的に締り、タイガは男根をきつく締め付けられながら射精を繰り返す。
 数度の痙攣の後、ぐったりとしたタイガを見下ろしながら、荒い息をつくヒビキは顔を顰めた。
(良いトコだったのに…)
 絶頂まで達していなかったヒビキが物足りなさを感じながらため息を漏らすと、射精の余韻に浸っていたタイガが、おもむろに手を伸ばした。
「ひゅぐっ!?」
 股間に触れてきた手に驚いて妙な声を漏らした狸に、虎は申し訳無さそうに耳を倒しながら告げた。
「悪い…。埋め合わせするから…」
 先走りでヌルヌルになった仮性包茎のソレを両手でそっと包み、タイガは苦笑いしながら訊ねる。
「繋がったままで良いか?それとも抜く?」
「…このままが良いかも…」
 恥じらいながら応じたヒビキは、股間から湿った音がチュクチュクと響き始めると、目を閉じて小さく喘いだ。
 口をだらしなく半開きにして快感に酔いしれる恋人の顔を見上げ、繋がったままその確かな重みを腰に感じながら、タイガは笑みを浮かべて愛撫を続けた。
 
 
 後始末を終えてベッドに横たわった二人は、抱き合って互いの温もりと感触を噛み締めていた。
「ヒビキ…、もうすぐ12時だ…。部屋に帰らないと…」
 軽く抱いた狸の頭に軽く顎を押し付けながら虎が呟くと、
「…泊まってっちゃダメ?」
 引き締まった分厚い胸に頬をすり寄せたヒビキは、甘えるような声音でそんな事を訊ねる。
 しばし無言で考えた後、タイガはヒビキの頭を顎でグリグリと擦った。
「良いよ。今夜は一緒に寝るか…」
 くすぐったそうに、そして嬉しそうに少し顔を顰め、ヒビキはタイガの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
 縫いぐるみよりも柔らかで温かい、ボリュームがあり過ぎて時に手に余る恋人を抱いて、タイガは目を閉じる。
 頼り甲斐のある、しかし部分的には繊細で脆い恋人の胸に顔を寄せ、ヒビキは目を閉じる。
 知られたくない些細な秘密から、誰にも言えない重大な秘密まで共有する二人は、互いの温もりと匂いを噛み締めながら、眠りに落ちていった。
 二人の秘密を知っているのは、今もベッド脇に置かれている、黄色いコロリとした縫いぐるみのみ…。