夢現の卵冬風 狐作
 卵は美味しい、だからこれだけ美味しい物を食べられないなんて、と僕は良く言われている。
 僕は卵が食べられない、食べられないと言うよりもある程度の加熱処理だとか、そうした加工をされた物なら食べられるが、生卵だとか半熟とか、すき焼きや丼物のお供に使われる具合の卵の類は下手に口にすると、病院に送られかねない羽目になるから、何か新しい料理店だとかに入った時は大抵、生卵は使っていないか、と確認するのは恐縮なところもあれど、習慣となっていた。
 そんな具合ではあるけれど「卵」自体は好きだった。正確に言えば、卵のあの造形、完全に丸なものもあれば、一般的な楕円形のものまで、更に蛙だとかの包巣に至るまで、ありとあらゆる卵が好みで、あの造形に惚れこんでいるとすら言えるだろう。だからこそ、卵料理も好きだと思われがちなのが悩ましいところだからこそ、僕は事あるごとに敢えて、卵料理は駄目なのですよ、と口にしていたもので知っている人間からはだからこそより「残念なヤツ」と笑いも含んで言われてしまうものだった。
「ふぅ、今日も寒かったなぁ…ただいま、僕の卵たち」
 ただ不思議なところがひとつある、こうして帰宅して部屋のあちらこちらに置いてある卵コレクション―生の卵を置いてあるわけではないが、例えばイースターエッグだとか、卵を模した、あるいは加工した品々―を一瞥しつつ、卵型のペンダントを首から外す。
 男なのにペンダント、と言われそうなところもあるが実はこのペンダント、結構な値打ち品であって手に入れるのは意外に苦労したもの。だからこそ、しまっておくのが惜しくて日々着けて歩いている、との経緯がある。そのペンダントの飾りであり、僕をすっかり夢中にさせた卵を撫でつつ、見つめているとふと思い出す感覚、それこそが不思議の正体であった。
「そうそう、これって…出る時も良いんだよなぁ」
 これ、とは卵の事。では卵が出るとは?となれば、それはすぐに出卵ないし産卵との言葉に至る。そう産卵、卵を産む感覚が、何故だか浮かんでしまうのだ、そしてそれは苦しさと共にどこかである快感さを伴うものであって、僕はそれをふとして浮かべる度にどこか胸が疼いて、ふぅっと甘い息を出してしまうのが奇妙で仕方なかった。
 どうして僕はそんな感覚や気持ちを抱けてしまえるのだろう?それはずっと抱けている、およそ卵に関するコレクションなり造詣を深めだしてしばらくした頃から生じたの感覚。今ではすっかり定着して浮かべられてしまえているだけに、自然な心地の一方で変わらずに、時として改めて不可解に思えてしまうのだが、それもその内に忘れてしまえる。
 むしろ思うのを止めてしまうと出来ようか、とにかくいいの、と気にする事はない、それだけ卵が好きだから夢想でもしたんじゃないか、との気持ちに移ろって、次にまた浮かべる時までそんな事はとても浮かべすらしないのだから。

(夢現ってこんな具合なのかな…んぅっ)
   起きているのか眠っているのか、またそのどちらでもないのか、暖かい日差しの下の布団の上で微睡んでいるにも近い感覚は、本当に思考を鈍らせる。
 ただ意識としては暖かくても、肉体的な感覚としてはひんやりとしていた。全身を覆うひんやりとした感覚はふとした匂いと共に五感を刺激していたし、そのひんやりさをもたらす薄い物質によって僕の殆どの部位の皮膚にある感覚は、外気と遮断されているのも分かれてしまう。なのに、そこまて把握出来ているにも関わらず、僕は今が起きているのかどうなのかすら分からない。どうしてここにいて、何をしているのかも、分かるような分からないような有様で、ただ頼るべき存在の下で色々としているのだ、とだけは明確に承知しているのみだった。
「さあ用意は整ったね、コウちゃん」
 用意、その言葉に僕はぼんやりと首を垂れる。頭もすっかり包まれている、僕の全身を包む薄い生地は伸縮性があり、そしてぴたっと皮膚に張り付いている。その様は視界を確保する為にわずかに開けられた目の部分―そこも完全に開けられている訳ではなく、半透明とも言える具合―から見える光景の中にある鏡に写る姿を見れば納得だった。
「コウちゃん、凄く似合ってるよ、うんとってもぴったり」
