わたしは後始末を済ませる。水が流れる音と共に立ち上がると、もう一度カバンに手を伸ばし、望むものを取り出す。
がさがさ…。
「あったあった…。」
わたしが手にしたもの。それは小さな毛に覆われた小さな袋だった。でもそれは只の袋ではなく、まるで動物―犬の顔を模した様な形をしている。そう、この犬の形をした袋―覆面こそこの扉の先にある世界に行く為にわたしが身に付ける唯一のものなのだ。この先にあるものを思うと思わず袋を胸いっぱいに抱きしめる。そして興奮の余り熱くなりかけている場所にも当てたくなるが、さすがにそれはこらえつつ髪をかき上げると、それをも飲み込むように覆面を頭から被る。
「むぐっ、むぐむぐ…。」
少し息苦しく、そして覆面の中でまとまりきれていない髪を納めるのに一苦労したが何とか髪を全部覆面の中にまとめ入れる。今のわたしの姿を見たら誰もが異様に思えるだろう。何せ首から下は一糸まとわぬ全裸、そして首から上は犬のそのものの覆面を頭からぴったり被った姿…ある意味間接的な異形である。
「ふふっ。」
少し前のわたしならこの姿のままここにいるだけでも抵抗を感じていただろう。でも、今のわたしにとっては早く飛び出したい気持ちでいっぱいである。その為には…。
その途端、また心臓のドキドキと熱さが体を襲う。わたしはたまらずもう一度便座に腰掛けると両手で覆面越しに顔を押さえつける。
「むむ…」
ちょっと息苦しい。でもちょっと気持ちいい。わたしはそのまま顔を撫で回す。
「んん…むむ…ふむ…。」
めちゃくちゃに顔を撫で回すうちに全身がどんどん熱くなる。特に両胸はまるで破裂寸前の風船みたいに強い圧力を感じ、そして足の間は熱さと湿りを帯び、さらにはそこから何かものすごい力が噴出そうとしている。
でも、それを感じさせる暇もないくらいわたしは顔を撫で回す。あたかも覆面の犬の顔でその下の人間の顔を押しつぶそうとする勢いで。
「ああ…ふあぁ…わぁ…。」
熱い。ひたすら熱い。熱いものが全身からみなぎりだしている。それがわたしを内側から変えてゆく…。
「わぁ…わぉ…わぉん…。」
そして、その時は来た。
「わぉーんっ!」
そう叫んだ瞬間、頭の中で、そして足の間で何かがはじけた気がする。
しかし、それに酔う間もなくわたしはカバンを取ると、そのまま扉を開け、異世界、いや、今のわたしにとっての「当たり前の世界」に飛び出すのだ。入る時と同様カバンを肩にかけ、ひんやりとしたタイル越しの感触を素足と素肌に感じながら歩く。やはり全裸は気持ちいい。洗面台に通りかかった時、鏡に今の自分の顔が見える。
犬の顔をした全裸の人間…違う、今のわたしは全裸の人間の体を持つ犬なのだ。今肩に下げているカバンを外せばわたしは完全に犬になる。いつまでもその姿を見つめていたい欲望を抑えながら、わたしは外に飛び出し、近くの目立たない場所にカバンを隠すと、そのまま道に飛び出した。
「わうっ?」
思わず犬の声で驚いてしまう。
無理もない。飛び出した瞬間、若いカップルが目の前にいたのだ。もし普通なら今のわたしの姿になんらかの異常な反応を示すはずである。しかし…。
「何だ、犬か…。」
「うふ、何だかかわいい犬ね…。」
二人は只の犬を見るかのようにわたしを見ると、そのまま歩き去ってしまう。それを見送ったわたしは改めて笑みを浮かべる。
「よしっ、いつもながらいい感じっ。」
そう、この覆面は全裸で被るとその動物に見せてしまうと言う不思議な効果を持っているのだ。ある伝でそれを手に入れたわたしは時々こうして全裸に覆面だけの姿で町中を歩いている。他の人―それこそデジカメや鏡と言った間接的なものでも今のわたしは犬にしか見えない。でもわたし自身はあくまでも「犬の覆面を被った全裸の人間」なのだ。
それがわたしをより興奮させ、犬へと近づけるのだ。と同時に服を着ていた時とは比べ物にならない位の勢いで日差しが、緑の空気がわたしの体を覆う。まるで全身でそれらを呼吸するかのように。
「ああ…はあ…あぁ…。」
恍惚としながらもわたしは両手足をついて四つんばいになると…。
「わお〜ん…。」
と背をそらしながら甘く鳴いた。
「ん?」
ふと足の間に奇妙な違和感を感じる。足の間に何か挟まっているような感覚。尻尾だったらうれしいと思いながらも少し姿勢を直してその場所を見ると…。
「こ、これって…。」
それはわたしの足の間に挟まっていたのではない。生えていたのだ。足の間から生えている肌と同じ色の皮膚に覆われた細長い棒…それは人間だろうと他の動物だろうとオスの性別を持つ存在にのみあるもの、同時にメスであるわたしには本来ありえないものである。
事実、本来わたしの足の間にあるべきものは完全にそれに取って代わられている。そう、今のわたしは犬の顔、人間の女性の体に男性のそこと言うまさにキメラのような姿になっていたのだ。
「まさか…これってオス犬の覆面?」
何の手違いかわたしが手にし、被っていたのはオス犬を模した覆面だった。まさかこう言う効果があるなんて…。
恐る恐るだが、そこに触れてみる。
ピクンッ。
「あんっ」
