真人間の秘め事 冬風 狐作
「それではお疲れ様でした、失礼しますー」
 朝の混雑も一段落したそんな時間、そんな声がその空間に響いた。
「はい、お疲れ様、ゆっくり休んでね」
 返る声の主は、このコンビニのマネージャーを勤める女性であった。規模こそ、そう大きいものではないのだが、近隣に移転してきた学校と新興住宅街が存在する事もあって朝夕にはかなりの賑わいを見せる、手堅い立地の店舗だった。
「見原君、最近は本当元気になりましたね、お客様からのクレームも皆無になりましたし」
 チャイムが鳴り終わり自動ドアが再び閉まったのにあわせるように、事務所から出てきた別の店員がそうレジの中へと戻ってきたマネージャーに声をかける。
「そうよねぇ、雇ったばかりの頃は声も中々出せなくて・・・」
「店長に良く怒られて心配されてましたね」
「そうそう、あとあなたにも結構・・・でも結果としてこうなってくれて良かったわ、今では別の意味で辞められたら困ってしまうわよ」
 そう言ってマネージャーは笑う、どうしてそう言えるかは彼のシフトを見れば分かるだろう。働き始めた頃は週1回の夜勤であったのが、今では週4回も夜勤に入っているのだから。こうなる事はマネージャはおろか、店長、そしてどのスタッフも予想していなかった事だった。そもそも当時のシフトを見れば、7人の夜勤者が夜勤と深夜2時までの準夜勤を分担していた。しかしその後それぞれの事情により数人が辞める事になり新人を募集したものの集まりが悪く、その穴埋めを残った夜勤者と新人で埋める事になった。その際に見原が率先して引き受けた、それが始まりとなる。
 だがその時、誰もが任せて大丈夫なのかと内心で強く思ったと言うのも書いておかねばならない。何故なら一番と言って良いほどミスが多く、また仕事も雑として知られていて昼間の勤務であったなら、確実に辞めさせられていただろうとまでの存在だったのだから。だが夜勤であった事が何よりも幸いしてそうならずに済んでいただけなのである。そしてそれは数人が辞めた際にどうして辞めてもらいたくない人が辞めるのか理不尽だ、と陰口を叩かれていたと言う記憶からもまた正しいのだろう。
 だがその引き受けの頃から彼は急速に変わりだした。勤務の始まる10分前にはしっかりと来る様になり、朝になって引継者が来た時には、まるで店舗開店の直前かと見間違うほどにピカピカ、そしてきちんと見栄えの良い前出しがされている。つまり完璧なレベルに整えられていたのだ。それは瞬く間に驚きとして迎えられ、かつ毎回それが継続する事に皆、凄いと言う素直な気持ちと共に一体何があったのかと言う戸惑いを見せたものだった。
 それは良い意味での戸惑いだった。店内、接客・・・どれにおいても勤務の度に進歩していくその様は、次第に店舗の上にいるこの地域を担当する本部の営業所にも伝わり、予告せずに来た担当者が思わず目を瞠るほどのレベルを常に提供していたのだから。そんな具合だから以前の様な信頼の欠如は次第になくなっていった、むしろ見原君は手本になる、と言う気持ちや考えの方が強まっていったのであった。
「とにかく本当助かってるわ、これからも頑張ってもらいたいわよね」
 そんなやりとりを交わしながら、2人は作業を続けていた。マネージャーはおでんの仕込みを、もう1人は発注作業をしつつ。ふと窓の外へと目をやれば1時間に4本来る電車がちょうど到着し、駅舎から人があふれてくるのが見えた。ドアが開き、挨拶の声が飛ぶ。店内には再び人の気配が満ちていった。

「ふうただいまっ、と」
 見原が自宅に戻ったのはその日の夕方の事だった、離れた地方より大学へと通っている関係上、夜勤明けそのままの足で講義を受けて戻ってきたからこその時間であった。部屋の中はやや雑然としているが、大学生の1人暮らしらしいとも言えるものの整っている、人を呼んでも恥ずかしい様な乱れっぷりはなくむしろきれいなのではないだろうか。
「ふう・・・どうしてこうもごった返すかねぇ」
 だがそれに対してふと漏らす呟きには、不満の色がわずかに混じっている。マニュアル以上に店をきれいに、毎度勤務の都度していると言う事を踏まえてしまうと、当然かもしれないとうなずけてしまうのもどこか恐ろしい。だが同時にそれはどこか他人事、とでも言うべき響きも同時に併せ持っていた。とにかくその足はリビングへと台所を抜けて行き、鞄等を置いて身軽になって再び戻る。
