尻尾の呟き 冬風 狐作
 都心から夜闇の中を郊外へ向けてひた走る電車の中、静まり返る走行音が響く車内には1人の青年が座っていた。車内の人影は疎らで、開きっぱなしになった貫通路の扉から見える隣の車両も同様な具合であった。
 その中で彼はしきりに足元に置いた袋へと視線を向けては遠ざける。その袋とは漂白のされていない茶色の素朴な紙袋、特にブランド名や商店の名前も印字されていないそれは、中に入っている物の形を反映して下の方が柔らかく膨らんでいる。
 開口部は透明なセロハンテープによって1ヶ所で止められていて、それは外された気配はなかった。しかしその左右にある開いている部分には明らかに手をかけて、中を覗いたと思しき痕跡の膨らみが幾つかあり、その動きと相俟って強い関心を抱いているのは明白なものであった。
(ああまだ30分もかかるのか・・・)
 列車が減速し、次の駅名が放送で流れる度に内心にそう浮かんでいた。それは普段であればそうは思わない、慣れた距離であると言うのに果てしなく遠く、言ってみれば初めて行く土地に対する高揚感にも通じるかもしれない。とにかく、それに通じる気持ちに青年があったのには違いなかったと言えるだろう。時間の流れ、列車の速度は何時もと変わらない。しかしその心はただひたすらに、先へ先へと先行して越せない壁を前にして地団駄を、内に抱けるまだ暖かい快楽の残滓も相俟って踏んでいたのだから。それは初夏の暑さがまだ残る夜の車内だった。

 それから数ヶ月が経過した、遅く始まった秋雨により昼間でも雨が降りしきり暗いそんな日々。つい先日までの晩夏の爽やかな空気はどこへやら、と言う中であの青年も雨にすっかり濡れつつも何とか横切って、自宅へと帰りついた。
 玄関に入るなり扉をすぐに閉めて、鍵をしっかりとかける。そしてそれを確認してから鞄を軽く投げ出す様に机の脇に置くと服を脱ぎつつ洗面所へ、そしてその際にボイラーのスイッチを入れるのも忘れる事無く入ると手を洗い、そして服を洗濯機の前にあるかごの中へと放り込むと、あかすりとタオルだけを持って浴室の中へと入り込んだ。
「ふう・・・っ」
 棚の上に持ち込んだ物を置きがてら彼は一息を吐いた、そして温水の蛇口を捻り、その第一波をその身に浴びる。しかしまだその時点では温水蛇口とは言え、出て来る水は冷たくまだ温かくはない。だがつい先ほどまでは冷たい雨の中を懸命に自転車をこいでいた事もあって、その体はむしろ少し汗臭くそして熱かった。そう言う点ではその最初のひと時の冷たさと言うのはちょうど良いものであったし、だからこそその後に続く熱さがありがたく感じられるものだろう。
 しばらく浴びてから体を洗い始め、まずは頭、そして体と清めていく。汚れは泡と共に、排水口へと飲み込まれ浴室内には独特の湿気がこもっていく何時もの流れ。それを彼は好きだった、それこそ一日が終わったと大きく意識出来るそんな幸せな瞬間だと感じていたからだろう。だからこそ浴室には掃除の手をしょっちゅう入れていたし、だからこそ汚れ1つ無い清潔な空間に彼は大きく心を委ねていた。
   そして一通り終えるなり、一旦あかすり等を外のかごの中に放り出し換気扇のスイッチを入れると、再び扉を閉めて軽く水を流して湿気を落ち着けて新たな息を吐く。そしてしばらく佇む、その白い、機能的としか言えない空間を、ほんのりと漂い始めた冷たさの中で眺める事、およそ数分どころか10分はそうしていただろう。何か意味ありげな目付きをしたままでいて、湿気が更に収まったところでようやく再び扉を開けて、その足で洗面所からも出て行く。
 しかし電気は付けっぱなしで扉も開いたまま、明らかに中途でただ出て行っただけであると光景が示唆していた通り、数分後彼は再び戻ってきた。相変わらず何も見に纏ってはいなかった、しかし何かをその手中に収めている。だがそれは何なのかはその場では分からない。だが握ったまま浴室に入り扉を閉めた事から、浴室の中で使うのだろう、と言う事。それだけは確実であった。

