アダムとイブカギヤッコ作
 全ては平木緒美が自分の部屋に友人の福井明恵を招いた事に始まる。
「わぁ…これがそうなの?」
「そうよ。これが…ね。」
 驚きの目でそれを見つめる明恵に対し、さも自慢げに笑みを浮かべる緒美。
 ガラスケース越しに緒美が見せているもの。それは卵―それも只の卵ではない。恐竜、特にラプトルと言われる種類の恐竜の卵であった。
 古生物マニアが高じて研究者となった緒美の部屋には色々な恐竜のミニチュアやレプリカの化石が並んでいる。

 明恵は時々ついていけないものを感じながらも友人の趣味につきあっている訳である。
「苦労したのよ、これ位のものを手に入れるのには。」
 そう言われてまじまじと見つめる明恵の目に疑問の色が浮かぶ。
「…でも、映画で見たよりも少し小さくない?それにレプリカと言ってもかなりきれいと言うよりきれい過ぎるし…。」
 明恵の言う通りその卵は化石と言うには余りにも生々しい、と言うよりまるでさっき生まれたかのような真新しさを感じさせている。そう…。
「このまま温めたら本当に恐竜が生まれてくるかも…?」
 明恵の脳裏にテレビ番組などで見るカメの孵化にも通じる恐竜の誕生、そして映画で見た恐竜の猛威が頭をよぎる。
 特にラプトルはパワーこそ大型恐竜にはかなわぬまでもその俊敏さと獰猛さ、そして恐竜の中では水準以上の知能を持ち獲物を駆る危険な存在と言われている。
 もしこの卵が孵り成長したら…少なくとも自分達は間違い無くえじきになるだろう。
 何にしてもそれが杞憂である事に胸をなでおろそうとした時
「かも、じゃないわ。生まれるのよ。」
と緒美の声が冷や水を浴びせる。
「ま、まさかそんな…だってこれ化石、あるいはレプリカでしょ?緒美、いくらなんでも…。」
 また友人の危ない妄想が始まったと呆れながらも明恵はそれを否定しようとする。

 しかし、それに対し緒美は怪しげな笑みを浮かべながら首を横に振って返す。
「それが、できてしまうのよ。この卵を使う事で長い時間を越えてラプトルが現代に甦るのよ。」

 その顔は一言で言えば「静かなるマッドサイエンティスト」と言うべきものである。
「冗談でしょ?それに、そうだとしてもどうやって卵を孵すのよ。孵化させる装置も見た所ないみたいだし…。」
 確かに、部屋を見渡せば普通の家具と恐竜関係の品物ばかりで卵を孵すような機材など影も形もない。
 別室に行くのだろうか。それとも隠し部屋…?
 否定したいものの、かすかに好奇心の混じった思いが明恵の中で浮かぶ。その瞬間、
ビリビリッ!
「キャッ!」
 その瞬間、緒美の手が明恵の服をつかみ、信じられない位の勢いで引きちぎる。
「何するのよ緒美!」
 上半身裸にされ、胸を押えながら怒りを露に抗議する明恵。しかし、緒美は顔色一つ変えず自分の服を脱ぎ、一糸まとわぬ姿をさらす。
「お、緒美、あなたおかしいわよ…変わっているのは今更だけど、今回はいつもじゃない…。」
 緒美の異様な行動におののく明恵をよそに、緒美はガラスケースに手をかけると静かに蓋を開け、中から卵を取り出す。
「明恵、さっきどうやって卵を孵すのか?って言ってたわね。これがその答えよ。」
 緒美はそう言いながら卵を手に明恵に迫る。
 慌てて逃げようとするがその瞬間、グイと伸ばした緒美の手が伸び、スカートの腰にかかる。
「きゃっ!」
ドスン!
 明恵は転倒し、その勢いでスカートがショーツもろとも脱げ落ち、裸の尻を突き出したまま床に倒れると言う痴態を見せてしまう。
「良い格好ね。まさに卵を孵すにふさわしい…」
 妖しい笑みを浮かべながらそう言うと、緒美はグイと明恵の尻を持ち上げるとその下―“産卵管の入り口”に卵を押し込む。
グイッ!