 そして玄関の手前で折れて洗面所へ向かっていく。電灯はつけていないものの慣れた手付きでノブを掴むのは、矢張り我が家だからこそ成せるのだろう。ドアが開くと内側には明かりが漂っていた。やや色合いの弱い、まるで電気が切れる寸前のようなそんな弱弱しさのある明かりである。
「さぁて・・・仕上がりはどうかなっと」
 洗面所にて手を洗いつつそう口にして蛇口を回して止める。そして鏡を見て前髪を掻き分けて額を露としてしばらく見つめてから、首を振って手を外す。
 鏡に映る背景として扉は閉じられているから小さな密室と、洗面所は化していたが天井にある照明は灯っていなかった。だが前述の通りその空間は明るく、彼もまたそのまま気にした素振りも無く、顔を洗う等していてどことなく横着、しかし合理的な姿を見せていた。
 しかしそんな姿を見せられても、どこから光が来ているのかと気になるのは矢張り人の常と言うもの。だからどこかと目を走らせようと、したその矢先につい今まで顔を洗っていた彼が動いた。しかしそれは単純に洗面所から出るのではない、むしろその脇にあるもう1つの扉へ、浴室の、その折り戸を押して開けて中に入っていく。
 服も脱がずに入るとは掃除でもする気なのだろうか?しかしそれらしい道具は持っていないし、何よりも先ほどの「仕上がりは」と言う言葉を考えるなら、前夜にでも排水溝に滑り取りの薬剤でも流し込んでいたのだろうか?だがそうだとしても、それは正しい使い方ではない。余り長くそのままにしておくと逆効果になってしまうし、むしろ詰る原因になってしまうというものだ。それでは一体どうして入ったのだろうか、それは折り戸によって仕切られていた先の空間、そう浴室にあるとしか言えなかった。

「具合はどう?」
 折り戸を開け放って片足を浴室の中に入れた姿勢となって彼は中に声をかけた、その言葉は決してそう誰もいない空間に向けて投げかける言葉ではない。明らかに誰かがいなくては使わない言葉、それをさらりと顔を微妙に歪ませて伝えたところに注目出来るだろう。
「おおそうじゃなぁ・・・これでは駄目だのう」
 そして続く言葉は微妙調子が変わっていた、何と言うのだろう歳相応ではない深みとも言える物がその響きの中に、まるで年輪の様に含まれていた。
「これでどうじゃ・・・はは・・・っ」
 カチャッ、そんな金属音がより深く体を入れる鳴り響いた。そして明らかに彼ではない別の何者かの、大きな呼気、文字にしてみればハァーッハァーッと言う具合だろう、とにかく大きく口を開いて大量の空気を吸おうとする時に自然となるあの動きによる音が漏れてくる。そう、その浴室の中にいる存在・・・見原博史の姿がそこにはあった。
「く・・・この野郎・・・」
「この野郎とは人聞きの悪い言い方をするのぉ・・・まだ足らぬか」
 見原と見原が相対する、つまり同じ姿を持った相対すると言うその姿はもし見る者がいたら思わず我が目を疑ったことだろう。顔だけ取ってみても同じ目、同じ髪型、同じ鼻・・・全てが同じ造作で、思わず混乱してしまえるそんな有様なのだから。
 だが仕草、そしてその姿と前述してある口調がその見原同士は違った。まず仕草から見れば深みのある声をしている、つまり浴室に半ば体を突っ込ませる姿勢でこれまで見原としてその行動を見てきた側は、顎の下に手をかけて揉む様な仕草をしつつ上から見下す視線で見つめていた。そしてその姿はしっかりと服を着ていて、そのまま外に出てもなんら問題ない姿と言えるだろう。
 しかしもう一方の、浴室の中にある見原はと言えば仕草も何もない。とにかくその姿を見れば全てが分かるとも言えるほどで外に出る以前の姿なのだから、そう全裸なのである。それでもまだ全裸だけであれば問題はないだろう、だがそれ以上の状態に彼はあった。まず全裸である、そしてそれに続くのがまず拘束されていると言う事。風呂場にはそぐわない背もたれ付きのリビング等にあるのが似合う、そんな木製の洋風な椅子に座らされ、両手はその背もたれを挟んで後ろ手に縛られていた。
 そして二の腕、更に胴体も同様に背もたれに縛り付けられていて全く身動きが取れなくなっている状態となっていた。足はと見れば腿に枷がはめられ、その間にされたつっかえ棒により閉じる事は出来ない。つまり股間はそのまま露となって晒されている様であった。
 足首に膝も腕に倣ってこちらは椅子の脚、と言う違いはあったが縛り付けられていて腰から上も下も全く変わらなくなっていた。そして顔には口枷、今となっては外されて右頬からぶら下がっているが、つい今しがたまではで鼻のみでしか呼吸が出来ない様になっていた事がうかがえる。
