不思議な塗り薬・後編 冬風 狐作
 それから次第に季節は秋へと傾いていく、次第に街行く人々の服装が厚くなって行くのと並行する様に私の日常にも変化が次第に大きく現れだした。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
 帰宅して声をかけると帰ってくる挨拶、それは夏以前には存在しなかった物だった。
「今日も色々とあって疲れちゃったなぁ」
「お疲れ様、夕飯もうすぐ出来るからね」
 台所でエプロンをして腕を動かしているのは彼だった、今や彼は私の家に住み着き、そして私に養われているのだ。していたはずの仕事は彼自ら辞めたのだと言う。そして住んでいたアパートすらも引き払って私の家にいきなり転がり込んできたのだが、私はそれを受け入れて今や家事の一切は、当然教えつつであるがすっかり彼が担うに至っていた。
「ん、今晩も美味しいな。ありがとう」
「大丈夫ですよ、嬉しいな」
 特に料理の腕はそれまで殆ど自炊していなかったと言う割には、最もだからこそ癖が付いていなかったと言うのもあるかもしれない。その腕前は教える私としても凄いと素直に思えるもので、正直なところ、助かっていたと言うのが本音である。
 だから私はどんどん教えていく、秋が深まるのと歩をあわせる様に教えれば教えるほど、彼は吸収して咀嚼して彼の中でより高める。その循環は次第により深い、彼自身の内面にも影響を及ぼしていくのは言うまでもない。

 10月後半ともなると彼はすっかり服装が変わった、それは女物ばかりを好む様になっていた。私はそれについても求められるままに教え、そしてアドバイスをするだけ。最もそれを女装と言ってはかわいそうだろう、何故ならその頃にはもう彼は足って用を足すと言う事をしなくなっていたのだから。むしろ忘れていた、と言えるだろうか。すっかりどちらの用でも座って足す、そうなっていた。
 11月の半ばを過ぎた頃には再び家事をするのは私の役目に戻っていた。でもそれは苦ではなかったし、彼がいなくなったからそうなったと言うのでは決してない。むしろ彼は居続けた、ただ同棲しているとそれ以前を言うなら、今はよりもっと違う言い方が出来る、そう書ける。
「さ、ご飯出来たよ」
「うん、ありがとう、姉様」
 そして私に対する呼び名もすっかり変わっていた。今や私の事を「お前」とか名前で呼ぶ事は無い、決まって「姉様」と呼ぶその姿を仮に外に出したら誰もが思うだろう。美しい女の子だと。
 元々ストレートであった髪は、より肌理の細かさも入った美しい輝きを秘めたロングヘアになっていた。髭や脛毛と言った類もすっかり無くなっていて、体自体がより締まる一方で背もやや伸びた均整の取れたラインを抱いている。
 何より注目すべきはその胸だろう、そこには双球が出現していたのだから。豊満な良い張りがある、かつ乳首も程よい大きさとなったそれは服を身に纏っていようとなかろうと、それはもう女性であるのを示す以外の何物でない。そして股間、あの陽物はどこへやら、すっかりつるっとしていてただ縦のスリットが膨らみの中央を上下に貫いている。それは良い桃色をたたえている。
「ご飯食べたらお勉強の続きをしましょうね」
「はい、姉様」
 お勉強、その内容も様々だった。既に家事の至るもの全ては既に身につけ、刻み込まれた事が分かるからこそ進んだ新たな課程、それがお勉強であると言えよう。それはより処世術であり、一方では教養だった。
 私もこの頃になると比較的昼間の仕事が暇になっていたので、時間さえあれば家の中にいた。そこでは一歩も出ない様に命じているからこそ、止まり続ける彼女に昼はゆったりと教養を、そして夜は処世術、主としてそれは女の武器を生かす技術、性技一般をそれこそどちらも徹底的に教え込み刻み込む、それがほぼ日常を占めるに至っていた。