「ヒッ!」
 まだ異性を知らず、下準備もないそこにムリヤリ異物を押し込まれたがゆえの苦痛が明恵を貫く。
グイグイグイ…
「ヒッ、ウッ、クッ…。」
 倒れたまま尻を押えられ、さらには異物を押し込まれる苦痛と恥ずかしさに涙を浮かべながら明恵は卵が中に入りきるのをただ黙ってそれを受け入れるしかなかった。
「お、緒美…。」
「あっ、うっ、あぁ〜ん…。」
 まだ残る痛みを引きずりながら起き上がろうとする明恵。その目に映ったのはもう一個の卵を自分の“産卵管”に入れながら苦痛と恍惚の混じった表情を浮かべる緒美の姿だった。
「ふぅ…。」
 事がすみ、どこか晴れ晴れとした顔をした緒美に対し、明恵は信じられないと言う顔をする。
 無理もない。貴重なはずの恐竜の卵を自分の胎内に入れてそれにより恐竜を復活させようと言うのだから。
 明恵の中に緒美に対する不信と狂気が湧きあがる。しかし、恍惚とした顔に対して緒美の目には迷いや恐れと言うものがない。むしろ「成すべき事を成した」と言う達成感と自分の好奇心を満たそうとする意欲がそこにあった。
「緒美…こんな事したって卵が孵る訳ないよ。もっとちゃんとした形で…。」
 そう言った時、
ピクン。
「あっ…」
 胎内で何かが震えた。
「始まったんだ。卵が孵ろうとしている。」
 緒美が微笑んだ。そして、自分にも同じ感覚が走ったのか、
「あんっ…」
 と我が子をいとおしむ母親のように下腹部をなでる。
「あ…う…」
 二人の中で卵の殻が溶け、その中にいたものがうごめく。
「緒美…これって…」
「孵ろうとしている…甦ろうとしてる…長い時空を越えて…古代の彼方から…生まれるのよ…ラプトルが…」
 未知への恐怖におののく明恵に対し、緒美の目は歓喜に震えていた。
 明恵は立ち上がろうとした姿勢のまま再び床に体を倒し、緒美はそのままの姿勢で壁に背中を預ける。
 そうしている間にも卵の中のものは蠢きを止めず、そして…。
「あんっ!」
「あーっ!」
 ブシューッ!
 二人の中から茶色の、そして緑色の液体が吹き出す。それはその感触の余韻に震える二人の体を瞬く間に覆い尽くす。
 ほんの数秒で明恵がいた所には緑の、緒美がいた所には茶色の人の形をした塊が出来上がる。
 その塊の表面は風に揺れる水面のように激しく震え、その中では二つの白い塊が声にならない嬌声を上げる。
 そして、その震えは塊の形を変えてゆく。
 両足―くるぶしの辺りが大きく伸び出し、足全体が長く、広くなってゆく。人の足指を飲み込んだ跡から前に大きく爪を湛えた三本、後に小さく一本の指が伸びる。
 細長い足がさらに長く、駆けるのに適した形に変形する中、緑の塊の尻にあたる部分からニョキッと小さな塊が生え、そのまま一気に細長くも引き締まった尻尾を形成する。
 茶色い塊も同じ様に尻尾が生え、その勢いで壁から押し出されてたたらを踏むも、逞しくなった足とシッポで辛くもバランスを取る。
 緑の塊もよろめきながら起き上がる。背を伸ばした時、覆われていた胸が溶ける様に消えてゆく。
 広げた両腕が細長く、広げた掌から同じ様にナイフや鎌の様な爪を持つ指が三本伸びる。
 頭にあたる部分がグニュニュと延び、先端から横一文に裂ける。その中には鋭い歯が何本も生えていた。
 口が開ききると同時に、カッとワニを思わせる縦に伸びた黒い瞳を湛えた目が開く。
 そして、咆哮と同時に反らしていた背を直し、両足を軸に尻尾と頭部を両端にT字になるかのような姿勢を取る。それに合わせるように全身の色合いも色鮮やかな茶色と緑の鱗を形成していた。
 その姿はまさにラプトルそのものであった。
『う…あ…』
 緑のラプトルの口からかすかな声が漏れる。変化の恍惚が残っているのだろう。
『緒美…わたし達…どうなったの…?』
 そう言いながら緑のラプトル―明恵は茶色のラプトル―緒美に尋ねる。
 緒美は新たな姿をさも当然と見つめながら、
『やったわ。成功したのよ。ラプトルは復活したのよ。21世紀を生きる人間の肉体を借りてはるか太古の生命が現代に甦ったのよ!』
