同居人と僕・中編冬風 狐作
 その出来事、僕が彼と出かけたのは秋がすっかり深まる頃だったと思う。何時もよりも早く訪れた秋は、ここ数年のあっと言う間に過ぎ去る、あってない様な「秋」とは全く別ものな、清々しさすら感じられる良い季節だった。
 出かけた先は結構な近場であったと思う、敢えて「思う」としているのはそれがどこかで確かな記憶と思えなところがあるから、と振り返っているからではあっても、彼と出会って以来、こうしてちゃんと出かけるのはまずした覚えがない、そちらは確かなものだった。
 例え、近所のスーパーに一緒に出掛けるとかはあっても、彼が「ヒト」としてある、見せている限りでは年も近しい―彼曰く、合わせているのだ、と言う―傍から見たら仲の良い大学生の同級、あるいは先輩と後輩の関係としか見えないだろう。ただし、この頃になると僕が彼と共に歩いているのは親しい友人や知人連中にも大分知られていて、とにかく男ではあるが同居人がいる、とだけは認識されていたものだった。
 だからとして特段何か言われる事はなかった、言うなれば中の良さそうな中に敢えて入らない様にしてくれている、だろうか。例え何かしらの接触があるとしても普通に挨拶を交わす程度。後から知った話では、どこのだれが言い出したのかは分からなかったが、都合のいい事に同居人は「田舎から出てきている親戚の人」とされて、その理由も「急な就職で適当なアパートが見つからなかったから、僕の家に転がり込んでいる」なぞ尾鰭が勝手についていたものだった。
 故に皆、そういう事情として勝手に納得していたが故に、そこまで根掘り葉掘り聞いてくる事もなく、適度な距離を置いてくれたとの訳だった。もし何らかのアクションが周囲からもたらされていたら、何か回り道でもあったかもしれないが、何もなかったからこそ僕は彼とますます馴染んでいき、今ではすっかりもうストレートに甘えてしまっているレベルである。
 それを改めて感じたのが冒頭に挙げた「近場へのお出かけ」であったと思う。発案したのは僕だった、実際のところはそんなに大仰ではない。単に、冒頭にも触れた通り一緒にどこかへ、近所以外へ出掛けた事ないね。とのつぶやきでしかなかったのを彼が、それなら、と誘ってくれた次第。

 流石に彼の正体が「ヒト」ではなく、獣人、それも狐人であるからとて連れて行かれたのがお稲荷さんやら、稲荷寿司製造工場、だとか言う事はなかった。
 足を運んだのは電車で片道1時間、更にバスを乗り継いでしばらくな山間の温泉。何でも秋の頃に入っておくと春まで大病無く過ごせる、との謂れがあるとかで確かにやや熱めで、最初こそヒヤッとして上がってはまた入り、と繰り返してしまったものだった。
 しかし大丈夫、と共に入ってくれる彼の存在、そして言葉が僕の気持ちをどこかで宥めてくれる。加えてその環境が絶好のモノだった、とも出来ようか。
 とにかくそれは平日の夕方、天気はよろしく、半ば露天であるその風呂には夕焼けの淡い光が適度に入り込む。今、入っている温泉のある施設以外の人家はやや離れていて、つまり里から登ってくる道の終点にあたる土地だから、唐突に車の走行音で邪魔される事もない、そうまことに静かな世界だった。
 そんな中で僕は、まともではいられなかった。いや、いられようか、すっかり頼ってしまっている彼が隣にいて声をかけてくれる、それが凄く気持ちを宥めさせてくれると共に、ふとした盛り上がりを生じさせて、刺激させてくるのみ―言ってしまおうか、言ってしまわないでおこうか、もっと頼ろうか、いやある程度はまた自分でする様にしようか、静かに2人して入りつつ、僕の心はどうにも落ち着かない、ますます波が立ってくる。
「…髪、長くなってきたね?」
「あ、そりゃ言われたし…」
 そんな折に彼はふっと触れてくる。ただ話しかけるのではなくて行動で、僕の、湯船に先端の浸かっている髪の毛を、幾本かの指を通してすくってはそのまま耳元に話しかけてくるのだ。
「そうだねぇ、ちゃんと言うとおりにしてくれてるんだね」
「当然、でしょう」
 僕はどうしても、彼の言葉に対する肯定の意しか示せない。そこには惨めさすら感じられるほどだった、幾らお湯で頭が熱くなっているからと、気持ちが落ち着いてないから、そしてその原因が温泉と彼の双方にあるとしても、どうしてこれほどまでにひとつの意しか示せないのか、との混乱すらしてくる。
「もっと、そう…」
「もっと、何?」
 気持ちの中でまるでうわ言の様に口から出た言葉は、その場を落ち着かせる効果を発揮するものではなかった。むしろ、より事態を進ませてから落ち着かせる、そんな一段階を含んだ代物だった。
「もっと、うん、もっと指示して欲しいんだから」
 冷静に考えればそれはおかしなものだったろう、指示して欲しい、それは仕事とかの関係なら時として使われる言葉であるに違いない。しかし、今の僕と彼はそんな関係ではない、単なる同居人同士で、僕の方が家主であるのだから立場的には、同居人との関係では主導権を握って然るべき、となろう。
 だが、そんな理屈や立場とは関係なしに僕は今、純粋に彼を欲していた。もうたまらなかった、気持ちはもうすっかりひっくり返っていて、そのひっくり返ったお盆の様な心を戻して満たしてくれるのなら、そしてそれをしてくれるのが彼だと決めて、信じていたからこその言葉であった。

 最初に来た指示、それは凄い単純で、とても肯定的で、戸惑う様なもの。
「もっと甘えなよ」
 その一言に僕が出来たのはうなずくのみ。もっと甘える、今でも十分、甘えている、頼っているはずなのにもっとなんて一体、と戸惑い気味に思えてしまえる。
 そんな僕を承知してか、彼は更に言葉を続けた。
「頼るのはもう十分だよ、まだ足りないのは甘える事、これしたらダメかな、なんて思わなくていい。駄目なのは駄目って全部、私が決める、いいね?」
 要は、単純に言ってしまえば僕には拒否する権利はない、よりプラスに言うなら僕は判断なんてする手間を免除された、となろうか。いずれにしても彼にとって、僕が今している接し方は不満であるから、と主張しているのは違いなかった。だからもう、戸惑いの気持ちすら僕には不要なのだろう、持ってはいけない、と理解してしまえる。
 故にそうと介したのを示す様に、と言わんばかりに彼は―良いね?と一言付け加える。だから僕は肯定の意味で首を縦に振る、君が、いや、あなたが言うなら、とストンと気持ちに理解が共に腑に落ち込んだ瞬間だった。


 続
同居人と僕・後編
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