 全身を光沢感のある生地で覆われた人型、で出来ようか。色は単純に白と黒でわずかに淡い桃色が混じっている、それもただ人の形をしているのではなく、所々で広がりや出っ張りがあり、それ等を翼や嘴と称されているのが耳に届く。
「ああ、コウちゃん、コウちゃんはもうこれで私のモノ。私からこれまでも、これからも、絶対離れなくしてあげる」
 その言葉を、先ほどからの言葉をひたすらに言っているのは前述の「頼るべき存在」であり、その者も私と瓜二つの姿をしている。白と黒を基調とした光沢感のある生地の中に身を包み込み、口に相当する場所には「嘴」を持ち、両手両腕は両翼と称するが相応しい「翼」を有する「コウノトリ」となった僕達の姿、とは認識出来る。
 僕達、ああ違う、私達の姿。私は牝のコウノトリ、今背後から抱きしめてくれて、薄いけれど、胸だとか、かなりふっくらとしている股間を撫でまわして首を擦りつけてくる旦那様のつがいの関係にある牝のコウノトリ。気持ち良くて私からも体を擦り付けなきゃ、ああ、離れる訳がないじゃないですか、素敵な旦那様。
 コウちゃんと呼ばれた「メス」の「コウノトリ」がその身をすり返してきたのを見て、先ほどから言い聞かせていた「オス」の「コウノトリ」はその身をすっと引いて翼腕を絡ませては隣り合う場所へと誘う。そこにあるのはベッドであった、シングルサイドよりやや大きいその場にすっと寝かせるとオスはメスの体を改めて撫でまわしては、その反応を楽しむ。
「ふふ、コウちゃん、今日も良い鳴き声…っ」
 コウちゃんはそうして投げかけられる言葉にもう鳴いて応えるしかなかった、鳴く、むしろ喘ぐだろうか。そうして応えては身を跳ねさせたり捩じらせるのを見てますますオスはその気持ちを満たし、また高ぶらせていく。
 コウちゃんの体には胸が薄い、と言うよりも見当たらなかった。そしてその点ではそのつがいの体の構造は同じであって、股間にある膨らみの大きさも、似ているものだった。それは、当然だろう。何故ならその生地の中に宿っている肉体はどちらも「男」なのだから、ただ今の関係はつがいであり、オスとメスであるからこそ、コウちゃんと呼ばれる側はすっかりメスとなっているのであり、先ほどの鏡の傍らに並んでいる器具によって清められて間もない下半身の穴はすっかりメスの性器としてしか認識していなかった。
 それ故にひくひくとしているのはコウちゃんのメス意識を刺激して仕方なく、それが分かっているからこそオスもまた焦らし、ひたすらに愛撫を重ねては、嘴の奥から吐く言葉によって更に更に、と高まらせていくのだ。早く、そう、早くメスとしてオスの種を孕みたい、との欲求はますますコウちゃんを染め上げていく。
「はあっ、はあ…もうする、ねっ」
 最も高ぶるのが互いなのだから、オスはオスとして、このメスに自らの種を注ぎたいとの欲求に染まっていくもの。その薄い生地、俗にスウツと呼ばれる存在の中に身を宿した事により、コウノトリのつがいとしての今を突き進むしかない。
 愛撫はある意味ではまだそのつがいが「人」であるのを示しつつ、ある種の求愛行為であったのかもしれない。時間を忘れて、スウツの下はもう汗やら何やらによってぬるぬるとなって極まった辺り、オスは自らの股間に翼の先端を向ける。言葉とすればポロン、とだろう。そんな具合で再び翼が戻った時には、その股間には矢張りスウツに包まれた男性器がすっかり膨れ上がって勃っているのからとても視線は外せない。

 コウちゃんにても同じだった、向かい合ってのひたすらの愛撫の果てに披露されたその張り具合。その前に、愛撫が止んだ隙に体を反転させれば、それはもうメスの構え。背後より、男性器を受け入れる構えとなって、認識の上では最早、女性器でしかない排泄器官、アナルをスウツ越しに晒しては、その挿入用に設けられた穴の中へ翼腕の中の指がすっと当てられるのにさえ、大きく震えては模された尾羽を大きく揺らすのだから。
「ひん、あ…あひぃっ」
「ああ、コウちゃっ、コウちゃんっ、いいよぉっ」