「ん・・・んん・・・ぅっ」
 しばらくした浴室内、そこには様相の異なる水音と喘ぎ声が響いていた。
 青年は四つん這いになっていた、そしてちょうど口が来る位置にある突起を含んでいた。突起、そう書けばそう触りはある表現ではないだろう、だが壁の白さとは対照的なその漆黒の色、何よりもほんの少し反り返った形をしている時点でそれはただの突起ではなかった。何よりも口に咥えている時点で、それはおかしいだろう。
 それは張り型、あるいはプラグとも言おうか?逸物の形を模った、そんな物で手に入れた店頭では「プラグ」と書かれていた事から、ここではプラグと称する事にしたい。それの断面部分、つまり形も模している側とは逆の部分を壁に貼り付けて口に含んでいたのである。それこそねっとりと、濃厚に、唾液が口を離した途端に垂れてきたり、また糸を引くほどにまで徹底的に塗りつけての愛撫振り。
 その顔は恍惚としていて、先ほどの一息を吐いていた時にあった落ち着きと言えようか、その様なものは微塵も感じられなかった。ただ目の前にあるこのプラグ、これを含み興奮を得る、その証拠に彼の逸物は痛々しいまでに勃起して、片手でずっと扱かれて先端から先走りを垂らしていたほどであったが、それすらも快感の一部でしかなかったのは事実であった。
「ふう・・・はあ・・・っ・・・いひ・・・っ」
 そして口からは時折その様な言葉が、すっかり魅入られてしまった証の甘ったるい声がただ漏れる度にひたすらに紡がれるのだ。そして一頻りそれを楽しんだ彼は、ふと口を外し微笑だけを満面にしたまま軽く立ち上がりプラグを壁から外す。そしてじっとりと視線で、そのてかった姿を見ると再び四つん這いに近い姿勢を取って、そう静かに姿勢を戻した。
 だが片手は付けない、そう先ほどまで咥えて口戯をしていた際に、逸物を弄っていたのと同様な形にして、更にそれを崩した具合で伸ばされた手は先端にあのプラグを掴んでいる。そうそして向かう先にあるのは、整った良い形をした桃・・・尻、そう尻である。だが尻肉その物に向かう訳ではない、その先端の向かう角度、その先にある割れ目と来れば・・・もう火を見るより明らかとはこう言う事だろう。
「あ・・・っ!」
 すっかり慣れた、解されたアナルはもう手を入れる必要はなかった。唾液がローション代わりになってぬるぬると纏われていたそのプラグの効果もあって、すんなりと、一瞬の痛みこそ感じたが1度開いてしまえば後はすんなりと、口の如く受け入れてしまうそれだけの柔軟さがあるまでに変化していた。そんな事はありえない、と思われるかもしれない。だが仮にそう言う事を、ほぼ毎日、それこそひたすら暇さえあればしていたとすればどうだろうか。体と言うものは元に戻ろうとする、しかし一方では慣れてしまうとそれに馴染んでしまう事もある。
 彼の場合は後者だった、余りにもやりすぎてしまったが故の結果として変わり果てていたと言えよう。しかし彼は後悔していなかった、何故なら・・・それはこれから明らかになるのだから、まだ書かない事にしよう。とにかく飲み込まれたプラグは、それこそ深く咥え込まれて快感の余りに彼を震えさせる。細かく、小刻みに、そしてプラグ自体も震えるアナルの動きに沿って波打つその姿は最早、卑猥以外の何物でも無い。
 白い谷間に刺さる黒い塊、そのプラグ。しばらくそのまま、戻した手を付いて四つん這いのまま、彼は悶えて感じていた。深く息を吸っては吐き、そして喘ぎ扱く。その繰り返しであったが相当な快感を感じていたのは違いないだろう、そんな状況で彼は動き出した。もどかしさすら浮かべた表情をほんのり載せて、扉をわずかに押し開けると大きく手を伸ばし、洗面台の下の棚を空けて手探りで何かを掴んで引きずり出す。