「こんな姿・・・とにかく止めてくれ・・・っ」
「ほお・・・では全ての約束は取り消しじゃなぁ、いやお主の願いは・・・か」
「く・・・っ」
 息をようやく落ち着かせつつ吐いた言葉に対する、返された言葉に浴室の中から帰ってきたのは苦渋とでも言えるそんな響きだった。
「・・・確かお主はこう我に願ったな・・・」
 それに対してまた一度、顔を歪ませるなり思い返すように、ますます顎を撫でながら言葉が吐かれる。
「言うな・・・」
「これまでずっと自堕落な生活をしていましたが、心を入れ替えてまともに歩みたいのでお力を・・・と。だから我は助けようと色々と手を回したのだが・・・」
「言うな・・・言うなって・・・!」
  「した所でお主はいきなり予定を変えるやら家から出ぬやら・・・まともに動いてはいなかったではないか、どれほど我を落胆させたと思っている・・・?」
「・・・言うな」
 浴室内からの叫びは吐かれると言うより、紡がれると言うのに相応しいものだった、一言一言に確実に力がこもっていて尚強く、そして確実に妨害しようと言う一心の叫びを真実を以って伏せさせていく、そんな具合であった。
「言うなではない、それでも求めてくるお主に我は応えているまでじゃ。我としても頼ってくる存在がいる事、それは大変ありがたいからこそ持ちかけたのだ。あの話をのう・・・」
 目つきが鋭くなっていく、そしてそれに耐えかねる様に顔が逸らされていく。だが更に視線が、最早にらみつけるというレベルになった時、それに呼応する様にその顔が急に戻った。そして急速に視線が完全に一致してわずかなブレもなくなっていく、それと同時に浴室の中の表情は緊張感とも言える何かを失っていった。

「さ・・・言ってみるが良い」
「・・・わしが直接力を入れてやろう・・・です」
「うむ、よろしい。だからこうなったまでじゃ・・・では条件は何か?」
「対価として・・・お主はわしのもの・・・です」
「その通りじゃ、では・・・わかっておるな?」
 そして問答が始まった、それまでの反抗的な空気はどこへやらと思えるほどの静かさ、そしてどことないぎこちなさを伴った口調で浴室の中から声が漏れてくる。そしてそれまで顎を撫でていた腕を外して、代わりにその頬を撫でつつその答えを聞いては返していく。
「はい・・・ご主人様」
 それが最後の答えであった、目に力はない。どこか濁っていると言えるだろう眼はそれこそ鏡の様、そして素直に目の前にて展開されている光景をそのまま映し返していた。そう姿が変わっていく様子を、同じ顔が角ばる、正確に言うなら大きく顎に留まらず、もう目元から下がもう鼻も含めて前へ突き出すと言う格好になるのを。まるで大きな箱を突っ込んで盛り上がったかの様に、ただ前へ行くにつれて徐々に窄まって行くのだが先端が尖がっているとかはなく凹凸はあるものの、総じて平らと言える面になっていた。
 鼻は鼻腔自体はその大きさは変わらなかったものの、鼻自体の大きさが盛り上がった事によって、より明確にその上顎の先端付近に乗っかる様に固定された。そして皮膚は変化に合わせて肌色が染まり、そう鮮やかな水色へと染まりつつ柔らかさから固さへと、輝きが増して行く事によって変化していくのが見て取れた。そう肌ではない鱗、と言える。
 そして米神が盛り上がる。突き出て明らかにマズルとして変化している先端から一筋の筋があるとすれば、その終端部に当たる両方の米神が盛り上がったのだ。その断面から一回り小さい程度の白亜の角が伸びていき、伸びるにつれて幾つかの分岐を生じてただ1本の角では成し得ない威力と言うイメージをまとった、立派に幾重にも分かれた角となった。
 瞳も澄んで行く、強い力を輝きとしてますます湛えてかつ瞳孔は縦長になりまるで皮膚から失われた柔軟さが一気に集中したかの様子だった。そして失われていった物はもう1つ、そう衣服である。まとっていた筈の服の一切は何時しか皆無となり一糸残さず無くなっていた。露となったその体は矢張り同じく青い、最も腹部の中心に寄れば寄るほど水色ないし白に近くなって行き、背骨・・・真っ青な鬣が一列に生えているそこによるほど濃くなっていくという濃淡の濃さはあった。
 しかしそれでも鱗で全てが覆われていると言うのは共通した事であるし、指先の鋭い爪や、その中に秘められた細いものの確実に必要な部分についている筋肉が、無言でありながら強烈な力強さを見る者に印象として与えてくる。そして尾てい骨の付近からは太く、それこそ逞しいと言える尾が伸びて鬣もまたその頂点に沿う様に走り先端の飾りとなって終わる。

