先に黒色がしていたのが「女」の解体が主であったなら、紺色がするのは解体されて「材料」へと変わった「女」の加工であろう。現にしているのはそれであるが、紺色の意識の中ではもうひとつ託された事柄、即ち黒色が「不十分で面倒」として処理を投げてきた、もうひとつの「材料」とも言える、あるいは「材料」にこれからされる「男」の適当な加工、そう加工してどう仕上げようかと、その脳裏は盛んに検討を続けていたのだ。
「ふんふん…」
それ故だろうか、その作業には終始、鼻歌がついて回る。すっかり乾燥した棍棒の様になった「女」の四肢であったものには、紺色の手によってそれぞれ、全体に新たな薬剤が塗布されていく。それは下地から、塗装の過程を明らかにたどっていたし、それ等の性質が比較的速乾性であり、かつ強力に効果を発揮するのも見て取れる。
そして途中で、また別の乾燥装置と思しき中へとすっかり処理を終えた半完成品にも近くなった「材料」を放り込んだ後は、その動きは託された「男」の肉体へと向かい、また新たな機械の中へと無造作にも近い具合でストレッチャーを倒して転がり落とす。
「男」が入れられた機械の中から何とも言えない音が響き渡る中で、紺色は相変わらずの鼻歌を奏でつつ、四肢を失って最早、顔のついた肉塊としか言えない様になっている「女」であったとしか言えない肉へと今度は動きを注ぐ先を移す。
その流れにためらう様子は当然ながら一切ない。そのままに、そこに新たな器物―それは円筒形をしていた―を当てて、軽く回すとなんだろうか、するるるっとの表現のままに器物の鋭利な面が肉に沈み込み、一定程度まで回転すると動きが止まるので引き出せばそう、一定の丸い穴をそこに生じさせた。それはポッカリとした、余りにもきれいな穴であった。
その作業を幾らか、紺色は「女」の首と胴体しか残っていない体に繰り返した。それと共にわずかに残っていた「女」の動きは途絶えて静かになる。あとはただぬめっとした鮮血と肉の混じったものが辺りに時折撒き散らされる以外は、ただ紺色のする作業と「男」が放り込まれた機械から響く音以外は何もない。
無数の穴を開け終えた紺色は先ほど使った薬剤をそこに塗りたくった後、再び「材料」から「半加工品」となっていた「女」の四肢を放り込んだままにしてあった乾燥装置を開く。そしてよりしっかりと加工の下地が整ったのを確認するなり、今度、紺色が手にしたのは蓋を外した中身として、黒い薬剤をたっぷりと蓄えた缶であった。
「えーとこれは、こっちで、これは…ここね」
既に単なる茶色の棒ではなくなった「半加工品」たる四肢であったものに対して、紺色は複数のサイズの異なる金属容器に投じた上で、先の黒い薬剤をたっぷりと注いで沈み込ませ、時折出して様子を見つつ、また投じるの繰り返しにしばし明け暮れていた。時には刷毛を用いて、その表面を均し、感想を意図するかの様に吊り下げたちょうどその時、如何にもなブザー音が「男」を投じた機械より響いて紺色を呼ぶのは、正に絶妙なタイミングであったと言えるだろう。
「ああ、もうある程度終わったのね。じゃあ、ええっと…こんな分量にしましょ、はい再撹拌」
やや面倒臭そうな具合に機械の操作盤の前に立つと、幾らかのチェックの後、紺色は新たなボタンを押すと、また「男」を呑み込んだままで機械はうなり始めた。
機械の中で何がされているのか、それはある程度察しがつきそうなところではあるが、中身が見えない以上、確たる事は言えないもの。
加えて少しばかりの時間がそこでは空けられた。具体的にはどれ位なのかは不明ではあるも、短くても数時間程度は恐らくあったろうし、一旦の場から姿を消した紺色が戻ってきた時もまだ、「男」を呑み込んだ機械は唸っていたものであったから、続きとしてされたのは吊り下げられた「女」に対する作業であった。
そういう意味では継続性のある作業であると言えるのではないだろうか。そう、そこからの作業は仕上げの段階だった、黒光りする物体へと薬剤の浸透もあって均一な太さに―最も元となった各部位の長さには影響されている―仕立てられた物の片面が水平に切断されると共に、また別の機械によってその面に彫込みがされていく。
それは全てにであった、また続いては無数の穴の開いた「女」の胴体と顔であった代物も、先に進んだ「四肢」であった「加工品」への処理と同様に黒く塗られたのを機に、同様に―特に女の「顔」であった部分には色々と細やかな処理が施されていた―なされてしまえば、あとに残るは、そう「男」の側の処理が残るのみ。そうようやく呑み込んだ機械が止まったからこそ出来る「処理」であった。
「よいしょ…これでっと」
紺色は大きな盥の様な容器―これは既に黒塗りの施された物体であった―を二段式の台車にて運んでくると、機械を操作してその中身を注ぎ込む。機械から出てきたのはねっとりとした朱色の粘液で、如何にもな相応しい質量その物であるそれは、飛沫を散らす事もなしに、容器の中にねっとりと静かに広がっては埋め尽くしていく。