 いよいよ新たな年を迎える頃、彼女はすっかり彼女となってあり続けた。私も彼女の「姉」として共にあり、かつある準備にむけての最後の調整を彼女に施していたと言えるだろう。
 今や彼女はどこに出しても全くおかしくなく、かつ求められる技術から知識の一切を身につけた一種の完成された存在となっていた。もう「彼」であった記憶は一切ないのだろう、話したところで全く思い出せないのは当然の事、あえて目の前で「彼」の写真や持ち物を捨てた所でむしろ進んでお手伝いします、と来るのだから。
「ええ、はい、それではその通りに致しましょうか。ではよろしくお願い致します」  電話を終えて彼女の元に戻る。すると彼女はとても嬉しそうに私に纏わりついてきた、くんくんとすら匂いを嗅いで来るその姿は何とも愛しくてならない。そんな彼女に私は撫でながら、そっと語りかけた。
「さ、良い事教えてあげる。あなたの出荷の日取りが決まったわ」
 その途端、彼女の目にすっとした輝きが過ぎり、そして急速に静かになる。纏わり付くなんて言語道断、と言う神妙な表情になった彼女は四つん這いになって、そしてお座りの姿勢で首を上向きに上げながら私の顔を見つめてきた。その瞳には輝きは一切無かった、代わりに首に巻かれている首輪の金属の輝きが目に止まる。
「あなたを手放すのは本当悲しいわ、でもこれが私とあなたの定め、分かるわね」
 こくんとうなずく姿を見て私は進めた。
「でも大丈夫、あなたは珠玉の様だから。本当優秀だし、それにあなたの出荷先は最高クラスの場所よ」
 私は思わず微笑んだ、しかし彼女は微笑まない。だが一言言うならそれは悲しんでるからとかそう言うことはない、何故なら今の彼女にとってこれが正常な動作なのだから。もしここでいきなり感情をあらわにしたら、それは失敗作の証。私にとっても非常な責任問題となってしまうからこそ、実際のところはほんのりとした寂しさもあったが、大いに安堵したと言うのが気持ちだった。
「だから後数日、ゆっくりとしていなさい。最高のコンディション、それを示せる様に、ね」
 そしてまたこくんと彼女はうなずくのみだった。