 と歓喜の声を上げる。
 対して明恵はあらためて自分の姿を見る。トカゲを大きくして二足歩行にさせたような姿。映画にも出てきた小型の肉食恐竜の姿。それが今の自分の姿である。
『緒美!戻して!早く元に戻して!』
 そう言いながら緒美に飛びかかろうとするが、ヒラリと緒美にかわされ、壁に激突する。
『イテテ…。』
 鼻っ柱を押えながら起き上がる明恵を軽く笑いながら、
『残念ながらそれは無理ね。わたし達はラプトル。恐竜の本能と肉体、そして人間の知性を併せ持った進化したラプトルなのよ!』
 と言い放つ。
『そ、そんな…』
 明恵は呆然となるが、
ドクン。
 一瞬、心臓の音を感じる。
ヒュウウウ…。
 いつの間にか開けていた窓から風が入る。
『あっ…。』
 その感覚が明恵の中の何かに火をつける。文明世界に生きる人間として生きる代わりになくした何かが。
『行きましょ。』
 緒美が首を振ってうながす。明恵は静かにうなずいた。
 扉の前に立った緒美が機用に手を伸ばし、ドアノブに手をかける。 
カチャリッ。
 難無くドアは開いた。二匹のラプトルの旅立ちの扉が。

タッ、タッ、タッ…。
 かすかな街灯を除けば夜の帳の中、本来なら存在するはずのない二つの生命が走る。
 存在を許されないはずの世界で存在しないはずの生命が存在すべき場所を求めて走る。滑稽かも知れないが、少なくともその二つの生命にはゆずれない思いでもあった。
ヒュッ!
 ゆくてにある家の塀を難無く越える。
カチャカチャカチャ…。
 屋根の瓦に足を取られかけながらもそれでも走る。
シュタッ!
 見事な跳躍で地面に降り立つ。
ワンッ、ワンワンッ!
 その場にいた犬が吼える。目の前にいる二匹の異形に向かって吼える。
 しかし、二匹は黙ってじっと顔を向けるとその犬は犬小屋に引きこもる。
『映画ではこのまま食べられたけど…』
『わたし達はラプトル。レックスじゃないわ。』
 二匹の口からそんな会話が漏れると、そのまま二匹は走り出す。
『ああ…何だか気持ち良い…』
 走るうちに明恵の体中にある種の恍惚感が芽生えていた。
 ラプトルの姿を借りているとは言え、生まれたままの姿で疾走する快感。人間のままでは感じる事のなかったであろう快感が明恵を満たしている。
 その光景をかすかに見つめながら緒美は笑みを浮かべていた。
 どれだけ走ったのだろう。二匹はいつの間にか近くの森の中に入っていた。
 何度も茂みを越え、木々を走り抜けるうちに緒美のリードで導かれた場所、そこは木々に囲まれた空間だった。
『ここは…?』
 回りを見回す明恵。そこはどことなく神聖な空間を感じさせる。
『わたし達が繁殖する場所よ。』
 緒美は静かにそう答える。明恵は少し照れ気味に首を傾けるが、
『でも、わたし達はメス同士よ。子孫は残せない。』
 そう言って首を横に振る。
『そうね、人間だった時はね。だから…』
 緒美がそう言って尻尾の方を明恵に見せる。その付け根には尻尾とは別に凛とした形のものが伸びていた。
 そして二匹は激しく睦み合う。尻尾を絡め、体を震わせ、互いの衝動を響かせ合う。
 互いに女、そして人間だった時には感じる事もなかった激しさが全身に満ち、そして咆哮と共に互いの思いが放たれた中、二匹は自分達がラプトルとなった事を確かめ合っていた。
 しかし、明恵は、明恵だからこそもう一段階ラプトルである事を実感する儀式を受ける事となる。
『う、うう…ううぁ…あっ!』
 ポロン、ポロン…。
 涙を流しながら明恵は新たな命の種を生み出す。かつて自分達を生まれ変わらせたものと同じ形をした命の種を。
 事前に作って置いた巣穴に幾つもの卵を産み落とす。それは人であれラプトルであれ新たな命、自分達の命を受け継ぐ種を残す神聖なものであった。
『卵…わたし達の産んだ…新しい命…育てないと…生きて行かないと…』
 体を横たえながら明恵は卵を見つめる。しかし、その体は既に力尽きようとしていた。
 静かに目を閉じると明恵の体は既に尽きていた緒美同様静かに朽ちて行った…。

