サバンナを照らし続けた太陽が地平線のかなたに消え、夜の帳の中で大地はしばしの熱冷ましの時間に入っている。
それに呼応する様に獣達もおたけびを上げながら生きる為の活動を始める。そんな中、男はサバンナの真ん中で一匹の獣を待っていた。遥か遠くには獣達と共にサバンナを生活の場とする裸族の集落が灯す焚き火のものらしい灯りが見えるが、それ以外は月明かりくらいしか光はなく文字通り夜の帳が辺りを包んでいる。
その暗闇と獣達の咆哮は男の心にかすかに不安をかき立てさせる。実際この地にとって彼は文字通りの部外者であり、まして今の時間帯は裸族達さえ譲る「獣達の時間」。もし今獣達が不法侵入者として彼に襲い掛かったとして、彼にできるのは必死にそれをかわして車の中に飛び込み走り去る事だけだろう。そんな危険を冒してでも男はこの禁断の時間帯に来ていた。ただ一匹の獣に会う為に……。
男は待ち続けた。永遠とも一瞬とも付かない時間を待ち続けた。
日は落ちたとは言えまだまだほてりの残る空気は男に不快感をもたらすが、それに構う事無く男は待った。そして、どれだけ待っただろう。彼の視界に何かが近づいてくるのが見えた。
「……来たな……」
男は改めて顔を上げ、そして瞳を輝かせる。それは一匹の獣だった。月明かりの中、漆黒に染まった全身を静かに揺らしながらこちらに近づいてくる。その空気、たたずまいは間違いなく一匹の獣である。
ただ少し変わっているのはその獣はなぜか灯り――裸族達の集落のある方向からやって来たと言う事だ。さらに変わっている事にその獣の首や腰、前後の足には月明かりに輝く飾り玉の付いた輪が通っている。そして何よりその獣は後ろ足だけで歩いてこちらに近づいているのだ。
そう、それは獣のようであり獣ではない存在――裸族の男、それもモランと呼ばれる部族の戦士であった。獣達に混じって野性の中で暮らし、その恵みを分けてもらう営みは彼らのしぐさにくっきりと野生の、獣の気配を染み込ませている。そしてその股間にはたぎる野生を象徴するかのようにそそり立つものが見える。
そんなモランを恐れる事もなく男は静かに出迎える。
「……待たせたな。」
男の前に立つとモランは彼らの言葉でそう言った。
「いや、今来た所だ。」
男も覚えて間もない部族の言葉でそう返す。
「長老には挨拶したのか?」
「……もちろんだ。長老もおれの事をかなり気に入ってくれてたみたいでな……。」
モランは少し名残惜しそうに集落の方を見る。
「実際一月でシンバを3頭も倒したのはここ数年でおれ位のものらしいし、集落同士の取っ組み合い――まあ、交流戦だな――じゃ一番強い奴に最後まで食らいついたんだぜ。」
もともと「よそ者」だった自分を受け入れてくれた集落の人達、そしてそうなる為に必死だった日々を思い、モランはさびしそうにため息をつく。
「そうか……お前も頑張ったんだな……。」
男はただ静かにうなずくだけだった。
「……おれ、本当はあそこに帰りたい。ずっとみんなと一緒にいたい。モランとしてここに骨をうずめたい……でも……おれにはもう……」
不意にモランの目から涙が落ちる。屈強の戦士には不似合いなその涙に男は驚きながらもその肩に手を置く。
「仕方がないさ。時間がないって事はお前もわかっていたはずだぜ……。」
「でも、せっかくモランになれたんだ……なれたのに……もう終わりなんて……どうしておれの中にあんなものが……」
自分の中に巣食う何かに対する怨嗟をつぶやきながらぐっと首にかかったトンボ玉を握り締める。
それは長老からモランと認められた日に長老自身からかけてもらったものである。
「そりゃあ、そのおかげでおれはモランになれた、しかし、しかし……。」
改めてモランはその時を思い返し、男も彼がたどったであろう日々に思いをはせる。
ドクン。
「ウッ」
不意にモランが胸を押さえてうずくまる。
「どうした……まさか、いよいよなのか?」
男は不安げに声をかける。モランは何かを確信した様にうなずいた。
「……頼む、おれがモランだった証をお前の目に焼き付けてくれ。そして、おれが変わっていく姿を見届けてくれ……。」
荒い息の中でモランはそう告げると、力を振り絞る様に全身に通した飾りを外して男に渡すと、股間からそそり立つ棒に両手を添えてがしりと握り締める。
「ウッ、ウウッ」
そしてそのまま両手を前後に動かしだす。それに導かれる様に棒はさらに固く、長くなってゆく。
シュッ、シュッ、シュッ……。
ムクッ、ムククッ、ムクククッ……。
モランはさらに手の動きを早め、固くなった棒をさらにさすり続ける。その表情には野生の性の興奮と高揚、そして目の前にそれを見ている男がいると言う事に対する異常なまでの興奮と快感が見て取れる。
「す、すげえ……。」
男もその激しいまでの行為、そして彼の体から噴出す野生の匂いに驚きと興奮を隠せないままモランの行為を見守り続ける。
「ウッ、ウウッ、ウォッ、ウオッ」
シュッ、シュシュシュ、シュシュシュシュ……。
行為のペースはさらに上がり、モランの声もさらにペースを上げてゆく。そしてその勢いが頂点に達した時……。
「ウオォォォォーッ!」
ブシューッ!