 それは黒く長い物であった、それこそ長くて均一の太さをした縄に近い印象を受けるものと言えよう。表面は光沢があり、その点はあのプラグと同様なのだろう。ただ引きずり出されてからの動きを見るからに、何か硬い芯が入っていると言う印象はなく、柔らかい柔軟性のある素材によって構成されているのは確かな物であった。
 青年はその断面を震える手で、しかし確実に慣れた手付きで落ち着いて来た事もあってか難無くとプラグの断面と接続させた。その途端、大きく尻を降ると軽く宙に軌跡を描くその姿、それは正しく尻尾と言えるものであり、黒く長い、何かネコ科の猛獣を思わせる、その様な装いであった。そしてふと、浴室に掲げられている鏡に向かって微笑みを、その姿を鏡に映して見ながら浮かべるのがまた印象的な光景なのだった。

 プラグを接続、つまり体に挿し込み、そしてそこに長い、尻尾の様な物を繋ぐ。この組み合わせでどう変化があったのだろう、とふと思われる事だろう。確かに彼の内心で大きな変化があったのは言うまでもなかろう、しかし外見的には、つまり傍から見ている分にそれ以上の変化があるのか、あったのかときっと思われている事に違いない。
 しかし彼が体を前述した様に、そうアナルをすっかり緩々にするのに数週間を要したと言う通り、変化と言うのはすぐに激しく起きる訳ではない。だからこそ彼にここまで期待させて、そして熱中させる変化と言うのもまた、彼にしても見ている側からしてもそれこそ緩慢と言えるもの。しかし確実にそれはやって来る、そうポツリと落ちたインクがじわりと紙の表面に広がるがの如く。
「うあ・・・・んんんっ」
 一際大きい呻きが聞こえたのは次の瞬間だった。ぴくっと、どれだけの時間が経ったのかも分からない彼自身の感覚の中で生じた動きは大きな波紋となって、全身に広がったかの様な具合であった。
 そして象徴する様な変化は体の表面に現れた、ぽつぽつと降り始めた小雨の如く広がった黒い斑点だった。それらはじわっと内から浮き上がるようにその丸を大きな物として行き、そしてぶつかり合って全身を真っ黒に染めていく。だがその色合いの濃淡と言うものはあり、よくよく見ると小さな花びらが合わさったかの様な模様が出現していた。
 ただ喘ぎ、そして悶えるだけの彼は最早、よりはっきりとした動きをするその変化の添え役でしかなかっただろう。すっかり意識は快楽に彩られていてもう切りがなかったし、その変化において何か意味があるとは到底言えなかったからだ。色は全身を覆い、何時の間にか頭髪と言う者は姿形もなくなっていた。最も全て抜け落ちたとかはなく、その黒さと共に全てが黒の中に飲み込まれてしまった、と言うべきかも知れない。そして全身にはふとした光沢が浮かびだしたのもその時だった。
 その光沢は正しくテカテカとしたものでいかにも人工的、と言う物。同時に言葉で表現するならスベスベ、とも感じられるかも知れない。最初は皮膚の中で、と言う気配を強くしていた黒い色合いは今や覆い尽くした上で内側から外側へと移り、前述の様な外見をその体の全身に示すに至っていたのである。そしてふと耳を傾けてみよう、何か細かくうねる様な音が聞こえないだろうか。うねるのが相応しくなければ響くと言う具合だろうか、そんな具合の音がこの静けさの強い浴室の中に響いているのに気が付かないだろうか。

 見渡した限りでは何か特別な気配は感じられない。しかしじっとその音を追跡してみれば、床に近い所から響いているのは明らかで、視線を向けた先では四つん這いに近かった姿勢は何時の間にか裏返って、決して尻を下にせず腰の辺りを床に接触させた極めて湾曲した姿勢となっているのがようやく捉えられるだろう。アナルに挿されたプラグと接続されていた尻尾は体の正面側へと伸びている、そしてその表面はかすかに振動していて、追っていけば明らかにその振動は体の中、プラグを飲み込んでいるアナルの中から生じていた。