    壮絶な命のドラマが繰り広げられた翌朝。
  朝の光が森を照らす。
「う、ううん…。」
  朝の涼しい空気が素肌を包み、まぶしい光がまぶた越しに目を照らすのを感じ、明恵は目を覚ました。
  だるさの残る体をゆっくりと起こして伸びをすると、静かに直立する。
  そこで明恵は自分が人間の姿に戻っている事に気付いた。
「えっ?えっ?え〜っ!?」
  形の良いふくらみとしなやかな手足を彩る柔らかな肌。頭には髪が生え揃い、口元も可愛らしく縮んでいる。
「お、緒美、起きて、起きてよ…。」
 明恵は焦りながら大の字になって眠っている緒美を揺り動かす。もちろんその姿はかつてのままだ。
「う〜ん、何よ…。」
 まだ眠り足りていないのか、緒美は不満そうな顔で目を覚ます。
「わ、わたし達人間に…。」
 なっちゃってるのよ、と言いかけていた明恵の口を手で封じる。
「無理もないわ。わたしが開発した特殊スーツの効果は思った以上に長い様で短いみたいね…。」
「ス、スーツ…?」
 緒美の手から開放された明恵は大きく息をしながらそう言う。
「ある特定の条件―まあ言うまでもないけど―を元に卵型有機カプセルが溶け、中に入っていた素材が全身を覆いあらかじめプログラムしておいた動物の姿にコーティングする…ネタをばらせば身も蓋もないけどね…でも、何とか成功したみたいね。わたし達は見事にその体を使ってラプトルの姿と動きを一時的にとは言え甦らせたんだから。」
 そう言いながら身を起こす緒美。その横で愕然と肩を落とす明恵。
「そんな…あの感覚が全部嘘…あれも…これも…。」
 夜の町を、森を駆け抜ける感覚。ラプトルのオスになった緒美と愛し合い、そして…。
 全てがスーツが生んだ擬似的なものだったのか?嘘偽りだったのか?
 明恵は愕然と膝を付く。しかし、その目に飛び込んだのは…。
「こ、これ…」
 そう、それは明恵が産んだ卵だった。茶色と緑、各四個づつのそれは巣穴の中で形良く並んでいる。
「まあ、これも種を明かすとこのスーツの特製で雌雄のスーツ同士で“アレ”するとそのスーツのもと…まあ卵ね…を作る事ができるの。」
「で、でも…。」
「確かにそれも作りものよ。でも、間接的にとは言えこれはあなた、そしてわたし達の命が生み出したもの、そう、わたし達が生んだ新しい命なのよ。そしてその命は“いくらでも増やせる”んだから。」
 そう言って緒美はかつて自分達の身を覆っていたスーツの欠片を見つめる。明恵も自分のスーツの欠片を手にし、しばらく見つめるとそのまま一個の卵を手に取る。
 緑の卵―ラプトルだった自分と同じ色の卵を見つめるうちに明恵の中にかつて以上の熱いものがこみ上げてくる。そして…。
「…わたしの卵…わたしが…ママよ…。」
 と言ってそっと口づけをする。
「さてと、ひとまず帰りますか。」
 そう言いながら緒美は前もって準備していたのであろう二人分の着替えと帰り支度をどこからか取り出している。
「明恵、いったん帰るよ。今は帰るけど、また来ればいいじゃない。いっぱい「仲間」を増やして。」
 そう言ってウインクをする。明恵もうん、とうなずく。
「そうよね…また会えるわよね。わたし達が体になってあげるから…」
 そう言ってその素肌いっぱいに卵を抱きしめる。
 いつの間にか二人の中にはあるイメージが湧いていた。
 どこか人の手のつかない島。そこで自分達と気のあった面々とで一時を過ごす。
 もちろん明恵、そして緒美が交代で産んだ卵を“孵して”ラプトルになった姿でだ。
 森の中を駆け抜け、用意したエサをついばみ、そして時には繁殖し合う。まあ、時と次第では人の姿で、あるいは人とラプトルでと言うのもありだが。
 残念ながら実際のラプトルのように子育てはできないけど、新たな命を育む喜びを味わう事はできる。
 そんな擬似的ながらも「新たな種」達の繁栄する姿を夢見る「同性のアダムとイブ」の姿を朝日が包んでいた…。


 完
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