獣の咆哮と共にモランの棒から熱い息吹が吹き上がる。それはモランがモランであったまぎれもない証でもあった。男もまるで大輪の花火を見る様に静かにそれを見入っていた。
「ハァ、ハア……どうだった……おれの……証……。」
けだるさを残しながらもモランはそう男に尋ねる。
「ああ、立派だったぜ。おまえは立派なモランだ。最高のモランだ。」
男はそう力強く言った。
「うれしい……おれは……モラン……もう……思い残す事……ない……。」
そう言いながらモランは静かに両手を大地に沿わせ、四つんばいの姿勢になる。そして両腕を屈伸させ、あたかも大地と交わるように胸板と棒を大地に沿わせたり離したりを繰り返し始める。
「おお……うぉお……おおおお……。」
まるで獣が伸びをするようなその仕草に男はさらに見入りだす。月明かりの中、比喩ではなくまさに獣としてモランは全身を伸ばし、
「ウォォォーッ!」
と、獣の声で吼えると再び地面に顔を向けうずくまる。
ピクッ、ピクピクッ
ムクッ、ムクムクッ
「ウ、ウウ、ウウウ……。」
先ほどとは異なる異様な感覚――全身を中からまさぐり、むさぼる様な何かをこらえながらモランは大地に四肢をつけ、全身を震わせる。
ムクッ!ベキッ!
「グッ!」
たくましく鍛え抜かれた胸板と腹筋を湛える胴体が音を立てて左右に狭く、上下に広く変形する。
ムキッ、バキッ!
「グフッ!」
両腕の上腕が縮み、逆に下腕が少し伸びる。脚の方ではひざが浮き上がり、同じ様に脚が伸び縮みしながら変形してゆく。
「ぐぐっ、むむっ、ふぐっ……。」
顔の形も前に長く変形し、すでに言葉らしい言葉が出なくなっている。簡単に言うなら文字通り「人の皮を着た獣」と言うより「獣をムリヤリ人の皮に押し込んだ」、そんな状態にモランの体は変形していた。
男も普段ならおののくなり叫ぶなりできたであろうが、その光景、そしてモランとの約束ゆえただ黙って見守るしかなかった。そうこうしている間にもモランの肉体は収縮を繰り返しながら変化してゆき、モランの声も異様な響きを上げながら高まってゆく。その声は例えでも何でもなく、一頭の獣のものであった。
メキュ、ムキュ、ベキッ、バキッ
「ウウウウ……ググググ……グルルルル……」
そして、モランは今日3度目の、そしてモランとして最後に感じる事になる頂点を迎えた。
「グオオオーッ!」
ベリベリベリベリッ!