 そうそれはプラグから生じていたのである、プラグと表現したそれはバイブでもあったのだ。そしてそれはある効果が生じてから作動すると言う仕組みで、今は絶え間ない刺激を与え続けて、それにすっかり彼は感じていたのだ。
 しかしなのに呻き声1つもなく身動ぎもしないとはどう言う事なのだろう?実際はただそれをされているだけで何も感じていないのではないか、とも思えてしまうかも知れない。だがそれはバイブがどうして自動的に作動する仕組みなのか、と言う事を理解すれば極めて容易な理由によってそうなっているのである。
 即ち、今の彼は生きている様で生きていないとも言える存在だった。矛盾した言い回しではあろうが身動きは最早自分の意思では取り得ず、言葉すら発せないのは正にそうであるというしかないだろう。だが思う事は出来たし、強烈な欲求がその中を満たしていた。それは単に性欲であるし、明確に書けば弄られたい、あるいは尽くしたいと言う気持ちであった。そしてそれは振動の回数が増えると共に単なる欲求から切実な願望へと転化し、ますます彼を悶えさせ興奮させる。
"ああ・・・ご主人様・・・っ"
 それは指示を求める存在以外の何物でもなかった、彼以外には誰もいないこの家の中、そして浴室の中で強く抱ける気持ちであった。
 青年がこうなったのはもう半年以上も前の事だった、ある日、ふとした出来事で知り合った相手「主人」の手解きを受けて快楽を覚えた後、連れて行かれた店で買い与えられたのがこのプラグと尻尾であった。
「これは特殊なんだぞ?」
 青年の脳裏にはその時に、初めての時に主人から言われた言葉が強く記憶に残っていた。そして、もうその時にはすっかり調教されていたアナルにすぐ挿入されたプラグ、そして前述した通りに装着された尻尾の果てに来た変化が正しく、今見てきた流れである。
 それは人を「ドール」に変える装置であった。ドールとは即ちDoll、ラブドールと日本語で呼ばれる範疇に当てはまるだろう。だが意識のないただの人形であるラブドールと異なり、彼が変化したドールは意識とある程度の反応を明確に示す生きた人形であった。また更に違うのはそれは人の姿ではなくなることだろう、今の彼はそう真っ黒な獣の姿、アナル尻尾で人の体型をしている点を除けば1匹の黒豹と成り果てている。 
 よってその表面が黒い光沢に満ちたのも当然と言う訳で、それはラバーを連想すれば大変よく分かりやすい。そして変化に伴って生じたのは体の牝化であった、即ち性転換である。最も彼自身の肉体が変えられたのではなく、あくまでもドールの時の性別であり、装置が止まって元に戻れば当然元通りになるが今は縦割の女性器と縦に連なる複乳を持ち合わせた一介のドールに過ぎない。
"あ・・・ああ・・・気持ち良い・・・っ"
 彼が最後に「主人」に弄られたのはもう久しい事だった、唐突にいなくなって、正確にはあの時、駅で別れてから今日に至るまで全く連絡が取れなくなった事による喪失感は今以っても補い切れていない。だから彼はこうして自らドールになり、そのバイブ型の装置が機能を止めるまでの一定の時間を快楽で覆い尽くすことでせめてもの慰めの時間、としていたのだ。
 いわばこれは彼の自慰なのである、もう彼がこれを手放すという選択肢は彼の中には存在していなかった。幾ら心の中に、このドールになって悶えると言う自慰をすればするほど、「主人」に対する思いがますます心に刻み込まれようとも、もうそれは選び得ない不可能な選択肢なのだった。


 完
【その他】小説一覧へ 感想などは「各種掲示板・投票一覧」
よりお願い致します。
Copyright (C) fuyukaze kitune 2005-2013 All Rights Leserved.