 もうそのつがいに何がしかの潤滑剤はいらなかった、幾らも交わしたこの情交、その果てに、その排泄器官は半ば性器として目覚めていたとも言えるし、更には今の「コウちゃん」の意識の働きもあって、自然と受け入れるに向いた緩さと締め付けが繰り返されるのだから。
 とは言え全く痛い訳ではない、しかしどうしてだろう、愛しさがそれをカバーしてしまえる。無茶なものだとは思うが、その意識すら、実のところはコウちゃんその物ではないのだから、入念に考えられ仕掛けられた暗示と刷り込み、それによってコウちゃんは生まれ、その肉体の意識の中に完全に根を張っている。だから、そうコウちゃんの時の事を、そうでない時の肉体の主は分からないのだ、覚えてすらいないのだ。今こうして、後背位で腰を打ち付けられて、排泄器官はすっかり女性器として認識し感じるまでに変えられていて、そこに種付けられるのを何に優先しても欲しているメスのコウノトリと化しているのは、とても分からないのだ。
 だからこそ夢現その物、とすら言えるだろう。夢なのか、現実なのか分からない狭間の意識が支配するのはもう幾度となく繰り返されているから尚更の事。だからこう、今日も高まりきったところで、オスはメスの中へと種を注ぎ込む、どくっと、それはもうその身を震わせつつ、スウツの中は汗だくになり、水を通さぬその生地から汗が噴出してくるのではないか、と思える様な荒い息を嘴の奥から漏らす。
 しばし挿入したまま固まった後、すっと引き抜かれて、少しばかり柔くなった男性器を自ら撫でまわしつつ、片方の翼腕は何かを掴んで、ぽっかりと開いたままのアナルへと挿入し、それに伴いメスの体が震えるのを背筋を撫でて落ち着かせていく。それからは余韻だった、もし嘴が無ければキスなどに興じたであろうが、嘴を有するコウノトリの身、互いに体を摺り寄せあってひたすらに愛撫を交わし続ける、互いの腕翼にてメスの下腹部は幾度となく撫で回されたものだろう、それは恍惚さへとつながり、淫猥な空気と混じっての酔いにますますつがいを浸らせる他ない。
 そんな余韻をひたすら繰り返して、もうどれだけ、との果てにその時は来る。そう交尾によって成された、あるいは、手段としての交尾の目的たる時へと移り変わる。
「はぁ、見ていて下さい…いっ」
 コウちゃんは、メスはそう口にしつつ力を腹部にいれていた。ベッドから離れた床の上で、置かれた金属のトレーの上に何かを出そうと、その下腹部の穴に力を集中させていた。
「ふふ、焦らなくていいよ、そう焦らず、ね」
「はい、あん、は、いくぅ、で、でりゅっ、ぅうっ!」
 そしてそれは、もし人がそうした行為を成すべき場所ですれば排泄行為となろうが、今は違う。
 これは産卵なのだ、交尾の後に孕んだ卵をオスの前でメスが産み落とす、金属のトレーは産卵受けなのであり、今そこには、精液と体液でぐちょぐちょになった、それ相応の時間を胎内にて過ごしていた「卵」が産み落とされる。それもひとつではない、ふたつに、みっつに、連なった偽の卵はその穴を滅一杯に広げては、軽い音と共にオスの前でメスは、コウちゃんは産み落として、そして果てきったと言わんばかりの具合でその場で昏倒しかけて、オスに抱えられてる中で一定のリズムの小さな、安眠の呼気を嘴の奥より奏でるのだから。
「ふふ、お疲れ様…ゆっくり休んでね、私の、メスなんだから」
 そんなオスの投げかける言葉はとても聞こえていない事だろう、しかしその肉体は小さな痙攣をその瞬間に被せたのだから、オスはますます、そのスウツの下で微笑んでしまえてならなかった。

「さぁて、今日も頑張りましょうか」
 朝日が窓から注ぎ込まれるそんな朝、僕は布団から身を起こすと、卵コレクション達に対して語りかける様につぶやいて立ち上がる。
 体は軽い、気持ちも軽やか、そして天気も良い。そんな良い具合の中、僕は何故だか下腹部を撫でまわしている。ふっと気付くまでのしばらくを、何とも言い表し難い恍惚さとして朝の気分の良さもあって染めてしまう、そんな卵への愛しさによるものとしか思えなかった。本当に、心から、卵を孕めない体を恨めしく思うのが、爽やかな朝にある一点の曇りだった。


 完
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