まるで従順とも言えようか、その質量によって固まれば固まるほど、安定性が増していく姿を見せるのだから。よって機械よりほぼ全てを流しだされて口が搾り止められた段階で、こんもりと容器から盛り上がる様な形の朱の色をした「肉」の様な様相を呈していた。
「まぁまぁね、これ位なら」
それに軽く指で触れて感触を確かめた紺色は、少しばかりずらすと新たなモノをそこにはめる。
そのモノは今や「朱の肉」とも評せられる塊を収めた盥を運んできた、台車の下部に収められていたもの。はめられて、少し回されるなりカチッとの固定される音がした事から見れば、ただ置かれたのではなく蓋として閉まる様に意図された加工が施されているのは明白であり、マスクとゴーグルの向こうでようやく紺色が一息吐いたのを見ればそう、いよいよ完了との段になったのもまたうかがえるところであった。
「ああ、ようこそいらっしゃいました」
彼、伊吹はそう迎えてくれる男にふっと微笑みを見せた。そして一言の―ようやく出来まして、お届けにあがりました。との言葉に改めての、心からの期待を伴う笑みを浮かべる他に何も浮かべてはいなかった。
「ええ、勿論です。ちゃんとお題も頂いておりますし、さ、では早速」
「お願いします、楽しみですね…私の特製なのでしょう?」
「そうです、あなただけの特製。この世に唯一無二の、です」
その言葉は伊吹の、気持ちを端々を以って真にくすぐる。それはどうにも優越性だとか、そうしたものを感じさせる側に作用するところであって、色々と言葉を交わせば交わすほどに伊吹は、すっかり浮足立ってペースを奪われているのにも気が付かぬままに進んでいく。
「ささっこちらです、この中にありますよ」
そうして誘われたのはとある部屋の中だった。失礼します、と弾んだ声で返して中に入るとそこは如何にも会議室か何か、と言った具合の部屋で見渡して伊吹はふと首を傾げる。おや?との思わずの呟きに対して続く男の平然とした言葉に、思わず言葉を失ってしまう。
「あるじゃないですか、目の前に」
目の前、そう示されて見るとそこには黒い場違いなオブジェの様な物、としか見えなかった物が目に入ってくる。当初、彼はそれが何かと理解出来なかった。しかしふと何かを感じた時、男に言われるがままに手を伸ばして掴むと、それは確かに「あの」感触だった。
「まさか…いやそんな、でもこの形…えっ…」
伊吹は自らの正気を、感覚を、疑った。しかしそれはあの感触、今後ろにいる男が「お近づきの印」として寄越してきた、独特な感触の判子その物であったのは記憶の中で違いなく、触れれば触れるほどにそうとしか確信が得られないのに、先ほどまでの気持ちはどこへやら、すっかり困惑の極まりの中で右往左往してしまったものだった。
「ええ、その通り。あなたのお気に入りのものと同様にせんと、素材からしっかりと選んで、そして活かして作らせて頂きました。お気に召しましょう?そう、人体製特性印鑑でございます、お待たせ致しました。ちゃんと持ち歩けるものもご用意して、ございますよ」
男から、彼がまともに聞けたのはそこまでだった。誰が思うだろう、ようやく届けられた、出来上がった「印鑑」が、まさかその素材を人間とするだなんて。金属でも石材でも木製でも何でもない、しかし象牙に近いかもしれない、とすら言われていた不思議と気になって欲してしまったモノの「正体」がようやく知れたら「ヒト」だったなんて、どう信じられようか。
「朱肉も同様に、何せ特製には特製な物を合わせた方が馴染みがよろしいですから、特製の文鎮と共にサービス致します」
目の前にある巨大な印鑑、判子は確かに特製だった、それも実用には不向きなほどに特製だった。しかし、その判子の置台として使われているものをよく見るとその輪郭は何かを、そしてそこから飛び出る様に出ている造形の様な何かは塗料の黒の下に沈んでいるとは言え、凝視すればそう、加工こそ施されているとは言え、人の、顔だった。添えられている文鎮に至っては、人のつま先そのままだった。
だから、と手渡された箱も同様の感触がする。その中には実用に値するサイズの印鑑が複数収められていたのだが、それを伊吹が見れたかは定かではない。最も彼の事だから何とかして見たであろう、また用いたであろう―判子、印鑑に一家言ある者としてそれが相応だろうから。
数年後のある日、伊吹が「亡くなった」との宣告を求める書類が担当する役所に出されたと言う。そしてその家も片付けられたと言う。
最も、家族はおろか、身よりの無い彼の消息に対して誰が請求したのか、そして片付けたのかはとても知れるところではないだろう。そもそも、その「伊吹」の印鑑は一体どういうものであったのか?
受理した役人は決して分からぬであろうし、知らぬが幸いと言えようか。それはそれは、印鑑にまつわる話なぞ、普通の人は興味を抱く余地なぞないのが当然なのだから。