 そしてその日はやって来た、1月後半の寒い夜。眠った彼女を見つめながら私は自宅でその時を待っていた。
「はい、どうぞ」
 ノックがされる、それは指定された時刻と寸分も違う事のない厳密さ。だがノックを受けて外に出ても誰もそこにはいない、しかし私は鍵を片手にして外に出ると自ら鍵をかけて、じっとその場に止まった。扉に対して背を向けて、合図があるまでは一切振り返らずに静かに物思いに耽りながら立ち尽くす。
 続く合図と言うのも矢張りノックだった、ただこちらはかすかな鈴の音が耳に届く。それを私の耳は聞き逃す事はない、ぴくっと振るえた三角耳によってそれは成されるのだ。
 ようやく動く事を許され、そして部屋に戻る事も許された私は鍵を差し込んで、再び戻る。室内は変わらず暖かく、何も変わった所は無い様に見受けられる。しかしあるのであればそれは、彼女が「妹」がいなくなっている事だろう。
 眠っていたはずの布団は何事も無かったかの様に、眠っていた者等存在していなかった、と言わんばかりに整えられていてただきれいな布団が敷かれたばかりの状態のままになっている、そうなっていた。
「ありがとうございます」
 しかし私はそう呟いた。そして何時の間にか置かれていた、布団の上にある黒い箱を手にしてそのまま頭を下げて、両手で掴んだそれをしばらく拝する。その後に、私はその場に座り込んでその箱を封じている2色の紐を解いて蓋を開けると、その中には幾らかの折りたたまれた紙が入れられていた。
 そのどれもが正しく文字通り上質で、高級の名に値するのは明確だろう。黒い箱の表面は漆塗りであるし、そして内側は金色になって蒔絵までされているのだから。紙すらも手触りがおよそ感じられないほどの整えられた物で、時代も時間もどこか超えているそう言う印象だった。
 それ等を私は金色の瞳で見つめる、くっと閉じた口は瞳と共に見詰めているかの様でぴんと背筋を張っては、矢張り紙、文書にもされていた封印を解いてその中身を読む。
 そして封印以外を元に戻して文書を入れなおし蓋をする。紐までも元通りにして、今度は目の前において頭を地面につけて拝して戻せばその姿はなくなっていた。そう、拝している間に持っていかれたのだから。
 そこまで至って私はようやく緊張から体を解す、そしてしばらくの暇に思いを寄せるのだ。
「新鮮な鼠が欲しいわねぇ・・・」
 閉じられていた口は一声発する度に大きく開かれ、そしてその中からは赤く長く厚い舌と白い、しかし鋭い歯牙を表に見せる。そもそもその口、顎はすっかり前に突き出ていて淡い桃色を帯びた純白の長い毛に覆い尽くされていたのだ。
 私は立ち上がると体を大きく揺らした、当然尻尾も揺れる。その数は五尾でどれも先端が黒い以外は前述の白い毛が流れる様に覆っている。胸元も当然その調子である、そして身に纏っている白の衣に黒の袴と言う井手達が、その体をその部屋の中にある俗物的なものとの違いを際立たせて仕方ない。 
「ま、しばらくは休みだものねぇ、クキュゥゥゥゥッ」
 金色の瞳を細くしつつ、私は大きく体を伸ばしながら尻尾を振った。そして思うのだ、今回も無事お勤めを果たした事を。
(あの子をどうするのかしらね、仰せの通りに調製したけども・・・まっ私の知ったことではないな)
 尻尾をくねらせつつ椅子に座った私は立ち肘をさせて、掌で顎を、マズルを支えながら軽いあくびを催すだけの狐であった。

『・・・発表によると全国で昨年1年間に失踪した人数は・・・』
 再びやって来た新緑の季節。ラジオから流れるニュースを三角耳、そう先端をほんのり黒く染めた獣毛に包まれた狐耳で聴いている彼女の姿があった。そこはあの部屋、つまり彼女の自宅で彼女の姿、その人の姿をした狐、つまり狐の獣人と言う姿以外は至って普通でのどかな空気の流れる中、彼女は匂いの強いお茶を口にしつつ、すっかり和みの境地にあった。
 その机の上には幾枚かの書類が置かれていた。そこには何かと細々と記入する欄が並んでおり、どれにも端正な文字が躍っている。
『職業:人材トレーナー』
 それは彼女の職業であった。最もそれは表向きの肩書きに過ぎない、その本当の姿と言うのは異界の存在に、それはつまり人知を超えた妖だとか神だとか言われるレベルの存在からの依頼で選んだ人間をトレーナーする。つまり求められた通りに調製し出荷する生業なのだから。
 今やすっかり下級の狐神としてそれを司る彼女もかつては、その様な身であったことを彼女は全く覚えていない。しかし分かる事を許されたそういう立場であるのが、あの寒い夜に「出荷」されていった中身から外見までの全てを入れ替えられた「彼」との大きな違いなのだった。
「クゥゥゥ・・・」
 そして幸せそうな顔をして机の上にマズルの下あごを押し付ける様にして目を閉じている姿の中に、あの「彼」の事は微塵も残っていなかった。人の姿で付き合っていたのも何も、そう彼女の生業の一環に過ぎないのだから当然だった。ふと棚の上を見るとあの瓶、地元、即ち「異界」より取り寄せたそれは中身を電灯の明かりに鈍く光らせていた。


    完
小説一覧へ戻る
  ご感想・ご感想・投票は各種掲示板・投票一覧よりお願いします。
Copyright (C) fuyukaze kitune 2005-2013 All Rights Leserved.