きもちいい…ひっそりとわたしの中にあったものとは違いわたしの体から盛り上がるその場所はダイレクトに快感を伝える。一般に男性の感覚よりも遥かに敏感と言う女性の体でそれを触ると言うのは…そう思うよりも先にわたしは近くの木の根元に腰をすえると、そのままそれを握り締める。
「ふう…。」
優しく、しかし力強くそれを握り締める。それだけでも何だか気持ちいい。そして、それを力強く動かし始める。
「あっ、はっ、うっ…。」
どんどん意識が高ぶってゆき…。
「あぁーんっ!」
その瞬間、頭が白くはじけた気がした。
「はぁ…。」
余韻に浸りながらもわたしは静かに歩き出す。上では少し大きめの乳房を、オスとしての初めての行為の名残を引きながらまだ高ぶるものを揺らしながら歩く犬顔の裸人…しかし、誰が見てもわたしは只の犬…オス犬なのだ。
実際、通り過ぎたり追い越したりする人の誰もわたしを気に留めない。緑地公園に迷い込んだ只のオス犬に誰が警戒するだろう。まあ、最近は野良犬云々の危険はあるようだが。
そして…。
「…来た…。」
今の姿になった時点で予感していた感覚が足の間に集まってくる。
「こ、これってあれよね…あれなのよね…。」
わたしの中に恥ずかしさがこみ上げる。顔は犬でも体は、そして心のどこかはまだ人間、そして女性のままなのだ。でも、同時にわたしはオス犬でもある。人間の女性の体と男性のそれを持つオス犬…ならそうするのは恥ずかしい事じゃない、むしろ自然な事ではないのか。
そう結論付けた時、わたしは反射的に近くの木に駆け寄ると、そのまま四つんばいとなり、天高く片足を上げる。その時、わたしは自分が間違えてオス犬になった事を感謝していた…。もうずっとこのままでいたい。カバンはあのまま捨て、覆面は一生外さず、永遠にこの奇妙な、そして素敵な姿でいたい…。
強い日差しと心地よい風に包まれながら、わたしはそう思っていた。そんな時、不意に視線を感じた。わたしだけを見つめる視線。わたしもその視線の主に視線を送る。そこにいたのは…。一匹の犬だった。只の犬じゃない。犬の顔に人間の女性の肉体、そして足の間にはそそり立つものが…。
まさか、わたしと同じ人が他にもいたなんて…驚き以上にたまらなくうれしかった。そして、どちらからともなく歩み寄る。
「…はじめまして…」
「…こ、こちらこそ…」
わたし達は握手をする様に互いの体を抱きしめあう。
「まさか、同じ人がいたなんて…。」
「わたしだってびっくりしたわ。こんな事してるのわたしだけだと思ってたし…。」
そう言い合いながら互いに覆面越しに微笑みあう。じっくり見つめると彼女も滑らかできれいな肌を持ち、乳房こそわたしよりもかわいらしいけどそそり立つものはわたしよりもたくましい。ちょっと嫉妬してしまう。
同じように彼女もわたしを見つめている。きっと彼女も彼女なりにわたしに何かを感じているのだろうか。
ピンッ、ビンッ!
「あ…。」
「やだ…。」
互いを見つめるうちに、乳房の先が、そしてそそり立つものの先がぴんと張る。
「どうやら…。」
「言葉は要らないわね…。」
そう、もう語り合う必要どころかもうその余裕はなかった。わたし達はそのまま公園を走り回り、木陰で互いの肌を重ねあった。
時には前足で互いの乳房やものをつかんだり、時にはそっと極上肉の骨の様に口や乳房でしゃぶってみたり、そして最後はやはり…する側もされる側も自分が元はメスだった事を忘れ、相手がオスであろうとメスであろうと構う事なき本能と快感に酔いながら咆哮を上げていた。
「ふぅ…また会えるかしら…。」
ようやく女性の意識が戻ってくる中、近くの池でほてりを洗い流しながらわたしは彼女にそう尋ねた。
「さあ…どうかしら…。」
自信なさげに言いながらも彼女はわたしにキスをした。マズル同士をそっと這わせる優しいキスを…。
そしてどちらともなく、口を開けてかみ合わせ、互いの舌を絡めながらわたし達はずっと余韻に浸っていた…。すでに時は夕刻を過ぎつつあった。
わたしは名残惜しげに公衆トイレまで戻るとカバンを手に取り、一室に入る。ひんやりとした便座の感触を感じながらしばし名残惜しく座っていたが、それを振り払うように覆面を外す。
「ぷふわぁ…。」
蒸れて湿った髪がそれでも戒めを解かれて大きくなびき、ほてりを残した人間の顔が貪欲に呼吸を求める。そしてその貪欲さは覆面を外した事で体から失われたものがあった場所へも向けられる。わたしは覆面を片手にとり、そこに残った全てを注ぎ込んでいた…。
わたしが衣服をまとい、完全に人間に戻ったのはすでに日が沈んでからの事だった。公衆トイレの壁にかけられた時計の針は公園の閉鎖時間をもうすぐ差そうとしている。途中、まだ名残惜しげに公園を後にしようとする人達と何度もすれ違い、追い越したリ追い越されたりした。
もしかするとその中に彼女もいたかも知れないとやはり思うが、今のわたしにそれを確かめる術はない。しかし、それは幸福な事かも知れない。彼女もそう思っているであろう様に彼女はわたしにとって奇跡的な偶然で出会った仲間…それでいいではないか。
次はどこで、どんな姿で出会えるか。それを楽しみにしてもいい。そう思いながらわたしは今まで以上に満ち足りた気持ちで公園を後にした。初夏のほんのり熱い風に送られて…。