「よろしい・・・さてでは、よろしいかな?」
 そのもう一方の見原、いやもう竜、竜人と呼ぶべきだろう。何せ本物の見原は浴室の中に拘束されている方なのだから、雰囲気も最早、人とは似ても似つかない透明でそして涼しげなのが一気に気配としてその空間に広がった。
「は・・・い、ご主人様、失礼致しました」
 その雰囲気を浴びるなり見原の瞳に輝きが戻り、立ち上がる。何時の間にか彼を拘束していた、そう手足胴体と椅子に縛り付けていた縄が消えてその動きを封じ込めるものは無くなっていたのだから。そして立ち上がるなり、その前に片膝をついて頭を垂らして先の一言を口にする。そして頭を上げた時、その顔はまたも見原ではなくなっていた。純白の、こちらは明らかに柔らかそうな獣毛に覆われ、そしてマズルを尖らせた耳の中、そして目蓋の付近に朱をたたえた狐がそこにいた。
「中々、お前にしては手こずっているようだのう・・・手強いか?そ奴は我無しでは」
「申し訳ございません・・・今しばらくのご猶予を・・・」
「まぁ良い急がずとも、そ奴も我の従者とするのみであるからのう・・・それになった後もまだ続くのであるから。今日はどこまでしたのだ?」
「はい、本日はようやく牝と・・・体を」
 その報告にふと竜人がほくそえんだのは言うまでも無い、そしてその大きい三角耳の間を撫でる。
「ではその成果を見せてもらうとするか、忌々しい陽物のなくなった様をのう」
 呟くなりその姿は膝を伸ばし体の向きを変えて、閉めてあった背後の扉を開けて出て行く。そしてそれに続いて、三尾の尻尾を揺らしながら立ち上がった狐人が続いていき、浴室の電気は消えた。一方で部屋に明かりが灯る、見える限り整った部屋の中で唯一乱れているそのベッドのある部屋、そしてその布団の上にある染みからここで一体何があったのか、予想出来るものだろう。
「さ・・・見せるが良い」
 そう言われるなり、ふと微笑んで狐人は布団の上へと上がった。そして大きく股間を開いて、つまりM字開脚となってその股間を、大きく垂れ下がるあるいはその逆の姿を呈する陽物の姿はなくなっていた。そしてあるのはほんのりとした、貝の様な膨らみと一筋の割れ目、そして指にて膨らみを左右に移動させれば赤く熟れた中身がはっきりと姿を見せている。
「どうで・・・しょう・・・あっ!」
 反応を知りたいと言葉を投げかけるなり漏れたあえぎ声、それは竜人が顔を近づけてその割れ目を一舐めしたからに過ぎなかった。言葉は返ってこない、しかし互いに動き出す、そう動きを以って言葉なぞ介さずに求めている事を知って動き・・・また新たな染みをその布団の上にぶちまけるのみだった。

「う・・・うう」
「ああ目が覚めたか・・・?」
 そしてまた浴室へと舞台は戻る、翌日、つまり朝になってそれはあの夕刻の通りの光景となって、そうまた見原が見原と向かい合う光景になっていた。
「お前・・・いやお前たち・・・っ」
「言葉は・・・選んだ方が良いね、まぁあと少しだ・・・気持ちよかったんだろう?」
「う・・・うるさい・・・っ」
「言葉で言わずとも分かる事だよ・・・さっでは大学に真面目に行くとしよう、ではまた、な」
 そして折り戸は閉められる、また電気が灯ったままの浴室。その中に取り残された見原は絵もいえぬ気持ちになって、黙っているしかなかった。
(さ・・・今日も私としましょうね)
 否定出来た様で出来なかったあの一瞬、そのわだかまりを溶かすかの様な甘い声が自分の中から響いてくる。それに対してふとくらっとした後、見原はこう応えるのみだった。
(はい・・・お姉様・・・)
 白狐に対する返答、それは素直なものだった。そしてふと見えたその股間に対して微笑を見せる、ただの割れ目、つまり女性器と化した自らの股間とその周辺から下半身にかけて広がる、昨日には無かった黒い獣毛と逆間接に胸が時めいている、そんな一瞬だった。
 そう、昔からの田園地帯と新興住宅地、そして移転してきた学校群のあるその地域。その中にある狐と竜を祀る神社のすぐ脇のアパートの一室での、願いの代償として人でなくなりつつあり、叶える代償としてその者の姿を奪い、そしてその者を変え行く三者、彼ら以外知らない秘め事なのだから。


 完
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