獣の咆哮と共にモランは全身を大きくのけぞらせる。その勢いで偽りの獣の皮は引き裂かれて夜の闇に消え、それと入れ替わりにその中で作り上げられていた「真なる姿」を露にする。野生のもののみが自然と得る事のできる太くもたくましい筋肉に覆われた胴体と手足。尻の辺りからはムチの様にしなやかで力強い尾が静かにゆれている。その全身は白い体毛に覆われ、凛と流れる鬣だけが黒い。
「シンバ……。」
モラン達が言う所のライオン、しかもただ群れのメスに担がれているだけの軟弱なものではなく真に群れをまとめる長としての威厳と風格、そして力強さを持つ雄ライオンだけが呼ばれる称号を持つ存在がそこにいた。
グルルル……。
モランの肉体を破って現れたシンバは少しけだるそうに首を動かして全身を見回す。その仕草にもどこか力強さと気品があふれる。
「……。」
男も王にかしずく家来の様にその姿を見つめるが、シンバは静かに男に近づくと、ゆっくりとその全身を男に摺り寄せる。まるで王が「対等の友」と認めた存在に接する様に……。男はしばしその行為に満たされるものを感じていたが、そのあとゆっくりとシンバの鬣をなでると、
「行って来いよ。今はお前の時間だ。」
そう言ってシンバをうながす。
シンバは少し名残惜しそうに男を見るが、それを振り払う様にまだ夜の闇に包まれたサバンナを見つめ、それを切り裂く様に雄たけびを上げる。
グルルォーンッ!
そしてシンバは先の見えないサバンナ、地平線の向こうへと走り出す。生まれ変わった、いや、本来あるべき姿であるべき世界に戻る、いや、未知なる世界に駆け出す様に……。
その姿を見送ったあと、男は再び座り込んでそのまま待ち続けた。もうモランもシンバもいない。もう彼がここにいる理由はないはずである。しかし、彼はそこにいた。サバンナの空気を、獣達の声を自らにかみ締める様に。彼はさらに何かを待っていた。何を待っているのだろう。
いつの間にか彼は衣服を全て脱ぎ捨て、車の中に放り込んでいた。それなりの男の肉体、そしてそそり立つものが露になるが、あのモランに比べれば貧弱で、このサバンナでは余りにも無力である。それでも彼はその姿のまま待ち続けた。
そして、サバンナに太陽が帰ってくる。そのまぶしさに目を覚ました男は、その先に何かが近づいてくるのを見た。
夜明けを背に地平線の向こうから歩いてくる何かを――。
「……来たな……」
男は改めて顔を上げ、そして瞳を輝かせる。少しずつその姿は男の目にもはっきりと見えてくる。シンバの白い体と黒い鬣、モランの様に二本の脚でしっかりと大地を踏みしめて歩くその姿はあくまでも小さく細い。しかし、それに混じる野生の気はその柔和さと穏やかさもその存在の「力」として取り込んでいる。ただ脆弱なだけではなく繊細な中にもたくましさを含んだ姿がそこにあった。
近づくうちにそれが人間――全裸の女性である事がわかってくる。
サバンナには不似合いなほど白い肌と軽く流れる汗を輝かせ、細くしなやかな四肢を振り、柔らかく膨らんだ乳房を軽く揺らしながら荒くも優しい息を漏らしつつ女性は男に近づいてゆく。
「待った?」
男の前に立った女性は優しく男に尋ねる。
「いや、今来た所だ。」
男も笑顔で答える。
「もういいのか?」
「うん……でも、もうちょっとこのままでいたいかな。」
少し名残惜しそうに女性ははにかむ。
「やっと姿は戻ったけど、まだモラン、そしてシンバでいたい気がするの。それに、帰るとしても服なんて着たくないな……。」
一見野性味一つ感じさせない様な細く柔らかい裸身を翻しながら女性はそう言う。しかし、今の彼女は外見とは違い「内なる野生」をみなぎらせている。それがこの一月モランとして暮らし、あの一晩シンバとなったがゆえの彼女の「代償」であり「報酬」なのである。
軽く駄々をこねる女性に男は車の中から一枚の赤い布を取り出して見せる。それは彼女が暮らした部族とはまた別の部族のモランたちが身にまとう装束に似ていた。それを見て少しだけ女性は目を輝かせるが、
「う〜ん……じゃ、わたしを「狩る」事ができたら着てあげる」
とイジワルっぽく微笑み、シンバのごとくその裸身をまだ夜の明けたばかりのサバンナに躍らせる。
男も自身の「槍」を掲げ、目の前の「獲物」に飛びかかろうとする。旅行中の不慮のトラブルでシンバの魂を宿してしまい、その魂を安定させる為呪術でその姿をモランの中に封じられていた女性は一月ぶりにさらした「生まれた時の姿」をシンバの様に堂々と、モランの様にたくましくさらしながらはしゃぎ、男も一月の間待ち続けた最愛の女性との再会を喜びながらはしゃぐ。
そして夜が完全に明け切った頃、一組の男女の新たな「始まり」を告げるおたけびがサバンナに轟いた……。
おわり
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